或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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今更ながら10-FEETにドハマりしている今日この頃。


#009. 独り言①

 “「あぁ・・・なぜだ・・・・・・僕はもう、生きる意味を見出せないで肉体的に死のうと腹を決めているはずなのに・・・どうして消えたくないと僕の心は言っているんだ・・・・・・わからない・・・この感情は何だ?怒りなのか悲しみなのか喜びなのか!?・・・・・何なんだ・・・・・・僕は何がしたいんだ!?教えろよ僕は何者なんだ!!?・・・・・・」”

 

 リハーサルと最終稽古終わりの夜。カーテンのない光を全て遮断した真っ暗な自室の中で、俳優・司波京一は明日に本番を控える役者としての起死回生をかけた舞台に向けて、台詞を暗唱しながら最後の役作りをしていた。

 

 「・・・・・・俺は何者になりたいんだ?」

 

 役を一度解いて、自問自答する。俳優として、1人の人間として、家族という“守るべき存在(もの)”も含めて手に入れたいものは全て手に入れた俺は、確かに幸せを感じていた。それでも役者として常に生きている俺の心はどこか晴れなかった・・・そんなときに俺の前に現れた、“”という少しでも強く触れた瞬間に粉々に砕けてしまいそうなほど繊細で、触れた瞬間に骨の髄まで吸い込まれてしまいそうな強い感情を持った22歳の彼女。

 

 「・・・“役者”か・・・・・・誰かの傷口を塞ぐ“ほんの少し”か?」

 

 その選択をしてしまったら、“全てを失う”ということは誰よりも俺が一番よく知っていた。それでも零の心に深く空いているどす黒い穴を埋めてあげたいと、思ってしまった。それは彼女のための優しさなどではなくて、人並みの幸せを手に入れたことで忘れかけていた新しい感情(なにか)を得て血肉にして喰うという、役者を生きとし生ける人間なら誰しもが持ち合わせている自己満足と探求心。進化の為なら、ここまで積み重ねたものは全て捨てられる覚悟はあった。

 

 「・・・・・・結局、どっちつかずか」

 

 間違いなく、覚悟はあった。だが俺は最後の最後で零ではなく家族を選んだ。俺が家族を選んだら零は失踪した。それを合図に、俺が生きるための存在価値は音を立てて崩れ去った。たった一度の過ちが“タトゥー”となって世の中に広まり、荒んだ心の安息の地だったはずの家族を失い、昨日まで味方だった周囲の大人が全員敵に変わり“生きる”居場所を失くした。

 

 「・・・答え(それ)を永遠に探すのが役者なんですよね・・・・・・先生」

 

 そんな崖の下に堕ちたも同然の俺を、役者の生き方を教えてくれた恩師は拾い、最後のチャンスを与えてくれた。“この役は、今のお前にしかできない”と・・・

 

 

 

 “・・・なら・・・・・・俺は・・・”

 

 

 

 ガチャッ_

 

 自分以外の人間なんているはずのないこの部屋の扉が突然開き、俺は思わず扉のほうへと視線を向ける。

 

 「・・・・・・零?」

 

 真っ暗なカーテンのない部屋の扉の前には、失踪していたはずの零が薄っすらと笑みを浮かべながら立っていた。何が起こったのか把握出来ずに呆然と立ち尽くすだけの視線と意識に、零の右手に握られたナイフが留まる。

 

 「零・・・なんでここにっ・・・」

 

 それに気づいたときには、零は俺を抱きしめていた。身体を退けようにも動けず、それどころか(はらわた)が焼けるように熱くなって、呼吸もままならなくなった。この瞬間、俺は零が右手に持っていたナイフで腹を刺されたことを理解する。

 

 「・・・零・・・お前・・・・・・自分が何してるのか・・・分かっているのか?」

 「わからないよ・・・・・・だって私は、あなたに“壊され”ちゃったから」

 

