「昨日は敦士くんが怖い思いをさせちゃってごめんね。本人に代わってボクが謝るよ」
「いや大丈夫です。元はと言えば俺が全部悪いんで」
午前8時過ぎ、憬は早乙女の
「でもキミには敦士くんのことを誤解しないで欲しいんだ。あぁ見えて彼、凄く優しくて仲間思いだから」
「それは、良く分かってます」
“終いまで演り切る覚悟がねぇなら、端から役者なんて名乗ってんじゃねぇよ”
一見突き放すようにも聞こえるその言葉が、山吹なりの優しさだと言うことは痛いくらいに分かっている。
「ただ流石に胸ぐらは酷かったでしょ?いくら少年のほうに落ち度があるとは言え、暴力はナシだと思わない?そのことも謝るよ」
「本当に大丈夫ですよ・・・あれもきっと山吹さんなりの優しさだと思ってます」
分かっているからこそ、あまりに自分が醜く思えてしまう。
「月島さんの言うことも聞かずに自分の勝手で芝居を終わらせる・・・今思えば胸ぐらどころか殴られてもおかしくないぐらい失礼なことをしました」
「そっか・・・で?午後の撮影はどうだったの?」
目線を前に向けたまま早乙女がその後のことを聞いてくる。俺も早乙女と同じように前を向いたまま包み隠さず昨日のことを全て話した。
トレーニングでは出来ていたはずの俯瞰が役に入った途端に思うようにコントロール出来なくなっていたこと。誤って殴ってしまったカットをそのまま使うことに納得がいかず、あの後に月島にリテイクを要求したこと。午後の撮影では月島のOKサインを忠実に守ったが、このままでは自分は美沙子を演じる牧に飲まれたまま終わってしまうということ。
そして今の自分が現場というものを甘く見ていたことを痛感したこと。
「・・・なるほどね・・・じゃあキミはこれからどうするの?」
「どうするって・・・それは」
「確かにキミの演じる直樹は本当に素晴らしかったよ。伊藤を殴ってしまったところも含めてね・・・きっと直樹だったら絶対にそうすると思うからさ」
「・・・はい」
この時点で早乙女が俺のことを褒めるつもりでこんなことを言っているわけではなさそうだというのは、彼から発せられる空気でどことなく感じていた。
「ただ、今のキミには直樹の感情を操れる技術がない。例えるならエンジンの出力だけを無暗に上げまくってバランスが滅茶苦茶になったじゃじゃ馬の
「・・・はぁ」
「直線だけは馬鹿っ速いがコーナリングはからっきしダメで、ちょっとでも気を緩めたらコントロールを失って
「・・・・・・すいません、マジで何の話ですか?」
「ごめん。今の例えは忘れてくれ」
流石に俺が車には全く興味も関心もないということを察知したのか、早乙女は無理やり例え話をなかったことにする。
正直言って例え話の内容は全くと言っていいほど頭に入って来なかったが、取りあえず早乙女の言いたいことは何となく分かったような気がする。
「とにかく、昨日のキミは直樹の感情に飲み込まれて暴走してしまったということだ。幸か不幸かその暴走が上手い具合に演出として噛み合った感じだけどね」
“最初からそう言えよ”という個人的な心境はともかく、早乙女の言う通りどんなに役として芝居がハマって言おうと暴走は暴走だ。そんな偶然の産物が、芝居として成立するということはあり得ない話だ。
「どんなに最初から飛び抜けた才能を持っていても、それらを完璧に
ただその答えだけは、この車の助手席に座った時点で分かっている。
「技術を盗んで自分の
「・・・分かっているなら、後はそれを行動に移すだけだよ。少年」
そう言うと早乙女は前を向いたままクールに微笑み、俺は負の感情を強引にリセットするように自分に言い聞かせる。
“俺は、”役者“だ”
早乙女のFDに乗り込んでから30分と少々。俺は第10話の
