或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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グッバイ、親知らず




chapter 3.親子
scene.24 高円寺ラプソディー


 2018年_8月7日_新宿

 

 「はい。インタビューはこれで以上になります。お疲れさまでした」

 

 16時15分、超高層ビル群の一角にそびえ立つ高級ホテルのスイートルームで行われた『hole』の独占インタビューは終わった。何だかんだでインタビュー自体は合計で1時間半ほどの時間を費やしたが、この中で実際の放送(オンエア)で使われるのはコーナーの尺を考えてせいぜい6,7分と言ったところである。

 

 「本当に今日はありがとうございました」

 

 適当に挨拶を済ませて執筆前の気晴らしに映画の1本でも鑑賞して家路につこうとインタビュー用に用意された英国調の椅子から立ち上がろうとした時、隣の椅子に座っていたリポーターの秋本瑠加(あきもとるか)に話しかけられた俺は席を立つタイミングを逃す。

 

 「いや、こちらこそありがとうございます」

 

 インタビューの為にガッツリ新作を予習してきた秋本から新作や過去作を含め根掘り葉掘り掘り下げられ、インタビューは予定時間ギリギリまで長引いた。

 

 「どうですか?久しぶりにこうやってカメラを向けられる感じは?」

 

 俳優として活動していた時期とそれに関連するような質問はNGにしていたが、ADがカメラを三脚から外すところを見計らってあざとそうに“タブー”な質問を振ってきた。

 そして秋本の一言を合図にするかのように、「回せ」というディレクターの声が微かに耳に届く。恐らくコーナーの最後あたりで使われるだろうが、別に俺にとってはどうでもいいことだ。

 

 「別に普通ですね」

 

 “使いたければ使ってみろ。どう転ぼうが、“あいつ”ならどうにかしてくれるだろう・・・”

 

 「10年ぶりぐらいにこうやって自分の姿がオンエアされることに緊張とかは感じませんでしたか?」

 「緊張は無いです。役者だった頃に十分経験しているので」

 「でも、小説家に転身してから10年の間は一度もテレビに出ませんでしたよね?」

 「それは単純に出る必要がなかっただけです。小説家なんてメディアになんか出なくとも、自分の本さえ売れれば食っていける生き物ですから」

 「じゃあ何故、今になってこうしてテレビに出ようと思ったんですか?」

 

 それにしても秋本(こいつ)は、軽薄で淡々と仕事をこなしていそうな見た目に反して意外とがっついてくる。いや、人を見た目で判断してしまうのは良くないことだが。

 

 「別に深い意味はないですよ。ただ敢えて理由を言うなら、“俺は絶対にテレビなんかで評価されたくない”って豪語していたロックバンドが年月を経て角が取れて人間的にも丸くなって、ある日の全国ネットの音楽番組にしれっと出演していたぐらいの浅はかな理由です」

 「なるほど・・・何か一周回って深いですね」

 

 少しだけ困惑気味で思いついた割には悪くない返しだろうが無論、そんな浅はかな理由で俺がこうしてメディアの取材を引き受ける訳がないし、そもそも最初からあんたのような“部外者”に話すことなど何一つない。

 

 「じゃあこの調子でいつかはドラマや映画にも」

 

 “この調子・・・か・・・”

 

 「秋本さん・・・人が生きる上での一番の幸せは何だと思う?」

 「・・・えっ?」

 

 秋本の何気ない一言でとうとう限界を迎えた憬は、無理やり質問を遮るように逆質問をして席を立ちスイートルームの出口に歩みを進める。案の定、現場の空気は一気にピリつき始めた。

 

 「幸せですか・・・?私は、自分が主役(メイン)になって何かを成し遂げることだと思っています」

 

 振り向くと場の空気を戻そうとまるで営業スマイルのような笑顔を無理に作って答える秋本が目に映った。意外と真摯に調べ上げてきたものだと思っていたが、結局は小手先(ビジネス)の中での話だった。

 

 とはいえこの世の中に文字として書かれている情報だけでは、人の心を読むことなんて絶対的に不可能な話であるのだが。

 

 「良いことを言っているつもりだろうけど、それはあくまで個人としての幸せに過ぎない。秋本さん・・・本当の幸せっていうのは・・・・・・“何も知らない”ことだよ

 

 秋本の幸せに対して自分自身にも言い聞かせるように幸せの意味を投げかける。

 

 「あの、それってどういう意味なんですか?」

 「そんなもの、俺のことを徹底的に“調べ上げてきたはず”のあんたならとっくに分かっているはずだ・・・だからそんな“初歩的”な質問なんてする必要はないし、俺がそれに答える必要もない。違うか?」

 「・・・えっ?」

 「違うのか?

