或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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King Gnuがいる時代に生まれて、本当に良かった


#010. 独り言②

 「いらっしゃいませ」

 

 入った瞬間、“一見さんお断り”なのが伝わってくる厳かでシックな雰囲気にまとまった店の内装が目に留まるのとほぼ同時に、私より少しだけ背の高いウェイトレスの女性が落ち着いた口調の挨拶で出迎える。この一瞬で店の中を見回してみた限り、時刻は19時半という絶好のディナータイムなだけあってカウンター席はほぼ埋まっているみたいで、隠れ家のような佇まいの割には意外と繁盛している。

 

 「“朝田憧”の予約で来ました、城原です」

 「“城原千夜子様”ですね。どうぞこちらへ」

 「はい」

 

 ウェイトレスから自然な流れで本名を言われて心の中で少しだけ反応したが、もちろんこのことを想定していた私はウェイトレスに対しても仮面の感情で余裕を持って返す。ここから先はディナーを終えてタクシーに乗り込むまで、油断はできない。

 

 “こういう店・・・十夜さんとご飯を食べるようになってから全然行かなくなっちゃったな・・・”

 

 クラシック音楽が小さく、厳かで静かなお店の空気を邪魔しない程度のさり気ない音量で流れる中を歩き、この店のカウンター席の奥にある個室へと進む。さすがは高級レストランと言ったところか、居酒屋みたいなお店で馬鹿みたいに悪酔いしそうなマナーのなっていない人は誰もおらず、談笑はあっても静かに盛り上がっている程度でこの店に来ているお客さんはみんな“ちゃんとした大人”みたいだ。

 

 「こちらでございます」

 

 こうして誰にも自分が“百城千世子”だと気付かれることなく奥にある個室に着いた私に、ウェイトレスが上品な仕草で手を招くように2つある個室のうち奥側の個室を案内する。この囲いの向こう側で、私に会いたがっている“小説家”が待っている。

 

 “・・・よし

 

 「ちなみに私たちがここへ来たことは秘密でお願いしますね?」

 「かしこまりました。それではごゆっくりどうぞ」

 

 心を万全な状態へと一気に引き上げて、ウェイトレスに万が一の“保険”をかけた私は、小説家の待つ個室へと入る。

 

 「初めまして。この度は君にお会いすることが出来て光栄な限りだよ・・・“城原千夜子”さん

 「私のほうこそ光栄ですよ。ノーベル文学賞にノミネートまでされた“文学界の革命児”とも呼ばれた人が、このような賞とは無縁の単なる“若手女優”にお会いしたいだなんて

 

 4人分の椅子が均等なバランスで配置された個室に入ると、私から見て左奥の椅子に座る朝田さんが立ち上がり握手を求め、私もそれに応じがてら建前の会話(やりとり)で場を繋ぎながら左手前の椅子に座る。

 

 「単なる若手女優だなんてとんでもない。“天使”の異名で活躍する城原さんの活躍は畑こそ違えど表現者の“端くれ”として拝見させてもらっているけれど・・・君のような“映像の世界で生きるために生まれてきたような才能“を視ていると、役者の世界がより一層華やかで煌びやかに感じるよ」

 「それは大変恐縮です。しかしあれだけの作品を世の中に残しておきながら“端くれ”だなんて、それこそ自分のことを謙遜し過ぎなのでは?」

 

 小説家・朝田憧(あさだしょう)。今から22年ほど前に処女(デビュー)作の小説で16歳という若さで芥川賞を受賞して、翌年に2作目を発表するとその小説で直木賞を受賞し現役高校生が“2冠を獲る”という前代未聞の快挙に“文学界の革命児”と呼ばれ一躍時の人になると、その2年後に出した3作目となる小説は受賞こそ逃すも19歳の若さでノーベル文学賞にノミネートされ、“ショウ・アサダ”として世界的に名を知られるようになったが、それを最後に今日に至るまで1冊も本を書かなくなってしまい世間からはすっかり“過去の人”として忘れ去られてしまった、謎の多い人。実際、私はこの“オファー”が自分のもとに来るまで朝田さんの存在すら知らなかった。

