7月26日。千空はいつもより少し遅くに起きた。時計は6時39分だという。でも誤差の範囲かな、と思って朝の支度をした。
千空は今日は朝ご飯づくりを手伝った。酢飯を団扇で仰ぐ係。今日はちらし寿司を作るのだという。
ちらし寿司が完成して、皆で朝ご飯を食べていたら、晶の電話が鳴った。
「はい。もしもし?...」
晶は少し顔を張り詰めさせて席を立ち、暫くしてから戻ってきた。
「センちゃん。今日の予定は?」
「中江たちと掃除して、カーボンファイバーの試作して、火薬の勉強して寝る」
「掃除は明日にせい」
「は?...何でだよ」
千空は、科学ができる掃除が気に入っていたので、ちょっとばかし不満の声をあげた。
「一体何させる気だ?」
「ウチの仕事のお手伝いや」
「先に言っとくが、俺は、触法行為はしねえ」
「難しい言葉をよお知ってはるのねえ」
晶はクスクス笑った。そして食後の千空は当然のように女装(変装)させられ、赤い車に乗せられた。
「何処行くんだよ」
「ラブホ」
「らぶほ?」
健全な小学生である千空は、聞き馴染みのない言葉に首を傾げた。
「おん。性的欲求を満たす場所。あすこは情報の宝庫やで。DNAのゴミ捨て場みたいなもんやからな」
千空は、なんだそれ、と思ったが、どうせ行くから分かるのだろうとも思った。
到着したのは、寂れた町並みの中でやけにメルヘンチックな中世の城のような建物だった。
晶はつかつかフロントへ行き、ホテルの受付の男に、
「さっき電話した者やけど」
と言った。
男は晶たちを受付の奥に招いた。
「静かにしとってな」
晶が千空に掠れた声で告げる。千空はこくっと頷いた。
やがて、一組のカップルが部屋の奥から出ていった。晶はハンドサインで「行くで」と伝え、さっきのカップルが使用していた部屋に向かった。
「なんでエレベーター使わねえの」
「いざという時、逃げる場所がないからやな」
そうこうして目当ての部屋に辿り着く。一面ピンクの壁紙で、ベッドは回転式だし下から照らせるライトが付いていた。おまけにベッドの向かいには大きな鏡が立て掛けてあった。
「なんつーか、悪趣味な上に実用性の欠片もねえな。なんでベッドを回す必要があんだ?」
「ベッドでファションショーでもしよるんやろ。知らんけど」
晶は鞄の中からゴム手袋やらジップロックやらを取り出した。
「センちゃんはコレ着けて、ベッドの辺りに落ちとる毛え拾ってくれる?」
「...おー」
作業を続けながらも、晶は千空に説明を入れた。
「この部屋使っとった男はな、警戒心抜群の男やで。尾行も張り込みもすぐ気づきおるし、出しとるゴミも、下手に探られんように自分で処理しよる。せやけどな、外食で食べとったモン、酒の量、靴底の減り方、そんなモンでも個人情報はえらいぎょうさん分かるねん」
例えば。偏食家でアルコールをよく飲むという情報があれば、将来どんな病気になるか分かる。筆跡からは性格がわかり、靴底を見れば体の偏りが分かる。それがどうしたと思われるかもしれないが、体の偏りは、いざというときの逃げる報告を推測する鍵となるのだ。
「そんで、面白いことに、どんだけ気い使っとる男だって普通に女を抱くねんなぁ」
晶は、ゴミ箱に捨てられた薄いゴムを汚いものを触るように掴むと、ジップロックに入れた。
「センちゃんは、掃除は科学やって教わったんやって?」
「おう」
「人間分析も掃除に負けず劣らず科学や。例えば鑑識の結果、尿酸値が高いと出た。これから何が分かる?」
「...痛風持ち。短気になりがち?」
