或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.36 休日②

『渋谷、渋谷、ご乗車ありがとうございます』

 

 10時18分。渋谷駅1番ホームに着いた外回りから車内に乗っていた乗客が人混みとなってホームになだれ込む。今日は土曜日とあってか、平日の同じ時間帯と比べても乗り降りする人の数は多い。

 

 その人混みに紛れ込むように、憬は待ち合わせ場所であるハチ公前へ足早に歩みを進めるが、周囲の雑踏は誰一人としてこの男が“夕野憬”であることに気付く素振りすら見せない。

 

 ちなみに憬はスクエアの黒縁メガネをかけていること以外は変装という変装をしていない。

 

 “・・・ブランチ(この間)のことがあるからどうなるかと思ったが、心配は稀有だったな・・・”

 

 変に周囲の視線を気にして“武装”するからかえって怪しまれるのであって、こうして黒のサマーニット(地味な服装)に最低限のアクセントだけでも堂々としていれば案外周りは気が付かないものだ。

 

 「ねぇ?あの人どこかで見たことない?」

 「えっ?いやさすがに違うでしょ?」

 

 だがそれでもこんな感じで稀にすれ違いざま通りすがりから怪しまれることも無きにしも非ずなのだが、こればかりはいちいち気にしていてもどうしようもない。

 

 

 

 「お久しぶりです。先生」

 

 そんなこんなで改札を抜けてハチ公前に向かうと、いつもより少しだけ洒落た服装をした寧々が俺の姿を確認するや否や深々と頭を下げて出迎えた。

 

 「ひょっとして待たせたか?」

 「いえ、5分くらいは全然大丈夫です」

 「結局待たせてるじゃねぇか」

 

 本来の集合時間は10時30分なのだが、寧々が常に15分前行動を心掛ける人間であることを見越していた俺は何とか15分前に間に合う電車に乗って渋谷に向かっていたのだが、少々ダイヤが乱れていたのか結局予定より“5分オーバー”で俺は待ち合わせ場所に着いたわけだ。

 

 「じゃあ早速行くか、そこまで時間に余裕があるわけじゃないし」

 「そうですね」

 

 軽く挨拶がてら二言三言ほど会話をして、俺たちはハチ公前から交差点(スクランブル)の向こう側へ渡って少し歩いたところにある映画館へ手を繋がず隣同士になって歩みを進める。

 

 

 

 「・・・ところで宮武先生とは上手くやれてるか?」

 

 ちなみに寧々は今、宮武マヲが執筆している上下巻で構成される新作の編集担当として忙しい日々を送っている。

 

 「はい。おかげさまで仕事自体は順調なんですけど・・・本音を言うと違う意味でちょっとだけ参っていまして」

 「違う意味?」

 「・・・実は宮武先生、とにかく時間にルーズで・・・例えば先週の“最終稿”に向けた打ち合わせの時には2時間も遅刻しましたから」

 「・・・2時間か。芸能界じゃ大御所じゃない限り“誠意を込めて謝罪しないと”一発でアウトだな」

 

 だが話を聞く限り宮武の“遅刻癖”に幾度となく悩まされ、少々参っているようだ。

 

 「おまけにあれだけの“大遅刻”したにも関わらず全然悪びれる様子もありませんでしたし、そのおかげで私が身代わりのように頭を下げる羽目になりました・・・」

 

 俺の隣を歩く寧々が、内側に溜まった感情を露にして宮武の愚痴を溢す。傍から見ればただ気の合う上司によくある愚痴を溢しているだけだが、普段は滅多に表立った感情を出さない彼女がここまで感情的になるのは珍しいことだ。

 

 「それは気の毒だな・・・とはいえ宮武先生(あの人)は当日に突然グアムに飛んで授賞式を“すっぽかした”くらいだからな。哀しいけどそれがあの人にとっては平常運転なんだろう」

 

 無論、直木賞の授賞式の当日に誰にも告げずグアムに飛び立ち “バカンス”ですっぽかすという“一大事件”をリアルタイムで目撃していた俺にとっては、そこまで驚くような話ではない。

