それを聞いた途端、ガタリとハヤトが立ち上がった。
「メイが? ──どうした」
「えっと……あの? どうしたんですか?」
困惑するリア。
メイ、とは。
ミドリは、掻い摘んで説明をしてくれた。
メイ。──ハヤトより1歳年下の妹。
昔、火事でひとり家に取り残された時、母親のおかげで助かったも、母親が逃げ遅れて焼死。
それからというもの、父親からの無差別な虐待を受けてきた。
心身共にぼろぼろになり、荒れ、逃げるように家出をした。
学校にも行かず、己の趣味だった格闘技ばかりを上達させ、終いには暴走族に入った。
父親は2年前急死。
両親のいなくなった今は、ハヤトしか、メイを守ってやれる者はいない。
そう説明されたリアは、頷いて、
続きを促すように首を傾げた。
「メイ……メイ、あいつ、元々病んでる子だったのに……暴走族になんて入るから! あいつ、あそこに入ってから、おかしかったんだよ」
いきなりミドリに家に訪ねてきたり、
虚ろな目をしてぼーっとしていたり。
暴走族に入ったのは半年前。
入ってから、抜ける為には随分な痛みと苦労を伴う。
皆が暴走族に入ったと知ったのは、入って1ヶ月後。
もう、どうしようもなくなったときだった。
「今朝……早朝だよ、6時くらいに、あいつから電話があったんだ。それが……それが」
乱心したようにミドリは頭を掻き毟り、
一言──呟いた。
〝助ケテ〟
そう言われて、電話は一方的に切られた。
「──―……ッ!!!」
ハヤトは弾かれたように走り出す。
バン、と扉を叩いて、一旦立ち止まり、
「ミドリ! リュウが来たら、オレに連絡するように言ってくれ。―お前も来い」
ハヤトはそう言ってリアに手招きすると、走り出す。
リアはミドリに小さく頭を下げると、ハヤトを追って走り出した。
早朝に響き渡るのは、雑草を踏み荒らし、野を駆ける音。
自然がそのまま残された場所の多いこの街は、よく田舎と言われるソコだ。
ハヤトは迷いなく走っていく。
リアはそれについていくのが精一杯だ。
元々走るのは得意でない上、スカートでは余計走りづらい。
それでもハヤトを追っていく内、
だんだん都会の風景になっていくのがわかる。
遠くに見えるのは、高い高いビル。
早朝にも関わらず聞こえ始める騒音。
朝から夜までずっと騒がしい場所。
田舎町とこの大都会が隣り合わせになっているのはちょっと不思議だけれど、
すぐ隣にこのふたつは並んでいて。
ハヤトは一旦立ち止まってきょろきょろと辺りを見回した。
リアが追いつくまで待って、こっちだ、と走り出す。
何を目印に探しているのかは、正直わからない。
──―僅かに香水の匂いがした。
途端、ハヤトが立ち止まって、リアは危うくぶつかりかけた。
「クっ、ハヤトさ……?」
「メイ。──見つけたぞ、おい」
低い、低い声。
悲しみと、怒りと、優しさの篭った、「お兄ちゃん」の声。
──嗚呼、来たんだね、〝オ兄チャン〟。
「久しぶり。どうしたの?」
「ソレは……こっちの台詞だ、メイ」
「やぁーね、たすけて、なんて嘘だよ」
くすくすくす。
ヤだよ、嘘じゃないよ、助けて、〝オ兄チャン〟。
うざったいね。貴方もお父さんのように私を嫌っているんでしょう? ──偽善者のくせに。
「本当のお前は、どこへ行った? ……本当のお前を殺してまで、今のお前を維持する必要なんてないだろうが」
ホントのわたし? ……馬鹿じゃないの、そんなのいるわけないじゃない。
ココだよ。ココにイるよ。助ケテ。わたしヲ止めテ。
「あーあぁ、お兄ちゃんはいいよね、お父さんから愛されてた。わたしは……ちがったのに」
嗚呼、そんなこと、言わないで。思い出させないで。
「わたしはお母さんを殺してない。お母さんは火に殺されたんだ。わたしのせいじゃない、わたしのせいじゃ、ない、ない、ない、ない、ない」
また、 また、 ……逃げるの。わたし、は。
「……メイ」
オ兄チャン。わたし どうにか しちゃったよ。
「……メイさん」
「ソコの可愛い子はだぁれ? お兄ちゃんの彼女? いいね、彼女までできたんだ」
「……ちがう」
「わたしは誰にも愛されてないのに」
「ちがう」
「お兄ちゃんは女の人にまで」
「ちがう」
「……アイサレテル」
──やめてよ、〝メイ〟。
──つながった、気がしました。
ハヤトさんが泣いていた理由。
メイさんの存在で。
ハヤトさんは、苦しかったんですね。
壊れていく、メイさんの姿が。
崩れていく、ほんとのメイさんが。
「メイ」っていう存在が、亡くなって行く気がしちゃって。
両親がいなくなって、唯一の肉親が消えかかって、
つらいんだね。
こわいんだね。
いたいんだね。
でも、だいじょうぶです。
「メイさん」
―ハヤトさん。
