或る小説家の物語   作:ナカイユウ

44 / 145

本編に登場するスタバは我々のよく知っている“スタバ”とは無関係です。





scene.40 写真

 「今思い出しましたが、仕事以外でスタバに入るのは初めてです」

 「そうなんだ」

 「私がスタバに来るのは基本的にテイクアウトか資料を作りがてらの時ぐらいですので」

 

 午後2時過ぎ。映画館でレオン・フラナガン主演のハリウッド映画『諜報員(エージェント)/ブラックアウト』の鑑賞を終えた憬と寧々は、センター街の入り口にそびえ立つ複合ビル(ランドマーク)の2階にあるコーヒーチェーンで交差点(スクランブル)の人混みを眺めながら注文したドリンクを飲み、次の映画の上映までの時間を潰していた。

 

 無論、映画は“字幕”版の方で鑑賞した。

 

 「でも夕野先生は本当にこういうチェーン店で良かったのですか?」

 「ん?どういうことだ?」

 

 ちなみにこの2人がこうして外食をするのも、今日が初めてのことだ。

 

 「先生ほどコーヒーに拘りを持っている方でしたら、きっとここよりも美味しい店を知っていると思いましたので・・・あぁもちろん私は好きで通っているので、すみません」

 「大丈夫だよ謝らなくて。あと俺は言うほどコーヒーに拘りは持ってないから」

 

 自分の中で奢って頂いている分際で失礼なことを言ってしまったと頭の中で即座に反省する寧々を、憬は優しく慰める。

 

 「・・・そもそも不味い店ならどんな好立地でもとっくに潰れているさ」

 

 コーヒーの香りが立つ昔ながらの喫茶店の方が好きだという意見は分かる。だが店で出している商品の美味の甲乙に、チェーン店も個人経営の店も関係ない。それは人それぞれの好みの問題であって、どちらが劣っているかということを決めつける権利は専門家でもない第三者には存在しない。

 

 「チェーンの店でも美味い(ところ)は美味いのだ・・・」

 

 交差点を眺め独り言を呟きながら、憬は自らが注文したドリップコーヒーを口へ運ぶ。

 

 「なるほど・・・勉強になります」

 「別に今のは参考にしなくていいんだけどね」

 

 そして憬の言葉に感心した寧々も、同じように交差点の方角を眺めながら自ら注文したコーヒーフラペチーノを口へと運ぶ。

 

 「・・・あの・・・今日は夕野先生とこうして休日を過ごせて本当に良かったって思います」

 

 互いに思いに耽り暫しの沈黙が流れたのち、右隣の席に座る寧々が言葉を紡ぐように口を開く。

 

 「そうか・・・・・・ちょっと大袈裟な気もするけどそれは良かった」

 「大袈裟なんかじゃないです」

 

 これからもう一本映画を観るというのにまるで帰り際のような台詞を放った寧々に内心で意表を突かれつつ俺は謙遜しながら感謝を告げると、彼女は真っ直ぐな眼を向け即座に正直な気持ちを言葉にして伝える。

 

 「久しぶりに気分転換が出来たというのもそうですけど、何より小説以外の先生の一面を見れたような気がして、色々と新鮮な気分です」

 「・・・確かに阿笠さんとは仕事以外でこうやって一緒に会うってこと自体なかったからな」

 

 俺はプライベートも含めて仕事以外で寧々と会ったことは一度もない。元々俺自身、創作の気分転換でこうして街に出て映画を鑑賞したりすることもあるが、無論その場合は誰も誘わずに1人で気の思うままに映画館をはしごするような一日を過ごしている。

 

 「基本的にプライベートは1人で過ごしているからな、俺」

 

 まぁ本音を言ってしまうと、一緒にプライベートを楽しみたいような人間が周りには誰一人いないというところが真実だ。

 

 「確かに先生は普段から基本的に“お一人”のイメージが強いですからね」

 「・・・今のは“良い意味”として捉えていいんだな?」

 

 それにしても、寧々と仕事以外の会話をしていると色んな意味で油断ならない。

 

 「良いも何も、私は先生のことを悪く思ったことはありませんが?」

 

 俺からの言葉に、寧々は何一つ曇りのない真っ直ぐな瞳で再び答える。

 

