或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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chapter 1.1999
scene.1 夕野憬


 あれは、俺が7歳になった時のことだった。

 

 6月30日。俺は横浜のとある母子家庭に生まれた。だが正確に言うと出生地は東京で、俺にはかつて父親がいたらしい。そんな肝心の父親は物心がつくかどうかの頃に突然姿を消したおかげで、存在するはずのその姿は記憶の片隅にすら残っていない。

 何度か父親がいない理由を母親に聞いたことがあるが、「父親は最初からいない」の一点張りで、結局聞けずじまいである。

 もちろん俺が東京で過ごしていたという記憶も残っていないし、父親がいないことに寂しさを感じたことは一度もない。

 

 そして幼稚園に通い始めて間もない頃から、俺は周りから“変わった子”のように思われるようになった。周りの奴らはやれ“おままごと”やれ“(ブーブー)”、かけっこだ正義の味方(ヒーロー)だと勝手に盛り上がっていた。

 

“何が面白いのか俺には全く理解できなかった”

 

 やがて周囲から孤立し始めた俺を心配してか、幼稚園の先生がアスレチックやピアノ教室など色々と連れて行ってくれたが、残念ながら俺の心は全く揺れることはなく、やがて周りの大人たちは次第に俺を“変わった子”として放任するようになった。

 

 そんなある日、母親に連れてこられる形で初めて入った映画館で観賞した子供向け人気アニメの劇場版。元となるアニメというのは、今でも子供たちから絶大な人気を誇っているアニメで、放送時間は変わったが現在でも放送されている。今も昔も子供たちからの人気は高いが、俺がそのアニメを観たのは母親に連れていかれたこの時だけだ。もちろんあの日以来は1話たりとも観ていない。

 

“何で勝つのはいつも正義で、悪は必ず負けるのだろうか”

 

 どんなに強力な武器と布陣で圧倒していても、最後にはお決まりの”常套句”で毎回倒される。子供心ながらにストーリーがあまりにご都合主義でつまらなく感じた。

 恐らく同い年ぐらいのガキやそこらの小学生あたりならこんなことは思わないだろう。当然こんな感じでは“おともだち”なんて出来るはずもなく、次第に俺は現実から目を背けるかのようにブラウン管の世界に没頭していった。

 

 その流れで7歳の時に初めての夜更かしで観賞した“金曜映画祭『向日葵の揺れる丘』”。正直言ってこの映画のストーリー自体はこれといった特徴はなく、ありきたりなストーリーだった。ただ、生まれて初めて邦画というものをこの目で観た俺は、ブラウン管の中に映る1人の女性のひとつひとつの仕草に夢中になった。

 彼女が笑えば俺は笑顔になり、彼女が泣けば俺は悲しい感情に飲み込まれる。こんな感覚、生まれて初めてだった。

 

“もう一度、彼女を観たい”

 

 あの日から俺は、彼女の姿をもう一度この目で見るために、彼女が出演するドラマやテレビ番組は全てチェックし、時には母親に我儘を言って彼女が出演する映画を観に行ったこともあった。

 母親もまた彼女のファンだったこともあってか、そんな俺を母親は不審がるどころか、俺の我儘に文句も言わず 付き合ってくれた。

 

 仕事の都合で多忙だった母親のことを考えると、本当に申し訳ないことをしたと今は思う。とにかく、あの頃の俺にとって彼女は、かけがえのない生きがいと言ってもいいくらいだった。

 

『千秋楽のチケット取れたけど、どうする?』

 

 ある日母親が言った一言。それは彼女が主演を演じる舞台の千秋楽。タイトルと内容からして小学5年生のガキだった俺にとっては少々難解だったが無論、観ないという選択肢は俺にはなかった。

 

“彼女の芝居を目の前で観られる”

 

 これまでブラウン管とスクリーン越しでしか観ることが出来なかった彼女の芝居を、目の前で観られる。その理由だけで十分だった。

 画面越しでさえどうにかなってしまうのではと思うくらい、感情が揺さぶられた彼女の芝居を同じ空間で味わう。そんな恐怖と緊張とそれを包み込む高揚感。

 観劇の前日、俺は生まれて初めて一睡も出来ない夜を過ごした。

 

 そして迎えた当日。舞台の幕が上がるまでの待ち時間の胸の高鳴りは今でも脳裏に焼き付いている。

 

 “俺は、夢でも見ていたのだろうか”

 

