怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

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皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

最終投稿日が昨年の9月と、かなりの時間が空いてしまったことをお詫びいたします。
本来は謀略編を完成させて一気に数話投稿する予定でしたが、生存報告の意味で8話を投稿します。


8話

 未明頃から降り出したパラパラ雨の雫が音をたてて窓を打つ。雨足の強さはそれほどでもないが、当分は降りやみそうもないしつこさを予感させる。雨音以外は何も存在していない閉め切られた暗い部屋の片隅で佐倉愛理は布団にくるまっていた。彼女の頭の中では数日前の出来事が鮮明な映像として繰り返し流れている。暮れなずむ中でひっそりとする特別棟。顔から血を流し倒れる須藤。黒い笑みを浮かべる箕輪。

 佐倉は特別棟と教室での事件が関連していることを知らない。自らの告発が須藤を救う一助につながるのを理解していない。ひとえに彼女が苦しんでいるのはクラスメイトが被害を受けた暴力沙汰を自分の中にしまっておくことへの罪悪感だ。

 では、なぜ彼女は事件を明らかにしないのか。理由は3つある。

 

 1つ目は目立つことを嫌い、避けてしまう彼女の引っ込み思案な性質。事件を公表するとなると矢面に立たざるをえなくなり、衆目にさらされる可能性が高い。

 

 2つ目は写真という決定的な証拠の隠滅。部屋に置かれている棚の上には購入時の面影もない破壊されたカメラの残骸がある。

 

 3つ目は箕輪への恐怖。異性からはじめて受けた暴力という衝撃にうちのめされ、佐倉の心はいまだ少しも立ち直っていない。もしも事件を表沙汰にしようものなら、ただでは済まないはず。彼女がそう考えることは自然な思考の流れだ。

 

 秘匿すれば罪悪感が、つまびらかにすれば恐怖が。佐倉の中で生み出される葛藤は日増しに大きくなり、のどをしめあげていく。このことだけでも身と心は随分とすさんでいくが、彼女はもうひとつ別の問題をかかえていた。部屋の真ん中に位置する机の上には手紙の入った封筒の束が無造作に積まれている。自分では対処しようのないふたつの問題で気が狂いそうになる佐倉は我知らずに顔を上げると、夢遊病者のようにゆっくりと室内を見廻し始めた。救い主を捜し求めて視線を隅々まで這わせる。

 

 誰かがいるはずもなかった。

 

 目の前には暗澹(あんたん)たる闇が広がるのみで彼女の期待に応えることはない。東京都高度育成高等学校は全寮制であり、敷地外への外出禁止であり、外部との連絡は禁止となっている。したがって両親に相談することは不可能。秘密を打ち明けるような友人もいない。ここ何日かで何度目になるかわからない絶望的な寂寥(せきりょう)感が彼女に襲いかかり、大きな水晶のような目からは熱を持った雫が垂れてきた。

 

 ──誰か助けて

 

 そんな思いが胸中を支配する中、佐倉の脳裏には不意にある男の背中が映る。男はクラスの中でも目立つような存在ではなく、積極性に欠け、どちらかと言えば彼女と同類だろう。名前すら覚えてはいなかった。だからこそ、その男が自分の窮地に颯爽と現れたことが佐倉にとっては理解しがたく、同時に鮮烈だったのだ。奇異に映った男の行動を彼女は疑った。何かしら下心あってのことではないかと。しかし、佐倉の予想に反して彼の澄んだ瞳には何の(けが)れもなかった。この人なら大丈夫、自然とそう思えるほどに。

 

「……綾小路くん」

 

 頬につたう涙を拭いながら、閉ざされた救いの道を照らす一筋の光明となるよう願いを込めて彼女はつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誘惑という言葉がある。

 辞書を引くと、人の心を迷わせて悪い道に誘いこむこと、と記載されており、あまり良いイメージの言葉とは言えない。だが残念なことに、この世界は誘惑で動いてきた。

 

 ベルリンの壁が崩壊したのは西洋諸国の物質的な豊かさをテレビで目の当たりにした人々が誘惑され、現状に不満を抱いたからだ。

 

 悪徳商法が蔓延(はびこ)り、いまだになくならないのは人々の潜在的な欲望を刺激し、誘惑の魔力で目を(くら)ませるからだ。

 

 商品が機能性よりもデザインや個性で売れるのは人々の感性に訴えかけ、本来の商品価値とは別に新たな付加価値を過大に創造して誘惑するからだ。

 

