怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

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本日は2話連続投稿です。こちらが1話目です。




6話

 Cクラスの小宮、近藤とDクラスの須藤の間で起きた昨日(さくじつ)のトラブルも冷めやらぬ中、入学してから数えて三回目となる七月一日のポイント支給日を迎えたDクラス。五月、六月とクラスポイントが0のままに現在までプライベートポイントの支給はなく、煩悩を消し去る修行僧のような生活を送っていたが、今日はポイント支給の可能性がある。

 その期待が現実になることを待ち望んでいる生徒たちの人数分の声と熱が合わさり、教室内は殺気立っていると言っても差し(つか)えない状況であった。

 

「おはよう諸君、今日はいつにも増して落ち着かない様子だな」

 

 ホームルーム開始の合図である鐘の音とともに、担任である茶柱が入室してきた。

 

「佐枝ちゃん先生! 俺たち今月も0ポイントだったんですか? 朝チェックしても振り込まれてなかったんですけど!」

 

「俺たち頑張りましたよ。中間テストも乗り越えたのに0ポイントはいくらなんでもあんまりです」

 

「いつになったらクラスポイント獲得できるんですか?」

 

 池を筆頭にした生徒たちの食い気味で矢継ぎ早の質問に茶柱は少しの苦笑いを浮かべながら答える。

 

「勝手に結論を出すな。お前たちの頑張りは当然理解している。そして、今月のクラスポイントだが……Dクラスは87ポイントだ。つまり、8700のプライベートポイントが支給される予定になる。だが、今回のクラスポイントは中間テストを乗り越えた全クラスにご褒美として支給されたものに過ぎない。勘違いするなよ」

 

 茶柱の言う通り、Dクラスだけでなく他クラスにも100ポイント近く支給されていた。クラス間の競争という意味では差がつかない。とはいえ、プライベートポイントの支給がDクラスにとって、ありがたい事実であることに変わりはない。久しぶりのポイントにDクラスの生徒たちは喜びに沸き立つ。今回の発表で判明した情報としては四月、五月に頻発していた私語や遅刻がクラスポイントへの潜在的なマイナス要素として累積しないことが挙げられる。

 しかし、そうなると当然浮かんでくる疑問もある。しばらくして、それに思い至った平田が茶柱に質問を投げかけた。

 

「ですが先生、ポイントが振り込まれていないのはどうしてですか?」

 

 ようやくその質問が来たかと冷笑を含んだような目つきで茶柱はDクラスにとって厳しい連絡事項を告げる。

 

「それはお前たちも知っている通り、昨日の揉め事によるものだ。教室内で須藤がCクラスの生徒に暴力を振るった。そして、その件でCクラスから訴えがあった。しかし、その訴えに対しての結論はまだ出ていない。よって1年生だけではあるが、ポイントの支給は一時的に保留されている」

 

 それ以外にも担任の教師から説明を受けた補足内容を述べると、まず、Cクラスの訴えによってDクラスが受けるペナルティは須藤の二学期開始前日までの停学とクラスポイント削減の二つ。次に、結論が出ずに保留されている理由はCクラスからDクラスへある提案を持ちかけられているからであった。

 そして、Cクラスはその提案をDクラスが受け入れるのなら今回の訴えを取り下げると主張している。その提案内容とは──

 

「Dクラスが月の初めに支給された生徒全員分のプライベートポイントの総額40%分を同日中にCクラスに支払うこと。それが卒業まで行われるということが条件だそうだ。今回の訴えに対しての反論や提案に対する検討の準備期間として学校側は1週間を設けた。そして、その1週間を終えた翌日の放課後に審議の場が設けられ、最終判断が下される。条件を飲むにしろ、戦うにしろ、どちらでも好きなように決めるがいい」

 

 話し終えた茶柱は唖然とする生徒たちをひとしきり眺めた後、自分の担当しているクラスが悲劇に見舞われているとは思えないほど普段通りの様子で教室から出ていった。

 