 今まで目撃していた光景が現実ではなくあくまで舞台上の出来事であったと気付いたのは、カーテンコールで巻き起こる割れんばかりのスタンディングオベーションで目覚めた瞬間だった。

 俺は一瞬、寝過ごしてしまったと思い激しく自分を呪ったが、役者陣の真ん中で観客に挨拶をする彼女を見て、夢じゃなかったということを再認識できた。隣にいた母親は号泣していた。

 拍手を送り続ける者、感情移入し過ぎて泣き崩れる者、物語に没入し過ぎて失神する者。この日の劇場は異様な空気に包まれていたという。そしてこれらの空気を生み出したのは、紛れもなくたった1人の女優だった。

 

“生まれて初めて体感した、メソッド演技だった”

 

 いや、今考えてみると彼女の芝居はメソッドの域を超えていたのかもしれない。彼女の芝居に観客は一瞬で引き込まれ、目の前に広がる光景が劇場から物語の世界になる。

 やがて観客からは劇を観ているという感覚が消え失せ、彼女の喜怒哀楽・一挙手一投足が己の身体とリンクするかのように五感に突き刺さる。

 そして舞台が暗転した瞬間に襲い掛かる、正体不明の虚脱感。芝居が上手いとか役に憑依しているとかそういう次元ではない“何か”を、恐らく彼女は掴んでいた。

 

“メソッド演技を超越した、何かを”

 

 

 

 だが、そんな彼女の芝居に直接触れたのがあの日で最初で最後になるとは、この時の俺は思ってもみなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野憬(せきのさとる)くん」

 「はい」

 

 小学校に上がってからも、俺は相変わらずクラスで浮いていた。周りにいる男子の話題は戦隊モノやウルトラ仮面、マンガにゲームに特撮ばかりでついていけるはずもなく、ついていく気すら起きなかった。たまに普段見ているテレビや映画の話題になっても、毎回のように役を演じる俳優の演技やストーリーの統括を空気を読まずざっくばらんに話しては場を白けさせていた。

 

 当然浮いていた俺はガキ大将のクラスメイトに目を付けられ、何度も嫌がらせや喧嘩を売られたことがあった。所謂いじめというやつだ。そしてその度に俺はそいつらを目で殺してやった。

 中二病のような書き方になってしまったが、実際にこいつのおかげで俺はすぐにいじめられなくなった。星アリサを始め普段からドラマや映画に出てくる俳優・女優の演技を観続けた末、独学で身に着いていた何の役にも立たない演技力(メソッド)

 

 そんな俺の様子を見かねて担任からも「もっとクラスのみんなと馴染みなさい」と言われ、馬鹿にしていた流行りものの話に乗っかったりもしてみたが、好きでもない話題に付き合うのは苦痛以外の何者でもなく、結局は元通り。

 いつしか俺には『顔は良いけど話が嚙み合わない上にキレたら何をしでかすか分からない宇宙人』というイメージが学年中で定着していた。

 

 そんな俺にちょっとした転機が訪れたのは、小学6年生の時だった。その日、クラスは転校生が来るという噂で始業式を前に周りは盛り上がっていた。名前だけをみると男子なのか女子なのか分からない名前だったので、“彼女”の名前は直ぐに覚えた。

 

 「今日から新しくこのクラスの仲間になる、環蓮(たまきれん)さんです。みんな、仲良くしましょう」

 

 「環蓮です。よろしく」

 

 クラスが替わろうが、転校生が来ようが、俺の立ち位置は変わらない。休み時間、馬鹿みたいな話と馬鹿みたいなゲームで馬鹿みたいに盛り上がるクラスメイトを遠巻きに見ながら、自分の世界に耽る。環という転校生はどうやら順調にクラスの輪の中に溶け込んでいるようだ。

 しかも女子だけでなく男子のグループにも普通に絡んでいる。まるでずっと前からクラスメイトだったかのように。それを見た憬の中に、理由のない悔しさのような感情が込み上げる。

 

 “この感情は何なんだろう”

 

 「夕野(ゆうの)(けい)だっけ?」

 「えっ・・・いや夕野憬(せきのさとる)・・・だけど」

 

 唐突に話しかけられたせいで、不覚にもどこかぎこちない反応をしてしまった。誰だと思い顔をよく見ると、転校生の環が隣の席に座っていた。

 

 「“夕野憬”。珍しい名前だね。私もちょっと変わった名前だから、仲間が出来たみたいで嬉しい」

 

