或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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一途しか勝たん


scene.18 思惑

 8月7日_21時_中野区某所のマンション

 

 「思った以上に凄かったね、憬くんの芝居」

 

 マネージャーが住む同じ階の部屋で夕食を食べ終え、自分たちの住む部屋に戻るとすぐに思い出したかのように静流が今日のことを話しかけてきた。

 

 「うん。まさかあんなに凄い芝居が出来るとは思っていなかったから、正直驚いてる」

 「そりゃあ驚くでしょ。私だってあんな新人さんを見たのは芸能界に入って初めてだから」

 「へぇ・・・そうなんだ」

 

 明後日の方角を見つめ静流が独り言のようにボソッと呟くと、また思いついたかのように私に目を向けて話しかける。

 

 「・・・蓮はさ、今日の憬くんの芝居を見てどう思った?」

 「・・・どうって言われても」

 

 最初に会った頃から、憬はきっとこのまま俳優になるんだろうなと何となく心の中でイメージしていた。というより、俳優以外のイメージが全く湧いてこなかった。

 もちろん憬とこんな形で再会できたのは素直に嬉しいし、心の底から憬のことは応援している。そのはずなのに、なぜが気分がモヤっとしてどこか整理できていないような感覚が残っている。

 

 「なんだろう?上手く説明できないんだよねこういうの・・・でも」

 「でも?」

 

 “人を殴った以上、あんなのは演技じゃないんで”

 

 山吹(先輩)からキツく言われて、なんとか自分の力で挽回しようと半ばヤケになって月島に直談判して当たり前のことでまた叱られる。

 

 そんなド新人の一部始終を目撃していた私は、何を思っていたのか。

 

 「山吹さんに少しキツく言われただけで何も見えなくなっちゃうようなところは、ちゃんと新人なんだなって・・・それを見たらなんか少しだけ安心した」

 「ふーん・・・じゃあ何で蓮は憬くんのそんな姿を見て安心したの?」

 「・・・それが自分でも分からないんだよね」

 

 そう、私はそんな憬を見て安堵していた。でもなんであの時に私の中でその感情が芽生えたのかは分からない。

 

 「・・・安心したのは、まだ自分の方が同じ役者として彼に勝っていると確信できたから?」

 「・・・えっ?」

 

 どこか意味深な微笑みを浮かべた牧から突然放たれた言葉に、環は理解が追い付けず相槌がワンテンポ(1秒)ほど遅れる。

 

 「突然目の前に現れた親友が、たった1ヶ月で1年以上頑張ってきた今の自分を超えようとしている」

 「何言ってんの静流?」

 

 こうやって静流は時折、全てお見通しと言わんばかりに人の心理を突いてくる。子役の頃からの付き合いである山吹の助言もあって静流の癖は同居する前から知っていたが、その言葉がどこか的を得ているようでいざやられると思考回路が追い付けない。

 

 「そんな親友の芝居を目の当たりにして、驚きと同時に心の中で自分が役者として越されてしまかもしれない恐怖と自分への悔しさを覚えた・・・もし私が蓮の立場だったら、きっとこんな感じで嫉妬に苛まれると思う」

 

 “蓮と同じように俺も役者になる”

 

 あんな浅はかとも言える動機で役者になった憬から見せつけられた、天性の才能という名の武器の恐ろしさ。それに引き換え私は、1年が経った今でも自分のことで精一杯だ。

 

 「・・・純粋に応援したいっていう気持ちのどこかに静流の言う通り、そういう気持ちもあるような気がする」

 

 私にも憬と同じような才能を最初から持っていたら、今のような思いはしないのだろうか?

 

 「でも分からないんだよ・・・この気持ちをどうやって整理したらいいのか」

 「それはどうして?」

 

 自分の無力さを思い知った『1999』の時とも違う、考えれば考えるほど逃げ出したくなるような、身の回りの全てが嫌いになってしまいそうな、今まで生きてきた中で感じたことのなかった説明のつかない感情。

 

 “この感情は・・・何?”

