或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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プロローグ
scene.0 物語


 都内にある編集スタジオの喫煙室で、映画監督の黒山墨字(くろやますみじ)と芸能プロデューサーの天知心一(あまちしんいち)は次回作についての話をしていた。

 

 「実はね・・・君の考えている”大作映画”の手助けをしたいと思っている。良い話だろ黒山?」

 

 黒山墨字。世界3大映画祭のうちカンヌ・ヴェネツィアで入賞している世界的にも稀有な映画監督で評論家からの評価はすこぶる高いが、一般的な知名度はお世辞にも有名とは言い難い。

 富や名声などには目もくれず、カメラ1つで世界中を駆け回り、ドキュメンタリーを中心に幾つもの映画を制作している日本映画界の異端児。

 

 「手助けか。まさかこの俺のスポンサーにでもなるつもりか?」

 「だったらどうする?」

 「悪い冗談だろ。顔にそう書いてある」

 「酷いな君は。人を見た目だけで判断するなんて」

 「悪いが俺は人の人生を物差しで測る守銭奴の芸能プロデューサーの言うことは信用しないと決めているんでね」

 「それより禁煙したんじゃなかったのかい?」

 「ポスプロ終わりで溜まった疲れを吐き出しているだけだ。隣の誰かさんのせいでかえってストレスが溜まっちまいそうだが」

 

 あからさまに不快感を露にする黒山に、天知はプロデューサーとしての仮面を外し、真剣な表情で黒山に語りかける。

 

 「今や映画というものはスマホ1つさえあれば誰でも出来る。君の作った映画のようにね」

 「・・・何が言いたい?」

 「昔に比べると誰もが“映像作家(クリエイター)”になれる時代になった。黒山もそう思うだろ?」

 「・・・あぁ、それは言えるな。スマホやそこら辺のデジカメ1つで誰かが流行らせた二番煎じのネタを撮って俺の100倍稼いでるユーチューバーのガキを見ると、クソ真面目に映画を撮っていることが馬鹿らしく思えてくることもあるよ」

 

 ここ20数年でインターネットとビデオカメラの技術は格段に向上し、それに比例するように技術はあっという間に全世界へと普及していき、更にそれらが進化していくにつれてクリエイターの数も増えていった。

 

 「こうした技術の発展は、万人をクリエイターにさせちまった。それが何を意味するのかお前ならわかるだろ?」

 「言うまでもないよ」

 

 技術の進化は芸術の退化であるとは一概には言えないが、“自ら映画監督を名乗る覚悟”がある奴は相対的に減ってしまった。それに加えてコンプライアンスという“見えない強敵”が出現して、やたら人の目を気にするようなつまらない上っ面な作品が世に多く出回るようになり、気が付けばそれが世の中のニーズになろうとしている。

 

 “『大映像作家時代』が聞いて呆れる”

 

 「だが黒山。もしもたった1つの映画で日本の映画界が根底から覆ったらどうする?」

 「馬鹿か。たった1つの映画で世界の全てを変えられたら映像作家(おれたち)はこんなに苦労しないだろうよ」

 

 ジャンルを問わず世の中には時代を超えて愛される作品が多数存在するが、それらを作るということは容易なことではない。

 

 「でもその1作がこの世の全てを覆すかもしれない。その1作で才能が正しく評価される在りし日の映画界を取り戻せるかもしれない。もちろんそれが現実になるか未遂で終わるかは君たちの腕次第だけどね」

 

 すると天知は黒山のスマホに一件のメールを送る。

 

 「黒山墨字の大作に繋がるであろうヒントだよ。興味があれば彼と一度コンタクトを取ればいい」

 

 メールに記されているのは、とある人気小説家の連絡先。天知はともかく、黒山もこの男を知っている。

 

 「映画を撮るにはリスクを取ることも必要だ」

 「言われなくても。映画にリスクは付き物だろうが」

 

 得意げに言う天知に、黒山は苛立ちながら答えた。

 

 「こんな時代だからこそ。君たちのような異端児(かわりもの)が必要なんだよ」

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 湾岸(ベイ)エリアに佇む高層マンションに、小説家にして元俳優の夕野憬(せきのさとる)は住んでいる。

 憬の元には著書の映画化などの話が多数寄せられて来ているが、それらのオファーを彼はこれまで全て断ってきた。

 ちなみに映画や舞台への出演という”場違い”なオファーも未だに来ているが、当然これらも全て断っている。

 

 (そんな夕野(あいつ)がまさか二つ返事で会って話を聞くことを約束してくれるとはな・・・)

 

