怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

2 / 12
よろしくお願いします。


2話

 多くの楽曲が収録され、その中から好きなものを選んで歌い、飲食も楽しむことができる場所、それがカラオケルームである。

 しかし、使い方によっては防音が完備され、外から見えない部屋、完全に外界から隔絶された陸の孤島、すなわち、基本的人権との隔絶を余儀なくされる場所へと変貌(へんぼう)する。ある一室では本来想定されている使い方を逸脱し、無法地帯として利用している者たちがいた。

 

 部屋の中では床に二人の生徒が転がっている。彼らの口元には音量を上げ、エコーを強くかけたマイクが置かれていた。痛みに(うめ)く声がマイクを通して部屋の中で反響する。消えゆく音と起こる音が波となって重なり、音が音を呼び込む状態は感覚を狂わせる。他に音楽が流れているわけでもなく、まるでBGMのようだったが、作り出される雰囲気は重苦しく、穏やかとは程遠い。

 

 倒れている二人を余所(よそ)に机を挟んで向かい合う二人の男が見える。ひとりは龍園翔だ。もうひとりは額が良く見えるほど短髪に刈り上げ、大柄とまではいかないが、ガッシリとした体つきの男。石崎大地だ。

 龍園は机の上に足を置き、尊大な態度を崩さず石崎に問いかける。

 

「で、手駒になる覚悟は決まったか?」

 

 腫れた顔を下に向けたまま、無言を貫く石崎。普段の彼は力強く鋭い目をしているが、今は怯えたような色が広がっていた。

 彼の態度に痺れをきらしたのか、龍園は交渉相手の背後に控える人物に顎で合図を送る。意図を汲んだ箕輪はゆっくりと手を伸ばし、石崎の肩をポンポンと軽く叩いた。

 

「鎖骨」

 

「……え?」

 

 箕輪の発した言葉の意味が一瞬わからなかった石崎だが、人体を構成する骨のうちの一つであることを遅れて理解した。しかし、その発言の意図までは察することができず、疑問が音となって思わず自分の口から漏れてしまう。

 

脛骨(けいこつ)、上腕骨、大腿骨、肋骨、何でも来いだ。どれがいい?」

 

 ドスンッ、石崎の肩が急激に下がった。空いている肩に箕輪のもう一方の手が置かれ、圧力が強まったからだ。鉄の首かせが嵌められ、重い鎖が肩に何重にも巻かれたような感覚におそわれる。

 

「俺のオススメは鎖骨だ。お前さんの肩を掴んでいる手にそのまま力を込めれば3秒もかからない」

 

 男の平坦な声が石崎の鼓膜を震わせた。

 中学時代、石崎はそれなりの不良として名を売っていたが、さすがに一片の躊躇もなく相手に危害を加えられるということはなかった。もし仮にできるとすれば、それは”怒り”や”恐れ”といった感情の発露が相応にともなう状況となるだろう。

 だが、背後にいる男の声からは何も感じられない。今から散歩にでも出かけるような気安いものであった。平然として揺るがない箕輪に呆然とする石崎。

 

「ヒヒッ……安心しろ。確実に握りつぶして粉砕してやるよぉ」

 

 そう言いながら箕輪は顔に白い歯の亀裂を走らせ、クシャクシャとさせた。尊き命を(もてあそ)ぶことに快楽を感じるような殺人鬼と言われれば疑いの余地もなく納得してしまいかねないほど、その笑みは邪悪そのもの。

 そして、床に転がる二人の友人を軽々と一蹴した彼の暴力、肩に置かれた箕輪の手から感じる危険な圧力はその言葉を現実にするだけの説得力があった。

 なぜこんなことになったのか。どうして俺がこんな目に遭わなければならない。石崎の頭には後悔の念だけが壊れたラジオのように繰り返し流れていた。

 そんな彼の様子を見て、説得という名の恫喝に効果を感じたのか、龍園が追い詰めるように返事を促す。

 

「俺の支配を飲むか、こいつの玩具(おもちゃ)にされるか、好きなのを選べ」

 

 どちらを選んだとしても楽しく快適な学校生活が送れることなど、まるで想像できない石崎は返事を(きゅう)する。そんな思考の渦に迷いこむ彼に対し、龍園がわずかな救いの手を差し出す。