ここでこれから行われるのは、昨日の本番前に早乙女が即興で牧と読み合わせをしていたあの場面。
「おはようございます」
ロケバスで衣装に着替えた早乙女と共に俺は撮影現場に入る。ちなみに早乙女は俺を現場に連れて行くために寄り道をしたため顔合わせに続いてまたしても一番乗りを逃したみたいだが、当の本人はそんなことを気にも留めていない。
ついでに補足すると、今日の撮影で直樹が着ている衣装は普段とは違いちゃんとした服装になっている。まぁ、“アサガヤ”なんて書かれたTシャツで墓参りに行くというハチャメチャな演出をやろうものなら間違いなく視聴者から苦情が殺到することだろう。
そして当然ながら早乙女は台本などというものを現場に持ち込むはずもなく、手ぶらのまま今日も現場入りする。
「あれ?何で憬くんがここにいるの?確か撮影は夕方からじゃ」
「この少年がどうしてもボクの芝居を見て勉強したいって言うから仕方なく連れて来た」
「俺に全責任を被せないでくれますか早乙女さん」
どうやらこの現場にいるスタッフ達全員は俺が見学に来ることを知らなかったらしく、水沢も含め『なんで君がここにいるの?』とばかりに視線を送って来る。
“せめて連絡ぐらいはしてくれよ”と早乙女に対して心の中で毒を吐く。
「・・・雅臣?流石に
「当たり前でしょ。“おやっさん”からは“変な真似をしたら潰す”って怒られたけど」
「・・・ったく、
「分かっているよ、今回限りだ」
そんな早乙女も、流石に前事務所の社長である
ちなみに将大とは早乙女がかつてカイプロに所属していた時に彼のマネージャーを務め、現在は俺のマネジメントを担当している
「度々悪いね夕野君。
撮影準備に取り掛かっていた月島が俺の姿を確認するや否や、声をかけてきた。俺は月島にリテイクを要求したことを改めて謝ろうとした。
「あの、昨日はすいませんでした」
「あぁ、あれね。別に僕からしてみれば大したことじゃないから大丈夫だよ」
「・・・あの?憬くんが昨日の撮影で何かしたんですか?」
昨日の撮影で起きたちょっとした事件のことを知らない水沢が尋ねる。その様子を見た早乙女が、
「共演者をぶん殴った」
と水沢に耳打ちした。
「はぁ!?」
当然ただ一人何も知らない水沢は驚きの声を上げると、いきなり俺の両肩を強く掴んで激しく揺さぶる。
「えっ何やってんの!?何やってんの!?」
「落ち着いてください令香さん!ていうかマジで意識飛ぶって!」
俺はさり気なくこの目で見ていた。状況を知らない水沢の耳元で早乙女が何かを吹き込んだことを。
一瞬だけ俺は早乙女に疑惑の目を向けると、早乙女はそれにウインクで答えた。明らかに図っていたが早乙女もその後に起きたことは恐らく知らないのでこっちからは何も言えないという地獄のような展開に持ち込まれる。
「本当に大したことじゃないから落ち着いてくれないか水沢さん。あくまで相手を殴るシーンで誤って夕野くんの拳がちょっとだけ当たっただけだから。ぶたれた本人も口をほんの少しだけ切ったくらいで全然気にしてないみたいだし」
「・・・そう。本人が何ともないっていうならしょうがないけど・・・」
状況を瞬時に理解した月島が咄嗟にフォローしたことにより、水沢は何とか落ち着きを取り戻した。だが結果的に俺はちょっとした双方の誤解によってかえって窮地に立たされてしまったようだ。
しかもどっちも紛れもない事実であることで尚更タチが悪くなってしまっている。
「・・・でもいくら事故とはいえ、許されるのは
「あ、はい」
落ち着きを取り戻した水沢は、まるで悪さをした息子をキツく叱る母親のような感じで、俺を叱る。その“圧”に、俺はどうすることも出来ない
「特に役者の武器である顔に傷をつけるなんてことは間違ってもしてはならない・・・それだけは本当に肝に銘じておきなさい・・・分かった?」