 環の第一印象ははっきり言って最悪の部類だった。初対面の癖にいきなり馴れ馴れしく接してくる。しかも人の名前をわざとらしく読み間違えた挙句、自分の名前を棚に上げて勝手に仲間が出来たと言い放つ。教室で1人浮いた存在となっている俺に気を遣っているのだろうか。だとしたらそれは余計なお世話だ。

 

 「憬くんってさ、映画とか観る?」

 「まぁ、邦画とかはたまに観るよ」

 「へぇそうなんだ。で、どんなの観てんの?」

 「蓮止めとけって、こいつ映画とかドラマの話になるとほんとに止まらないし言ってることもさっぱりだから」

 「別にいいじゃん。それだけ夢中になれるものがあるってすごいことだと思うよ」

 

 “宇宙人”と仲良くしようとする転校生に茶々を入れる外野ども。でも、環はこんな俺の話を興味津々で聞こうとしてくれている。こんなこといつぶりだろうか。

 憬は嬉しさと緊張が入れ交じって頭が真っ白になりかけていた。

 

 「『向日葵の揺れる丘』が好きかな」

 

 混乱していた頭で導き出した1つの答え。それは、憬が初めて彼女を目撃したあの映画の話だった。

 

 「あーあれでしょ、星アリサが主演のやつ」

 「そうそう。ストーリー自体はありきたりで普通なんだけど主演の星アリサの演技がすごくてさ」

 

 彼女の演技を初めて目撃した時の衝撃と、彼女の表情や仕草一つで揺さぶられていく感情。こうなってしまうともう止まらない。こんな感じで俺は、次第に輪から外されていったはずなのに。

周囲は憬に向けて「また始まったよ」と言わんばかりの視線と空気を送る。

 

 「ほんとに星アリサが好きなんだね。憬くんって」

 「ドン引きだろ?いつもこうなんだよ俺って。好きな俳優の話題になると空気を読まずに喋り続けちまう」

 「別にいいじゃん!私もドラマとか映画とかめっちゃ好きだし!ねぇ?他に好きな俳優さんとかいるの?」

 

 母親以外でこの手の話でここまで盛り上がったのは生まれて初めてだった。嬉しさ半分、怖さ半分。赤の他人から自分の話す言葉を肯定されることは今まで一度もなかった。

 その優しさが罠に見えてしまって、環のことをイマイチ信用できなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「憬くん。一緒に帰ろ」

 

 ロッカーで不意に環から声をかけられ、思わず驚く憬。

 

 「別にいいけど俺の家知らないだろ」

 「知らない」

 「逆方向だったらどうすんの?」

 「別に良くね?細かいことは気にしない」

 「いや少しは気にしろよ。ていうかこっちに引っ越してきたばかりなのに道とか分かるの?」

 「大丈夫だよこう見えて土地勘はある方だから」

 「そういう問題じゃないだろ」

 「いいじゃん細かいことは。さて帰るか憬くん」

 

 “うるさい奴は好きじゃないんだよ”

 

 「嫌だよ1人で帰れ」

 「何だよつれないなー。冷たい男は嫌われるよ?」

 「別に嫌われても俺は構わないし」

 「憬くん。じゃんけん」

 

 いきなり環は俺にじゃんけんを仕掛けてきた。俺は咄嗟にパーを出す。

 

 「よし、私の勝ち。じゃあ一緒に帰るよ」

 「いきなりやるとかずるいよ」

 「じゃあもう一回やる?」

 「当たり前だろ」

 「もしこれで私が勝ったら・・・今度こそ一緒に帰ってくれる?」

 「・・・分かったよ。これで勝ったらな」

 「じゃあ行くよー」

 

 

 

 「やっぱ憬くんはすごいな。テレビや映画のことは何でも知ってるし」

 

 こうしていつもは1人きりだった帰り道に、うるさい転校生が加わった。

 

 「すごくないよ。見れば分かるとおり俺は周りと“ズレてる”だけでロクな奴じゃない。クラスの奴らからも嫌われてるしね」

 「別に“ズレてても”いいじゃん。友達ってことには変わりないんだし」

 

 “友達”。他人からそう言われたのは生まれて初めてだった。だから少し戸惑った。

 