 ヒトラーが指導者として君臨できたのは人々の願望を部分的に実現して夢を見せることで巧みに誘惑し、民意を誘導したからだ。

 

 テクノロジーが発達した豊かな現代では、ひと昔前の人間が想像もしなかった様々な欲が生み出され、多種多様な誘惑がその欲を解放せんと手ぐすねを引いて待ち構えている。そして現在、綾小路の目の前にも誘惑によって突き動かされている人間がいた。

 

「デュフッ、デュグッ、良いでござるよ~」

 

 真顔で不穏な声を漏らしている彼の名前は外村秀雄。小太りの眼鏡をかけた男で、Dクラスの男子からは”博士”と呼ばれ親しまれている。外見からイメージされるのはいわゆる”オタク”であり、中身も外見どおりのもの。歴史や機械に詳しいといった一面を持つ。

 Dクラスの猶予期間4日目。明け方まで降っていた雨は今朝には止み、登校する生徒たちの足運びも自然と軽やかになる。真剣な表情の外村は寮から学校へ続く道を歩いている生徒たちにカメラを向けていた。よくある何気ない学校風景ではあるが、3年という限られた学校生活の一部を記憶だけでなく、記録として残す。そういうことなら一般常識に照らし合わせて理解できなくもないと綾小路は思った。しかし、ありのままの風景を撮っているにしてはカメラの向いている先が女性に偏っており、なおかつ下方向ばかりというのはどうだろう。外村の(よこしま)な欲がありありと見てとれる。

 彼の様子をしばらくうかがっていた綾小路はあることに気づいた。外村の不審な行動を(とが)める者が一向に現れないのだ。見て見ぬふりなのか、本来ならあってはならない状況。

 

 ──善人の無作為こそが、悪を栄えさせる

 

 英国の思想家エドマンド・バークの言葉が綾小路の中で思い起こされるが、それは少々おおげさだと思い直す。彼は違和感のある状況を憶測ではあるものの、こう結論付けた。外村の姿が悪びれもせず、あまりに堂々としているものだから逆に人間心理の意表をつき、疑いの目を逸らしているのだろうと。狙ってやっているとすれば大したものだ。ある意味で感心する綾小路ではあったが、それでも誰何(すいか)する者が今後出てこないという保障はない。そんなときに外村はどう対処するのだろうか。興味の湧いた綾小路は無意識のうちに彼へと近づき、挨拶を交わしていた。

 

「おはよう、外村」

 

「おお、これは綾小路殿、おはようでござるな」

 

 不法行為を行っているとは思えない生き生きとした声色の外村。

 

「朝早くからこんなところで何をやってるんだ?」

 

「見ての通り、崇高な芸術活動に勤しんでいるでござるよ」

 

「さっきから見てると女生徒ばかり撮っているようだが……大丈夫なのか?」

 

「……フフ、よくぞ見破った。拙者としては被写体を特定されぬよう自然に振る舞っていたつもりでござったが、中々の観察眼であるな綾小路殿? 普段の昼行灯(ひるあんどん)ぶりは世を忍ぶためであったか」

 

 おそらく彼は自分の中で生み出したキャラクター設定を演じているのだろうが、偶然にせよ綾小路の本質に即した発言は警戒せざるをえない。人間、耳にした偶然の発言から違う角度で思考が始まることもあるからだ。外村と話すときは多少の注意が必要だと綾小路は思った。あと、人様に昼行灯と言うのは大変失礼なことである。

 

「いや、バレバレだったぞ。声をかけられたらどうするつもりだったんだ?」

 

「グフフ、ご安心めされい。拙者、機械に多少詳しいでござるからして細工を少々」

 

 そう言いながら外村がカメラから取り出したのはデータを保存するためのSDカード。

 

「綾小路殿には何の変哲もないSDカードに見えるでござろうが、実はある機能がついた優れものですぞ。綾小路殿には何かわかりますかな?」

 

「……無線機能か」

 

「なんとっ、これはご明察。まさか、綾小路殿も?」

 

「やめてくれ。知識として知っているだけだ」

 

 同好の士だと思われてはたまらない綾小路は一考の余地も生まれないよう即座に否定した。

 

「本来であれば無線機能がついたカメラを買えばよいでござるが、高いポイントを代償とせねばならぬので、こちらを代用しているというわけでござる」

 

 見た目ではわからないが、小さなカードに無線LANが内蔵されている。

 