「須藤のせいで今月も0ポイントになるかもしれねぇーのかよ」

 

「最っ悪。欲しいものあったのにー」

 

「0ポイントになるぐらいなら条件飲んだ方がよくね? 40パー取られても5000はもらえんだからよ」

 

「ちっ、ふざけんなよ」

 

 たちまち教室では須藤に対しての不満が爆発して喧騒(けんそう)に包まれていた。普段から素行の悪い須藤はやはり同情を得ることはできずに悪者扱いされてしまう。そんな状況を見かねた平田や櫛田は必死にクラスメイトをなだめていくが、騒がしさが収まる気配は一向に感じられない。ついに我慢しきれなくなった須藤が机にバンッと手を突きながら勢いよく立ち上がる。

 

「何も知らねぇ奴らがギャーギャー騒いでんじゃねぇよっ!」

 

 開ききった目を血走らせた彼の怖ろしい剣幕にクラスメイトたちは気圧され静まり返った。しかし、そこへ思わぬところから須藤に対して遠慮のない物言いが飛んでくる。

 

「君の存在は美しくないな。いや、醜いと言っていいだろうねぇ。テストのときに退学しておいた方が良かったんじゃないかな、レッドヘアーくん?」

 

 唯我独尊という言葉が人の形を成して顕現(けんげん)したような存在、手鏡で髪型を整えながら自分の姿に酔いしれている高円寺 六助(こうえんじ ろくすけ)からであった。

 

「……あ? もう一回言ってみろオイ」

 

「フッ、何度も言わせるとは物分かりの悪い。君にその自覚があるのなら、特別にもう一度だけレクチャーしてあげても構わないが?」

 

 高円寺の挑発ともとれる言葉を耳にした須藤は無言で彼の席へと近づいていく。

 その最悪の状況の中、平田は二人を止めるために間へと割って入る。

 

「そこまでだ、二人とも。落ちつ──」

 

 言い切る前に平田は須藤の馬鹿力で突き飛ばされた。椅子や机を倒しながら他のクラスメイトを巻き込んで平田は倒れ込む。周囲の人は争いに巻き込まれないように慌てて教室の端へ避難し、女子からは悲鳴が上がった。

 

「止めろなんて頼んでねぇーだろ。雑魚のくせにゴチャゴチャうるせぇんだよ」

 

「おやおや、最後のボーダーラインを自ら踏み越えるとは。君の愚かさはとどまるところを知らないようだ、レッドヘアーくん」

 

「もう殴っちまったんだ。二発も三発も変わらねぇよ」

 

 理性の(たが)が外れてしまった須藤と()る気があるのか、高円寺はスッと優雅に立ち上がる。そして、両者の距離がどんどんと縮まっていく。闘いの火蓋が切って落とされるのはもうすぐそこ。二人を止められるようなクラスメイトは誰も存在しない。

 あと一歩進めば互いに相手へ手が届く距離になろうとした、その瞬間──

 

やめてぇぇぇ! 

 

 耳を(つんざ)くような痛ましい叫び声が教室に響き渡った。クラスメイト全員の視線が一斉にその甲高い音の発生源を向く。そこには祈るように両手を組み、頬に(つた)う涙を(ぬぐ)いもしない櫛田がいた。

 

「わたしたち、同じクラスの友達同士だよ……喧嘩なんて見たくないよ……」

 

 言い終えた櫛田は(うつむ)いて嗚咽(おえつ)で肩を揺らす。見ていてつらくなるような櫛田の周りには自然と女子が集まってきていた。彼女の背中をさすりながら口々に慰めの言葉をかける者たちがいれば、群れることで強気になったのか元凶である須藤を睨みつける者たちもいた。特に顕著な敵意を(あら)わにしていたのは突き飛ばされた平田の彼女である軽井沢と、篠原をはじめとした取り巻きの友人たち。それを見ていた須藤は罰が悪くなり頭の横にまで高く上げていた拳を下ろして高円寺を睨みつける。