 

 「そういう先生も処女作の時に芥川賞をすっぽかしたことがあるじゃないですか?」

 「あれは元から出ないつもりでいたからすっぽかしじゃないよ」

 

 そんな俺も宮武が直木賞をすっぽかした5年後に芥川賞の授賞式を“一身上の都合”でA4の紙一枚(声明文)を置き土産に欠席して軽く世間を賑わしてしまった為、立場上あまり彼女のことを強くは言えない。

 

 「・・・強いて救いなのは速筆でアイデアも次々と出てくるおかげで締め切りにはある程度余裕で間に合うところですかね。宮武先生が予定通りに締め切りに間に合ったおかげで、こうして私は休日を取れているわけですから」

 「良かったじゃん」

 「しかも第一稿の段階で既に直しが要らないくらいまで完成されていて、更にはこちらの添削やアイデアも柔軟にプロットやストーリーへ取り入れて頂いたり、小説家として純粋に凄い方ですし、宮武先生の仕事ぶりはとても尊敬しています」

 「良いことだらけじゃん」

 「でも小説(それ)以外が何というか・・・遅刻癖もそうですけど控え目に言って“今ここに生きる”の権化みたいな方なんですよ。重要なストーリー展開の話し合いの時でもすぐに話が脱線して小一時間も全く関係のない話を喋り通したり、1ヶ月ほど前にシナリオハンティングで宮武先生と同行した時は取材なんかそっちのけで昼間から中心街の居酒屋に立ち寄ってお酒を飲んだりお土産を爆買いしたりしてシナハンのことなど完全に頭からすっぽ抜けていて・・・あと、“熱海に行ってるから今日の打ち合わせはナシ”と何の相談も連絡もなく勝手に日帰り旅行へ行かれたこともありました」

 

 ともかく寧々のように生真面目で面倒なことも全て1人で抱え込むような人間が、文章力にステータスを全振りした常識など通用しない生き様そのものが芸術家(アーティスト)な人間と二人三脚で一つの作品を創作するとなると、降りかかるストレスはさぞ多大なものだろう。

 

 「・・・なるほどな。でも人によって作品の“創り方”っていうのは様々なのも事実だ。きっと宮武先生は自分なりにちゃんと“物語”を視ているんだと思う。相当癖は強いけどな」

 

 とはいえ、芸術家(アーティスト)として大成する人たちは多かれ少なかれ常識から逸脱した感性を持っているからこそ、芸術家(アーティスト)として居続けられる。

 

 「私もそのことは承知しています・・・だから出来上がった原稿は本当に完成度が高くて・・・・・・こんなことを言うのは失礼極まりないですけど、注意を言うに言えないんですよ・・・」

 

 しかし普段人の悪口をあまり言わないような寧々がここまで愚痴を溢すとは、これは中々に溜まっている何よりの証拠だ。

 

 「・・・休日はいつまでだ?」

 「丸一日がっつり休めるのは今日だけです。来週中には下巻のプロットに取り掛かるそうなので、明日にはこちらも下準備に取り掛かります」

 

 “そりゃあ・・・せっかく取れた貴重な休日くらいは思い切って現実を忘れたくなるわけだ”

 

 「とにかく今日は仕事のことは全て忘れて、映画三昧と行こう」

 「はい」

 

 気が付くと最初の目的地となる映画館は、すぐ目の前まで来ていた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「あ~、やっと食えるわこれで」

 「そうっすね」

 

 午後2時近くの昼食の時間にしては遅めの中途半端な時間に、憬と渡戸は西口にあるラーメン店に入り、ちょうど空いていたテーブル席に対になって座る。

 

 「にしてもマジで腹減ったわ~」

 「あれだけ全力で走ってひったくりを捕まえたら腹も減りますよ」

 

 

 

 遡ること1時間前_

 

 「・・・剣さん!?」

 

 憬が名前を叫んで後を追い始めた時には、路地の死角へ逃げていったひったくり犯の男を追う渡戸は男が曲がっていった20メートル先の十字路に差し掛かっていた。

 

 “っていうか剣さん速っ!?”