「ネット環境が充実した学校の敷地内でこのカードと専用アプリを使えば、この場で撮った写真を離れた他の端末に自動転送できるというわけでござる。勿論、カード本体にデータを残したまま、バックアップとして別の端末に自動転送することも可能ですぞ。そして、拙者が設定しているのは前者。つまり、写真データが手元に残らない。女生徒の盗撮を疑われ、カメラの中身を見ようとも何も写真は残っていないのである。ま・さ・に・完全犯罪!」

 

 両手を広げ、自らの罪を高らかに告白する外村。自分の得意分野にこれだけ頭を回せるなら同じくらい勉強を頑張ればいいのではと思うが、そううまくいかないのが人間。彼はバスケ一直線の須藤と同じタイプのようだ。

 

「おーい」

 

 遠くから声がする。綾小路が視線を移すとこちらに駆けてくる少女がいた。

 

「おはよう、綾小路くん。早いんだね」

 

 綺麗な長い髪をたなびかせ、元気に朝の挨拶を交わすのは一之瀬。いつもは周りに友人が絶えないが、今日はめずらしく一人での登校らしい。

 

「おはよう、一之瀬。今日はなんとなく早く目が覚めてな。普段はもう少し遅いぞ」

 

「あはは。なんか綾小路くんらしいね。えっと、それから──」

 

 そう言いながら一之瀬は外村に目をやった。

 

「たしか君は……外村くんだよね? おはよう」

 

「お、おはようでござる。まさか、拙者の名をご存知とは」

 

「できるだけ同じ学年の生徒の名前は覚えておくようにしてるからね」

 

 細やかな気遣いや配慮、そういったものの積み重ねが一之瀬の人徳につながっているのだろう。感動に打ち震える外村の様子が物語っている。彼の喜びように大したことはしていないと恐縮ぎみな一之瀬は外村が片手に持っているカメラに気づいた。

 

「外村くんは写真を撮ってたの?」

 

「そうみたいだな。ずいぶんと熱心に撮ってたぞ」

 

 綾小路は外村の完全犯罪を試すためにこの絶好の機会を利用する。クラスメイトの思いがけない裏切りに、ぎょっとする外村は何かを伝えようと目配せをするも綾小路は無視した。

 

「どんな写真撮ったのか見せてもらえない?」

 

「えっと、それはその……」

 

 先ほど外村が綾小路に説明したとおり、カメラに写真のデータは残っていない。しかし、撮っていたはずの写真がカメラにないというのは一之瀬にどういう印象を与えるのか。明らかに不審がられるだろう。写真をパソコンで編集するために無線で自動転送してデータ移動の手間を省いているから無いのだと言えば、なんとか取り繕えるかもしれない。だが、外村は言葉を紡げない。一之瀬という麗しい少女を前に彼の情報処理能力は著しく低下していたのだ。

 

「いいよ、いいよ、無理しないで。見せたくないことだってあるもんね」

 

「いや、外村、遠慮する必要はない。一之瀬は(けな)したりするような人間じゃないからな」

 

「貶すなんてとんでもないよ。私は誰かの写真を評価できるほど芸術に造詣(ぞうけい)が深いわけでもないから。それに──」

 

 言葉を切った一之瀬は通学路のほうへ顔を向け、微笑を浮かべる。

 

「写真を撮りたくなる外村くんの気持ちもわかるんだよね。だってさ、考えてもみてよ。人類の長い歴史の中で、80億人もいる世界の中で、同じ時代に同じ場所で過ごす。何かが少しでも違っていれば出会うことはなかった。人と人との出会いって当たり前なんかじゃなくて、奇跡なんだって思うと、今のこの一瞬を写真にしたいって思えるもんね」

 

 咲いた花のよう、そんな表現が陳腐になるほど一之瀬の笑顔は美しかった。まばゆい後光が差していると感じられる彼女の存在は外村に自らの行いがどれほど卑小であったかを痛烈に実感させる。下種な欲望への後ろめたさが彼の胸中を支配していた。

 

「もちろん、綾小路くんと外村くんに会えたことも私にとっての奇跡だよ」

 

 この言葉がとどめとなった。

 

「すみませんでしたあああああ出来心だったんですううううう!」

 

 突如、罪の意識に耐えられなくなった外村は特徴的な武士語を忘れて標準語で叫びながら、脇目も振らず逃げ出した。去り行く彼の後ろ姿を呆然と見つめる一之瀬となんとなく結末を予想していた綾小路は立ちつくす。

