美しく咲き誇る生花の命は、永遠ではない
9月某日_
「東間直樹役、早乙女雅臣さん。これにてクランクアップです」
月島の掛け声と共に花束を手元に抱えた黛が、“アサガヤ”と縦に書かれた直樹の衣装を着てセットの中に立つ早乙女の元に向かう。
「色々とふざけんなと思うことはあるけど、このドラマを無事に最後まで撮り終えることが出来たのは君の力があってこそだったよ。本当にありがとう」
「あの?最初の一言って要りますか?」
「いるさ。大体君はこれまで僕に何度迷惑をかけたことか」
「迷惑って・・・ボクはただ“鍛錬”を重ねていただけですけど?」
「特に過去パートの撮影に至っては邪魔しかしてなかったじゃないか」
「ホント酷いですよ月島さんは~」
互いに穏やかな口喧嘩を交わしつつも早乙女がその花束を受け取ると、周りの一同は一斉に拍手を送る。もちろんここには共に花束を抱えた環、山吹、水沢たちレギュラーキャストも全員集合している。
あの撮影から1ヶ月、憬の芝居を盗んだ早乙女の演じる直樹は自他共に確かな手ごたえを感じるほどの完成度を誇り、早乙女自身もまたこのドラマの成功以上に役者として必要な新たな財産を手に入れた。
「あんまり美和ちゃんに迷惑をかけないでくれる雅臣?」
周りに聞こえないくらいの小声で水沢が花束を受け取り数歩下がって来た早乙女に話しかける。
「えっ?何でボクが責められないといけないんだ?そもそもボクは何も」
「言っておくけどここまで大目に見てくれるのは月島さんくらいだからね?」
「・・・へいへい」
水沢からの忠告に早乙女は渋々了承すると黛の方に視線を送る。すると黛は腕組みをしながら口元を閉じたまま口角を上げて早乙女に向けて笑みを浮かべる。
“あなた達には弁えるという概念がないんですか?”
黛がこの仕草をしている時は明らかに怒っている時だということを僕はとっくに知っている。まぁ、花束を持たされた状態であんな不毛なやり取りを隣でさせられたら多少なりとも不機嫌にはなるか。
“ごめん。無いわ”
黛に向けて早乙女はアイコンタクトで自分の意思を伝える。
“そういうことだろうと思いました”
いつか彼女が独り立ちして演出をするようになっても、僕が呼ばれることは恐らくなさそうだ。
無論、色んな意味で。
「・・・えーっ・・・改めまして、『HOME -ボクラのいえ-』で主演の東間直樹を演じさせて頂きました、早乙女雅臣です」
黛から受け取った花束を手に抱えたまま、早乙女は無理やり現場の空気を取り仕切るように最後の挨拶を行う。
「このドラマのオファーを頂いた時は正直、唯一“シナリオ”だけは手堅くまとめてくるあの月島さんが演出のみならず、とうとうシナリオまで冒険してきたかとヒヤヒヤしたものです」
撮影現場では定番となっているそこそこ際どい“軽めな”ジョークを交えながらも、早乙女の“つかみ”で現場にはひと笑いが起こる。もちろん言われた張本人は苦笑いであるが。
「おまけに撮影期間中にいきなり訳の分からない素人を中学時代の直樹として起用したりと、今回はいつにも増してぶっ飛ばしておられていた月島さんの誠意にお答えする形で、ボクも今まで以上に今日まで全力でぶっ飛ばして参りました」
「おい、冗談が過ぎるぞ早乙女」
さすがに痺れを切らしたのか、月島がツッコミをいれる。
