怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

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一万字を超えてしまいました。
独自設定、解釈もあるので、ご了承の上でご覧ください。


3話

 ──ありえない。

 

 ──普通じゃない。

 

 ──理屈に合わない。

 

 ──非合理だ。

 

 信じていたものが崩壊していくような、どうすることもできない無力さと苛立ちにも似た感情の叫びが伊吹澪(いぶきみお)の胸中を支配していた。

 何をどう見ても体重差がありすぎる。二回りほど違う体格や筋肉量を考えれば、不可解な事態。巨体のアルベルトにパワーで勝る理由がない。先日に行われた箕輪とアルベルトの戦いがあった日から今日まで彼女は学校の授業も上の空で考えを巡らせている。

 

 伊吹は幼いころから武術を学んできた。性別関係なく周りに敵はおらず、彼女は自分の強さに自信と誇りを持っていた。

 しかし、年齢を重ねるにつれて男女における体格や身体能力の差が少しずつ浮き彫りになっていく。同時に、苦汁をなめさせられる機会も自然と増えていく。

 競技自体は男女で分けられているものの、実戦においては男女など関係ない。女性という枠の中での強さなど伊吹にとってはなんの慰めにもならなかった。プライドの高い彼女はその現実を受け止められず、心の底から噴き出るような屈辱と憤怒をついに制御できることはなかった。伊吹は中学の途中から武術と距離を置くようになる。

 きっと時間が解決してくれる。そう思っていた彼女であったが、それでも思うようにはプライドを捨てきれない。そんな中で伊吹は見てしまった。アルベルトと箕輪の一戦を。

 

 柔よく剛を制す。

 

 なにかアルベルトのパワーを覆せるような技術があるのではないか。だとすれば、どういったものなのか。

 考えても、考えても、思考が前進せず、深みにはまる。答えの出ることのない問いかけに彼女は陰鬱(いんうつ)な気分と腹立たしさを募らせていく。伊吹は不快な気分を変えるために窓の方へ視線を向けた。

 しかし、外の景色を見る前に、自分を苦しませている原因の人物がチラリと視界のわきに入ってしまう。箕輪はいつも通りのニヤニヤと何食わぬ表情を張りつかせながら、背もたれに身体を預け、授業中であるにもかかわらず、存分にくつろいでいた。

 その姿を見た伊吹は気分転換どころではなく、かえって気分を害してしまい、目線を窓に向けるのを中断した。

 

 謎めいた強さもそうだが、龍園と共にクラスを支配して当然といった箕輪の態度も彼女の癪にさわっていた。他の臆病な奴らと違い、わたしは思い通りになってやらないという気持ちも彼女の中ではくすぶっている。伊吹は姿勢を変えて頬づえをつきながら、軽くため息を吐く。

 

「このまま悩んでても仕方ない……か」

 

 無為に堂々巡りを続けていても(らち)があかない。そのうえ、精神衛生的にも良くないと考えた彼女はある決断をするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 退屈な午前中の授業を終え、昼休みが始まる。食料争奪戦に勝利するため購買部へ急いで走る者、友人と食堂へ向かう者たちと教室内が慌ただしくなる中、伊吹はあらかじめ用意していた昼食にありつく。一人で黙々と速やかに食べ終え、片付けると席を立ち、目的の場所に向かう。彼女の視線の先には龍園と箕輪がたむろしていた。伊吹は到着すると気が(はや)っていたのか、早速とばかりに口を開く。

 

「ねぇ、ちょっといい」

 

「何か用か?」

 

 目的の人物である箕輪──ではなく、そばにいる龍園が反応した。

 

「あんたに用はない。邪魔しないで」

 

「クク、相変わらずつれないなぁ、伊吹」

 

 顔も向けず、涼し気な表情で突き放すように言い放った伊吹に余裕の笑みを崩さない龍園。するとそこへ、昼食を買いに行かされていた石崎とアルベルトが合流する。

 

「龍園さん、アニキ、買ってきました」

 

 石崎がそう言いながら差し出した袋には大量のパンやらおにぎり等の食べ物がこれでもかと詰め込まれていた。

 

「んー、ご苦労さん」

 

 袋を受け取った箕輪は久しぶりのまともな食事に満足気に頷くと、すぐさま食べ始めた。

 

「……あんた、どんだけ食べんの?」

 

