怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

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よろしくお願いします。


10話

 ──暑い

 

 厳しい真夏の陽ざしがあらゆるものの上に降りそそぐ中、龍園は思った。食料品店を出た彼は袋を片手に複数の商業施設が立ち並ぶ綺麗に整備された通りを歩いていく。まだ外に出て数十秒程度しか経過していないにもかかわらず、体からは汗がにじみ、大きな粒となったものが服の下で肌をつたった。

 

 不快だ

 

 体温の恒常性を維持するための健全な生理的反応である発汗活動。それを嫌悪した龍園が空を見上げると、燦然と輝く太陽の近くを大きな雲のかたまりが漂っていた。あたりを埋め尽くすほどの規模だった。風の流れを考えれば、あと数十分で日光を侵食するはず。そう考えた彼は最寄りの商業施設へと避難した。

 

 大きな自動ドアを通り抜けると、途端に冷気が肌をかすめる。気を良くした龍園は手頃なベンチを探すため、あたりに視線を飛ばすと、8人ほど座れそうな大きい長椅子が見つかった。彼が歩み寄ろうと足先を目的地に向けたとき、一人の女がベンチへと座った。

 その女は周りに目もくれず、堂々と長椅子の真ん中を位置取ってスラリと長い足を優美に組んでいる。白銀の光沢を帯びた艶のある長い髪に、女性としては高そうな身長、ハッキリとした目鼻立ちは性別を問わず惹きつけることだろう。

 龍園は眉間周辺にしわを寄せ、顔を歪ませる。自分が座ろうとしていた矢先に現れた女の存在が気に食わないからだ。龍園はつかつかと椅子の前まで来ると、勢いよく腰を下ろした。我が物顔で背もたれに手をまわし、座っている女と密着してしまうほどの距離で。女の意識が隣の龍園に向く。

 

「なんだ、ナンパか」

 

 やれやれといった少しの呆れと、異性に言い寄られる状況に疑問を持たない口振りだった。隣の女が自分に話しかけていることを龍園は分かっていたが、あえて反応しない。

 

「先輩を無視するとは酷いじゃないか、龍園翔」

 

 彼女の言葉を受けた龍園は少しの警戒と好奇を含んだ視線を隣に向けた。そこには美女が薄笑いを浮かべている。

 

「お前は誰だ、なぜ俺のことを知っている、といった顔だぞ。そうだな……私の質問に答えたなら教えてやろう」

 

 とりわけ、龍園翔という名前を知っている人がいてもおかしいということはない。手押し相撲という大きなイベントを行った1年生として認知している人はそこそこいるからだ。しかしながら、競技者でもない龍園の名前と顔が一致するという人は他学年においてはかなり少なくなるだろう。

 1週間あるイベントで彼が顔を出したのは2,3回。顔と名前が一致するような場面、たとえば龍園が誰かに名前で呼ばれているときに見た、といったような偶然は考えにくい。堀北生徒会長のような性格で立場と権限があるならいざ知らず、他学年のことなど何らかの意図を持って調べないと知りえないはずだ。

 そう考える龍園は相手の思惑がどうであれ、どうせ日が陰るまで時間を潰さなくてはならない。彼は静かに相手の出方をうかがった。

 

「あちらを見たまえ」

 

 彼女の声で龍園は目線だけを動かす。おそらく友人同士で遊びに来たであろう団体がいくつか目に入る。

 

「ペンギンが群れるのは理解できる。彼らは捕食者から身を守り、極寒という厳しい環境を生きていかねばならないからな。だが人間は違う。人は社会と最低限の繋がりがあれば生きていける。それにもかかわらず必要以上に群れたがるのは何故だろうな」

 

「……いくつか理由は考えられるが、おおかたは一人だと不安だからだろ。群れると安心できる」

 