「安心してください。今までのことはすべてジョークです。では、本題に戻りましょう」
「雅臣。私この後CMの撮影があるからマジで“巻き”で終わらせて」
「えっ?何で?」
「大体いつもクランクアップの一言が長いんだよ。校長先生のスピーチかてめぇは」
「仕方ないでしょ感謝を伝えるにはある程度の言葉は必要なんだから。あと姐さん、元ヤンが出てるって」
早乙女という男は毎回、出演した作品のクランクアップの度に一言というにはあまりにも長すぎる最後の挨拶を述べる。もはや恒例行事と化している小ネタや際どいジョークを交えたこの挨拶は、一部からは“
「まぁ良いじゃないか水沢、この面子が揃うのは今回がひとまず最後になる訳だし」
「そうやって甘やかすから図に乗るんですよ尾方さん」
当然仲間内には肯定派の人間もいれば否定的な人間もいて、“スピーチ”に対する反応は賛否両論で別れている。
「まるで
「さすがに言い過ぎだよ敦士くん」
「ごめんなさい。これだけは山吹さんに賛成です」
「オイオイ蓮まで・・・」
大の大人が大の大人に世話の焼ける子供を見るような扱いをされている光景を山吹がボヤき、環もそれに同意する。
「・・・分かりました。今日はなるべく巻きます」
流石に環からも子供呼ばわりされたことが少しショックだったのか早乙女は珍しく巻きで済ませると宣言する。
「でもその代わり・・・どうしても伝えたいことがあるので、それだけは言わせてください」
すると一気にその表情がおちゃらけた普段の雰囲気から、本来の彼を象徴するような真面目な青年の顔つきに変わる。
「・・・ずっとそのままでいればいいのに・・・」
「“このまま”だととっつきにくいでしょみんなが」
右斜め後ろに立つ水沢が小声で呟くと、早乙女はそれに少しばかり笑いながら小声で答える。
“ザ・スター”という見た目に反してお調子者でノリが良く、常に自然体で親しみやすさのある人柄で知られている早乙女だが、それはあくまで自身が栄光の裏で重ねてきた血の滲むほどの努力を評価されることを誰よりも嫌う彼が持つ、ほんの一面に過ぎない。
「先ほど話したちょっとしたジョークの中で、実は一言だけ僕は本当の思いを喋りました・・・それはこのドラマで僕は今まで以上に、今日の最終回に至るまで全力でぶっ飛ばしたということです。この思いだけはまごうことなく本物です」
もちろん早乙女と付き合いの長い人間の多くはその事実を知っていて、月島や水沢もその一人である。
「これまで7年間、この世界で俳優というお仕事を続けて、紆余曲折ありましたが色んな経験をさせて頂いた積み重ねのおかげで、今もこうして主演としてここに立っていられていると勝手に僕は思っています。もちろんHOMEに関しても共演者や月島さんを筆頭としたスタッフの皆様の協力無くして、僕はこの東間直樹と言う役を最後まで演じ切ることはできませんでした」
だがこれまでと違うのは、“あの早乙女”が十八番としている小ネタや際どいジョークを連発で仕込むことなく、冒頭以降はここまでおふざけ一切なしでスピーチを続けていることだ。
そんなちょっとした違和感が、少しずつ撮影現場全体に浸透していく。
「つまり何が言いたいかと言うと・・・僕は直樹という役を俳優になってからの7年間の集大成として・・・演じさせて頂いたということです」
“まさかアレをここで言うつもりか・・・!?”