 

 「芥川賞に直木賞、それからノーベル文学賞のノミネート・・・城原さんの言う通り“文学界の革命児”と世間から持て囃されていた時期は確かにあった・・・でもそんなもの、今の僕にとってはただの“過去”以外の何物でもないんだよね・・・」

 

 隙間時間を使って朝田さんのことを調べてみたら、今では作品ごとに名前を変えながらコンスタントに小説を世に送り出している・・・と、風の噂が“死亡説”と一緒にデジタルタトゥーとなっていくらか出回っていたけれど、信憑性がありそうな記事や資料はどこにもなかったから、これ以上の深入りは一旦やめることにした。

 

 「ああ失敬。芥川から先の部分(くだり)はあくまで僕の“独り言”だから、聞き流してくれて大丈夫だよ」

 「ふふっ、朝田さんって意外とお喋りなんですね?」

 「自分で言うのも難だけど、僕は人と話すことが好きなんだ。例えばこんなふうに人とコミュニケーションを取る中で出てくるさり気ない言葉(ワンフレーズ)から、果てしなく壮大な物語が生まれることが僕らの世界にはあるからさ」

 「へぇ~、それは凄く興味深い話ですね」

 

 そんな朝田さんの処女作が20数年の時を経て初めて“映像化”されることと、その映画のヒロインに朝田さん(この人)からの“指名”で私が選ばれたことが水面下で決まったことで、私は企画が本格的に動き出す前にこうして原作者でもある朝田さんと会って話すことになった。ちなみに朝田さんの作品はこれまで映像化や舞台化されたことは一度もなく、小説以外の形で世に出ること自体が初めてのこと。

 

 「城原さんはどう?俳優の人って結構役作りとかで拘ってる人とか多そうだと僕はイメージしているけど」

 「う~ん、私はあんまり役作りしないタイプだからその辺のことはよく分かんないんですけど、私たちの世界でも朝田さんみたいな人は割といるかもしれませんね」

 

 その理由は天知さんから既に教えられているけれど、朝田さん曰く“『僕の小説を自由に使っていいと決めている監督と演出家は“3人”だけ。それ以外の人はお断り』”らしく、今日のディナーという名の“極秘対談”も映画化に向けて朝田さんが天知さんと監督の國近さんへ提示したいわゆる“交換条件”のようなもの。

 

 「ほぉ、“百城千世子”はそこまで役作りをしないのか・・・やはり役者の世界は奥が深そうだ」

 「奥が深いって言い切れたらいいんですけど、私の場合はただ単に“百城千世子”として求められる芝居をこなしているだけなので、その辺りのことは何とも言えないです」

 

 座っていても分かるくらいシュッと引き締まった体格に、二枚目俳優のような端正な顔立ちと耳心地の良いやや低めな甘い声。黒のサマーニットとベージュ色のチノパンというシンプルで当たり障りのない服装でも地味に感じないクールな出で立ちに反して饒舌に喋る朗らかな朝田さんのおかげか、開始1分ほどで互いに打ち解けることが出来て私と朝田さんが座る個室はディナーが来るまえから和やかな空気が流れている。

 

 「“良い意味”で捉えるとするならば、城原さんはこの世界の誰よりも“百城千世子”を演じることに長けている・・・ということになるね」

 

 だけど百城千世子ではない“本当のわたし”に会いに来た朝田さんは、私と同じように和やかに進む会話の中で“ヒント”を常に探っている。恐らくそのことをご丁寧に自分から打ち明けたのも、仮面の感情で話している私のことを探るためだから、油断はしない。

 

 「それを逆に“悪い意味”で言うとするなら・・・私は“百城千世子”しか演じることしかできないということにもなりますね・・・

 

 

 

 だったら私も、“フェア”な状況に持ち込んで揺さぶるだけ。多少のリスクは伴うけれど、その分だけお互いに“収穫”も大きくなる・・・

 

 

 

 「“自分しか演じられない”、か・・・ならばその理論が城原さんにとっての揺るがない“事実”だと仮定するとして・・・どうしてそれを分かっていてもなお君は運命(さだめ)に従い続けるんだい?

