白の大鴉 -- White Raven   作:春うららいす

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第三章 [教室の隅]  1

 カラリ。

 

 

 珍しく小さな音をたてて、リアは慣れてきたこの教室に入ってきた。

 

 ふと目につくのは、教室の隅っこの席。

 

 

 その机に伏している銀髪を微笑ましげな様子でリアは見た。

 

 ──ハーヤートさん。おはようございます。

 

 

 くすくす。

 

 微笑んだまま、リアはその銀髪に近寄って、声をかけた。

 

 

 顔を上げた彼。

 

 その顔を覗き込むように見るリア。

 

 

 

 

 

 

 ──―彼は 泣いていた。

 

 

 正しくは、泣いていた、ように見えた。

 

 涙は無かった。

 ただ、ただ、悲痛な顔をしていた。

 

 

 ──どう、したんですか? 

 

 

 彼から返事は無かった。

 

 

 ──どうして、泣かないんですか? 

 

 

 そんなに、哀しいのに。

 つらいのに。

 苦しいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣かないのは、何故?  ────―。

 

 

 

 

 気づけばそこには見慣れた白い天井。

 

 ゆったりと体を起こすと場所は白いベット。

 

 周囲を見回すとそれは自分の家……。

 

 

 

「……ハヤトさん?」

 

 声をかけても、もちろんそこにハヤトの姿なんてなくて。

 

 

 ほぅ、と小さく溜息をつくと、リアは準備をしていつもより少し早く学校へ行った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 とたたたっ。カララっ。

 

 

 

 静かに扉を開けて、教室の隅に目を遣る。

 

 そこには、本を片手に、机に足を乗せてるハヤトの姿。

 

 

 ……べつに彼は顔を上げるでもなく。

 

 ましてや、泣いているわけでもなく。

 

 

 ほっとしながらリアは、後ろ手に扉を閉めた。

 

 

 

「ハヤトさん。おはようございます」

 

 微笑んでそう言っても、

 

 彼は鬱陶しそうに顔を上げて、

 眉を跳ね上げるだけ。

 

 

 

「…………」

 

 

 リアは自分の席に着くと、ぱさりと教科書とノートを開いて、時間が過ぎるのを待った。

 

 

 

 

 

 斜め後ろの辺りから、ハヤトがリアを見つめていたことなんて、知る由も無く。

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 いつものように団体で帰る人々の中に、ハヤトの姿が見えなかった。

 

 

 

「ん。リア?」

「すみません、ちょっと……ハヤトさんが……」

 

「……心配ない」

 

 リアの手を引こうとするリュウに困ったような表情を向けた。

 

 心配だ。

 

 朝、夢とはいえ、あんな光景を見せられては。

 

 

 ハヤトは、無事だろうか。

 

 

「あの、大丈夫ですから……先、帰っていてください。お願いします……っ!」

 

 言って、手を振り切ると、駆け出した。

 

 

「おいっ…… リアっ!?」

 

 

 ***

 

 

 リアは、手当たり次第にいろんな教室を回った。

 

 いろんなところへ行った。

 

 様々な学年、クラスの教室。

 屋上。

 保健室。理科室。美術室。技家室。英語室に、音楽室。

 

 どこにもいないことに不安を募らせながら、リアは体育館の扉を開けた。

 

 

 今日は部活は無い。

 

 扉が開いているかどうかさえ心配だったがそれは容易に開いて、

 目当ての、

 銀髪の青年がバスケットボールと戯れていた。

 

 

 

 

 ハヤトは、リアの存在を完全に無視して、

 

 ダン、

 

 と踏み込んだ。

 

 

 

 リアの目の前で、華麗にダンクを魅せる。

 

 完璧なフォーム。

 網を潜って落ちるボールまでが、華麗に見えた。

 

 

 

 ダン、と両足を思い切り曲げて衝撃を吸収して、

 ころころと転がるバスケットボールを取ろうとハヤトは屈んだ。

 

 その動作と同時に、まるでぼやくように呟いた。

 

 

「んで…… 来てんだよ」

「へ」

 

「遊んでた、だけだろーが」

 

 うざいんだよ、って視線を投げ掛けられて、

 

 リアは目を瞠った。

 

 

 

 驚きの表情から、無表情に戻って、満面の笑みを浮かべてハヤトに歩み寄った。

 

 

 その頬を伝い落ちる雫を、制服の袖で拭った。

 

 不思議とハヤトは抵抗をせずに。

 

 

「──泣いて、いるんですか」

 

「……て、ねェよ」

 

 リアは困ったように微笑んだまま、ハヤトの頬を伝う涙を拭ってやる。

 

 

