7月24日。この頃には千空も、6時30分に自然に起きられるようになっていた。
起きてから、今日は炉が届く日じゃねぇかとワクワクしていた。
業者がデカデカしたものを運び込むのを、千空は満足げに見つめ、若い衆達も業務の傍らに物珍しそうにチラチラ眺めていた。
「セン、あんたコレで何作るっちゅうとったっけ。確か、ロケットやんな」
若い衆の1人が千空に尋ねた。
「おう。...もっと具体的にいや、目標は、カーボンファイバー強化カーボンを作ることだ」
「なんだそりゃ?」
「ロケットの先端部分に使われてる素材だ。高い強度と軽量性がある」
カーボンファイバー強化カーボンを作るためには、まずカーボンファイバーを作る必要があった。
アクリル繊維を空気中で300度で酸化させ、繊維状のカーボン、カーボンファイバーを得る。このカーボンファイバーを細かくして、ピッチという結合材を加える。...で混ぜる。
千空が謎の黒っぽい液体を混ぜているのを見て、庭の草を毟っていた男が、
「なんや、魔法使いの料理みたいやな」
と声をかけた。
「食うなよ。ちょっとくらいなら死なねーだろーけど、念のため」
「頼まれたって絶対いやや」
あと他にも2種類方法があるけれど、今回は型込め成形を使って加熱処理する。型に混ぜ混ぜした内容物を入れ、上から酸素がはいりこまないよう圧力を加える。その後、1300度にした炉の中で加熱処理。
炉の周りは熱放射で酷く熱くなっていた。千空も当然玉のような汗をかく。想定以上の暑さに、やっぱ去年の冬休みにやれば良かったわ...と千空は思った。
「熱中症になってまうやん」
若い衆の1人が、熱さまシートとポカリスエット、パラソルを差し入れてくれた。
「マジでおありがてえわ」
それらを受け取りつつ、炉の中でどろどろの塊だったものが固形物になる様子を、千空はじっと見つめていた。
楽しいな、と思いながら。
午後は中江にお茶の入れ方を習った。
「お湯を沸かして、人数分の湯のみにつぎます。今回は2人分ですね」
「何でわざわざ湯のみに入れるんだ?直接急須にお湯を入れたほうが合理的じゃねえか?」
「お湯を冷ますためです」
「ふーん」
千空は言われたとおりにお湯を湯のみについだ。
「じゃ、急須に茶葉を入れてください。2人分なら4gくらいですわ」
湯のみに入れたお湯をゆっくり急須に注ぎ、その後、約1分ほど、お茶の葉が開くまで待つ。
お茶の葉が開いたら、急須を4回廻して湯のみに均等につぐ。
「お茶のつぎ始めは薄く、後になるほど濃くなります。複数人のお茶を用意したくて、お茶の濃さを全員均等にしたいなら、どうすればええと思いますか?」
「アレだろ?ちょっとずつ交互に入れんだろ」
「正解です。...そして一番大切なんは、急須の最後の一滴まで垂らすことです。まあやってみなはれ」
「おう。...こんな感じか」
こうして2人分のお茶をつぎ、実際に飲んでみた。
「そういえばセンさん、最近の子供は夏休みにカブトムシを取りに行かへんっちゅうのは本当ですか」
中江が唐突にそんな話を持ち出した。
「まー、あんま聞かねえかもな。俺はカブトムシ、取りに行ったことあっけど」
「ほんまですか」
「おう。白夜と2人でな。東京に等々力渓谷っつう場所があんだが、そこは木が鬱蒼としてっから昼間でもカブトムシが出やがんだ」
「ええですね」
中江はお茶をちびちび飲みながら言った。
「近頃の若い衆は、虫が触れんと言いよるんです。最初聞いたときは、えらい驚きました」
「確かに、俺の学校でも、授業中にハチが入ってくるだけでクラスメイトが大騒ぎだな」
「さよか。...親御はん方は、もっと子供に虫取りさせなあかんちゃいますかね」
お茶を飲み終わった2人はさっさと片付けをして、掃除を始めた。
寝る時間になって、晶はキラキラした顔で千空のもとに訪れた。