 

「心配するな。俺の命令は絶対だが、そこまで悪いようにはしない。当然美味しい思いもさせてやるさ」

 

 地獄の釜の底に突然、天から弱々しく頼りない白い糸が垂れてきた。そう錯覚する石崎。龍園の言葉には何の保証も説得力もない。返事を促すためだけの嘘かもしれない。だが、石崎は(すが)るしかなかった。差し出された彼の手に。

 

「……わかりました。龍園さんに従います」

 

 大部分の人間はつらい現実を受け入れられるほど強くはない。見たくないものには(ふた)をし、見たいものだけを見る。もしかすると、精神の均衡が崩れないように人間に備わった心の防衛本能なのかもしれない。石崎もそんな本能には逆らえない大部分の人間の一人だっただけに過ぎない。第三の選択肢を生み出せる人間ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり日も暮れ、夕食を目当てに行き交う学生で賑わう食堂。ポツンと一か所だけ空白地帯のように人が寄り付いていないスペースがあった。それなりの大きさがある机には重ねたお皿が所狭しと並べられ、手を置く場所もない。

 

「おい、いつまで食うつもりだ」

 

 もう食べ物を見るのもうんざりとばかりに不機嫌そうな顔を隠しもしない龍園。ぶっきらぼうな口調で箕輪に言い放った。

 

「お前さんが食費の節約を約束させたんじゃないのか? そのおかげで、俺はカロリーの低い無料(ただ)の料理を何皿も食べないといけないんだぞぉ。嫌ならポイントを払うことだねぇ」

 

 当初、約束したとおり龍園はポイントの目途が立つまで何も支払うつもりはなかった。そうすると、箕輪は野菜が多めの無料定食の数をこなさなければならなくなる。必然的に時間もかかるというわけだ。箕輪の言い分は正当な主張であり、龍園の文句は言いがかりに等しい。

 

「一度に食べられる量は限られるから、時間を空けてまた来ることになる。君にこの俺の苦しみは理解できないだろうねぇ~」

 

「できるわけねぇだろ。俺はお前じゃないからな」

 

 そう言い捨てた龍園は手に持った飲み物を(あお)る。

 すると、ようやく食事が一段落したのか、箕輪は料理に向かっていた手をおいた。そばに置いてある紙ナプキンを何枚か雑に束ねて口元をぬぐうと顔を上げる。

 

「しかしねぇ、次の手駒は体のデカいアメ公だと思ったんだがなぁー」

 

「アルベルトのことか。本来なら、ヤツが最初の手駒になる予定だったが、お前がいたからな」

 

 箕輪の疑問に答える気があるのか、龍園は飲み干した空のコップを机のすみに置き、視線を向けた。

 

「石崎を選んだのは、お前と俺とアルベルトを除いたクラス内の男でいちばん強いと見当をつけたからだ。あとは不良だったことも知ってたからな。そういう奴には力を見せつけ、特別扱いしてやれば簡単に(なび)くと踏んだ。つまり、コントロールしやすい」

 

「んー、特別扱い?」

 

「お前を除いたCクラス全員まとめて支配下に置く方法はあったが、あえて石崎だけは個別に仕掛けてやったからな。特別だろ?」

 

 まとめてその他大勢として支配されるのと、形だけであったとしてもわざわざ交渉しにくるのとでは、やはり印象の受け取り方は違ってくるものだ。自分は評価されたからこそ、先んじて声をかけてもらえたと思える。思い込みによって都合のいいように解釈しがちな人間の性質は侮れない。

 

「まぁ、石崎は頭の回転が遅いから気づくのに時間がかかるだろうがな。奴が気持ちよく服従するための芽だと思えばいい」

 

 (よど)みなく答える龍園。椅子に思いきり背を預けながら箕輪は軽く頷く。

 

「てぇことは、あの場にいた石崎以外の二人のガキは邪魔だったってわけだ」

 

「そうだ。だが、わざわざ引き離すのも煩わしいからお前に任せた。問題なかっただろ?」

 

「まったくないねぇ」

 

 箕輪が前世でこなしてきた仕事を思えば、高校生の子供(ガキ)を無力化することなど無人の野を行くようなものであった。物憂げに横を向いて頬杖をついていた龍園が本題に入るとばかりに姿勢を変えて箕輪の正面を向く。