 まるで大食い選手のような量とペースの速さに驚かされた伊吹は思考が一瞬止まるが、すぐさま現実に戻ると湧き上がった疑問をぶつけた。

 反応せず、黙々と箕輪は食べ続けている。問いに答える義務も義理もない彼は伊吹という存在を少しも気にすることはなく、食べることに集中していた

 

「箕輪の食事の邪魔はするな。俺が代わりに聞いてやる。で、なんの用だ?」

 

 再び横から話に割り込んできた龍園はどうやら箕輪の代役として話を聞くつもりのようだ。

 食事に夢中でこちらに関心を持たない箕輪を(いぶか)しげにうかがう伊吹。彼の食事が終わるのを律儀に待つのも何か癪に障るうえ、他に方法も無さそうだと考えた彼女はしぶしぶ龍園に顔を向けた。

 

「私と戦って欲しいんだけど?」

 

「おいおい、本題に入るにしても飾り気が無さすぎるぜ。さてはお前、コミュニケーションが下手だな?」

 

 人を小ばかにするような含みのある龍園の言葉に反応せず、伊吹は面倒だと呆れたような表情で息を吐く。

 

「そんなことはどうでもいい。戦うの?」

 

「ったく、仕方ねぇな。俺が場を用意してやる。今日の放課後だ」

 

 話がまとまる中、石崎が意気揚々と横から話に割り込んだ。

 

「女子がアニキに挑む? 無理無理、無謀過ぎるだろ」

 

 石崎はアルベルトと机を囲み、食べ物のカスを口から飛ばしながら、行儀悪くののしった。

 

「龍園の腰巾着(こしぎんちゃく)のくせして偉そうに言わないでくれる」

 

「なんだとっ!」

 

「何よ、ただの事実でしょ」

 

 伊吹に言い返され、激昂(げきこう)する石崎をアルベルトがなだめる。

 

「……わかったよ。おっ、なんだそれ美味しそうじゃん。アルベルト、スパゲッティ プリズン」

 

 機嫌を良くしたのか、楽しげに石崎はアルベルトに食べ物をねだる。それを冷ややかに見ていた龍園は無言で石崎が座る椅子を蹴り倒した。

 

「どわぁっ! いきなり何なんすか、龍園さんっ!?」

 

 突然の所業に石崎は焦りながら呼びかける。そんなことは気にもせず、龍園は続ける。

 

「お前、プリズンって何だ? それを言うならプリーズだ。プリズンは刑務所だろぉが」

 

「……やだなぁ、龍園さん。シャレですよ、シャレ」

 

「そういやお前、英語の小テストの結果すこぶる悪かったよなぁ。今日から放課後、お前は金田と付きっきりで勉強会という名の刑務作業に(はげ)め」

 

「ええっ、そんなぁ。許してくださいっ、龍園さん!」

 

「好きなんだろ? 刑務所」

 

 (すが)りつく石崎を鬱陶(うっとう)しげに払いのける龍園。

 そんな龍園と石崎の間抜けなやり取りを見ていた伊吹は首を軽く横に振り、呆れた顔をしながら黙って(きびす)を返すと、自分の席に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は進み、本日最後の授業。入学()もない頃は授業中であっても私語がそこそこ飛び交っていたが、現在は教師の声だけがする静謐な空間となっていた。

 しばらくして、静けさを破るように鐘の音が鳴り響く。学生にとっては苦行でしかない授業がようやく終わりを告げたのだ。伝達事項を話し終えた教師が退出すると、生徒たちは伸びをしたり、隣人とのおしゃべりに興じたりと、解放的な雰囲気を漂わせていた。

 ある女生徒が席を立つ。周囲の空気とは裏腹に鋭い気配を放ちながら、まっすぐ目的の人物へ向かった。くだんの女生徒である伊吹は箕輪の席の前に到着すると、腕を組みながら見下ろす。

 

「話、通ってるよね」

 

「……そんな鼻息荒くして目の前に立たれても困るねぇ」

 

「ふざけんな!」

 

 箕輪の不真面目な態度に、伊吹は机に思いきり手を叩きつける。そのやり取りの最中、横から笑い声が聞こえた。伊吹がさっと目をやると、龍園がいた。

 

「焦るなよ。昼間の話をもう忘れたのか?」

 

「……だったら早くしてよ」

 

