或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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もっとガンガン、アクタージュを投稿しようぜ☆

5/15 追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


scene.35 休日①

 2018年8月下旬_午前6時15分_芝浦_

 

 雨上がりの早朝の空の下、住処としているマンションを含む4棟のマンション群を中心に構成された人工島(アイランド)の外側をぐるりと取り囲むような形で周囲の運河に沿って造られた1周1.4kmの遊歩道を、憬はランニングウェアを着て深々と帽子(キャップ)を被り1kmをだいたい5分半のペースで走っていた。

 

 

 

 小説家・夕野憬の朝は早い。朝は遅くとも6時には起床し、ランニングウェアに着替えて軽いストレッチを行ったのちに外に出て、1.4kmの遊歩道を4周するのが朝の日課となっている。

 

 悪天候や体調次第などで走らない日もあるが、その日に打ち合わせなどの仕事があろうが何も予定がなかろうが6時までに起きて走るというルーティンを、可能な限り憬は貫いている。

 

 そして今日は出版や映画関連といった仕事の入っていない“完全な休日”であるが、憬には個人的な予定があった。

 

 

 

 “『お疲れ様です。阿笠です。』”

 

 というお決まりの挨拶から始まるトークがアプリに久々に来たのは、天知から“星アキラと夜凪景の熱愛報道(スキャンダル)”の件を報告された日の夜のことだった。

 

 ちなみにトークの件に戻る前に例のスキャンダルの件を補足すると、星アキラと夜凪の一件はさすがに当事者のスターズが黙って見過ごすはずはなく、翌日には“若手イケメン俳優と新人女優のスキャンダル”は“今秋公開予定の舞台の宣伝”にすり替わっていた。

 

 この清々しいまでの転換と有無を言わせぬ所属タレントへのフォローぶりは、流石は大手芸能事務所と言ったところだろうか。

 

 さて、話を戻そう。こうして俺の元に2ヶ月半ぶりに寧々からのトークが来たわけだが、肝心のトークの内容は“仕事”の内容ではなかった。

 

 “『突然のご連絡で申し訳ございませんが、もし下記の日程でお時間が取れるようでしたら、私と一緒に映画鑑賞をして頂けたりすることは可能でしょうか?』”

 

 「・・・は?」

 

 ご丁寧に日程と集合場所の地図を記した寧々から送られてきたビジネスメールかとツッコミたくなるような“映画鑑賞”のお誘いに、内容を理解した瞬間に思わず声が出た。

 

 相変わらず彼女は、真面目過ぎるが故にどこかがズレている。

 

 

 

 “・・・ちょうど何の予定も入ってないわ・・・”

 

 

 

 そんなちょうど何も予定が入っていない完全な休日(オフ)である今日は、初めてとなる寧々との映画鑑賞だ。というか、そもそも仕事以外のプライベートで彼女と会うこと自体が初めてだ。

 

 “・・・OKを出してはみたけど暇なわけじゃないんだよな・・・”

 

 こっちはこっちで『hole』の映画化に向けた脚本と共に極秘で執筆を進めていて、向こうは向こうでまた別の作家の編集担当となったため『hole』の執筆が終わったここ2か月ほどはすっかり彼女とは疎遠になっていた。百城千世子に“感情(何か)”を盗まれて以降、大スランプはどうにか脱した感覚はあるが、厳密に言うと俺の仕事は全く終わっていない。

 

 そもそも創作家(クリエイター)は、自らがリタイアを申し込まない限り“創作”という名の終わりのない“呪縛”が墓場まで付いて回る、言わば鮫のような生活を少なからず強いられるのだ。

 

 “まぁ・・・時には“海流”に身を任せるのも大事か”

 

 とはいえ朝のランニングを除いて丸一日ずっと部屋に籠ってあらすじを練っているばかりではアイデアが枯渇していく一方だ。それに寧々には『hole』の執筆で色々と助けてもらった借りがあるため、借りを返すという意味で今回は彼女の誘いに乗ることにした。

 

 

 

 「・・・ハァ・・・」

 

