或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.38 渡戸剣

 渡戸家の家族は、大手企業に勤める父親と近所付き合いの良い教育熱心な母親に、勉強もスポーツも万能な兄とその弟の俺の4人。

 

 そんな渡戸家は、傍から見ればどこにでもいそうな普通の家族だった。

 

 

 

 もちろんそれは、傍から見ればの話しだ。

 

 

 

 「あなたには人が大切にしているものを壊した“痛み”を思い知る必要があるわ

 

 物心がついた時から、俺は主に母親から酷い“(暴力)”を受けていた。

 

 記憶の中で一番古いのは、母親が大事に使っていた皿を誤って割ってしまった時に母親から皿の破片で頬と右の掌を切り付けられた日のことだ。あの日の出来事は今でもたまに夢で見ることがあり、目覚めた直後は頗る気分が悪くなる。

 

 そして仕事で家を留守にしがちだった父親は終始見て見ぬふりで、時には母親と共に俺に躾という名の暴力を振るっていた。

 

 自分の欲しいものなどは買ってもらえるはずはなく、両親(アイツら)から誕生日を祝われたことすら一度もなかった。そしてどうしても我慢できずに我儘を言うと、身体に痣が出来るまで殴られ、蹴られ続けた。

 

 そして痣が出来ると、

 

 「先生たちに聞かれたら、階段から落ちてケガをしたと言いなさい

 

 といった具合に脅された。本当にあの空間は俺にとって“生き地獄”そのものだったが、まだ小さかった俺にはそれが “虐待”だということに気付けるはずもなかった。“俺が悪いことをするから怒られ、俺が悪いことをしたらぶたれる”というのが、当たり前だと思っていた。

 

 

 

 “・・・父ちゃんも母ちゃんも・・・俺のことなんて何とも思っていないんだ・・・

 

 

 

 10歳を過ぎた頃になると自分の置かれている環境がおかしいことにようやく気付き始めた。数少ない娯楽として許されていた戦隊ヒーローものの世界では正義のヒーローが毎回のように悪を成敗していたが、現実ではいつになっても“悪”は成敗されなかった。当たり前の話だった。

 

 “ヒーローは良いよな・・・最後には絶対に怪人が“負けてくれる”から・・・

 

 だが勉強もスポーツも特にこれといって得意ではなかった俺は両親(アイツら)に立ち向かう勇気はなく、“親の期待に全く応えられないバカでろくでなしな俺が全部悪い”と無理やり受け入れてやり過ごすことで精一杯だった。

 

 「なぁ剣、今からコウスケとサッカーしに行くんだけどお前も行くか?

 

 そんな俺にとって唯一の心の支えになっていたのは、2つ上の兄である(じょう)だった。俺とは対照的に学校では勉強もスポーツも出来るクラスの人気者だったが、そんな兄もまた俺ほどではなかったが両親(アイツら)から厳しい躾けを受けていた。

 

 だが兄は両親(アイツら)とは違い俺や周りに八つ当たりするようなことは全くなく、その憎しみを他の人にぶつけるようなこともしなかった。

 

 「悪い。流石にケーキだとバレるからこれだけになっちゃうけどおめでとう、剣

 

 そればかりか誕生日の次の日、毎年のように祝って貰えなかった俺に駄菓子のチョコレートをこっそりと学校で一箱プレゼントしてくれたこともあった。

 

 「こんなのしか用意出来なくて、ほんとにごめんな

 

 プレゼントを受け取った俺に兄は本気で謝ってきたが、俺にとっては兄がなけなしの小遣いを使って両親(アイツら)の目を盗んでまで買ってきてくれたささやかなプレゼントが、何よりも嬉しかった。

 

 理不尽な言いがかりと暴力を受け続ける日々は、時にふと本気で思い詰めてしまうほど辛かったが、誰よりも優しく誰よりも強い兄がいたおかげで俺は腐らずに何とか耐えることが出来た。

 

 俺にとって兄は、本当の意味で正義のヒーローのような存在だった。

 

 

 

 「誠に残念ですが・・・

 

 

 

 だが中1の冬、兄は警報機の鳴る踏切で転んだ拍子に足を挫いて動けずにいた5歳の子供を庇い、急行に撥ねられた。県内では一番と言われている名門校への推薦に合格した矢先のことだった。

 