 「あぁそう・・・なら良いんだけど」

 

 彼女の言葉は何一つ悪気のない純粋で正直な気持ちなのは分かっているが、あまりにもそれが愚直過ぎて時折面を食らってしまう。

 

 「こう見えて私も、1人の時間を大切にしたい“クチ”ですから」

 

 そんな悪気のない正直者である寧々はある意味、天知や百城以上に(タチ)が悪いのかもしれない。

 

 「・・・まぁ1人になる時間は何より大事だからな・・・」

 

 人は1人では生きていけないという言葉をどこかで聞いたことがあるが、どんなに気の合う誰かといることが楽しくとも、隣に誰かがいるという状況が1分1秒とずっと続いていけば大なり小なり心と身体が疲弊していくものだ。

 

 だから時には、周囲の情報や雑踏を全てシャットアウトすることも必要なことだ。そうして1人になる時間を設けて “リセット”することで、人は自分自身を保てる。

 そして自分自身を保つということは、この世界を“普通に生きていく”ことにおいて最も重要なことだ・・・と今の俺は思っている。

 

 「?」

 

 再び外の景色に目をむけた瞬間、寧々のほうから着信音のような音が流れた。

 

 「うわ宮武先生からだ」

 

 すると寧々はやや面倒そうな表情をしながら2コールが終わると同時に宮武からの電話に出る。

 

 「はいお疲れ様です、阿笠です」

 

 宮武からの電話に出た瞬間、寧々はカメラが回ると同時に役に入り込む役者のように一瞬で愛想笑いを浮かべ応対する。

 

 だが彼女が連絡先を確認して電話に出るまでの一瞬だけ、今まで俺に見せたことのないような“無防備”な感情が垣間見えた。

 

 「はい・・・・・・明後日の打ち合わせは14時から真蝶社であっていますよ・・・・・・はい・・・いえいえ・・・ではまた月曜の14時に、はいお疲れ様でした、失礼します・・・・・・はぁ~・・・」

 

 宮武との30秒程度のやり取りを終えると、寧々は電池が切れたかのように力なく溜息を吐きながらテーブルに突っ伏す。

 

 「・・・仕事の電話か?」

 「・・・はい・・・月曜日の打ち合わせ日程の確認の電話でした・・・・・・取りあえず急な仕事の依頼じゃなくてひとまずは良かったです・・・完全に今日は休日(オフ)のつもりでパソコンも持たずに来ましたので」

 

 分かりやすくうなだれるように突っ伏した寧々に気を遣いながら言葉をかけると、彼女は安堵の表情で宮武からの電話の内容を話す。

 

 「・・・そりゃあ今日は貴重な休日だしな・・・」

 

 相変わらず、寧々は自分の中にある正直な気持ちを言葉にして俺に伝えてくる。だがここまで何も着飾らない “無防備な感情”を視たのは、初めてのことだ。

 

 「・・・宮武先生(向こう)のほうからこの時間がいいって言ったからアポを取ったのに・・・それぐらい自分で覚えておいてくださいって話ですよ・・・・・・」

 

 そんな彼女に、まるで無粋な心が浄化されていくような不思議な感覚を覚えた俺は、この感情をヒントとして収めようと隣で突っ伏すように座り外を眺める寧々にバレないように自分のスマートフォンを取り出してサイレントモードに切り替え、カメラを立ち上げピントを合わせる。

 

 「・・・・・・?」

 

 アプリのシャッターを切った瞬間、レンズの先で外を眺めていた寧々の視線が不意にこちら側を向いた。

 

 「・・・何撮っているんですか?先生?」

 

 いつもなら曇りのない純粋な瞳で俺のことを視てくる彼女が、珍しく疑心の眼でこの俺を見つめる。

 

 「・・・珍しいなって、思ってさ」

 「珍しい・・・何がですか?」

 

 無論、彼女のような正直者に小細工は通用しないことを分かり切っている俺は、素直に感じたことを寧々に打ち明ける。

 

 「・・・阿笠さんがここまで俺に心を開いた“顔”をしたのを今まで見たことがなくてさ・・・・・・何というか・・・すごく “無防備な感情(かお)”をしていた・・・」

 

