「あずさはどうするつもり?これから撮影までの1ヶ月?」
十夜さん、憬さん、そして杏子と一緒に『ユースフル・デイズ』のメインキャスト4人でお台場に親睦も兼ねてお忍びで遊びに行った日。互いの家がある最寄りの駅からすれ違う人たちの視線に気を配りながら久しぶりに2人で並んで歩く夕暮れの帰り道で、左を歩く杏子が世間でよく知られているイメージそのままの明るい調子でこう聞いてきた。
「亜美の
「うん・・・もちろん。私も成功させたいし、周りの期待にも応えたい」
“何でも相談して”と右を歩く私に横目で優し気に笑う杏子。引っ込み思案の私は、困ったらいつも手を差し伸べて引っ張ってくれるそんな杏子の優しい背中に甘えていた。また杏子にとっての私もずっとこんな感じのイメージで、私がこうして芸能人として誰かの背中を借りずに1人で表舞台に立つようになってからも、杏子は私のことを“引っ込み思案なただの友達”として見ている。
「でも期待に応えられるようになるには・・・今のままじゃ駄目だって思ってる」
もちろんただの友達でこれからも居られることは、それはそれで本当に嬉しいこと。だけどこのままじゃ私は誰かに守られたまま、傷ついた友達に手を差し伸べることさえ出来なかった弱虫のままで終わってしまう。はっきり言っていまの私は隣を歩く友達にはまだまだ及ばなくて、相変わらず先へと進む背中を追いかけ続けている。
「それでさ・・・杏子にひとつだけお願いがあるの」
「お願い?何それ珍しいじゃん。あずさがあたしにワガママ言ってくるなんて」
だから私は、今回のドラマでメインキャストの1人が杏子になることをアリサさんから知らされたときから、思い上がりだと言われようと“ライバル”として撮影に臨むと決めていた。
「もったいぶらずに教えてよ。あずさのお願い」
まだ私の言っていることがどれだけ本気なのかが伝わっていない杏子は、前に視線を向けながら明るい口調で私を急かす。そんな普段通りの明るい杏子の様子に、ふと5年前の“あの日”の光景がトラウマとなって脳裏によぎった。
“『あずさはいいよね?だってあたしがいるんだから』”
“『あたしがどんな思いして子役やってるか何も知らないくせに慰めるくらいならほっといてよ!友達だったらさぁ!!』”
「今日から撮影が始まるまでの1ヶ月間、距離を置かせて欲しい・・・・・・気持ちだけでも、“転校生”でいたいから・・・」
そのトラウマを振り切って、私は杏子に本音を伝えた。もしこの選択によって何とかギリギリのバランスで平穏を保っている私たちの関係が変わってしまうことになるとしても、同じ後悔だけは二度としたくなかった。その後悔を塗り替えるのがまさに今だと、私は思っていた。
「・・・本気のつもり言ってんの?それ?」
“本気”の我儘を突き付けられた表情から笑みを残してスッと“笑みの感情”だけが消えて、前に視線を逸らしたまま普段より低いトーンで杏子は問いかけた。10年以上の長い付き合いだからこそ分かる些細な機嫌の変化と、“あの日”を境に幼馴染がたまに見せるようになった“黒い”一面。もちろん幼稚園のときにみんなの輪に入れないで1人で遊んでいた私に手を差し伸べてくれたときの誰にでも優しくて純粋に明るかった杏子も、
「うん・・・負けたくないのは、私も一緒だから」
そんな憧れていた世界に足を踏み入れて、いざ同じ場所へと立ってみてようやく私は理解した。どうして太陽みたいに明るくて優しかった杏子が、光の届かない暗闇のような“黒い感情”を持つようになったのか。メインを張れるようになるまでに、どれだけの苦しみを味わって来たのか・・・全部までとは行かなくとも、杏子が経験した苦しみが何なのかを理解できた今なら向き合える。そう思った。
“『“杏子なら大丈夫”とか、“絶対チャンスがある”とか、そんなこと二度とあたしの前で口にしないで・・・・・・それが守れないって言うんだったら・・・』”
「私は私の“やり方”で行くから・・・もう杏子の助けはいらない」
私はもう、ただ幼稚園から続いているだけの友情に甘えてばかりの“弱虫”じゃない。杏子にとっての、“対等な
「そう・・・好きにすれば?」
本気だという意思を伝えると、杏子は目を合わさず“あずさのくせに生意気”と言いたげに素っ気なく返した。私たち2人の間に流れる1メートルにも満たない隙間の空気が、ズシリと重くなる。
「では・・・お言葉に甘えてそうさせてもらいます」