「・・・分かりました」
俺がそう言うと水沢は俺の目を3秒ほど凝視して「ならばよろしい」と言って微笑んだ。こうやって飴と鞭を絶妙に使い分けて“弟分”とコミュニケーションを取っていく様は、まさに山吹の言っていた“姐さん”というあだ名が何となく当てはまる。
「あと何で
「ちょっと現場を“お忍び”で見学させてもらってね」
「あれのどこか“お忍び”なんだ早乙女君?」
早乙女のお忍びという言葉に月島がすかさず諭す。確かにあの登場の仕方は、月島の言う通りおおよそお忍びとは言えなかった。
「演じるための見識を広めるには実物を見るのが一番だからね。ボクにとっては」
「・・・ほんと、あんたは相変わらずね」
呆れ半分で答える水沢の言い分から察するに、どうやら早乙女が
そして早乙女の言った一言が、不思議と不気味に感じた。
「月島さん。セッティング終わりましたのでいつでも始めて頂いて大丈夫です」
「そうか、了解」
収集のつかないような空気を遮るように準備を終えた黛が報告にやってきた。すると不意に彼女と目が合い、俺と黛はぎこちなく軽い会釈をする。昨日の今日ということもあって、少しばかり気まずい空気が2人の間にだけ一瞬流れる。
「さて、今日も1日何事も起きないことを祈って、ササっと終わらせますか」
「勝手に仕切るな早乙女」
午前9時30分。そんなこんなで結局俺にかけられた誤解が十分に解かれないまま、墓参りのシーンのカメリハを兼ねた本番がスタートした。
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「なんだ、そっちの話か」
カメリハ終わりの小休憩、俺はタイミングを見計らって本当に謝りたかったことを月島に伝えた。
「リテイクの事ならもう心配しなくていいよ。寧ろ右も左もまだ分からない新人相手に厳しいことを言ってしまった僕の方に非があるくらいだ」
“所詮は新人”
環も言っていたように、どんなに周りが大物だと言って持て囃そうがあくまで俺はまだ右も左も分かっていないようなドがつくほどの新人だ。
「あの・・・」
これ以上迷惑をかけるな、監督の言うことは絶対だと昨日言われたばかりだが、俺は思い切って口を開く。
「月島さんのOKのサインにはもう文句は言いません。でも・・・このままじゃ俺は駄目なんです」
養成期間に俯瞰や体幹などの基礎的な技術を身に着けたところで、それがすぐさま実戦で通用するほどこの世界は凡庸なものではない。
「昨日の撮影を通じて気付きました。俺はまだ、役者を名乗る事ができないって・・・」
「・・・海堂さんが言っていたよ。夕野君が役者になる覚悟はもう出来ているって」
“・・・“役者”になる覚悟は、もう出来てます“
あの日の俺は、分かっているつもりで何も分かっていなかった。
「悔しいか?まだ役者を名乗り切れずにいる自分自身のことが?」
そして湧き上がる、まだ役者になり切れていない中でカメラの前に来てしまった自分に対する不甲斐なさと悔しさ。考えれば考えるほど、どんどん自分が嫌になってくる。
「・・・当たり前ですよ」
それでも、カメラの前に立ってしまった以上はベテランだろうと昨日来たばかりの新人だろうと
「だから、今日はしっかりと“技術を盗む”ためにここに来ました」
ならばその期待に今できる精一杯の力で臨むのが礼儀というものだろう。
「今度こそ、胸を張って役者と言い張れるようになりたいんです」
何よりここで役者になることを諦めてしまうことは、こんな自分を本気で叱ってくれた山吹や役者になる覚悟を誓った海堂、役者になった俺を影ながら応援している母親、そして共に役者として切磋琢磨することを約束した環の思いを裏切ることになる。
