映画、『ロストチャイルド』。前作『ノーマルライフ』でカンヌを始め数々の映画賞を受賞した映画監督・國近独が送る“家族”をテーマにした新作長編ドキュメンタリー映画である。
物語の主人公であり大学で心理学を学ぶショウタ(
だがショウタとユウト、そして2人が“兄弟”として生活を送っている宮入家にはある特殊な事情があった。
ある日の深夜、兄のショウタは寝室で眠っているユウトをよそに父親の毅(
4歳で両親から捨てられてから8歳で宮入家に引き取られるまでを児童養護施設で過ごした経験のあるショウタは、元から自分の置かれている状況が普通ではないということを子供心ながらに理解していた。
一方、何らかの事情で物心がつく前の1歳の時にショウタが過ごしていた施設に預けられたユウトにとっては施設での生活や “兄”のように可愛がってくれたショウタ、そして養子縁組である宮入家での日常が当たり前であり、これが本当の家族であることを全く疑わすに信じ続けて生きてきた。
そうした経緯からこれまで、本当のことを話したら計り知れないショックを受けるだろうと隠してきたが、3人は夜通しの話し合いの末、10日後に迫ったユウトの14歳の誕生日の時にそのことを本人に伝えることを決める。
だがユウトの誕生日を2日後に控えたある日、授業を終えて同じく心理学を専攻するサークル仲間と共に所属している演劇サークルに向かう途中、ショウタの元に母親の恵里から“ユウト”がパニックを起こして倒れたという電話が来る。
連絡を受けたショウタはいち早く部活動を休み家に戻ったユウトの元に向かうが、家に着くとユウトは既に落ち着きを取り戻していた。
学校で倒れたというユウトの話を恵里から聞くと、放課後の時間に同じクラスのクラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をして、その拍子に相手から首を絞められた時に恵里ではない別の女の人から首を絞められた記憶が突如フラッシュバックしたことでユウトはパニックを起こし、倒れたという。
その記憶は、施設に預けられる前日に心中を図ろうとした実の母親から首を絞められた時の出来事だった。
「なぁ?おれの本当の母ちゃんってどこにいんの?」
施設に預けられる前の記憶が蘇ったユウトだったが、これまでずっと本当の家族だと信じてきた宮入家の人間が赤の他人だったことを知りショックを受けていた。そんな様子のユウトに母親の恵里は「あなたが見たのは全部悪い夢だ」と嘘でこの場を突き通そうとするが、「ヘタクソな嘘ついてんじゃねぇ」とユウトは激昂する。
そしてそれを見たショウタは「これ以上嘘を重ねてもユウトが不幸になるだけだ」と恵里の制止を振り切ってユウトに“真実”を伝えると、ユウトはこの間の家族会議を盗み聞きしていたことを打ち明ける。
しばらくすると父親の毅も仕事から帰宅し、3人から事の顛末を聞かされた末に今まで黙っていたことを毅はユウトに詫びながら話したことでユウトも渋々受け入れたことで、何とかこの一件はひと段落した。
翌日、ユウトはショウタたちの心配をよそに通っている中学に登校するために家を出るが、しばらくして学校から「宮入君が学校に来ていない」という電話がかかる。偶然その日は午前の授業がなかったため家にいたショウタは何かに感づき、ユウトの部屋に入ると『母ちゃんを見つけてきます。探さないでください』と書かれた紙が勉強机に置かれていた・・・
「全部知ってるよ。おれ」
「じゃあ何で俺たちに何も言わなかった?何でそうやって全部1人で抱え込もうとするんだ?」
「言って何がどうなるんだよ?」
「ごめんなさい、一旦ストップで」
午後4時過ぎ、会議室では憬を始めとしたキャスト陣は監督の國近やこの映画の脚本を手掛けた
