或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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早バレ、ダメ、絶対。


scene.94 脚本家の慮り

 『次は、お台場海浜公園です。The next station is Odaiba-kaihinkōen_』

 

 5月15日。7月から火曜10時枠で放送されるドラマ『ユースフル・デイズ』の初顔合わせを兼ねた第一話の読み合わせに向けて、このドラマの脚本に大抜擢された高円寺の小劇場を拠点に活動する劇団・“エニグマの慟哭”の劇作家でもある青年、草見修司は自身が執筆した台本の最終稿やメモ用のノートなどを詰めたリュックを背負い、この後に本読みが行われるテレビ局へと1人で向かっていた_

 

 

 

 

 

 

 「(・・・意外と綺麗なんだな・・・ここから見る景色・・・)」

 

 顔合わせと読み合わせが行われるお台場のテレビ局へと向かう途中、まばらに乗客が乗っているゆりかもめがレインボーブリッジのループを抜けて吊橋部に差し掛かり、寄りかかるドア越しから並行する道路のトラスの向こうに見える都心と海に目を向ける。眺めはお世辞にもあまり良いとは言えないがやたらと天気が良いからか、コンクリートジャングルと東京湾のコントラストが何だか心地よい。思えば脚本のオファーが正式に決まってからの1ヶ月は執筆に専念する関係で主宰の数多(あまた)さんから休みを貰い、そこからは部屋に籠ってひたすら脚本を書いて原作者に送るという作業に追われて、はっきり言って空を眺める余裕すらないくらいだった。そのせいかこういう何気ない東京の風景ですら軽く感動を覚えてしまうくらいには、今の僕の感受性は有り余っているみたいだ。

 

 「(これぞまさに、“青天の霹靂”・・・・・・いや違うか)」

 

 車窓に映るブリッジの向こうに広がる景色を見て、心の中で人知れず上手いことを言いかけて、そんな自分をすぐさま恥じて現実に戻る。正直僕としては、第一話の脚本が3度の修正の末に原作者から“はなまる”を頂けた余韻をもう少しだけ味わいたいところだが、如何せん舞台の稽古とは“時の流れ方”というものがまるで違う連続ドラマの制作現場なだけあって、いつものペースで事を進めるわけにもいかず、明日までには第二話の第一稿を完成させて原作者に送らなければならない。

 

 “ただし、肝心のその第一稿はまだ締め切り前日であるにも関わらず半分ほどしか完成していないという有り様・・・

 

 「(丸4日掛かった量を明日までに・・・・・・今は考えないでおこう)」

 

 ひとまずまだ完成していない第二話の脚本のことは本読みが終わってから考えることにして、僕は再び視線と意識を車窓へ向ける。

 

 

 

 

 

 

 “『君が草見修司くんだね?』”

 

 始まりは2月に拠点の劇場で行った公演の千秋楽終わりでのこと。カーテンコール、そして壇上を原状復帰したのちに通い慣れた飲み屋で2時間弱ほどの打ち上げと反省会を挟んで解散して1人でアパートへの帰り道を歩いていたとき、僕はスーツを着た背の高い男に背後からいきなり話しかけられた。

 

 “『・・・どうして僕の名前を?』”

 “『それよりも先ずは草見修司くん。君がいる劇団でもある『エニグマの慟哭』はまだ旗上げから5年ながらも演劇界では“センセーショナル”と評され大いに注目されていると聞いている・・・そしてこの劇団が表現する演劇とやらは、主宰の由良木数多(ゆらきあまた)が表現する常人には到底理解できない不条理とユーモアに満ちた世界観を脚本家の君が“シナリオ”という形で完璧に補完することで舞台として成立させている・・・もちろん主宰の抱えている“狂気”を芝居という形で昇華する演者も含めてエニグマの慟哭という唯一無二の世界観を表現するには必要なピースだが・・・・・・その中でも君はまさに劇団にはなくてはならない頭脳(ブレーン)』”

 “『・・・なるほど。いきなり呼び止めた事情は分かりませんが、要するにあなたはこの僕をスカウトしに来た、ということですか?』”