 俺の腹を突き刺す零のナイフが身体から離れた次の瞬間、零はナイフを両手に持ち替え成す術もなく崩れ落ち始めるこの身体の心臓を目掛けて容赦なくそのナイフを突き刺す・・・

 

 

 

 

 

 

 「カット!・・・はい。2人とも良きです」

 

 壁の向こう側から監督の声が聞こえ、京一が役作りで使っている殺風景な自室を模したほとんど真っ暗闇なスタジオがパッと照明に照らされる。これにて“日劇”『メソッド』第9話の“役作りをしている途中で寝落ちた京一が夢の中で部屋に侵入してきた零にナイフで刺される”シーン、撮影終了。

 

 「・・・相変わらず、“役に入った”ときの(ひかり)ちゃんは怖いな」

 

 照明がつくと同時に、胸元に押し当てられたダミーナイフの感触が離れ、つい1秒前まで愛と憎しみを詰め込んだナイフを京一(おれ)の身体に突き刺していた身体から零の感情がスッと抜けて、彼女はいつもの“光ちゃん”に戻る。

 

 「一色さん。今の“怖い”という言葉は“お褒めの言葉”と捉えてよろしいでしょうか?」

 

 冗談半分で笑いながら“怖い”と言った俺に、光は如何にも“私を褒めてください///”って言いたげな目をしながら表情と口調だけはポーカーフェイスという、素直になれないおませな子猫のフリをした従順な子犬みたいなチグハグな感情で甘えてきた。

 

 「うん。そう捉えてくれていいよ」

 

 ただ、実際に光の芝居はお世辞抜きで気を抜いたら“この俺”を持ってしても一瞬にして喰われてしまいそうなくらいには凄いから、“褒められて伸びる系”の現代っ子な彼女には最初から褒めておくつもりではいた。まぁ、彼女の“こういうところ”は普通に気に入っているから、素直に“可愛いやつ”としか俺は思っていないけれど。

 

 「・・・ありがとうございます」

 

 女優・堂島光(どうじまひかり)。彼女は俺より11歳年下ながらも、5歳のときから子役としてデビューしているため年齢的にはまだ若手の部類だが芸歴だけなら今年で20年目を迎えた俺とほぼ同期というある意味そこそこの“ベテラン”だ。俺が“スターズの王子様”と呼ばれていた頃は全くと言っていいほど無名だったが、9歳のときにMHKで放送されていた料理をテーマにした子供向けの教育番組で劇中ドラマの主人公&5代目ヒロインの“ヒカリちゃん”に抜擢されたことで子役としてブレイクするも、人気絶頂だった11歳のときにMHKの番組を卒業すると同時に学業に専念するために女優業を一旦休業。それから4年後、高校進学のタイミングで芸能活動を再開すると映画を中心に主役級から脇役、シリアスからコミカルに至るまで幅広くこなせる器用さと、役を演じていることを忘れさせるほど演じる役に入り込んだ没入度の深い芝居を武器に演技派として着実にキャリアを築き、去年は主演を務めた映画で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を獲ったのを始め映画賞を総なめにして“トップ女優”の地位を確立し、今や“ポスト環蓮”とすら言われるほど同世代の女優の中では抜きん出た実力と評価を得ている演技派女優。

 

 「(いい子なんだけど気まぐれなんだよなぁ光は・・・)」

 「・・・どうされました一色さん?」

 「えっ?あぁいや、何でもない」

 

 ただ、主に映画を主戦場(メイン)に活躍している光はこれまで民放のプライム帯に放送しているドラマに出演したことがあまりないため、俺が“共演者”として彼女と接するのはこのドラマが初めてだった。もちろん彼女が民放のプライム帯のドラマでメインキャストを演じるのも、今回が初めてのことだ。

 

 

 

 “『京一さん・・・・・・好き』

 

 

 