「・・・やっぱりまだショウタとの距離を感じるんだよな~ユウトくん。どうした?具合でも悪いのか?」
「いや大丈夫です、すいません」
そして憬は今、この映画の監督である國近からダメ出しを食らっている最中だ。
「そもそもユウトは宮入家のことをどう思っている?」
「・・・ユウトは本当に14年もの間、宮入家の人間を本物の家族だとずっと信じて生きていたけど、周りの人間は本当の家族じゃなかったという現実は、物心つく前から施設に預けられ、本当の親や家族の存在を知らないユウトにとっては受け入れられないことだと思います。だからユウトは今までの14年を全部否定されて裏切られたような気分になって」
「それを手前で分かりきっていて何故出来ない?」
本読みが始まってから一向に宮入家との距離が“近づく”気配の見られない憬の言い分を遮り、國近は間髪を入れずわざとプレッシャーをかけ続けるような口ぶりで揺さぶる。
「・・・取りあえず俺としても役の理解を深めるはずの台本が今日まで遅れてしまったことは本当に悪いと思ってる。改めてそこは申し訳ない」
「謝るなよ安食、お前の遅筆癖なんて誰も責めてねぇから」
「いやアンタが台本を送る度に
さすがに監督から何度も止められてガミガミ言われている新人が可哀想に思えてきた安食が、さり気なくフォローする。
ちなみに脚本を書いた安食は前作の『ノーマルライフ』でも脚本を書いていて國近とは2度目のタッグとなる。余談だが撮影監督を始め主要スタッフの多くも前作と同じ布陣である。
“・・・何でこうも上手く行かないのか・・・”
ユウトの感情は分かっている。ちゃんと“台本”にあるように演じることは出来ている。でも手ごたえがまるで感じられない。
このままじゃユウトという役を掴める気がしない。
「・・・まぁ、たった1日で役を掴み切れる役者なんて絶対ありえへんからな」
1人で思い悩む憬の心情を察した毅を演じる紅林がすかさずフォローに回る。
「当たり前だ。そもそも数日程度で役を掴んだ気でいるような
紅林のフォローを付け足すように放つ言葉に出演する役者陣は心の中で頷いたのを確認すると、國近は憬に目線を向けつつ余分なストレスを吐き出すために溜息を一回吐く。
「・・・例えば仮の話だが・・・夕野自身が自分の親からあなたとは血が繋がっていないと言われたらどう思うか、考えたことはあるか?」
「いや、ないです」
「だろうな」
役を掴めずにいる憬に、國近は問いかける。当然そんなことなど考えたことすらなかった憬は即座に否定する。
「じゃあもしも親から本当に血が繋がっていなかったことを打ち明けられたら、
自らの弱点の正体を把握できずにいる憬に、國近は敢えてプレッシャーをかけ続けながらも助言を与え、それを受け取った憬は母親の姿を思い起こす。
俺はユウトやショウタ程ではないが、“一般的な普通”とは少しだけ違う家庭環境で育ってきた。本来だったら当たり前に存在しているはずの父親の姿は全くと言っていいほど記憶には残っておらず、色々な事情もあって祖父母にあたる人にも今まで一度も会えていない。
俺にとっては母親が、唯一無二の家族だ。関係は良好だが特別に仲が良いというわけではなく、普通に言い争いもするしうざったくて仕方ないと感じる日もある。それでも俺の記憶の中に存在する家族は、母親だけだ。
「・・・心の底からは受け入れられないと思います。血が繋がっていないとはいえ、自分にとっては本当の家族なんで」
そんな母親から“実はあなたと私は血が繋がっていない”と言われたら・・・・・・今まで考えたことすらなかったが、いざ直面したらきっと心の底から真実を受け入れることは出来ないだろう。
“だが、それは俺やユウトに限った話ではない”
「・・・けど、それは誰だって同じことじゃないですか?」
無意識に答えに繋がる言葉を漏らした憬に、國近は真っ直ぐ目を合わせながら呟く。