 

 「なんか・・・恐い」

 

 反射的に言葉が出た。果たしてこれは、その気になれば直ぐに自分の中で整理がつくような単純な感情(モノ)なのだろうか。

 

 「・・・恐いか・・・ならその感情は今は使わないことだね。少なくとも今その感情を使ったら、多分あなたは壊れると思うし」

 「壊れる?」

 「そう。嫉妬という感情はとても繊細で一歩でも取り扱いを間違えたら人の心を壊して悪魔にしちゃうからね」

 

 嫉妬。恐らくこの感情を言葉にして表現すると、きっとそういうことになる。

 

 だがこの感情に納得のいく理由をつけた瞬間、憬や周りの人たちと今までのような関係を保つことが出来なくなるかもしれないという恐怖のようなものが、“開けちゃダメだ”とリミッターとしてドアの前に立ち塞がる。

 

 “そもそも今の私には、そんな感情を憬に向けられる覚悟がない”

 

 「・・・やっぱり、忘れた方がいいよね。この感情は」

 「ううん。女優を続けるならこの感情は絶対に忘れてはならないよ」

 「でもそれじゃあ私は壊れるんでしょ?静流の言い分だと」

 「だから、今は心の奥底にそっと閉まっておくんだよ」

 

 心情を知ってか知らずか、リビングのテーブルに座る私の頭を静流は優しく右手で撫でて向かいに置かれた椅子を動かし隣に座る。

 

 相変わらず静流の距離の取り方(コミュニケーション)は独特だが、1ヶ月も一緒に住んでいればそれにもすっかり慣れて今では内心心地よさすら覚えるくらいになった。

 

 もちろんそんなことを本人や周りにカミングアウトすることなんかできないが。

 

 「・・・本当はあまり人に教えたくないんだけど、蓮にはこれから女優として強くなって欲しいから、細かくは言えないけど特別に教えてあげる」

 

 静流は言い終えると「一回しか言わないからね」と前置きして私の耳元でその教訓を呟く。

 

 「蓮が女優を続ける中でどうしても必要になった時に、その感情を使えばいいよ」

 「・・・必要な時って?」

 「それは女優を続けていれば・・・いつかは使う時が来るよ。だからその時が来るまで心の奥で大事に閉まっておくんだよ。“嫉妬”という感情は、役者を続ける上では欠かせない“大切なもの”だから」

 

 この日、静流の口から出たアドバイスは対処法というよりは“女優として覚悟を持て”というメッセージのようなものだった。でもそんな彼女からの一言でモヤモヤが奥底に引っ込んでいき、その感触に比例するかのように心が少しだけ軽くなった。

 

 「・・・ねぇ静流?最終日(あさって)の撮影、私もついていっていい?」

 

 とにかく今は、“この感情”を使うのはやめておこう。いつか使う時が来るその時まで・・・

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 8月8日_16時_横浜市内某所_

 

 墓参りのシーンを撮影した霊園から車で30分と少しのところにある住宅街の一角。ここで本日の残りの撮影が行われる。

 

 ちなみにこのドラマの舞台となっているのは阿佐ヶ谷なのだが、全ての撮影を阿佐ヶ谷近辺でやっている訳ではない。そもそも『ピュア』の施設内は成城にある撮影スタジオで特設セットを組んで撮影していて、環の演じる麻友が通っている中学校に至っては23区内を飛び越えて国分寺にあるという。

 

 補足すると直樹の中学時代の舞台は神奈川だというが昨日の撮影場所は町田だったというように、ドラマの撮影というものは舞台こそ決まっているが実際に使用されるロケ地はてんでバラバラなことが殆どらしい。

 

 だが正直言って、そんなことなど今はどうでもいい・・・

 

 「あの・・・何でよりによってこの場所でロケをするんですか?」

 

 明らかに見覚えのある、ていうか毎日通っている中学校へと続いていくなだらかな坂道。

 

 「共演者に一発見舞った次はスタッフがせっかく探してくれた撮影地に文句を垂れる・・・さすが大物は違うね」

 「そういうことじゃなくて」

 「おいみんな!この少年が!」

 「何でもないです!すいませんでした!」

 「(何でもないならなんで謝るんだよ・・・)」

 

 またしても余計なヘイトを集めてやろうとばかりに揶揄う早乙女とそれを全力で阻止する俺の攻防を準備に取り掛かっている周りのスタッフがやや冷めた目で見つめる。

 これに関しては、失礼極まりない失言をした俺が全面的に悪い。この言葉がスタッフの耳には届いていなかったことが、不幸中の幸いだ。

 

 「で?そういうことじゃないのなら何なのさ?」

 「・・・この道。俺がいつも通ってる通学路です」

 「あぁそっか、だから気合が入っているのか」

 「それは絶対に違う」

 