 

「プリティーガールに救われたねぇ、レッドヘアーくん」

 

 ()る気が失せてしまった須藤は高円寺の言葉に反応することなく、そばに転がっている椅子を蹴りつけると教室を出ていった。

 そんな無秩序なクラスの様子を終始にわたり黙って見守っていた綾小路は隣の堀北へと話しかける。

 

「で、どうするんだ?」

 

「どうするも何もないわ。もう既に決着はついているじゃない。教室にカメラがついている時点で言い逃れできないわ」

 

「へぇー、教室にカメラなんてあったのか。気づかなかった」

 

「……白々しい態度ね。とりあえず今回の件は須藤くんの身から出た(さび)。協力する気になんてなれないわ。痛みを経験して自覚させるべきよ。それからCクラスの条件は飲まない方向でいくわ。卒業まで搾取されるよりも今回ポイントを諦めたほうが痛みは少ないから」

 

「いいのか本当にそれで?」

 

「どういう意味?」

 

 堀北は本を閉じて、(いぶか)し気な視線を綾小路へと移す。

 

「Cクラスの条件を飲まないということは須藤を切り捨てるのと同じことだ。須藤が二学期まで停学になるその期間、当然部活動はできない。暴力沙汰を停学という罰で(おおやけ)に事実認定されれば顧問の印象も悪くなり、将来的にレギュラーとして使ってくれないかもしれない。いつ喧嘩を起こすかわからないような奴を安心してレギュラーで使うことはできないからな。そうなるとバスケ一筋だった須藤は目標を失って自暴自棄になり、Dクラスに役立つ人材になるどころかマイナスになる可能性がある。それはAクラスに上がりたいお前にとっても損失だろ?」

 

「……それはあなたの憶測でしょ?」

 

「そうだな。だが堀北、お前は今回に限ってクラスポイントを諦めればいいと安易に考えているのかもしれないが、そのポイントを手に入れる機会がいまだに判明していない現状において今回のポイントは貴重と言えるんじゃないか?」

 

 綾小路の問いかけに思い当たる節があるのか黙り込む堀北。

 

「今回手に入ったクラスポイントはただのご褒美。ということは定期試験だけでクラスポイントは大きく動かない可能性が高く、かと言ってクラスポイントの差がこのまま縮まらない状況が続くとは考えにくい。じゃあ、どこでポイントが動くのか。おそらく夏休みに南の島で行われるバカンスが重要な分岐点になるだろうな。

 そして、そのイベントは単純な学力を測るようなものではない。学力なら定期試験で十分だからな。そのときにDクラス随一の運動能力を誇る須藤が停学で参加できなければ、Dクラスが勝つのは難しくなるかもしれない」

 

 椅子にもたれる綾小路を堀北は見極めるようにじっと見つめている。

 

「別にお前の選択が間違ってるってわけじゃないぞ。汎用性(はんようせい)の高いプライベートポイントを搾取されない選択にも当然大きなメリットは存在するからな。俺が言いたいのはどちらを選ぶにしても事件の詳細を須藤の口から聞かないとあいつの成長の機会になるかどうかもわからないし、もしかすると反撃の糸口を掴めるかもしれない。そして、このクラスの中で今の須藤と話をできるのは中間テストであいつを救って信頼を得ているお前だけ。安易に選択肢を切り捨てるのは勿体ない状況だと思わないか?」

 

「……事なかれ主義のくせに、今日はえらく饒舌(じょうぜつ)なのね」

 

「人間なんて大なり小なり矛盾する生き物だぞ」

 

 綾小路の答えに呆れたように堀北は肩をすくめた。

 

「わかったわ。そこまで言うのならあなたにも協力してもらいましょうか」

 

「え? ……いや、俺は陰に生きる者として──」

 

 堀北は綾小路のくだらない言い訳を無視して話を続ける。

 