例え今の自分が場違いな実力しか持ち合わせていないとしても、それだけは本当に許せないことだ。
そう自分に言い聞かせて、俺は無理やり気合を入れる。
「・・・フフッ」
そんな一晩中悩みぬいた末に沸き上がった決死の決意を、
「何がおかしいんすか月島さん?」
俺は思わず内心でカッとなって敬語が雑になる。もちろん俺がどんな思いで話しているかを全て把握するのは無理だろうが、まさか笑われるとは思わなかった。
「失敬・・・新人だった頃の早乙女をつい思い出してしまった・・・」
「・・・早乙女さんがどうかしたんですか?」
「いや、別に何てことのない個人的な話だ。それより今日は“早乙女”の芝居を盗みに来たんだろ?」
「えぇ、はい」
「だったら今日はそれに集中しよう」
取りあえず俺を馬鹿にしたつもりで笑った訳ではないということは分かったが、肝心の理由はもうすぐ本番だからということではぐらかされた。
「・・・あの?ここってどこですか」
「見りゃ分かんだろ?墓だよ」
美優紀に「どうしても見せたいものがある」と言って直樹が連れて行った場所は、ある人物が眠っている霊園だった。
「せっかく連れて行きたい場所があるって聞いてたのに、初っ端から墓って」
「じゃあ帰るか?」
「別に帰りませんけど、なんで墓なんですか?」
まさか休暇のデートでいきなり墓に連れていかれるとは思わず、美優紀は困惑している。
「ちょっとさ、挨拶しておきたい昔のダチがいんだよ」
「・・・昔の友達、ですか?」
「あぁ・・・結局ここまで来るのに10年もかかっちまった」
そう言うと直樹は、美優紀と共に10年前に自ら命を絶った幼馴染の墓へと向かう。
「カット」
助監督の黛がカットをかけると、早乙女と水沢はスタッフ達とカット割りを再確認した上で別アングルの撮影に移る。
ストーリーに関しては実のところ5話以降の話はすっ飛ばされている感覚なので詳しくは分からないが、9話で美優紀の過去が明るみになり、それを通じてこの2人の距離が一気に縮まる展開になっているらしい。
「はい、霊園の入り口のカットはこれで以上になるので、このまま墓参りのシーンに移ります」
そんなドラマのストーリーはともかく、霊園での
「悪いな美沙子・・・10年間も待たせちまって」
美沙子の墓の前で線香を添えて手を拝んで眠る美沙子に声をかける直樹。早乙女の芝居の完成度は昨日の
それは、もはや演出を加える余地もないほど早乙女の芝居が完璧であることを意味している。実際に俺は昨日の撮影でNGこそ出さなかったが、演技面では何度も注文をつけられていることから、決して月島が演技に対して投げやりという訳ではないのだろう。
「美優紀さんも挨拶していいぞ」
「いえ、私は美沙子さんとは縁もゆかりもないですし、そんな人が挨拶したところで」
「アンタがいなければ、俺はこうして美沙子のことを受け入れられなかった。アンタがいなければ・・・俺は前に進めなかった」
「・・・いちいち大袈裟ですよ。直樹さんは・・・」
そう言いながら美優紀は直樹の言葉に応じるように、線香を添えてお参りする。言うまでもないが、そんな早乙女を相手にしても水沢は全く飲み込まれないどころか対等に渡り合っている。
考えてみれば早乙女のような主演俳優という名の
「こんな現場をいきなり拝められるなんて、夕野君は本当に恵まれているよ」
次のカットに移る合間、月島が俺に囁くように語りかける。もし海堂の言っていた
「当たり前だけど、本当に芝居が上手いです。2人とも上手い下手を超えた有無を言わせない説得力のようなものがあると言うか、安心して見てられます」
視聴者や観客が物語の中にいる登場人物に感情移入できるのは、演じる役者が持つ技術と実力の積み重ねで成り立った、安心して観ていられるという安定感。