 黒山は憬の住むマンションへと向かっている。憬とは助監督として“あの人”に拾われた頃に映画の撮影で知り合って以降、個人的な付き合いがあったが彼が表舞台から姿を消してからは仕事の都合ですっかり疎遠になり、音信不通の状態だった。

 

 そんなこともあってか、黒山は旧友との9年ぶりの再会に不穏な緊張感を抱いていた。

 

 

「久しぶり。結果的に呼び出す形になってしまったことは謝るよ」

「いや気にするな。ひとまず元気そうでこっちは一安心だ」

「9年も経てば元気にもなるさ」

 

 そう言うと憬はクールに笑みを浮かべ、黒山を襲っていた不穏な緊張感は直ぐに消え去った。

 

 人目を引くような端正かつアンニュイな顔立ちと身長179cmのスラっと引き締まった体格からなるいかにも画面映えしそうな出で立ちは、芸能界から突如姿を消した9年前と比べても全くと言っていいほど変わっていない。

 

 エレベーターで一気に22階まで上がり、異様なまでに静かなホールを左に向かって直ぐの所に、憬の住む部屋はある。

 

 「にしてもすげぇところに住んでんな」

 「これでもここの中だったら安い方だよ」

 「絶対俺の生涯年収より稼いでるだろ?」

 「有難いことに小説家に転身しても俺は“人気者”だからね。金だけはある」

 「安易に謙遜しないところがお前らしいよ」

 

 今から8年ほど前、演技派若手俳優の代表格として実力も人気も絶頂だった中で突如引退した男が発表した小説は大きな話題を呼び、処女作である小説『prayer(プレイヤー)』は120万部を売り上げ、いきなり芥川賞と吉川英治文学新人賞を受賞した。

 以降もこれまでに5冊の作品を発表し、いずれもベストセラーとなり全ての作品が何かしらの賞を獲っている正真正銘の人気小説家である。

 

 そんな人気作家の暮らす部屋の間取りは2LDK。1人暮らしには広すぎるくらいだが、どうやらリビング以外に2つある部屋のうち片方は書斎として完全に仕事場と化しているようだ。

 

 「なんだこの絵は?」

 

 ”来客用”に用意されたリビングにあるソファーの上には、ショールームのように清潔かつ洗練されたインテリアにはあまりに不釣り合いな禍々しい炎の渦で埋め尽くされた絵画が飾られている。

 

 「ああこれか。これは2年前に知り合いの小説家から貰った名もなき画家の絵だよ。綺麗だろ?」

 

 綺麗、と言うにはあまりに存在感が強すぎて危ない香りが漂う1枚の絵画。

 

「随分と恐ろしい絵だな。これじゃあせっかくのインテリアも絵画の炎で埋め尽くされて台無しだぞ」

「人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだ。“綺麗”さっぱり。だからこそ美しい」

「相変わらず、お前の感性は独特だな」

 

 クールな見かけによらず感覚派で何を考えているか分からないところは、役者だった頃から変わっていない。

 

 「酒かコーヒーならどっちを飲む?」

 「コーヒーで頼む」

 「墨字のことだから酒を選ぶかと思ったよ」

 「馬鹿野郎、こっちは仕事で来てんだぞ。酒なんて飲めるか」

 「確かに」

 

 憬はキッチンへ向かうと湯を沸かして自前の器具を取り出してコーヒーを淹れ始める。

 

 「そういえば今回の撮影で内戦地(シリア)に1人で飛び込んでいったらしいな墨字」

 

 当然そんな情報までは公開されていないので憬は知らないはずである。黒山は思わず面を食らう。

 

 「なんでお前がそんなことを知っているんだ?」

 「守銭奴」

 「あー・・・そういうことか」

 

 天知は既に次回作に向けて憬にコンタクトを取っている。冷静に考えれば直ぐに分かる話だ。映画が完成した気の緩みからか思考回路が少しばかりやられているようだ。

 

「それで、本業の方は順調?」

 

 憬からの問いに、黒山はジョークを交えて答える。

 

 「おかげさまでな。命がけだった映画も完成して、おまけに次作からは心強い味方(スポンサー)まで付くし、全てが“絶好調”だよ」

 「そりゃあ良かったな。スポンサーがいなければ大作なんて夢のまた夢だろうし」

 「その代わり俺の胃の穴はまた開きそうだ」

 「ハハッ、確かに」

 「おい笑い事じゃねぇぞ夕野。お前もこれから地獄への道連れになるんだからな」

 「言われなくても分かっているよ。でも天知(あいつ)ほど味方になると頼もしい奴はいないからね」

 「・・・確かにそれは言えてる。認めたくないけど」

 「ほんと仲悪いよなあんたらは」

 「あんな奴と仲良く出来る人間がこの世界にいるとは到底思えない」

 「まぁね。俺もあいつは好きじゃない」

 