 こうして誰よりも尊敬していた“ヒーロー”は、最期まで“誰よりも優しく誰よりも強い兄”のまま俺の前から姿を消した。

 

 「まさか丈が死ぬなんて・・・

 

 いくら躾という理不尽な暴力を振るうことがあったとはいえ、自分の子供が命を落としたことには流石に両親(アイツら)も心を痛めたらしく、特に母親は葬式が終わってからの数日間は食べ物が喉を通らなくなるほど酷く憔悴していた。

 

 手を上げることはあったが、それでも親としての愛情は一応持ってはいたんだなとこの時の俺は思っていた。

 

 もしこれをきっかけに変わってくれたら、この2人のことを家族として許してもいい。もう一度家族として一からやり直したい。

 

 そう思い、願うようになり始めた。

 

 「丈が死んだのは、アンタが出来損ないだったせいだ

 

 些細な意見の食い違いから、微かな希望は無情にも音を立てて打ち砕かれた。葬式から1週間が経ち “正気を取り戻した”母親からは堰を切って罵詈雑言を浴びせ理不尽に俺の身体を何度も叩き、その様子を父親は煙草を吸い新聞を読みながら知らん顔で傍観していた。

 

 

 

 “結局、両親(アイツら)は何も変わってなどいなかった

 

 

 

 「アンタが死んでくれた方がまだマシだった

 

 俺のことをずっと邪魔者としか思っていないことはずっと分かっていた。それでも居なくなった兄のために、動かなくなるまで殴りたいという衝動を必死に抑え込んできた。

 

 それでも母親の言った“あの言葉”で、俺はとうとう限界を迎えた。

 

 「本当にガッカリだわ。これで私たちは“落ちこぼれ”よ・・・

 

 あの一言が何を意味していたのか、そして母親がなぜあんなに憔悴していたのか、一瞬で全てがわかった。

 

 「・・・・・・ざけんなよ

 

 両親(アイツら)には兄に対する愛情なんか微塵もなかった。アイツらにとって兄の丈は自慢の長男ではなく、自分たちの世間体を少しでも良くするためだけの道具に過ぎなかった。

 

 “・・・何のために兄ちゃんはオマエらの為に必死で頑張ってきたと思ってんだ・・・

 

 母親は自分の息子を不慮の事故で唐突に失って憔悴していたのではなく、自分を良く魅せるための道具が使い物にならなくなったことを嘆いていただけだった。

 

 

 

 「・・・返せよ・・・・・・俺たちの人生・・・

 

 

 

 気が付くと俺は母親のことを今まで溜め込んでいた怒りと恨みを一気にぶつけながら力任せに殴りつけていた。そしてそのまま拳を握りながら制止に入ってきた父親も返り討ちにしてやった。

 5科目は相変わらず平凡なままだったが、兄の影響で始めたサッカーのおかげで体格が幾分か良くなり運動神経もクラスで上位に入るくらいには良くなっていた俺にとって、大したフィジカルのない中年2人を相手にするのは案外容易かった。

 

 「・・・なんだよ・・・もう終わりか?

 

 そしてふと我に返ると、今まで散々俺に威張り散らしていた両親(アイツら)は傷だらけになった身体でその場に蹲っていた。

 

 「自分の生みの親に・・・よくこんなひどいことが出来るわね

 

 それでも口だけは相変わらず達者な母親に、怒りの収まらない俺は目障りで仕方のないであろう顔を思い切り近づけ、

 

 「オマエには人が大切にしているものを壊した“痛み”を思い知る必要があるんだよ

 

 と小さかった頃に俺に向けて放った言葉を10年越しにぶつけてやった。一瞬だけスーっと気持ちが晴れるような感覚を覚えたが、それはすぐにアイツらと全く同じ“手口”を使ってしまったことへの激しい後悔に変わった。

 

 「明日の朝までに荷物をまとめて出て行きなさい・・・・・・あなたはもう・・・赤の他人よ・・・

 「・・・あぁ分かった・・・こんな“生き地獄”喜んで出てってやるよ

 

 どうにか怒りの力を借りて無理やり強がって見せたが、心は後悔で押し潰されていた。

 

 

 

 “最悪だ・・・・・・俺

 

 「こんな家族・・・・・・消えて無くなればいい

 

 

 