 行き交う人々を見ながら答えた龍園に対し、若干の失望を瞳に滲ませる女。ありきたりでつまらない、彼女がそう思った理由は暇つぶしに読んでいる書物で龍園の発言と似たような内容を何度か目にしたことがあるからだ。独創性のある意見というものを期待するのは難しいのかもしれない。

 平凡な回答ではあったものの、返答してくれた男に彼女も応じなくてはならない。女が事務的に口を開きかけた時、龍園が遮るように話を続ける。

 

「俺は人間のそういう在り方、好ましいと思うがな」

 

 女は動きを止めた。疑問が彼女の中で湧く。

 人間の全てを見た目で判断できるわけではない。しかし、容姿が人物を見極めるための一定の判断材料になっていることも否定できない事実だ。詐欺師も人を騙すために見た目には嫌というほど気を遣うらしい。

 彼女から見れば、龍園は健全な学徒には見えない。外見だけではなく、立ち振る舞いからもそれが見てとれる。群れることに対して好ましいという発言と彼の印象が一致しない。いや、少数派のはみ出し者だからこそ、弱者に理解があるのかもしれない。

 女はふたたび龍園に少しの興味を抱いた。

 

「ほぉ、これは意外だ。君とはいま初めて会話を交わしているのだから、君のことを深く知っているわけではない。だが、私から見る君の第一印象と発言のイメージが合わないな。存外に博愛の精神でも持ち合わせていたのか?」

 

「博愛……か。間違っちゃいないな。愛してるぜ」

 

 龍園は目線を女へ戻す。

 

「忘れやすく、騙されやすく、流されやすい。群れるだけで安心して思考停止するような弱者(バカ)をな。弱者(エサ)がいてくれるおかげで美味しい思いができる側としては愛さない理由がないだろ?」

 

 そう言い放った龍園の口元には罠にかかった無知な獣を見下すような冷笑がかすめていた。

 

「……フフッ、第一印象に反して人間の弱さに理解を示す人格者かと思いきや、弱さにつけ込む利己主義者だったか。質問の趣旨とは違うが、今のはそこそこ面白かったぞ」

 

 先ほどとは打って変わり、笑みを浮かべる女。

 

「2年の鬼龍院(きりゅういん)楓花(ふうか)だ。君を知っていた理由については……感謝していたからだよ。君が手押し相撲というイベントを開催してくれたことにな」

 

 どうやら鬼龍院はイベントを通じて龍園に関心を持ち、彼のことを調べたようだ。

 

「感謝だと?」

 

「そうだ。暇つぶしとポイント欲しさに参加したのだが、良い意味で期待を裏切られたよ。箕輪勢一とやらにまるで歯が立たなかった。面白いほどにな」

 

 鬼龍院はその時を思い出しているのか、充実感のようなものに浸っている。

 極めて高い学力や身体能力を有している彼女は学年という枠組みを取り払っても、突出した存在であった。これまでの人生の中で苦労したことなど果たしてあったのかどうか。それゆえに無味乾燥とも言える退屈な時間を過ごすこともそれなりにある鬼龍院だったが、箕輪との手押し相撲では心が躍った。なにせ、何度も挑戦し、どのような戦法を構築しても相手になることはなかったからだ。さながら難解で密度の高いパズルを解き明かす作業のようであった。結局、そのパズルを完成させることは叶わなかったが。

 

「しかしだな……あれは重すぎないか? 見た目と体重が不釣り合いだ。イカサマをしているわけでもなかったようだしな。何か秘密でもあるのか、実に興味深いよ」

 

 そう言いながら鬼龍院の目は龍園の全身を捉えていた。

 

「俺から情報を取ろうとしても無駄だぜ。お前が期待しているようなものは持ってないからな」

 

「そのようだな。それに……これは私の勘だが、あれは普通じゃない。一般的な人生の中で出会う人種ではないと告げている。君も気をつけた方がいい」

 

「余計なお世話だ」

 