 “『よくぞご存じで』”

 “『その出で立ちと語り口、それとあなたから出ている“オーラ”で何となく分かりますよ・・・プロデューサーでしょ?』”

 

 ほんの一瞬だけ不審者か自分が得体のしれない何者ではないかと錯覚している異常者だと仮定して身構えてみたものの、僕のいる劇団の話題を一方的に話し始めたところで“この人”が芸能関係かあるいは映像作品関係のプロデューサーだというのは、雰囲気で分かった。補足をしておくとこれは生まれ持った超能力ではなく、物心がついたときからの趣味の1つである“人間観察”を経て気が付いたら習得していた下らぬ特技に過ぎない。

 

 “『えぇ・・・いかにも』”

 

 こうして相手の正体を言い当てた僕に、スーツ姿のプロデューサーはニヒルに笑いながら一枚の名刺を差し出した。彼の名前は、上地亮。テレビドラマや映画を中心にメガヒットを次々と生み出している大物プロデューサーとして度々テレビでも名前を聞いていたから、実物こそ初見だったが名前だけは既に知っていた。

 

 “『それで、あなたのような著名人が僕のような“無名の劇作家(アウトサイダー)”に何か用でも?』”

 “『用があるから君に声をかけたのさ・・・“アングラ”も“メイン”も関係なく、僕は10代という多感な少年少女だけが持つ“青い醜さ”を表現できる脚本家(ライター)をずっと探していた・・・』”

 

 無論、“山勘”でプロデューサーであると見抜いていた僕は、この男の話を疑わずに聞き入れた。

 

 “『草見修司くん・・・・・・君が持つ才能、是非とも映像の世界でも発揮させてみないかい?』”

 

 そんな帰りの夜道で僕に話しかけてきたプロデューサーの男が持ち掛けてきたオファーたるものが、今回のドラマの脚本だった。厳密に言えばこの男が僕と同じように声をかけた人間は僕を含めて複数人いて、要はオファーはオファーでもオーディションの要素を含めたものだった。

 

 “『・・・どんな作品を作るつもりですか?』”

 “『4月に僕らのほうで情報を解禁するまで絶対に口外しないことを約束して欲しいんだけど・・・守れるかい?』”

 

 口外しないことを条件に、上地さんは『ユースフル・デイズ』が7月にドラマ化するという話を僕に打ち明けた。

 

 “『・・・分かりました』”

 

 その中身はともかくとして、僕は直感でこのオファーを受けてみることを決めた。正直なところ舞台演劇が好きだから劇作家をやっているところもあって、今いる劇団で“板付作家”として活動している現状は確かに至福ではあったが、それ以上に“1人の脚本家(にんげん)”として単純に生きていきたいとも思っていたから、内容は二の次で引き受けることにした。

 

 “『と言いたいところですが、僕からも二つほど条件をつけさせてもらいます。それを受け入れるのであれば引き受けましょう』”

 “『もちろん何でも言ってくれ・・・どんな条件だろうと、僕は文句を言わないから』”

 “『・・・では先ず一つ目として、主宰の数多にだけは今回の件について話させてください・・・そして二つ目は・・・・・・僕の脚本(シナリオ)があなたの心に通用したときに、改めてお話します』”

 “『・・・いいねぇ・・・やはり僕の想像していた通りだ』”

 

 ただし、オファーを引き受けるにあたって僕のほうからも条件を付けさせてもらった。

 

 “『ともあれ、これにて“オファー”は成立だ。ここから先の結末は草見くんの頑張り次第だけどね?』”

 “『・・・はい』”

 

 こうして奇しくも利害が一致した僕は、大物プロデューサーが持ち掛けてきた“オファー”たるものに乗っかることにした。

 

 

 

 

 

 

 『まもなく、お台場海浜公園、お台場海浜公園です。出口は右側です_』

 

 

 

 

 

 