「でも今の俺には、そんな風に安心して芝居を見届けられる安定感がない」
画面越しでは分からない、同じ空間で同じ空気を吸って初めて気付かされる、弱肉強食の芸能界で頂点に立ち続ける
現場に立たないと分からない、カメラの前で赤の他人を演じることの難しさ。
「・・・新人だった頃の早乙女なんて、今の君と比べると本当に酷かったよ」
「えっ?」
黛による指揮で次のシーンの撮影準備に取り掛かるスタッフ達をよそに監督ベースからVTRチェックをしている月島が、隣にいる憬にさっきの話の続きを持ち掛ける。
「何か、全然想像できないです」
「無理はないよ。もう6年も前の話だからね。夕野君だと小学校1,2年生くらいでしょ?」
6年前というと、俺がまだ小2だった頃。あの時はまだ星アリサの姿以外は眼中になく、他の役者には目もくれていなかった。早乙女の存在を最初に知ったのは、その2年後に公開された星アリサ主演の映画で彼女が演じる主人公に想いをよせる相手役を演じていたのが最初だったが、早乙女の芝居には全く違和感を感じなかった。
ちなみに星アリサ目当てで母親に頼み込んで観に行ったその映画は当時小4のガキだった俺にとっては刺激が強く、規制が改定された今だと確実にR-15指定は避けられない内容だろう。この時ばかりは子供心ながら母親に対して「なんで止めてくれなかった?」と観終わった後に心の底から思っていた。
「今でこそ早乙女は“
“そしてその噂通り、出会った時の彼の芝居は最悪の部類だった”
今から8年前、姉から勝手に応募される形で参加した大手月刊雑誌が主催する美男子コンテストでグランプリを受賞したことがきっかけでモデルとしてデビューを果たし早くもカリスマ的な人気を得ると、翌年にはカイ・プロダクションと契約を交わし俳優デビュー。1年目から連続ドラマや映画でキーマンや準主役級の役を張るなど、早乙女は俳優として華々しいスタートを切った。
しかしその裏では役者としての実力がまだ乏しい状況で大役を任されていたため撮影現場では経験不足が露呈し、肝心の演技面においても共演者と比べると単調で突き抜けたものがなく業界内はおろか、目の肥えた視聴者からも実力不足が指摘されるなど彼の俳優としての評価はお世辞にも高いとは言えないものだった。
さらに早乙女は最初の現場から台本を一切持ち込まなかった。それは現場に着くまでに台詞を覚えてくるという彼が周囲に迷惑をかけないために定めていたポリシーとのことだったが、皮肉にも台本を持ち込まないというそのスタンスも“向上心がない”と周りから捉えられてしまっていた。
そんな“曰く付き”の主演俳優と出会ったのは、6年前に僕自身が初めて脚本に加え演出も手掛けた連続ドラマでのことだ。
「早乙女雅臣です。初めての主演ということでプレッシャーは凄いですが、最後までよろしくお願いします」
噂通り、早乙女は撮影初日には既に初回の台詞が一字一句頭の中に入っており、共演者の台詞が詰まったり飛んだりしたときは咄嗟にフォローまでするほどの余裕を見せるが、如何せんそれ以外が酷かった。
もちろん表情の作り方、感情の入れ方、動きなどは台本に対して忠実に守っていた。ただ、それらの一つ一つが台本に忠実すぎるあまり上っ面な芝居になっていた。
それが芝居として成立するだけの技量があればいいのだがそんなものを当時の早乙女が持っているはずはなく、結果として彼の芝居は全体的に悪目立ちしてしまっていた。それは芝居に注文をつけても思うような改善には至らなかった。
「えっ?今のシーンをもう一回撮り直したい?」
「はい。多分、今までだったら間違いなくNGを出されているはずなので、どうしても納得出来ないんです」