 こうして俺は家を追い出され、兄の四十九日を待たずして児童養護施設の友生学園へ入所した。

 

 以降この家には、両親(アイツら)が2人ともこの家から出て行き火事で燃やされ変わり果てた姿になる日まで来ることすらなかった。

 

 

 

 

 

 

 「・・・大丈夫か、憬?」

 「・・・俺は大丈夫ですけど・・・・・・剣さんこそ大丈夫ですか・・・」

 

 想像していた以上に壮絶な渡戸の過去を聞かされた憬は、衝撃のあまり返す言葉が見つからなくなるほど動揺を隠せずにいた。

 

 「俺の心配なんかすんなよ。まぁ100パー余裕ってほどじゃないけど、こうやって普通に人に話せるくらいには“受け入れられる”ようになったからな」

 「・・・・・・本当に強いですね・・・俺だったら耐えられる気がしないです・・・」

 

 “俺だったらもう耐えられない”の一言すら安易に思えてしまうほどの“過去”に、思わず言葉が詰まりかける。“人の不幸は蜜の味”ということわざがあるが、そんなものは絶対に嘘だと心の底から思った。

 

 「いや、俺も限界だったよ。だから両親と全く同じ手段をつかっちまった。暴力なんかじゃ物事なんて何一つ解決出来ないってのに」

 

 

 

 今なら分かる。自分の人生を両親や他人への憎しみのために使ってしまうことがどれだけ無駄なことなのかを。だがあの時の俺には、そんな余裕など全くなかった。

 

 

 

 「生まれながらに意図して“悪魔”になろうって人間は誰もいないだろうよ・・・でも無垢な子供は両親っていう目に見える環境に良くも悪くも染まっちまう。そう言う意味じゃ“向こう”も“向こう”で被害者なんだよな・・・分かってんだけどなぁ・・・」

 

 跡形も無くなった空間に残る確かな記憶を前に、渡戸は複雑な感情を抱いたまま独白を吐きながら感傷に浸り、独り言を言い終えると渡戸は顔を下に向けて雑草交じりの地面を見つめたまましばらく黙り込む。

 

 「・・・それから剣くんは、私のところに来たんですよ」

 

 すると沈黙を破る形で、少しだけ距離を置いて思い出の場所に訪れた2人を見つめていた村澤が口を開き、ここから先の話をしていいか渡戸に了承をする。

 

 「いいかい剣くん?」

 「いや・・・ここから先も俺から話させてください」

 

 その了承を渡戸は断り再び自分の過去の続きを話し始めると、

 

 「それとすいません。ほんの少しの間でいいんで憬と2人だけにしてくれませんか?」

 

 そう言って渡戸は村澤を遠ざけようとする。

 

 「分かりました。元々役作りには介入しないという約束ですからね」

 「本当に感謝します。村澤さん」

 

 そして村澤は更地と路地の境界線のところまで離れ、引き続き2人を遠巻きに見守り続けた。

 

 

 

 

 

 

 「渡戸剣です。よろしくお願いします」

 

 俺が大倉中学校に転校したのは、施設に入所してからの話だ。学区内であった上、俺のような事情を抱えた生徒に対しても積極的かつ良心的に受け入れていると聞いたことが大きな理由だった。

 

 「えっ?渡戸ってサッカーやってたの??

 

 同じクラスの連中の中には俺のことを好奇の目で見る奴もいたが、ムードメーカーでサッカー部に入っているクラスメイトが親しく接してくれたことで、俺はすぐにクラスに馴染むことが出来た。

 

 「だったらサッカーやろうぜ!

 

 そしてサッカー部のクラスメイトに半ば強引に勧誘される形で、俺は再びサッカーを始めた。

 

 最初は2か月のブランクのせいでイマイチ調子が上がらなかったがそれもすぐになくなり、夏の地区大会で俺はベンチ入りすることができた。肝心の大会は2回戦で強豪と当たって敗れてしまい、俺自身も試合に出れたのは2回戦の後半10分くらいでこれといったアシストも出来ずに終わってしまったが、仲間と一帯になって1つの目標に立ち向かうという経験とメンバーの温かさに触れ、久しぶりに俺の心に光が射し始めた。

 

 今までの10何年を取り戻すことはできないが、この場所で腐らずに頑張って行くことが助けることの出来なかった兄に対してのせめてもの恩返しになる。そう思い始めた。

 