 

 怒りを露にするわけでもなく、感情に蓋をしたまま憬は相手の心臓へナイフを深々と突き刺すかのように秋本を無表情のまま凝視する。

 

 「・・・いや・・・その・・・」

 

 憬から放たれる氷のように冷たい “視線”を目の当たりにした秋本は動揺のあまり頭が真っ白になり、言葉を紡ごうにも溢れ出るのは額から出る冷や汗だけだ。

 

 「ごめん。やっぱり秋本さんには難しすぎたね」

 

 そんな様子の秋本を見ながら憬は急に優しげに微笑み軽い口調で話しかけるが、彼女にはその微笑みが直前までの無表情と相まって尚更不気味に見えていた。

 

 「いや違っ」

 「今日はありがとう。お疲れ様」

 

 底知れぬ恐怖に似た感覚を振り払い何とか反論しようとした秋本の言葉を無理やり遮ると、憬は周りのスタッフに挨拶もせず収録が行われているホテルのスイートルームを出てそのままホテルを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 小説家・夕野憬の最新作『hole』が発売された翌日の夜9時過ぎ、“一仕事”を終えた黒山は高円寺の商店街を1人で歩いていた。

 

 「すっかり大河ドラマの主演を張れるような女優になったってのに、相変わらずこんなシケたところで飲み食いしやがって」

 

 周りに聞こえないくらいの声で、黒山は待ち合わせの相手に向けた悪態をつく。その相手となる“女優”は、もう既に待ち合わせ場所となる行きつけの店の中にいるらしい。

 

 ちなみにこの時点で、黒山は約束の時間から既に25分も遅刻している。

 

 “アイツのことだ。どうせ今頃、そこら辺にいる一般人(バカ共)を巻き込んでどんちゃん騒ぎでもしてる頃だろう・・・”

 

 心の中で独白を吐きながら、黒山は特に急ぐこともなく半端に下町風情の残る商店街の外れにあるバーへと歩みを進めて行った。

 

 

 

 「オイオイ嘘だろこれで6人目だぞ」

 「マジでどうなってんのこの勝率!?」

 

 一方その頃、黒山が向かっている先のバーの店内は異様なまでの熱気で溢れかえっていた。アメリカンテイストの店内に鎮座するテーブル席のスペースを、パンツ一丁になった男たちがスマホや小型カメラを片手にバカ騒ぎをしながら占領している。

 

 「だ~から言ってんじゃん。私じゃんけんに負けたことないって」

 

 彼らの視線の先にはこれまたパンツ一丁になり片膝をつく1人の男と、指を鳴らすような仕草をしながらその男を見下ろすスラっとした体格の女。

 

 「さては何か仕込んでやがるな?そうじゃなけりゃここまで全勝無敗はあり得ねぇ」

 

 白のフレンチスリーブのパーカーと黒のスウェットパンツというシンプルなファッションながら、周りを囲む半裸の男たちが全く気にならなくなるほどのオーラが女からは放たれている。

 

 「じゃあこのままもう一回やってみる?その代わりこれで負けたらマジのマジで全裸になってもらうけど、イイ?」

 「っしゃあ!望むところだァ!おせちピッチャーの底力見せてやんよォ!!」

 「行けぇマコト!」

 「Foo!!」

 

 その女に向けて、東京を拠点に活動をする新進気鋭の6人組ユーチューバーグループ『おせちピッチャー』のリーダーであるマコトという男が宣戦布告の雄叫びを上げると、野次馬と化した5人の仲間たちもそれに続いて野太い声援を2人で送る。

 