 

「ありゃりゃ、行っちゃった。追いつめるつもりはなかったんだけど」

 

 一之瀬の発言は外村がなぜ逃げたのかという疑問ではなく、彼の行いを察知しているものだった。そのことに疑問をもった綾小路は彼女へ問う。

 

「外村が何をしていたのか一之瀬はわかってたのか?」

 

「うん、なんとなくだけどね。外村くんがわたしに写真を見せたがらないし、綾小路くんへの反応もおかしかったから。外村くんには自分の中で改心してほしかったんだけど、やりすぎちゃったかな?」

 

 外村が一之瀬の登場に動揺して挙動不審だったとはいえ、どういう写真を撮っていたかに当たりをつける彼女の感覚は鋭いといって良いのかもしれない。

 

「いや、ちょうどいい薬になるんじゃないか? 良薬は口に苦いと言うからな」

 

「……うーん、そうだといいけど。綾小路くん、できれば彼のフォローお願いできないかな? 厚かましい頼みごとだと思うけど、クラスが違う私だと見てあげられないから」

 

 視線を外村が去った方向へと固定したまま、あきらかに心配そうな様子を見せる一之瀬。他クラスの生徒にまで心を砕く姿は聖母マリアと言っても過言ではないだろう。とりあえず彼女を安心させるために綾小路はフォローすることを肯定する。

 

「一之瀬が心配と言うなら一応見ておこう。たぶん大丈夫だと思うけどな」

 

 むしろ、外村は1、2週間もすればまた同じことをやっていそうな気さえする。時間というのは優しくも残酷に記憶を薄れさせていくのだ。

 そんなことよりも綾小路が気になったのは一之瀬の説得方法。事実を指摘して悪人だと糾弾するよりも、善人として相手を信じることのほうが心に響く場合があるというのを目の前で見せられた。ほんの少しでも後ろめたさを感じている人間には効果的なのかもしれない。

 

「それにしても流石は一之瀬だな。ああいう説得の仕方があるのか。俺には真似できないな」

 

「説得っていうよりも信じてただけだよ。人間だし、多感な時期だから色々とあるかもしれないけど、それでも心の中に他人を思いやれるものがあるって。素直に自分の気持ちをぶつけたから外村くんも理解してくれたんだと思う」

 

 そう言った一之瀬の横顔にはどこか憂鬱そうな影があった。その様子を不思議に思う綾小路は彼女を眺める。彼の視線に気づいた一之瀬はなぜか少しだけ、ばつがわるそうな顔をしていたが、すぐに消えた。そして、嬉しそうに綾小路の顔をじぃっとのぞく。

 

「取りつくろったり、嘘を言うんじゃなくて、真摯に相手と向き合うのが大事だって綾小路くんが教えてくれたことだよ?」

 

 一之瀬が言っているのはクラスメイトの白波に告白され、綾小路を偽の彼氏として断ろうとしていたときのことだ。一之瀬なりに相手のことを考えて心情に配慮した方法のつもりだったが、綾小路はそれが間違いであると諭した。本気の想いには、嘘偽りのない正直な気持ちでこたえたほうがいいと。

 

「そうだったな。今回は一之瀬に教えられたよ」

 

「あはは、どういたしまして、かな? ……なんか、こういうのっていいね。クラスが違っても教わり合う関係みたいなの」

 

 二人の間にはなごやかな空気が流れていた。これが青春というものだろうか。綾小路は自分のクラスでは決して味わえない貴重な経験をかみしめる。

 

「あっ、そうだ」

 

 思い出したように声をあげる一之瀬。

 

「綾小路くんは今日のお昼休み時間あるかな?」

 

「全然問題ないが、どうかしたのか?」

 

「須藤くんの件で力になってくれそうな人に声をかけておいたんだよね。神崎くんっていうんだけど、その神崎くんを交えて話をすれば何か良い案が浮かぶんじゃないかなーって」

 

「一之瀬がそこまで推すということはかなり有能で信頼できる人物ってことか」

 

「うん、私なんかよりも全然すごいよ。だから堀北さんも呼んで4人会議をやろうと思って。どうかな?」

 

「わかった。堀北にも話を通しておく」

 

「ありがとう、綾小路くん」

 

「いや、礼を言うのはこちら側だ。他クラスのことなのにここまでしてもらってるんだからな」

 