 事前に撮影する場所は知っていたので言うまでもない。誰が何と言おうと監督の月島がここをロケ地と決めた以上、役者はその場で芝居をするしかない。

 

 「ついでに聞くけど何で早乙女さんもここにいるんですか?」

 「この後暇だから」

 「・・・休まなくて大丈夫なんですか?この間丸2日寝てないって言ってた気がするけど?」

 「別に今から家に帰ってもすることないしリフレッシュするにもこの時間だと中途半端じゃん。だったら家で何の目的もなくグダグダするよりこうやって人の演技を見て芝居の見識を深める方が有意義じゃない?って話だよ。台本だって全部覚えちゃったしね」

 

 早乙女は左手で自分のこめかみを撃つジェスチャーをする。確かに台本を覚えてしまった以上、この男の中でやるべきことはただ1つだ。

 

 「・・・早乙女さん・・・俺は早乙女さんのことを才能に恵まれた天才だと勝手に思っていました」

 

 凛とした顔立ちや自身から放たれる風格(オーラ)と卓越した記憶力。そんな生まれ持った天性の才能だけを武器に芸能界をのし上がってきたと思っていた。けれど、それは大きな間違いだった。

 

 「おぉどうした急に?」

 

 何故このタイミングで、こんな言葉が浮かんできたのかは自分でも分からない。

 

 「でも本当は、他の誰よりも芝居に向き合い、他の誰よりも一生懸命に人知れず血の滲むような努力を重ねてきた。だから早乙女さんは、ずっと主役で居続けられる役者になれた・・・って俺は思います」

 

 だが月島から早乙女の過去を聞かされ、その直後に目の前で見せつけられた“6年間の成果”を見て彼の努力を知り、言わずにはいられなかった。

 

 「・・・別に特別なことはしてないよ。ただ当たり前のことを当たり前にやってるだけさ」

 

 憬からの言葉を、早乙女はすまし顔で返す。

 

 「それに年齢は上だけど同じ役者となると敦士くんとか静流さんの方が先輩だし、ボクより良い芝居をする役者なんてこの世界にはまだ幾らでもいる。それでもってそんな格上の役者()たちといつか同じ舞台に立って真剣勝負が出来るようになるためには、今のうちにもっと自分の芝居を進化(アップデート)させて行かないと駄目なんだ。ボクだって広く見ればキミと同じ“若手俳優”の1人に過ぎないからね」

 

 まるで自分自身に言い聞かせるようにして前を見据えて呟く男の、自分の素質に満足することなくただひたすらに己の芝居を追求していく努力という名の美学。

 

 「今はまだお互い勉学に励む時期だよ、憬」

 「・・・はい」

 

 “俳優・早乙女雅臣”がトップで在り続けるために自身に課した(カルマ)や14歳で“女優・牧静流”の十字架を背負って歩みを進める覚悟を通じて、トップランナーと呼ばれる人たちの凄さと共に、そんな人の芝居を“盗める”という環境がどれほど素晴らしいものであるかを思い知った。

 

 映画やドラマを鑑賞するだけじゃ分からない、演技をするために生まれてきた人たちで構築された唯一無二の世界。

 

 

 

 「相変わらず早乙女さんはそこに立っているだけで絵になるよね」

 

 憬と早乙女が聞き覚えのある声のする方に2人そろって振り向いた瞬間、緩やかな住宅街の坂をバックに道の真ん中に立つ2人の“直樹”に閃光(フラッシュ)が焚かれる。

 

 「ついでに憬くんも」

 

 2人の視線の先には使い捨てフィルムカメラを持ってシャッターを切った牧が“良い写真()が撮れた”と言わんばかりの満足げな笑みを浮かべていた。

 

 「いい写真は撮れたかい?静流さん」

 「えぇ、多分」

 「ところで同居人の“後輩ちゃん”は?」

 「蓮は“アリス”の撮影で今頃スタジオだよ」

 

 どうやら環は雑誌の撮影で今日はいないようだ。ちなみに環は女優業の傍らティーン雑誌である「アリス」の専属モデルとしても活動している。

 

 「あの、牧さん」

 

 そんな同居人()の先輩である牧の姿が目に映ったその瞬間、どういう訳か俺の頭の中に美沙子の姿が浮かんだ。

 