 「・・・だって私は、常に“百城千世子”で在ることを常に求められていて・・・期待(それ)に応えて、超えていくのが私の使命(生き方)でもあるから・・・

 「・・・なるほどね

 

 自分の中にある百城千世子の“流儀”を打ち明けた私を見つめる奥二重の(あか)い眼がほんの一瞬だけ見開き、朗らかな笑みに何とも言えぬ不気味な感情がゆっくりと宿り、和やかなはずの晩餐の席に音を立てるように緊張が走る。

 

 「ただ生憎なことに、今ここにいるのは “城原千夜子”で在ることを求めている1人の“観客(ファン)”だ・・・・・・それでも“きみ”は、百城千世子を演じ続けるのかい?

 

 そして私がずっと“百城千世子”として会話していることを見抜いた朝田さんは、声のトーンを少しだけ落としながら核心を問う。

 

 「僕は“本当のきみ”に会いに来たんだよ。城原千夜子

 「ん?本当も何も、“天使”になって仮面をつけている“百城千世子()”も、“普通の女の子”として生きている“城原千夜子(わたし)”も、どっちも“ホンモノ”の自分(わたし)だよ?

 

 テーブル越しに不気味に笑う“消えた小説家”の禍々しさすら覚えるほどの感情(本性)が、私の心を容赦なく刺激する。ようやく始まった、“主演女優と原作者”の2人きりでのディナー。

 

 「・・・言っとくけど、今日は私のお腹を満たすぐらいには“あなたのこと”についてざっくばらんに聞かせてもらうからね。朝田さん?

 「ははっ・・・やはり、 “天使様の仮面”はそう簡単には剝がれないか

 

 もちろん私も易々と引き下がって終わらせるつもりは毛頭ない。なぜなら“わたし”は天使でも美少女でもなくて・・・“女優(やくしゃ)”だから。

 

 「いいでしょう。そうと決まれば先ず手始めに本日のメニューを決めるとしますか・・・もちろん今日は僕の奢りだから、好きなものを好きなだけ頼んで頂いていいよ城原さん

 「では、“朝田先生”のお言葉に甘えて・・・

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 同日_午後9時45分_西新宿_

 

 「一色様。こちら3411号室の鍵になります」

 「いつもありがとう」

 

 緑山で行われた日劇(ドラマ)の撮影を終え、法定速度より少しだけ早いペース(※覆面に捕まらない程度)で愛車のDB9(マーちゃん)を走らせ片道1時間をかけて住処にしているマンションの地下駐車場に着き、フロントに上がりコンシェルジュから3411のカードキーを受け取るという、“日9”の撮影が始まってからお馴染みになった日常の一コマ。これでも撮影自体は50分ほど巻いてきたが、如何せん撮影しているスタジオまでの距離がそこそこ長く、途中で渋滞にも捕まったおかげで結局“いい時間”になってしまうのもまた、緑山に行くときの日常(ルーティン)だ。

 

 「いえ、一色様のほうこそ日々のお仕事本当にお疲れ様です」

 「ハハッ、仕事場から帰って開口一番に労われるとそれだけで疲れも半分以上は吹き飛ぶよ」

 

 そして同じマンションに住み始めて3年も経つと、こんな感じでコンシェルジュの人とも顔なじみになって事務連絡以外の話題でも軽く話すぐらいには近しい関係になる。まぁ、コンシェルジュにはコンシェルジュの仕事もあるから、あまり“長居”はできないが。

 

 「じゃあオレは明日も早いから、部屋に戻らせてもらうよ」

 「かしこまりました」

 

 ともかく明日も撮影現場(ロケ地)は違えどまた5時半にはここを出なければならないから、早々に話を切り上げて34階へと俺は向かう。

 

 「お疲れさま。ひょっとして十夜さんも“仕事終わり”?