 光のことは“ヒカリちゃん”と世間から呼ばれていた子役時代から知ってはいたし、それからメキメキと頭角を現し演技派女優としての地位を確立した今の実力も、“顔見知り”として出演していた映画をいくつも観ていたからある程度以上は理解しているつもりだったが・・・カットがかかっている瞬間は1コンマの油断さえも命取りになるほどの迫真かつ繊細な表現力と、別人格が乗り移ったんじゃないかと錯覚してしまうほどの圧倒的な感情の掘り下げからなるメソッドの精度は撮影初日の時点で俺の想像を軽く超えていて、日を追うごとに凄みを増して来ている。まるでこの俺を本気で“潰そう”と言わんばかりに。

 

 「いや、何でもないって言いたいところだけど・・・ひとつだけあったわ」

 「・・・なんですか?」

 

 次のシーンの撮影に向けた準備に取り掛かるスタジオから前室(まえしつ)に向かう途中で、俺は光に一度は口にするのを躊躇った言葉を打ち明ける。

 

 「・・・やっぱり芝居は楽しくないとな・・・ってさ

 

 “観客”として凄いと直感した演技が、実際に相手役としてその演技と対峙した瞬間に“”が“恐怖”に変わる感覚。役と自分はあくまで別人格と割り切り、役は入り込むほど“作り過ぎない”主義の俺と正反対な価値観で生きる京一とは心の中で“対話”をしてもちっとも噛み合わなかったが、人の痛みに敏感なところと自分自身が喰われる“恐怖”を心の底から楽しいと思える感性だけは皮肉にも一致している。だから俺は、隣にいる光のように自分の想像を超えてきた役者とバチバチに演り合っている瞬間が、楽しくてしょうがない。

 

 

 

 その気持ちだけは、“あのドラマ”で初めて(あいつ)と演り合ったときから何も変わらない・・・

 

 

 

 「急にどうされました?何か悩み事とか?」

 「いや、ただの役者の“独り言”だから心配なさらず」

 

 何気ない独り言を11コ下の女優に心配されながら、撮影スタジオの出入り口のドアを抜けた先にある前室へ入り、徐に部屋の奥にあるソファーに座って目を閉じ、感情を一旦リセットさせる。約2時間ないし3時間に渡って常に感情のギアを上げておかなければいけない舞台も大変だが、時にはたった数秒の為だけにギアを切り替えるような作業を半日ないし丸一日繰り返す映像演技もかなりの労力を伴う。だからこうした空き時間にどれだけ感情を“温存”することができるかもまた、役者にとってはかなり重要な作業だ。

 

 「・・・一色さん」

 

 目を閉じて“無の境地”に入ろうとした俺に、一緒に前室に入った光が話しかけてくる。ちなみにこの後は9話で“京一が零からナイフで胸を刺された夢から醒める”というシーンの撮影で今日のスケジュールは終了となるため彼女の今日の出番はもうない。

 

 「ん?どした光ちゃん?」

 

 いつもだったら撮影が終わったら軽く挨拶をしてそそくさと自分の楽屋に戻って着替えて帰ってしまう良くも悪くも“現代っ子”な光が、珍しく自分の出番が終わっても前室に来てわざわざ何かを“言いたげ”に話しかけてきた。そんな普段とは違う様子に、俺は閉じていた目を開けソファーに座ったまま零の衣装を身に付けたまま目の前に立つ光に問いかける。

 

 「あの・・・どうしても一色さんにお願いことがありまして

 

 しかし、零の衣装を着た光を見上げてみるとあまりにも京一が見ている零の姿とリンクし過ぎて、なんだか変な感覚になる。それはきっと、彼女自身の人間性と零の人間性の共通点が多いことにも由来しているのかもしれない。気の合う共演者以外とは最低限の関わりしか持たず大人数の馴れ合いを好まない閉鎖的なところや、エンタメ的なノリが大の苦手という理由でバラエティー番組には一切出ない“硬派”なところ、だけどその割には人懐っこい一面もあって気の合う人にはその部分を隠しきれないところ・・・要するに、何だか“危なっかしくて”ついほっとけなくなるところが似ているということ。