「注文の多いお嬢様だ」

 

 箕輪の机に腰をおろすと、龍園は話を続ける。

 

「一応確認だが、本当にヤるんだな?」

 

「さっきから言ってるでしょ。何度も同じこと言わせないで」

 

「アルベルトが手も足も出なかった奴だぜ?」

 

「やってみなきゃわかんない」

 

 そう言った伊吹はこれ以上無駄話をするつもりはないといった様子で、あさってのほうへ顔を向ける。

 

「クク、まぁ好きにしろ。気が済むまでな。死ぬ前には止めに入ってやるさ」

 

 頭上を飛び交う話に痺れをきらしたのか、箕輪が話に加わる。

 

「話は終わりか?」

 

「ああ、終わりだ。伊吹、ついてこい。お待ちかねの戦いだ」

 

 座っていた机から立ち上がると、龍園は教室の出口へ向かう。遅れて伊吹と箕輪が後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3人は教室を出て、ある場所へと向かっていた。帰宅する者、部活動に向かう者、友人とくだを巻く者でごったがえす校舎を抜けていく。

 目指す場所は特別棟。家庭科室や視聴覚室、多目的ルームなど特別な授業で使用される部屋が集まっており、普段は頻繁に利用されない施設だ。放課後になれば人の気配はほとんどなく、監視カメラのない廊下は無法者にとって絶好の狩場となる。だが、今は狩場としてではなく、武の求道者が狂気まとう怪物に挑む修羅場と化していた。

 まるで親の敵のように敵愾心(てきがいしん)を燃やし、相対する者に鋭い視線を向ける伊吹。それを柳に風と受け流し、嫌らしい笑みを浮かべる箕輪。向かい合う両者を壁にもたれながら、見据(みす)える龍園。他に人の気配はない。

 

「あんたに聞きたいんだけど」

 

 真正面の相手に伊吹は問いかける。

 

「なんで、あんたがアルベルトに勝てるわけ?」

 

「あー?」

 

「どう考えても勝てる理由ないでしょ」

 

「それはだねぇ、おじさんがすぅんごく強いからかなぁ」

 

 伊吹の真剣な疑問に対し、真面目に答える気がない箕輪。額に青筋を浮かべながら伊吹は続ける。

 

「ふーん、あんたは特別ってわけ?」

 

「そうだねぇ、選ばれし人間ってやつなんじゃないかぁ?」

 

「……そう、腹の中で私を見下してるってわけね。龍園も嫌いだけど、あんたも嫌い」

 

 伊吹がそう言いきると、二人の間に漂う空気が張りつめていく。

 

「あんたってさ、いじめられたことないだろ?」

 

 伊吹は(あざけ)るような雰囲気に変わった。

 

「まぁ、思い当たることはないねぇ」

 

「じゃあ、私が初めての経験させてやるよ。いじめってやつをね」

 

「ふへっ……おもしれぇ。だが、するもんじゃねぇなぁ──子猫が獅子(ライオン)のふりを

 

 相手の感情を逆なでるためか、戦意を引き出すためか、お互いに挑発の応酬。(ゆず)り合う気配はない。

 

「今からヤるわけだけど、ルールはどうするの? 勝敗は相手が降参するまで? それとも行動不能?」

 

 あとでケチをつけられてはたまらない。勝敗について正しい認識を共有したい伊吹はこの決闘の取り決めを(うなが)す。

 

「んー?」

 

 箕輪はのぞきこむように相手の背後へ目をやる。誰か部外者でもいるのか、それにつられた伊吹も顔だけを動かし、後ろを向いて視線を移した。

 その瞬間、伊吹に悪寒が走る。何の根拠もないが、彼女は自分の直感に迷うことなく従い、素早くしゃがみこむ。同時に彼女の頭上を肌の粟立(あわだ)つような風切り音が通り過ぎた。

 

「なっ!?」 

 

 伊吹は考えるのを後にし、弾かれたように飛びのいて距離をとる。安全圏に逃れてから視線を前にやると、腕を振り抜いたままの箕輪が立っていた。

 

「……何してんの」

 

「ひひッ、これで終わると思ったんだけどねぇ」

 

 伊吹の問いかけを無視して、そう(ひと)()ちる箕輪。

 

「何してるって聞いてんだよっ、この卑怯者!」

 