 ルーティンとしている4周のランニングを終え、憬は息を整えながら左手にはめたスマートウォッチでタイムを確認する。

 

 “29:25.88

 

 “・・・意外と速く走れたな・・・”

 

 普段から特に速く走ろうという気持ちは全くないが、久々に29分台の前半が出た。まぁ、今はそんなことはどうでもいいが。

 

 「さて・・・戻るか・・・」

 

 そしてタイムをリセットするとすぐさま、息を整えた憬はランニング終わりのシャワーを浴びるために22階の部屋へ直帰した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 1999年10月上旬_午前9時40分_横浜_

 

 日曜日。初顔合わせと本読みの翌日。憬は渡戸との約束のため、集合場所となるすっかり通い慣れた映画館を目指して西口五番街を歩いていた。

 

 

 

 「明日、俺たち2人だけでそれぞれの“思い出”の場所に行くぞ」

 「・・・・・・えっ?」

 

 強面ながらも真面目かつまともで理論派のような雰囲気の塊である渡戸がこのような直接的な役作りを提案してくるとは思わず、俺は一瞬だけ言葉を失いかけた。

 

 「・・・どういうことですか?」

 「要は互いのことを知りながら役と自分との共通点を見つけるんだよ。俺たちの“地元”で」

 「・・・あぁ、そういや渡戸さんも出身は横浜でしたね・・・」

 

 俺は渡戸のことをまだ殆ど知らない。相手のことを理解するには、相手役を演じる役者がどのような背景(バックボーン)を抱えて演じているのかを考える以前に、先ずはその役者自身のことを理解する。

 

 その工程があるかないかでは、役へ対する理解度は大きく変わってくる。

 

 “やはりお互い、まだまだ知らなさすぎる”

 

 「集合場所はどうする?“”が決めていいよ」

 「場所ですか・・・っていうかいま“憬”って」

 「上の名前だと堅苦しいだろうからさ。俺のこともこれからは下の名前で呼んでいいよ」

 「じゃあ・・・剣さんでいいですか?」

 「何で疑問形なんだよ?下の名前で呼んでいいって俺が言っているんだから聞く必要ないだろ?」

 「あぁ、そうっすね」

 

 恐る恐る下の名前を言う俺に、渡戸は不機嫌そうな顔で当然な返しをする。何度も言うがそういう風に映ってしまうだけであって、決して彼は不機嫌な訳ではない。

 

 「で?どこ集合にする?」

 

 そしてどこを集合場所にするかと考えた末、俺はかつて映画を観に行く時には必ずここだと決めていた “あの場所”にすることに決めた。

 

 「・・・“ムービータウン”でいいですか?」

 「・・・あぁ、西口にある映画館か」

 

 もしも知らなかったらどうしようというほんの少しの不安は、静かに頷く渡戸と共に消え去った。

 

 「そこが憬にとっての思い出の場所ってことか?」

 「・・・一応そうですね」

 

 

 

 横浜駅の西口から五番街を通り抜け、歩道橋のような橋を渡った先に鎮座している青いビル。地元民なら行ったことがなくとも多くがその存在を知っているであろう映画館。

 

 そして俺にとっての思い出の場所でもある映画館。“ムービータウン”。

 

 最初にここへ来たのはまだ幼稚園に通っていた頃のことだ。母親に連れられ初めて観た“ご都合主義”のアニメ映画。あの日のことは10年近くが経った今でも、酷く退屈な思い出として薄っすらながらも確かな形で残り続けている。

 

 そして7歳の時にブラウン管越しに目撃して衝撃を覚えた1人の天才女優の立ち姿。“もう一度彼女の姿を観たい”と時には我儘を言い、その我儘に嫌な顔を一切見せずに母親はあのアニメ映画を鑑賞した場所に連れて行き、それからは映画を鑑賞する時は必ず“この場所”で観るようになった。

 

 それは目当ての映画を観に行くための小遣いを貰って1人で行くようになってからも変わらなかったが、役者になった原点と言っても過言ではない“女優・星アリサ”の引退をきっかけにすっかりご無沙汰になっていた。