 

 34階へ向かおうとエレベーターホールへ足を進めようとしたとき、俺の背後からいきなり“天使の気配”を感じた。もちろんその正体を知り尽くしている俺は、声が聞こえた瞬間に理解した。

 

 「随分と帰るのが遅かったな。ま、詳しいことは部屋に戻りながらでも聞くとして」

 「もう、外にいるからってカッコつけちゃって」

 「いつも通りだろ」

 

 振り向いた視線の先には、やはり千夜子がいた。その服装はマネージャーの車で移動するときというよりかは、高級なレストランやちょっとしたパーティーに行くときに着るような服装だ。黒いプルオーバーのワンピースに最低限の小物しか入らないようなファッション重視のショルダーバッグ、たまに登校する学校へ行くときにかけているやつよりも少し洒落た黒縁の伊達眼鏡・・・これはもしかしなくとも、千夜子は映画の撮影(ロケ)が終わった後に“どこかしら”に寄ってきたというのは、“”で分かる。

 

 「お待たせしました、城原様。こちら3412号室の鍵になります」

 「ありがと」

 

 そんなこんなで予期せぬ形でメディアではまずお目にかかれない貴重な“2ショット”が実現してしまったことで、平然とした態度で千夜子に3412のカードキーを渡す受付のコンシェルジュも、内心では少なからず舞い上がっているのだろう。とはいえこのマンションのセキュリティは従業員も含めて自社タレントのプライバシーにやたらと煩い星アリサですら信頼しているほど“完璧”に統制されているから、間違ってSNSに上げるなんて馬鹿な真似はされないだろう。無論、そんな真似をすれば冗談抜きであのアリサさんから社会的に“抹殺”されるリスクがあるからだ・・・言うまでもなく、それは当の本人の裁量次第だが。

 

 「では、おやすみなさい」

 

 舞い上がる素振りを全く見せずに自らの仕事を全うするコンシェルジュの言葉を背にして、俺は千夜子と並んで歩くように34階へと昇るエレベーターへ向かう。

 

 「・・・少なくとも撮影が長引いた、ってワケじゃじゃなさそうだな?」

 「どうしてそう言い切れるの?」

 「その見るからにお高いレストランあたりに行きそうな服装を見れば、だいたい予想はつく」

 

 フロントからエレベーターホールへと向かう途中、ちょうど受付のコンシェルジュから声が届かなくなる距離まで離れたタイミングで俺は隣を歩く千夜子に続きを話す。

 

 「どこに寄ってきた?」

 「・・・十夜さんの言う通り“お高い”レストラン。國近さんがどうしても2人で話がしたいって言うからさ」

 「本当か、それ?」

 「“”の言うことが信用できない?」

 

 どこに寄ったと問いかけた俺に、千夜子は感情の読めない笑みを浮かべながら答える。相変わらず千夜子は、3411と3412の部屋にいるとき以外は俺やマネージャーの眞壁くんが隣にいようと徹底されたプロ意識を最大限に利用して“百城千世子”を貫き続ける。

 

 「・・・で、“ドクさん”とは何を話した?」

 「それは“トップシークレット”で」

 「“口止め”ってか」

 「ま、そんなとこかな」

 

 だけれど取り繕った感情に反して嘘をつかない瞳を視た俺は、千夜子がレストランで“落ち合った”のはドクさんではなさそうだというのも微々たる“反応”で察したが、ここは敢えて真に受けたフリをして会話を続ける。

 

 「どうやら順調そうだな。そっちは」

 「うん、おかげさまで。そういう十夜さんだってドラマの視聴率が右肩上がりで絶好調でしょ?」

 「絶好調ってほどでもないよ。初回の視聴率が想定より伸びなかったせいで相対的に上がってるってだけだから・・・ていうかスカッとする逆転劇が醍醐味の日劇で“ドロドロの愛憎劇”とか攻めすぎって話よ」

 「ははっ、分かってて主演のオファー引き受けたくせにそれ言っちゃう?」

 「今更ながらとんでもない仕事(オファー)を引き受けちまったと思ってるよ」

 「でも視聴率が上がっているってことは、それだけ『メソッド』の面白さに視聴者が気付き始めてるってことじゃない?」

 「まぁ、詳しくは言えないけど最終回は結構面白いことになりそうから楽しみにしとけ。千夜子」

 