 (いきどお)りを隠さず、肩をいからせながら伊吹は怒鳴りつけた。怒声が響き渡る。その場は水を打ったかのように沈黙が支配した。

 しばらくして、黙ってやり取りを見守っていた龍園が口を開く。

 

「おい、相手を卑怯だとのたまって、自らの正当性を主張するのは気分がよかったか?」

 

「あんたには聞いてないっ!」

 

 伊吹の一喝(いっかつ)を無視し、龍園は話を続ける。

 

「さて、箕輪を卑怯だと言っていたお前は色んな武術かじってるみてぇだが、それは卑怯じゃねぇのか? それとも素人相手には武術を使わないのか?」

 

「私の武術は私が努力して掴んだもの。どう使おうが卑怯と言われる筋合いはない」

 

「その通りだ。だが、それならさっきの不意打ちもお前の武術と同じもんだろ。ルールを決めてから闘う、なんていうお前の思い込みを利用した立派な戦術だ。間抜け(づら)して、誘いに簡単に乗るお前が悪い」

 

「…………アルベルトのときはそんな真似してなかった」

 

 伊吹の言葉に龍園は呆れ顔で溜息をつく。

 

「それはただの演出だ。アルベルトとの闘いは誰から見ても真正面から奴を叩き潰したという実績がこちら側に必要だった。ただそれだけの話。ルールなんざ決めてない」

 

 伊吹の反論を龍園はすぐさま(げん)でねじ伏せる。拳を強く握りしめるも言い返せない伊吹。壁にもたれかかり、その様子を横目でうかがいながら龍園は話を進めた。

 

「結局、卑怯なんて価値観は人それぞれ。極論で言えば、人は生まれたときから法というルールによって、すでに有利な奴らに支配を押し付けられている卑怯な状態とも言えるだろ」

 

 龍園は自嘲(じちょう)した笑みを浮かべ、頭を横に振ると話を続ける。

 

「話が()れたな。つまり、戦いとは自分に有利な状況をいかに相手に押し付けるかという、せめぎ合いだ。それで、お前は何がしたい?」

 

 静かに龍園が問いかける。

 

「勝ちたいんだろ? だったら、つまんねぇーことに(こだわ)って視野を(せば)めるな」

 

 黙って耳を傾けていた伊吹は眉をしかめて酷く不満そうな顔を隠さない。彼女は龍園の言葉を理解はしていた。一理あるだろうと。だが、彼女の感情が嫌いな相手の言葉を素直に受け取るようなことをためらわせた。

 伊吹の様子を黙って見ていた箕輪は軽薄な態度を変えずに提案を投げかける。

 

「駄々をこねる小娘だ。卑怯だと言うなら、お前さんに30秒やろう。30秒間、俺は手を出さない。そうだなぁ……俺の名前の頭文字をとって(エム)タイムとでも名付けるか」

 

 箕輪は膝に両手をつき、中腰の姿勢で伊吹の顔を下から覗きこむように首を傾げる。

 

「Mタイム30秒だ。ひひッ、女子高生とMタイム。やらしい響きでおじさん興奮してきちゃったなぁ」

 

「……なめやがって」

 

 相手にならないとでも考えているのか、箕輪の侮った言葉に伊吹は殺気立つ。

 

「おじさんが迷える君のすべてを受け止めてあげよう。なに、心配す──」

 

 

 ──ビュッ──

 

 箕輪の言葉を中断するように伊吹の蹴りが頭部へ勢いよく襲いかかった。

 

 

 箕輪は苦も無く、首を傾けて(かわ)す。

 

「あれぇ? 卑怯なことは許せないんじゃなかったの?」

 

「うるさいっ!」

 

 かまわず伊吹は二撃、三撃と移り、拳と蹴りのコンビネーションを流れるように打つ。体力の配分などお構いなしとでも言うように絶え間なく動き続ける。

 

「おいおい、もう少し考えて組み立てねぇと(かす)りもしねぇぞ」

 

 容易に避けていく箕輪に30秒というチャンスタイムが刻々(こくこく)と失われていく。伊吹が繰り出す全ての武が(むな)しく吹き抜けていく。

 

「あーあ、言わんこっちゃない」

 

 伊吹の柔軟さとバネを兼ね備えた肉体から生み出される渾身(こんしん)の回し蹴り。閃く蹴りを箕輪は床と平行になるよう上体を反らし、信じられないような体勢で(かわ)していた。