「・・・・・・」
目を合わさずに前を見て歩く杏子に、私も同じように目を合わさず前を向いて言い返して、私たちは仲良く沈黙した。これでまたひとつ空気が重くなって、しばらくの沈黙が続いて“分かれ道”になるいつものT字路まで無言で歩いた。生まれて初めて、私は杏子に“喧嘩”を売った。
「じゃあ、また5月に」
「あずさ」
互いに無言のまま歩いたT字路で目を合わせない杏子に向けてさよならを言って横断歩道を渡ろうとしたら、何分かぶりに杏子もようやく口を開いた。
「・・・あたしとこれからも“友達”でいたいんだったら、もっと自分の立ち位置を弁えたほうがいいよ・・・」
「・・・杏子」
「じゃあね」
杏子は張り付いていた笑みを解いて心の中の“不愉快”さを露にしながら、私に向けて冷めたトーンで役者としての覚悟を試して、そのまま目もくれずに自分の家へと歩いていく。余計な優しさで傷つけられてから私との間に“見えない壁”を作ってしまった友達の背中に隠しきれていない苛立ちを見て、また余計な傷を負わせてしまったかもしれないという罪悪感が、これ以上傷つけるのが怖くてその壁をずっと壊せないでいる私の弱虫な心を抉った。
「・・・弁えてるだけじゃ駄目なのは・・・・・・杏子が一番よく分かってるでしょ」
そして役者であれば感じる必要のない罪悪感のせいで直接言えなかった一言を小さくなった背中へと呟いて、私は目の前の横断歩道を渡った。
あの日から1ヶ月と11日。“対等な友達”じゃなくなっても、通う学校が変わってもほぼ毎日メールなど何かしらのやり取りをしていた杏子とは互いに連絡すら取り合わず、読み合わせでも挨拶だけを交わしたら後は一度も顔を合わさないで文字通りに“疎遠”になった私は、
「あーずさっ」
撮影が行われる教室で蓮に月曜のことを謝りに行った後、俺は杏子と憬がいる控え室に戻る前にキャンパスの中庭へと向かい、“1人になりたい”と控え室に戻らず中庭のベンチで思いに耽るように座っていたあずさに声を掛けにいった。
「お疲れ様です。十夜さん」
せっかく1人になって気持ちを整えていたところを邪魔する恰好になるから怒られる前提で声を掛けてみたものの、ベンチに座るあずさは平然とした様子で笑みを繕う俺の顔を見上げて軽く頭を下げて挨拶する。
「隣、座っていい?」
「えぇ、いいですよ」
そしてメインキャストの中で転校前の亜美と唯一接点のある新太を演じる俺は、転校生の役を演じるにあたり杏子と憬とこの1ヶ月と少しのあいだ顔すら合わせてこなかったというあずさの許しを得て、同じベンチに人1人分のスペースを空けて座る。今日から撮るドラマの中では幼馴染同士の関係だというのに、相変わらずカメラが回っていないときのあずさは俺に対してずっと敬語のままだ。
「いよいよ今日から撮影だね。あずさ」
「・・・ですね」
それでも同じ作品で共演することになって話す機会が増えたおかげからか、こうやって同じベンチに座って普通に話せるくらいには互いに距離を近づけることができた。
「それで、十夜さんは何か用があってここに来たんですか?」
何となくを装い隣に座って、何気なくを装い声をかけた俺にあずさは横目で見つめながら問いかける。
「いや、何となくオレもあずさと同じように外の空気を吸ってリフレッシュしたいって思ったからさ。ほら、今日天気いいじゃん」
「言うほど良くないですよ」
「薄曇りは晴れのうちだよあずさ」
「まぁ・・・天気予報的には“晴れ”ですけど」
そして良い天気と言えるかどうか微妙なラインの空を見上げて天気が良いと言い張る俺を、半ば呆れた様子で大人しくツッコむあずさ。こうやって同じ制服を着て同じベンチに座りながらまるで中身がない話題で時間を潰す俺たちは、傍から見たら本当に“新太と亜美”みたいだ・・・・・・なんて、憑依型じゃない俺は1ミリも思わない。
「・・・本当は外の空気を吸いたいなんて嘘ですよね?」
「嘘?なんで?」
「ただ外に出たいだけだったらわざわざ中庭に来て私の隣に座る必要なんてないじゃないですか。私が
いつもみたいにのらりくらりと軽薄にやり過ごそうとする俺に痺れを切らしたのか、左隣に座るあずさは一気に核心へと切り込む。
「ハハッ・・・そうだよなぁ。いくら何でもあからさま過ぎたよなぁ」