 だがそんな順調に思えた大中(ダイチュウ)の日常は、長くは続かなかった。

 

 「・・・何するんですか・・・」

 

 大会が終わり最初の登校日、俺はあの大会でレギュラーになれずに引退した3年の先輩2人に、階段から突き落とされた。幸い怪我自体は受け身を取ったおかげで掠り傷と軽い打撲で済んだ。

 

 「お前、マジで生意気だし邪魔」

 「良い気になってんじゃねぇぞクソガキ」

 

 痛む身体を庇いながら立ち上がり、踊り場まで降りて来た先輩2人に突き落とした理由を問い詰めると、

 

 “俺のような途中からノコノコと入った施設出身の奴にレギュラーを奪われて最後の試合に出られなかった

 

 ことの腹いせだと打ち明けられた。

 

 「施設出身は黙ってボール拾いしてろや!

 「何でお前みたいな施設育ちにレギュラーを取られなきゃならねぇんだよカス

 

 2人は何度も俺を壁へと追いやりながら尚も罵声を浴びせる。

 

 

 

 “・・・施設は関係ねぇだろが・・・

 

 「施設は関係ねぇだろが

 

 

 

 感情が昂った俺は踊り場で先輩2人と殴り合いの喧嘩をして生徒指導を食らい、サッカー部の同期たちからは引き留められたが、俺はそのままサッカー部を辞めた。俺はまた、暴力という最悪な手段を使ってしまった。

 

 「おい、アイツじゃね?こないだ学校で暴れたっていう施設出身のやつ?」

 「しかも先輩に逆上して部活辞めたらしいぜ」

 「マジ?ったく施設暮らしで暴力とか救いようがねぇじゃん」

 

 その代償はあまりにも大きく、俺はたった一日で“施設育ちの問題児”として学校中に名前が知れ渡ってしまい、昨日まで普通に話していたはずのクラスメイトからも面倒なことに巻き込まれたくないという理由で徐々に距離を置かれ、俺は完全に孤立した。

 

 「学校生活は辛いか?渡戸君?」

 「・・・そうかもしれないですね・・・」

 

 そして1学期が終わるのと同時に学校にも行かなくなった俺は、施設内の自分の部屋に引き篭もるようになった。

 

 もしもあの時、先輩に歯向かわずに俺を受け入れてくれていた仲間や顧問に相談していたらどうだったのか。少なくとも殴る以外の方法はいくらでもあったはずだ。

 

 でも結局、俺を受け入れてくれた連中も表に出さないだけで心の内ではそう思っているんだろうと思い始めると、唯一独りになった俺を気にかけてくれた同じサッカー部のクラスメイトの “救いの言葉”すらも、何もかもが信じられなくなってしまった。

 

 「もう・・・ほっといてくれ・・・」

 

 周囲の優しさに目を背けた俺は、たった2人の先輩に言われた罵詈雑言が全てだと本気で思い込んでしまい、またしても自らの手で自らの居場所を失くしてしまった。

 

 

 

 “誰を信じたらいいか、分からなくなった

 

 

 

 あの時の俺は、完全に心を閉ざしていた。

 

 

 

 「行きたくないのを我慢してまで学校に行く必要はないですよ。人生は学校や社会が全てじゃないからね

 

 

 

 そんな俺のことを、個別職員として担当していた村澤さんは全て肯定してくれた。最初は彼の言っている言葉がすべて綺麗ごとに聞こえてしまい、きつく当たってしまったこともあった。

 

 「剣くんにとってこの部屋が一番落ち着く場所なら、私はそれでいいと思う

 

 それでも村澤さんは行事はおろか施設の誰とも関わろうとさえせず、食事と風呂の時以外は自分の部屋に引き篭もり続ける俺のことを全部受け入れてくれた。こんな俺のことを受け止めてくれるのは、死んだ兄だけだと思っていた。

 

 「・・・剣くんの人生は、剣くんにしか決められないから・・・」

 

 

 

 “そんな彼の姿が、次第に誰よりも強く誰よりも優しい兄と重なって見えた

 

 

 

 それから1年の紆余曲折を経て村澤さんの優しさに気付き徐々に心を開けるようになった俺は、同じく虐待が原因で入所し不登校だった1つ下の友人の部屋仲間と一緒に他の職員から独学で勉強を教わったり、休日には小学校に通う下の子供たちと施設のグラウンドに出て、サッカーを教えたりしたこともあった。