 ハヤトは抵抗はせず、自分より頭一個分くらい背の低いリアを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 どれくらい時間が経っただろう。

 

 

 リアは何も聞かず、何も言わず、そばについていてくれた。

 

 ハヤトが地面に座れば正面に座って、涙を拭い続けていてくれた。

 

 

 

 お節介。お人好し。馬鹿。

 

 なんとでも言うやつはいるだろう。

 

 

 でも、お節介すぎたりお人好しすぎたり馬鹿すぎたり。そんな人物は、逆に、

 やさしくさえ思えてくる。

 

 

 得体の知れない人物。──それでもいい。

 

 ハヤトには、目の前のこの人物が、どうも不思議な人物に映った。

 

「よくわからない人」じゃなくて「お人好しで馬鹿でよくわからない人」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 やっとこ涙も止まってきたところで、ハヤトは最後に目に溜まった涙をうっとうしそうに拭った。

 

 顔を上げると、そこにはやっぱり、あの金髪があった。

 

 

「……待たせたな」

 

「いいえ。私が好きで待ったんですよ」

 

「ひとつ聞く。……なんで、こんなことした?」

 

 

 

 普通の人間、っていうのは、

 

 困……る、だろう。

 しかもそれが、不良相手だ。まだ「友達」でもなんでもないやつの涙を拭って、泣き終わるまで待つのは、変。

 

 

 それだけがどうしても気になって、聞いてみた。

 

 

 そうしたらあろうことか、リアは不思議そうな顔をして、ハヤトに抱きついた。

 

 

 心臓の音が伝わってくる。

 あたたかい。

 

 やわらかい。

 

 

 

「ハヤトさんは、人です。私も、人です。人はひとりじゃあ寂しいって感じるから、だからそばにいたんです」

 

 

 

「……ばかかよ」

 

 

 

 おずおずとハヤトが抱き返す手をリアは感じながら、

 

 

 ほっとしたような笑みを見せていた。

 

 

 

 

 

 ゆったりと帰路に着きながら、

 微妙な沈黙が続いていた。

 

 

 ハヤト的には、誰にも見せたことのない泣き顔をこんな女(リア)に見られたことは

 一生の恥と言っていい程であり沈黙があってもいいのだが、

 

 リアが何故泣いていたのか聞かないのは不思議だった。

 

 

 

 聞かなくても問題は無い。

 

 でも、聞かれなきゃ違和感がある。

 

 

 聞いてもらうことを期待してるのか。──馬鹿馬鹿しい。

 

 そう気づくと、もうそんな思考は吹っ飛んだけれど、

 沈黙を破るようにリアが発した言葉に驚かされることになる。

 

 

 

「誰でも、泣いちゃう時とか、泣きたい時はありますから」

 

 

 吃驚してハヤトは立ち止まった。

 

 少し前を歩いていたリアが、笑顔のままに振り返る。

 

 

 

 それ以上言葉を紡ぐことはなく、

 

 行きましょう? と促した。

 

 

 

 返事を返そうと口を開けば、

 

 

「うっわ……あれって1Dのハヤトじゃね?」

「顔はイイけど、こえーよな……」

 

「あ、あそこの女子……この間の転校生じゃん」

「うげ、1Dと一緒にいんの? あの女子、頭おかしいぜ」

 

 

 

 そそくさと脇を通る同じ高校の男子が、

 声を潜めて言った。

 

 陰口なんてものは、意外とよく耳に入る。

 

 

 

 

 ハヤトは苛立ちを覚えた、が、

 

 

 その苛立ちを受け継いだように、リアが口を開いた。

 

 

「頭がイカレてるのは……どちらですか」

 

 

 

 俯いたままに、いつもより幾分低い声で言うと、

 

 その男子生徒は立ち止まった。

 

 

 

 

「貴方達は解ってあげられますか。他人の苦しみや痛みを。解ってあげることなんてできないですよね?」

 

「は?」

 

 

 当然のように困惑したような嫌味な笑みを浮かべる。

 

 

「それが出来ない人に、ハヤトさんを罵倒する権利などありはしません。謝りなさい」

 

 すぃ、と視線を上げて、睨み付けたリアの視線と、

 

 リアの背後で眉根を寄せているハヤトに圧倒されたのか、

 男子生徒はすばやく頭を下げるとさっさと去っていってしまう。

 

 

 

「……行きましょう?」

 

 再度促すリアに、ハヤトはやはり困惑の表情を浮かべた。

 

「何……なんで、あんなコト言われても平気なンだよ」

「だって……べつに、気にする必要ないですし。……慣れっこですし」

 

「は」

 

「──えへへ」

 