 

「で、残りのCクラスの奴を支配する方法だが、お前とアルベルトをクラス全員の目の前で戦わせる」

 

「理由は?」

 

「人はギャップに弱い。自分が想像していたものとの落差が大きければ、大きいほど強烈な印象を植え付けられる。良くも悪くもな。外国人やハーフの中でも、ひと際大きな体格のアルベルトが強そうなのは誰でも見ればわかることだ」

 

 龍園は肘をつき、食器で片付かない机の上に身体を乗り上げる。

 

「だが箕輪、お前は違う。日本人にしては平均以上の体格と言えるが、誰もが見て強いと納得するほどではない。多少でも腕に覚えがある奴なら、何とも思わないレベルだ」

 

 アルベルトの身長は190cmほどあり、子供でも見た目から強さは簡単に推測できる。対する箕輪は平均を上回るものの180cmもない。特筆するほどの体格ではないのだ。

 勿体つけるように少し間を置きながら、龍園は話を続ける。

 

「そんな奴がわかりやすく強そうなアルベルトをクラス全員の目の前で蹂躙(じゅうりん)すればどう思う? 逆らうような馬鹿な真似をする奴はクラスにいなくなるはずだ。一人を除いてな」

 

 最後の言葉に箕輪が反応する。

 

「ほぉー。で、その一人は?」

 

「クク、今言う必要はねぇな。その時がくれば、わかることだ」

 

 その返答に周囲の空気が異様に張りつめた。身を抉られるような目つきに豹変したのを龍園は目の前の相手から感じた。

 

「龍園ク~ン、忘れてないよなぁ? 俺との約束」

 

 恐怖か、はたまた緊張によるものか、自らの額から顎にかけて滴り落ちる汗の感触を龍園は意識させられる。だが、その意識を振り払い、余裕があるかのように笑みを浮かべた。

 

「あぁ、忘れてないぜ。計画の"全貌(ぜんぼう)"を話すと俺は言った。……だが、"全容(ぜんよう)"を話すとは言ってない」

 

 二人の間に沈黙の(とばり)が降りる。辺りの喧騒も遠くなっていき、この世に2人だけしか存在していないと感じる静けさだった。永劫とも思えるような時間が続く中、パシッと軽い音が響く。

 

「あちゃ~、おじさん一本とられちゃったねぇー」

 

 自分の頭を軽く叩きながら、箕輪はおちゃらけた雰囲気に戻る。

 

「まぁ、全部話されても、つまらないだろ? 誰がその一人なのか、予想でもして楽しみにしていろ」

 

「ヒヒ……お言葉に甘えようかね」

 

 話は終えたとばかりに皿を片付け始めた箕輪に龍園は忠告する。

 

「それと、この計画の唯一の弱点は箕輪、お前の暴力がアルベルトの暴力よりも上という前提に立っていることだ。この前提が覆れば計画のすべてが台無し。いけるのか?」

 

 箕輪は片付ける手を止め、ゆっくりと顔を上げる。

 

「こういう事が仕事だからねぇ。まぁ、どうということはないわな」

 

 そう言った箕輪の言葉は静かながらも、確固たる自信を端々から(にじ)ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学から約一月(ひとつき)ほどが経った5月の初め。Cクラスの教室では混乱したどよめきが響く。

 

 担任教師の坂上から説明された新たな学校のシステム。それは、Aクラスで卒業しないと希望の就学先や就職先は望めないこと。そして、クラスの成績がクラスポイントというシステムに反映され、ポイントを各クラスで競い合い、最終的にAクラスを目指すことになるというもの。

 クラスポイントは入学時に各クラス1000ポイントに設定されており、私語や遅刻などでCクラスのポイントは490ポイントまで減点されていた。月の初めに各クラスのクラスポイントが評価され、クラスの入れ替えとプライベートポイントの配布がなされる。1クラスポイントに応じて100プライベートポイントに換算されるため、今月のCクラスのプライベートポイントの配布は49000ポイント。

 

 説明を終えた坂上が教室から退出した後、聞き終えたCクラスの生徒たちは困惑するように顔を見合わせる。しばしの沈黙を挟むと、教室内でざわめきが広がっていく。これからの学校生活に対しての不安で落ち着かない様子であった。そんな中、三人の生徒が教壇に向かう。