「あぁそうだ。そう思うのは誰でも当たり前のことだ」
「えっ・・・・・・すいません何を言っているんですか?」
言っていることの意図にピンと来ずに聞き返す憬に、國近は監督席に座ったまま憬を凝視しながら静かに訴えかけるように言葉を付け足す。
「俺が言いてぇのは“台本”と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を“視ろ”ってことだ」
その言葉に、憬の心の中にハッとするような衝撃が走る。
「ユウトが今何を思い、何がユウトをそこまで悩ませる?そしてユウトはショウタを含む宮入家の人間、そして母親のことをどう思っていているのか・・・人っていう生き物が“他人の感情”と“全く同じ感情”を持っていることに手前で気付いているはずのお前が、そんな基本を忘れて何を馬鹿みてぇに“台本”に縛られている?」
所々に刺々しさはあるが、それは紛れもない正論だった。
少しでも早く役を理解しようと目に見えている “資料”ばかりを意識していたあまり、俺は根本的なことを忘れかけていた。俺がブラウン管やスクリーンに映る役者を通じて同じ感情を自分自身も持っていることに気付いた。
“「良いご身分だよ・・・クズ野郎・・・」”
そして早乙女を通じて、自分の感情は自分だけのものじゃないということを思い知った。
“今はまだ、台詞を暗記する暇じゃねぇだろ”
「夕野・・・・・・大事なのはより役に近づけた状態で演じるために“体験”を積むことだ。撮影まではまだ時間はある。だから先ずは自分なりに距離を近づけられる為の努力をして、それを俺たちに証明しろ。分かったな?」
「はい」
こうして最初の本読みは、反省とフィードバックの繰り返しで幕を閉じた。
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「何か飲むか?夕野?」
「えっ?いや、俺は別に大丈夫です」
「遠慮するなよ。取りあえず先輩からの“奢り”は迷わず受け取っとけ」
「・・・はい。じゃあお願いします」
本読みが終わり、渡戸と憬は1階のフロアの自販機の前に立っていた。
「何が飲みたい?」
「・・・・・・じゃあこれで」
飲み物を奢るという渡戸に憬は数秒ほど迷った末、ブラックの缶コーヒーを選ぶ。
「ほんとにこれでいいのか?サイダーとかあるけど?」
「いや、これがいいです」
思ってもみなかったチョイスに渡戸は戸惑いつつもこれがいいと言う憬に缶コーヒーを奢り、自分はペットボトルのレモンティーを買った。
「夕野はこれまでコーヒー飲んだことあんの?」
「ないです。ていうかコーヒー自体これが初めてです」
「・・・言っとくけどそれ、すっげぇ苦いと思うぞ?」
人生で初めてのコーヒーでいきなりブラックに挑戦しようとしている憬に渡戸は念を入れて忠告するが、憬にはわざわざコーヒーをチョイスしたちゃんとした理由があった。
「台本の中で、自分の記憶を頼りに実の母親のリョウコを探すために家出をして街をふらついていたユウトがなけなしのお金で自販機の缶コーヒーを買ってそれを飲んで、苦すぎて思わず吐き捨てるシーンがあるじゃないですか?」
「・・・あぁ、あるな」
「だからこうやってユウトが飲んでいたコーヒーと同じものを口にして“初めて飲んだ時の味”を覚えれば、ちょっとでもユウトのことをより深く分かるようになるんじゃないかって思ったんです」
“大事なのはより役に近づけた状態で演じるために“体験”を積むことだ“
ユウトの役が今一つ掴めずにいるのは俺自身が
手本がないから、体験がないから言葉で分かっていてもどうしてもどこかチグハグになってしまう。
ならば自分自身が“ユウト”と全く同じ体験を少しでもすれば近づける。という、役者としての経験がまだまだ浅い新人なりの努力。