 鬼龍院の忠告を取り合わなかった龍園。彼はおもむろに手のひらを上に向けると、彼女の前に差し出した。鬼龍院はそれをじっと見ながら、龍園の行動の意味を考える。握手を求めるにしては手の向きが不自然なうえに、そもそもそんな殊勝な性格ではないだろう。彼女を異性としてエスコートする気があるのなら立ち上がっているはずだし、ダンスを誘う場でもない。

 好奇心と疑問が入り混じる鬼龍院は黙って龍園の様子を探る。すると、彼が口を開いた。

 

「俺に感謝してるんだろ? なら、何か形のあるもので示してもらおうか」

 

 龍園は感謝に対する見返りを要求していたのだ。一寸の間をおいて、鬼龍院は声を上げて笑った。龍園が清々しいほどに貪欲(どんよく)だったからだ。

 

「いやはや、手ぶらで感謝する私がマナー違反だったかな?」

 

「後輩に楽しませてもらった先輩としてはどうなんだろうな、()()()()()

 

「さっきまでは”お前”と呼ばれていた気がするが……まったく都合のいい」

 

 そう嫌味を口にした鬼龍院は満更悪い気分でもなさそうに見える。

 

「では、私の連絡先を教えてあげよう……と言いたいところだが、すでに君は知っているしな」

 

 Cクラスが開催したイベントの参加者は漏れなく全員が連絡先を記入している。

 

「よし、一度だけだ。感謝の印として一度だけ君に手を貸してあげよう」

 

 人差し指を立てながら鬼龍院は言った。龍園はやけに気前のいい提案をする彼女に疑いの眼差しを向けた。まだ話に続きがあるはず、そう判断した龍園は彼女の言葉を待つ。

 

「……ただし、条件がある。私を説得できれば、だ」

 

「随分と曖昧で自分本位な条件だな」

 

「当たり前だろう。この私が助けてやるというのだから、取るに足らないものを持ってこられても興醒めだ。自分を安売りするつもりはない」

 

 そう告げる鬼龍院を横目に数秒思考した龍園は鼻から短く息をもらした。彼女の意図を理解したからだ。

 

「なるほど、そういうことか。俺に手を貸すという口実を利用して、お前は退屈をまぎらわす機会を得ようとしてるわけだ」

 

「フフッ、どう考えてもらっても構わないよ」

 

「見返りとしてはお粗末と言わざるをえないが、まぁいい。どうせ無かった話だ」

 

「私が手を貸すとすれば、単純に面白そうなものを持ってくるか、君の弁舌で私を言いくるめるかのどちらかだ。期待しているぞ」

 

 鬼龍院が言い終わるとすぐに龍園は立ち上がった。袋を引っさげ、出口へと向かう。施設へ避難してから大体数十分が経過していたので、彼の予測どおりならすでに日は陰っているはずだ。

 

「いつでも連絡するといい。面白ければ歓迎するぞ、龍園」

 

 快活に聞こえる鬼龍院の声を背にしながら、自動ドアをくぐり抜けた龍園は空を見上げる。期待通りに雲が太陽を覆い隠し、空は鉛色の様相を呈していた。鬱陶しい日光もなくなったので、龍園は学生寮へと向かって歩き出す。そうして歩いているうちに商業区画を抜けた彼は唐突に頬へ何かしらの感触を感じた。指でなぞると水だった。

 

 ポツポツ

 

 それを皮切りにして、水の入った容器の底が割れてしまったかのように雨が降り出した。雨粒がピシャピシャと頬を殴りつけてくる。龍園が日光を嫌ったのは汗によって服が濡れる感触に不快さを感じたからなのだが、土砂降りで服がずぶ濡れ状態になってしまっては晴れているときよりも状況が一層悪くなったと言っていいだろう。

 

「……チッ」

 

 周囲が突然の雨に小走りで駆け出す中、忌々し気に舌打ちした龍園は片手に持った袋を揺らしながら歩みを再開したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休日明けの月曜日。

 