「昨日起こった出来事の中でCクラスの箕輪くんが登場してから不自然な点が二点あったわ。一つは須藤くんの青ざめた表情と異様な雰囲気。もう一つは佐倉さんが震えながら目を伏せていたこと。この二人は箕輪くんに対して他のクラスメイトと様子が違っていた」

 

 堀北はあの日の混乱していた状況でクラスメイトをしっかりと観察していた。

 

「……箕輪?」

 

 教室内で起こったトラブルについて昨日の堀北の説明では出てこなかった名前がいきなり登場し、それが自分の警戒している人物であったことに綾小路は少しだけ面食らう。

 

「他に手がかりもないようだし、あなたには佐倉さんを担当してもらうことにしましょう。よろしく」

 

「ちょっと待ってくれ、俺のコミュニケーションスキルで佐倉は難しすぎる気が……」

 

 話は終わったとばかりに本を開いて視線を落とした堀北を見て、綾小路はいさぎよく彼女への嘆願(たんがん)を諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

  クラスポイント表(暫定)

 

  Aクラス 1025

  Bクラス  730

  Cクラス  543

  Dクラス   87

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、堀北は須藤に話し合いの言付(ことづ)けでもすると彼女一人で教室を出ていった。時間と場所を指定して落ち合う予定なのだろう。それよりも自分のことだと綾小路は困ったように佐倉の方へ視線を向けた。堀北の話を(かんが)みると今回のトラブルの中心に箕輪がいる可能性は高いと考えられる。そして、箕輪が関わっているとなれば今回のトラブルは十中八九仕掛けられたものであるだろう。箕輪との出会いで告げられたDクラスへの不穏な発言を鑑みれば想像に難しくない。

 本当なら関わり合いになることを避けたい綾小路だが、言い出しっぺの彼が今更尻尾を巻いて逃げ出せば、無表情でコンパスを振り下ろしてくる堀北に文字通りハチの巣にされるであろうことが容易に想像できる。小さな穴の集まりに嫌悪してしまう集合体恐怖症の人も真っ青な怖ろしいイメージに綾小路は思わず身震いをした。

 このまま思考を続けているだけでは(らち)もあかず、ターゲットである佐倉が帰ってしまい本末転倒。そう考えた綾小路は与えられた一週間という時間を無駄にすることもできないので、神仏頼みの勝負にでることを決意し席を立ち上がる。

 

「綾小路くん」

 

 悲壮な覚悟を背負う戦士となった綾小路に後ろから声が掛けられる。彼が振り返るとそこには優し気な微笑みを浮かべた天使、(いな)、櫛田がいた。

 

「堀北さんと朝に何の話をしてたの?」

 

 櫛田の質問にモテる男は困るなと場違いな妄想を一瞬だけ楽しんだ綾小路はすぐに気を取り直すと、ふと疑問が浮かんだ。泣いていたはずの櫛田がなぜ堀北と話をしていたことを知っていたのか。

 しかし、彼の疑問もすぐに氷解した。腹黒い櫛田のことだから泣く演技をしながら周りの様子を(うかが)っていたのだろうと。そう推測を終えた綾小路は時間もないので彼女を佐倉説得の協力者として取り込むことを決める。その話を聞いた櫛田は快く応じてくれるが、他人を寄せ付けない引っ込み思案な佐倉の性格を考えるとコミュニケーションお化けの櫛田といえども懐柔するのは難しいと予測された。

 それを理解している彼女は緊張気味な様子で、静かに帰り支度をする佐倉の元へと歩いていく。

 

「佐倉さんっ」

 

「……な、なに……?」

 

 声をかけられるとは思っていなかった佐倉はいきなり呼びかけられて混乱しているようであった。

 

「須藤くんの件で佐倉さんに聞きたいことがあるんだけど……」

 

「ご、ごめんなさい、私……この後予定あるからっ」

 

 佐倉は罰が悪そうに視線を逸らし、荷物をまとめると駆け足で教室を出ていく。急ぐあまりに周りを見ていなかった彼女は廊下で出会いがしらに人とぶつかってしまい、床へ転がってしまう。