「おん。正解や。あとは、統計として、企業の重鎮や仕事ができる奴らには尿酸値が高いんが多い。恐れず決断できるようになるから、出世しやすいねんて」
それを聞いて、千空は目を輝かせた。
「そんなことまで分かっちまうのか。唆るな、ソレ」
「せやろ?他にもあるんやで。異常犯罪者は染色体がxxyの割合が高いとか、逆に酸素値が低いと慎重になるとか」
晶は静かに立ち上がり、
「今回ウチらが集めた証拠も、そういうふうに鑑識に回されて、調査書に書かれるっちゅうわけ」
そう言って千空のほうを見つめた。
「...ええかセンちゃん。女連れ込むなら、自宅か、100歩譲ってビジネスホテルにせえよ」
「女友達とファッションショーする趣味なんて俺にはねえし、関係ねーだろ」
「ん?ファッションショー?......ああ」
イマイチ此処がどういう場所かつかみきれていない千空があまりに純粋なことを言うので、晶は天を仰いだ。
「...あかんなセンちゃん。やっぱウチ、こんなとこにあんさんを連れ込むべきじゃなかったんやな。堪忍な」
「?何だよ今更...」
寝る時間になって、晶が今日も千空の部屋にやってきた。
「そういえば、センちゃんのお父さん...白夜はんて、どういう人なん?」
晶が唐突に千空に尋ねた。
「どう...って言われても、なんつったらいーかよく分かんねえな」
千空はちょっと考えて、白夜がクリスマスに自分の車を売って、千空のためのラボを買ったという話をした。「サンタより」とカードに書いてあって、千空は、本当は白夜が買ったと分かっていたけど、騙されたフリをしたのだ。
晶はそれを聞いていて微笑ましそうにした。
「優しい人やね。白夜はんも。センちゃんに似とるわあ」
いや、センちゃんが白夜はんに似たのか。と晶はすぐに訂正する。
「...別に俺は優しくねえけど、確かに、白夜はお人好しだな」
最近ずっと会えていないから、白夜について語る千空の瞳は少し寂しげだった。晶はそれに気がついてしまって、何となく目をそらした。
「...おめーの親は?」
千空が晶に尋ね返す。晶は、右斜め上をじっと見つめながら、
「ウチの親は...そうやね、生みの親と育ての親が居るなあ」と返した。
「ウチは、爺ちゃんとずっと一緒に暮らしとった。せやから、爺ちゃんがウチのほんまもんの親なんやと思ってた。けどな、ウチは、拾いっ子だったんやって。そうやって聞いたときは、ウチのこと追い出したくて言った冗談やと思ったわ!」
晶は当時のことを思い出したのか、少し笑った。
「産みの親に会ったことはあんのか?」
「んーん。ないねん。顔も名前も知らん」
晶は軽く首を振って、その後千空の方に向き直った。
「なあ、センちゃんやったらどう思う?もし白夜はんが産みの親やなかったら、どう思う?...産んだ人に会いたい?」
千空は目をぱちくりさせて、顎に手を当てて考え込んだ。
「...仮に、血のつながりはなかったとしたら、」
千空の言葉の続きを聞き漏らさないように、晶は耳を傾けた。
「そうだとしても白夜は、俺の親父だろ」
「...おん。そうやんな」
「産みの親は、別に。会えたら会えたでちょっと話してみてえけど、どうしても会いたいとは思わねえかもしれねー」
「...さよか。なんか、安心したわ」
「何でだよ」
「別に?」
晶は隠しごとをした。実は、晶は、白夜が千空の本当の父親ではないことを知っている。そして、千空の産みの親のことも知っている。産みの親との面識はないのだが、プロフィールが示された調査書は熟読した。
(やっぱ、このことだけは、あんまり言いたないやん...)
