「まだ
ペンギンが縦横無尽に泳ぐ大きな水槽の前で、耳元に囁かれた突然の
「・・・え?」
堀宮さんの口からそのことを明かされた瞬間・・・時間が止まったような感覚がした。
「あ~ごめん、ビックリした?そりゃそうだよね。でもやっぱりさとるの親友の蓮ちゃんには言っておいたほうが」
「急にこんなこと言われても意味わかんないよ!」
そして気が付いたら、今いる場所が水族館だってことを忘れて私は堀宮さんへ激しく感情をぶつけていた。
「あんまり大きな声出すとみんなから怪しまれるよ?」
「・・・すみません」
「てゆーかさ、なんで蓮ちゃんがそんなに怒る必要があるの?たかがキミの親友の彼女になったってだけの話じゃん・・・ってあたしは思うけど?」
「
どうしてあそこまで感情が爆発したのか、分からない。言い返す余地も与えないで核心を突いた堀宮さんの言う通り、これは親友に彼女ができて、その相手が
「・・・それって、自分の
「うん。もちろんキミの親友もちゃんと了承済みだよ?」
感情的になった私を何の悪気もないように対峙しながら見つめる堀宮さんの言葉は、紛れもなく本当だった。こんな異端な世界で生きている人は、自分の芝居を高める為なら手段を厭わないことも私なりに理解はしていたつもりだった。
「こんなことを思ってしまうのは、同じ役者として筋違いだっていうのは私でも分かります・・・」
ただひとつ思ったことは、
「でもこれだけは言わせてください・・・・・・“女優”としての堀宮さんのことは敬えるけど、“人”としての
キャンッ_
乾いた音と共に、十文字の姿勢をとり狙いを定める雅の右手から、一本の矢が霞的に向かって一直線の軌道を描いて進んでいき、二の白に突き刺さる。
「よーし」
雅が放った矢が的中したのを後ろから見ていた凪子が、掛け声をかける。
「絶好調じゃん。雅」
矢を放ち終えて本座の位置に戻った雅を、明るくおだてる練心と弓を持つ凪子。
「2週間後には都大会だからね。ここで調子を落とすわけにもいかないし」
「相変わらず気負ってるね~」
「ナギはナギで楽観主義すぎるのよ」
都大会が近づいていることもあってこのところずっと気を引き締めている雅に、凪子はもっと気楽にいこうよと言いたげにクールに笑いかけて隣に立つ。
「別にさ、弓道は1人で戦うことが全てじゃないから少しくらいは私に気を分けてもいいんじゃない?先輩だっているし」
「うん。そうだったね・・・でもこの都大会は、自分の力だけで背負えるものは背負いたいって思ってるからさ」
気に掛ける凪子のほうへ振り向き、雅は自分の心意気を明かす。
「あはっ、こんなにアツくなってるナギ見るの初めてかも」
その心意気に、凪子は嬉しそうに笑う。
「・・・普通でしょ。こんなの」
つい熱くなった自分に気が付き、視線を前に向けて照れ隠しをする雅。
「でも大丈夫だよ。私がいるから」
雅がここまでの気持ちで都大会に賭けている理由を内心で察しながらも、凪子はそれを表には出さずに振る舞って射位に足を進めて礼射系の構えをとる。
「・・・そうだよね」
昨日の部活終わりの帰り道で純也から水族館デートに誘われたことを思い出して、何でいまこのことを思い浮かべたんだと自分に言い聞かせながら、雅が少し曖昧な口調で返事を呟く。
「あ~そうそう、雅に一個だけ良いこと教えてあげる」
返ってきた返事に、凪子が矢番えの姿勢で弓を構えながら飄々とした口調で助言を告げる。
「自分のことだけに目を向けるのはいいけどさ・・・・・・あんまり視野を狭めちゃうと、手を伸ばしたときには勝利は別の誰かに渡ってるってこともあるかもよ?」
的に視線を向けたまま凪子は雅へ本音をぶつけて、右手に持った矢を放つ。雅へ話しかけながら放った矢は一直線の軌道を描いて、一の黒へと突き刺さる。
「・・・・・・」
それを本座から見守る雅が、自分より内側へ射止めた凪子へ見えないように無言で悔しさを滲ませる。
「だから、手伝えることがあったら何でも私に言ってよね」
本座の位置に戻り、凪子はそう言うと横目で雅へ軽くウィンクをする。
「心配なんかされなくても私は大丈夫だよ・・・もしそのときが来たら、ちゃんとナギに言うから」