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 なぜ自分はいつもこうなんだと自己嫌悪しながら彼女は顔を上げる。そこには今までの人生で最も会いたくない相手である箕輪勢一がいた。

 

「おやぁ、そんなに急いでどこへ行く気だ、ん?」

 

「や、やめて……」

 

 佐倉の頭の中では特別棟での酷い出来事が鮮明に思い出され、顔は青ざめて身体が震える。尋常でない彼女の様子を見ていた綾小路は急いで彼女の元へ駆け寄ると箕輪の視線から遮るように彼女を自分の背に隠しながら立ち(ふさ)がった。櫛田もそばへと寄っていく。

 

「あのね、箕輪くん。佐倉さん急いでて、わざとじゃないから許してあげて欲しいの」

 

 そう申し訳なさそうに声をかける櫛田のほうへ反応することなく箕輪は綾小路を興味深げに見ていた。

 

「誰かと思えば綾小路クンじゃないか。どうしたぁそんなに慌てて。別に取って食ったりするつもりはないんだけどねぇ」

 

「いや、そういうふうに思っていたわけじゃないんだが……不快に思わせたならすまない」

 

 そう言いながら綾小路はチラリと後ろの佐倉を窺う。箕輪との間に壁ができたことにより、彼女は幾分か落ち着きを取り戻しているようであった。佐倉の様子を確認し終えた綾小路は目の前の相手に向き直る。

 

「彼女も色々あって混乱してたんだ。ぶつかったことは代わりに謝罪する」

 

「ひひ……別に構わねぇよ。もう貰うもんはもらってる。卒業までポイント頼むぜぇ」

 

 箕輪は綾小路の肩を軽く叩くとそのまま通り過ぎる。綾小路は叩かれた肩に違和感を覚えながらも声をかけることなく、その姿が消えるまで静かに眺めていた。

 

「あ、あの……」

 

 佐倉が呼びかける声で彼女の存在を思い出した綾小路はそちらへと振り返る。しかし、佐倉は何か言いたそうにもじもじとしたまま口を開かない。その様子にハッと気づいた綾小路。

 

「悪い、名前わからないよな。綾小路だ」

 

「綾小路くん……ありがとう……ございました。櫛田さんも……」

 

 ペコリと綾小路に向かってぎこちなくお辞儀をした佐倉は櫛田にも同じようにする。

 

「私にお礼はいらないよ、佐倉さん。全部綾小路くんのおかげだし、そもそも急に私が話しかけちゃったから起こったことだし、ね」

 

 少しだけ悔しそうに櫛田は落胆する。それを見ていた佐倉はふるふると否定するように首を振った。

 

「違います……不注意だったのは……私ですから……」

 

 床に落ちていた鞄を拾うと佐倉はさよならと言って、背を向ける。その彼女の背中に向かって綾小路は声をかけた。

 

「佐倉、その……何か困ったことがあれば遠慮なく相談してくれ。どこまで力になれるかわからないが手を貸す」

 

 綾小路のどこか不器用さを感じさせるも力強く思いやりのこもった言葉によって、佐倉は恐怖で硬く凍てつき闇に覆われていた心へ陽が差したような心地の良い温かさを感じていた。

 背を向けたまま顔だけを覗かせた佐倉はおそるおそる綾小路と目を合わせる。彼の眼差しからは嫌な気配が全くなく、波紋一つない水面(みなも)のような静謐(せいひつ)さが感じられた。少しの時が経ち、男性と見つめ合っている状況に気づいた佐倉は一人であわてふためき、真っ赤な顔を隠すようにして俯きながら答える。

 

「その時は……よろしくお願いします……綾小路くん」

 

 佐倉はそれだけ告げると逃げるように駆けていった。それをしばらく見送っていた綾小路は黙り込んでいる櫛田の様子がふと気になり、顔を向ける。それに気づいた櫛田はニッコリとした表情で笑みを見せた。