 「何?憬くん?」

 「・・・牧さん。今日もよろしく」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 8月8日_16時30分_新宿_

 

 主要キャストとして出演した映画の公開を記念する舞台挨拶を終えた山吹は、楽屋で舞台挨拶用の衣装から私服に着替えていた。

 

 「・・・そろそろ“あっち”の撮影が始まるくらいってとこか・・・」

 

 私服と共に楽屋のロッカーに無造作に置いていた限定モデルのデジタル式腕時計を手に取り時間を確認した山吹が呟く。

 

 「失礼するわよ」

 

 腕時計を左腕にはめるのとほぼ同時のタイミングで楽屋のドアを少しゆったりとしたリズムでノックする音と共に、聞き覚えのある女性の声がした。

 

 「先ずは舞台挨拶、お疲れさま」

 

 芸能事務所スターズ代表取締役社長・星アリサ。彼女がこうしてわざわざ所属タレントの楽屋にいきなり訪れる時は、必ず何かがある時だ。そして俺には、少なくとも彼女が自分の楽屋を訪れたことに関して、思い当たる節があった。

 

 「・・・昨日の(こと)でここに来たんですか?アリサさん?」

 「ほぼ正解ってところだわ」

 

 昨日のドラマ撮影を見学する際、俺はアリサにそのことを黙って撮影現場に向かっていた。流石に月島には秘密にすることを条件に連絡を入れていたのだが、こんなに早くバレるとは思わなかった。恐らくスタッフの誰かがリークしたのだろう。

 

 「何で黙っていたの?」

 

 逃げる隙を与えないよう、アリサはピシャリとした口調で言い放つ。

 

 「反対されると思ったんすよ。夕野みたいな役者(人間)を恐がるアリサさんのことなら、せっかく幸せにするために引き抜いた自分の子供が悪影響を受けて壊れていくんじゃねぇかって余計な心配をするだろうから」

 「そんなのバレたら一緒じゃない」

 「それはごもっともでした」

 

 無論、相手は雇い主である以前に同期2人の影で“燻っていた”自分を拾い上げ、こうしてスターダムに上げてくれたいわば恩人のような存在。言い訳なんてするつもりは毛頭にもない。

 

 「それと私が夕野憬(あの子)を恐がるというのはどういうこと?敦士?」

 「早乙女さんから聞いたんすよ。アリサさんがオーディションで夕野(アイツ)を落としたこと」

 

 スターズを設立する前日、アリサは突然記者会見を開くとその場で大勢のマスコミを前に只ならぬ覚悟を持った立ち振る舞いで“女優引退”を宣言した。なぜ人気絶頂の中でそんな決断をしたのかは彼女にとって最後の晴れ舞台となった“あの舞台”と、そこに至るまでの1年間で彼女の身に降りかかった出来事を知る連中なら、ある程度は分かることだろう。

 

 「また1人“不幸な役者”が生まれちまうかもしれないってことが恐かったのか?」

 「別に恐かったわけじゃないわ。ただ、今のままだと夕野憬(あの子)は確実に壊れてしまう。だからそうなる前に逃げ道を作ってあげただけよ」

 

 去年の3月、あの舞台の千秋楽を観客の1人として目撃していた俺も全てを知っている訳ではないが一応そのうちの1人だ。だから、夕野の芝居を見てアリサ(この人)が誰よりも演技面で飛び抜けていたはずの夕野を候補から振るい落とした理由もその心境も何となく分かる。

 

 「でも結果的に逃げ道作ったらもっとややこしい事態になってんのは運命のいたずらか?」

 

 だが良かれと思って逃げ道を作ったら皮肉なことによりによって一番厄介な連中に捕まり、ある意味最悪な形で戻ってきてしまったということだ。

 

 「敦士

 「・・・冗談っすよ」

 

 本当に軽い冗談のつもりだったがこれが癪に障ったらしく、アリサは語気を強めて俺の名前を言う。流石に言い過ぎたと俺は脳内で反省する。

 これが芸能界の闇と言ってしまっていいかは知らないが、あくまで部外者の俺は知らない方がよさそうだ。

 

 「その話はともかく、私はあなたのことを他者から悪影響を受けるような半人前だとは思っていないから、一言言ってくれたら可能な限り何処へでも連れて行ってあげるわ」

 

 これ以上は話したくないのか、アリサは半ば強引に話を終わらせる。不幸中の幸いか、昨日のことについてはそこまで怒っている様子はない。

 