 俺が今までで一番の馬鹿正直な気持ちを伝えると、寧々はフリーズしたように静止したまま俺の目を数秒ほど見つめ、そのままいかにも頭上に(はてな)マークが付いているかのように首を傾げる。

 

 どうやらというよりやはりか、俺の言葉は寧々にはイマイチ伝わらなかったようだ。

 

 「・・・・・・ごめんなさい。先生の言葉があまりに“文学的すぎて”私には理解が追い付きませんでした」

 

 そう言い終えると寧々は、姿勢を正して再び視線を外の雑踏へと移す。

 

 自分で言っておきながら“俺は何を言っているんだ”という感情が脳内に入り込んで来た俺は、一旦余分な感情をリセットするため交差点を歩く人の群れに目を向ける。

 

 「・・・別に今のは」

 「変な意味で言ったわけじゃないことだけは分かっています。先生は自分に“正直な人”なのは私も知っているつもりですから」

 

 “今のは変な意味じゃない”と言いかけた俺の言葉を遮り、寧々はあたかも全部お見通しだと言わんばかりに視線を外に向けたまま気持ちを代弁する。

 

 “・・・正直者のあんたがそれを言うか・・・”

 

 俺以上の正直者から正直だと言われる筋合いがあるのかは微妙なところだ。

 

 「・・・あぁ・・・それが伝わったんならいいよ」

 

 だが、何1つの嘘がない寧々の正論を前に、俺はそれを甘んじて受け入れる。

 

 「“無防備な顔”の意味はよく分かりませんでしたが・・・・・・先生からそういうふうに言って頂けて・・・何だかここまで頑張ってきて良かったなって、思いました」

 

 そして正直者の寧々は素直な気持ちを打ち明けると、徐に繁華街の隙間から覗く薄曇りの空を見上げる。

 

 「そうか・・・・・・でも無茶はするなよ」

 

 当たり障りのない励ましを送り、隣に座る寧々と同じように薄曇りの空を見上げながらドリップコーヒーを口へ運ぶと、熱を帯びていたはずのコーヒーが少しだけ温くなっていた。

 

 

 

 「さて、そろそろ行くとするか」

 

 白昼の繁華街を眺めるようにティータイムを送ること約30分。俺たちは席を立ちドリンクを片付けレンタルショップとの境界線となる出入口へ歩みを進める。

 

 「・・・ついに、夕野先生の鑑賞する映画が見れるのですね」

 

 後ろを歩く寧々が、少しだけ緊張したような様子で俺に話しかける。

 

 「何で緊張してるんだよ?もしかして俺の観ている映画がつまらなかったらどうしようとか思ってる?」

 「いえ!そんなことは全く・・・」

 

 この反応から察するに、どうやら俺の勘ぐりは図星のようだ。気を遣って使い慣れない嘘を吐こうとしてもついつい元来の正直さが滲み出てしまうあたりが、何とも彼女らしい。

 

 「・・・取りあえず好みに合わなかったら合わなかったで、“新たに俺の一面を見ることが出来た”ってことにしておけば良いと思うよ。映画や小説の好みなんて人それぞれだからな」

 

 左斜め後ろの彼女に咄嗟に思いついたその場しのぎの言葉をかけるが、俺は自分の選択した映画に後悔していた。

 

 “ハリウッドのアクション映画からの日本のノワール映画か・・・・・・”

 

 もちろん彼女がまさかアクション映画である『諜報員(エージェント)』シリーズを観るとは全く予想していなかった俺は、その時の気分で本当に観たかった映画のチケットを2枚予約していた。

 

 

 

 『微笑の阿修羅-FINAL-』。今から8年ほど前に公開されR15+指定ながら興行収入15億のヒットを飛ばし反響を呼んだ、指定暴力団『百舌組』の構成員にして“微笑の阿修羅”の異名で恐れられるヒットマン・神田威(かんだたけし)を主人公に裏社会で蔓延る抗争や人間模様を描く任侠映画『微笑の阿修羅』シリーズの3作目にして完結編である。

 