 「今をときめく人気ユーチューバーの全裸かぁ・・・外野の5人はクソほどどうでもいいけど・・・君は少しばかり骨がありそうだから1ミリぐらいなら期待していいかも」

 「えぇっマジで!?滅茶苦茶嬉しいっス!・・・じゃあ、もしこれで俺がじゃんけんに勝ったら・・・またコラボしてもらってイイっスか!?」

 「もちろんいいよ。ただし負けたらカメラの前で裸踊りね」

 「ハイもう全然いいっスよ!」

 

 店である男を待っていたところに偶然居合わせた登録者数123万人の人気ユーチューバー軍団の熱気など全くもろともせず、ほろ酔いの女は奔放な態度を崩さない。

 

 「さてお遊びはここまでだ・・・このマコト・・・再来年の大河ドラマの主演にして日本を代表する大女優、環蓮さんにじゃんけんで勝つという世紀の瞬間を、視聴者の皆さんにお届けして参りやしょう」

 

 その女の名前は、環蓮(たまきれん)。つい先日、再来年に放送される大河ドラマ『キネマのうた』の主演になることが発表された、芸能人好感度ランキング例年1位の言わずと知れた日本を代表する国民的人気(トップ)女優である。

 

 「最初はグー!」「最初はグー」

 「じゃんけんっ!」「じゃんけん」

 

 

 

 「よォ、3年振りだな

 

 行きつけのバーで開催されていた野球拳大会、もとい人気ユーチューバーによる企画の撮影現場に待ち合わせの時刻から30分遅れで黒山が着くと、佳境に差し掛かっていた野球拳は中断となった。

 

 「遅いよ墨字君、何分待たせんの?」

 「悪い、少しばかり取り込んでてな・・・ってお前こそ何してんだよ?」

 「野球拳。墨字君もやる?」

 「やらねぇよ、てかお前以外全員パンイチじゃねぇか」

 

 突如店に入って来た顎に無精ひげを生やした男を知らない『おせちピッチャー』のメンバーは、全員揃って“あんた誰?”と言わんばかりの視線を黒山へ送る。

 

 「ちょっと環さん?誰スかこのヒゲ男?」

 「あぁ、このオジサンは私の“昔の男”だよ」

 「誤解を招く言い方をすんじゃねぇ!」

 

 環のわざとらしい紹介に、黒山のツッコミが冴えわたる。

 

 「えっマジで!?てことは環さんの元カレっスか?!」

 「違げぇよ!(コイツ)とは二十歳(はたち)ん時に俺が撮った自主制に演者で使ってからのただの知り合いってだけだ」

 「演者・・・ってことはこのオッサン映画監督なんスか!?」

 「そーだよ、このオジサンは黒山墨字っていうカンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭で賞を獲ってる凄い人なんだよ」

 「俺の経歴を安売りすんな環」

 「マジスか!?いやめっちゃくちゃ凄いじゃないスか!?」

 「オッサン半端ないって!」

 「もしよろしければ次の映画で俺たちを使ってくれませんか!?100万出すんで!」

 「ヨッ!世界のクロヤマ!!」

 「オイ環、コイツら全員殺していい?

 

 黒山墨字。世界三大映画祭で入賞した経歴を持つ世界的に非常に高い評価を得ている映画監督なのだが、一般的な知名度で言うと黒山の前にいるおせちピッチャーの方がまだ知られている程度である。

 

 「ていうかお前ら誰だよ?」

 

 パンツ一丁の6人衆という異様な光景のせいで思考回路が渋滞気味ですっかり忘れていたが、俺はコイツらのことを全く知らない。身なりからして俳優仲間や芸人の可能性はゼロと言っていいだろう。

 

 ただ一つだけ気になるのは、小型の固定カメラが俺たちのいる方角に向けられているということだ。

 

 「俺たちはおせちピッチャーという名前でユーチューバーやってます。ちなみに俺はグループでリーダーをやってるマコトっス」

 

 “あぁ・・・俺の一番嫌いな人種(奴ら)だ・・・”

 

 この後リーダーに続いておせちピッチャーというヘンテコな名前の “猿軍団”が1人ずつ自己紹介してきたが、マコトというリーダー以外の名前は秒で頭から消え去った。

 

 「ユーチューバーだか猿軍団かは知らねぇが・・・お前ら肖像権ってやつは知ってるか?