 

「くッ、この化け物がッ」

 

 自慢の蹴りが滑稽(こっけい)とばかりに箕輪の上を通り過ぎていく。伊吹の表情が歪んだ。

 

「……さて、もうお遊びの時間は終わりだ」

 

 歯を剥き出し、歪められた口元がつくり出した箕輪の不気味な笑み。猛烈な暴の気配を感じた伊吹は全身が硬直する。

 しかし、咄嗟(とっさ)に意志の力で怯えをおさえ、身体の前で腕を交差し防御態勢に入った。

 

 

 ──ドォッゴォォ── 

 

 極限まで伸び切ったゴムが高い弾性力で鋭く弾かれるが(ごと)く上体を引き上げると、その勢いのままに箕輪は一直線に暴を()じり放つ。

 

 

 暴威を(まと)う拳に腕のガードごと弾かれた伊吹の身体が(ちゅう)を舞った。彼女は受け身もろくに取れず、床を滑っていく。

 

「いっ……つぅ」

 

 激しい痛みで言葉にならない伊吹は直撃した部分をそっと(うかが)う。そこには青と赤が不気味に混じり合いながら()れ上がる腕があった。自分の身体とは思えない光景に彼女はショックで言葉を失う。

 

(ひび)は入ってるかもしれないが、骨は折れてねぇはずだぜ。手加減してるからなぁ。……でも、勘違いすんなよ。女だからって手加減してるんじゃねぇ。俺以外のすべての人間は脆弱(ぜいじゃく)な肉体だ。加減しねぇとバラバラになっちまうってだけの話よ」

 

 伊吹は恐怖で足が(すく)む。普通の人間なら行き過ぎた危害を加えしてしまったことに何かしらの感情の起伏が見えるはず。しかし、この男はこのような仕打ちをしながらも、日常の一コマのように泰然(たいぜん)としていた。

 

「さっきのやり合いで理解しただろぉ? 何だ……この力は……これはっもう終わりだ。絶っ対に助からない……ってねぇ」

 

 箕輪はゆっくりと語る。

 

「そして、その顔が恐怖に引き()るわけだ」

 

 箕輪は薄笑い、何かを見透かすような嫌な笑みを浮かべた。

 

「どうする? 続けるか? おじさんが怖けりゃ、断ってもいいんだけどねぇ」

 

 邪悪な笑みで(あお)る箕輪。その姿に伊吹は気を()まれ、指先が震え、生物としての生存本能が戦うことを拒絶する。箕輪という存在が考えることすらバカバカしく、冗談のような、常識から外れた生物であると理解した。

 そして、もう一つの事実を彼女は理解する。アルベルトに勝ったのは隠されたテクニックなどではなく、単純に圧倒的な身体能力だった。伊吹が期待したものなどどこにもなかったのだ。

 自分は何をしているのか。そんな思いが彼女の胸中を支配し、思わず呆れた笑い声が漏れる。

 

 ──それでも……

 

 同時に惨めな自分に対しての怒りも胸の内からふつふつと湧き上がってきていた。こんな下品な暴力野郎に見下され、自らの身を小さく(ちぢ)こませ、屈服しないために習得したはずの武術の矛先を恐怖で鈍らせている己の弱さを恥じていた。

 少しでも賢い者であれば、戦いの結末を察し、媚びへつらいの表情を浮かべながら相手に向かって地に(ひたい)を押し付けるだろう。

 だが、伊吹は怒りで無理矢理に本能を押さえつけ、自分の矜持(きょうじ)を守るために(おろ)か者となる覚悟を決めた。

 

幼稚な暴力に、私は己を変えたりはしない

 

 自身に言い聞かせるように彼女はぼそりとつぶやく。深く息を吐き、全身の細胞に酸素を行き渡らせるよう新鮮な空気を取り込んだ彼女は力の入らない傷ついた腕をぶら下げ、身体の面を隠すように半身になって構える。

 

「幼稚な暴力……ねぇ。そもそも暴力に正当や不当、幼稚さなんてものはないだろうに。そんなこ──」

 