 

「すごいね、綾小路くんは。私を無視した箕輪くんとも普通に話してるし、佐倉さんも説得しちゃったしね。私必要なかったかな」

 

 彼女の笑顔とは裏腹に言葉の端々から黒い負のような何かが(にじ)み出ていることを感じ取った綾小路は即座にフォローする。

 

「そんなことはない。櫛田が話しかけてくれなければここまで上手くいかなかった。佐倉も櫛田がこの場にいてくれて救われた部分はあるはずだ」

 

「……ふぅ~ん、慰めてくれてるんだ? ありがと」

 

 疑うような、そして面白がるような声で感謝を述べた櫛田は蠱惑(こわく)的な眼差しで綾小路を見つめる。心臓に悪いなと思いながらも嫌な気になれない綾小路はこれが男子を手玉に取る武器の一つかと一人納得していた。

 

「綾小路くんはさ、箕輪くんが言ってたことどう思う?」

 

「……さぁな。俺にもよくわからない」

 

 箕輪の言葉に疑問を持った櫛田の問いかけを綾小路は無難にかわす。その彼の様子をじっと見ていた櫛田は期待しているような回答を得られず、さっと身を翻して教室へ自分の荷物を取りに行き、バイバイと手を振って廊下の先の方へと消えていった。

 

 静かになった廊下で一人佇む綾小路。さきほど、櫛田は綾小路の感謝を慰めと捉えていたが、彼は単におべっかを使ったわけではなく本当に感謝していたのだ。偶然にも佐倉の信用を得ることと、箕輪に対する彼女の反応を直接見ること、この二つの成果を一度の機会で手に入れたことを。

 

 綾小路は教室に戻り、荷物をまとめながら先の箕輪の発言を思い返していた。”貰うものはもらってる” これは策略が上手くいったこと、つまりCクラスの生徒によって誘発された須藤の暴行のことを暗に(ほの)めかしているのか。そして、”卒業までポイントを頼む” まるでCクラスの条件をDクラスが飲むことをわかっているかのような発言。状況を見ればDクラスが負けることはほぼ決まっている。しかし条件を飲むかどうかは別の問題で、ポイントをCクラスに搾取され続けることを拒否する可能性だってあるのだ。

 

 いや、そうではないと綾小路はその考えをすぐに否定した。Cクラスの条件によって減ってしまうとはいえ、一度目の前でぶら下げられたポイントを拒否できる人間はどれだけいるだろうか? これまで2か月以上の強制的な我慢を強いられ、クラスポイント獲得という明確なゴールの見えないままこの先で頑張れる人間はそういない。Cクラスの条件を飲みさえすれば、Aクラスへ上がるためのクラスポイントはとりあえず手に入る。そして、プライベートポイントをお小遣いとしてしか捉えていないDクラスの面々を考えれば8700のうち40%搾取された後の5000ポイントでも十分だと考える可能性は高い。

 

 それに、Cクラスの開催したイベント以降、少しだけ羽振りが良くなったDクラスの女子。おそらくはそのイベントでポイントを手に入れたのだろう。CクラスがDクラスを狙い打ち、あえてポイントを獲得させたことも考えられた。ポイントの味を思い出した女子が果たしてCクラスの条件を拒否して今後も我慢生活をよしとできるだろうか。

 

 どうやらCクラスの黒幕は相当に性格が悪いらしいなと綾小路は推測する。そして、その黒幕についても今までのCクラスの行動からある程度当たりをつけていた。手押し相撲イベントのときに行われていたポイントの貸付。そこで貰った怪しい借用書には貸主として龍園翔という名前が記載されていた。発案者でなければ使いこなせないような権利が付与されている借用書の貸主に発案者以外を()えることはしないはず。そして、今回の件とどこか陰険な立ち回りが似通っているのでおそらく龍園というCクラスの生徒が同じ発案者だ。その生徒が一週間後の話し合いの場に出てくるかどうかはわからないが、念のためにどういう人物か少し探る必要があるのかもしれない。