「困ってるときはお互い様だよ」

 

 お礼を言うのは事件解決に協力してもらっているDクラス側だというのに、あくまで謙遜する一之瀬。バファリンという解熱鎮痛剤の半分は優しさでできているらしいが、彼女はそれ以上だ。

 

「あっ、もうこんな時間」

 

 取り出した携帯端末で時刻を確認した一之瀬は時間の経つ早さに驚いた。

 

「遅れるといけないから学校行こっか、綾小路くん」

 

「お、おう」

 

 BクラスとDクラスのささやかな合同会議は果たして実りあるものとなるのか。綾小路は神崎という存在が何をもたらすのかを期待し、一之瀬は良い未来を待ち望む。それぞれの思いを胸に二人は一緒に学校へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ないが、期待に応えることはできそうもない」

 

 対面に座っている綾小路と堀北にそう告げたのは涼しげな切れ長の瞳が印象的な男、神崎隆二だ。彼は一之瀬と同じBクラスに所属している。

 現在、彼らがいるのはお昼時で混み合う食堂。一之瀬の紹介で来た神崎は初対面である綾小路と堀北との挨拶を手短に済ませ、さっそく本題へと入っていた。まだほとんど話をしていないというのに、いきなり否定的な結論に入った彼に対して堀北は眉間にしわを寄せて苛立ちを(あら)わにする。

 

「私は話し合いだと聞いていたけれど、どういうことかしら?」

 

「驚かせてしまったか。すまない、気を悪くしないでくれ。だが、時間は限られている。無為に話を重ねて時間を浪費するのはお互いに得をしないと判断した」

 

 Dクラスに残されている猶予はあと4日間。そして、昼休みは1時間。決められることは決めて素早く行動に移せる状態にしないと遅きに失してしまう可能性もある。神崎が言うことはもっともだった。心配そうに見つめる一之瀬と表情の変化に(とぼ)しい綾小路をよそに、堀北は神崎へ理由をたずねる。

 

「あなたが何もできないと考える理由を説明してもらってもいいかしら。説明できないのなら私の中であなたを能力のない人物として決定することになるわ」

 

 彼女の言葉を横で聞いていた綾小路は、じゃあ何の対抗手段も思いつかないお前はどうなるんだ、と思ったが、口には出さない。自分がDクラスに所属していることを何かの間違いだと未だに思っているあたり堀北という人間は相当にプライドが高く、他人を見下す傾向がある。ゆえに、自分よりも上のクラスに所属している相手に対して無意識のうちに対抗心を持っていて、それが言葉の(とげ)につながっているのかもしれない。

 頼んでいる側としては失礼な堀北の言い方に何ら気分を害したような素振りを見せない神崎は冷静に回答する。

 

「色々と考えた結果、その中で手間がかからずに最も実行できそうな手段は校内の踊り場にある掲示板や学校のホームページにあるネットの掲示板を利用して有力な情報を集めるという方法だ。特別棟での目撃情報や箕輪に関する過去の素行情報などを期待して行うものだが……おそらくあまり意味をなさないだろう」

 

 大人しく話を聞いている堀北を視界に入れながら神崎は話を続ける。

 

「どれだけ情報を集めたとしても状況証拠にしかならないからだ。放課後には人の出入りがほとんどない特別棟が犯行現場だということを加味しても、建物の周囲で目撃したからといって箕輪が須藤を暴行したと証明するのは難しいだろう。あとは目撃情報にどれだけの価値があるのかも疑問だ。利益相反が生じない不特定多数が目にしているなら効果はあるだろうが、一人二人なら大した意味はないだろう。もちろん、ないよりはあったほうがいいとは思う」

 

 神崎の考案した手段は彼の説明によると、あまり効果的ではないらしい。しかし、手間もかからないならやってみてもいいのではないか、そう考えた堀北が口を挟んだ。

 

「効果が薄いにしても、やってみる分に損はないんじゃないかしら?」

 

「たしかにそう考えることもできる。だが、須藤が暴力を振るった決定的な証拠に対抗できるほどのものが得られるとは思えないし、仮に俺が決定的な証拠を持っている第三者ならDクラスに情報を渡すのではなく、Cクラスと交渉する。そのほうがポイントを大きく手に入れられる可能性が高いからだ。つまり、有力な情報を大々的に募集することはそれだけDクラスが逼迫(ひっぱく)しているということを多くの者に喧伝(けんでん)することになり、機に(さと)い者なら利益を得られる機会だと捉えるだろう。そうなってしまうと利に走る個人に場をかき乱されることになるぞ。それがかえってDクラスの利益になる場合もあるが、逆も考えられる。別にDクラスがそれでも構わないのなら止めはしないが、まだ完全に行きづまったわけでもないだろう?」