「センちゃん、ねーむーろ!」
「なんでそんなにテンション高ぇんだよ」
「決まっとるやん。嬉しいからやで」
「...嬉しい?」
千空は、何か喜ぶべきことがあっただろうかと思って、首を傾げた。
晶はニコニコしながら言った。
「昨日、センちゃん、ウチに抱きついてきよったやん」
「は?...あ」
確かに抱きついた...というか、晶の頭を抱えたまま寝たというか。千空としては、晶が魘されていたからそうしたのだが。
「甘えてくれよったんやろ?嬉しいわあ。ウチのこと、お姉ちゃーん♡って呼んでくれてもええんやで」
「なっ...ばっ...ちげーわ‼アレはただ、おめーが...」
「うん。ウチが?」
晶が千空を見つめた。なかなかどうして嬉しそうな顔をするので、千空は何も言えなくなって押し黙った。
「あ"ー、なんでもねえよ」
千空は少し頭を掻きながら吐き捨てる。
別に甘えたかったわけじゃない。...昨日のあんたは、放っといたら、何だか、死んでしまいそうに見えたからそうしたんだ...
なんてことは、ちょっと言いづらかった。
結局、その日は晶が千空の手を握りながら眠ることになった。
====
7月25日。今日は書道の先生がやってくる日だ。
師範代ということで、初老の男性がやって来た。彼は、普段は、書き揚げという名札を書く仕事をしているらしい。
初老の男性は「よろしゅうたのんます」と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
千空も、中江に習ったように軽い敬礼をした。
「センさん。あんさんの習字道具は儂が貸します。それと、一緒に、ええ筆の見分け方も教えますんで、自分で買うときの参考にしなはれ」
「...おう。分かった」
初老の男性によれば、良い筆は、「尖」「斉」「円」「健」という4つの要素で生まれる。
順番に、穂先がとがっている、穂先全体がよく整っている、穂全体がきれいな円錐形になっている、穂先の弾力がほどよくなっている...という意味だ。
「初めて書道をやるなら、イタチやタヌキや馬の毛でできた筆が丁度ええ硬さです」
「馬の毛...店でよく見かける茶色いやつだよな?」
「そうです」
次に、筆の持ち方だ。筆は親指と人差し指と中指で持つらしい。
「鉛筆と同じように持っちゃ駄目か?」
「センさんの鉛筆の持ち方ってどんな感じなんです?」
そこで千空が実践してみた。筆を鉛筆と同じように握っているのを、初老の男性はまじまじと見た。
「正面から見て、人差し指だけ筆の前にきて、中指は筆の後ろで筆を挟んではる。...それでええですね。でももうちょっと、柄の上の方を持ったほうがええですわ」
柄の下のほうを持つと、筆を自由自在に動かせなくなるらしい。
「あとは、姿勢を意識します。机に対して真っ直ぐに座るのを心がけなはれ」
千空は背筋を真っ直ぐ伸ばした。
「...もうちょっと高さがあったほうがええですね」
書道家は座布団を取ってきて、千空の足元に1枚敷いた。それで丁度、机が千空のおへその高さと同じくらいになった。
「あとは、お手本を見ながらひたすら書く。書く以外に上達の近道はありまへん」
こうして、千空が書いたら書道家が赤を入れて修整し、それを踏まえてまた千空が書き...と、2、30枚は書くことになった。明日筋肉痛になりそうだ...と千空は思った。しかしそのかいがあって、上達したようだ。
夕方になった。新聞紙の上で提出用の半紙を乾かしていると、中江たちが現れた。
「今日のマナー講座は中止でええですか」
中江は千空に声をかける。晶や中江達は、真っ黒な着物や紙袋を携えていた。
「何処に行くんだ」
千空が尋ねると、晶は「お通夜に参列してくる」と答えた。