もちろん下手に誤魔化して嘘を貫き通すつもりなど最初からない俺は、素直にそれを白状する。何せ隣にいるのは俺とは違って実力だけで星アリサに選ばれた期待の若手だから、小手先の嘘など秒でバレる。まぁ、本気を出せば話は多少変わって来るだろうけど、そんな馬鹿げた茶番をしている暇はない。
「本当は撮影が始まる前にあずさに聞いておきたいことがあったから、ここに来た」
「・・・十夜さんがこちらに近づいてくるのが見えた時点でそんな予感はしていました」
「やっぱり“ヤラセ”なしでグランプリ獲ったあずさは勘が冴えわたってるね?」
「十夜さんから褒められてもあまり嬉しくないです」
「そう言うと思ってました(ついさっき同じようなこと言われてきたばっかなんだけどなぁ俺・・・)」
蓮に続いて2連続の“
「あずさはさ・・・何でそんなに“必死”になってんの?」
お台場にお忍びで遊びに行ってから1ヶ月と何がしの間。あずさは会えなくても毎日のように連絡を取り合っていたという杏子と距離を置き続けていて、この間の読み合わせでも挨拶だけ交わして後は顔すら合わせないほど、互いを遠ざけていた。
“『それがさ・・・あずさのほうから言ってきたんだよね。距離を置きたいって』”
「どうしても理由を言わなきゃ駄目ですか?」
「ううん。言いたくないんだったら心の中に留めたままで構わないよ。オレならそうするし」
「・・・そうですか」
これが徹底的に役を作り上げる杏子からの提案だったとしたら、何の驚きもなかった。だけど、お台場に行った3日後に杏子の口からそれがあずさからの提案だったと電話越しに明かされたときはさすがに驚いた。もちろん、あずさがあずさなりにこの『ユースフル・デイズ』に対して並々ならぬ覚悟を抱えていたのは知っていたつもりだった。
“『あずさ的にはサトルとホリミィ。“危ない”のはどっちだと思う?』”
“『そうですね・・・・・・私は憬さんのほうが“危ない”ように思えます』”
少なくとも俺には、あの問いに“模範的な答え”を返したあずさがこんな“非効率”なやり方で役作りをする奴だとは思えなかった。まず、自身の境遇を演じる役柄に近づけるような方法は“星アリサの教育方針”に歯向かうような行為で、自分を
「ただ、あずさもそうやって自分を追い込むことがあるんだって・・・それがオレにはちょっと意外に見えた」
“だったら、“何が”あずさをここまで追い込むのか?”
「意外・・・ですか?」
「“ちょっと”だけね。だからあずさは何にも気にしなくていいから」
「・・・・・・」
メインの4人が初めて顔を合わせてから1ヶ月強。杏子から週に1回のペースでそれぞれの近況を報告し合ったのを経て伝えたかったことを伝えると、あずさは徐に薄曇りの空を見上げて黙り込む。その横顔に、何も知らない赤の他人が簡単に踏み込めないほどの“感情”を視た。
“『ホリミィの心配はしないの?』”
“『・・・全く心配してないと言ったら嘘になりますけど、杏子はきっと大丈夫ですよ・・・・・・だって杏子は・・・』”
「・・・“俺”はみんなが羨ましい」
その“感情”が誰に向けられているものなのかが分かった瞬間、心の中で留めておくつもりでいた言葉がそのまま口からこぼれてしまった。
「“羨ましい”とはどういう意味ですか?」
自分でも予期していなかった言葉は案の定、あずさの耳に一字一句届いていた。俺としたことが言う必要のない本心を口にしてしまうとは。これは普通に“失態”だ。
「いや、何でもないよ。ただの独り言」
これ以上墓穴を掘ってしまう前に、俺はベンチから立ち上がって気分転換を終わらせる。ぶっちゃけ言いたいことは全部言ったから、まだ撮影が始まってもいないのに気分は快晴の空の如く清々しい。
「じゃあ、オレはこれで控え室に戻ってるね」
ほんの一瞬だけ外側の世界に“こんにちは”をしてしまった内側の感情に蓋を閉めて、ベンチに背を向けて控え室のほうへと足を進め・・・
「十夜さん」
る俺を、あずさは呼び止める。大半の役者が探求心の塊だというのは知ってはいるけれど、まさか10分足らずの間に二度も同じ場面に遭遇するとは。しかもどっちも俺の心にダメージを負わせてきやがった。まあ、あれぐらいの言葉をぶつけられた程度じゃ痛くも痒くもならないくらいにはこの心は強靭だけれど。
「いや・・・何でもありません」
何を聞かれるかと一瞬だけ身構えたが、あずさは10秒前の俺を生き写すかのように口から出かけた言葉を心にしまう。
「いいの?オレに聞かなくて?」
「はい・・・十夜さんのことを知り過ぎてしまうのも、今は良くないと思ったので・・・」