凪子からの気遣いに、雅は横目で気丈に振る舞って答える。
「カット。ではこれでリハは以上になりますので堀宮さん環さん昼休憩になります」
「リハお疲れー、一緒に食べよー?」
「お疲れ様です。席なんていくらでも空いてるのに何でここに座るんですか?」
「1人で食べるよりこうやって2人で食べるほうが美味しくない?」
「全然」
「あれ?まだ怒ってる?」
「別に」
「あぁ、怒ってますねこれは・・・」
何事もなかったかのようにいつもみたく声をかけて見たものの、やっぱり蓮ちゃんは昨日の水族館からすっかりあたしに心を閉ざしてしまっているままで、露骨に視線を逸らして不機嫌な態度を示す。ただこんなときでも相手が誰だろうと挨拶だけはキッチリ返すところは、何だか真面目なこの子らしいというか。
「堀宮さんこそ、昨日の今日で敬えないって言った人によく話しかけられますね?」
「あたしは共演者となるべく仲良くしたい派だからね」
「・・・・・・」
「無視だけはやめよ蓮ちゃん?」
つい10数分前まで隣の道場でやっていたリハでの明るく余裕のある凪子とは対照的に、話しかけんなオーラ全開であたしを遠ざけようと無視まで決め込む蓮ちゃん。リハのときは現場の空気を悪くしないように普段と変わらない様子で気丈に振る舞っていたけど、カメラの外に出た瞬間これときた。マジのマジで面白くなっていくなぁ、この子は。
「・・・マジな話さ、あたしは昨日のことについて間違ったことをしたって不思議と1ミリも思わないんだよね」
「でしょうね」
どうして蓮ちゃんがここまで不機嫌なのか。理由は言うまでもなく、昨日の水族館でこの子に対して明確に
「だから今回のことは悪いけど謝るつもりはないから」
ただ、自分が
“『あたしを“負かす”んでしょ?だったら“負かせる”だけの覚悟を見せてくれなきゃ・・・』”
「逆にありがたいですよ・・・おかげで堂々とあんたに挑める」
自分が
“・・・
窓の外を鋭く見つめる黄金の瞳が、僅かに揺らぎながら心の動揺を映し出す。
【聞いたか?陸上部の園崎と半井さん、もう付き合うのも秒読みじゃねってくらい仲良いらしいぜ?】
だけど自分の中で揺るがない唯一無二の関係だった親友が、
“『つまりはサトルにとってその環蓮ちゃんがリアルで“雅のような存在”だから混乱してるってことか』”
そうして人は気付きたくない感情に気付いて、“ジェットコースター”のように一喜一憂する心に翻弄されもがきながらも、自分の中にある想いと向き合って前に進んでいくのだ。
「その割には随分戸惑ってるみたいね?」
今まで無意識に避け続けてきた感情に精一杯の強がりで抵抗し続ける素直で健気な惑う瞳へ、あたしは容赦なく核心をぶつけてみる。
「・・・当然でしょ。いきなりあんなこと言われたら」
あたしからの問いに、蓮ちゃんは逸らしていた視線をこっちに向けて正直に答える。察するにこれは下手に取り繕わずに正直に応じようって魂胆だと、戸惑いが消えた視線を視て察する。
「昨日からずっと
あたしとさとるが付き合ったことを明かされて、心の中がぐちゃぐちゃになったと蓮ちゃんは静かに怒りをぶつける。やっぱり最も近い境遇を現在進行形で経験しているこの子が見せてくる感情は、雅を演じる上で本当に役に立つ。
「
「うん。残念ながら」
きっと今回のことであたしとこの子が友達になれる可能性は限りなくゼロになってしまったけれど、自分の芝居のためだったらこんなものはかすり傷にすらならない。身の回りにあるものは全て喰い物で、守りに入ったらもう最期。
「ははっ・・・もうここまでくると一周回って笑えてくるわ」
それを思い知って孤独になっていったのと引き換えに、手に入れた現在地。最初はあたしもこの子と同じように純粋でいれたのに、果たしていつからこうなったのか・・・・・・なんて、
「・・・人の心がないよ。あんた」
呆れ果てたように笑った後に、このあたしに“人の心がない”と蓮ちゃんがライバルを通り越して敵を見る眼ではっきり拒絶の言葉を告げる。そりゃただでさえ一番の親友に彼女ができたこと自体ショックだろうけど、付き合っている理由は真っ当な理由なんかじゃなく、あくまで
