「センさん。もう起きてはりますか」
「ん...?」
7月22日。朝6時30分。千空が起きた頃には晶も彼女の布団もなくなっていた。
千空は眠い目を擦って襖の向こうの人影...、中江に声をかけた。
「なんだァ?」
「もし体調が悪くなければ、今日は朝ご飯の準備の手伝いしてもらいます」
「分かった。今行く」
千空が支度をして中江と共に台所に向かうと、既に5人ほどの若い衆(今日のご飯担当)が台所で慌しそうにしていた。
彼らは千空達の姿を見咎めるとラーメン屋みたいに大きな挨拶をした。
「「「おはようございやすっ」」」
「おはようございます」
中江がいつも通りの渋い声で挨拶を返す。
「おはよーございます」
千空も彼に倣って返事をした。
「センさんには、味噌汁を作ってもらいます」
中江がそう言った。
千空は、
「それくらいなら、ウチでもよく作ってんぞ」と返した。
実際、白夜の手伝いでご飯を作ることは何回かあった。
「そりゃ、頼もしいですわ」
中江が笑った。
「鍋に水と、細かく切った昆布を入れてください。蓋はせんでええです」
「おう」
「弱火で20分煮込みます」
鍋で煮込む間、千空は若い衆達が作るご飯を手伝うことにした。
「センは、ピーマンのわたぬきできるか?任せてもええ?」
「おー」
若い衆の1人に仕事を頼まれて、千空は指でわたを取り払っていく。子供がせっせと働く姿を見て若い衆が皆で和んでいたところに、
「センさん。もう沸騰しそうなんで、鍋の昆布を取り出してもろて」
と中江が声をかけた。
味噌汁の具材の入れ方には順番がある。火の通りにくい具材、大きめの具材は先に入れなくてはいけない。
さいの目に切った豆腐、水で戻したわかめを入れて煮立たせ、少しして火を止めた。
味噌を溶かして入れた後に再び火にかける。沸騰する直前に小口切りにした長ネギを入れる。
「こんなもんで、完成です。センさんの家の味噌汁とは違いますか?」
「味噌は同じだけど、具材はちげーわ。俺の家だと人参とか大根とか色々入れてる。あと、出汁は味の素」
「味の素は便利ですもんね。うまいし」
朝ご飯の時間になって、ぞろぞろ人が集まってきた。
「センが味噌汁作ったんや」
と一緒に厨房に立った若い衆が言うと、皆が口々に「何やいつもよりウマイな」「出汁が濃厚で風味豊か」「お前らデレデレしすぎてドン引きやで。でも味噌汁はほんまに美味しいですー」などと言ってきた。
やっぱりむさい男が作る味噌汁より、子供が自分達のために頑張って作ってくれたほうが嬉しくて美味しく感じるのが人情だ。
千空は照れ隠しと、そういう大人の気持ちなんか分からないことから、
「お前らいちいち大げさだわ。同じ分量と手順で作ってんだから誰がやっても同じだろーが」と突っ込んだ。
「そんなことないで。ナア親っさん」
若い衆の1人が、さっきまで黙って咀嚼していた晶に声をかけた。
「そうやなあ。筋がええね。ウチ料理苦手やからいっぺん教えてもらいたいわ」
「いや親っさんは料理が下手っちゅうか...」
「なんやねん」
「イヤ、さっぱりした生き様がよお表れとるええ腕前やと思います」
若い衆は命が惜しいのでマイルドに答えた。晶は料理は上手なのだが、全工程が雑なんである。玉ねぎのみじん切りが角切りになる程度に。
晶はその発言の含意に気づかず、何事か思い出したようで顔を上げた。
「そーいやセンちゃん、明日、半日空いとる?」
「...空いてっけど?」
「ちょっと出かけよ」
「おう」
きっと拒否権はないはずなので、千空は安易に頷いた。
昼には簡単な掃除を済ませ、中江による礼儀作法の時間が始まる。
「立礼には3種類あります。会釈、浅い敬礼、深い敬礼。どう使い分けると思いますか?」
「取り敢えず、会釈は挨拶だろ?」
「惜しい。挨拶は浅い敬礼、両手が膝上の中間までくるのが正解です。会釈は部屋の出入りとお茶あ運ぶときですね。また今度、お茶の運び方も練習しましょ」