 猶予期間最終日となった今日もあっという間に過ぎていき、Dクラスは放課後を迎えていた。明日にCクラスとの審議を控えていることもあってか、流石にまとまりのないDクラスと言えど、皆一様に不安そうな顔をしている。騒ぎこそしていなかったが、普段ならさっさと教室を立ち去る人たちも周囲をうかがいながら理由もなく残っていた。

 

 こういう状況で率先して行動するはずの平田はというと、帰る準備が整ったのか、椅子から立ち上がるとそのまま教室を出ていく。平田の彼女である軽井沢と取り巻きの友人たちはそんな彼の様子に釈然としないようで、急いで後を追いかけていった。

 

 実のところ、平田は早くから皆に呼びかけていた。須藤を救うためにCクラスの条件を承諾しようと。軽井沢を含めた女子の大半は平田を支持していた。プライベートポイントのない生活に我慢できないという本音を隠したまま。しかしながら、須藤の自業自得のためにCクラスから搾取され続けることを認められない人、単純に女子から支持される平田が気に食わない人、そもそも話し合いにすら参加しない人たちもいたことで何も決まらないままに最終日を迎えてしまったのだ。

 

 Dクラスにおいて平田と同じような存在である櫛田も目立った動きを見せない。流石の彼女も暴力を振るったことが明確な須藤を表立って擁護はできないみたいだ。暴力に至った経緯も明かしてくれないのなら尚更だろう。

 このクラスで話し合いの場を作ってくれる唯一の人物である平田がいなくなったことで、どうにもならないことを悟ったのか、残っていた生徒たちも次々と教室を立ち去っていく。

 あまりにも無情な状況を色の見えない瞳で眺めていた綾小路は朝の挨拶以降、言葉を交わすことのなかった隣人へと声をかける。

 

「情報収集はうまくいってるのか?」

 

 彼の問いに堀北は恨めしげな表情で答える。

 

「見てわからない?」

 

「堀北は普段から不機嫌そうだからな」

 

「刺すわよ」

 

 いつの間にか堀北の手にはコンパスが握られていた。光を反射する針は獲物を探すように妖しく輝いている。堀北は教室にカメラが設置されていることを忘れているのだろうか。

 

「すまん。今のは俺が悪かった」

 

「今? ”いつも”の間違いよ」

 

「おっしゃる通りです」

 

 正直なところ反論したい気持ちがないわけではないが、それでは話が進まないので綾小路は堀北を肯定しつつ、目的を達成するために話題を変える。

 

「ところで、物は相談なんだが」

 

「……ちょっと待って。あなた3日前にも私からポイントを借りたばかりよね?」

 

「いや、それについては非常に心苦しく思っているんだが、どうしようもなくてな。それに、これは俺のためじゃないんだ」

 

 まるで感情のこもっていない綾小路に反省の色は見えないものの、自分のためではないという言葉が気になった堀北は話を促す。

 

「それで……何かしら?」

 

「実は佐倉がストーカー被害に遭ってる。堀北にボディーガードをお願いしたい」

 

「色々と言いたいことはあるけれど、学校には報告をしたの?」

 

「いや、まだだが、学校側には報告するつもりだ。ただ、Cクラスの問題を抱えている状態では佐倉が混乱するかもしれない。ほら、お前に連絡しただろ。佐倉はCクラスが引き起こした今回の件と無関係じゃない。幸い、ストーカー行為も危害が差し迫っているわけでもないし、明日にはCクラスとの争いも終わる。保険としてお前に護衛を頼んでるんだ」

 

 ストーカーの正体も判明し、ストーカー行為の証拠も十分に揃っている状態なので学校側に報告すれば対応はしてくれるだろう。ただし、今すぐにどうこうできるわけではないし、悪質で緊急を要すると断定できるわけでもないので職場を解雇されるかどうかも不明。とりあえず警告だけで終わる可能性もある。そうなると状況が悪化することも考えられた。