 

 自己紹介を終えると、固定カメラの存在が気掛かりだった黒山が早速凄みを効かせるようにおせちピッチャーの面々へとメンチを切り、6人衆はその圧で思わず慄く。

 

 「あぁそれなら大丈夫だよ墨字君。もう事務所に許可取ってあるから」

 

 それを瞬時に察した環が、つかさず黒山のフォローに回る。

 

 「あ?マジで言ってんの?」

 「うん。脱がなきゃオーケーだって社長(ボス)も言ってたし」

 「じゃあ思いっきりアウトじゃねぇか」

 「でも私は脱いでないからセーフでしょ?」

 「そういう問題じゃねぇだろ」

 「もうそんな細かいことはどうだっていいじゃん墨字君?」

 「ホントお前は奔放なのかただの馬鹿なのか分からねぇな」

 「すげぇ~映画監督と人気女優の夫婦漫才だ」

 「オイ撮るな殺すぞ

 

 世界三大映画祭で賞を獲った映画監督と大河の主演が決まったトップ女優による貴重すぎる“夫婦漫才”に野次と化した6人衆は思わずざわつくが、

 

 「てことでとりあえず用のある“お客さん”が来ちゃったから今日はもうお開きで」

 

 環は黒山との約束のため6人衆との野球拳を無理やり終わらせる。

 

 「えぇ~まだ環さんとの野球拳も締めの画も撮り終わってないっスよ!」

 

 だが人気ユーチューバーとしてのプライドが働いたのか、リーダーのマコトが環にしつこく食い下がろうとする。

 

 「ごめん、どうしてもこのオジサンと話したいことがあるからさ、適当に店の外にでも行って勝手に締めといて」

 「で?その間に環さんはクロヤマさんとよりを戻すんスか?」

 「環、やっぱコイツら全員殺しとくわ

 

 結局おせちピッチャーを交えた野球拳という名の動画撮影はこのままお開きとなり、6人衆は黒山から恫喝まがいの説得を受けてたまらずそそくさと撤収し、肝心の動画の方も後日、再度事務所からチェックが入った挙句にNGを食らってしまいお蔵入りとなってしまった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「さて、“邪魔者”が帰って“主役”も登場したことだし二次会を始めますか。店は同じだし面子も総とっかえだけど」

 「主役とか二次会とか知らねぇよ」

 「あと今日は全部墨字君の奢りね」

 「は?何でだよ?お前の方がよっぽど稼いでんだろうが」

 「30分も“女”を待たせたクズ野郎はどこのどいつ?」

 「あ?女なんていたかここに?」

 「殺されたいのかな墨字君?

 

 撮影終了後から10分、黒山と環はテーブル席からカウンター席に隣同士で座る。2人の手元にはそれぞれが注文したカクテルが置かれている。

 

 「では・・・墨字君との3年ぶりの再会とあさっての誕生日を祝して・・・」

 「・・・チッ」

 

 ほろ酔いのまま少しばかり妖艶そうに笑う美女に向けた諦めの感情が入り交じる舌打ちを合図に、黒山と環はグラスを当て2人きりの“二次会”は始まった。

 

 

 

 「・・・んで?結局さっきのチンパンジーもどきの連中は何だったんだ?」

 

 二次会は開始早々、遅刻をした黒山の愚痴から始まった。

 

 「おせちピッチャー。なんか中高生から凄い人気があるユーチューバーらしいよ」

 「今のご時世だとあんなのでも人気になれんのか。所詮は誰かがやってるようなネタを面白おかしくパクって運よく飯が食えてる程度のガキにしか見えねぇけど」

 「アレ?もしかして妬いちゃってる?」

 「ア?なわけねぇだろ」

 

 ユーチューバーというものに決して偏見を持っている訳ではないが、カメラさえ持てば誰でもクリエイターになれてしまうようなご時世と、登録者や再生回数を優先するあまり似たような連中が次々と量産されていく風潮は、はっきり言って反吐が出るほど嫌いだ。