 

 「お願いか・・・うん、いいよ

 

 実は光と会ったのはこのドラマがきっかけではなく、初めて会ったのはいまから6年ほど前、俺の“従妹(いとこ)”とW主演で出ていた舞台を観に行ったときの公演終わりに楽屋を訪れたときのこと。もちろん初めて会ったときから、彼女の演技は本場アメリカのアカデミー賞で助演女優賞を獲っている主演の片割れに引けを取らないほどに凄かった。

 

 

 

 “『いえ・・・私はただ、“お姉様”が教えてくださったとおりにお芝居をしただけですから』”

 

 

 

 そして彼女が“お姉様”と慕う従妹の“あいつ”と共演した舞台が演劇界で高く評価されたことがきっかけで、女優・堂島光は“演技派”として一気に評価を上げていくようになった・・・そのときから彼女には、“ベクトル”は異なるが零と同じように平然を装う感情の中で常に脆さが見え隠れしているような不安定さがあって、俺が知っていた“ヒカリちゃん”はもうそこにはいなかった。

 

 「・・・あの

 

 コンコン_

 

 「失礼します。十夜さん、リハは今から15分後になります」

 

 ソファーに座る俺へと何かを言おうとしたタイミングを図るように、2人きりの前室に助監督が入ってきて、俺に次のリハの時間を伝える。

 

 「OK。わざわざ事前に教えてくれてありがとう」

 「では失礼しました」

 

 俺が座ったまま感謝を言うと、助監督はそのまま後にして前室は再び俺と光だけになる。当の本人はただ大真面目に自分の仕事を全うしているだけなのは分かるから何も言うつもりはないけれど、それにしてもタイミングが“ちょうど”過ぎて光ちゃんにも少しは配慮してやれよと俺は一瞬だけ思ってしまった。

 

 「・・・あぁそうだ、“お願い”って?」

 「すいません。やっぱり今日ではなく改めて明日の撮影終わりに言います」

 「えっ、でも結構本気で言いたげな感じにオレには見えたけど?」

 「これはただの私の我儘みたいなものなので・・・別に今日じゃなくても大丈夫なものです」

 「ホントに光ちゃんはそれでいいの?」

 「はい。なんだか“今の”で今日言おうって気持ちが途切れてしまったので」

 「おう・・・そっか」

 

 そのおかげ、と言ってしまうとさすがに助監督が可哀想だから名誉を守っておくが、どうやら光の中では俺に“お願い”を言おうとしていたタイミングを逃してしまったらしい。こういう変に“気まぐれ”なところも何だか零とよく似ていて、9話の終盤まで撮影を進めた今更ながら零という役は今まで彼女が演じてきた役の中でも1位なんじゃないかと思うくらい俺の中では“ハマって”いる。

 

 「では、この後事務所で打ち合わせがあるのでお先に失礼します」

 「うん。分かったよ」

 「お疲れ様でした」

 

 なんてところは置いておくとして、こんな具合に役者という生き方を選んだ人間というのは、何かと価値観や常識が一般の人からズレている人が多いように、光には光のタイミングというものがあるから、俺は余計に問い詰めるような真似は絶対にしない・・・特に、彼女みたいな硝子のように繊細な心の持ち主には、尚更だ。

 

 「・・・光ちゃん

 

 帰り際の挨拶を終えて前室を後にしようとする光を呼び止め、俺は“念のため”の助言を送る。

 

 「役にのめり込むのは良いけれど・・・のめり込み過ぎて自分を見失うなよ

 「・・・もちろん、心得ています

 

 俺から助言を送られた光は、“言われなくとも”と言いたげな表情を浮かべながら去り際に小さくお辞儀をして、そのまま前室を後にした。

 