 恋愛感情のあるストーカーは認知がとてつもなく歪んでいる存在だ。自分に都合よく解釈し、強引な考えによって自分が愛しているなら相手も愛するべきだと思い込んでしまう。そんな人物がある日ストーカー認定され警告を与えられるとどう考えるか。相手が自分を裏切ったと被害者意識をこじらせ、何としてでも報復をするべく凶行に走るかもしれない。犯罪の歴史を紐解けば、被害者意識を持つ加害者ほど残虐な事件を引き起こしているのだ。

 そのためストーカーには慎重な対応が必要になり、それを含めた話を学校側とするにあたってCクラスとのややこしい問題は解決しているほうがいいだろう。

 

「自分の身は自分で守るべきじゃないかしら?」

 

「みんながお前みたいに格闘術を身につけてるわけじゃないぞ。それに個人では限界もあるだろ。相手が武器を持ってたり、複数人だったらどうする」

 

「もちろん、それを想定した訓練も今までに積んできたわ」

 

「実戦と訓練は別物だ……って、お前とここで議論するつもりはない。佐倉を見てみろ」

 

 綾小路の言葉通りに堀北は視線を佐倉に向ける。彼女の鋭い眼光に佐倉は胸元で鞄を抱きかかえながら、ビクッと体を震わせた。おそるおそる上目遣いでこちらを見てくる様は狼に追いつめられた子羊を連想させる。

 

「堀北、お前はあの状態でも一人で戦えというのか? お前の血は何色だ?」

 

 先ほどとは違って強気な綾小路。人権が重視される時代において弱者も振りかざせば暴力となる。さすがの堀北も同情を禁じ得ないのか、諦めたように嘆息した。

 

「……わかったわ。一緒に帰るだけでいいんでしょ?」

 

「頼んだぞ」

 

「覚えておきなさいよ」

 

 捨て台詞を吐いた堀北は佐倉に近づく。

 

「綾小路くんから事前に話は聞いてるわね? それじゃ、帰りましょうか」

 

「よ、よろしくお願いします、堀北さん」

 

 堀北の後ろについた佐倉はチラリと綾小路に顔を向ける。綾小路が小さく頷くと、それを確認した佐倉も安心したように頷きを返し、堀北に付き従った。

 堀北は扉を開け、廊下に足を踏み出して教室を出る。すると、すぐに横から彼女に声がかけられた。

 

「よぉ、調子はどうだ? 鈴音」

 

 扉付近の壁にもたれかかっている男がいた。龍園だ。傍には石崎とアルベルトの二人もいる。敵対者の姿を目にした堀北は佐倉を教室内にとどまらせるように手で制した。

 

「軽々しく人の名前を呼ばないでくれるかしら。不愉快よ」

 

「器が小せぇな。減るもんじゃねぇだろ」

 

「今日はまた違った愉快な仲間を引き連れているようだけど、箕輪くんはいないのね」

 

「お前と違って人望があるからな。箕輪だけを贔屓するわけにもいかないんだ」

 

「恐怖で従えているだけの奴隷を連れて、人望があると勘違いできる頭はある意味で羨ましいわ」

 

 奴隷という蔑むワードに引っかかった石崎の両目が吊り上がる。

 

「おい、お前調子に──」

 

「石崎、俺と鈴音の邪魔をするな」

 

「す、すみません、龍園さん」

 

 龍園に忠告された石崎はすぐさま怒りを引っ込めた。彼らのやり取りを見ていた堀北は意味のない長話に興じるつもりがないらしく、すぐさま口を開く。

 

「龍園くん、あなたに一つだけ言うことがあるわ」

 

 彼女の力強い明瞭な言葉を耳にした龍園は本のページをめくるような興味で続きを聞く。

 

「Cクラスの訴え、これを取り下げるのなら、今回に限って兄さんへの侮辱を大目に見てあげる」

 

「それはできねぇ相談だな。俺は素直に感じたことを言っただけだ。自分に嘘はつけない」

 