 

 だから俺は、そのような覚悟のない奴らのことをどうも好意的に見ることが出来ない。

 

 「しかも登録者数聞いたら123万人いるってさ。私も内心驚いちゃったよ」

 「そんなにいんのかよ?あんな奴らにか?」

 「あの子たちをバカにするつもりじゃないけど、ああいうやつが流行るような最近のトレンドは私には分かんないよ」

 「自主制を撮った時はまだ高3のガキだったお前もじきに33だからな。年を食えば流行りに疎くなるのも無理はねぇよ」

 「ずっと流行りとは無縁のヤミ監督には言われたくないな~」

 「誰がヤミ監督だやんのか?」

 

 あいつらがどういう動画を撮って発信しているのかはあの雰囲気だけで大抵は察することが出来る。身体を張るなり無茶苦茶な企画ものばかりをやっているのだろうが、少なくとも俺がこれまで撮ってきたものとは比較にすらならないくらい生温い。

 

 それでも120万もの人を集めるということは、それなりの需要とそれに答えられるだけの技量はあるということだ。ただただ人気者の二番煎じをやっている程度じゃ、あれだけのフォロワーは集めることはできないからだ。

 

 「でもリーダーのマコトって奴か・・・アイツだけは少しだけ覚悟が据わっていたな」

 

 恐らくそれは、マコトという奴の存在が何より大きいことだろう。

 

 人を食って掛かるようなナメ腐った態度こそ変わらなかったが、俺が映画監督だと知った瞬間に俺のことを見つめる眼が明らかに“変わっていた”。

 

 「さすが墨字君。世界三大映画祭の“三冠王”は伊達じゃないね」

 「野球みたいな例え方すんじゃねぇよ」

 「じゃあ千里眼?」

 「俺はエスパーか」

 

 これでも俺は、18の時から今日まで映像一筋で何とか飯を食ってきた身だ。ホンモノと言われる先人たちと時には商売敵も同然にしのぎを削って来た俺は、そんな連中が秘めている眼というものを知っている。

 

 それがなぜあんな没個性的な真似事をやっているのかまでは俺には分からない。何らかのきっかけで挫折して諦めたのか、あるいはまた別の理由なのか。

 

 「まぁいずれにせよ、俺には関係ねぇ話だけどな」

 

 捨て台詞のように言葉を吐き、黒山は手元に置いたアイスブレーカーを口へ運ぼうとする。

 

 「そんな“千里眼”を持っている墨字君が女子高生を連れ回して何か良からぬことを企んでるっていう噂を耳にしたんだけど、そこんとこどうなの?」

 「・・・!?」

 

 環からいきなり核心を突くようなことを言われ口元にグラスがついた瞬間、黒山の手が思わず止まる。

 

 「・・・まさかこの話をするためだけにわざわざ俺を呼び出したのか?」

 「言っておくけど墨字君が思っている以上にその話はもう巷じゃ広まってるからね?」

 

 そう言いながら環は隣の席でグラスを手にしたまま静止している黒山の肩に手をかけ、

 

 「隠し事はなしだよ、“監督”さん

 

 と、耳元で囁く。

 

 「・・・それをお前に話して何になるってんだ?」

 「知りたいんだよ。墨字君が惚れた新しい女優(オンナ)をさ」

 「てめぇには関係のない話だ」

 

 話を無理やり遮るように黒山は手に持ったアイスブレーカーを一気に飲み干すと環の手を振り払い、財布から一万円札を2枚出してやや乱雑にテーブルに置く。

 

 「釣りは要らねぇ。悪いが俺はもう帰るぞ」

 

 そして黒山はそのまま席を立ち、一直線にバーの出口へと歩みを進める。

 

 「墨字君のことは天知君から全部聞いてるよ

 

 語気を強めた環の言葉が耳に入り、何かを察した黒山は歩みを止めて振り返る。

 

 「“私にだけ”秘密にするって・・・ズルくない?