 箕輪の言葉が終わる前に伊吹は動き出す。距離もつめずに彼女は無造作に足を突き出していた。突如、箕輪の目に映ったのは伊吹の靴。

 奇をてらったのかもしれないが子供だましの類だ、箕輪はそう結論づける。動揺することなく、彼は飛んできた靴を片手で払った。が、間を置かずに靴の影から現れたのは肉薄する伊吹の姿だった。

 靴を放ると同時に走り出していた彼女は重心を移動させて全身を傾けながら飛び込み、捻転(ねんてん)させると、その勢いのまま相手の頭部に向かって足を振り出す。強烈な蹴りを浴びせるために。

 伊吹は半身になったときに相手の視線から隠れた後ろ足の靴を脱ぎ、それを足で飛ばす事で相手の意識をそちらに向けさせた。そして、箕輪が靴を払った手の側へと放たれた彼女の蹴り。それは靴を払うことに使った手でガードすることができない。つまり、相手の意識をワンテンポ遅れさせ、同時に防御を難しくする彼女の戦術。

 決まった、そう確信する伊吹。

 

 ──メキッ──

 

 伊吹の足に箕輪の手指(てし)が食い込む。

 

 彼女の決死の蹴りを、靴を弾いた手と反対側の手で容易(たやす)くひっ捕らえていた。箕輪はそのまま腕を横に振り抜き、伊吹を壁に激突させる。

 

「ぐがぁッ」

 

 身体の芯まで響く衝撃に思わず伊吹から(うめ)き声が漏れる。箕輪は何ごともなかったかのように(たたず)んでいた。

 

「悪くはなかったんだがなぁ。悲しいくらい圧倒的に足りないねぇ……力が。おじさんにとっちゃ、蚊に刺されたようなもんだ」

 

 箕輪の声も遠くなり、痛みで意識が朦朧(もうろう)とする。だが、伊吹は痛みに足を取られながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 彼女は止まらない。いや、止まれない。伊吹は本能に逆らう。自らの矜持を守り抜くために。

 彼女は力を振り絞って走り出し、跳躍し、箕輪へと()えながら(おど)(かか)る。

 

「ぅあああっ!」

 

 そんな伊吹の決意を嘲笑(あざわら)うかのような暴力が現実を見せつける。

 

「必死……だねぇ」

 

 ──ゴギャッ──

 

 全てを巻き上げ、破壊する暴風が荒れ狂う。

 

 箕輪は地を震わすかのように踏み込むと同時に伊吹の(あご)を捉えた掌底で下から打ち抜き、打ち上げられ空中を漂う彼女の身体を鋭く振り上げた足で乱暴に蹴り抜いた。伊吹の身体がくの字に折れ曲がり、吹き飛ぶ。

 一瞬のうちに繰り出された箕輪の暴力に彼女は()(すべ)もない。伊吹はばね仕掛けの人形のように飛び上がり、地に()ちた。打ち捨てられたゴミのようにピクリとも動けない。

 

「……ち……くしょう」

 

 痛みと疲労によって失われていく意識の中、伊吹は涙を流していた。全てを投げうっても相手にかすり傷一つ付けられない。その悔しさが涙に変わっていく。

 しかし、彼女は涙を流しながらも結んだままの唇にかすかな笑みを浮かべていた。何もできなかった無力感とともに、恐怖に対する己との闘いに打ち勝ったという確かな満足感も彼女の心の中に広がっていたからだ。

 複雑な感情を胸に抱く伊吹は鳥が羽休めで翼をたたむように、美しく揃った長い睫毛(まつげ)を伏せると、静かに現実へ別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園がCクラスの女生徒を何人か呼び出し、動けなくなった伊吹を保健室へ運ぶよう指示を出す。伊吹の状態にやってきた女生徒たちは(おのの)きながらも、そのうちの何人かは()い気味だと思っているのか、馬鹿にしているような表情をしていた。それを目障(めざわ)りだと感じた龍園はさっさと連れて立ち去るよう命令すると、彼女たちはしっぽを巻いて逃げ出すようにここから離れていった。

 

「クク、酷い目に遭った奴を見て、自分はマシだと安心し、悦に浸り、ほくそ笑み、心の中で蔑む。実に人間らしい振る舞いだ」

 

 笑みを浮かべてはいるが、どこか気分が優れないような雰囲気の龍園。

 

「言葉のわりに楽しんでいるようには見えないなぁ、龍園クン」

 