 「・・・そういうところが心配なんだよなぁ」

 

 ひとりきりになった前室で、溜め込んでいた本音を吐き出して俺は再び目を閉じてリハの時間を待つ。結局、普段は撮影が終わったらすぐに帰る光が俺に言いたかったことは何だったのかは、明日へ持ち越しになった。

 

 

 

 “『まあまあ手が掛かる“子猫”だけど、光は世間のみんなが思っている以上に“デキる子”だから』”

 

 

 

 目を閉じた瞬間、いつか従妹が光のことを“手の掛かる子猫”と言っていたことを思い出した。子猫という表現が正しいかは別にして、“手が掛かる子”ほどほっとけなくなるこの気持ちは、分からないわけでもない。千夜子とは違う意味で、光もまた俺の中ではこのドラマの撮影を通じて“ほっとけない存在”になりつつある。幸か不幸か、いまの俺は京一と同じくそういう存在が“2人”いる状況だ・・・・・・一色十夜(オレ)という役者は、本来であればもっと器用に素顔と他人を演じ分けることができるはずなのに、どうした、俺?

 

 

 

 “・・・そういや・・・今日って杏子の誕生日だったよな・・・

 

 

 

 「(・・・今日の撮影が終わったらおめでとうの一言ぐらいはLIMEで言っておくか。明日は明日で盛大に祝う予定だけど)」

 

 自問自答の流れで不意にこのドラマで京一の妻である凛子を演じている杏子のことを思い出したことで、ようやく俺は感情を完全にリセットすることができた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2018年9月5日_午後7時28分_麻布十番_

 

 「千世子さん。到着しました」

 

 運転席から聞こえる声で、深層(くらやみ)に落ちていた意識がゆっくりと現実に引き戻される。

 

 「・・・ん、もう着いたんだ」

 

 来年のGWに公開予定の映画の撮影(ロケ)をしていた池袋からマネージャーの“マクベス”こと眞壁さんが運転する車の後部座席に乗ること約20分と少しくらい、わたしは約束していた麻布十番のお店の前に着いた。

 

 「爆睡してたせいか分かんないけど一瞬だった」

 「そうですか」

 「ねぇ、ホントは“ワイスピ”みたいにめちゃくちゃすっ飛ばしてきましたってことはない?」

 「いえ、ずっと法定速度厳守で運転していますのでご心配なく」

 

 本音を言えば撮影現場を出てからすぐに爆睡したせいで体感的には30秒ぐらいしか経ってないけれど、20分だけとはいえぐっすり眠れたおかげか“あの小説家”と会う前に思った以上に身体をリフレッシュさせることができた。

 

 「あははっ、冗談だよ冗談」

 「というか千世子さん、“ワイスピ”もご覧になっているんですか?」

 「いや、ないよ。名前だけ知ってる」

 

 爆睡したせいで目的地につくまで一瞬だったことを冗談交じりに伝えると、生真面目な眞壁さんはものの見事に真に受けて本気のトーンで返してきた。まだ本人には言ってないし言うつもりも今のところないけれど、眞壁さんは“どっかの夜凪(誰か)さん”と負けず劣らずなレベルの正直者だ。

 

 「じゃあ帰りはタクシー捕まえて帰るから、今日はこれでお互いお疲れ様だね」

 「そうですね。明日も5時半ですのでどうか無理はなさらないように」

 「ありがとマクベス。さすがに今日は帰ったらゆっくりと休ませて頂くから」

 「承知致しました」

 

 そんなマネージャーの正直さに軽く疲れ気味の心を癒されながら、わたしはショルダーバッグから取り出した外行き用の伊達眼鏡をかけて車の後部座席から外へと降りる。

 

 「では千世子さん。大丈夫だとは思いますが、くれぐれもお気をつけて

 「・・・うん

 

 運転席に座る眞壁さんに心配無用の笑みを繕いながら外へと降りて、乗ってきた車が走り去るのを背後で感じ取りながら、わたしは地下にある“消えた小説家”の待つレストランへと足を進める。