 

 程よく酔いの回った顔で口角を上げて環は微笑むが、黒山を見据えるその目は全く笑っていない。

 

 “・・・こりゃあ、ハッタリじゃなさそうだな・・・”

 

 「・・・大した話じゃねぇよ。ただの映画監督が役者を育ててる。それだけのことだ」

 

 取りあえず環には差し支えない範囲で本当のことを話した方がいいと直感した黒山は、渋々と重い口を開く。

 

 「・・・その割にはたった1人のためだけによく分からない芸能事務所みたいなものまで立ち上げちゃってさ・・・天知君の話を聞く限り墨字君は相当その女の子に惚れてるみたいじゃん?」

 「惚れてねぇ役者の“演出”なんて俺はしねぇからな」

 

 先ほどとは打って変わって開き直った態度で答える黒山に、環は更なる揺さぶりをかける。

 

 「ふ~ん・・・じゃあ墨字君と初めて会った時のと今の墨字君の“お気に入り”・・・どっちの方が女優(役者)として勝ってる?」

 「そんなの決められるわけねぇだろ」

 「嘘はダメだよ墨字君。だってあの時の私なんて君の理想には遠く及ばなかったんだから」

 「いい歳こいて子供(ガキ)じみた嫉妬をすんのは見苦しいぞ、環」

 「それは墨字君だって同じじゃない?あんな訳の分からないユーチューバー如きにあそこまで熱くなっちゃってさ」

 「あのな環」

 「ちゃんと答えるまで今日は絶対に帰さないよ、墨字君

 

 言い返す隙も与えないように、環は間を空けずに笑みを浮かべながら俺を煽り立てる。

 

 最終手段として一瞬の隙をついて逃走を図ったとしてもカリの師範資格を持ち、刑事ドラマでは息も切らさず華麗なアクションをこなすようなコイツの身体能力を考えれば俺が捕まるのは時間の問題だろう。

 

 「・・・ったく、お前って奴は会うたびに可愛げが無くなっていくな」

 「そういう墨字君も、会うたびに“師匠”っぽくなってきてる。良くも悪くもね」

 「 “あの人”は師匠なんかじゃねぇよ」

 

 “あの人”の下についてひたすらカメラを回していた頃は1人の女の美しさを描くだけで精一杯だったが、気力と体力だけは有り余っていた。だが、流石に30半ばになった今は以前より身体が少しばかり動かなくなり始めている。よほど普段の生活に気を遣わない限り、人間というものは30を過ぎた辺りから少なからず衰えは進行していくものだ。特に俺のように不摂生を体現するような生活をしていれば、それは尚更だ。

 

 だがそんな寿命と引き換えに俺は、ようやく本当の意味で撮らなければいけない映画が見えるようになった。

 

 「・・・今日、同じようなことをあの“ジジイ”からも言われたよ」

 

 油断からなのか、ここで黒山は重大な“ヒント”をつい口走ってしまったことに気付いたが、それが言葉となって口から出てしまった以上、時すでに遅しだ。

 

 「・・・あぁ・・・巌先生のことか」

 

 案の定、環は“ジジイ”という何のヒントにもならない三文字だけで誰なのかを直ぐに言い当てる。そんなことは黒山のことをよく知っている彼女からすれば朝飯前のことだ。

 

 「じゃあ “お気に入りちゃん”の次なるステージは巌先生の舞台ってワケか・・・相変わらず墨字君の考えることは単純明快だよな~」

 「・・・チッ、これだから勘の鋭い女は嫌いなんだよ」

 「これでも私は墨字君のお気に入り“だった”からね」

 

 黒山からの返答に、環は皮肉とも嫌味とも受け取れるような言葉で仕返しをすると目の前でポケットに手を突っ込んで立つ黒山の両肩に正面から手を乗せて顔を近づける。

 

 「・・・そんなに“面白い”の?・・・彼女?」

 

 狡猾な笑みを浮かべ挑発するかのような表情で問い詰める環を見て何かを思いついた黒山は、全く同じような表情でやり返す。

 

 「あぁ・・・ “面白い”さ・・・少なくともお前の大親友だった“アイツ”と同じくらいにはな・・・」

 

 “アイツ”という言葉を耳にした瞬間、環の目がほんの一瞬だけ動揺に支配されたかのように大きく見開いたのを見て、黒山は静かにほくそ笑む。

 