 

 考えることが多いなと綾小路は疲れたように溜息をつく。まだ須藤を切り捨てるかどうかも決まっていないので、彼はとりあえず条件を飲む方向で考える。どうやってCクラスに譲歩を引き出すか、綾小路は教室を出て帰路につきながら冷静に思索に(ふけ)るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路が佐倉と接触し、攻略の糸口を探っていたのと同じ頃、学校の敷地内に存在する自然と人工的な施設が共存したような公園に堀北と須藤の姿が見えた。生い茂った緑が幾分か遮ってくれているとはいえ夏真っ盛りの照りつけてくる日差しはきつく、部活動を行っている時間帯でもあり、公園は閑散としている。

 本来なら須藤も部活動へ参加している時間だが、怪我で二週間休む予定になっていた。そして、彼の置かれている状況次第では二学期まで伸びてしまうことになる。

 黙ってベンチに座っている須藤へ堀北は近づくと冷たい水の入ったペットボトルを彼に差し出す。堀北がそんなことをするとは想像もできなかった須藤はキョトンとした表情を緩め、それを受け取った。

 

「……サンキュー、堀北。ありがたくもらうぜ」

 

「ここであなたに熱中症で倒れられても困るから渡した、それだけよ。それに、この場所を指定したのは私だから」

 

 この場所を堀北が選んだのは人が少ないほうが須藤も話しやすくなるだろうという意図があってのもの。それ以外に他意はないのだが、須藤は手渡された物を素直に感謝しているようであった。

 

「相変わらずつれねぇーのな。……でも、他の奴らよりお前だけは信用できる」

 

 須藤は教室でのクラスメイトたちによる罵詈雑言を思い返していた。事情を何も知らない奴らが殴った場面だけを見て、知ったふうな口を利くことが我慢ならないようで拳を力強く握りしめる。その様子を見ていた堀北は呆れたように息を吐くと単刀直入に話を切り出す。

 

「それで、何があったのかしら須藤くん。その酷い顔と教室での出来事は関係があるみたいだけれど」

 

 何となくトラブルの関係性を予想できていた堀北はそう問いかけるが、須藤は口を一文字に結んだまま動かさない。

 

「もし、やられたことが格好悪いとか考えているのなら今更よ。あなたの顔を見れば手酷くやれらたことなんて想像つくから」

 

 開き直れるように助け舟を出したつもりの堀北だが、その言葉は配慮のない手厳しいものであった。ややあって須藤は重い口を開く。

 

「そうじゃねぇんだ。ただ怖ぇんだよ、あいつが。名前出しちまったら……報復されんじゃねぇかって」

 

「箕輪くんのことね」

 

 確信をもったような堀北の発言に須藤は驚いた。

 

「あなたの表情を見ていればわかることだわ。気づいていないの?」

 

「……そんなビビってたのかよ、俺は」

 

「いつもは威勢の良いことばかり言っているくせに情けないわね」

 

「堀北は実際にやり合ったことがないからわかんねぇんだ。あいつは今まで会ったどんな奴より強ぇ。強ぇなんて言葉じゃ足りないくらいにな。……一瞬だけどよ、殺されちまうかと思った」

 

 膝の上で握りしめられた須藤の拳が震える。

 

「まだ頭の中に焼き付いてやがんだ……あいつの笑った顔がよ」

 

 何かを恐れるように手のひらで顔を覆い隠す須藤。負けず嫌いで自信満々なはずの彼が一人の人間に恐れを抱いて苦しみ囚われる姿を目にした堀北はなぜか自分の影が一瞬重なったように見えた。そのイメージを否定するように彼女はかたく目を(つぶ)る。

 そんな堀北を余所目にいつもとは違って覇気のない弱々しい態度の須藤はポツリと語り始めた。

 