 

 50M:7.1秒という帰宅部にしては俊足の持ち主である憬を持ってしても、ひったくり犯を追う渡戸の背中はどんどんと離れていく。

 

 “こんなん無理だって・・・”

 

 どんなに自分の中の全力を出そうとも、“これは無理だ”というリミッターが瞬時に頭の中に鳴り響くような感覚。

 

 そのあまりの足の速さに、俺は走り出して5秒ほどで渡戸とひったくり犯の後を追うのを諦めかけた。

 

 「剣さん!!」

 

 それでも自分の中にある正義感を無理やり働かせて何とか追い付こうと全速力で十字路を左へ曲がると、渡戸は既に同じく全速力で走っていたひったくり犯の男に追いつきかけていた。

 

 「は、離しやがれクソ野郎が!」

 

 と思った次に瞬間には、渡戸はひったくり犯の男を取り押さえていた。

 

そのカバンを今すぐ返せよ。じゃないとマジで警察呼ぶけどいいか?

 

 追ってきて自分を捕らえた相手を振りほどいて再度逃げようとする男を冷静に隙も与えず動けないように渡戸は押さえつけている。

 

 闇雲に身体を無理やり揺すりながら暴れる少し小柄な男と、その男を涼しい顔と密着24時で犯人を取り押さえていた本職の人(警察官)も顔負けの慣れた動きで見事に押さえつけるやや大柄な渡戸とでは、体格も相まって優位に立っているのがどっちなのかは説明する必要もないだろう。

 

 “足が速くて喧嘩も強い・・・・・・マジかよ”

 

 この光景を走りながら目に焼き付けた憬は、渡戸剣という男を絶対に敵に回してはいけないということを肝に銘じた。

 

 「憬、これさっきの女の人に返してきて」

 

 自分の元に追いついた憬を目視で確認すると、渡戸はいとも簡単にバッグを男から取り返して気の合うクラスメイトにペンや消しゴムを投げ渡す感覚で女の人のバッグを憬に投げ渡す。

 

 「それより剣さんは!?」

 「俺は大丈夫だから、憬は早く女の人のところに行ってくれ」

 「でも!」

 「行ってくれ

 

 男に何か怪我を負わされたらという心配を“これぐらい余裕だ”と平然とした顔でバッグを女の人の元に返すように目でジェスチャーをして諭す渡戸に、憬は黙って頷くとそのまま逆方向に走って無事にひったくられたバッグを女の人の元へと返し、ひったくり犯の男も渡戸のあまりの強さに降参したのか大人しくなり、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 

 「注文は?」

 「並みの麺固め味濃いめ油少なめで、憬は?」

 「俺はー・・・じゃあ同じで」

 「かしこまりました・・・並み固め濃いめ少なめ2丁!

 

 2人でひったくり犯から盗られたバッグを取り返すという一仕事を終えた後に昼飯を食べるために入った店は、豚骨醤油ラーメンが売りのラーメン店だった。

 

 「・・・あの“中学生”大丈夫かなぁ」

 

 店員がカウンターの奥に入っていくのを確認した渡戸はおもむろに呟くと、店員が持ってきたお冷を一口だけ口に入れる。

 

 

 

 十字路のところで茫然として立っていた女の人の元にバッグ返し再び渡戸のところへ急いで戻るとひったくり犯の男、もといひったくりをした俺とほぼ同い年ぐらいの少年は力なく地面に座り込んでいた。

 

 「・・・学校に行っても俺はいつもクラスの奴らにイジメられるばかりだから・・・何かデカいことをやって見返したかっただけなんだ・・・」

 

 その少年は切羽詰まっているように見えた。俺も蓮と会うまでは、虐めまでは行かないがクラスメイトからは“宇宙人(腫れ物)”のように扱われていたことがあったから、ひったくりに走った意味は理解できないが俺にはとても他人事とは思えなかった。