 「ところで敦士、明日はどうするつもりなの?」

 「明日?フツーに夜からHOME(ドラマ)ですけど?」

 「それは知っているわ」

 

 だが、妙に嫌な予感がする。

 

 「私が聞いているのは“あの子”のことよ。あなたの事だからどうせ行くつもりでしょ?学校の撮影も」

 「・・・まぁ、そのつもりっすけど」

 

 アリサの女優だった頃を彷彿とする優し気なその口ぶりが、その予感を増長させている。

 

 「昨日の貸しという訳じゃないけど、午前中の撮影に行くなら“彼”も同行させて欲しい。他人の芝居を勉強するには良い機会だから」

 

 その言葉を合図に、楽屋のドアから1人の男が現れる。早乙女や心一のように特別背が高いわけではないが、まるで1人だけ異空間にでもいるかのような唯一無二の存在感を放つこの男のことは、少なくとも俺がスターズに引き抜かれる前から知っている。

 

 「久しぶりだな。“あっくん”」

 

 絶対的な看板俳優(スター)である早乙女雅臣に続くスターズの新たな看板()になるべく破格の待遇で今まさに事務所が育て上げている金の卵。言うまでもないが、この間の俳優発掘オーディションの勝者は始まる前から決まっていたようなものだ。

 

 「アリサさん。十夜(コイツ)を現場に連れて行く代わりに・・・1つだけ俺に教えて欲しいことがあります・・・」

 

 俺は、そんな十夜(コイツ)のことが嫌いだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 学校からの帰り道。少しだけ傾き始めた空が家路につく直樹と美沙子を照らす。

 

 「もう来週には期末だね」

 「何でいきなりテストの話すんだよ」

 「だって直樹、この前の中間って理数系以外は全部赤点だったじゃない?だから大丈夫かなって思って」

 「っるせーよ余計なお世話だ」

 「じゃあ応仁の乱のきっかけになった室町幕府の第8代将軍は?」

 

 そう言って嘯く直樹に、美沙子は特に成績が酷かった歴史の問題を振る。

 

 「織田信長」

 「全然ダメじゃん。時代も違うし」

 「はぁ?将軍つったら信長だろうが」

 

 誇らしげに見当違いな回答をする直樹と、それを呆れた様子で見つめる美沙子。

 

 「・・・今回も直樹のところで勉強会ね」

 「冗談じゃねぇよこのスパルタ娘が」

 「中澤先生も言ってたでしょ?1つでも赤点を取ったら夏休みに補習を受けさせるって。そうなったら補習中は部活にも出れなくなるし。それでも自信があるんだったら私はいいけど?」

 「・・・・・お願いします」

 

 少しだけ悩んだ末、直樹は美沙子からの勉強会を引き受ける。春休みの補習で味わった“課題地獄”に比べたら、まだマシだからだ。

 

 「あのさ、毎回思うんだけど何で俺ん()なん?」

 「なんか・・・自分の部屋だと逆に落ち着かなくてさ。そもそも入れたくないし」

 

 そう言うと美沙子はどこか意味深な笑みを浮かべる。今思えば、その一言が美沙子からのSOSのようなものだったのかもしれない。

 

 「何だよそれ」

 

 

 

 「はいOKです」

 

 17時28分_下校シーン、撮影終了。

 

 

 

 「・・・にしても悲しくなってくるよな」

 「何が?」

 

 撮影が終わっていきなり憬の発した突拍子もない言葉に、牧は思わず戸惑う。

 

 「こうやってくだらない話で盛り上がってるような2人がさ、明日にはもう“離れ離れ”になるんだからよ」

 「あぁ・・・撮影の話か」

 

 ついさっきまで一緒に下校路で談笑し合っていた幼馴染が、明日には目の前で自らの命を落とすという現実。

 

 「早乙女さんの演技を見て、ようやく直樹が美沙子のことをどれだけ想っているかが分かってから・・・なんか美沙子があまりに可哀想に思えてきた」

 

 本当の意味でようやく俺は直樹の感情を理解することができたが、このままじゃ美沙子があまりに報われない。でもこの運命を受け止めなければ直樹にはなれない。下校シーンの撮影が終わった瞬間、そんなジレンマに似た思いが形となって溢れ出てきた。

 