 5年前に公開された第2作の続きを描く本作では前作の5年後を舞台に、幹部からこれまでの成果を評価され直系の三次団体にあたる組を任されていた神田が、クーデターによる混乱の末4代目組長・横澤信弌郎(よこさわしんいちろう)が凶弾に倒れた『百舌組』の危機を救うため、クーデターの元凶であり『百舌組』の崩壊を目論む指定暴力団『天城會』との全面抗争に身を投じる・・・というストーリー。

 

 ちなみにこの映画(シリーズ)で“微笑の阿修羅”こと神田威を演じているのが任侠映画御用達のヒール俳優でお馴染みの白石宗(しらいしそう)であることは、もはや説明する必要はないだろう。

 

 元々彼は素の性格に近しい “善人役”ばかりをあてがわれ役の幅が狭いという不等な評価を長らく受けていたが、8年前に公開された第一作で魅せた “優しい笑みで強敵を相手に容赦なく追い詰めていく異質な恐ろしさ”を見事なまでに体現した狂気的な演技で大きな話題を呼ぶと共に “良い人しかできない”というイメージを根底から覆すことに成功し、本人のキャリアにおいても大きな転機となった。

 

 

 

 もちろん“良い人ばかり”を演じていた頃の彼を知っている俺にとっても、初めて観た時の衝撃は中々のものだったが、今はどうでもいい。

 

 “俺としたことが・・・思いっきり選択を誤った・・・”

 

 ただでさえ大迫力な“レオン様とリッキーの死闘(アクション)”を観た後に、“白石宗の狂気”を観る羽目になるとは。しかもどちらも上映時間150分の大作である。

 

 俺からしてみれば、焼肉と大盛りのラーメンと寿司を一遍に食べて空腹を満たすような感覚に近い。一つ一つの味は抜群に美味いだろうが、欲張って一気に腹へ流し込めば確実に胃もたれするだろう。

 

 少なくとも俺にとって映画を鑑賞するということはそういうことだ。同じようなジャンルや同じようにエネルギーを消費する映画を立て続けに観ると、少なからず五感は疲弊する。だから俺は一日に多くて2つ、そしてジャンルを切り替えることを心掛けている。

 

 「そうですよね・・・分かりました。これから先生がどんな映画を観ようとも、私は最後まで飽きずに見届けます」

 「言っとくけどそもそも映画は無理して観るようなものじゃないからな」

 

 そんなことなどつゆ知らずの寧々は、斜め前を歩く俺に向かって決意を固める。

 

 「・・・まぁそんなに覚悟を決めたんなら楽しみにしとけ・・・多分びっくりするから」

 

 彼女の顔を横目で見て覚悟を決めたことを察した俺は、再び視線を前へと戻す。

 

 “・・・ん?”

 

 視線を再び前に戻したその瞬間、明らかに見覚えのある少女がエスカレーターから俺たちの方へと向かって歩いていた。

 

 “・・・何で百城(こいつ)がこんなところに・・・”

 

 帽子に伊達眼鏡にマスクと見事なまでの“変装コーデ”で武装していたが、その少女が百城であることは一瞬で分かった。そして向こうもそれに気付いたのか、俺が百城を認識したのと同時に彼女の視線が俺の目を捉える。

 

 “「(白昼堂々ロクに変装もせずほっつき歩くなんて、夕野さんは大胆だね)」”

 

 と心の中で言ったかどうかは確証が持てないが、目が合った瞬間に百城は俺に向かってそう言いたげにウインクをしてきた。

 

 “「(同じように渋谷(こんなところ)にノコノコとやってきたやつがそれを言うな)」”

 

 そのウインクに、俺は目で言葉を返す。

 

 “・・・?”

 

 更によく見ると、百城は誰かと手を繋いでいる。女友達だろうか?

 

 “『造花は笑う』の撮影開始(クランクイン)までもう時間がないだろうに、渋谷(こんなところ)で女友達と何を呑気に遊んでいやがる・・・”

 

 と心の中で呆れた矢先、俺は百城の隣で手を繋いで歩く女友達の正体に気が付いた。

 

 “・・・彼女どこかで・・・”

 

 

 

 “『カァァァット!!達人かお前は!!「初めて1人でキッチンに立った少女の役」だぞ!?真剣にやれよ!!』”

 “『真剣よ!!味見してみる!?』”

 “『「真剣に作れ」じゃねえ!「真剣に演じろ」ボケ!』”

 

 

 

 思い出した。33歳の誕生日、黒山がプレゼントとして持ってきた“生まれて初めてキッチンに立った少女”のメイキング映像。あの時、画面(ディスプレイ)の中に映っていた彼女の魅せた横顔は、未だに強烈なインパクトとして頭の中に残り続けている。

 

 “夜凪景・・・・・・そんな彼女が何故ここに?”