 

 ──バンッ  

 

 教卓を思い切り叩き、場を鎮めさせる。静かになったことを確認した龍園は堂々とした態度で話を切り出す。

 

「よく聞け。俺の名前は龍園。今日をもってこのクラスは俺が支配する」

 

 いきなりの宣言に対して話についていけないのか、ざわつくクラスメイト。中には反抗的な目つきをする者もいた。

 

「俺の目的はただ一つ、Aクラスに上がることだ。そのためにも俺の命令は絶対。命令が聞けない奴は必要ねぇ。反対する奴は手を挙げろ。(しつ)けてやる」

 

 龍園や背後に控えている箕輪と石崎の凶暴な雰囲気にあてられたのか、半分ほどの生徒は静まりかえり、視線を逸らし、身を縮こませる。

 しかし、もう半分はそうではなかった。唐突に場を仕切りだした龍園に対し、不快感や不満を抱いていると感じさせる態度で自らの意思を示すために手を挙げる。

 想定よりも数が多い面々を見渡す龍園は馬鹿な奴らがよくも集まったもんだと呆れる。と同時に、率いる予定のクラスとしては悪くないと感心もしていた。

 知らず知らずのうちに挑発的な笑みを浮かべる龍園だが、ひと通り見まわした後に彼の笑みは消えることとなる。なぜなら、挙げられた手の中に肝心のアルベルトのものがなかったからだ。龍園はアルベルトにつかつかと歩み寄る。

 

「お前、手を挙げてないってことは賛成で間違いないんだな?」

 

 表情を変えずにアルベルトは無言で頷く。

 

「ハハッ、そうか。嬉しいぜ。なら早速で悪いが命令だ。──俺の靴底をなめろ

 

 何気ない日常の一幕であるかのように自らの靴を指差し、そう告げる龍園。

 その命令内容にアルベルトは一瞬唖然とするが、正気に戻ると怒りがこみ上げ、龍園の胸倉に掴みかかる。

 

「……おい、賛成じゃなかったのか?」

 

「Fight me」

 

「ファイト? オーケー、オーケー。だが、戦うのは俺じゃねぇ」

 

 掴まれた胸倉を振りほどき、龍園はCクラスの人間をざっと見渡しながら叫ぶ。

 

「クラスの支配を賭けて、アルベルトと俺の配下の箕輪が決闘する。全員参加だ。アルベルトが勝てば、支配は取り止める。だが、この場で決闘するわけにはいかねぇし、このまま場所を移しても大移動は目立つ」

 

 龍園はゆっくりと教壇に戻る。

 

「よって今から、お前ら全員の連絡先を寄こせ。俺の支配に反対している奴もだ。異論があるなら、それぞれに反抗の機会を今回とは別で設けてやる。これに応じない奴はこの先安心して学校生活を送れると思わないことだ」

 

 最初から逆らう意思のなかった生徒たちが列を成していく。反対の立場の人も提案を懐疑的に思っていたが、アルベルトに勝てはしないと高を(くく)ったようで、渋々と連絡先の交換に応じるために列に加わった。全員と交換し終えたことを確認した龍園は最後に説明する。

 

「これからお前たちに決闘の場所と時間を指定したメールを送る。そのメールを確認できた奴から解散だ。メールが来てないなんて言い訳は通用しねぇ。時間に遅れるなよ」

 

 

 

 

 

 

 クラスポイント表

 

 Aクラス  940

 Bクラス  650

 Cクラス  490

 Dクラス    0

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が沈み、夜の闇が広がってからしばらく経ったころ、人通りもない外のある一角に人だかりが出来ていた。行き交う生徒たちの喧騒に包まれていた昼とは打って変わり、あたりは薄暗く物寂しくあった。

 しかしながら、明々と周りを照らすいくつかの街灯のおかげで視界に困るということはない。普段では大勢で集まることのない時間帯だからか、一部の人たちには気持ちが高まり、はしゃいでいる様子も(うかが)えた。

 

「ちッ、一人だけ来てねぇ馬鹿がいやがる」

 