「・・・お前はほんとに立派だな」
そうした自分なりの努力を少しの自信を交えて打ち明ける憬を、渡戸は感心したような口ぶりで褒めながらレモンティーを口へ運ぶ。
「全然そんなことないっすよ。本読みはダメ出しの連続だし、國近さんからの指示にもちっとも応えられていないし・・・ホントにダメダメですよ俺は」
「まだ初日だ。そう考えると十分に上出来だと俺は思うよ」
励ましに一通りの自虐で返した憬は、缶コーヒーのフタを開ける。
その強がりな振る舞いに、渡戸は一瞬だけ“ユウト”の面影を見た。
「夕野ってさ、14だっけ?」
「えっ?はい、14です」
「・・・てことは“ユウト”と同い年か」
「そうですね。俺にとっては月9に続いて2連続だけど」
そう言いながら憬は、人生初の缶コーヒーを台本と同じように勢いよく口へと流し込む。
“14か・・・何してたかなあの時・・・”
少なくとも14の俺は、今みたいに芝居で飯を食っている自分の姿なんて夢でも想像していなかった。それどころか・・・・・・
「・・・俺はお前が羨ましいよ。俺が14の時なんて」
「うっわ苦っ!」
口にコーヒーを流し込んだ直後、強烈な苦味と渋みが口の中に一気に広がり思わず声が出て、俺はその場で悶絶しかける。
「おい大丈夫か??」
「はい大丈夫です・・・全然余裕っすこんなの」
「あんまりそうは見えないけどな」
苦味が広がった瞬間、本気で台本に書いてあるように吐き捨てようと俺の反射神経は動き出したが、流石にそれは後々に怒られると直感した理性によって現実に引き戻され、どうにか胃袋に流し込んだ。
「だから聞いたろこれでほんとにいいかって、やっぱサイダーとか買うか?」
「いやホントに大丈夫なんで(ていうかなんでサイダー?)」
初めて口にした、ブラックコーヒー。その一口目は思わず吐き捨てたくなるほど苦い味だった。果たしてこんな苦味のオンパレードのような飲み物を好んで飲めるようになる日は、本当に訪れるのだろうか。
俺には想像すら出来ない。
「でもこんな感じか・・・コーヒーの味って・・・」
だがこれで、“ユウト”の感じたコーヒーの味というものを身をもって体験することが出来た。ほんの僅かかもしれないが、これでユウトの
「・・・俺の“恩師”が読み合わせで言ってた言葉を思い出したよ・・・“この世に理解の及ばねぇ人間なんて存在しない。そして理解できるのなら必ず演じられる”、って言ってたことをさ」
同じコーヒーの苦味を覚え少しだけ満足げになっている俺に、渡戸は昔を懐かしむように恩師から言われた言葉を呟く。
その渡戸の言った“恩師”というのが誰なのかは、数秒ほどで予想が付いた。
「その“恩師”って・・・ひょっとして“イワオ”さんって人ですか?」
「そうだよ」
そう答えると、渡戸は続けてこんなことを俺に言い出した。
「多分、
舞台をたった一度、しかも星アリサ目当てでしか観たことのない俺にとって巌裕次郎という舞台演出家は名前ぐらいしか知らないあまりに遠い存在だから、1人の青年の人生を変えたほどの偉大さをもつ彼のことを、俺は知る由もない。
「・・・正直俺は巌さんという人がどういう人かは全然知らないけど、なんか偉大な恩人みたいな人なんですね」
だが巌裕次郎という演出家がいなければ渡戸剣は役者になっていなかったという話を聞いて、1人の男の人生を変えた“偉大な恩人”というイメージが俺の頭の中で膨らみ始めた。
「いいや、あの人は全然偉大じゃないし褒められるような人間なんかじゃないよ」
自分勝手なイメージを膨らませる俺を一瞬で目覚めさせるように、渡戸はレモンティーの入ったペットボトルを片手に静かに笑みを浮かべながら恩師の話を続ける。
「キレたら竹刀で背中を叩くわ灰皿は投げるわ、ダメ出しついでに “役者なんか止めちまえ”みたいに平然と暴言も吐き散らすわ・・・俺だってそういうのを何度も食らってるからな・・・」