 

 「ねぇ千世子ちゃん、じゃなかったカレン?ここが噂の・・・何だっけ?

 「“スタバ”だよ。もうほんとケイコって何も知らないのね

 

 “片方”はともかく一応芸能人としての自覚はあるのか、2人が“偽名”を使って互いの名前を読んでいるのが微かに耳に届く。

 

 

 

 “『いずれにしろあの2人が互いを“意識し合う”関係になりつつあるのは“私たち”としても良いことだ』”

 

 

 

 “なるほど・・・・・・そういうことか・・・”

 

 気が付くと俺はその場で立ち止まり、夜凪の姿を目で追っていた。

 

 黙っていれば容姿端麗な美人そのものなのに、一言でも喋り始めたら独特な彼女の“世界観”に周りは振り回され、そしてひとたび芝居に入れば超人的なメソッドを武器にその場の空気を一瞬で掌握する、規格外の役者(怪物)。そんな彼女のバックボーンを支えているのは、どこにでもいる1人の少女の人格を形成したであろう、ありとあらゆる感情の記憶。

 

 

 

 “だが・・・夜凪(彼女)からは何も視えない

 

 

 

 あのCMを観ただけで、夜凪景の全てが分かったはずだった。それぐらい愚直で真っ直ぐな感情だった。だが彼女のことを視ようとする度に、いきなり靄がかかって何も分からなくなってしまう。

 

 現にこうしてすぐ近くにいても、夜凪(彼女)からは何も視えてこない。

 

 

 

 “この感覚の正体は一体何なんだ・・・?

 

 

 

 「・・・せい・・・夕野先生?」

 「・・・・・・おぉどうした?」

 

 さっきまで後ろにいたはずの寧々が目の前で俺の名前を呼び、6月30日に遡っていた意識がふと我に返る。傍から見れば、今の俺は人前で我を忘れて堂々と女子高生をガン見していたことになる。

 

 無論、断じてそんなことは神に誓ってあり得ないが、我ながら最高に気色が悪い。

 

 「どうしたも何も急に立ち止まって入り口の方をずっと見ていらしたので、何か店内に忘れ物でも?」

 

 ただ不幸中の幸いなのは、寧々も含め誰一人そのことに気付いていないということだろうか。そしてさり気なく再び視線を店内に向けるが、2人の姿はとっくに奥の死角に消えていた。

 

 「・・・いや、何でもない。行こう」

 「あ、はい」

 

 ひとまず俺たちは次の映画を観るため、ランドマークを後にした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『この後は、ブロードキャスト7DAYS(セブンデイズ)。1週間のニュースを、まるごと総まとめ』

 

 夜の10時前。自室のリビングで55型テレビをラジオ代わりにして少し遅めの夕食をテーブルに並べる。

 

 「・・・はぁ・・・」

 

 特に意味のない溜息を吐き、冷蔵庫から缶ビールを取り出し白飯の乗った茶碗の隣に置く。

 

 テーブルの上には豚肉の生姜焼きにカットされたキャベツとミニトマトを適当に添えただけの手抜き飯。元々自炊はするが味や食材には特に拘っていないアラサーの独身男の料理なんて、ざっとこんなものだろう。

 

 「・・・いただきます・・・」

 

 唯一決めていることと言えば、食べる前に食材となった“命”にこうして感謝を述べることぐらいだ。

 

 カチャッ__

 

 命への感謝を述べ、さっそく良い具合に冷えたビールの蓋を開けて流し込むと、特有の苦味とも似つかない味わいが口に広がり、その余韻がスッと消える寸前のタイミングを図って生姜焼きを口へ運び、間髪を入れずに白飯も食らう。

 

 「・・・うん。うまい」

 