 「良いのかよ俺なんかと友達になって。きっと環さんも俺と同じように嫌われるよ」

 「関係ないよ。周りと少し違ってるぐらいで仲間外れにするような奴は無視すりゃいい。そんな奴と友達になるくらいならみんなから嫌われる方がよっぽどマシだよ」

 「別に環さんが嫌われる必要はないよ」

 「そうだよ。嫌われる必要なんてない。だから私と憬くんが友達になっちゃいけない理由も憬くんがみんなから嫌われていい理由もない。はいこれで悩み相談は終わりっ!」

 

 母親以外で初めて出会った。自分を心の底から肯定してくれる存在。普段は年相応のお転婆なガキみたいな感じなのに、ふと教師が道徳で言いそうなことを話してくる。

 

 「環さんはさ、ひょっとして人生2週目なの?」

 

 考えなしに不意に出た憬の一言。憬が繰り出した予想の斜め上を行く言葉に環は一瞬戸惑う。そしてツボにはまったのか吹き出した。

 

 「待って・・・人生2週目はヤバいって・・・耐えられん・・・!」

 「あぁいやごめん!今のは忘れて!」

 「憬くんってさ、独特な例えをするよね」

 「いや、ごめん。無意識に出た」

 「もうほんと、憬くんは面白いなー」

 

 そう言うと環は満面の笑みで笑った。その笑みに釣られて、憬も思わず笑う。そして憬は、あの時感じた感情の正体に気づいた。

 

“俺は寂しかった”

 

 本当はずっと寂しかった。その寂しさから逃げたくて、ブラウン管の世界に没頭して寂しいという感情をリセットしていた。そこで1人の女優と出会い、彼女の芝居に触れてからテレビに映る役者の感情と自分自身を照らし合わせるようになった。

 それでも現実というものは俺を歓迎してはくれず、やがて周りと“ズレている”ことを自覚して俺なりに周りに合わせるように頑張ってみたが、そもそも自分の基準自体が周りから大きく逸れたものだったので意味がなかった。

 だから、普通にみんなと仲良くやっている奴らが羨ましかった。初日から堂々とみんなの輪の中に入っていく転校生と比較して、その輪の中に入れずにいる自分に嫌気がさしていた。

 

 気が付くと俺の住む(マンション)が目の前まで来ていた。

 

 「ここが憬くん()か」

 「そうだよ。って環さんは大丈夫?家」

 「ああ。私住んでんのあそこの通り挟んですぐのとこだから」

 「そっか」

 「いやー憬の家が近くにあって助かったわー。逆方向だったらどうしようかと思った」

 「土地勘あるんじゃなかったの?」

 「まぁ、結果オーライだからいいでしょ」

 (ホントに楽観的だなこいつは・・・)

 

 環蓮。時にはこいつのことをとても生意気に感じる瞬間があるのだが、そんな環といる時間に俺は妙な心地よさを感じていた。

 

 「環さん」

 

 『今日は楽しかった』と言おうとする憬の言葉を、環は遮る。

 

 「“蓮”でいいよ」

 

  環は憬に下の名前で呼ぶように仕向ける。他人の名前を下で呼ぶのは少しばかり照れくさかったが、羞恥心を取っ払って言ってみる。

 

 「蓮・・・今日は楽しかったよ。ありがとう。また学校で会おうね」

 

 

 こういう時、気の利いた一言が一つでも浮かべられたらなと思うことが何度もある。ただ、そんな一言がパッと思い浮かぶほど俺は器用じゃない。これが、あの時の俺にとって精一杯の感謝だった。

 

 「フッ、人見知りかよ」

 「・・・うるせぇよ」

 

 そんな俺を心底馬鹿にしたように笑う環。彼女のおかげで星アリサを中心に回っていた世界が、動き出したような気がした。

 

 今思えば環との出会いが、これから続く “勘違い”の始まりだったのかもしれない。

 




プロローグをご覧頂いた読者の一部は、きっとこう思っていると思います。
「いやお前が主人公かい」、と。
もし1話をご覧になって日本映画界の生んだ鬼才・黒山墨字の大活躍を期待していた方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。彼の活躍は、いずれ書きます。

主人公。柊然り、夜凪然り、複雑な家庭環境ノルマ達成です。随分と酷いノルマだなこれ・・・がんばれ、主人公たち。

何より環蓮のキャラ設定には最後の最後まで悩みました。でも、子供だった頃はすげぇお転婆だった知り合いが、久々に再会したら滅茶苦茶大人っぽくなっていたというのはよくある話だと思います。

ということで色んなご意見があると思いますが、第一章スタートです。






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