「でも安心して。カメラが回っているときはちゃんと雅の友達になるし、このドラマが終わっても共演NGにしてあんたから逃げることもしない」
ただどんなに
本当にこの子は・・・あたしにとって
「本当は今すぐにでもぶん殴ってやりたいくらい私の親友を
もしもあたしをこんなふうにした
「蓮ちゃんもちょっとだけ近づいたんじゃない?あたしみたいな女優に」
「私は私。絶対にあんたみたいな人にはならないよ」
「私さ・・・・・・あなたみたいな憧れてるだけの“真似っこ”が
「とにかく、芝居だけはフェアで行きましょう。堀宮さん」
秘策とはいえさとるを駒同然に利用しているあたしへの怒りの感情を抑えて、蓮ちゃんは午後からの本番に向けて心を切り替える。
「もちのろんだよ、蓮ちゃん」
そんなすっかりプロの役者が板についてきたこの子にまだ少しだけ残っている良心が素直に喜んでいるのを感じながら、あたしも午後に向けて心を切り替えた。
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6月11日_東京・阿佐ヶ谷_
「(やっぱり・・・1階が銭湯なのは違和感あるな・・・)」
午後4時50分。今日は撮影がオフなこともあって学校の授業を丸一日受けてきた後、来月から撮影が始まる映画の初打ち合わせのため、俺はマネージャーの車に乗って前と同じ開始時間の10分前に本郷が社長として営む映像スタジオの前に着いた。前に来たときも思ったけれど、この建物の外見で1階に銭湯があるのはやっぱり違和感を覚えてしまう。
“・・・大丈夫か、これで・・・?”
そんな外観に視覚が慣れて冷静になった瞬間に、グッと現実が押し寄せる。昨日の
「・・・こうなったらどうにでもなれ、か」
諦め、のつもりは全くないが、溜息ついでで独り言が溢れた。そもそもこれから新しい作品の制作が始まっていくというときに、
“『それでいい』”
「・・・ふっ」
一呼吸を吐いて、本郷が言っていた心を切り替えてオフィスの階段を上がって2階の扉の前に立つ。ここ1ヶ月はドラマの仕事でテレビ局とスタジオとロケ現場を行き来していたから、久しぶりに普段とは違う景色がこの目に入る。と言っても、それが気分転換になるのかと言ったらこれはこれで仕事だから、そうはいかないのだけれど。
“今ごろ蓮は堀宮と撮影か・・・時間的にはそろそろ終わるころかな・・・”
「失礼します」
寸前にふと一瞬だけ撮影で千葉に行っている2人のことを思い浮かべて、俺は本郷のオフィスの中へと入る。
「よお、覚えているか俺のこと?」
ほぼ1ヶ月ぶりに訪れる良い感じに雑然とした2階のデスクに顔を出すと、俺とほぼ同じくらいの背丈をした金髪のジャージ姿の男が待ち構えるように応接間のあたりで立っていた。
「・・・えっと、
「ハッ、なんだちゃんと覚えてんじゃねえか」
3秒ほど記憶を遡ってどうにか名前を思い出した俺に、クロヤマは心なしか嬉しそうにそっと笑う。
「もちろん覚えてますよ。このスタジオに入ろうとしたところでいきなり不審者みたいに話しかけられたら」
「
初めてここを訪れたとき、階段を上がろうとした俺に背後からいきなり話しかけてきたジャージ姿で片手にハンディカムを持った謎の男。その去り際で俺に向かって“いつかはあんたみたいな役者を使って映画の1つでも撮りたいと思ってる映画監督志望の“バカ”だ”という捨て台詞を告げて去って行った謎の男。たった一度しか会っていないから名前を思い出すのに3秒ほどかかったけれど、ここまで印象的なファーストコンタクトなんて忘れられるわけがない。
「ってか、それより何で黒山さんがここに?」
そんな不審者紛いなこの人が、どうして本郷のオフィスにいるのだろうか。そして今になって、2階には俺以外に黒山しかいないことに気付いた。
「今日からここで世話になることになってな。ま、早い話が
問いかけた俺に黒山は本郷さんに弟子入りした、すなわちこのスタジオ七福神にアシスタントとして入ったことをややガサツな口ぶりで明かした。
“『もしどこかでまた会うようなことがあったら、そのときはよろしくな』”
「・・・こんな形で会うのは予想外ですよ、正直」
「俺もだ」