 適当に作った自前の料理は特別に美味いわけではないが、こういうそこそこな出来栄えの料理をビールをお供に食べると、普段より2割増しほど美味く感じるのだ。

 

 “・・・取りあえず何事もなく終わって良かったな・・・”

 

 そして不意に俺は、『微笑の阿修羅』のことを再び思い返す。

 

 

 

 “「今までこういう類の映画はグロデスクで残酷なだけかと思っていましたが、何と言うか・・・この映画で任侠映画に対する見方が大きく変わりました。本当に勉強になりました」”

 

 

 

 何が勉強になったのかはともかく、寧々はエンドロールが終わりスクリーンに照明が灯るまで物語から目を離すことなく、最後まで阿修羅の生き様を見届けた。おまけに駅までの帰り際に“「DVDを買って残りの2作品も観ようと思っています」”と言っていたあたり、どうやら思った以上に気に入ってくれたようだ。

 

 「その代わり自分の見地を広げるために映画を観るなら、1つのジャンルに拘らず色んな作品(ジャンル)を観とけよ」

 

 ただこれがきっかけで寧々がノワール映画やVシネマに目覚め過ぎて知識が偏らないように、俺は一応の警告を付け足した。良くも悪くも真面目で従順な彼女のことだから、恐らく真に受けてくれていることだろう。

 

 俺にとって映画鑑賞とは、趣味であり“研究”の意味も兼ねているからだ。

 

 

 

 『こんばんは、夜10時になりました。ブロードキャスト7DAYS(セブンデイズ)、本日も最後までお付き合いください』

 

 映画鑑賞を思い返しながら、俺は土曜夜10時のニュース番組に半ば視線を向けつつ夕飯を口へ運び続けていたが、次にメインキャスターの放った言葉で俺は思わずその手を止めた。

 

 『さて江連さん?今日の午後にとある大物若手女優の方が渋谷に出没してちょっとした騒ぎになったことはご存じでしょうか?』

 『そりゃあもちろん知ってますよ~、でもすぐ言っちゃったらつまんないからパスで』

 『あの江連さん、別にクイズ番組をやっている訳ではないので答えを言って頂いても大丈夫ですよ』

 『逆に斎川さんはどうです?分かります?』

 『えぇ~大物若手女優、ですよね・・・え~誰ですかね?まず若手ってだけで相当数いますからねぇ~』

 

 番組のメインキャスター2人を中心にコメンテーターをも巻き込んだ茶番が展開される中、俺はその大物若手女優が誰なのかが直ぐに分かった。

 

 『大物若手女優という表現はちょっと正しくなかったかもしれないですね・・・ヒントは、“天使”です』

 『それモロ答えじゃないですか東さん』

 

 「?」

 

 メインキャスターの1人がほぼ答え同然のヒントを言うのと同時のタイミングで、テーブルの端に置いていたスマートフォンが鳴った。

 

 

 

 “百城千世子

 “おつかれさまです”

 

 “百城千世子が「夜凪さん」アルバムを作成しました”

 

 

 

 「・・・あいつ・・・」

 

 ホーム画面に表示されたアプリのトークメッセージに、思わず溜息交じりの声が漏れる。

 

 “・・・こんな時に何やってんだよ・・・”

 

 心の中で毒を吐き、このリビングで1対1の話し合いをした時に交換して一言だけ挨拶を交わして以降ご無沙汰になっていた百城のトークを開き、彼女の送ったアルバムを開ける。

 

 “・・・夜凪景・・・”

 

 そのアルバムの中に写っているのは、センター街で口にクリームが付いたままクレープを食べ歩く夜凪、カラオケルームで何かを歌っている夜凪、百城と一緒に仮装して慣れないピースをプリクラのカメラに向ける夜凪、ゲームセンターで真剣な横顔でUFOキャッチャーをプレイしている夜凪・・・・・・etc.

 

 「ただの休日じゃねぇか」

 

 百城が送って来たアルバムに入っていた数十枚の写真の正体は、普通に休日を満喫する17歳の少女を時系列に写した“プライベート”だった。

 

 正直言って夜凪にだけ送ればいいような “内輪ネタ”を俺に送られたところで、どうしろと言うのだろうか。

 

  “ん?・・・この写真は何だ・・・?”

