「上地から話は全て聞かせてもらったわ。これは一体どういうつもり?章人」
芸能事務所・スターズの社長室。ここでは代表取締役の星アリサと脚本家の月島章人が1対1になって話し合いをしている。
「どういうつもりも何も、そのままの意味だよ」
だが2人の間には、とても穏便な話し合いとは言い難いほど重苦しい空気が流れている。
「上地と共に
アリサは冷静さを保ちながら淡々と月島を諭すように話を進めているが、内側で怒りが渦巻いているのは明らかだ。
「私が何のためにあの子を遠ざけたか、あなたは分かっているはずでしょう?」
「・・・彼の“幸せ”のため、だったか」
そう切り出すと月島は一呼吸おいて、静かにアリサの尋問に答える。
「果たしてその選択が、夕野君にとって本当の幸せになるのか・・・僕には分からないね」
自分の中にある“幸せ”と月島の考えている“幸せ”の本質は、当然ながら全く異なったものであることは、アリサはとっくに気付いている。
「何を迷う必要があるのかしら?少なくともあの子の芝居は遅かれ早かれ身を滅ぼす。私は何も間違ったことはしていないわ。全てはあの子の人生を“不幸”にさせないためよ」
「そうやって他人の幸せを自分で決めつけてしまうのはただの傲慢だよ。アリサ」
「私のやり方が傲慢?・・・フッ、笑わせないでくれる?」
月島から自分の行いを傲慢の一言で片づけられると、アリサは呆れ返ったような笑みを浮かべる。
「演出家は誰も彼も役者の人生なんて何一つ考えようともしない。そうやってこれまでに何人もの人生を壊してきた“あなた達”の方がよっぽど“傲慢”なように、私には見えるけど?」
嫌悪感を隠そうともしないその言葉を跳ね返すかのように、月島も語気を強める。
「“役者として舞台の上で死ねたら本望”と言っていた君が・・・そんなことを言うようになるとはな」
すると月島を凝視するエメラルドグリーンの瞳が、一瞬だけ怒りで揺らぐ。
「・・・私が先生の舞台で何を“失った”のか・・・あなたにだけは忘れたなんて言わせないわよ」
「・・・誰が忘れるかよ」
今から1年半前、“演劇界の重鎮”と呼ばれる演出家が手掛けたある舞台が上演され、日本中はおろか海外からも注目されていたというその舞台で主演を務めた彼女はついに役者としての極地に達し、名実ともに世界を代表する演技派女優になっていたはずだった。
誰よりも作品を愛し誰よりも作品に愛されたその才能は、数多の演出家を惚れさせ、彼女もまたそんな演出家たちの愛に答えてみせた。自分を愛してくれる演出家や作品に囲まれながら死ぬことが、役者冥利に尽きることだと信じて疑わなかった。
そんな彼女は舞台の幕が降りると同時に、“女優・星アリサ”という人生に自らの手で
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ちょうど同じ頃、憬は環の家に上がり環の母親から応急処置を受けていた。
「ったー・・・」
傷口に消毒液が付いた瞬間、電流が流れるかのような痛みが一瞬だけ膝を通じて全身に走り、思わず声が出た。
「よしっ、これでひとまずってところだね」
「・・・ありがとうございます」
冷静になって振り返れば振り返るほど、本当に自分が情けなく感じてくる。俺はただ、環に会いたかっただけなのに。
「なんか・・・すいませんでした。色々と迷惑かけて」
ふと思い出したが、環の母親とこうしてまともに会話をするのは初めてだった。今までにも何回か会ってはいたが、軽く挨拶をしたぐらいだった。
「いいよ礼なんかしなくても。怪我した人が目の前にいたら助けるのは当然のことでしょ」
それから俺は環の母親からちょっとしたお茶をご馳走になり、環の話で少しばかり盛り上がった。
静岡で生まれ育ったという環は物心がついた頃から今のように明るく、気がつけばクラスや集団の中心にいるような子だった。
そして父親の仕事の都合で2年前に、この横浜に引っ越してきた。
「今は全然泣かないけど蓮って小さい頃は凄い泣き虫だったんだよ」
「へぇーなんか意外ですね」