「だいじょうぶです。いっぱい愛して、いっぱい愛されてますから」
私はメイさんに歩み寄って、ゆっくりと包み込みました。
抵抗されるけれど、でも、私は離しません。
メイさんは、ほんとはわかっていたはずです。
ハヤトさんが、誰よりもメイさんを愛して、大切にしていたことを。
でも、ちょっとだけ、素直になれなかったんですね。
メイさんは荒れてて、病んでて、
そんな自分をハヤトさんが嫌っちゃうんじゃないかって、
怖かっただけなんです。
おとうさんが──メイさんを、いじめていたから。
愛情がほしかったのに、
くれなくて、
今でもほしいのに、
もらえてるのに、
素直に受け取れなかった。
だいじょうぶです。
少しずつでも、うけとれるようになれば。
それで、いいんですよ、メイさん。
「うる………… ッさいよ!!!」
メイは、リアを力いっぱい突き放した。
よろけたリアは、その勢いのまま、尻餅をついて。
「ハッ……何、偽善!? それで優しいつもり、救ったつもり!? うざいな、消えてよ、救うつもりならわたしをころしてよ!!」
「メイさ」
「ころして!!! ころして、殺、しで、殺、殺し、て、殺、 ……ころして……ッ!」
ハヤトは、メイに歩み寄った。
力を込めて、本気で、メイの左頬を殴った。
ドサっと尻餅を着くメイ。
俯いてるハヤト。
びっくりしてるリア。
ハヤトは、すっとしゃがみこんで、メイの頭を撫でた。
無言で、無言のまま。
乱暴に、がしがし撫でてやると、
メイの中にナニカがあって、それが、ふわりと大きくなった。
「おにい ────ちゃん……っ」
メイは遠慮無くハヤトに抱きついて、わんわん泣き出した。
リアも貰い泣きをして、ふたりでわんわん泣き始める。
困惑気味の表情のハヤトと、
ぜんぶ終わってからやってきたリュウと。
結局、4人で学校はサボり。
泣き止むまで、しばらく待とう。
その後、メイは無事に暴走族を脱退した。
ぼろぼろになって、脱退しました、って伝えに来たときはびっくりしたけれど、
リアは笑って、メイの頭を撫でた。
メイは元々人見知りが激しい。
リアやリュウやミドリには懐いているが、
ブルーやダイキや涼介、みくにはまだ警戒心が解けない。
けれど、少しずつでも進歩していっている。
暴走族であったことを伏せ、学校にも通っている。
勉強はリアやミドリやみくに教わりつつ、がんばっている。
毎日、リアとハヤトの為に、
学校から直行で東テンミリ高等学校に来ている。
メイの美貌に興味を持つ人も少なくはなかったけれど、
得意の格闘技で追い払っているらしい。
ちらちらと笑うようになったメイは、可愛げがあって、
生まれたてのひよこみたいにほてほてとリアやハヤトの後ろをついてくる。
その一週間の間で、リアはすっかり忘れていた。
いじめ紛いの悪戯を受けていることを。
すっかり忘れられていたようだったけれど
実はそうでもなくて
今朝もリアは顔を顰めた。
また──―上履き、水浸し。
きゅ、と唇を噛んで、スリッパを借りて、職員室に。
教師は何も言わずに干させてくれる。
気づかれてるかもしれない。
いじめ?
──いじめられてなんかないです。
励ました。
でも、めげそう。
めげちゃだめ。めげたら負け。気にしない、気にしない。
繰り返し、繰り返し。
言い聞かせて、
歩いていた足は自然と早歩きになって、小走りになって、走り出した。
パンッ、て勢いよく扉を開けると、
教室の隅に、走っていった。
びっくりして伏せていた顔をあげるハヤトの席、
机の横に腰掛けて、
リアは体育座りをした。
その膝に、自分の顔を埋める。
「……何」
「…… っ……ぐす……っ」
「!?」
鼻を啜る音に、ハヤトは目を見開いた。
何してんの、コイツ、みたいな顔でリアを見下ろしてたけど、
その足がスリッパを履いていることに気づくと、ため息をひとつした。
「……泣くほどのことかよ」
声音は優しかった。
「……苦しいんです、些細なことでも。きらわれてるなって、思うと」
しゃくりあげながら言った言葉は、自分でも弱弱しいなって思って、
らしくないなって思って。
そう思ったのはハヤトも一緒で。
ここからじゃ、ハヤトの表情はリアにはわからなかったけれど、
ハヤトは、いつもは誰にも見せないくらい、
やさしい表情をしていた。
「オレは お前のこと 嫌ってねェから」
ぽつりと吐かれた言葉にリアは顔を上げかけるが、
半ば押さえつけるように頭に手が置かれて、乱暴に撫でられた。
リアは、また膝に顔を埋めるようにして。
埋めた顔は、泣きながら、笑っていた。
いまは忘れよう。 苦しいことなんて。
.白の大鴉 ── White Raven 〝第三章 [教室の隅]〟 了