 

 そんなアルバムの一枚目の写真に、俺は思わず再度目を止める。その写真が視界に入った瞬間、百城がなぜ俺にわざわざこんな“意味のなさそうな”アルバムを送り付けたのか、その意図が分かり始めた。

 

 

 

 

百城千世子

 LIMEオーディオ

 

 

 

 「・・・何だよ」

 

 思考回路を一時的にシャットアウトするような形で、そのアルバムの送り主から通話が掛かる。全く、さっきからタイミングのいい奴だ。

 

 「ハイ夕野です」

 『お疲れ様です、先生』

 「気安く先生と呼ぶな」

 

 開始一秒、無駄に澄み渡った綺麗な声色が受話口(スピーカー)を通じて鼓膜に纏わりついてくる。メッセージではなく敢えて通話で掛けてきたのは、言い逃れできないようにするためだろうか。

 

 「それよりちょうど今ニュースでやってるけど渋谷で変な騒ぎを起こしたらしいじゃないか?」

 

 ちょうどその時ニュースでは、渋谷で起こった騒ぎのトピックを解説していた。

 

 『えっ?あ~あれね』

 「あれねじゃないだろ余計な真似しやがって」

 

 メインキャスターの解説曰く、俺と寧々がコーヒーを飲んだあの2階の店で百城が突然変装を解いてセンター街を歩く人混みに手を振り、その画像や動画がSNSを通じて拡散されて行き、瞬く間にトレンドを独占したという。当然俺は寧々と共に映画を観ていたこともあり、今この瞬間までそのニュースを知らなかった。

 

 『随分と心配してくれるんだね夕野さん?』

 「当たり前だ。このタイミングで仮に問題を起こされたら“こっちの仕事”に悪影響が出るだろうからな」

 

 しかし当の本人はというと、全くの他人事のように受け流すばかりだ。今日のような騒ぎは一回ならまだしも、何度もああいう不必要な騒ぎを起こされたら溜まったものではない。

 

 “俺たちの映画”が絡んでいる現状を踏まえれば、尚更だ。

 

 『・・・うん。まぁあれは私もちょっとやり過ぎちゃったって思ってるよ』

 「ちょっとどころの話じゃないと思うぞ」

 

 スピーカーの向こうで百城は一応の反省を述べるが、そこに後悔という感情はない。

 

 『でもこうでもしないと“夜凪さん(ともだち)”がいつまでもグズグズしたままだったからさ・・・もちろん私だってただ遊ぶために渋谷に行ったわけじゃないし』

 

 反省を述べたのち、百城は渋谷に来た本当の理由を明かし始める。無論、彼女が只々一緒に休日を満喫するためだけに夜凪を誘うわけがないことは、すれ違ったあの段階で予想はしていた。

 

 「・・・役作りか・・・人を殺したことをひた隠して友人と遊ぶ女子高生を演じるための・・・」

 

 少し考えてみればそう難しいことではない。“普通”を装う感情を知るには、“役作り”をしていることを隠して“友達”と普通に遊べばいいだけの話だ。

 

 『・・・あぁ・・・確か天知さんから“造花は笑う(あの映画)”の話を聞かされてるんだっけ・・・そりゃあ分かって当然だよね』

 「何だ知ってるのか?」

 『ご本人からついでで教えてもらった』

 「・・・なるほどな」

 

 ちなみに『造花は笑う』の件を俺が把握していることも百城には筒抜け、もとい天知から事情を一通り聞かされているらしい。いかにも用意周到で抜け目もない天知(あいつ)らしいやり方だ。

 

 『・・・それよりアルバムの中身はちゃんと見てくれた?』 

 「アルバム?・・・送ってきたやつのことか?」

 

 すると今度は送られてきたアルバムの話に半ば強引に移される。百城の口調からして、こっちが“本題”なのだろう。

 

 「・・・わざわざ何の関係もないはずの俺に“友達”の写真を送り付けたってことは、何か意味があるってことだな?」

 

 百城と通話しながら右上のアイコンを押してトーク画面に戻り、アルバムを開いて写真の中の夜凪を再び視る。

 