 

 名前を伏せていたが、事件の鍵を握っているかもしれない存在がDクラスにいることは一之瀬に明かしてある。神崎は彼女から話を聞いていたのだろう。そして、彼は混乱した状況が残された手段に悪影響を与えないか危惧しているのだ。

 神崎の言う通り、鍵を握っている人物である佐倉愛理のことを考えれば、やり方には不安が残る。もしも、多くの生徒たちを巻き込んで思惑が錯綜(さくそう)するようになれば、彼女が引っ込んでしまうかもしれない。そうなると、佐倉から話を聞ける機会は二度と訪れなくなる可能性がある。

 綾小路は横目で堀北を見た。テーブルに目を落としながら彼女は考えている。迷うのも無理はない。このまま頼りない佐倉に期待していて事態が良くなるのかと。だが、彼女に目をつけたのは堀北自身だ。それを否定するということは自分の見る目を否定することにつながる。

 ふと、自分に向けられた視線を感じた堀北は綾小路を見やる。何を考えているのかわからない彼の顔を数秒見てから、堀北は前を向いた。

 

「そうね、やめておいたほうがいいのかもしれない。まだ残された手段があるから。非常に不満ではあるけれど、あとは担当者に任せることにするわ」

 

 混乱にチャンスを見出すよりも、綾小路の不確かな能力に賭けることを彼女は選んだらしい。いや、責任を押しつけると言ったほうが正しいのかもしれないが。4人の会議でわかったことはこれといって良い解決方法が存在しないということだけ。話し合いを提案した身として責任を感じた一之瀬は沈んだ表情で謝罪の言葉を口にする。

 

「ごめんね、二人とも期待させるようなこと言っちゃって」

 

 そう言った一之瀬は今度は神崎のほうを向く。

 

「神崎くんもごめんね。私が勝手にハードル上げるようなこと言ってたから重荷背負わせちゃって」

 

「俺のことは気にしなくていい。そこまで期待されていたというのも悪い気分ではないからな」

 

 一之瀬を配慮する言葉を口にした神崎は薄く笑みを浮かべていた。綾小路と堀北とは違い、かなりの信頼関係であることがうかがえる。

 

「あなたたちに聞きたかったんだけど、どうして素直に協力してくれるの? 協力を約束させたとはいっても、ここまで自発的に行動するなんて想定外だわ」

 

 自分の価値観に照らし合わせてみると、一之瀬や神崎の振る舞いは堀北にとって理解しがたいものに映っていた。彼女の発言に一之瀬と神崎は少しだけ顔を見合わせると、彼が頷く。どうやら神崎が疑問に返答するようだ。

 

「安心してくれ。裏があるわけじゃない。ただ、Bクラスにもメリットが存在しているというだけだ。BとCは隣り合わせのクラス。今回の件でCクラスがポイントの恩恵を得られるということはBクラスにとっては喜ばしいことじゃない。妨害する価値はある。それに、ルールに基づく競争なら望むところだが、ルール外の行いは決して許されるものではない。今後を考えれば、放置するという選択は悪手。だから、できるところまで協力しているというわけだ」

 

 神崎の言い分に一之瀬も便乗する。

 

「神崎くんの言う通りだよ。私たちには何の問題もないし、Cクラスのやり方は褒められることじゃな──」

 

 

 ──誰のやり方が褒められないって? 

 

 

 一之瀬を遮り、頭上から降り注ぐのは異論を認めないような自信に満ちた声。顔を上げると、肩先まである茶髪の髪をセンターにわけた男と笑みを浮かべる無精髭の男がいた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「龍園くんと箕輪くん……」

 

 そう呟いた一之瀬。堀北と綾小路は箕輪を見たことはあるが、龍園は知らない。自然と彼へ視線が注がれる。

 

「何やらBとDの馬鹿が群れてやがると思ったら、何のことはない。馬鹿が馬鹿話に花を咲かせてたってだけのようだな。ちょうどいい、退屈しのぎに見物してやるよ。ほら、続けろ」

 