「そう。なら、今後は覚悟しておくのね。行きましょうか、佐倉さん」

 

 そう告げた堀北は佐倉を連れて立ち去っていった。堀北に対して腹に据えかねるものがあるのか、石崎は馬鹿にするような表情で罵る。

 

「カッコつけやがって。あんなのただの負け惜しみっスよ。そうですよね、龍園さん。……あれ、龍園さん?」

 

 龍園に声をかける石崎だったが、聞こえていないようで彼は反応しない。龍園の細められた目は堀北たちが去っていったほうに向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたりに濃い闇が広がっている。時折、何か合図をするように弱々しい光が明滅していた。近くに設置されている電灯によるものだった。不備が無いように決められた期間で取り替えられているはずなのだが、なぜか寿命を終えようとしている。別に作為的な仕掛けがあるわけではない。単に不良品だったのだろう。

 

 ざっざっ

 

 誰かが砂利を踏みしめる音が響く。

 

 ざっざっ

 

 しばらくすると聞こえなくなった。目的地に着いたようだ。

 点滅する光源はある二つの影を地面に堕としていた。人影だった。二人の人間が対峙している。一方はフードを深くかぶった男で、もう一方は学校の制服を着た男だ。他に人の気配はなく、たまに耳元で聞こえる微かな風切り音があるくらいの息をひそめるような静けさに包まれていた。

 不意に制服の男が胸元に手を入れる。内ポケットを探り、一枚の写真を取り出した。人差し指と中指で挟んだそれを相手に向かって、おどけたようにひらひらと振る。

 

「一応確認しておくが……これはお前が置いていったもんか?」

 

 相手の質問にフードの男は拳を握り込み、わなわなと体を小刻みに震わせ、血走った眼を向けた。

 

「こ、このストーカー野郎がっ! 雫をどこへやった! お前はっ、お前はどれだけ僕と雫の邪魔をすれば気が済むんだ!」

 

 顔が赤らみ、興奮によって唇を震わせ、ヒステリーを炸裂させる男の姿からは癇癪(かんしゃく)を起していることが容易に想像できる。質問に答えもせず、いきなり怒りをぶちまける相手の様子に制服の男はやれやれといった困惑の息を短く吐いた。

 

「……チッ、雫ってのは何だぁ? お前は何を言ってる?」

 

「とぼけるなっ! 愛理のことだ。お前が愛理に何をしてきたか、彼女からしっかりと聞いてるぞ! それだけでも腸が煮えくり返るが、あまつさえ僕と愛理の逢瀬を邪魔するなんてっ。横恋慕も大概にしろ!」

 

 認識の違いによるものか、まるで会話が成立しない。頭に血が上って逆上している相手では状況が改善する余地も無さそうである。

 制服の男はニヤつきながら、顎のざらついた無精ひげを手で撫でる。彼は今置かれている自らの状況を理解していた。

 

「……なるほど、()められたってわけか。俺もお前も」

 

「何を言っている。お前が何を言おうと僕には通用しない! 予定ならここで二人の愛を確かめ合うはずだったのにぃ」

 

 血が出るほど唇を噛みしめ、目をぎょろぎょろとさせている男からは殺意が滲み出ていた。最早どれだけ言葉を尽くそうと無駄なことは誰から見ても明白だったが、制服の男は余裕を漂わせながら会話を続ける。

 

「おい、坊主。ひとつだけ教えておいてやるよ。妄想ってのはな、他人様(ひとさま)からの鑑賞に耐えることができないような歪んだ自己満足だ。暗い部屋でひとり楽しむ分には問題ないが、それに”現実”って光を当てようとすればどうなるか分かるか?」

 

「……誰が坊主だって? たかだか十数年生きてきただけの高校生(ガキ)が社会人の僕に偉そうな口をきくなっ!」

 