 そんな彼に、肩を回しながら近づいてくる箕輪が冷やかすような口調でからかった。

 

「……ほっとけ。お前が気にすることじゃない」

 

 龍園から笑みが消え、表情を失った顔つきになった。

 

「余計なお世話ってか? なら黙っておくとしよう」

 

「ああ、そうしろ」

 

 もうここに用はないのか、出口へと龍園が歩き出す。箕輪も追随(ついずい)する。

 

「クラスで一人、逆らう馬鹿な奴の正体があんな小娘とはねぇ」

 

「正確には自分のプライドのためだろうがな。Cクラスに俺が必要なことくらいは何となく理解してる。心情的に納得してないだけだ」

 

 龍園は時計を確認すると話を続ける。

 

「伊吹は喧嘩っ早くて口も悪く、おまけに素直じゃない。一見すると直情的な奴に見えるが、意外と冷静な部分も持ち合わせている」

 

 今までの伊吹の行動からどういった性格なのか傾向を読み取っていく龍園。

 

「もし、あいつが石崎みたいに直情さしか持ち合わせていないような奴なら、教室での俺の宣言を聞いたその場ですでに喧嘩を売っていたはずだ。自分の腕にも自信があったみたいだしな」

 

 少しだけ意地の悪さを感じさせるような笑みで龍園は言った。

 

「そぉかい。よくそんなこと考えるねぇ」

 

 面倒さを隠さない口ぶりで箕輪は相槌(あいづち)を打つ。

 

「だが、賢くはねぇ。お前の暴力を目の当たりにしても挑んでくるあたりがな。自分のプライドに関わることとなると冷静さを失う。……が、今回の件でいくらか学んだはずだ」

 

 そう言いながら龍園は足を早め、行き先を告げる

 

「まだ時間はある。図書館に向かうぞ。ひよりに会いにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉館まで1時間を切っている放課後の図書館。現在ほとんど人のいない館内で一人の少女が静かに本のページをめくっていた。深窓の令嬢を思わせるような彼女は椎名(しいな)ひより。

 しかし、その心地よい彼女の静寂を(おびや)かす存在が今まさに訪れようとしていた。

 扉が勢いよく開かれ、龍園と箕輪は図書館に足を踏み入れる。館内をしばらく探索した龍園は目当ての人物を見つけ出し、笑みを浮かべた。

 

「よぉ、ひより。随分と楽しそうじゃねぇか」

 

 そばに寄って来るやいなや、本が積まれてる机の上に座る龍園。

 それを横目で確認し、気づかれないように小さく溜息を吐きながらも椎名は応じる。

 

「龍園くんですか。はい、楽しかったです。先ほどまでは」

 

「クク、ご機嫌な返事で嬉しいぜ」

 

「龍園くん、ここで私語は禁止ですよ」

 

「気にするな。俺は気にしない」

 

 椎名の少々とげのある言葉を気に()める素振りもなく、そのやり取りを龍園は楽しむ。

 

「あなたがここに来たということはCクラスの掌握が終わったんですね。私を除いて」

 

「ほぉー。わかるのか?」

 

「こう見えて、洞察力に優れているんです。私」

 

 感情の乏しい表情でそう口にする椎名。その言葉に龍園が目を細める。

 

「この状況で自分を売り込むとは、中々したたかな女だな」

 

「私は決闘に参加しませんでしたから。それを見逃してもらうのと、今後も暴力的な争いごとは免除してもらうためです」

 

 龍園の目をしっかりと見たまま椎名は答えた。

 

「肝もすわってるってわけか。……で、それ以外は俺の命令を聞くって解釈でいいんだな?」

 

「はい。争いごとは嫌いですが、この学校のシステムでは避けて通れないみたいなので。それに……」

 

 椎名は言葉を切り、箕輪の方へちらりと視線を向ける。

 

「悪意が剥き出しの彼に何をされるか……わからないですから」

 

「悪意なんて酷いねぇ。野蛮なことは気が進まない(たち)なんだよ、(おら)ぁ」

 

 箕輪の心にもない言葉をじっと聞いていた椎名。

 彼女は今まで目立った友人はおらず、本が友達だと言っても過言ではないほど、大半の時間を読書で過ごしてきた。したがって、暴力が蔓延るような世界とは無縁であり、あったとしても創作物の中で触れる程度でしかない。