 龍園の行動はBとDクラスへの警戒心からくる牽制ともとれるが、彼の目に浮かんだ笑みがそれを否定している。純粋にこの状況を楽しんでいるようだ。

 売り言葉に買い言葉。龍園のひどい煽りに我慢できない堀北が応戦する。

 

「そんなに私たちの話が気になるの? 随分と気が小さいのね。それに、馬鹿の馬鹿話に興味があるということはあなたもさぞかし馬鹿なんでしょう?」

 

「それは違うな。馬鹿が馬鹿をやる見世物ってのはどこへ行っても需要があるもんだ。お前にその理由がわかるか?」

 

 机に手を突き、ずいっと堀北の耳元に顔を寄せる龍園。

 

「見てると心の奥底で実感できるからだ。あぁ、自分は馬鹿じゃなくて良かった……ってな」

 

 吊り上げられた口角が何を意味しているのか、簡単に理解できる龍園の表情に堀北は嫌悪を隠さない。

 

「初対面だけど、あなたらしいと感じられる下種な思考回路だわ。理解に苦しむわね」

 

 他人を批判的に見下すことはあっても、努力を怠る自分を安心させるために見下すことはない。そんな堀北には理解しがたい考え方だろう。

 

「そんなことも理解できないようなら先が思いやられるな」

 

 そう言い捨てた龍園は寄せていた顔を引いて元の位置に戻った。

 今までの様子を見守っていた綾小路は黙っている箕輪へ視線を移す。不気味な笑みを浮かべたまま介入する素振りがない彼のありようはまさしく他人事のようであった。それを気に食わないと思った堀北が今度は箕輪へとかみつく。

 

「それにしても、さっきから突っ立ったままニヤついているあなたは何なの? 須藤くんに暴力を振るった張本人のくせして随分とふてぶてしいわね」

 

 彼女の鋭い言葉が箕輪へ向けて放たれたが、彼は表情を変えずに少しも動かない。その状態が数秒つづき、意味が分からないと思った堀北は何の反応もない箕輪を胡乱(うろん)そうに見つめる。

 

「……え~とぉ」

 

 何を思い立ったのか、突然話し始める箕輪。

 

「何だってぇー、堀北クン。え、須藤クンに暴力を振るった? 振るわれたのはうちのクラスだってのに酷いねぇ」

 

 ポケットに手を入れたまま背中を丸め、顔を前に突き出すような姿勢で彼は堀北を否定する。

 

「違うぞぉ~。君は騙されているんだ堀北クン。本当の悪者は須藤クンなんだよ。あのバスケットマンは君のことが好きで好きで、振り向いて欲しいがために嘘をついているんだぁ。同情できるようなことで気を引いてぇ、君の善意を狡猾に悪用しようとしている」

 

 箕輪の乾いた薄い唇が耳元にまで達してしまうと思えるほど裂けていく。

 

「気をつけろぉ~」

 

 そう言いながら彼は堀北の顔へと手を伸ばす。彼女に危害を加えるつもりなのか、その魔手はぐんぐんと伸びていく。黙って見ていられなくなった一之瀬が席を立とうとテーブルに手をついたとき、それよりも速く動く影があった。

 

 ──パァンッ

 

 神崎が箕輪の手を弾いていた。席を立った彼は龍園と箕輪の両方を視界に入れながら睨みつける。

 

「龍園、箕輪。お前たちは本当に醜いな。人を蔑み、騙し、陥れようとする。いずれ必ず自らの行いに対する報いを受けることになるだろう」

 

 神崎の言葉を受けた龍園は目を剥き、続いて、くつくつと喉の奥が鳴った。途中から下を向いて(こら)えるようにしていた彼はついに耐え切れなくなったようで大笑いし始める。

 

「こりゃ傑作だ。Bクラスには予言者だか、占い師がいたのか? 心底笑えるぜっ」

 

 ひと通り笑い倒した後、一息ついた龍園から笑みが消えた。

 

「神崎。お前が言いたいのは因果応報のことなんだろうが、そんなものは自分で何もせず祈ることしか能のない負け犬の言葉だ。世の中そんなに綺麗じゃねぇんだよ。悪人が平気でのさばり、天寿を全うするなんてことは珍しくもない。お前の言う通りの世界なら人間を縛るものは何一つ必要ねぇなぁ」

 