「自滅か、他人に利用されて破滅するかのどっちかだ。お前は後者だな。くだらねぇ妄想に巻き込まれたこっちの身にもなれってもんよ」

 

「ただじゃ済まさない。僕と愛理の邪魔をした分だけお前に苦しみを与える。そして、捕らわれた愛理を僕が助け出す。……愛理の忠告通り、持ってきておいて正解だったよ」

 

 愛し気にそう言ったフードの男は身につけたウエストバックからある物を取り出した。男の手元では明滅する光に合わせて氷のような冷たさを感じさせる青白い光が鈍く輝いている。

 それを見ていた制服の男は鼻で笑うと、視線を空へと移した。

 

「いい夜だ。月が雲に隠れてるとよぉ、いい具合に闇が覆い隠してくれるんだわ。……まっ、今回の経験を糧にして次は頑張んな」

 

 ──パキッ、パキッ

 

 言い終わった男は親指を使い、人差し指、中指と順番に骨を鳴らしていく。まるで準備運動のようであった。対するフードの男はブツブツと独り言を呟きながら、輝きの矛先をターゲットへと向けている。

 

「待っててね、愛理。今すぐ助けに行くから」

 

 そう告げた男は敵から無事にヒロインを救い出していることでも想像しているのか、無邪気な笑みをこぼしながら相手に向かって一目散に駆けだした。

 その瞬間、チカチカしていた電灯はあたりを一層強い光で照らすと、フッと音もなく寿命を終える。あらゆるものを黒く塗りつぶす闇が覆いかぶさった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリリッ

 

 騒ぎ始めた目覚まし時計の音が心地よい夢から旅人を現実へ引っぱり出す。眠たそうな目をこすりながら女はダンッと乱暴に叩いて止めた。時刻は5時を示している。映画を見ていたせいで夜更かしをしてしまった彼女は眠気が抜けないのか、今日だけはもう一度寝てしまおうかと迷う。が、やはり起きた。

 彼女の名前は田中花子。高度育成高等学校の敷地内にあるアパレルショップで働いている。彼女はここの職場を気に入っていた。外よりも変な客がいないため、気楽に働けるからである。

 

 田中は洗面所で顔を洗い終わると、コップ一杯の水を飲み、バナナを食べる。それからTシャツとランニングタイツに着替えた。日課としている早朝のジョギングを行うためだ。一応、アパレルショップで働いているのでスタイルには気を遣っている。

 

 順風満帆と胸を張って言えないものの、特に問題はなさそうな田中。しかし、そんな彼女にはあるコンプレックスがあった。それは自分の名前だ。田中花子という何ともパッとしないというか、華がないというか、ともかく彼女は不満に思っていた。目立った特技や趣味もなかったからか、余計に不満を募らせ、他人と比較して自分を卑下することもままあった。一生懸命に名前を考えてくれた両親に申し訳ないと思いつつ、役所での改名手続きがつい頭をよぎってしまう。そういった日々を送る田中であったが、ある時を境にコンプレックスはいくらか改善することになる。

 

 きっかけは友人たちと映画館に遊びに行った時のことだ。映画は巷でかなりグロテスクと話題沸騰中のスプラッター系。怖いもの見たさで友人たちと選んだのだが、いざ、映像が流れるとあまりにも残酷な描写に友人たちはスクリーンから目を逸らしてしまう。そんな中、田中は平気な顔で画面を見つめていた。その異様さに友人たちは彼女に対して口々に驚きをなげかける。奇異なものを見るような視線に囲まれた田中は今までに感じたことのない気持ちで満たされていた。

 

 ──優越

 

 ──快感

 

 ──特別感

 

 胸に空いた穴が埋まっていくような感覚を覚えたのだ。それ以来、彼女はそういった系統の映画を鑑賞することが趣味となった。昨夜の夜更かしの原因である。

 ランニングシューズに履き替えた田中は玄関を出て、階段を軽快に下っていき、1階のエントランスを抜けた。彼女は住んでいる寮の玄関前に到着すると両腕を頭の上で組んで上半身を横に倒したり、屈伸をしたりと入念に動的ストレッチを行う。