レモンティーを口に運びながら変わらず昔を懐かしむ渡戸の表情を見て、今のエピソードが紛れもない事実だということを俺は察した。臭い好きで気に食わないことがあれば平然と暴言をまき散らす・・・俺の中の巌裕次郎のイメージが余計に訳の分からない状態になった。
「・・・マジすか・・・」
だが不思議と渡戸のその表情には、恩師である巌裕次郎に対する嫌悪という感情は全く感じられなかった。
「・・・でも、何で渡戸さんはそんな巌さんのところで芝居を続けたんですか?」
きっと必ず何かの理由があると頭の中で予想しながらも、敢えて憬は巌の元で芝居を続けた理由を渡戸に聞く。
「さぁ・・・何でだろうな・・・」
憬の言葉に渡戸は考え込むようにして目線を天井に上げる。
「言葉にするのは難しいけど・・・・・・1つだけ言えるのは今の俺がいるのは間違いなく
そして恩師の背中を追い続けた理由を、一言だけ憬に話した。
「・・・本当に恩人なんですね」
「・・・あぁ、俺なんかが言うのはおこがましいけどな」
これ以上詳しい理由を聞くことはできなかったが、その一言の中に恩師と共に歩んだ日々がしっかりと含まれていたことは伝わった。
「それよりコーヒーは大丈夫か?」
すると渡戸は話題を憬が手に持っているコーヒーに切り替える。
「あぁ、はい。最初は物凄く苦かったけど、なんか慣れてきました」
気が付くと缶の中に入ったブラックコーヒーは半分程度にまで減っていた。最初の一口を口に入れた時はとても飲めたものじゃなかったが、単純にコーヒーの苦味に慣れたのかあるいは苦すぎて舌が麻痺しているのか、今は普通に飲めている。
もちろん苦いのは変わらないが。
「そうじゃなくて、もしコーヒーの味に慣れちまったら逆に初めて飲む“ユウト”のリアクションが取りづらくならないか?」
だが渡戸の“大丈夫か”という意味はどうやら少し違っていたみたいで、飲めるかどうかではなく味に慣れたことで初めて飲んだ時の味を“忘れる”んじゃないかという心配だった。
“・・・一回やってみるか・・・”
そんな渡戸からの言葉で、俺は試しに“初めてコーヒーを口にした”ときの感情を再現してみることを思いつく。
ただ1つだけ問題があるとすれば、“ユウト”だったらどうするかだ。
「・・・大丈夫っすよ。俺はもう“味”を覚えてたから」
言い終えると憬は、口の中に残った苦味を頭の中でリセットさせて、半分残ったコーヒーを口へ運ぶ。
「うっ!?」
口の中にコーヒーが入った瞬間、憬はその苦さのあまり思わず再びむせ返りそうになるのをグッとこらえながら、
「あぁ苦っが!」
と、先ほどと同じように悶絶しかける。
まるでさっきの感情をそのまま再現するかのようなリアクションに見えるが、苦味が襲ってきた時の身体の反応やちょっとした仕草は、本当に“初めてコーヒーを口にしたら思った以上に苦かった”時の
“末恐ろしい奴だ”
恐らく夕野は、その力を駆使して頭の中でまだ自分は“コーヒーを飲んだことが一度もない”と本気で信じ込み、それをしっかりと再現してみせた。まだ役者を始めて3,4ヶ月という段階で。
「どうですか?」
少しだけ謙遜したような態度で夕野は俺に“出来栄え”を聞いてきた。もちろん“再現”という点では今のリアクションは完璧だった。
問題なのは果たしてそれが“ユウト”のリアクションなのかどうかだ。
「完璧だ」
重要なのはそのことに本人が気づいているのか、そうではないのか。オーディションの時に間近で見た震度1の演技の時もドクさんから見せてもらった月9ドラマの演技も、どこか妙な違和感を俺は感じていたが、今の芝居を見て俺の仮説は確信に変わった。
「・・・それはただ“初めて飲んだコーヒーの味”ってことですよね?」
「・・・そうだな」