早乙女の“魂胆”に気が付いた山吹が話しかけようとするも、全てを察した月島が山吹へ“言わせてやれ”とジェスチャーを送る。
「・・・俺は知らねぇぞ・・・」
周りに聞こえないくらいの声で、山吹は早乙女に最後の警告を送る。その言葉が耳に入ったのかは定かではないが、早乙女は咳払いを1つすると覚悟を決めるように深く息を吸って伝えたいことを打ち明ける。
「ここにいる皆さんにだけは・・・先に伝えておきます・・・・・・」
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数日後_芸能事務所・スターズ_
「本当に良いのね?雅臣?」
「はい。後悔など全くないですよ、アリサさん」
昼下がり、社長室の応接間。ここでは代表取締役の星アリサと所属俳優の早乙女雅臣がテーブル越しにソファーに座り1対1になって話し合いをしている。
そしてテーブルの上には、“辞表”と書かれた白い封筒が置かれている。
「芸能事務所を離れて独立するということは、自ら先の見えないトンネルに足を踏み入れるようなものよ・・・覚悟は出来ているんでしょうね?」
「何を言っているんですか。そもそもボクとの契約はあくまでこの事務所が軌道に乗る間までの約束ですよ」
「えぇ、知っているわ」
「それにボク自身、25になるまでに事務所云々関係なく独立することは
少しばかり寂しそうな表情を浮かべるアリサに、早乙女は“心配するな”と言わんばかりの笑みでそれに答える。
「・・・今のスターズには夏歩や敦士、そして十夜を始めとした広告塔を含めて14人の“スター”がいます。もうこの場所はボクのような“中途半端”な存在が居座らなくとも、十二分にやっていけるということはアリサさんが一番よく分かっているはずです」
まだ正式には公表されていないが、早乙女は今月いっぱいでスターズを退所し、10月以降はフリーとして俳優活動を続けることになっている。ちなみにこのことは先日に撮影を終えたばかりの
当然ながらそれはアリサや月島に許可を得た上で、翌日に予定されている正式発表を兼ねた記者会見が終わるまで一切口外しないという条件のもと早乙女が自ら現場でカミングアウトしている。
「ここを出て行った後はどうするつもり?」
「取りあえずこれを機会にアメリカにでも飛んで“本場の演劇”っていうのを一から学び、向こうで何かしらの“爪痕”を残せたらなって思っています。それまでは日本に帰るつもりもありません」
設立当初から所属タレントが倍以上に増えたスターズは、今や大手芸能事務所と言っても差し支えない程の影響力を持つようになった。そのような影響力の強い楽園から出て行った者に待ち受けるのは、“暗黙の了解”と言う名の
主演俳優として確たる影響力を持っている早乙女ですらそれは例外でなく、彼も独立という夢をかなえたのと引き換えに“それ相応”の代償を背負うことを余儀なくされている。
「爪痕ね・・・具体的にあなたはアメリカで何を残そうと考えているの?」
「そうですね・・・目標を言うならブロードウェイの舞台に最低でも準主役として立って、世界中を驚かせてやりたいですね」
「向こうに伝手は?」
「ある訳ないじゃないですか。ボクなんかに」
そんな早乙女が選んだ道は、恐らく考えうる限りで最も過酷と言えるであろう選択だった。応接間のソファーでファッション誌の表紙のような
「・・・言っておくけど海の向こう側の世界は
日本人俳優のブロードウェイ進出。これまで日本人俳優がハリウッド映画に出演したことは何度かあったが、ブロードウェイに日本人の俳優が出演したという前例はない。
「・・・無謀ですか・・・」
それどころか
「もちろんアメリカで活動することの大変さは十分に承知しています。この国では知らない人はいないであろうボクですら、向こうからしてみれば“言語やしきたりの通じない極東の島国から来た
一呼吸を置くと早乙女はだらっとした姿勢を正し、少しばかり前かがみのような姿勢でアリサの眼を真っ直ぐに見つめる。しかしながらこの男はどんな姿勢で座ろうとも、雑誌の表紙のように様になってしまう。そんな様子の“弟分”を、アリサは何とも言えないような表情で眺める。