 『うん。そうなるね。何でだと思う?』

 

 人の神経を逆撫でするかのようなわざとらしい口調で、百城が逆質問を仕掛ける。これが“わざと”なのは分かっているが、分かっていてもイラっとくる。

 

 「・・・さぁな、俺にはさっぱりだ」

 

 恐らく百城はすれ違った時、俺が夜凪の感情を視ていたことに気付いている。一見何の意味も持たないような夜凪のプライベートを写した写真を俺に送り付けたということが、揺るぎない証拠だ。

 

 『・・・ホントは全部分かってる癖に・・・夕野さんは大人げないなぁ』

 

 

 

 “・・・人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?・・・

 

 

 

 記憶の中からすっかり剥がれ落ちてしまった小説家の男が言っていた、俺の記憶の中に残り続けている唯一の言葉と、謎の絵画が意味する“感情”。その意味にものの数秒で辿り着いた百城の勘の鋭さを考慮すれば、決してあり得ない話ではない。

 

 「・・・何であんたら女優って生き物は喰えない連中ばっかなんだか」

 『フフッ』

 

 俺の放った皮肉に、スピーカーの先から挑発するような小悪魔的な笑みが返って来る。

 

 『これでも一応、コーヒーを頂いた時の恩返しのつもりだったんだけどなぁ・・・やっぱりこれだけじゃ先生は満足できないかぁ~』

 「・・・恩返しか・・・・・・じゃあせっかくだから、俺の方からも1つだけ“ためになる話”を聞かせてやる・・・」

 『・・・うん。聞かせて』

 

 役者として生きるという“宿命”を課せられた人間は、誰も彼もが多少なりとも“狂っている”。自ら進んで別人を演じるということは、そういうことだ。

 

 「・・・1つの物語を作り上げていくピースは、ふとした日常に転がっている。ヒントになるものはどんな些細なものでも利用する。それが例え他人の人生であっても・・・

 『・・・・・・何の話?』

 

 

 

 “百城を視ていると・・・・・・やはり“あいつ”の姿が脳裏にちらつく・・・”

 

 

 

 「・・・・・・俺たち“芸術家(アーティスト)”の生き様の話だよ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 『・・・・・・あんたもそうだろ?・・・百城?

 「・・・・・・さあ?・・・どうでしょう?

 

 

 

 自身が小説家で在るための“座右の銘”を用いて夜凪の感情を視たことを打ち明けた憬に、千世子は昨日の深夜にこっそり撮った布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔眺めながら不敵な笑みを浮かべた。

 




「上手く行かないもんやな、人生。」

そう嘆いてみても、社会という世界を前にすれば全てが言い訳になってしまう。

2年目を迎えてから、溜息の数は倍以上に増えた。2年目を迎えてから、俺は社会に適合できない側の人間じゃないのか?と自問自答する回数も増えた。

2年目を迎えても、イレギュラーな事態には全く対応できない。社会人として生き続けていく不安というものは、減らないどころか日に日に大きくなっていく。

それでも生きるためには社会で働き続けなければならないし、衣食住の揃った生活を続けるためには嫌でも気持ちは切り替えなければならない。

だったらこんなの書いてないで本業にもっと力を入れろと言われても仕方ないかもしれない。そもそもこれは単なる甘えなのかもしれない。実際にそれを言われたら何も言い返せない。でも書かなかったら自分を出せる場所もない。

この状態が続くことは決して身体にも心にも良くないことは分かっているけれど、これが今の現状。それでも自分を出せる場所があるおかげでどうにか俺は自分を保てていることだけは確かだ。

そもそもこうして自分の書いたものを表現できる時間を何とか確保できている時点で、俺は本当に恵まれているのかもしれない。

ということで、今日はこの場を借りておもくそに愚痴を吐いてしまい本当にすみませんでした。

それと引き続き超個人的な見解ですが、仕事が楽しかろうが辛かろうが、とにかく何でも良いので自分という存在を自分勝手に発揮できるもう一つの居場所を作ってみてください。お金にならなくても、誰かのためになるようなことじゃないとしても、そういう居場所を作って発散することは生きていく上で絶対に必要なことだと思います。













新社会人のみんな、“自分のペース”で生きろ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。