 

 “ほんとに久々だな・・・”

 

 “西口側”からだと歩道橋に見えてしまって仕方がない青色の連絡橋の階段を上ると、川の向こう岸の出入り口がブラックホールみたいにこれから目当ての映画を観る観客を吸い込んでいくかのように出迎え、その少し上で“俺が主役だ”と言わんばかりに堂々と飾られた公開中の映画のポスターが佇んでいる。

 

 初めてこの“入り口”を見た時は、こんな何の変哲もないただの出入り口が物凄く恐ろしいように見えたものだ。それが退屈だった思い出がいつまで経っても残り続けている大きな理由だ。

 

 やがてそれは恐怖からスクリーンへの期待に変わり、そして今は何の変哲もない“平凡”になった。

 

 

 

 「お疲れ様です剣さん」

 

 10時ジャスト。まるで時間厳守な國近を再現したかのようなタイミングで昨日も被っていた白のキャップを被り、無地の黒いパーカーにジーンズというシンプルな恰好をした渡戸がいつもより人通りの多い連絡橋からやって来た。

 

 「お疲れ。悪いな待たせて」

 「いえ、全然大丈夫です」

 

 恐らく傍から見れば、仲の良い先輩後輩がただ休日を満喫しているだけのように見えるだろう。

 

 “・・・俺たちって役作りするためにここにいるんだよな・・・?”

 

 ぶっちゃけ俺も、意識しなければ役作りをしているという感覚が消え失せてしまうくらいにはこの状況を把握しきれていない。

 

 「じゃあ早速観るか。今日は見るからに混んでるし」

 「そうですね」

 

 こうして俺たちは休日で混み合うムービータウンの中へ入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「まさか男2人で恋愛映画を観る羽目になるとはな」

 「日曜の映画館は特に混みますからね。仕方ないっすよ」

 

 12時30分を過ぎた頃、映画を観終えた憬と渡戸はムービータウンを後にし、西口に向かって連絡橋をゆっくりとしたペースで歩いていた。

 

 ちなみに今日は日曜日なだけあってロビーは子連れや学生などで混みあっていて、結局2人はちょうど隣同士の席が空いていた目当てでも何でもないアメリカの青春恋愛映画を鑑賞した。

 

 

 

 「さっきの映画・・・俺は観ていて疲れたな」

 

 隣を歩く渡戸がたまたま席に空きがあって観ることが出来た先ほどの映画の感想を独り言で愚痴るように一言呟く。

 

 「そうですか?」

 

 愚痴を溢した渡戸にその理由を聞くと、

 

 「逆に憬はどう思った?」

 

 と逆質問された。

 

 「・・・まぁ・・・通して観るとフツーですかね・・・」

 

 これが観たいからではなく、ただ単に隣同士の席がちょうど空いていたという理由だけで選んだアメリカの恋愛映画。

 

 

 

 映画のあらすじを要約すると、主人公であるミシェルと夢の中で会って恋をしていた男と同姓同名で顔も瓜二つな同い年の青年・カイル、そして高校から関係を築いていたボーイフレンド・ライアンとの三角関係をテーマに描いた青春恋愛映画。

 

 正直なところ、男が2人きりでチケットを買って観に行くような映画ではなかった。客席に座る観客も大半が女の人やカップルばかりで、ついでに思い返すとロビーに立っていた女の店員も心なしか“本当にこれでいいんですか?”と言いたげな表情(スマイル)をしていたような気がしなくもない。

 

 「ストーリーとか役者の芝居自体はそこまで悪いという感じはしませんでしたね。ただ、全米が感動した的なキャッチフレーズの割にはありきたりなストーリーですけど」

 

 映画を観た“正直な感想”を、隣を歩く渡戸に伝える。先に公開された本国で話題になったからと言って日本の配給先が付けたであろう大袈裟なキャッチフレーズは蛇足のようにしか感じられなかったが、映画自体はポスターに書かれていたように本国のアメリカでは一定の評価を得ているだけあって、ありきたりだが決して悪いという感じはしなかった。

 