 龍園の言っていることは間違いではない。悪いことをした人物すべてに天罰のようなものが必ず下るわけではないからだ。しかし、出来事というものは良くも悪くも何らかの原因と結果で構成されるもの。悪意を振りまけば振りまくほど、敵意を持った人間は増えていく。そうなれば、報復を受ける可能性もおのずと高まっていくことになる。神崎の言い分も極端なだけで部分的には間違っていない。

 価値観の相違。そう割り切れるほど目の前の相手に良い感情を抱いていない神崎は黙っていられないのか、抗弁する姿勢を見せるが、それを一之瀬が止める。

 

「はいっ、もうやめ! これ以上は周りに迷惑がかかっちゃうよ。龍園くんたちも初対面なのに失礼過ぎないかな? これ以上続けるようなら学校側に報告しちゃうからね」

 

「彼女の言う通りよ。このまま続けても(らち)が明かないうえに気分が悪くなるだけだわ。この二人は放っておいて、私たちは場所を移しましょう」

 

 一之瀬に便乗した形で移動を提案した堀北。それに無言で応じる神崎は席を離れ、綾小路と一之瀬も立ち上がった。席を離れた4人が龍園と箕輪の傍らを通り過ぎる。その瞬間、龍園が言葉を投げた。

 

 ──お前ら知ってるか? ここの生徒会長は能力もないのに上級生に(こび)を売ってのし上がったらしいぞ。

 

 彼の言動に勢いよく振り返った人物が一人いた。堀北だ。

 その様子を横目でうかがっていた龍園は薄く笑み、話を続ける。

 

「単なる噂だと思っていたんだが、(じか)に会う機会があってな。それで確信したぜ。あれは媚を売ることしか能のない小心者だ」

 

 拳を握りしめた堀北は怒っていると傍目にわかる雰囲気で龍園の前へつめよる。静かな怒気を放つ彼女はなかなかの迫力であったが、龍園は平然と顔を突き合わせていた。そして、彼は目の前の相手へ問う。

 

「どうした? 何を怒っている?」

 

 怒りで我を忘れていた堀北は龍園の言葉と表情にようやく自分が失態を犯したことに気付いた。唇をかみしめ、浅慮な自分の行動を恥じる彼女。佇んだまま打ちひしがれる堀北の様子を龍園は満足そうに眺めていた。

 堀北という名字。それだけで親類縁者だと断定できるほど珍しいわけではないが、”佐藤”や”田中”のようにありふれているとまではいかない。生徒会長と1年Dクラスに所属する女の共通する名字から兄妹であることに何となく当たりをつけた龍園は確認のために何かしらの反応を見るつもりで煽った。そこまで期待しているわけではなかったが、予想に反して彼女は良い反応を見せてくれた。この情報は今後何かに使えるかもしれない。

 そう思った龍園は馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、堀北に向いていた視線を切り、箕輪を連れ立って、この場を立ち去った。

 

「……堀北さん」

 

 気まずい空気の中、どのような言葉をかけたらいいのか検討がつかない一之瀬は気遣わしげに彼女の名前を呼ぶ。堀北は顔を向けることなく、自嘲の笑みを浮かべた。

 

「もうわかっているでしょうけど、生徒会長は私の兄よ。あれだけ優秀な兄に不良品であるDクラス所属の妹がいるとは想像もつかなかったでしょう?」

 

「そんなことな──」

 

「気休めはよして。Bクラスのあなたに私の惨めな気持ちがわかるはずもないわ」

 

 一之瀬を遮る堀北。励ましや慰めの言葉は時として相手を傷つけてしまうこともある。精神が不安定な状態の人に対してなら尚更だ。

 

「……ごめんなさい、醜態をさらしてしまったわね。私から場所を移す提案をしていて申し訳ないけれど、一人にさせてもらえるかしら」

 

 普段の堀北とは違い、力のない弱々しい声は懇願と言っていいほどのものがあった。彼女の胸中に渦巻くのは自分という存在の惨めさと、兄に迷惑をかけることになるかもしれないという不安。

 そんな堀北の様子に一之瀬と神崎は顔を見合わせ、綾小路へと視線で合図を送る。意を汲んだ綾小路が頷くと、彼らは静かにこの場を離れていった。

 一人残っていた綾小路は堀北を見ていたが、彼女が動く気配はない。そう判断した彼はすぐに体を方向転換させて出口へと向かう。歩きながら時間を確認した綾小路はひどく神妙な顔つきに変わった。彼の思考はある考えにとらわれていたのだ。それは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……山菜定食、食いそびれたな。

 

 

 




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