それでも先を聞こうと揺さぶりをかけると、逆に俺たち“4人”があるべき
「・・・そっか」
“当たり前に”友達“という存在がいるみんなのことを、俺は羨ましいとは思わない・・・・・・そんな”贅肉“でしかない
「本番。上手くいくといいね」
「・・・はい」
振り返りざまにあずさに軽くエールを送った十夜は、そのまま振り返らず控え室へと向かった。
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「それじゃまたお昼にね~」
「うん」
2年1組の教室の扉のところで、クラス替えで2組になった凪子が1年のときのクラスメイトで同じ弓道部の雅に手を振りながら声をかけて、2組の教室へと向かう_
「今更だけど千代さんって大村さんとすごく仲良いよね?」
「そうかなぁ?割と普通じゃない?」
「えっ、もしかして新太って大村さんのこと」
「何でそうなるんだよ純也」
「(さて、ここから私は軽く見積もって2時間は暇になる、か・・・)」
カメラの前からフェードアウトして、一言目の台詞を言い終えた私は死角から1組の様子を見守る。次の大村凪子の出番は転校生の亜美が2年1組に編入するシーンが終わらないとやって来ないから、スケジュール的には最低でも昼休憩を挟んで2時間後になる。はっきり言って余力はこれでもかってぐらいに有り余っているから、身体が演じたがってるせいでもどかしい。
「(はぁ・・・これが“脇役”の宿命、か)」
さすがに撮影が順調に進んでいる手前で愚痴を吐くわけにもいかず、心の中でそっと溢しておく。私が演じている凪子という役は決して出番が少ないキャラクターではなくて、むしろ主人公の1人でもある雅にとって友達兼同じ部活のライバルという助演としてはオイシイ役どころではあるし、出番もそれなりにはある。
「コウとナギ・・・ん~、私にはあんまり想像つかないわ」
「千代さんもいいって真剣に考えなくて。そもそも大村さんと僕ってそんなに接点ないし」
だけどこの物語の主軸はあくまで1組の4人で、凪子はその周りで複雑に混じり合っている人間模様の一部に過ぎない。だから主軸にいるメインが揃ってしまえば、私は基本的に蚊帳の外。
「俺は応援するぜ☆」
「だからないってそれは」
とりあえず憬の演技が今のところ順調なのをこの目で見て、ひとまずは安堵する。読み合わせのいつになく不調だった憬を見たときはどうなるかと思っていたけれど、何だかんだでキッチリ本番までに仕上げてきて、すっかりカメラの前で純也に成り切っている。さすがはステータスの全てを役者業に捧げているような“芝居バカ”なだけあって、数日間でちゃんと形にしてきたのが外野で見ているだけで伝わる。本当に違う誰かを演じているときの憬の演技は、何度見ても引き込まれる。
“・・・こんな芝居もできるんだ・・・憬のやつ”
だけど今までと違うのはこれまで演じてきた役は大抵何かしらの“暗い過去”を抱えていた人物だったから、何気に憬がどこにでもいる“普通の人”を演じている姿を見るのはこれが初めて。だけど、憬はこういう役を演るのは初めてだということを吹き飛ばすくらい、ちゃんと純也という役をモノにしている。
「神よ・・・どうか転校生がめっちゃ美人でありますように」
「もう、そういうことを口にするからジュンはモテないんだよ」
「知ってる」
3人の関係を壊したくないという気持ちを胸に秘める繊細さと、雅と新太に対していつもの自分を繕う根底にあるどこか不安定な心情を、憬は中学からの親友2人へ明るく振る舞う純也を通じて絶妙なバランスでちゃんと体現している。
「てか
「いや普通だろ」
「ひょっとして新太も期待してんの転校生のこと?」
「は?別にしてないし」
もちろん憬が本番までにちゃんと純也の役を仕上げてきたことはライバルとしてすごく嬉しいし、親友としてとても誇りに思う。だって、自分の好きなことにここまで真っ直ぐに身を捧げられる人と悪口すらも言い合える仲でいられるのは、それだけで最高に面白くて楽しいから。
“・・・どうして“あの中”に、私はいないんだろう・・・”
自分で言うと自分を棚に上げているみたいだからちょっと嫌だけど、こう見えて私はちゃんとオンオフを切り替えられる人間だ。だからこと芝居において、私情を持ち込むような真似なんかはしない。だけどやっぱり、目の前で一色さんや堀宮さんと一緒に演じている光景の中に自分だけがいない