 

 「他人(ひと)を平気で虐めるような奴なんか、見返そうなんて思う必要はないよ」

 

 渡戸もまた何か思うところがあったのか、その少年を責め立てることはせずに慰めるようにしゃがみ込んで少年の肩に手をかけ優しく語りかける。

 

 「先生には相談したか?」

 「そんなん言えるわけねぇだろ・・・・・・先生にチクったりしたら・・・逆にナメられる」

 

 “あぁ・・・それはすげぇ分かるわ”

 

 小4の辺りからか、クラスや周りでは先生にチクるのは恥だという“謎の風潮”が広がり始めた。

 

 ちょうどその頃、同じクラスに本当に些細なことで担任の先生にチクるクラスメイトがいたが、そいつは“チクリマン”というあだ名を影でつけられていた。いちいちチクるという厄介さと明るい性格が幸いしてか虐めのターゲットにはならかったが、俺と同様にクラスでは浮いた存在だったのを薄っすらと覚えている。

 

 “ていうか俺、さっきからほぼ蚊帳の外だな・・・”

 

 「恥ずかしいか・・・それは先生とか親に泣きつくのは“ダサい”からか?」

 「・・・当たり前だろ。そんなことしてみろ?100パーますますイジメられる」

 「・・・まぁ気持ちは俺も分かるけどな」

 

 そんな蚊帳の外の俺を尻目に、渡戸はひったくりの少年を優しく慰め続ける。

 

 「そうだよ、だから」

 「でもだからって虐める奴らと同じように無関係の他人(ひと)を巻き込んで暴力で見返しても、一番苦しい思いをするのはお前自身なんだよ

 

 そして優しさはそのままに渡戸は少年を叱り、ピシャリと言葉をぶつける。

 

 「なんでここまで自分のことを苦しめた奴らと同じことをやる必要があるんだ?

 

 よく考えてみれば当たり前の言葉でただ叱っているだけだったが、その一言に恐ろしいくらいの説得力を感じた。

 

 「いや・・・その・・・」

 

 それを物語るかのように、ひったくりの少年の眼差しは次第に渡戸の一言一言に向けられ始める。

 

 「・・・俺が間違ってました・・・すいません・・・」

 

 やがて渡戸の言葉に、少年は頭を下げて本気で謝った。

 

 「・・・そうやって自分のしたことを後悔できるってことはそれだけ自分とちゃんと向き合えてるっていう証明だよ・・・逆にそういう人を平気で笑ったり平気で虐めるような奴は、自分と向き合う度胸すらない弱虫だ。気に食わない奴に立ち向かいたいなら1人で立ち向かえばいい話だけど、それが出来る根性がないから人を虐める奴は仲間で寄ってたかるんだよ・・・・・・だからお前はお前を虐める連中よりずっと強い・・・・・・取りあえず次だな。今ならまだ全然やり直せる・・・」

 

 

 

 「なんか・・・ほぼほぼ蚊帳の外で何も出来なくて、すいませんでした」

 

 あれから渡戸は警察に連れて行くことはなく2,30分の説得の末にその少年を解放した。またカバンをひったくられた女の人も中身が何も盗まれていなかったことに加えて急用があったらしく、少年が警察の世話になることはなかった。

 

 「いや、憬が集合場所を横浜の“西口”にしなかったらあの男の子は取り返しのつかないことをしていたよ。だからこれは憬のおかげだ。本当にありがとう」

 

 そして終始俺は傍観者みたいな形で何も出来ずじまいになってしまったが、渡戸はそんな俺を優しくフォローする。

 

 「・・・あぁ、はい」

 

 ただ正直、ここまで来ると理由になってないような気がしなくもないのが本音だ。

 

 だが憬にはそれ以上に気になることがあった。

 

 「・・・でも何で剣さんはあのひったくりを逃がしたんですか?」

 

 色んな事情があるとはいえ、やったことは100%犯罪だ。それでも渡戸は少年を逃した。同情はともかく、またやるかもしれないこともあるから警察に言った方が良かったんじゃないかと俺は思った。