 

 “・・・ここか”

 

 麻布十番のメインとなる通りから1本入った一方通行の通り沿いにさり気なく立つ一見すると何の変哲もない6階建てのビルの地下に、まるで隠れ家のように佇んでいる高級イタリアンレストラン。

 

 コッ、コッ、コッ_

 

 控えめな照明に淡く照らされた地下一階へと繋がる階段を降りる自分の靴音が、背後の地上の雑踏に混じって耳に入り、その音がこれからこの下にある店で会う“小説家”への興味と緊張となって1歩を踏むごとに心をじわりと刺激する。

 

 コッ、コッ、コッ_

 

 いつからか、わたしはどんなにカメラを向けられても緊張なんてしなくなった。つい1ヶ月前まで撮影していた映画で5分の長台詞を急遽演ることになったときも、緊張なんてしなかった。その理由は、“百城千世子”として10年の月日を生きている“”が一番よく知っている。1フレームすら隙を作らないために、わたしは徹底的に百城千世子という人間を作り上げてきた。だから百城千世子(じぶん)にとって、カメラの前で演じるということは普通に“呼吸”をすることに等しいくらい、出来て当たり前のこと。

 

 “こんなに緊張するのは・・・いつぶりだろう・・・”

 

 なのに、わたしに会いたいという小説家の待つレストランへ続く階段を降りているいまのわたしは、久しぶりに心臓が高鳴るほど緊張している。カメラなんてない。視線を送る演者もスタッフもいない。いつもみたいに自分を追い込んで“百城千世子を演じる”必要もないのに。

 

 “『僕は“百城千世子”ではなく、“城原千夜子”と話がしたい』”

 

 アリサさんはおろか、ごく一部の人にしか明かしていない“極秘”の話し合いを実現させた天知さんの口から伝えられた、小説家からのメッセージ。アリサさんに内緒で行動していること自体には、不思議と緊張も罪悪感もない。じゃあこの高鳴りの正体が何なのかを考えられるとしたら、真っ先に思い浮かぶのはこれだ・・・だってわたしは、“千夜子(わたし)”で生きている時間と同じくらいかそれ以上に“千世子()”でいる時間が長くなって、その生き方に身も心もすっかり慣れ切ってしまったから・・・

 

 

 

 “『“カレン!・・・・・・行って”』”

 

 

 

 いや違う。この“緊張感”の正体はもっとシンプルなもの。『デスアイランド』の撮影(ロケ)で洪水に飲まれそうになったわたしを庇って流されていった夜凪さんに、つい“千夜子(じぶん)”の感情が溢れてしまった瞬間にも似た・・・自分でも制御することが出来ない、言葉では表現できない“何か”。

 

 

 

 “()べなきゃ・・・・・・百城千世子が“ニセモノ”で終わってしまわないために・・・

 

 

 

 階段を降りた先にある扉の前で、わたしは心の中にあるスイッチを切り替えて、“百城千世子(もうひとり)”のを表に出す。もちろんこれは二重人格とかそういうのじゃなくて、単なる“気持ちの持ち方”の延長線みたいなものだけれど、これは私がわたしで在るためにも大切なことだ。

 

 「・・・さて・・・喰らい尽くしますか・・・

 

 自分に言い聞かせるように小さく心の内を呟き、私は目の前の扉を開けた。




1ヶ月ぶりでございます。本業の仕事も含めてちょっと個人的にやることが多くなってしまい拙作の更新が滞っておりました。詳しいことは活動報告のほうで既に書いておりますが、恐らく年内の更新はあと1,2回ほどになるかと思います・・・・・・と言っておきながら終わってみればちゃっかり4話ぐらい更新してる可能性もゼロではないですが、数ヶ月の間はそれぐらいのペースになるかもしれません。ごめんなさい。
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