 

 一方の学業は、結局のところ大中はあれから一度も登校することなく卒業してしまったが、独学で猛勉強した末に施設から電車と歩きで30分ほどの所にある高校に進学し、施設を出た後の自己資金を稼ぐためにバイトを始めたりと、自分なりに外との繋がりも増やしていった。

 

 「剣兄ぃちゃんゲームやろう!」

 「・・・しょうがねぇな15分だけだぞ」

 

 気が付くと俺は、施設で生活している下の子供たちから兄のように慕われる存在になっていた。

 

 「もう一回!もう一回だけ!」

 「ダメだ。15分の約束だったろ?」

 

 だが実際に自分が兄と同じように周りから頼りにされる存在になったことで、どんなに頑張っても尊敬している存在()から俺はかけ離れていることを思い知ることになった。

 

 “・・・こんな時、兄ちゃんだったらどうするんだろう・・・

 

 頼りにされれば頼りにされるほど、兄のように器用に振舞えず相手がパニックを起こしても常套句で宥めることしか出来ない自分の不甲斐なさに気付かされ、いつしか自分が近づくために背中を追っていた兄の存在が重荷のように俺の背中にのしかかるようになってしまった。

 

 “本当に俺は、このままでいいのだろうか

 

 施設と高校、バイト先を往復する一日を繰り返していく度に、その思いは強くなっていった。

 

 俺はまだ、生き地獄(あの家)で過ごしていた時間を過去に出来ていなかった。いつまでもあの時の“光”に依存していた。

 

 

 

 「お父さんが、剣くんとどうしても話をしたいと言っています

 

 

 

 そして通っていた高校が夏休みを迎えた7月の終わり、父親が俺と面会したいと施設を尋ねて来た。

 

 「正直、私としてはお父さんを剣くんに会わせることはあまりお勧め出来ない」

 

 村澤さんからの話を聞いた限り、面会に来た父親の態度からは心からの反省の色が見えなかったという。現状の全てを受け入れ肯定してくれた彼が珍しく、首を縦に振ることを渋ったことが印象的だった。

 

 「ただし、最終的にお父さんと顔を合わせるのか、拒否するかは剣くんに任せます」

 

 何となく面会を果たしたところでロクな結末にならないだろうなという予感は最初からあった。内心では怖くて仕方がなかった。それでもここで父親と決着をつけなければ、俺は前に進めない。

 

 きっとこの時、村澤さんは全てを理解していた。理解をしていた上で、俺を1人の大人として成長させるために選択肢を与えてくれた。

 

 「・・・面会させてください。1対1で

 

 10分ほど悩んだ末、俺は父親と直接会うことを心に決めた。

 

 

 

 「・・・久しぶりだな・・・剣・・・」

 

 3日後、俺は村澤さんとの約束通り施設内の面会室で父親と2年半越しの“決着”、もとい再会を“水入らず”で果たした。

 

 「・・・おう・・・」

 

 久しぶりに俺の前に姿を見せた父親は随分とやつれていて、家庭を顧ず仕事一筋だったあの頃の威厳は見る影も無くなっていた。今まで母親の暴力から一度も守ってくれなかったばかりか共に鉄拳制裁を振るっていたこの男には1ミリも同情の余地はなかったが、ロクな手入れもせずシワだらけになったスーツ姿のサマは、見ていてあまりにも哀れだった。

 

 「・・・しばらく見ないうちに、大きくなったな・・・」

 

 「・・・そうだな・・・」

 

 2年半の時を経て、俺と同じくらいの背丈があったはずの父親は、俺より幾分か小さくなっていた。

 

 「・・・早く言えよ。話したいことがあるんだろ?」

 

 顔を見るだけで、あの頃の記憶が何度もフラッシュバックして1秒でも早くこの部屋から出たくなる衝動に駆られたがどうにかそれを心の中で抑えきり、俺は父親に会いに来た理由を問いかけた。

 

 「・・・実はな・・・」

 