 

 「・・・なんでだろうな・・・・・・ちゃんと反省はしてたからか?」

 「何で疑問形なんですか?」

 

 俺の言葉に、渡戸はどこかわざとらしく考え込む仕草をしながらあやふやに答えを濁らす。やっぱり少年に対して何か思うところがあったということだろうか。

 

 「・・・まぁあれだ。暴力とか人を陥れるようなことに手を出す人間には、必ずそこに至るまでの“きっかけ”があるんだよ」

 

 そして10秒ほど沈黙した末に、渡戸は唐突に“人生論”的な話をぶつけてきた。

 

 「・・・どういうことですか?」

 

 当然俺は理解が追い付かない。だがそんなことはお構いなしに渡戸は水の入ったコップを片手に持ちながら話を続ける。

 

 「例えばさっきの中学生だって、何の理由もなくひったくりなんて真似するわけがないだろ?」

 「俺からしてみればそもそも何でひったくりをしようと思ったのかは謎ですけどね」

 「それは俺も同じだ」

 

 そして俺は俺で、先ほどの全力疾走と同じくどうにか渡戸のペースについていく。

 

 「極端な話だけど、もしクラスで自分が虐められているからデカいことをして見返すためにひったくりをしたって言うなら、クラスでそいつを虐める人がいなかったら、あるいはそうなる前に止められる友達が1人でもいたら、こんなことにはならなかった・・・ってことになるわけだ」

 

 “いじめはなぜ起こるのか?そしていじめを起こさないためにはどうすればいいのか?”

 

 確か2,3週間くらい前に道徳で似たような内容の授業を受けたことをうっすらと覚えている。

 

 「・・・なんか道徳みたいっすね」

 「・・・そうか?まぁいいや」

 「(いやいいんかい)」

 

 そんなことをふと思い出した俺は渡戸にちょっとした小ネタを返すが、まぁいいやの一言で終わらされてしまい、心の中で芸人風にツッコむ。

 

 「と言ってもそんなに単純じゃないのが“人間関係”ってやつなんだよな。それはクラスメイトであっても仲の良い友達同士であっても家族であっても、全部に当てはまる」

 「・・・はぁ」

 

 もちろん渡戸の言っていることが必ずしも正解だとは限らないのだろうが、少なくとも渡戸の言葉は道徳の授業で担任が言っていた言葉以上に、心に深く残る感触がある。

 

 「別に俺の言ってることを全部信じる必要はないよ。これはあくまで俺がそう思ってるだけのことだから」

 

 そんな先輩からの言葉をさも信じ切って聞く耳を立て続ける憬に、渡戸は溜まらず忠告する。

 

 「もちろん分かってます」

 

 無論、憬もそれが全て真実だとは思っていない。

 

 「・・・ちなみに憬には仲の良い友達はいるか?」

 

 憬の表情を確認すると、渡戸は再び話の続きを始める。

 

 「はい・・・多くはないっすけどいます」

 

 元来の性格や人間性が災いしてか俺は友達と言える存在は少ないが、そうだと胸を張って言える存在は“2人”だけだが確実にいる。

 

 「いきなりこんなことを聞くのは難だけどその友達と喧嘩をしたことはあるか?」

 「喧嘩ですか・・・」

 

 俺は記憶を掘り起こす。有島と喧嘩をしたことはまだない、となると蓮か・・・

 

 「・・・喧嘩かどうかは微妙っすけど、本気で怒らせたことは一回だけあります」

 

 

 〝そういう真似をされるのが一番ムカつくんだよ・・・何も分かってない癖に知ったような口聞きやがって・・・

 

 

 

 蓮の出演した映画を観るために2人で渋谷へ行った時、俺は蓮がどのような思いをして自分の出ている映画を観ていたのか全く気付くことが出来ずに心無い気遣いをして余計に傷つけてしまった。

 

 「それから友達とはどうなった?」

 