そしてそのことに、本人も気づき始めている。
「ユウトだったらどういう反応をするのか・・・コーヒーの感覚を掴んだところで、俺はまだ根本的な何かを掴めてないっていうのが、よく分かりました」
「・・・そうか・・・じゃあ俺たちが “ショウタとユウトになる”ためにはどうしたらいい?」
役を掴み切れずにいる原因を把握した渡戸が、憬へ答えに繋がるヒントを問いかける。
「・・・役を知る前に先ずは渡戸さんや共演者のことをもっと深く知る必要があるんじゃないかって、俺はそう思ってます」
問いに答えた憬は、当然のように渡戸の把握していた役に近づくための答えに一発で辿り着いた。
「分かってるなら話は早いな」
台本を読み込み与えられた役の
役を知るには、先ずは相手のことを知ること。そうすることで共演者同士の関係性が縮まり、芝居をする上で重要な“自然な距離感”が生まれる。
“
”・・・まさか舞台以外でも、巌先生の教えが役に立つ時が来るとは・・・”
「夕野、明日のスケジュールは空いてるか?」
渡戸の問いにスケジュールが空いているか、憬は念のためスケジュール帳を開いて確認する。
「はい、今のところ予定は入ってないです」
それを聞いた渡戸は残りのレモンティーを一気に飲み干し、憬に1つの提案をする。
「明日、俺たち2人だけでそれぞれの“思い出”の場所に行くぞ」
「・・・・・・えっ?」
強面で真面目な渡戸が口にした予想の斜め上を行く提案に、理解が追い付いていない憬は拍子抜けした反応で聞き返した。
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「よぉ“エイイチ”!お疲れさん!わいや、誠剛や!」
新宿区内の駐車場に駐めた黒色の
「いやぁ忙しいなんて言わんとチョットだけわいの話を聞いてくれへんか?どうしてもエイイチに言うときたいとっておきの“ネタ”があるんや」
だが相手のエイイチは都合が悪いのか、いきなり電話をかけてきた紅林を軽くあしらおうとしている。
『・・・手短に頼むよ』
「おぉそれは嬉しいなぁ!ありがとうなエイイチ!」
『声が大きすぎるよ紅林』
「あぁ悪いな、ワイとしたことが上がり過ぎてしもた」
『全く、昼間から酒でも飲んだのかい君は?』
「読み合わせ終わりでバリバリにシラフや」
『・・・やれやれ』
それでも旧知の仲のよしみなのか、エイイチは紅林の勢いに折れるかのようにとっておきの“ネタ”を手短に纏めて話すように求め、友人からの突然の電話を許す。
「言うとくがこう見えてワイも回りくどくおべんちゃらを垂れるのは嫌いなクチやから、お望み通り手短に話すわ。実はな・・・・・・」
「・・・なるほどね」
『ま、これはあくまでワイが勝手に思うてるってだけやから真に受けるかどうかはエイイチ次第やけど・・・どや?ワイの言うてた通りとっておきやろ?』
「・・・話はそれだけかい?」
『なんや?まだ話の“ネタ”が欲しいんか??も~う欲しがりやなぁエイイチは~、そんなんやったら遠慮せんで最初から言えばええっちゅうのに!あぁそうや、ところでそっちの舞台』
20年来の友人からとっておきの“ネタ”を聞き出すと、自らが演出を務める舞台の稽古を終えた舞台演出家のタツミエイイチはまくし立てる紅林の返答を待たずに電話を切り、その場で通りすがりのタクシーを拾う。
「どちらまで?」
そしてエイイチを乗せたタクシーは稽古場の通りから走り去って行った。
カメラの中と外の世界の分別がつかず、平気で人としての道を履き違える人でなしというのは、まだまだこの世界には山ほどいるのかもしれない。
とにかくそういう人たちが少しでも減って、作品に関わる全ての人たちが安心して自分の仕事に臨んで行けるようなクリーンな世界に変わっていってくれたらなと、そう思います。
失礼しました。