 そうこうしているうちに憬の淹れたコーヒーが出来上がる。その見た目と香りからして美味いのが伝わってくる。ちなみに黒山が憬の淹れたコーヒーを飲むのはこの日が初めてである。

 

 「うまっ」

 

 あまりの美味さに思わず声が漏れる。深みがありながらも口当たりがよくしつこくなり過ぎない絶妙なバランスの味わい。コーヒーや料理が趣味ではないのにも関わらず、その腕前は本職のバリスタと遜色ないレベルと言える。

 

 「いやー生き返るわーこれ」

 「相当気に入ったみたいだな。顔色がどんどん良くなっているよ」

 「そんなに顔色悪かったか俺?」

 「あぁ。いつもに増して疲れてる感じがする」

 「9年も会ってないのによく言えるな」

 「あんたの顔は雑誌やネットニュースでたまに見るからね」

 「参考になってねぇよ」

 

 黒山の新作映画、『シリアの遺言』。度重なる紛争によって命が軽んじられた国で生きる人々の日常(リアル)を捉えたドキュメンタリーフィルム。当然その内容は一般受けからはかけ離れた“怪作”であり、この映画の撮影は過酷を極めたという。

 

 「もう戦場カメラマンにでもなっちまえよ」

 「ふざけんな。戦場なんて二度と御免だ」

 「へぇ、映画を撮る為なら人の道を外れることも厭わないって言ってたあんたが珍しい」

 「撮影中に何度も死にかけたからな。おかげで感性が少しばかりまともになっちまったよ」

 

 そう言って黒山は一瞬だけ間を空けると、この映画における重要な場面の話を始めた。

 

 「1人の女と会ったんだ」

 「女?」

 「なぁ夕野?お前ってネタバレとか許せるタイプ?」

 

 内心では映画のネタバレをあまり好まない憬だったが、映画の内容を理解しないと黒山の考えている意図がわからないと判断した憬は、「いいよ、続けてくれ」と黒山を促す。

 

 

 “もしかしたらあの時、俺は死んでいたのかもしれない”

 

 “ヨーロッパへ逃げる”という1人の女性に同行していた俺は、突然その女性から突き飛ばされた。“何しやがる”と掴みかかろうかと思ったその時、数発の銃声が木霊(こだま)すると同時にその女性は地面に吸い寄せられるかのようにその場に倒れ込んだ。

 どうやら彼女は俺を流れ弾から庇って被弾したらしい。銃弾は左胸の付近を貫通し、出血もひどくあっという間にそれは水たまりとなった。誰が見ても明らかな致命傷だった。

 そんな中で彼女は自分の死を悟ったのか、助けを乞うこともなく「私を撮り続けて」と懇願した。そして俺は迷うことなく彼女の言葉を受け入れ、ひたすら流れ弾に倒れた1人の女性の死に際を撮り続けた。

 彼女の願いの為にも、俺は人が死にゆく瞬間を撮り続けることしか出来なかった。それが自分に課せられた使命であると思ったからだ。

 

 もしあの時、俺があの場所にいなかったら。もしあの時、俺があの場所で彼女と出会わなければ。救われるべき命は助かっていたのだろうか。

 

 “結果的に俺は、人を1人殺してしまったのかもしれない”

 

 それでも彼女の死がきっかけで、紛争地帯の日常を映したありきたりなドキュメンタリーフィルムは図らずとも唯一無二の怪作となった。

 

 「でも悩みに悩んだ末、そのシーンはお蔵入りにしたよ」

 「・・・使わない方がこの映画の為になるから使わなかったってことか?」

 「まぁ、そういうことだ。そのおかげでこれ以上ないくらい会心の出来になったけどな」

 

 そう言いながら黒山はどこか悔いを残したような表情でソファーの真上に飾られた絵画を見上げる。

 

 完成した映画の中で、彼女の死を捉えた決定的瞬間が映ることはなかった。それでもこの映画は黒山の手腕によって世界的な評価を得ることになる。ヒットはしなかったが。

 だが黒山は映画の完成と同時に命がけで“撮り続けて”と言っていた彼女の思いを裏切ってしまったような感覚に苛まれるようになった。

 

 そんな時、黒山の意識の中である思いが芽生え始めた。

 

 “1人の女の物語(生き様)を撮る”

 

 監督として独り立ちするようになるずっと前から、そんな映画を撮りたいという漠然とした空想があった。そしてついに、その映画を撮らなければいけない時が来たのだ。

 