 「・・・ただ1コだけ引っかかるのは、何でミシェルはせっかく“記憶を取り戻したのに”カイルじゃなくてライアンを選んだのか・・・それが監督の意図している展開なのかは分からないけど、どうしてもそこだけは引っかかりました・・・」

 

 紆余曲折あり、ミシェルは幼かった頃に体験したある“事故”の記憶を思い出し、カイルが自分にとって命の恩人であったことを知るのだが、それでも彼女は最終的に高校からのボーイフレンドであるライアンを選ぶ。

 

 無論、ストーリーの流れを考えれば決して不自然なわけじゃない。でもミシェルの感情になってカイルとライアンのことを考えた時、俺の感情は“カイル”を選んだが、ミシェルはライアンを選んだ。

 

 “ただそれだけのことだった”

 

 でもたったそれだけの1ピースのズレのせいで、俺は一気にミシェルの感情が分からなくなってしまった。

 

 「俺がオーディションでドクさんと初めて会って話をした時、『映画は案外、“役が役らしからぬ”動きをする作品が多い』ってドクさんが言っていた」

 

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、渡戸はまるでその気持ちを代弁するかのように言葉を紡ぐ。

 

 「そう考えると映画の良し悪しなんて、所詮は手前の好みで“相性”の良し悪しに過ぎないんじゃないのかな?って俺は思う」

 

 ミシェルの感情が突然分からなくなってしまったのは、あくまで俺と主人公が性格的にあまりに違い過ぎて“相性が最悪”だったが故のこと、なのかは分からないが“映画の良し悪しは相性の良し悪し”だという渡戸の言葉に、絶対的な説得力を感じた。

 

 「じゃあ剣さんにとっては相性が悪かったってことですか?」

 「・・・俺にとっては最悪だったよ。座って観てるだけなのに稽古より疲れた」

 「そんなに悪かったんですか」

 

 もちろん舞台より疲れたという言葉がジョークなのは、静かに笑いながら嘯く渡戸の表情を見た瞬間に分かったが、渡戸にとってはついそう言いたくなってしまうほど“相性が悪かった”のだろう。

 

 「剣さんも主人公に違和感を覚えたんですか?」

 「いや、そんなもんじゃないよ」

 

 その理由は次の一言で明らかになった。

 

 「そもそも俺はああいうロマンチックな恋愛映画が好きじゃないからな」

 

 甲乙はともかく、俺も恋愛映画はそんなに好きじゃない。渡戸ほどじゃないと思うが、あのようなありきたりでロマンチックなストーリーの映画は好んで観たいと思ったことは殆どなかった。

 

 そんな潜在意識が物心がついた頃から備わっていたから、7歳の時に観たテレビのロードショーで放送された映画『向日葵の揺れる丘』のストーリーが殆ど記憶に残らなかったのだろう。

 

 「さっきのやつがそうだけど、現実味のない甘ったるいストーリの映画とかドラマを観てるといつも途中から感情移入が出来なくなって疲れるんだよ。だって現実じゃあんなロマンチックなことなんて起きるわけがないからな。あとご都合主義なヒーローものとかも小さい時はよく観てたけど、“現実じゃそうはならない”ってことに気づいたあたりから急に観るのが億劫になって、10歳で観るのやめちまったし」

 

 もちろん正義は必ず勝つ的なご都合主義は、尚更嫌いだ。

 

 「憬は?」

 「俺は最初からそういうご都合主義のやつが嫌いだったんで、途中から観るのが嫌になるっていうのは分かんないです」

 「・・・そうか。憬は最初からそういうヒーローものが嫌だったのか」

 「嫌っていうか、正義が勝って悪が負けるみたいな“ノリ”が俺には生まれついてからよく分かんなくて・・・剣さんの言う通り現実だと必ずどっちかだけが勝つっていうストーリーはあり得ないから・・・観ていても主人公に全く感情移入出来ないから退屈でした」

 

 最初からご都合主義が受け入れられなかった俺にとって、途中から嫌になる気持ちはあんまり理解できない。だけど、渡戸の言う“観ていて疲れる”という感覚は俺もよく分かる。