「・・・それでも、一度だけでも“世界”というものを見て自分の実力を確かめてみたいんです。役者として更なる一歩を踏み出すために」
日系ですらない、英語もロクに喋れないであろう島国の異邦人には端役はおろか、相手にすらもしてくれないかもしれない。そんな普通に生活をするにも一苦労することは避けられないであろう世界に無謀と言われようと飛び込んでいく理由はたった1つだ。
「・・・ひとまずあなたの心構えはよく分かったわ。でも敢えて言わせてもらうけど、私はあなたがこれまで築いてきた
恐らく何を言ったところで目の前にいるこの男は、“愚かな選択”へと一直線に進んでいくことだろう。私を捉えて離さない何一つ“濁りのない”野心に満ちたその眼が、全てを物語っている。
それらを全て理解した上で、アリサは早乙女に問いかける。
「・・・日本じゃ駄目なの?・・・雅臣?」
早乙女を真っ直ぐに見つめるエメラルドグリーンの瞳がほんの僅かだけ揺ぐと、アリサを囲っていた冷淡な空気が一瞬で消え去った。
「・・・どうやら芝居ではないようですね・・・」
今、僕の前にいるのは芸能事務所の社長という仮面を被っているここ最近の彼女ではなく、僕がよく知っている本来の彼女だ。愚直なまでに真っすぐで、人の痛みに誰よりも敏感で、ただただひたむきに芝居を愛していた・・・女優だった頃の星アリサ。
「答えて」
“もう一度あなたと一緒に芝居をしたい”なんて、女優を辞めてしまった理由を知っている僕からは口が裂けても言えない。それでも僕は、女優として己の身体1つで観客全員を虜にしていたあなたの幻影を、これからも追い続けることだろう。
「はい。駄目です」
今の僕と全く同じ“幸せ”を追い求めていた、かつてのあなたのことを・・・
「僕が役者として“幸せ”になるためには・・・往生際悪く“こんなところ”に留まったままでは駄目なんです」
そう言い終えると早乙女は前かがみの姿勢はそのままに、アリサへ向ける視線を更に強めていく。
「ところでアリサさんは・・・5年前に撮影した“あの映画”のことは、覚えていますか?」
そんな早乙女にアリサは姿勢を全く崩すことなく、再び“スターズの社長”として彼の言葉に淡々とした口調で答える。
「えぇ、覚えているわ。織戸先生の『ふたつ』・・・雅臣と共演したのは、あの時が最初だったわね」
今から6年前に初主演のドラマで才能の片鱗を開花させた早乙女は、星アリサ主演の映画『ふたつ』のオーディションでアリサ演じる主人公の相手役を射止め、この映画で2度目の日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞したアリサと共に自身も日本アカデミー賞・新人賞及び優秀助演男優賞やブルーリボン賞・新人賞を始めとした数々の賞に輝き、単なる“アイドル俳優”から大衆を魅了するスター性と確かな演技力を併せ持つ“実力派”として世間からも業界内からも認められるようになった。
「では・・・撮影に入る前、お互いに5日間ほどスケジュールを空けて京都の古民家を借り2人きりで役作りをしたことも、覚えてますよね?」
「当たり前でしょ。忘れようにも忘れられないわよ・・・あの5日間は」
“織戸イズム”と称される独特かつ強烈な作家性で日本の映画界に衝撃を与え続けてきたヌーヴェルヴァーグ世代の鬼才・
その撮影に入る1週間ほど前、早乙女とアリサは映画の舞台となる京都で古民家を借り、そこで5日間に渡って役作りを兼ねた同居生活をしていた。映画の中の登場人物と同じように同じ食卓で同じご飯を食べて、隣同士で布団を並べて眠りにつく生活。
この5日間、居間でちゃぶ台越しに2人きりで台本を読みながら真面目に意見を言い合うような日もあれば、役や仕事のことは全て忘れて
そして2人で過ごしたこの5日間を通じて同じ事務所の“先輩と後輩”は、栄光を手にしてもなお役者としての幸せを追い求め続けることを誓う“姉弟”となった。
「確か4日目の夜のことだったと思います・・・隣の布団で横になったアリサさんは“ある言葉”を僕にかけてくれましたよね?」
目の前に座るアリサのことなどお構いなしのように、早乙女は話を続けようとする。
“『カットがかかるまでの、幕が降りるまでのその僅かな時間だけ、他人の人生を生きる。時に国境も時代も世界すらも超えた別人を体験する・・・そういう常軌を逸した喜びに魅せられた人間が役者だと、私は思う』”