千空は午後には宿題をやった。この調子であと2、3日やったら、ポスターや習字以外の宿題が終わりそうだ。
また今度、絵の具や習字セットが欲しいって言わねえと、と千空は思った。
今夜も晶は千空の部屋に寝にきた。
習字セットの話をすると、晶は「ウチの構成員に習字の師範代がおるから、呼んどくな。教えてもろたらええわ」と言った。
「そーいや明日って何処に行くんだ?」
「多分、まともなカタギが生きてて1度も行かんとこ」
「すげー行きたくねー」
千空はやっぱ安易に頷くんじゃなかった、と思った。晶がニコニコして千空を見つめる。
「折角やから社会見学しよ。ウチの側におって一言も喋らんでおったら安心やから。な」
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7月23日。6時30分になった。晶は絶対に喋るなということと、女装することを千空に命じた。
「ガキにこういう服を着せる趣味の奴らが集まる場所か?」
黒いレースのワンピース(はーと)と目深帽子を片手にげんなりする千空に、「ショタコン共と一緒にせんといてや」と晶はぷりぷりした。
「ただの変装や変装。あんたは今、千空やなくて、コードネーム・センやから」
「あっそ」
コードネームと聞くと秘密結社ごっこする子供みたいだなと千空は思った。
晶が運転する赤い車は大阪のなかの見知らぬ住宅街に向かった。
そこから黙って5分ほど歩く。
やがて、寂れた工場のような場所についた。千空が辺りをよく見てみると、見張り役の男達(シキハリ)が立っているのに気がついた。
「栗生晶です」
晶が見張りに声をかけると、見張りはドアをノックした。ノックに応じて中から扉が開いた。
千空は、一体どこに連れていかれるのか...と不安に思いながら、晶につれられて扉の先の通路を進み、突き当りの扉を開けて靴を脱ぐ。
またその先の通路を若い衆に連れられて歩いた。窓は全て内側から雑に板が打ち付けられている。軽い要塞みたいな建物だ。
突き当りの扉を開けた途端、賭博をする男達の大きな声が飛び込んできた。
「さあ張っておくんなはれ」
張り手(賭博の客)たちが、胴師(ゲームの親にあたる人)の様子を見ながら、胴師が手ぬぐいに落とした数字のカードを推測している。
「西日本やと、賭博でやるのは大抵本引きいうてな、主催者と張り手で金を取り合う。
ルールはな。胴師が1から6枚の札を持って、その1枚だけ手ぬぐいの中に落とすねん。張り手は胴師がどの番号を落としたのかを推測するんやけど、そのとき1つの番号に賭ける1枚張りから、4つの番号を選択肢として提示できる4枚張りまで選択できる。
...勿論、外す確率が高い1枚張りで番号当てたらぼろ儲けや」
晶が千空にそんな説明をしているうちに、
「「「悪うおました」」」
張り手だったヤクザの親分たちが一斉に声を上げ、金の精算をしていた。丁度1ゲームが終わったようだ。
「ほな、行こか」
晶たちはさっきゲームを終えた胴師のもとへ近づいていく。
「晶ちゃんやないか。盆中にきはるなんてえらい珍しいな」
「せやね、偶にはええかな、と思って」
晶は愛想笑いを浮かべた。
「なあ、次はウチが胴師をやろうと思っとるんやけど、1回やっていかへん?」
「晶ちゃんが?」
周辺にいた盆中の主催者の幹部が、「張り手でならええけど...」と難色を示す。
「心配せんでもお金はかけまへん。ただ、ウチが勝うたら、ウチの組に何か大事があったとき、組のもんの居場所がなくならんように盃交わしてやってほしいねん」
そう言って晶が交渉してみたところ、
「...なんや。近いうちに、何かやらかすんか」
親分たちが揃って険しい顔をした。
「そんなんないで。ただの保険や、保険」
晶は手を振って笑った。