 乱暴に携帯端末をしまいながら不機嫌さをあらわにした龍園は毒づく。その独り言を拾った箕輪は龍園のほうへと顔を向けた。

 

「誰が来てないんだ?」

 

椎名(しいな)ひよりだ」

 

 面倒だと言わんばかりの表情で龍園は吐き捨てるように答えた。それを耳にしていた石崎が拳を手のひらで握り込み、骨を鳴らす。

 

「生意気な奴ですね。俺が今から締めに行きましょうか?」

 

「……余計なことはするな」

 

 短絡的な石崎の言葉に気が抜けたのか、迷惑そうに忠告する龍園。

 

「ボケてやがるのか、無頓着なのか知らねぇが、まぁいい。自分に頓着(とんちゃく)しないような奴なら、他に理由を作ってやればいいだけのことだ」

 

「具体的には?」

 

「Cクラスで椎名に近い趣味を持つ同性を何人か見繕って友人にさせる。椎名が友人と認識したころに、その友人を人質にしてやればいい。命令を聞かなきゃ友達が傷つくぞってな」

 

「龍園クンは性格悪いねぇ。お近づきになりたくない人種だな、こりゃ」

 

「お前にだけは言われたくねぇな」

 

 やれやれと首を振る箕輪にぶっきらぼうな返答をした龍園は両手を広げて肩をすくめた。

 

「俺と龍園クン、どっちの性格が悪いかは置いといてだ。そのやり方が通用しない冷血女だったらどうするんだい?」

 

「色々あるが、暴力を使うのは最後のほうになるな」

 

 龍園はおもむろに時計を確認すると、箕輪に顔を向ける。

 

「そんなことより、てめぇの心配をしたらどうだ?」

 

「心配になるような状況じゃないからねぇー」

 

 箕輪は肩に手をかけながら、首を回す。

 

「そうか、それは頼もしいかぎりだ。……時間だぞ」

 

「箕輪のアニキ、頑張ってください」

 

「……アニキって柄じゃないんだよねぇ、おじさんは」

 

 龍園と石崎の激励を受けた箕輪は生徒の輪の中心に進み出ていく。その中心にはすでに黒い巨体が待ち受けていた。服を張りつめさせ、下から突き上げる筋肉がアルベルトの頑強さをうかがわせる。

 

「ほへぇー、改めて向かい合うとデカいなぁ~、アメ公」

 

「……Not American」

 

 アルベルトと箕輪が向かい合う。二回りほど違う体格はまるで大人と子供。周りのクラスメイトもそれを見て、勝負の結末を悟る。しかし、そんな大多数の予測を尻目に鋭い眼光で場を注視する者がいた。

 彼女の名は伊吹澪(いぶきみお)。武術の経験がある彼女は箕輪の一見すると自然な立ち姿ではあるが、隙のない佇まいに一波乱あるとにらんでいた。

 アルベルトは確かに大きいが、立ち振る舞いは素人そのもの。だからといって侮っているというわけではない。ボクシングの階級で体重が細かく刻まれているとおり、戦いにおいて体重や体格がかなり重要なファクターであることは否定できない。体が大きいということはそれだけで有利ということ。野生動物の争いにおいても基本的には同じことが言える。

 考えに(ふけ)っていた伊吹は周りの騒がしさに気づくと、栓もないことを考えるのは諦めて、意識を戦いのほうへと向けた。

 

C'mon(カモン) monkey」

 

「モンキーねぇ……否定しねぇよ。おじさんは日本原産のお猿さんだ」

 

 身体の大きいアルベルトの威圧感に対し、臆病風に吹かれることなく、箕輪は上着を脱ぎ捨てる。シャツの胸元のボタンを2,3個外すと手をポケットに突っ込みながら堂々と前へ進み出る。

 

「その猿に今から血祭りにあげられるわけなんだけど、気分はどうだい? 今のうちに聞きてぇなぁ。勝負の後だと、体中の色んな穴から液体垂れ流して、それどころじゃないだろうからねぇ」

 

 箕輪の口元が歪み、歯を剥き出しにした笑みがこぼれる。

 

「Fuck」

 

 そう言い捨てたアルベルトは箕輪に向かって走り出した。巨体で突進する(さま)は、まるで暴れ牛が突っ込んでくるかのような迫力、あらゆるものを破壊するという意を感じさせる猛威。