「・・・だったかしら?」
「流石です。一字一句狂いもないですよ、アリサさん」
話を続けようとした早乙女を遮るように、アリサは “ある言葉”をあの時と同じような静かなトーンで口にした。
「あの夜にアリサさんから言われた言葉を忘れたことは、一日足りともありません」
それは、 “「役者って何ですか?」”と隣の布団で自分と同じように横になって天井を眺めていた“弟分”から聞かれた正解のない質問に対する1つの答えだった。
「・・・そう・・・」
すると役作りの思い出を意気揚々と語る早乙女を見つめる眼が、一気に豹変し始める。
「もしも
そして不気味なまでに意味深な笑みを浮かべ膝元においた拳を強く握りしめながら、皮肉とも自虐とも取れる言葉を早乙女にぶつける。
「・・・アリサさん・・・?」
今考えると“あの頃”から、女優・星アリサはもう既に壊れ始めていたのかもしれない。ただ、彼女の背中を必死で追いかけていた僕にはそんな栄光に隠された裏側など知る由もなく、僕が彼女の真相を知った時にはもう“手遅れ”だった。
もしもそうなる前に誰かが彼女の異変に気付いたとしても、あの頃の彼女を止めることは果たして出来たのだろうか・・・
「・・・アリサさん・・・大丈夫ですか?」
「・・・!?」
“異変”にいち早く気づいた早乙女がソファーから立ち上がりアリサの方へ歩み寄り肩に手をかけると、底知れぬ憎悪で濁り始めていた彼女の眼がパっと開き光が再び宿る。そして全身の力が抜けてうなだれていくようにしてソファーの背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。
「・・・最悪・・・」
早乙女の本気で心配している一声で我に返ったアリサは、声にならないくらいのか細い声で力なく呟く。
「大丈夫ですか?アリサさん?」
「・・・えぇ・・・もう大丈夫よ」
胸元に手を当て、少しばかり乱れ始めていた呼吸を整え、アリサは再び姿勢を正す。
「こんな無様な姿・・・・・・あなたには見せたくなかったわ」
同じ役者として僕とアリサが同じ
まるで芸能事務所の社長という仮面を被り、今日までの僕のような“大衆を魅了する
「・・・僕が言えるような義理はないですが、偶にはこうして仮面を外して思い切り自分に甘えてみるのも良いんじゃないですか?」
だからふと、彼女の顔を覆う“硝子の仮面”が割れて本来のよく知る素顔が見え隠れする瞬間を見ると、僕は思わず安心する。
「アリサさんは無様なんかじゃないです。そういう繊細で不器用なところも含めて、僕は初めて会った時からあなたのことをずっと尊敬しています。もちろん、これからも」
この人の“心”はまだ死んでなんかいない。幸せの方向性が変わっただけで、星アリサという人間は何一つ変わっていない。これが何よりの証拠だ。
「・・・そう・・・ありがとう・・・」
ソファーの端に寄りかかりながら気丈に振舞う早乙女の顔を見ることなく、アリサはテーブルに置かれた辞表と書かれた白い封筒に視線を向けたまま力なく言葉を投げかける。
「では、あまりこんなところで長居するのも迷惑でしょうから僕はこれにて失礼します」
1人になりたいであろうアリサのことを気遣い、早乙女はそのまま足早に社長室を後にしようとする。
「待って」
早乙女を呼び止めたアリサは静かにソファーから立ち上がると、そのまま早乙女に向かって軽く頭を下げる。
「・・・私はあなたに・・・恩を仇で返すような真似をしてしまった・・・・・・本当にごめんなさい・・・」
説明足らずな懺悔の言葉に隠された意味を瞬時に理解した早乙女は、「顔を上げて下さい」とアリサを促す。
「・・・確かに僕がこの事務所に存在している意義というものは大きく変わってしまったと思います。でも、そんなことは全く関係ないですよ」
同じ役者同士の二人三脚でアリサと共に海堂の元から独立し、彼女と共に自分のための
「仮にアリサさんがあのまま女優を続けていたとしても、今のように表舞台を降りていたとしても、あなたについていこうと誓った僕の気持ちは全く同じですし、この気持ちが揺らいだことは一度たりともありません」