 すると父親は、俺が施設に入所してからの2年半の出来事を話し始めた。どうやら俺が施設に入った後、母親とは喧嘩が絶えなくなって関係は急激に悪化していき、1年前に母親は家を出て行った。おまけに自分も不況によるリストラの煽りで会社をクビになり、挙句には兄弟や親戚含め全員から厄介者扱いを食らってどこも頼るところがなく孤立してしまい食事もまともに買えないほど経済的に困窮しているという。

 

 「・・・こんなことになったのは俺がお前に何もしてやれなかったからだ・・・・・・本当にすまない・・・」

 

 一通りの“不幸自慢”を言い終えた父親は、椅子に座ったまま俺に深く頭を下げて謝った。

 

 そんな自業自得なことを自慢されたところで、そんな謝罪(もの)を受け入れたところで、俺たち兄弟(ふたり)が失った時間を取り戻すことは出来ない。

 

 「・・・・・・今更おせぇよ

 

 本当に心の底から反省して謝っていたかどうかは関係なく、頭を下げた父親を見た俺は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。そもそもあれだけのことをしておいて堂々と許しを請うために会いに来た時点で、先は知れていた。

 

 例え会いに来たのが母親であったとしても、同じだっただろう。

 

 「・・・じゃあな・・・」

 

 あれから二の句が全く出てこなかった俺は、一言だけそう告げて面会室を出ようとした。

 

 「待ってくれ

 

 面会室の扉に手をかけた瞬間、席を立った父親が俺を呼び止め、俺は思わずそこで立ち止まった。今すぐこの父親()のいる空間から離れたい。声すらも聞きたくない。心の底からそう思っていながらも、俺は父親の言葉に反応した。

 

 

 

 どうしてあそこで立ち止まったのか自分でも未だにはっきりと分からないが、部屋を出ようとした瞬間に何かが心に引っかかる感覚に襲われたことは今でも覚えている。

 

 

 

 「・・・剣は・・・ここにいて幸せか?

 

 覇気も抑揚もない消え入りそうな声で、視線の後ろにいる父親は俺にそう聞いてきた。

 

 ここにいて幸せなのか。確かにここにいれば暴力を振るわれることも罵詈雑言で責められることもなく、こんな俺のことを慕ってくれる後輩や親としての愛情を持って接してくれる優しくて強い人たちもいる。

 

 だからここの生活に、何1つの不満もない。でも果たしてこれが、本当に俺が望んでいることなのだろうか。

 

 

 

 “本当に俺は、このままでいいのだろうか

 

 

 

 「・・・分からない・・・・・・でもあんな“生き地獄”よりはよっぽどマシだよ・・・

 

 「・・・・・・そうか・・・・・・良かったな・・・・・・

 

 父親からの言葉を耳に入れ、俺は振り返ることなく扉を開けて面会室の外に出た。

 

 その瞬間、心に引っかかっていた何かが完全に消え去り、今まで感じたことがないくらいに気分が晴れやかになった。

 

 

 

 “これが、俺が家族と交わした最後の会話だった

 

 

 

 それから程なくして父親は実家を売りに出してどこかへと“蒸発”し、文字通り俺の家族は完全に崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 「今日は快晴ですね、剣くん」

 「そうですね」

 

 父親との再会を終え、気分転換に村澤さんと共に施設のグラウンドに出ると、雲一つない青空が俺を出迎えるように広がっていた。

 

 「・・・こんなにまじまじと空を見上げるのは久々です・・・」

 

 俺のことを暴力ではなく優しさで受け入れてくれた村澤さんがいなければ、俺は自分の足で立つことは出来なかった。

 

 自分の力で一歩を踏み出すことも出来なかった。

 

 「・・・村澤さん・・・」

 

 そして快晴の空をふと見上げた時、1つの思いが一気に込み上げた。

 

 

 

 俺はずっと、あの両親に生き地獄(あの家)の中で育てられてきたという過去に囚われ続けていた。“自分の好きなように生きていい”と教えてくれた恩人の優しさに触れながらも、兄に対して何も恩返しが出来なかったことへの負い目で、本当の自分をずっと押し殺してきた。

 

 でも、もう過去を必要以上に背負う必要はない。俺の人生は俺だけのものだ。

 

 

 

 「俺・・・・・・これからは自由に生きたいです・・・

 

 

 

 こうして俺は、今までずっと自分を押さえつけていた渡戸家の“呪縛”から解放された。




冗談抜きで、ReLIFEしたい
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