と、去り際に言っていたことを俺はふと思い出して、思わず本音が零れる。まさかあのときに話しかけてきた不審者が、1ヶ月を経て演者と裏方という形で再会することになるとは夢にも思わなかった。
「というわけで、本郷さんの映画を手伝うことになった最初の仕事っつーことでここから上にある会議室にあんたを案内するのが俺の
その一番最初の仕事がこれだと、黒山は雑用にも程があるとでも言いたげに俺へ向けて自嘲気味に笑う。
「ま、こういう一見関係のない雑用事すら楽しめねえ奴はどの世界に行ってもロクに通用しないまま終わるけどな」
無論、この黒山という人はひでぇ話だと言い切りながらも満更ではなさそうな表情と感情で持論をぶつける。今までこういった仕事を受けて来なかったせいもあるのだろうが、ここまで堂々とした態度で応じてくる新人は初めて見た。言うまでもなく、まだどんな作品を撮るのか、もう何かしらを撮っているのか、それすらも分からないくらいの金髪のこの男のことを俺は全く知らない。
「・・・
だけど、目元が隠れるほど伸びた前髪から覗く眼を視て、俺はこの人は只者じゃない
「何が言いたい?」
その直感がダイレクトに言葉となって出てきて、黒山から案の定不思議がられる。
「俺は小さいときからずっと映画とかドラマを観るときはストーリーを読む前に、演者の芝居を視て感情移入しながら物語を追っていたんです・・・それを物心がついたときからずっと繰り返しているうちに、眼を視ればその人が本当のことを言っているのか
「当たり前だろ。俺は演者や上にいる人間のために猫被って取り繕うのが一番嫌いだからな」
「だから・・・黒山さんはきっと
役者というのは、自分の中にある感情を使って芝居をする人もいれば、役と自分を完全に分けて自身の中にある感情を一切使わずに芝居をする人もいる。そのふたつの人種のどちらもからホンモノと呼ばれる才能が生まれるのは、自らが武器とする芝居に己という
「・・・ハハッ、言ってくれんじゃねえか」
心で思ったことをありのままに話した俺に、黒山は眼光の鋭さはそのままに再び上機嫌に笑う。
「そんだけ堂々と信念を持ってるっていうのに、なんで
そして間髪を入れずに、上機嫌なトーンのまま視線を真っ直ぐ俺へとぶつけてこの心の内側を突く。
「・・・どうしてそう言い切れる?」
「
やっぱり、というにはあまりに偶発的で現実味のない話だけれど、この人にはこのオフィスに入って目が合った時点でお見通しだったみたいだ。もうここまでくると、わざわざ打ち合わせの前に俺と1対1にして対話させたのはただの雑用以外の意味もあるんじゃないかとすら思えてくる。
「・・・やっぱり
なんてところまで行くといよいよ考えすぎだって話になってくるが、このやり取りで俺はこの人が只者じゃないということを確信した。
「めちゃくちゃ悩みながら演ってますよ・・・多分、今までで一番高い壁にぶち当たってるってくらい・・・」
相手は監督の本郷でもないというのに、何故か俺は心の内を黒山というまだどんな人なのかも知らない相手に明かした。振り返ると本当に何やってんだ俺はという話になるが、見抜かれてしまった以上は誤魔化す理由もなかった。それぐらいになりふり構わないと気持ちが落ち着かないくらい、余裕さの裏側で追い込まれていた。
“なるほどな・・・だから本郷さんはわざわざ俺に“1対1で顔合わせてこい”って言ったのか・・・”
「だったら・・・誰が演っても代えが効かない
突かれた心の内を明かした俺に、黒山はアドバイスを送った。ただしアドバイスとは言っても何かが解決するでもなく、“高い壁があるならそれを超えるまで”という至極当然かつシンプルな答え。
「ですね」
だけど、結局のところ四の五の言わずに壁があるならそれを乗り越えるしかない。普通に生きる選択が数えきれないほどあるこの世界で、わざわざどこよりも異端な
例え自分の芝居で、この心が誰かを演じることを嫌ってしまうほど
「行くぞ。監督が上で待ってる」
「はい」
1対1での話を終えて、俺は助監督として新たに弟子入りした黒山から案内される形で、スタジオの最上階へと上がった。
それでもふたりは、前に進む_
次回は一旦2018年に戻る方向で今のところ考えていますが、あくまで予定です。