「あの日、Cクラスで同じバスケ部の小宮と近藤に特別棟へ呼び出された。あいつら俺がバスケのレギュラーに選ばれたから嫉妬してたんだよ。で、そこで待ってたら箕輪が来て……後は言わなくてもわかるだろ? そんで次の日教室で小宮と近藤が全校生徒にボコボコになった俺の顔写真を配るって言ってきやがったんだ。あいつら、俺から逃げやがった卑怯者のくせにっ……。それに我慢できなくて殴っちまった。それだけだ」

 

 須藤の事情を聞き終えた堀北は彼の思慮に欠ける行動に対し、呆れを通り越して憤りを覚えていた。

 

「本当にあなたはどうしようもないわね。写真を配って回るなんてことするわけないじゃない。それをしてしまえば須藤くんへの暴力事件に関わったという証拠を全生徒に示すことになるのだから」

 

「んなこと言われてもな。怒りでそれどころじゃなかったしよ」

 

 言い訳にもならない自己弁護で悪びれる様子もない須藤。

 

「……それに、そもそもの話として箕輪くんに殴られたことをなぜ学校側に報告しなかったの?」

 

「だから言ったろ、報復されんじゃねぇかって。それがなくても学校側に泣きつくなんてマネはダサすぎてできねーよ」

 

 須藤は普段から喧嘩自慢を吹聴して回っていたために、負けることは兎も角としても情けなく学校に助けを求めるなど彼のプライドが到底許すはずもなかった。そんな彼に対して自省をまったく期待していなかった堀北は今後の方針を問いかける。

 

「それで、あなたはどうするの? そのまま情けなく怖がって(うずくま)ってるだけ?」

 

「……どうしろってんだよ。悪いのは先に喧嘩を吹っかけてきたあいつらだろ? 折れた鼻のせいで部活もできねぇし、口で息するから寝づらくてしかたねぇ。寝れたと思ったら、箕輪にボコられる(ひで)ぇ悪夢にうなされる。……なんで俺がこんな目に遭わないといけねぇんだ」

 

 心が黒雲に覆われていると感じられる沈んだ顔で不貞腐(ふてくさ)れる須藤に、堀北は寄り添うようなことをせず容赦ない事実を突きつける。

 

「あなたの言っていることが本当の話なら、あちらが悪いのは事実よ。でも、あなたも悪いわ、須藤くん。今回の事はあなたの普段の行いが招いたことよ。それが改善されない限り根本的な解決にはならないわ」

 

「……お前までそんなこと言うのかよ、堀北」

 

 周りから見放されてどうすればいいかわからない状況、それでも自分を肯定してほしいと救いを求めるような須藤の目を見た堀北。その時、彼女は彼に対して再びあるイメージを無意識に重ねてしまった。己の存在を認めてくれない兄に情けなく(すが)る自分の姿を。そのイメージは彼女の心の深い部分に堆積している黒く醜い沈殿物を揺さぶり、表層の意識へと広く浮き上がらせる。そんな心の動きに不快感を覚えて嫌悪した堀北は須藤から視線を逸らして背を向けた。

 

「笑わせないで。わたしはあなたから事情を聞くために呼び出しただけ、慰めるためじゃないわ。反省している様子もないようだし、もうこれ以上話すことはないようね。……さようなら」

 

「おい待てって。助けてくれねーのかよ、堀北」

 

 須藤の呼び止めを堀北は無視し、この場から一刻も早く立ち去りたいかのように早足で公園の出口へ向かう。

 

「仲間じゃねーのかよっ! 堀北っ、堀北っ!」

 

 須藤の必死の声も虚しく彼女の姿は遠くの方へ消えてしまった。

 

「なんなんだよ……くっそぉぉぉおおお! 

 

 怒りと悲しみが混じり合った須藤の咆哮は周りの木々から降るように鳴き続ける蝉の声へまぎれ、かき消えてしまった。

 

 




お話がDクラスメインになってしまいましたね。次の話では龍園と箕輪出てきますのでご安心を。





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