 しかし、箕輪は微動だにしない。脱力するように立ち、戦闘態勢をとらない。

 アルベルトは箕輪の様子に少しの疑問を抱くものの、些末なことだと考え直す。かたく握りしめた拳を大きく振りかぶり、荒々しく相手に打ち下ろした。

 黒い暴威が箕輪に襲いかかる。まともに食らえば、骨折は免れないかもしれない。この場合は安全マージンをとって、大袈裟に避ける。一撃離脱を繰り返し、長期戦を狙う。それがセオリーだろう。戦いを見守る周囲もそう考えていた。

 だが、周囲の予想を裏切り、箕輪はあえて前方に踏み出した。あり得ない角度で上体を反らし、拳を(かわ)す。そして、勢いのまま相手の開いた股の中を(くぐ)り抜け、アルベルトの背後に出た。(またた)きの間に箕輪の姿を見失ったアルベルトは混乱する。

 

「ほぉら、プレゼントだ」

 

 ──ボォッ──

 

 空気を破裂させ、相手を破壊せんとする狂気をはらんだ暴が目にも止まらぬ速度で放たれた。

 

 背後から聞こえた声にアルベルトが反応する。即座に急旋回するが、間に合わなかった。とてつもない衝撃が彼の背中を襲う。岩のような巨体がボウリングのピンのように勢いよく(はじ)け飛んだ。地面に飛び込む形で滑り込んだアルベルトは尋常でない背中の痛みに()き込み、()いつくばる。

 周囲の人間と比較しても遥かに大きな自分の身体が容易に飛ばされてしまったという経験のない異常事態に、彼は自らの心の弱い部分が恐怖に侵食されていくのを感じていた。

 痛みと制御しきれない心の動揺で動けないアルベルトに箕輪は軽快な動きで詰め寄ると後頭部をわし掴む。

 

「こんなところに丁度いいボールがあらぁ」

 

 躊躇なく顔面を思い切り地面に打ちつけた。

 

 ──パキィィン──

 

 静寂の場に似つかわしくない甲高い音が鳴り響く

 

 地に激突し、跳ねたアルベルトの顔から血が溢れ出す。周りのギャラリーからは、けたたましい悲鳴が上がった。

 

「次、悲鳴上げた奴は容赦なく殴り倒す」

 

 龍園が戦いに視線を向けたまま、周りにそう言い放った。それほど大きな声ではなかったが、実感をともなった言葉はその場にいるクラス全員に届いたようで静まりかえる。

 

「Give……up……」

 

 見慣れない血の量と骨の破壊音が鳴り響いたことによって、自らを支え、奮い立たせるための精神の柱がポキリと折れてしまった。弱々しく降参宣言をするアルベルト。

 

「ん、ギブミーだってぇ? まったく、欲しがり屋さんだなぁ」

 

 頬を深く裂いたような笑みで近づく箕輪。

 

「No……Nァゴッ」

 

 アルベルトの懇願する言葉を箕輪の暴力が(さえぎ)る。情け容赦なく打ち出された拳が肉体に突き刺さった。打ち上げられたアルベルトは、どさりと仰向けに倒れる。

 

「……Please……Please

 

 ただひたすらに野蛮な暴力から逃れるためにアルベルトは声を振り絞って懇願する。

 

 ――圧倒的な暴力

 

 その無慈悲な箕輪の暴虐は場の空気を凍りつかせ、皆の肺を冷気で満たし、周りの者の鼻孔を震わせた。

 

「ひへッ、思ったより頑丈じゃないの。おじさん嬉しくなるねぇ」

 

 まるで準備運動が終わったように肩を回し、喜色満面の笑みを浮かべ、箕輪は歩み寄る。しかし、彼の前に立ち塞がる者がいた。

 

「もういい、終わりだ。これ以上やれば死ぬ可能性もある」

 

 神妙な面持ちで龍園はそう告げた。歩みを止めた箕輪は考えるように宙を眺めた後、がっちりと握り込んだ拳を緩慢に(ほど)いた。

 

「……へっ、命拾いしたなアメ公」

 

 箕輪は気だるそうに片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で拾った上着の汚れを乱雑に払うと肩にかけた。戦いを見守っていた周囲を龍園が見渡せば、恐怖に顔が引き()っている者と声を抑えて泣いている者ばかり。