 「・・・へぇー・・・」

 

 すると環からそれまでの笑みが消え失せ、店内を覆う空気が一気にズシリと重くなり始める。

 

 「それとアイツ、また本出したらしいぜ。何なら今日遅刻した詫びとしてお前に買ってやるか?」

 「いらない。そもそも私は小説なんて読まないからね」

 「そうだったな」

 

 まるでさっきまでの自分の顔を生き映すかのような表情で嘲笑う黒山を睨みながら、環はゆっくりと黒山の肩にかけた両手を下ろす。

 

 「これで満足か?・・・環?」

 「・・・ありがとう。おおよそのことは分かった」

 

 そして黒山に鋭い視線を横目で送るようにして、環は再びカウンター席に再び戻る。

 

 「・・・帰りたいなら帰っていいよ。墨字

 

 目線を合わせることもなく片手で中途半端に残ったジンフィズの入るグラスを軽く回しカウンターの奥に顔を向けたまま、環はすっかり酔いが抜けきったような冷めた口調で黒山に “『出ていけ』”と強く促す。

 

 「あぁ、是非ともそうさせてもらうぜ。生憎こっちも暇じゃないんでな」

 

 黒山もまた、そっぽを向く環には目もくれずにそのまま店の出口へと歩みを進める。

 

 「なぁ環」

 「・・・何?」

 

 出口の方に視線を向け、黒山は去り際にわざとらしく環へ声をかける。

 

 「主演・・・・・・おめでとう」

 「・・・・・・」

 

 カウンターに座ったまま無言を貫く環を尻目に黒山はそのまま店の外へと出て行くと、店内の客はとうとう彼女1人だけになった。

 

 「・・・ほんと・・・大っ嫌い・・・」

 

 そうして“昔の男”への悪態と共に力のない溜息を吐くと、環は片手にグラスを持ったままカウンターに突っ伏すようにしてうなだれた。

 

~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 「大丈夫か環ちゃん?」

 「・・・これが大丈夫に見えると思う?」

 

 うなだれている環の様子を心配したマスターが厨房の裏から出てきて、彼女を慰める。

 

 「こういう時はとりあえず飲むに限るよ。一杯だけタダにしてやるから、どう?」

 

 ニルヴァーナのTシャツを着こなすアラフィフのマスターと再来年の大河ドラマ主演が決まっている国民的人気女優の付き合いは、もう10年になる。

 

 「じゃあついでに私の“三次会”にも付き合ってくれる?」

 「あぁ、もちろんだ」

 

 そんな店のオーナーであるマスターのどこか軽いノリに、環の表情も次第に晴れていく。

 

 環にとってこの店は単なる行きつけの店ではなく、本気で芝居のことが嫌いになっていたかつての自分を救った、心の拠り所でもある。

 

 「じゃあおまかせで強いの一杯頼むわ」

 「はいよ」

 

 

 

 こうして貸し切った店でのマスターとの2人きりの三次会は、日付が回るまで続いたという。

 




親知らずの抜歯あるある・・・・・・麻酔を打つ直前が一番緊張する

本編と全く関係ありませんが、先日親知らずを抜きました。本当はあと5年は騙し騙しでしのぐ予定でいましたが、親知らずに加え隣に生えている歯が虫歯になり始めているということで、手遅れになる前に抜きました。23年間生きてきて虫歯になったことが一度もなかった僕にとっては、歯を砕いて抜くというのを想像するだけで吐き気がするほどの一大事でしたが、何とか正常な精神を保って生還することができました。

ひとまずこれで厄年の厄払いはできたと思います。表面麻酔・・・あれは本当に神です。

ということで厄介な親知らずとさよなら出来たので本日から心機一転、新章スタートです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・環蓮(たまきれん)
職業:女優
生年月日:1985年9月16日
血液型:O型
身長:162cm(中2)→ 171cm(現在)

芸能人好感度例年1位の言わずと知れた日本のトップ女優。一般人とよく飲んでいる姿がよくSNSで上がり、行きつけの店に行けば割と簡単に会える。じゃんけんがめっちゃ強い。


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