 ”1人の女の死によって”

 

 

「墨字の言う通り。映画監督ってのはつくづく呪われているな」

 

 憬の言葉に、黒山は静かに「あぁ」と相槌をする。ひたすら己の美学を追求した映画(アート)と、ヒットさせることを大前提に制作された映画(ありきたり)

 

 もしもこの映画界(せかい)の評価の全てが興行収入だとしたら、正解は間違いなく後者になるだろうが、数字の良し悪しで作品の甲乙を決めつけられるほど、この世界は凡庸には作られていない。だからどっちが正解なのか不正解なのかは、その映画を観た人で意見は十人十色だ。

 

 「周りの声も気にせず、ひたすら撮りたい映画を撮り続けてカンヌとヴェネツィアで賞を獲った。だがこの国の奴らはその功績に全く見向きもしない」

 「意外だな。墨字はそういうのを全く気にしない奴だと思ってた」

 「気にしているわけじゃない。憂いているだけだ。自分の信念を裏切ってつまらない映画しか作らなくなった先輩が、今や押しも押されぬヒットメーカー。これが今の日本映画の現状だ」

 

 黒山が言っている先輩が誰のことであるか、憬は直ぐに察した。

 

 「手塚か。デビュー作の映画はそれなり以上に面白かったんだけどな」

 「ああ。その才能も1本のクレームとどっかの誰かさんに拾われたせいで宝の持ち腐れだ」

 「その代わり彼は“みんな”から愛される監督になった。ほんと、こんな残酷な話はないよ」

 

 明確な答えなんて在りはしない終わりのないマラソン。その情熱が結果に比例しない苦しみは、消費者(にわかもの)にとっては想像など出来るはずがないだろう。

 

 それは映画のみならず、小説だろうと音楽だろうとどの世界でも同じことだ。

 

 「俺もうんざりしているよ。どんなに書いた本が売れようが賞を獲って評価されようが、メディアや一部の連中は“俳優・夕野憬”というブランドを未だに誇示してくる。俺はもう役者なんかじゃないっていうのに」

 「何言って・・・いや、それはそれで辛いよな。お前も」

 

 状況こそ黒山とは正反対だが、憬もまた黒山と同じように自分の置かれている現状を憂いでいた。有名になったからと言って、それが当の本人にとっての幸せになるとは限らない。

 

 “だったらそんな名前、捨ててしまえばいいのに”

 

 別名義(ペンネーム)でも使えばもっとまともに評価されたのではと思う奴もいるだろうが、憬はそんな真似を許さない人間であることを黒山は知っている。

 

 ”夕野憬として在り続けることで自分自身の存在意義が意味を成す”

 

 「だからさ、今まで築いてきたものを全部燃やそうって思うんだよ。この炎のように」

 

 憬は黒山の座っているソファーの上に飾られた炎に目を向けながらそう言った。

 

 「だったらついでに俺にも分けてくれよ。その炎」

 「そのためにここに来たんだろ?墨字」

 

 全てお見通しだと言わんばかりの顔で答える憬に、黒山は軽く溜息を吐く。どいつもこいつも、俺の周りは喰えない奴ばかりだ。

 

 「ところで墨字。あんたの考えている大作映画っていうのはどんな物語だ」

 「・・・1人の女の物語(生き様)だよ」

 「奇遇だな。俺もちょうどそんな物語を考えていたところだ」

 

 すると憬は仕事場となっているリビングに向かい、一つのUSBを手に取って戻ってきた。

 

 「この日の為にずっと温めていたまだ世に出していない幻の一冊だ。とは言っても、ようやくプロットが出来上がった段階だけどな」

 

 それはまさしく、1人の女の生き様を描いた物語。

 

 「ほお、これがお前の言う1人の女の物語(生き様)か」

 「あぁ。こいつを墨字に託そうと思う」

 

 

 

 これは、夜凪景(よなぎけい)百城千世子(ももしろちよこ)たちが女優として活躍するよりも、孤高のハリウッドスター・王賀美陸(おうがみりく)が鮮烈なデビューを果たすよりも前のお話。

 




 毎回プロットを考えては挫折をしていたので、思い切ってロクなプロットも立てずに完全な見切り発車でスタートしたこの物語。果たして本当に終われるのだろうか。色々至らない点が多数ですがよろしくお願いします。

 ちなみにこの回で最も時間を費やしたのがコーヒーの味です。マジで良い表現の仕方が思いつかん。こういうどうでもいいようなところで滅茶苦茶時間をかけるから遅筆になるんですよね・・・・・

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