 

「勝負の結果は箕輪の勝ちだ。今日から俺がこのクラスを支配する。異論があるなら、俺のところへ直接来い。まぁ、今日の戦いを見てもやる気があるならな」

 

 そう言い捨てると龍園は倒れ込んでいるアルベルトのほうへ近づく。

 

「石崎、アルベルトに肩を貸してやれ」

 

「了解です」

 

 石崎がしゃがみ、アルベルトの様子をうかがう。それを横目に龍園は学校側に連絡をしていた。

 

「景気よく血は流れているが、折れてるのは鼻くらいのもんだ」

 

 普段と変わらない様子で箕輪はそう言いながら、懐から取り出したチョコ菓子を食らう。連絡を終えた龍園は石崎に指示を出し、それを聞き終えた彼はアルベルトに肩を貸しながら、この場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園と箕輪以外のクラスメイトを解散させて先ほどまでの惨劇が収拾されると、辺りは静寂に包まれていた。残った二人が会話を交わす。

 

「龍園クン、聞きたいことがあるんだが」

 

「なんだ?」

 

「アメ公にあそこまで挑発する必要があったのかい?」

 

 チョコ菓子のごみを仕舞いながら、箕輪は続ける。

 

「過度な挑発をしなきゃ、アメ公は素直に従ってただろ。やたらと体のでかいアメ公が味方になるなら、反対してた奴も委縮したはずだ。わざわざヤる必要はなかったんじゃないの?」

 

 その疑問に対して、龍園は即座に否定する。

 

「仮に、教室でのアルベルトの恭順(きょうじゅん)を受け入れ、あそこでやり合う機会がなくなれば、クラス内の反抗の芽を完全に摘むことはできなかった。馬鹿な奴はアルベルトが表面的に従っただけで、その気になれば、いつでも反抗できると勘違いするからな。その勘違いが命令系統に緩みを生じさせる。逐一(ちくいち)締め直すのは手間だ」

 

 龍園は大きく息を吐き、少しの間を置いてから話を続ける。

 

「そして、こっちが主導権を握るためでもある。相手の善意に任せるような状態はシーソーの上で生活するようなものだ。よくあるだろ。犯行現場を見られた犯罪者が誰にも言いませんからと助けを乞う目撃者を殺す。あれも同じだ。目撃者が話す、話さないはどうでもいい。重要なのは他人に見られた事実とそれが他人の意思に委ねられる状態が不安定(きわ)まりないってことだ。今日までの考えや意思が明日もそうであるとは限らねぇ。だから、自分が主導権を握るために殺す」

 

 龍園は自分が無意識に握りしめていた拳に視線を落とすと、力を抜いた。

 

「だから、あの戦いを起こすために到底従うことのできない命令がアルベルトに対して必要だった」

 

「アメ公がその命令に従うような変態だったら?」

 

「別に何もしない。そのまま受け入れる。そんな腰抜けの変態に反抗の加担を期待できるほどの楽観的な馬鹿はいないし、普通は近づきたくもないだろ」

 

「なるほどねぇ」

 

 箕輪は部分的には納得しつつも、まだ疑問が晴れないのか龍園に問いかける。

 

「そもそも反抗の芽を潰すことが目的なら、アルベルト君を石崎クンと同じように最初のほうで仲間にすればいいんじゃないの? それだったらアルベルト君が表面的に従ってるなんて考えはしないだろうし、反抗の芽が出ることもない」

 

 箕輪の問いかけに龍園はくつくつと笑う。

 

「それだとできねぇだろ」

 

 ──クラス全員にお前の異常な暴力(ちから)(さら)すことが。 

 

 薄暗い闇の中で龍園の目は妖しくも爛々(らんらん)と光っていた。話を聞いていた箕輪は頭を下げ、肩を揺らす。そして、ゆっくりと顔を上げる。

 

「ひひッ……龍園クン、とんでもなく悪い顔してるぞぉ」

 

「クク、人聞きの悪いことを言うな。お前ほどじゃねぇよ」

 

 その言葉を最後に、辺りは再び静寂を取り戻した。

 




モチベ維持のため、よろしければ、評価と感想をお願いします。




  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。