 そして同時に、『ノーマルライフ』という映画を観ていて思わず引き込まれた“もう一つの理由”も分かってきた。

 

 「だから“ノーマルライフ”を観ていて引き込まれたのも、きっとそういうことなんじゃないかって思うんすよ」

 

 観る人によっては始まりから終わりまでずっと退屈に思えるであろう映画であるはずなのに、気が付いたら俺は画面の向こうに没入していたのは、牧の演じる主人公とその主人公を誘拐して共に監禁&逃亡生活を送る殺人犯の男の2人の気持ちが、俺には物凄く身近に感じたからだ。

 

 難しく考える必要はなんてない。映画の良し悪しは人それぞれ。オーディションと同様、大事なのは自分とその映画の相性があっているかどうかだ。

 

 「相性が良かった

 

 渡戸に向けて言う訳でもなく、憬は前に視線を向けたままそう呟いた。

 

 

 

 「・・・そういや憬は普段から映画は観るのか?」

 

 連絡橋の階段を降りながら、渡戸は映画に対する自分なりの答えを呟いた憬に問いかける。

 

 「観ることは観ますけど、基本的に家にあるビデオで済ますことが多いですね」

 「そうか、憬は家で鑑賞する派か」

 「いや、別にそういう訳じゃないんすけど・・・」

 

 確かにここ暫くはすっかり家で鑑賞することが日課になっているが、決して俺は家で観る派ではないと自分では思っている。

 

 というより、映画館に足を運ばなくなったことには“理由”がある。

 

 「俺がこうやってわざわざ映画館に行って観ていたのはあくまで星アリサ目当てだったんで」

 

 星アリサが記者会見で“『女優を引退します』”と言ったあの日から、俺は映画館に自らの足で運ぶことはなくなった。今まで彼女が出演する映画が公開される度に小遣いを注ぎ込んで通うこともなくなっていた。

 

 「ホント馬鹿みたいな話ですよ・・・星アリサのいない映画は映画館で観る価値なんてないって本気(マジ)で思ってましたから」

 

 あの日から蓮にじゃんけんで負けて渋谷に連れていかれるまでの1年近くの間、俺は一度も映画館に足すら運ぶことはなかった。

 

 「・・・じゃあ憬の原点はアリサさんってことか・・・」

 

 記憶を振り返るように明かした理由に、隣を歩く渡戸は何かに納得したような口ぶりで呟く。

 

 “・・・俺の原点は星アリサ・・・”

 

 ふと目を向けると俺は連絡橋を渡り切っていて、西口の繁華街が目の前に広がっていた。

 

 「・・・原点っていうか・・・多分、星アリサの芝居を観てなかったら役者になろうとは思わなかったんじゃないかなって思います・・・」

 

 物思いに耽ながら、憬は静かに呟く。

 

 

 

 “憬はさ、俳優とか目指さないの?

 

 

 

 役者になるということを本気で思い始めたきっかけは蓮から言われた言葉だったが、渡戸の言う通りそもそも星アリサという存在に出会わなければ俺は役者という存在自体に興味を示すことはなかったのかもしれない。

 

 「・・・だから何で星アリサが女優を辞めたのか・・・俺には全然分からないんですよね・・・」

 

 そして月9(ドラマ)を通じて“他の誰かを演じること”の自由と素晴らしさを知ってから、俺は星アリサが女優を引退した理由というものが余計に分からなくなってしまった。

 

 “なぜ・・・星アリサは自由を捨ててしまったのか・・・”

 

 「・・・別に無理して“わかろうとする必要はない”って俺だったら思うけどね」

 

 “まだ狭い視野”の中で星アリサが女優として生きる道を捨てた理由を考えながら隣を歩く憬に、渡戸は前を向いたまま自分の見解を言う。

 

 「そんなもん、人それぞれだしよ

 

 

 

 “星アリサ(彼女)が女優を辞めた本当の理由を知っている今なら、渡戸の呟いたこの言葉の真意がはっきりと分かるが、まだ何も知らなかったあの頃の俺にはその意味に気付く余地は全くなく、素直に先輩からのアドバイスとして受け取る以外の方法はなかった