 “オファー”として与えられた課題は、ドラマ『ユースフル・デイズ』の第一話にあたるシナリオを自分なりに考えて提出するというものだった。とはいえ流石に原作が存在するだけあっていくつか制約はあり、シナリオを書く上で定められた条件としては、第一話のシナリオは原作者の逢沢(あいざわ)さんが直々に指定した範囲内のエピソードを消費したものであること、逢沢さんが指定した部分は原作通りの台詞(もの)を使用すること、登場人物の設定や人間関係は改変せずにそのままシナリオに反映させること・・・とした上で、各々が元となっている原作のシナリオを脚色していくというものだ。舞台演劇一筋の僕にとっては映像化することを前提とした脚本を執筆すること自体が初めてだったことに加えて、自分で考えたオリジナルと数多さんの頭の中で浮かんだ未完成なアイデアをト書きと台詞に起こすことしかしてこなかったから、既に完成されたものを台本として作り上げる作業(こと)自体が初めての経験だった。

 

 “『上地亮のところへ行くと言うのか・・・貴様は?』”

 “『まだ決まっていませんが、審査が通れば恐らくは約半年ほど・・・出来れば暫くの間はそれに専念させて頂こうと考えています』”

 “『そうか・・・・・・草見修司・・・貴様は、何のために生きとし生ける?』”

 “『無論、行く行くは“1人の人間”として自らがこの世界に存じた証を示すつもりです・・・』”

 “『・・・・・・分かった・・・事が済むまでは貴様の好きにすれば良い。他の団員(ものたち)には私から事を伝えておく・・・』”

 “『心遣い感謝します。数多さん』”

 “『気にすることはないぞ、草見修司・・・・・・我々も、世紀が次に進んだように次なる章へと進まねばならないからな・・・』”

 

 無論、上地さんに出した条件の通り数多さんには事前に話をつけた。いくらこの僕を作家以前に人として信頼してくれている数多さんと言えど納得して貰えるかは不安ではあったが、最終的に僕の我儘を許してくれるばかりか脚本執筆に専念するため“お暇”まで貰うことができた。僕がエニグマの慟哭(この劇団)に固執しているわけではないことを理解している数多さんにとっても、僕にばかり頼っていては劇団の未来がないことは重々理解しているからこそ、自由を利かしてくれた。仲間を蔑ろにしている、そう捉えられても仕方のないことをしているのかもしれないが、僕自身には後悔もなければ罪悪感もない。その程度のことで心が揺らぐ人間に、由良木数多という“狂人(おとこ)”の右腕は務まらない。

 

 

 

 

 

 

 『お台場海浜公園。お台場海浜公園_』

 『まもなく、2番線に、新橋行きが_』

 

 

 

 

 

 

 僕は脚本を書く上で、ひとつだけ決めていたことがあった。そのために僕は原作が連載されていた1996年からドラマ版の2001年という時代設定の変更やより登場人物の心情と行動に現実性を持たせるために場面を細かく脚色しつつも、シナリオにおいてはあくまでストーリーの補完のみに絞り忠実に原作を再現するように原作のコマからカット割りを逆算してト書きを作り、最終的に自分の中でも完璧な原作再現となる第一稿を作り上げた。無論何もかもがゼロの手探り状態で始めたこともあり、上地さんの元へと送れたのは締め切りの前日になった。

 

 正直、最初は思い切って許されるかどうか際どいところまで脚色してやろうかとも考えていたが、原作の漫画を全巻読破してそれが間違いだということは改変しようのないほどに完成された“素材”が教えてくれた。原作が存在する脚本となると、恐らく元の素材からどうやってオリジナリティを出そうとするかばかりを考えようとする連中は少なくないだろう。確かにそれは無理もない話で、例えば原作の話を一字一句全て原作通りに書けと言われたら、僕らは何のために脚本を書いているんだという話になる。無論、自己のオリジナリティを出していくことを僕は否定しない。だが中にはそこで“原作ありき”の脚本において肝心なところを飛ばしていきなり脚色しようとする馬鹿も、きっと現実には一定数いるのだろう。僕自身は声を大にしてそれを言えるほど偉い立場ではないから主張はそっと心にしまっておくが、少なくとも僕は『ユースフル・デイズ』の原作が素人目で読んでも完成されていることが分かるストーリーだったからか、そういう馬鹿げた類の気持ちは微塵も感じなかった。寧ろ原作として既に完成して世に送り出されたシナリオを、いかに崩さずに自分の色に染め上げることが出来るか、それこそが原作ありきの脚本を書く上で重要なことなのではないか・・・と僕は第一稿を書き終えてみて感じた。ただしこんなものは所詮、“他人(ひと)のため”にしか脚本というものをこれまで書いて来なかった22の無名な劇作家(ものがき)が偉そうに能書きを垂れているに過ぎない、そんな価値でしかない参考になんてなりはしない下らぬ結論のようなものだ。