 だが、彼女は優れた洞察力で感じ取っていた。箕輪の下卑(げび)た笑みから立ち昇る強烈な暴の匂いを。陽炎のように揺らめく暴の気配を。

 彼女は予感していた。少しでも反抗していれば、容易にその凶悪な(かいな)が自分に伸び、理不尽な暴力がその身に降りかかることを。

 椎名は悲観的な思考の深みに(おちい)っていた。しかし、それを龍園の言葉が強引に現実へ引き戻す。

 

「まぁいい。特別扱いしてやる。その洞察力と、先日の小テストの結果で判明した学力の高さをこれからも発揮すればな」

 

「……はい」

 

 彼女もまた伊吹と同様に納得しないまでも理解していた。この学校のシステムにおいて、Aクラスに上がるという目的のためにクラスがまとまるには龍園という(にしき)御旗(みはた)が必要なことを。たとえ、その旗が不穏な影を帯びていたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時の学校。時刻は18時に近いこともあり、部活動以外ではほとんど人がいなくなっている校舎。箕輪と龍園の二人の姿は屋上にあった。

 

「椎名クンには偽の友人を与えて、弱みにするんじゃなかったのか?」

 

 箕輪の当然の疑問に龍園は間を入れずに答える。

 

「それをするにしても一度は個人的に会いに行かないと不自然だろ。俺の性格を考えて命令に反した奴を放置するなんて普通に考えればありえない。馬鹿じゃなきゃ何か裏があると察する。その状況で友人をあてがっても、不信感を抱くだけだ。そして、ひよりは洞察力が高い。おそらくはこの俺よりもな」

 

 龍園の命令に逆らった状況を逆手にとって自分の能力を売り込む機転。Cクラスに不足している高い学力を有した生徒という自分の価値を理解している立ち回り。龍園といえど椎名ひよりを侮ることはできない。

 

「よって、その計画はひよりの洞察力の高さでお陀仏になってしまった。……が、逆にその洞察力の高さで手間が省けた。お前の異常性をちらつかせることなく理解してやがったからな。あとは俺の必要性についてもだ」

 

 結果論ではあるが、自分の望んだとおりの状況に満足気な龍園。それを横目に箕輪は話を変える。

 

「さて、龍園クン。クラス内のことは終わったわけだが……これからはこの学園の本格的な戦いが始まるってぇことかい?」

 

「ああ。今まではCクラス内のことだから、お前に手加減させていたが、……他クラスを遠慮する必要はねぇ。必要な時には壊しても問題ない」

 

「ヒヒ……それは朗報だ」

 

 笑って肩をすくめる箕輪。微笑の(すみ)に皮肉さを漂わす龍園。

 しばしの沈黙が流れ、思い立ったように箕輪がそれを破る。

 

「他のクラスにお前のような奴がいれば、そう簡単にはいかないだろうよ。……まぁ、頑張んな」

 

 言葉とは裏腹に心配している素振りなどまるで感じられない、他人事のようにどこを吹く風といった様子で、彼はチョコ菓子を食らうために(ふところ)に手を入れながら、そう言葉にした。

 

「やれるさ、俺とお前ならやってやれないことはねぇ」

 

 優越感が(にじ)む、自信に満ちた表情で言い切る龍園。それを横目で見ていた箕輪は口角を引き上げ、からかうような顔で問いかける。

 

「その思い上がりを叩き潰すようなことが待ち構えているかもしれないなぁ?」

 

 沈みゆく陽の光に手をかざし、握りつぶすように拳に力を加えながら龍園は不敵な笑みで告げる。

 

「その時は盤上をひっくり返してやればいい──その常軌を逸した暴力(ちから)でな

 

 箕輪の暴力は容易に人間の生存本能を刺激する。それこそ常人であれば、ちらつかせただけで恐怖に身動きがとれなくなるほどに。龍園はそのことを身を以ってよく理解していたが、同時にその絶大な力に魅入(みい)られてもいた。その(あや)しくも心を奪う光に近づきすぎれば、自分を破滅させかねない。わかっていながら、それでも龍園はこの歩みを止めることはできなかった。その暴力を意のままに従え、学園を支配してやるという決意とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箕輪勢一のステータス

 

 クラス   1年C組

 

【学力】   C+

【知性】   C+

【判断力】  B

【身体能力】 A

【協調性】  D




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