「そうでしょ。たかがじゃんけんに負けたぐらいで泣いちゃったりしてさ。あぁ、よく考えたら泣き虫というより負けず嫌いか、極端な」
負けず嫌い。確かにそれは今の環でも当てはまる。普段の振る舞いは楽観的だが、プライドは誰よりも高い。
軽い気持ちでスカウトキャラバンを受けてとんとん拍子でグランプリを獲ったと言っていたが、その根底には元来の負けず嫌いな性格があったからに違いない。
そんな負けず嫌いの“小さなプライド”は、芸能界という異端な地で無数のライバルたちに揉まれながらも確たる
だがそれよりも個人的に気になることが1つあった。
「えっ?蓮ってじゃんけんに負けたことがあるんですか?」
「寧ろじゃんけんは滅茶苦茶弱かったよ。習い事やかけっことかは常に1番だったけどじゃんけんだけは本当に弱くてさ」
「・・・全然イメージできねぇ」
じゃんけんでは全戦全勝を誇っている
「蓮が年長だった時、組対抗のドッジボール大会で1対1のまま決着つかずにじゃんけんで勝敗を決めることになって、案の定負けちゃってさ。それで家に帰ったら早々に『あたしのせいでだりあ組が勝てなかった・・・あたしのせいで』って言いながら大泣きしてたよ」
「・・・なんか、“負けちゃった”じゃなくて“勝てなかった”っていうところがらしいですよね」
「そうね」
心の中で呟くつもりが、思い切り声になって口から溢れ出してしまった。
「すいません!俺が今言ったことは忘れてください」
「いいよいいよ全然気にしなくて!私だってそう思ってるからさ」
元から環と彼女はよく似ていると思っていたが、実際にこうして話してみると話し方や仕草もどことなく似ていることに気付く。
親子だから多少なりとも似るのは当たり前とは言え、少しでも油断しているとまるで大人になった環とそのまま会話をしているかのような錯覚に陥る不思議な感覚。
「しかもあの後に同じ組の男の子から負けたことで色々言われたらしいんだけどそれでも“負けた自分が悪い”って責任感から誰も責めなかったんだよあの子」
「何もそこまで責任を負わなくていいのに・・・」
ここまで来ると園児の皮を被った大人のようにすら思えてくる。一方で周りに全く興味を示さず、自分の世界という殻に閉じこもっていたどっかの誰かとは大違いだ。
「小さい時から蓮って何でも1番じゃないと気が済まない性格だからさ。本当はもう少し気を抜いて欲しいけど、あの子の性格を考えると極端な負けず嫌いは直せない。そこで勝負ごとにもっと強くなるおまじないをしたわけ」
「おまじない、ですか?」
「そしたら今まで勝てなかったのが嘘みたいにじゃんけんで勝てるようになったんだよ」
「あの・・・それって一体」
「ごめんね憬くん。ここから先は秘密ってことで」
憬の疑問に無理矢理被せるように環の母親である
「取りあえず、その“おまじない”のおかげで蓮はじゃんけんが強くなったってことですね?」
「そうね。まぁ教えられるのはそれぐらいかな」
核心には迫ることは出来なかったが、環があれだけじゃんけんに強いことに纏わるルーツには触れることが出来た。
「・・・そうだ・・・」
俺は危うく一番聞きたかったことを忘れて帰ってしまうところだった。その答えを聞かなかったら俺は何のために全力で走り、何のために膝を擦りむいたかが分からなくなる。
「蓮はいつまでこっちにいるんですか?」
「・・・・・・」
すると今まで和やかだったリビングの空気が、一瞬で何とも言えない気まずさに包まれる。
「実はね・・・もう蓮はこの家を出て行ったんだよ」
「えっ・・・」
環は既に2週間ほど前から事務所が用意したマンションの一室で年齢の近い同じ事務所の女優仲間と2人暮らしで生活をしているという。
「本当は今日だけ学校に出て自分の口から話をするはずだったんだけどスケジュールが変わっちゃったみたいで。なんかごめんね。こんな形になって」
「いや、仕方ないと思いますよ。ドラマに毎週出るとなると学校なんて行く暇もないくらい忙しいだろうし」
いたたまれなくなった憬は、自分の血で
“俺は一体何をやっているのだろう”
こんな怪我をしてまで環のところに来てみれば、肝心の本人はもうここにはいない。どうやら聞きたかったことを聞くまでもなく、ただ無駄に自分の身体に傷をつけただけで終わるのは決定事項だったようだ。