そこで千空はちょっと予定を変更し、カーボンの実験の続き...含浸という作業(ピッチを加熱し揮発分が放出されることで、昨日作って冷ました固形物...正式には炭素質成形体というが...に細かい穴がたくさんできてしまうのを、樹脂に浸すことで塞ぐ。炭素質成形体の密度を高めるための作業)と、モデルロケットを打ち上げる資格を得るために火薬取締法の勉強をして、夕食とお風呂を済ませて布団に寝っ転がった。
やがて、いつも晶と寝ていたせいなのか、1人ではなんだか眠りづらいなと千空は感じた。睡魔を呼ぶために軽い運動がてら便所に向かおうかと外に出てみる。
千空が、用を済ませて渡り廊下を歩いて戻ると、千空の部屋の前には晶が突っ立っていた。
...帰ってきたのか。
声をかけようとするも、晶の横顔は酷く張り詰めていた。月の青白い光のせいで、死ぬ間際の人間みたいな顔色に見える。
結局、晶は千空の部屋の襖を開けないで踵を返し、晶の部屋に行こうとしていた。
千空は不思議に思って、
「晶、今日は一緒に寝ねえのか」
と尋ねると、晶は一瞬肩を震わせ振り返った。
「千空、あんた起きとったんか。不良やね」そう言って晶は笑った。
「寝間着に着替えようと思っただけやで」
晶はその言葉の通りに、着替えてからまた千空の部屋にやって来て、千空の横に寝転んだ。
「お通夜...晶の大事な人のだったのか?」
さっきから晶は笑っていたが、どこか気落ちしているように感じて千空は尋ねてみた。晶はちょっと遠くを見るような目をした後、静かに語り始めた。
「...そーやねぇ、大事っちゅうかなんか、偶にお目にかかる仙人って感じやったかな」
「仙人?」
「そそ。進んで貧乏になって、マルクスやら芦津やらの本ばっか読んで、仲間と理想郷の話ばっかしとる人」
千空は、説明を聞いていると確かに掴みどころのない人物像だな、と思った。仙人っぽいのかもしれない。
「その人は死ぬまでな、大いなる理想家やったんや。金も家庭もなくて、そんで携帯もなくて。誰に電話かけよー思っとったんか知らんけど、電話ボックスん中で死によったって。...見つかったときには半分腐っとったんやって」
「...」
千空は思わずその光景を想像して、喉が詰まったような嫌な気分になった。
「...こんな仕事しとると、葬式会社と友達になるくらい周りの人がばたばた死による。でも、銃に撃たれて死んだとか、コンクリ詰めされたとか聞くよりも、ウチはこういう死に方が一番嫌やってん」
晶は顔を両手で覆って項垂れた。
「..ほんまは、理想なんて考えない方がええねんな。世界平和とか、自由とか人権とかは、ただの悪夢やで。そんなもん考えよる人間は、絶対に孤独に死ぬから...」
千空は、晶が泣いてしまうのではないかと思って、どうすりゃいんだ...とうろたえた。熱力学の法則は知っていても、女の慰め方なんて知らない。
オロオロする内に、晶はパッと顔を上げ千空を見つめた。その目に涙らしきものはなくて、千空はひとまず安心した。
「...あんたは自分のために生きてな千空。ええな?」
「...おう。当たりめーだ」
晶は千空の返事を聞いて、満足そうに笑って頷いた。
「ほいじゃ、もう寝るで!」
晶は、昨日から必ず千空と手を繋いで眠るようになった。どうやらつなぐとつながないのとでは夢見が違うらしく、「あんさんは超能力者やないの」と言っていた。勿論、千空は超能力なんて持っていないけれど。
行灯が消えた部屋の中で晶のすべすべした手を見つめながら、千空は、いつか中江に言われたことを思い出した。
ー「貴方がこれからずっと、大人の都合に振り回される人生になることを危惧してのことです」ー
晶は、千空が千空自身のために生きず、他人の都合に振り回されて生きるのを極度に恐れているようだ。
...千空が他人に従順で健気な性格の少年などでなく、自分の知的好奇心のためなら何でもしたがる科学バカだと知っているはずなのに、何故だろうか?