そんな大それた芝居愛に溢れる1人の名女優の夢物語は、皮肉なことに彼女が最も愛してやまなかった
「だから・・・僕なんかに頭を下げないでください」
こうして共に同じ幸せを追い求めていたはずの“姉弟”は、互いに真逆の幸せを追い求める“社長と所属タレント”になった。
「・・・とにかく、私のほうからも打てる手は打っておくわ。あなたが今後も芸能界で不自由なく活動出来るように」
「その必要もないですよ」
「私はまだあなたに何一つ借りを返せていない」
“でもそうやって全てを割り切ってしまえるほど、あなたは強い
「お願い。私に借りを返させて」
それは僕だって同じだ。もう女優には戻らないと心に誓ったはずの彼女の気持ちを心の底から理解していながら、未だに女優として舞台に立っている姿を追い求めてしまう。彼女が舞台から降りた理由を知っていながら同じ舞台、同じフレームでもう一度だけ同じ役者同士で芝居がしたいと思ってしまう。
“やはりあなたは舞台裏にいるより、スクリーンや壇上のど真ん中に立っている方が似合ってる”
「・・・アリサさんに借りを貸した覚えなんて何一つないですよ。“あの映画”の現場であなたの芝居に初めて触れて、今日までこうしてあなたの元で役者として在り続けられた。僕にとってはこれ以上の財産はないです」
「・・・雅臣・・・」
だから僕は、誰よりも尊敬している
「何年先になるかは分かりませんが、必ず今より強くなって日本に戻ってきます・・・“6年間”、お世話になりました」
そう言うと早乙女は弟分として背中を追い続けた“姉貴分”へ全ての思いを込めて、深々と頭を下げる。
「・・・まだあなたには明日の記者会見が控えているというのに、これじゃあ別れの挨拶みたいね」
頭を下げた早乙女に、アリサは少しばかり冷めた口調で言い放つ。
「アハハ、バレました?」
「ばれるも何も、スケジュールを組んだのは私よ。忘れるわけないじゃない」
そう、何も早乙女とアリサがこうして面と向かって話す機会は今日が最後と言うわけではない。実際にはこれからも翌日に開く記者会見をはじめ退所に伴う諸々の手続きで何度か事務所に顔を出すことになっている。
「すいません、何となくそんな感じの雰囲気でしたので」
「全く、根は真面目なのにそうやってお調子者を演じる悪い癖は最後まで治らなかったわね」
「はい、これが“ボク”ですから」
呆れたような表情でやれやれと溜息を吐く普段通りのアリサを、早乙女はクールな笑みで見つめ返すと、
「ではまた明日、会場でお会いしましょう」
と言って早乙女は颯爽とした出で立ちで社長室を後にする。
「雅臣」
扉の取っ手に手をかけるのと同時のタイミングでアリサが呼び止め、早乙女もその声に反応するようにその場で静止した。
「・・・あなたは・・・ “死なないで”・・・」
静かで重い、祈りにも似た声が空間を支配し、数秒間の沈黙が2人きりの社長室を包み込む。
「・・・僕なんかよりも、今は自分の心配をされた方が良いんじゃないですか?」
扉の前に立ったまま振り向いた早乙女が、重苦しくなった空気をじんわりと和らげるように沈黙を破り優しく微笑むと、この前会った時と比べて明らかに膨らみ始めているアリサの
「“お腹”、順調に大きくなられているようなので」
「・・・大きなお世話よ」
「それじゃあ、くれぐれも体にはお気をつけて」
ビジネスライクな捨て台詞を投げかけアリサに軽くウィンクをすると、早乙女は返答を待たずに今度こそ社長室の扉を開け、部屋を後にした。
「・・・・・・バカじゃないの・・・・・・」
美しく咲き誇る生花の命は、永遠ではない。それは私が一番よく知っている。
ガ●スの仮面ではありません。“硝子”の仮面です。はい。
タイトルは思いっきりオマージュというかほぼそのまんまみたいな感じなのに、内容はそこそこシリアスという・・・・・・何か、切ないですね。自分で言うのもあれですけど。
ちょっとしんみりしてしまいましたが2.5章はこれにて終幕し、次回からは波乱?の新章に突入します。
どうなっていくかは全く持ってノープランですが、1つだけ確かなことはここ2週に渡って出番のなかった主人公が登場することです・・・・・・ってそういうことじゃねぇよ。
PS.ちなみに今回、ある台詞が透明文字になってます。