 「何とかして救えないかな美沙子のこと」

 「それは無理だよ憬くん。私たちはカメラが回ってる間は直樹と美沙子になりきらないといけないから」

 

 もしも俺が直樹だったら、今すぐ隣にいる美沙子を救ってやりたい。でも台本に書かれている運命を変えることは、役者としてここに立っている時点で許されない行為だ。

 

 「・・・だよな。俺もそれは分かってるよ」

 

 言い終えると憬は小さく溜息を吐いた。

 

 「・・・憬くんはさ、一度役に入ると完全に役から抜け出すまでに時間がかかるタイプ?」

 「えっ?」

 「・・・ああごめん。ちょっと難しかったかな?」

 

 牧の言ったことに対して一瞬だけ疑問符が付いたが、すぐに大体の意味は理解した。

 

 「いや、多分抜け出すこと自体は早いほうだと俺は思う」

 

 他人の感情に入り込むこと自体はいつしか無意識に出来るようになっていたから比較的容易いもので、そこから戻ることも何の苦労もなく出来ていた。というより、そんなこと考えたこともなかった。

 

 「そっか。ならいいんだけど」

 

 すると牧は俺に向けて意味深に呟く。

 

 「ならって・・・どういうことだよ?」

 

 明らかに裏がありそうな牧の一言がどうしても気になりその意味を問いかけるも、

 

 「普通にそのままの意味だよ。誰かを演じる時に余計な感情が入っていると何かと不都合でしょ?ストーリーにとっても自分にとっても」

 

 と価値観を半ば押し付けられるような形ではぐらかされた。この様子じゃ、きっと俺が問いかけても牧は明確には答えてはくれないだろう。

 

 「・・・・・・まだ俺には“受け入れる必要も知る必要もない”ってことか?」

 

 それでも牧からの返答をどうしても聞いておきたかった俺は、顔合わせの時に言っていた言葉をそのまま返す。

 

 「・・・もう、憬くんは大袈裟だなぁ」

 

 そう言うと牧は俺に向かって半分馬鹿にしたような感じで笑いかける。

 

 「そんな大それたことなんかじゃないよ。役者というのはカチンコの合図で役に入り、カチンコの合図で役から抜け出す。それが役者ってだけの話だから」

 

 結局牧は、それ以上の明確な答えを教えてくれることはなかった。

 

 

 

 「早乙女さんの演技を一度見ただけでこの変わり様・・・新人は伸びしろの宝庫だと上地さんは言っていましたが、この成長速度は脅威ですね」

 

 ドラマのメガホンを取る月島と演出補で月島の愛弟子でもある黛は、憬の変化に内心驚いていた。

 

 「どの世界にもいるものだよ。彼のようにいつか必ず歴史に名を残すような才能を持ち合わせた人間というのは」

 

 日常会話のシーンだからそれが表立っているのは微々たるものだが、昨日の撮影に比べて憬の芝居の精度が明らかに上がっている。同じ現場にいることで分かる、微妙な空気の違い。

 

 「ここまでは“月島さんの想定通り”、というところですか?」

 「人聞きの悪そうな言い分はともかく、大方黛君の言う通りというところだ」

 

 

 

 「・・・何で・・・ここにいるんだよ・・・」

 「・・・もうみんなには顔向けできないけど、このクラス自体は好きだったから・・・」

 「・・・そうか・・・」

 

 直樹が伊藤を殴ってから2週間ほどが経ったある日、あの日を最後に再び学校に姿を見せなくなった美沙子が県外の中学校に転校することが担任からクラスに伝えられた。事情を考えれば当然の話ではあった。

 結局クラスに美沙子が現れることはなかったが、忘れ物を取るために放課後の教室に戻るといないはずの美沙子がいた。

 

 「ごめんね、直樹。こんなことにならなかったら、直樹はサッカー部をクビになることはなかったのに・・・」

 「日島が謝るなよ・・・あれは殴った俺と落書きをした奴らが全部悪い」

 

 あれから直樹は“あの一件”が原因で校則違反として部活動をクビになり、クラスの連中からは標的が移るように厄介者扱いされるようになったが、そんなものは痛くもかゆくもない。

 

 「・・・俺なりに考えたんだよ、どうやって日島を守るかって。でも俺って馬鹿だからさ、日島を虐めた奴を痛い目に合わせるくらいしか思いつかなかったわ・・・笑っちまうよな、人をぶん殴ったところでなんにもならねぇってのに・・・」