だから敢えて、僕は彼に対してNGを一度も出さないようにした。一部のスタッフや共演者からは苦言を言われたが、「責任は全部自分が負う」ということで押し通した。
「いや、台詞も感情も動きも全部完璧だったからこれでいいんだよ」
「しかし」
「早乙女君がこの後何を言おうと、
当の本人も、そんな暴論には到底納得していなかったが、寧ろそれが狙いだった。
「確かに僕の演技は、台本に忠実でした。現場に入るまでに共演者の台詞もト書きも含め、一字一句全て覚えてきましたから、それだけは自信を持って言えます。でも・・・それは台本の中だけの話でした」
あの早乙女が自分の不甲斐なさに打ちのめされ切羽詰まった表情で訴えてきた時のことは、一日たりとも忘れたことはない。
「月島さんのOKサインには文句を言わず全て従います!もう今日みたいな無礼なことは二度としません!だから・・・こんな僕が変われるにはどうしたらいいか教えて頂けないでしょうか?」
事務所のゴリ押しと揶揄されてはいるが、早乙女という男は超が付くほど仕事に対して誠意をもって取り組んでいることは知っていた。そのやり方が斜め上なだけで、探求心だけはどの役者にも負けてはいなかった。
「早乙女君はさ、暗記は得意?」
「はい。それだけは他の誰にも負けない自信があります」
そんな彼が役者として一気に開花するにはどうすればいいのか。その答えはあまりに単純明快だった。
「だったらその暗記力を、これからは“
「
「そう。例えば早乙女君が見ていて思わず感心するような上手い芝居をする役者がいたら、その人の芝居を早乙女君なりのやり方で暗記して自分のものにすればいい」
その方法はあまりに他力本願な大博打だったが、賭けを実行した早乙女の芝居は日を追うごとに完成度が上がっていき、最終回を迎える頃にはまるで別人のように芝居が一変したことで彼に対する批判も次第に息を潜めていった。
やがてその勢いのままに星アリサ主演の映画のオーディションで彼女の相手役を射止め、主演のアリサとの共演を通じてさらに才能を開花させた早乙女は、ついに名実ともに日本を代表する“主演俳優”としての地位を確立した。
「・・・そんな過去があったんですね」
「でも、今は今で態度がデカくて苛立つことも多々あるけどね」
「それは何となく分かります」
月島の目線の先にいる噂の張本人は、スタッフと念入りに話し合う水沢にちょっかいを出して頭を引っ叩かれている。
芸能界と言う世界は、真面目で純粋無垢だったはずの青年をこんな風に変えてしまうのだろうか。それとも自信をつけたことによって本来の早乙女が現れただけなのだろうか。
「でも早乙女の芝居に対する向き合い方は、あの頃から何一つ変わっていない。それだけははっきりと言える」
どちらにしろ、月島の言う通り根本にあるものは昔から同じだということはこの後のシーンではっきりと分かった。
「・・・東間君?」
美沙子への挨拶を終えた直樹と美優紀の前に、1人の男が現れた。
「・・・直樹さんの知り合いですか、この人?」
「・・・いや・・・」
「・・・美沙子の、父です」
男の放った思わぬ一言に、直樹の表情が一瞬だけ揺らぐ。
「行くぞ、美優紀さん」
直樹は男の存在を無視するように、美優紀の手を引っ張るようにして目の前にいる美沙子の父親を素通りする。
「すいませんでした!・・・全部、私のせいです・・・」
すると男は、すれ違いざまに直樹に向けて懺悔の言葉を吐いた。
「私があんな愚かなことをしたせいで、妻と美沙子。そして東間君の家族まで壊してしまった・・・」
「今更詫び入れられても、どうしろって言うんです?」
「もちろん許されるなんて思っていない・・・でも私は」
「もういいっすよそういうのは。今ここでどれだけ詫びろうが、美沙子はもう帰ってこないことはアンタだって分かっているはずだ。だから・・・いい加減全部終わりにしてお互い前に進みませんか?」