 

 

 

 「じゃあそろそろ飯でも食うか、いい感じの時間になってきたし」

 「えっ?・・・あぁ言われてみればたしかに」

 

 急に思い立ったかのごとく話題を変えた渡戸の言葉で、俺は腕時計で時間をチェックする。

 

 12:45。確かに昼を食べるにはちょうどいい時間帯だ。

 

 「取りあえず何食べる?」

 「・・・剣さんに任せます」

 

 渡戸から食べたいものを聞かれた俺は数秒考えた末、先輩に委ねることにした。

 

 「じゃあラーメンでいいか?」

 「えっ、はい」

 

 すると間髪入れずに渡戸が昼飯を決め、その勢いに押される形で俺が咄嗟にOKを出したことで、昼飯はラーメンで決定した。

 

 傍から見たらどこからどう見ても休日(オフ)を満喫しているようにしか見えないが、こうして共演者同士で映画を観たりしながら互いに理解を深めていくこともまた役作りにおける重要な過程だと、共演者のことを知る必要性に気が付いた今なら思う。

 

 “今のところ役作りらしいことは殆ど出来ていない気がしなくもないが・・・”

 

 少しでも役作りらしいことをしたいと思った俺は、話の続きを持ちかける。

 

 「・・・そう言えば剣さんは映画」

 「ちょっと離して下さい!

 

 渡戸に普段は映画を観るのかを聞こうとした瞬間、前の方で女の人の叫び声が聞こえ反射的に俺は視線を前に向ける。

 

 “うわっ、ひったくりじゃねぇか・・・”

 

 目測50メートルくらいのところで少しだけ小柄な男が女の人のバッグを無理やり奪い取ろうとしていたところだった。予測不能な白昼堂々のひったくりに周囲の通行人は慄いてばかりで誰も助けようとしない。

 

 “・・・どうする・・・助けに行くか?・・・いや、万が一それで怪我でもして撮影開始(クランクイン)までに治らなかったら・・・”

 

 どうにかして助けなければという正義感と同時に、余計な怪我を負って迷惑を掛けてしまうのではないかという心配が頭の中を駆け巡る。

 

 

 

 “自分の行動に責任を持て

 

 

 

 「憬・・・走れるか?

 

 渡戸から再び話しかけられた瞬間、男はバッグを奪い取ってそのまま走って逃げ去ろうとするところだった。

 

 「えっ?・・・はい、普通に走れます」

 「じゃあ俺はあの男からバッグを奪い返すから、憬はバッグをあそこの女の人に返してくれ」

 「はい・・・・・・えっ?」

 

 唐突かつ矢継ぎ早に言われた“先輩からの命令”に理解が追い付かず俺はもう一度聞き返そうとしたが、そう思った時には渡戸はひったくり犯の男をアスリート顔負けの全速力で追い始めていた。

 

 「剣さん!?」

 

 

 

 憬が名前を叫んで後を追い始めた時には、路地の死角へ逃げていったひったくり犯の男を追う渡戸は男が曲がっていった20メートル先の十字路に差し掛かっていた。

 




前書きで調子こいたことを書きましたが、実際は色々と行き詰まってます。

何不自由なく普通に生きることが、どれだけ難しいことか。なんで周りが普通に出来ているようなことができないのか。

時々、社会で生きていくということがとてつもなく恐ろしく感じてしまう夜が来る。

それでも明日の朝までには、スイッチを切り替えなければならない時もある。

その繰り返しで1人前になれるとしたら・・・・・・いつになったら周りと同じように普通になれるのか?

そもそも普通ってなんだ?なにが普通なんだ?

分からない。そんなもの分かりっこない。分かりたくもない。

じゃあどうする?・・・・・・いっそのこともがくだけもがいてみるか?

そう思いつつも、特に何もアクションを起こさない。今日のこの頃。






PS.ムービータウンの元ネタをググらずにわかった人は立派な地元民です。
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