 

 

 

 “『おめでとう草見くん・・・満場一致で、君の書いたシナリオに決めたよ』”

 

 

 

 ただ今回のドラマに関して言えば、僕が辿り着いた考えが正しかったようだった。

 

 

 

 

 

 

 『1番線、有明行き。扉が閉まります_』

 

 

 

 

 

 

 “『それで早速なんだけど、草見くんが言っていたもう一つの条件は何だい?』”

 

 “君に決めた”という上地さんから直接携帯に掛かってきた電話で静かに喜びを嚙みしめるのも束の間、上地はオファーを受け取ったときに約束をしていた“条件”の話を僕に持ち掛けた。

 

 “『そうでしたね・・・ちゃんと覚えてくれていたあたり、あなたのことを信用して正解だったみたいです』”

 

 無論ながら僕の提示した二つ目の条件も上地は引き受けてくれたことで、僕は正式にドラマ『ユースフル・デイズ』の脚本家として選ばれた。

 

 “『では草見くん。君には早速、ある場所へと向かって頂こうか・・・・・・是非とも君と一度会ってお話したいという方がいるからね・・・』”

 

 選ばれたのは良いが、大変だったのはここから第一話の最終稿が完成するまでの1ヶ月間だったのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 『次は、台場です。The next station is Daiba_』

 

 お台場海浜公園駅を出てすぐに、下車する駅を車内放送のアナウンスが告げる。つい先ほどまでトラックやタクシーと並走しながらブリッジを渡っていたはずの窓の外には、10年前まで“陸の孤島”も同然だった新都心にそびえる比較的新しいビルが流れ、直後に視線の先を覆い尽くすように大きなビルが車窓に入る。

 

 「(・・・ここか)」

 

 この中で僕はこの後、生まれて初めてドラマや映画を主戦場としている役者たるものの芝居を初めて同じ空気で体験することになる。当然ながら僕は“演劇バカ”にはならないように日頃から暇が出来ればドラマや映画は普通に鑑賞してきているから、目の前に座る観客を対にする演劇に求められる“1対100”の芝居と、画面の向こうに座る観客を対にする映像に求められる“1対1”の芝居の違いも自分なりに理解しているつもりだ。メインに選ばれたキャスト4人はプライム帯ながら僕よりも若い10代という年齢で構成されている若さ故の不安要素はあるが、いずれも“1対1”の芝居を基本としている映像演技を主軸としている上、4人とも演技においては少なくとも及第点以上の領域に達していることは事前にその4人の出演した作品を鑑賞し、心得ている。

 

 “・・・だが、この4人が同じ“場所”に立ったとき、何が起こるのかは未知数・・・というところか”

 

 まず前提として、星アリサの芸能事務所・スターズに所属している一色十夜と永瀬あずさに関しては大きな心配はないだろう。一色十夜は演じ分けではなく本人の個性を前面に押し出した所謂“主役の芝居”を武器としている典型的な主演俳優だが、同時に場面によっては相手を目立たせる芝居も難なくこなせる器用さがあるのは彼の初主演作となったドラマで把握している。ドラマ自体の演出による力もあるが、彼は芸歴1年目の時点で場の空気を読みそれを自在にコントロールすることでより自分を際立たせるという術を使いこなしていた。要は役作りをせずともただ周囲の雰囲気だけを読み切って芝居をするだけで成立させてしまう“本当の天才”である上に、同世代の役者の中ではあの牧静流を超えるとも言える世間からの注目度を持っていてスター性も申し分ない。もう一人の永瀬あずさは他の3人と比べると実力自体は最も低いが、あくまでそれは現時点での話に過ぎず、彼女が注目されることとなった連続テレビ小説では後半からの登場ながら話が進むにつれて右肩上がりに演技力が向上していったように、役者としての成長速度は目を見張るものがある。今のところ一色十夜のように才能だけで芝居を成立させられるようなカリスマ性こそ感じないが、真面目な“努力家”であろう彼女は今回のような同世代の役者との共演を転機に次の段階へ化ける可能性は十分に秘めている。