 

 

 にこりと笑ったリアはそれ以上は言わずに、

 

 前を向いて歩き出した。

 

 

 

 ハヤトもハヤトでそれ以上は何も聞かず、

 

 再度沈黙が訪れて歩いていくかと思いきや、

 ハヤトが3歩ほど歩いたところで呼び止められることになった。

 

 

 

 にっこり、笑いながら、後ろから走ってきたリュウ。

 

 リュウはハヤトの肩を叩くと、ニッと笑って。

 ぐしゃぐしゃハヤトの頭をなでまくった。

 

 

「なッ 何っ……しやがる!」

「あっははん♪ ハヤトくんってば照っれ屋ー♪」

 

「リュウさん、先に帰ったんじゃ……」

 

「いやあー、ふたりの春を見にきたくて?」

 

 

 

 けらけら笑うリュウを加えて、3人は帰路に着いたのだった。

 

 

 

 

 

 ──―翌日。

 

 

 学校に、いつも通りの時間に登校したリア。

 

 いつも通り、が、「普通の人よりちょっと早い時間」だから、まだ校内に人はあまりいない。

 

 

 

 

 

 この静かな時間が好きだ。

 

 だれにも邪魔されず、何にも何を言われることもなく。

 

 ただ、静かに時が流れていく。

 

 

 今日もまた、同じような時間を過ごせると思ったけれど、

 

 リアは渋面を作ることになる。

 

 

 

 

 下駄箱を開けたそこにあったのは、水浸しになった己の上履き。

 

 何故、とか考える以前に腹が立って、

 沈める為に小さく溜息をついた。

 

 

 とりあえず来客者ようのスリッパを借り、水浸しの上履きを持って職員室まで上がる。

 

 教頭に事情を説明して職員室の窓辺、光のよくあたる場所に干す。

 

「……はぁ、」

 

 もう一度溜息をついて、

 

 階段を上がっていく。

 

 

 

 ──昨日の子たち、でしょうか。

 

 

 ぼそりと呟くのは、心の中。

 

 ──憂さ晴らし……? 

 

 

 ああ、また、いじめられたりするのかな。

 

 そう思うと、自然と足取りは重くなって、

 

 1時間以上かけて目的の教室まで行ったような気さえした。

 

 

 

 

 カラリ、と静かに戸を開けると、

 

 

 そこにはいつも通り、机に伏して寝息をたてるハヤトの姿。

 

 かわらない。

 

 そう、昨日も今日も、一緒。

 

 

 水浸しになった上履きなんて、どうってことない──。

 

 

 そうやって自分を励まして、椅子を引いた。

 

 椅子に、落書き。

 

 

 主に暴言とか悪口とかが書かれた落書き。

 

 はぁ、ともうひとつ溜息。

 

 

 ──子供ですか……馬鹿みたいです。

 

 

 他に異常が無いか確かめてみるが、その他子供くさい悪戯は無い様子なので、

 気にせず座って今日の準備をする。

 

 

 斜め後ろの方で、もぞりと動く音。

 

 

 あ、起こしちゃったかな、と思いつつ、

 

「おはようございます、ハヤトさん」

 

 と笑顔で振り返った。

 

 教室の隅で、ハヤトは面倒臭そうな表情をして、

 

 

「今日は随分と……溜息が多いな」

 

 と言葉を返した。

 

 返事をしてくれる、イコール、おはようと返してくれている。

 

 都合がいいのかもしれないが、リアはそう解釈している。

 

 きょとりとしながら、そんなことないですよ、なんて返して。

 

 

 

「馬鹿。バレバレなんだよ。……何があった」

「いえ、だからその、大したことじゃないので……」

 

 へら、って、笑って見せれば

 

 ハヤトはもうそれ以上追求することはなかった。

 

 

 

 行動や態度を見て察するつもりだ。

 

 ──ハヤトさんは鋭いから……気づかれちゃいますよね……。

 

 

 自然と、もうひとつ、溜息。

 

 どうしよう、かな。なんて考えていると、ガラリと乱暴に扉が開けられた。

 

 

 

 そこにはミドリの姿。

 

 

「ハヤト! ……とリア? ……あちゃばー、ひとりじゃなかったや」

 

「え、ええ? ミドリさん!? ……そんな……ここって関係者以外立ち入り禁止じゃ……」

 

「細かいことは気にしなーいの、それより」

 

 

 へらりと言ってみせた後、ミドリはずかずかとハヤトに歩み寄った。

 

 

 

 ちらりとリアの方を見てから、言った。

 

「メイが──―大変なんだ」

 

 

 

 困惑と懇願が入り混じった、低い声だった。

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