“・・・やっぱり悔しいな・・・”
握る拳に、思わず力が入る。それでも私はメインを演りたかった。結果が変わらなかったとしても、せめて同じ土俵で勝負をさせて欲しかった。この悔しさはどんなに凪子を最後まで上手く演じ切ったとしても、このドラマの撮影が全部終わって打ち上がっても、消えることなく心に残り続けると思う。
「カット!」
少なくとも私が憬と“同じ高さ”の場所に立って、芝居をする日まではきっと。
“『お前って人を好きになったことある?』”
“『やっぱいいよね“親友”って』”
“・・・私のほうが憬の“弱いところ”とか、もっと知ってるのに・・・”
「・・・いやいや何考えてるんだ私」
「悩み事があるなら後で聞こうか?」
「!?・・・あぁ・・・あの、とりあえず悩みとかは特にないんで今のは“無かった”ことでお願いします」
どういうわけか変な方向に行きかけた思考回路にツッコんでみたらそれが声になって出ていたらしく、たまたますぐ後ろで撮影を見守っていた脚本家の草見さんから少し心配そうに声をかけられて、それに気づいて一気に羞恥の感情が湧いて出る。
「そうか。僕のほうこそ変なことを聞いて申し訳ない」
「いえいえ、お気になさらず・・・」
どうにか私は無理やりなかったことにして場を乗り切る。とりあえず、シンプルに恥ずい。もし今日の撮影がこれで終わりだったらこのまま逃げて帰ってたかもってぐらい、恥ずい。
「それより君は控え室に戻って休まなくて大丈夫?凪子の出番は午後まではないと聞いているけれど?」
独り言が漏れた恥ずかしさで2歩ほど下がると、ちょうど隣に立つ形で撮影を見守る草見さんが自分の出番が終わっても控え室に戻らない私に問いかける。
「はい・・・何だか、このまま戻る気にはどうしてもなれなくて」
その問いかけで冷静さを取り戻して、自分なりの答えを返す。自分の出番が終わっても戻らない理由・・・本当のことを明かしてしまうと余分に意識してしまいそうになるから、私は敢えて抽象的な答えを返した。
「なるほどね・・・負けん気が強いのは実にいいことだ」
「・・・ありがとうございます(顔が全然笑ってないけど良い意味ってことで捉えていいんだよねこれ?)」
その答えに納得してくれたのかは分からないけれど、草見さんはほぼ無表情な顔で私のことを褒めると、これ以上は問わなかった。ドラマの脚本を手掛けること自体が初めてだというから当たり前だけど、草見さんと顔を合わせて話すのは何気に初めてだ。
「・・・草見さん。ひとつ聞いていいですか?」
「あぁ、いいよ」
「草見さんはどうして撮影を見に行こうと思ったんですか?」
ふと同じように撮影するスタッフたちから少し離れた教室の外で“保護者”のごとく様子を見守る草見さんのことが気になった私は、何となくその理由を聞いてみる。
「・・・ただこの眼で見て見たかっただけだよ。メインキャストとその周りにいる助演も含めてまだ10代の子たちが1つの場所に集まったとき、どんな“こと”が起きるのか・・・・・・何せ僕は“舞台育ち”で映像の世界を全く知らないからね・・・だから上地さんや黛さんに我儘言って、勉学も兼ねてこうして見させてもらってる・・・」
すると草見さんは次のシーンの撮影に向けた準備をする1組の教室へと視線を向けながら、独り言を呟くようなボソッとしたトーンで理由を明かす。ややダウナーで気だるげな雰囲気の漂う半目の瞳は、雰囲気通りの声のトーンに反して純粋無垢な少年みたいに教室の中にいる憬たちを見つめている。
「環さん、だっけ?」
「はい」
その気だるげな瞳が、不意に右隣に立つ私に向けられる。
「ちょうど良い機会だからこの際聞くけど・・・君はメインに選ばれた人よりも自分のほうが役者として“優れている”と思っているかい?」
「・・・それは」
「佐伯役・白石宗さん。亜美役・永瀬あずささん入ります」
突然向けられた問いに答えようとした瞬間、正面のほうから演者をコールするスタッフの声が聞こえ、私は無意識的に視線を草見さんから前へと移す。
「(永瀬あずさ・・・)」
視線の中に先生に連れられるようにして歩く同じ制服を着た転校生の“亜美”が映った瞬間、不合格を知らせる通知を渡されたときの光景がフラッシュバックした。
因縁の2人、相対す_
環蓮と草見修司。この2人が後にとある大河ドラマで主演と脚本家として互いに携わることになることを、当人たちは知る由もない。