 

 「(それにスターズは所属タレントへの教育も徹底していると噂で聞いている・・・となると・・・)」

 

 一方で、この手の芸能事務所としては珍しく演技派の俳優に重きを置いているカイ・プロダクション所属の2人は、その例に漏れず同世代の中でも特に演技面で注目されている。そのうちの1人、堀宮杏子は去年シェアウォーターのイメージガールに選ばれたのを境にドラマや映画で次々とメインを演じるようになりブレイクした“新進気鋭の女優”のように世間では思われているが、実際は子役時代から地道に芝居を磨き続けて昨今のブレイクに至った苦労人だ。そんな彼女が約10年の“下積み”を経て得たものは、清涼飲料水がよく似合う爽やかな清純派の雰囲気に反した演じる役柄に入り込む憑依型の芝居で、それでいてどのような作品でも違和感なく溶け込む彼女の演技は理論的に芝居を組んでいるかのような安定感も併せ持っていると僕は感じた。その理由を確かめてみるという意味合いで試しにマニアの知り合いから拝借したビデオを借りて子役時代の演技も見てみたが、10歳のころの彼女は至って平凡だったことから、彼女の入り込む芝居は“後天的”に染み付いたことが分かり合点がいった。僕の中にある判断基準としては、この手の役者は自分が壊れる“限界値”をある程度は理解しているだろうから、様子見としておくが特段心配はしていない。

 

 「(・・・やはり・・・懸念すべきなのは“彼”だ・・・)」”

 

 問題は最後の1人、夕野憬だ。恐らく今回のドラマでメインキャストに選ばれた4人の中では、一般的な知名度で言うと最も低くテレビ的な意味で言うと数字が取れないのが彼だが、こと演技力においては他の3人を圧倒する潜在能力を持っている。ちなみに彼のことはドラマのオファーが来る前から僕は知っていた。きっかけは、彼が世間に注目される転機となった映画『ロストチャイルド』を僕にとっては“脚本の師匠”にあたる映像作家の透視(とうし)さんから“凄いヤツが出てる”と映画館のチケットを渡され、稽古終わりに数多さんと3人で観に行ったときのことだ。

 

 

 

 “『俺にしてみりゃ、あれは完全に“役者殺し”のやり方だ。そんなドクさん相手にド新人がここまで演れたとなれば・・・日本の映画界の未来は明るいだろうよ・・・』”

 

 

 

 『ロストチャイルド』を観終えた透視さんはその演出方法を冗談交じりで“役者殺し”と言っていたが、監督の國近独という男は“ホンモノ”しか演者として使わず、ドキュメンタリー由来の写実的なカメラワークや演出方法はもちろんのこと、演技面においても徹底的に演者に対してリアリティを追求するスタイルは従来の映像演技に求められるものとも異なる方法で、キャリアを積んだベテランであっても決して簡単に適応できるものではないという。そんな高難度な技術を問われながらも持ち合わせた技術だけでは上手く嚙み合わないある種の“役者殺し”でもある國近監督のメソッドに、スクリーンに映る14歳の少年は見事に適応していた。徹底的にリアルでありながら、芝居としての“一線”は超えずに作品として成立させる塩梅。今のところ俳優としての映像作品で名のある役を演じた機会はこの一回だけで、僕が彼の演技を見たのもあの一回だけだが、それだけで彼の持ち合わせているものがどれほどのものであるのかは十二分に伝わった・・・と、ここまで聞けば全く心配なんてする必要はないように聞こえるが、問題は彼自身のことだ。