 そのまま千夜子と何気ない会話で互いに繋ぎながらエレベーターホールに着き、俺は3411のカードキーをエレベーターのボタンパネルにあるセンサーにかざす。

 

 「ふ~ん。分かった」

 「ホントに思ってんのそれ?」

 「“ほんとのほんと”」

 「何だよ“ほんとのほんと”って?(どっかで聞いたことあるようなセリフだな・・・)」

 

 センサーが認識されると同時に俺たちの住む34階までノンストップで運ぶ“厳重なセキュリティに守られた密室”の扉が開き、俺と千夜子が中に入るのと同時に扉が閉まり、俺たち2人はカードキーで認識された“指定階”の34階まで一気に昇っていく。

 

 「・・・一応聞くけど、もうとっくに“気付いてる”よね?十夜さん?

 

 そして自分たちがいま立っている場所が指定された階まで止まることのない“安全な密室”と化した瞬間、ドア付近に立つ俺の背後で千夜子は感情(こころ)の“仮面”を外して問いかける。

 

 「ドクさんってさ・・・自分の映画に出す演者とは映画(それ)の撮影が終わるまでは絶対にご飯に誘うようなことはしない人なんだよ・・・・・・例えどんなに親しい人だろうと

 

 もちろん“本当か?”と問うた時点で千夜子が俺を見抜いていたことには気付いていたし、演者と監督という関係で一緒に仕事をしたことのあるドクさんの人間性(こと)も千夜子よりは知っているから、俺も本当のことを言うだけだ。

 

 「残念だったな、千夜子

 「ううん、いい勉強になった

 

 ややわざとらしく振り向いて“生意気な親戚の子どもにちょっかいを出す”ように軽く煽ってみたら、“素顔”の千夜子は満更でもなさそうな表情(かお)で静かに笑って負けを認める。そういえば色々を経てスケジュールに少し“余裕”ができていた頃、仕事がオフの日に己の苦手意識と戦いながら昆虫採集へとまだ5歳くらいだった千夜子を連れて行ったときに、ちょっと生意気になりだした年頃のこいつから“虫嫌い”を馬鹿にされたことの腹いせに軽く“煽って”みたことがあった・・・

 

 

 

 “『もうとおやおにいさんきらい。いっしょーはなさない』”

 

 

 

 そしたら見事に千夜子は真に受けて露骨に拗ね始めてしまい、機嫌を直してもらうためのお詫びで帰りに“お高い”ディナーをご馳走する羽目になった。もちろんそれで千夜子はすっかり機嫌を取り戻してくれたから今となっては良い思い出だ・・・・・・あれから10年と少し、目に入れても痛くないほど可愛らしい“城原家の天使”は、その可愛らしさを残しつつもすっかり大人に近づき、浮世離れした唯一無二の美しさも兼ね備わった“みんなの天使”になった。

 

 「・・・大きくなったな。千夜子

 

 人気女優に成長した千夜子から視線を再び前に戻したら、不意に幼いときの“天使の姿”が脳裏に浮かんで無意識な独り言が口からこぼれた。

 

 「えっ?なに急に?」

 「気にするな。役者の“独り言”だ」

 「“叔父さん”の間違いじゃなくて?」

 「・・・うるせー」

 「あははっ、十夜さんカワイイ」

 「勝手に言ってろ」

 

 案の定、後ろにいる千夜子からは思いっきり揶揄われた。でも普段はミステリアスな天使を装ってるくせして俺には堂々と姪っ子として“甘えてくる”ところが結局は可愛すぎるせいで、いつも俺はただの“叔父さん”と化すのが“食卓同盟”の日常(オチ)だ。

 

 「・・・誰と行ったかはやっぱり言えないか?