これほどまでに自分自身が無様に思えて仕方がないと感じたのは、生まれて初めてだ。
「でも、憬くんをみてると蓮は本当に良い友達に出会えたって思うよ」
「いや、俺なんて全然ですよ。いつも蓮に助けてもらってばかりで」
思い返すと人生の
結局、環がいなければ俺は何も出来ずにいた。
「こっちの学校に転校した最初の日、凄い嬉しそうな顔して家に帰って来てさ。それで聞いてみたら『友達が出来た』って言って憬くんの話をしたわけ」
前の小学校では友達というよりはクラスのリーダーやマドンナのような特別扱いを受けていてうんざりしていた。だから俺がリーダーとかマドンナみたいに特別視せず、本当にただの友達の1人として接してくれたことに、心の底から嬉しがっていたらしい。
「何より、憬くんに会えなかったらきっと蓮は女優になってないだろうし。本当に感謝してもしきれないくらいだよ憬くんには」
「そうですか・・・でも、そのせいで蓮と千晶さんは」
もし俺があの時、環をスカウトキャラバンを勧めなかったら、仲睦まじい親子がこんなに早く離れ離れになることはなかっただろう。
「もしかして私が寂しい思いをしてるって思ってる?」
「いや、それは」
そんな憬の心情を察した千晶は、優しく穏やかな口調で憬に言葉を投げかける。
「子供が自分の信じた道を進むのなら、親は子を信じて温かく見守ることは当然のことでしょ。距離が離れていても、テレビや映画に出ればそこで会えるし、ドラマや映画の中で死んじゃっても、別にあの子が死ぬわけじゃないからさ。蓮が同じ世界で生きている・・・それだけで私は十分に幸せだよ。だから、寂しくなんか全くない」
そう言って千晶は憬に向かって微笑んでみせる。
「でもそれ以上に、他人のことをここまで思いやれる人に出会えた蓮はもっと幸せ者だよね」
「あ、はぁ・・・」
物凄く良いことを言われたような気がするが、人から褒められるという経験が周りより乏しかった俺は僅差で羞恥心が勝って、曖昧な返事になる。
そんな俺の姿を千晶は微笑ましい様子でただ見つめている。本当に、まるで
父親がいて、母親がいて、祖父母がいて、兄弟姉妹に囲まれた家族もいる。そういう家族が恵まれていると言われれば、そうなのかもしれない。だが俺の知っている夕野家の家族は、俺と母親の2人だけだ。
『憬くんってさ、お父さんいないの?』
小3の授業参観終わりに、同じクラスの女子から言われた一言。父親の姿は記憶に存在せず、祖父母とも色々と事情があるらしく今まで一度も会ったことがない。
『へぇ~、なんか可哀想だね』
そのことを打ち明けたら、その女子は俺のことを可哀想だと言った。でも、俺にとってはそんな日常が当たり前だったから、全く寂しさは感じなかった。
だけど、当たり前だと思っていた日常が周りから“可哀想”だと思われていたことが、少しだけショックだった。
『俺さ、父親がいないんだよね』
『そうなんだ』
環が転校してきてすぐの頃、俺は環に父親がいないと言うことを打ち明けたことがあった。
『寂しくないの?』
『別に寂しいと思ったことはないよ。俺にとってはそれがいつものことだし。周りから可哀想だって言われたこともあるけど、寧ろ今のままの方が俺はいいと思ってる』
『・・・そっか』
環は肯定も否定もせず、ただ俺の話を黙って頷きながら聞いてくれた。なんかそれが、全てを受け止めてくれた気がして凄く嬉しかったことを覚えている。
どんな形であれ自分を支え、応援してくれる家族が1人でもいれば、それで十分だと言う思いは今も変わらない。
「じゃあ、そろそろ失礼します」
「あら、もう帰るの」
気が付くと俺は、千晶とかれこれ1時間以上も会話をしていた。
「あんまり長居するのもあれなので」
「えー私は全然いいのに・・・そうだ、せっかくだから帰る前に手紙でも書いておく?私が送っておいてあげるからさ」
「え、良いんですか?」
「もちろん。きっと蓮はびっくりするだろうな」