 東の空が赤く染まり、空の青と調和している景色は体の奥まで清々しい気分にさせ、田中の動きをより一層軽快なものにしていく。

 

 さて、今日はどのルートを回ろうか。

 

 今年入学してきた1年生と同じ時期に配属された田中は敷地内の全てを覚えているわけではない。探索も兼ねてルートを考えていた。田中は辺りを見回す。すると、彼女の視線が止まった。寮の正面玄関に向かって左20メートルほど先に何かが横たわっていたのだ。人間のように見える。

 場所が繁華街の路上なら酔っ払いが寝転んでいてもそんなに不思議ではないが、ここは学校の敷地内であり、そういった迷惑行為をしでかす人物がいるとは思えない。いや、もしかすると何らかの病気による発作が起こり倒れ込んでしまったのか。

 そう考えた彼女は駆け足で近づいていく。まだ日が完全に出ていたわけではなかったので、遠目では姿をはっきりと捉えることはできなかったが、距離が縮まるにつれ徐々に明らかになっていく。

 

 ──あれ、手足の向きがおかしくないか? 

 

 通常考えられるような関節の可動域をはるかに超えて捻じれている。下肢は赤く染まった白い突起物が服を突き破っていた。

 田中のなかで恐怖心が鎌首をもたげる。それ以上近づくのはやめておいたほうがいいと。だが、同時に湧きだす好奇心を抑えられずに一歩、一歩と距離をつめていく。ようやく全体像を捉えることができる距離まで近づいた彼女の目に飛び込んできたのは──

 

 頭部が潰れ、全身が捻じれた男性の姿だった。

 

 赤黒い染みが同心円状に広がり、破壊された頭蓋からはよくわからない分泌液と赤く染まった肉塊がはみ出している。身体の所々から骨も露出していた。

 その凄惨な死体を見て動きが止まっていた田中は気づいた、これは夢であると。スプラッター映画の観すぎで現れた悪夢にちがいないと。彼女は自覚のある夢から目を覚ます方法を知っていた。目を閉じて”目覚めろ”と何度も念じるのだ。

 田中は目を閉じ、心の中で唱える。何度も何度も唱える。そうしていると、その場を一陣の風が駆け抜けた。突風というほどではないが、それなりの強さで吹いたそれが頬を撫でていく感触に彼女は思わず目を開けてしまう。そのとき、田中は風に揺れる物体と目が合ってしまった。

 そう、()()()()()()()

 

 血と粘液が糸のように絡まり、濁っている眼球と。

 

 おそらく頭部が破壊された衝撃で飛び出たのだろう。ピンポン玉大の寒天状の球体が恨めしそうにこちらを向いている生々しい光景に田中はたまらずその場で嘔吐した。

 

 夢じゃない、現実だ。

 

 ようやく現実を認識した彼女に突如として襲いかかったのは恐怖。

 

 事故なのか、

 事件なのか、

 自殺なのか、

 他殺なのか、

 殺人事件ならまだ犯人は近くにいるんじゃないか。

 

 田中の思考は混乱していく。

 結局のところ、彼女が残酷な映画を平気な顔で見られていたのは、それが作り物であり、自分に危険が及ぶことはないという前提条件があったから。

 

 ──とりあえず逃げなければ

 

 田中は震える足を手でたたき、あらん限りの力を振り絞って、寮まで駆けだした。途中で叫ぶことを試みるも、喉が震えてうまくいかない。それでも必死に何度か挑戦しているうちに少しずつ声が出てくる。そして、エントランスに到着した彼女が階段のほうへ姿を消すと、遅れて空気が張り裂けるような絶叫が寮全体に響き渡った。

 朝を告げたのは小鳥たちの美しい音色ではなく、甲高い断末魔のような悲鳴であった。

 

 

 

 

 




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