晶達が狙っている"思想犯"が、千空の母親であることだけは、流石に千空には伝えがたい。
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7月27日。千空は、今日は、ポスターを進めようかなとぼんやり思っていた。
「しっかし、何を描こうかサッパリ思いつかねえんだよな」
千空は中江と一緒にキッチンの掃除をしていた。面倒かもしれないが、基本的に、排水口は毎日掃除するべきものだ。千空は、食器用洗剤をつけたスポンジで三角コーナーを洗い排水口を洗い、細かい部品は歯ブラシや竹串で洗っていった。
「テーマはなんなんですか」
横で換気扇のフィルターを拭いていた中江が尋ねた。
「火災防止か、赤い羽根か、男女平等参画か、自由画」
「センさんは、絵えは得意ですか」
「見たものをそのまま描くならできっぞ」
「せやったら、庭で火い焚べて、それを描いたらええんちゃいます?」
千空は、確かにそれはそうだな、と思った。
昼前になって、千空は、昨日のうちに含浸を済ませて再び加熱しておいたものを確かめに来た。
...平たい円上の黒い物体で、表面には光沢感がある。
ちゃんと冷めているかを指でちょんちょんしながら確かめ、大丈夫そうだったので両手で鷲掴みにした。
「カーボンファイバー強化カーボンの完成だぁ‼」
千空はウキウキして、耐久性を調べるために暇そうな若い衆を探して頼んでみた。
「コレ、へし折れそうか?手段は問わねえ」
粘土盤程度の薄さだからいけるだろう、と思った力自慢の若い衆達が数名名乗りでて、何とかへしおろうとして試して回した。しかしムキになって手から血が出るまで頑張った奴が出たため、耐久力テストはお開きになった。その後千空一同はちょっと叱られた。
説教という嵐を乗り切り、正座の足を崩しながら若い衆の1人が声をかける。
「そのカーボン強...なんやったっけ」
「カーボンファイバー強化カーボン」
「おん。ソレや。ソレって、ダイヤモンドと同じ材料なんやろ?」
「おう、炭素な」
千空が答えたのを聞いて、別の若い衆が色めきたった声を出した。
「そんならセン、あんたダイヤモンドも作りはるんか⁉」
「言っとくが、ダイヤモンドはこの炉じゃ作れねえよ。またバカ高い機械を買わなきゃなんねえ」
「ほんまかー...」
さっき話しかけてきた若い衆は、ちょっと落胆したような顔をする。
「...けど同じ石繋がりで、クリスタルとかだったら、身近に手に入る材料でも簡単に作れっぞ」
「ほんまか?」
若い衆が浮足だった。
「おう。やってみたいか?」
寝る前に千空は晶に打診してみた。
「なあ。クリスタルが作りてえんだけど、ホウ砂と、瓶と、モール...あと割り箸と糸って買ってもいいか?」
クリスタルづくりなら、あとは、かき混ぜ用のスプーンと絵の具が欲しいのだが、それは本家の中にあるのでわざわざ買う必要はないだろう。
「...ん、別にええよ」
晶はすんなりと了承した。止める理由がない。
晶はしばらくして思いついたように話しかけた。
「...なあ、クリスタルって水"晶"のことやんな」
「まあ、正確にいえば結晶全般のことだけど...確かにそーだな。それがどうした?」
「ウチは"晶"やから、...なんやえらい親近感が湧くねん」
晶は少し眠たそうに笑った。
「そーかよ」
千空は、何だよソレ、と思いながら短く笑う。
「...じゃあ、綺麗にできたら俺の分はおめーにやるよ」
「...ほんま?」
「おう」
「嬉しいわあ。ウチ、センちゃん大好きや」
晶は布団ごしに千空を強く抱きしめ、おでこにキスをして目を閉じた。
「...は」
千空はいきなりな展開に目を瞬いて、一瞬後に顔を真っ赤にした。
「ッ...つーか、おい!おめー、この体勢のまま寝るつもりかよ...!」
千空が抗議すると、晶は「ん」と瞼を閉じたままに眠たそうにたじろぐ。
「...しゃーねえな」
千空も本気で抵抗するつもりはなかったので、そのまま眠りについた。