「・・・えっ?」
直樹の言葉に男は思わず振り返る。
「その代わり・・・・・・二度と俺たちの前にその
振り向いた男を一瞥もせずに言い放つ直樹の表情は、恐ろしいくらいに冷めたものだった。
「良いご身分だよ・・・クズ野郎・・・」
男に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で直樹は毒を吐くと、そのまま美優紀を連れて霊園を後にする。
「カット。それではチェック入ります」
モニター越しにカット割りの確認をする月島と共に、憬も早乙女の芝居を引き続き観察し続けていた。
「今の芝居を見て、何か気付いたことはあったか?」
早乙女が最後に男に向かって毒を吐いた瞬間、思わず美沙子を失った直樹の情景がフラッシュバックするような感覚に襲われた。
「 “同じ表情”をしていました」
「・・・“同じ表情”・・・なるほどな」
憬の独特な例えに月島は一瞬だけ考え込むが、憬が早乙女の芝居の本質に気付き始めたことをすぐに理解する。
「月島さん。これが
その時に早乙女が魅せた表情は、結果的に美沙子の命を奪う形になってしまった人たち全員に対する怒り。それはまさに、憬の中に存在する直樹の感情と見事にリンクしていた。
「技術を盗むということは役者として成長するための基本事項だよ」
憬からの問いに対して月島は誰に向けるでもなく、モニターを見つめたまま言葉を吐く。
「そんな基本を忠実に守り愚直なまでに今日まで貫き続けたおかげで、早乙女は替えの利かない唯一無二の
良い芝居をする役者や、刺激を受けた役者からその技術を盗む。
「・・・見事にやられた」
心の声が思わず漏れる。午前中に見学したあの1シーンだけで早乙女は、中学時代の過去を俺の芝居を通じて盗んで見事にそれを直樹の感情として昇華させた。俺はまんまと自分の演じる直樹を芝居ごと利用され、完膚なきまでに生贄として喰い尽くされた。
「悪く思わないでくれ、夕野君。これが役者という生き物だ。それはドラマだろうと映画だろうと舞台だろうと、どこでも同じことだ」
昨日の撮影現場での芝居を通じて自分自身が喰われたことを自覚した俺に、月島が言い聞かせる。
「ならばもう、今の君がやるべきことはたった1つだ」
「・・・・・・早乙女さんの演じる直樹を利用して、中学時代の直樹を演じる」
それに続けた月島の言葉をそのまま繋げるように憬は言葉を続ける。
「・・・そうだ。そして肝心なのはあくまで利用することであって“真似”はしないことだ」
月島は憬を一瞥すると背中を軽く一回だけ叩き、月島からの“激励”に憬は「ありがとうございます」と感謝を述べ、月島もまた憬の感謝に頷きで答えた。
「どうだい少年。ボクのお芝居は参考になったかい?」
それとほぼ同じくらいのタイミングで、早乙女が監督ベースに顔を覗かせてきた。
「早乙女さんのおかげで直樹を演じる方法が自分なりに分かって、大変参考になりました」
「そっか。じゃあここから先の撮影は相当期待出来そうだね」
「はい・・・今度こそ、俺は直樹として最後のカットまで全うします」
すると早乙女は凝視するように俺の目を見つめ、
「・・・その心意気を待っていたんだよ、“憬”」
と呟くように言った。初めて名前で呼ばれ鳥肌が立つような感覚に襲われるが動揺を内側に隠し、憬は早乙女からのグータッチに応じる。
“盗まれたのなら、もう一度盗み返せばいい。利用されたならもう一度利用しろ、早乙女の芝居を。そして・・・今まで生きてきた中で手に入れた
そこにはもう、たった1つのOKテイクに翻弄されていた少年の姿はどこにもなかった。
着地点が見えそうで見えない。今日この頃・・・・・・