 蓮が本気で俺に怒ったのはあの時だけだったが、あの日の諍いがきっかけで止まっていた“時計”が再び動き出し、今に繋がった。

 

 「7月に東京に転校してからはあまり会えてないけど、今も変わらず友達ですよ。月2回くらい連絡もし合っているんで」

 「へぇ~、結構仲良いじゃん」

 「いやぁ、普通っすよ普通」

 

 俺たちは芸能人とその友達からお互いに芸能人同士になったが、関係性は全くもって変化なしだ。

 

 「でもそうやってずっと“普通な関係”でいられるのは、実は凄いことだったりするんだよ。友達だとか家族だとか、そういう人間関係はたった一度の些細なミスで全部が崩れることもあるからな」

 

 そんな俺たちにとっての当たり前な関係を、渡戸は少し大げさに話す。

 

 「仮にこの世界で生きている人たちが憬と友達のように“普通の関係”でいられ続けたら人間関係のいざこざは起きない。極端な話だと犯罪だとか戦争だってきっとそうだ。そして俺たちの役柄にあるような虐待や捨て子も生まれない・・・でも現実はいつまでたってもそうはならない。どうしてか分かるか?」

 

 友人関係の話から随分と飛躍したが、俺は渡戸の言っていることの真意を考えるが、

 

 「・・・ちょっと俺には分からないです・・・」

 

 10秒経ってもその答えは出てこなかった。

 

 「だろうな。そんなの俺でも分からないし」

 「・・・えっ・・・剣さんも知らないんですか?」

 

 そして渡戸も、その答えを知らなかった。

 

 「俺どころか本当の答えは総理大臣でも分からないんじゃないか?もし知ってるやつがいたら逆に教えて欲しいくらいだよ。それで“普通を保てる”方法をテレビか何かで発表でもすれば、俺たち人間はこんな苦労はしないだろうしさ」

 

 考えてみれば当然のことだ。道徳の教科書やニュースでどこかの評論家が言っていることが全て正しいとは限らないことぐらい、中学生の俺だって分かる。

 

 「・・・ほんとそうですよね」

 

 正解のない答えを前に、思わず言葉が出てこなくなる。そして何とも言えない沈黙。さて、次は何を聞こうと頭の中で質問を考える。今のところ、渡戸からのアクションに俺が答えるという一方的な展開が続いている。このままじゃ“互いのことを知りながら役と自分との共通点を見つける”という目的を果たせないまま終わってしまい、時間を割いてくれた渡戸に対しても失礼だ。

 

 「・・・そう言えば」

 「ハイお待たせしましたラーメン並み固め濃いめ少なめになります!

 

 憬が質問しようとしたタイミングで2人の間の空気を切れ味鋭い刀で一刀両断するかのように店員がハイテンションな掛け声と共にテーブルに2人分のラーメンを置き、空気は一旦リセットされた。

 

 「・・・ごめん何か言ったか?」

 

 そして店員がカウンターの奥へと再び入って行くのを見計らい、渡戸が沈黙を破りリセットされた空気を元に戻す

 

 「・・・そう言えば剣さんの思い出の“場所”ってどこですか?」

 「・・・・・・あぁ、憬にはまだ言ってなかったな」

 

 そう言いながら渡戸は割り箸とレンゲで麺をほぐしながら憬へ呟くように言うと、

 

 「俺が中学の時まで住んでいただよ」

 

 と意味あり気に一言だけ説明してラーメンを黙々と口へ運んだ。

 




これは補足ですが、ベッケン(渡戸)さんの足の速さは某ハンター並みです。

そしてキャラ紹介を含めると実に32話ぶりに寧々が登場です。お前誰やねん?と思っている方がいましたら、scene6.5の幕間を参照して頂けると幸いです・・・・・・はい。

※追記:今後の展開を考慮してR15タグを追加しましたが、あくまで念のための措置ですのであまり気にしないで下さい。








インビジブルとエスニックしゃぶしゃぶのギャップが激しい高橋さん。
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