 

 数秒ほどの沈黙と共に“密室(エレベーター)”が34階へ近づいて減速し始めたところで、俺はもう一度千夜子に問いかける。

 

 「ごめん。言えない

 「・・・そうか

 

 背中越しに言葉をかけてから1秒足らず、背後に立つ千夜子はいつもより少し低い声色で静かにそう呟く。監督かプロデューサーか誰の指示かは知らないが、やはり固く口止めされているみたいだ。

 

 “・・・どう考えても裏はありそうだけど・・・ドクさん関連なのは間違いないからひとまず今はそっとしておくか・・・

 

 無論、こういう“タブー”な場面に出くわしたときは、下手に首を突っ込まずに“そっとしてあげる”ことが芸能人にとっての“暗黙の了解”だ。例え相手(それ)が、自分にとって“守らないといけない存在”であろうとも。

 

 「まぁ仕方ない。この業界じゃ“よくある”ことだ

 「・・・そうだね

 

 芸能界で生きるために“見えない掟”を守った俺に千夜子が複雑そうな感情で相槌を返したのと同時に34階に到着したエレベーターは止まり、扉が開く。

 

 「けど、せめて何を食べてきたかぐらいは俺に教えてくれよ」

 「どうして?」

 「どんなご馳走を食べて来たのかシンプルに気になるし」

 

 エレベーターという“密室”の外に出て、俺と千夜子はそれぞれ自分の部屋がある方向に向かって、誰もいない34階のフロアを住人の迷惑にならない程度の声量で下らない話をしながら歩く。

 

 「んー、やっぱりそれも秘密で」

 「夕飯は関係なくね?」

 「じゃあ十夜さんが余計な心配をしないようにネタバレしとくけど、“ちゃんと食べてきた”よ」

 「心配して欲しくないなら何を食べたか言えよ」

 「それは教えない」

 「このマンションのセキュリティーより厳重に口止めされてんなオイ

 

 基本は別行動の俺と千夜子がこのフロアを歩いているときはもっぱらお互いに仕事終わりで1人だから、こうやって2人揃って歩いているのは何だか新鮮に思える。だからどうしたって話と言われたらそうだけれど、こんな何気ないほんの一瞬でさえも理由なく感慨深く思えてしまうのは、きっと“”のせいだろうか。

 

 「夕飯の話はともかく、明日も早いんだから夜通しの“反省会”なんかしないで早めに寝とけよ千夜子」

 「そういう十夜さんもね」

 「言われなくとも」

 

 なんて勝手に耽っているうちに、俺と千夜子はそれぞれの部屋の前についてほぼ同じタイミングで部屋の鍵を開ける。本当はあとほんの少しだけ話がしたいなんてらしくないことを頭の片隅で感じつつ、それを理性で押さえ込んで部屋の扉を開ける。

 

 「じゃあ、おやすみ」

 「十夜さん

 

 玄関の扉を開けて3411の中に入ろうとした俺を、千夜子は突然呼び止める。何となく“めんどくさそうな”ことを聞いてきそうな予感は、この時点でしていた。

 

 「わたしって、“人間”?

 

 その予感は、見事に当たった。

 

 「・・・・・・どこからどう見ても“人間”だろ

 「・・・そっか

 

 どう答えるべきか2秒ほど迷ったが、俺は意味深に微笑む千夜子に向けて百城千世子を“肯定”する言葉で答えた。それをどう受け止めたかは本人にしか分からないが、千夜子は俺の意見をすんなりと受け入れてくれた。

 

 「ていうか、何で急にそんなこと俺に聞く?」

 「特に深い意味はないよ、ただの“役者”の独り言ってだけ。じゃ、おやすみなさい」

 

 そして千夜子は俺の返答を待たず、明らかに意味あり気な“独り言”を勝手に残して手を振りながらそそくさと3412の扉を開けて、そのまま玄関(とびら)の奥へと入って行った。

 

 「・・・・・・やっぱり心配だ

 

 3412に入って行く千夜子を黙って見送った俺は、再び世話が焼ける姪っ子を心配するただの叔父さんと化して3411に帰った。




これにて“chapter4-1”は終わり、次回から物語は再び2001年に戻り“chapter4-2”に突入します。
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