さよならの一言も言わず、2年2組から去っていった。環とは撮影の関係で欠席や早退を繰り返すようになってからとうとう今日までまともに話をすることはなかった。
だからある意味これは、あの日の答えを聞く絶好のチャンスなのかもしれない。
“でも、本当にこれでいいのだろうか”
でも今から一方的に俺が言葉を送ったところで、それが何になるというのだろうか。そもそも、手紙を通じて俺は何を伝えればいいのだろうか。全く分からない。
「あのー」
“やっぱり、環が目の前にいないと意味がない”
「いいです」
「・・・あぁそう。まぁ、そうだよね。いきなり手紙書く?って言われても何を書いたらいいかわからないだろうし」
「そういうことじゃなくて」
今度は憬が千晶の言葉に被せるように言葉を紡ぐ。
「何というか。本当に言いたいことっていうのは直接会って話しておきたいなってことです」
「・・・でも蓮はもう芸能人だよ。今はドラマで忙しいし、もしかしたらこれがきっかけで大ブレイクなんてしちゃったら、当分会えないよ?」
まさか目の前にいる一人娘の親友が娘と同じ“世界”で働いているとは知らず、千晶は最もな反応をする。一般人と芸能人は、生きている世界がまるで違うからだ。
でも会いたいと言う純粋な気持ちは、芸能人だろうが一般人だろうが関係ない。
「大丈夫ですよ。俺たちは“親友”なので」
環と同じ仕事をしているということはまだ黙っておきたかった憬は、自分でもよく分からない“謎理論”で押し通す。
「親友だからいつでも会えるか・・・うん、いいね」
やがて何とも言えない空気に耐えかねて、憬は千晶と共に笑い合った。まるで
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「・・・こんな話をするつもりで呼び出したんじゃなかったのに」
アリサは深く溜息をついて、右手をこめかみに当てうなだれるような仕草をする。
「あぁ全くだ。僕もそんな話を聞くためにここに来たわけじゃない・・・」
“役者として舞台の上で死ねたら本望”
思い出したくもない
彼女があの舞台で負った傷は、1年以上が経った今でもはっきりと心の中にへばりついて離れないでいる。
そんな彼女を、月島は先ほどとは一変して気遣うような素振りを見せる。
「方法は違えど、これからこの世界に身を投じる“子供たちの幸せ”を守りたいという思いは僕も同じだ・・・だから夕野君のことは心配するな。
「・・・そういう問題じゃないでしょ」
“『僕は君の思っているような人間じゃないぞ。それでもいいのか?』”
今思えば
だが、もしこの男と出会っていなければ、私は自らの命すら終わらせていたのかもしれなかったということは代え難い事実だ。
「何で私はあなたなんかと・・・」
力なくアリサは月島に聞こえるか聞こえないかぐらいのか細い声で呟く。
「だったら“契約解消”するか?アリサがそれで幸せになれるのなら僕は構わないよ」
もしも“あの時”、私の心に少しでも余裕があったなら、こんな愚かな選択は絶対にしなかったのだろうか。
だが、今更気付いたところで手遅れだ。
「・・・もう遅いわよ」
そう言うとアリサは一度だけ深呼吸をすると、意を決したような表情を浮かべて月島にある事実を伝えた。
「・・・そうか」
アリサから告げられた事実に、月島は何とも言えない表情で力なく答えた。
先日、本業の方でしょーもなさすぎるミスを犯しまして、この週末はやや気分がブルーです。
まぁ、本当に傍から見れば些細なミスの1つなので次から気を付ければ全然許せるレベルではあると思うのですが・・・こういうのは結構メンタルに来るものです。
社会人になっても、相変わらず心はガラスのままですから。残念。
ということで今日(というか昨日)は執筆開始から初めて一文字も書かない一日を過ごし、おかげさまで少しだけリラックス出来ました。
誰に対してでもありませんが、ありがとうございます。
そんな自分が今欲しいものは、ミスをしても「こんな日もあるさ」と笑い飛ばせるような強い心。
それにしてもこの物語はどこに向かっているのだろう?
ついでに本編の補足ですが月島は脚本と演出の両方をやっていますが、本業はあくまで脚本家です。