「1枚張り(スイチ)で番号を当てたら、今日のあんさん方の盆中の代金、全部ウチが持たせてもらいます。その代わり、はずしたらウチのさっきの提案受け入れてもらいます。...どうです?」
「...ほんまか?ちょっと太っ腹すぎるんちゃいますの」
盆中の代金受け持ち...と聞いて、親分達の目の色が変わった。
千空も、そんな安請け合いしねえほうがいいんじゃねえの...と思った。中江は間違いなく止めそうだ。
千空はこの場で喋っちゃいけない約束なので、手でばってんを作って晶にみせた。がしかし。
「でも、ウチが勝てばええやんな」
と、晶は強気に笑った。
晶は、胴元として、5人の張り手を相手に勝負をすることになった。
晶は左肩に浴衣をかけて動きを隠しながら、後ろ手で札をくくっていく。胴元がこの動きをする間、盆中に居る人間は全員、絶対に喋っても動いてもいけないルールになっている。
理由は張り手達が胴師の動きを見逃さないためだ。
そんなルールのために、晶が札をくくる間辺りは不自然なほど静かで、圧迫感があった。
「出来ました」
晶は手ぬぐいに札を1枚落として宣言した。
その途端、左右にいた合力(賭博を盛り上げる合いの手係)が「さあ、張ってくんなはれ」と声を上げた。
スイチで...ということで、5人の張り手達が出した番号は、1が2人、2、3、6がそれぞれ1人ずつだった。
つまり、4か5を出せば晶の完全勝利となる。3分の1の確率だ。
晶は、目の前に置かれた6枚のカードから自分が手ぬぐいに落としたと思っている数字を手にとり、右側に置いた。...数字は4だった。
千空は多少ほっとした。
「...まだや。チョンボかもしれん」
親分の1人が思わず声を上げる。チョンボとは、胴師が手ぬぐいに落としたと思う数字と、実際に手ぬぐいに入っている数字が違うことだ。
チョンボをしたら胴師が反則負けになる。
...晶が手ぬぐいを開き、中の数字を示した。手ぬぐいの中に入っていた数字もやはり4だ。つまり、晶の完全勝利だった。
「悪うおました」
親分たちが気落ちする表情を隠して、晶の提案を飲むことを了承した。
帰りの車の中で、「おめーめちゃくちゃ運がいいんだな」と千空が言うと。
晶はあっさりと、
「ああ、アレ、イカサマしたんやで」
と認めた。
「イカサマ...」
「おん。手ぬぐいを開けるとき、手に隠した札と手ぬぐいの中の札を置き換えたんや」
「アリなのかよ、それ」
「ばれんかったら合法」
晶はウフウフといたずらっぽく笑ったあと、ちょっと真面目な顔をした。
「今日、見とって分かったやろうけど、ギャンブルってのは親が確実に儲かるようになっとるんや。
...せやからセンちゃん。あんさんは絶対にやったらあかんで」
「言われなくてもやらねえよ」
寝る時間になった。晶も千空も、2人ともやっぱりすぐに寝た。しかし千空は、不審な音が原因で途中で目が覚めてしまった。
(何だこの音)
...それは、低い唸り声のような音だった。
(まさか、幽霊とか言わねーだろーな)
千空は今のところ、それほど孤独やストレスを感じている自覚はない。それなのに幽霊を本当に見ちまったら、幽霊の存在を立証したくなっちまうじゃねえか...。
千空は、ワクワクと恐ろしさと半々で目を開き、音の発信源を探った。
...発信源は案外すぐに見つかった。隣で寝ている晶が、悪夢か寝苦しいのかで魘されていたのだ。
「おい、おめー大丈夫か...?」
千空は、苦しそうな顔をして脂汗を滲ませる晶に声をかけるも、晶が目覚めることはなかった。
「...しゃーねーな」
千空は、昔に白夜にやってもらったように晶の頭を撫でてみた。こうされると、怖い夢を見ても平気になるのだ。
「...お。やっぱコレ、効果あんだな」
晶の表情が少し穏やかになったのを見届け、千空は満足そうに頷く。
そして、晶の額に白く小さな手を乗せたまま、すやすやと二度寝した。