 

 ただ幼馴染で一番の親友に何も出来ずにいる自分に、直樹は心底腹が立っていた。

 

 「そんなことないよ」

 

 そんな直樹に、美沙子は決意を込めて伝えたかったことを伝える。

 

 「・・・こんなこと言うのは不謹慎だけどさ・・・直樹が伊藤くんのことを殴ってくれた時、ちょっとだけ気が楽になった」

 「・・・どういう意味だよそれ?」

 「自分でもよく分からないんだけど・・・なんかその時だけ気分がスッキリした。だからありがとう・・・伊藤くんのことを殴ってくれて」

 

 言い終えると美沙子は座っていた自分の椅子から立ち上がる。

 

 「流石にあんまり長く居るのも悪いから、あたしはもう帰るね」

 「え?じゃあ一緒に帰ろうぜ」

 「いや、あたしは1人で帰るから大丈夫だよ」

 「何言ってんだよだって今日で日島は」

 「本当に大丈夫だから」

 

 そして美沙子は今できる精一杯の笑顔を直樹に見せる。

 

 「あたし・・・直樹と親友になれて本当に良かった!」

 「・・・おう。俺も良かったわ・・・日島とダチになれて」

 

 本当は今すぐ美沙子を引き留めたい直樹だが、意思に反して足は動かない。

 

 「・・・今までほんとにありがと・・・じゃあね・・・」

 

 最後の言葉を言うと美沙子は何かを振り切るように駆け足で教室を立ち去る。

 

 「・・・美沙子・・・」

 

 そんな美沙子の姿を、直樹はただ茫然と立ち尽くして見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 「・・・一歩間違えれば作品そのものが崩壊しかねない。こんな演出(真似)が出来るのは月島さん(あなた)ぐらいですよ」

 

 その気になれば、昨日の時点で“主役”の芝居の精度をもっと上げることは可能だったはずだが、隣に立つ演出家は敢えて“そんな真似”をせずに淡々と演出をつけていった。

 

 「それは褒めているのか?それとも貶しか?」

 

 月島は山吹からの叱責で自信を失いかけ、自分の芝居に対して不安を払しょくできずにいる状態のままの夕野にOKテイクを出した。

 当然本人は月島からのOKサインに対して首を縦に振っていたが、同時に自分の芝居に首を傾げていたのも確かだった。言ってしまえばあの芝居はプロとしては不完全で失格の部類と言えなくもないだろう。

 

 だがそんな不完全な芝居は皮肉にも、美沙子を救いたいという思いに反して助けになれない自分と現実に対する怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになった直樹の感情と見事にリンクしていた。今日の“吹っ切れた”夕野の芝居と比較すると、それがより鮮明に浮かび上がる。

 

 「もちろん、前者です」

 

 これらは全て、月島が知らずのうちにたった一人で作り出した必然の演出だ。出演者一人一人のポテンシャルや人間性を的確に把握し、出演者自身の感情すらも演出の一部として取り入れる。そうして偶然の産物のような奇跡を必然的に作り上げていく。

 

 「そうか。良かったよ」

 

 手堅いように見えて時には博打とも言える手段に出ることも厭わない酔狂さを隠し持つ。そんな数字に囚われている“商業主義”とは対極にある思想を反映させながらも仕事が途切れず最前線にいられるのは、この男が常に見返り以上の結果を出し続けてきたからだ。

 

 「問題は明日の撮影ですね・・・幾ら迷いが消えたとは言え、昨日の二の舞になるかもしれませんし・・・」

 「・・・その心配は要らないよ、黛君。早乙女の芝居を盗んだ夕野君なら、もう大丈夫だ。仮に万一のことがあろうと、僕が最後の最後まで操ってみせる」

 

 

 

 そんな月島という酔狂な演出家は、黛からの心配の声に余裕の笑みを浮かべた。

 




いやぁ、創作って難しい。回を重ねるごとにそんな心境が増している今日のこの頃。

自分で言うのもアレですが、この作品は他の作者様の作品に比べて読み続けるのに少し根気がいる部分があると思います。本当にすみません。

それでもこの作品を毎週読んで下さっている読者の皆様には、心の底から感謝しています。

こういうものはとにかく書き続けてみるということに大きな意味があると思っていますので、拙い部分はまだ色々とありますが、これからもよろしくお願いいたします。


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