 

 

 

 “『・・・いや・・・今はこれでいいかもしれないが・・・・・・私は彼の芝居には限界があるように思える』”

 “『なるほどねぇ・・・じゃあせっかくだから“由良木ジュニア”の主張を先輩が聞いてやろうじゃないの』”

 “『まず本郷透視に語弊が生まれないように説明するならば、夕野憬の芝居は下手ではない・・・・・・ただ、彼は常に演じる役に対して自我という感情を捨て去り己を全て捧げ殺す勢いで、感情(パトス)のあるがままに芝居をしている・・・・・・現状として、この映画はそんな彼の芝居が良い意味で作用し、まかり通ったわけだが・・・私から見れば“偶然の産物”でしかなかった・・・・・・もし彼がこの先、己に嘘を吐かずに役者という生き方を生けるとするならば・・・“四面体”の鳥籠の中に閉じ込め餌を与え続ける今の“飼い方”では・・・結果として彼は大海まで飛べずに“死ぬ”ことになるだろう・・・・・・鳥籠の中で育った渡り鳥が、大人へと育つ過程で大海を渡り切る力を失ってしまうように・・・』”

 “『うん、なるほど・・・ねぇ通訳さん?お宅の主宰がいま“僕ちん”に言ったことを一言で説明してくれない?』”

 “『分かりましたけど僕は通訳ではないですよ透視さん』”

 

 

 

 あの映画を観終えた後、他の客がぞろぞろと帰り始めた客席の一角で議論のように3人で総評をしていたときに、数多さんが彼のことをこう評した。無論それは、僕も彼の演技を見てひしひしと感じていた。何度でも言うが夕野憬という少年の演技は素晴らしく、あの才能は“10年に1人”という表現で片づけてしまうには勿体ないほどだと思う。

 

 

 

 “『要するに・・・“感覚”で生きているこの少年の芝居は、映像には“向いていない”ということです』”

 

 

 

 だからこそ少年の芝居(それ)は、強すぎるが故に作品のバランスを壊しかねない“危険”を秘めていて・・・ドラマにはあまりにも不向きだ・・・

 

 

 

 “『これはあくまで僕の持論ですが・・・もし周りの大人たちがどうしても彼のことを“日本一の役者”として成功させたいと思っているのなら・・・・・・“大人”になってしまう前に、一度でいいから彼を舞台に立たせるべきです・・・』”

 

 

 

 

 

 

 『まもなく、台場、台場。出口は右側です_』

 

 最寄りの駅を告げるアナウンスが流れて、減速し始めると共に景色の流れも遅くなっていく。それに合わせて僕も視線と身体の向きを変えて右側のドアへと向かう。乗っているゆりかもめは既にホームに進入していた。

 

 「(いよいよか・・・)」

 

 ブー_

 

 『台場。台場_』

 

 ブザーが鳴ってドアが開いたのを合図に、僕は意識を前に向けて台場駅のホームに降り立ち、そのまま真っ直ぐに最寄りのテレビ局へと足を進めた。




いざ、お台場へ_



草見修司って誰だよ?と思った方が中にはいるかと思いますが実は彼、原作キャラなんです。とは言っても蓮や皐月ちゃんと同じく単行本には未登場なのであまり知られておらず、原作の最後を締め括った台詞以外はこれといった見せ場もないまま原作自体が終わってしまったのでどういう人物像なのかは殆ど考察になってしまうのですが・・・僕の中にある草見先生(若かりし頃)のイメージは大体こんな感じです。

最後についでの補足ですが、本編の時系列は2001年となっていますのでりんかい線はまだ新木場から天王洲アイルまでしか開通していません(※翌年の2002年に大崎まで全線開通し、JRとの相互乗り入れを開始)。

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【人物紹介】

・草見修司(くさみしゅうじ)
職業:劇作家・脚本家
生年月日:1979年4月20日生まれ
血液型:A型
身長:177cm
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