或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.41 それぞれの夜

 その人は、撮影スタッフの人たちが忙しそうに動き回るセットのど真ん中で、どこかを見るわけでもなく、無機質な病室のセットの天井をただ見上げていた。

 

 何を思ってこんなことをしていたのかは全く分からなかったが、無心になって真っ白な天井を見上げるその人の横顔は、子供心ながら今まで見たことがないくらいに純粋で綺麗だった。

 

 “「それではテスト入ります!」”

 

 助監督の合図がかかると、その人は目を閉じて下を向き立ったまま眠っているかのような姿勢で数秒ほど静止して、ゆっくりと目を開けた。

 

 “その瞬間、撮影現場全体の空気が一気に変わった

 

 ほんの数秒ほど前まで透き通るようなハイライトのかかっていた(あか)い瞳は一瞬で光を失い濁りきり、纏う空気から“正気”の二文字が消え失せた。生まれて初めて目撃した、1人の人間が別人に切り替わる瞬間。人知を超えた領域に立つ、“本当の役者”。

 

 “・・・これが役者・・・”

 

 カメラが構えた先にある、女性の顔のデッサンが描かれたスケッチが置かれたベッドテーブルのついた病室のベッドにその人が座ろうと振り返った間際、不意に私と目が合った。

 

 “「・・・!!」”

 

 病室のドアの先、スタッフや機材を挟んだ向こう側にいるはずなのに、まるで鼻先まで顔を近づけられたかのような錯覚に襲われ、私はその場で尻餅をついた。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 主人公と生き別れた年の離れた妹役で出ている私を、勉強がてら撮影の見学に連れて行ってくれた助演の共演者から差し伸べられた手を掴み、立ち上がったところで隣に立つ共演者の人は私にこう言った。

 

 「・・・もし阿笠さんがこのまま女優さんになりたいと本気で思っているなら、この世界には“こういう”役者もいることを覚えておいてください」

 

 

 

 “本当の役者”というものをこの目で見たあの日が、今の私にとっての原点(ルーツ)になった。

 

 

 

 

 

 

 「ただいま」

 

 夜の10時前。下北沢の外れにある2DKに、徒歩圏内で行われていた深夜ドラマの撮影(ロケ)を終えた美々が帰宅した。

 

 「おかえり、シチューもうすぐできるから」

 

 美々が洗面台で手洗いを済ませリビングに向かうと、姉の寧々が夕飯のシチューとサラダを食卓に並べながら、撮影で少し疲れた様子の美々に気丈に声をかける。

 

 この2DKの部屋で、寧々と美々の姉妹は2人暮らしをしている。

 

 「・・・ていうかお姉ちゃんまだ食べてなかったの?」

 

 床座の食卓に置かれた二人分の夕食が視界に入った美々が、どこか心配そうに寧々に声をかける。

 

 「うん。だってこのところはお互い仕事で時間が合わなくて一緒に夕飯を食べれてなかったからさ。やっぱり料理は1人で食べるより誰かと食べる方が美味しいし」

 

 心配する美々に笑顔で答えながら、寧々は2人分のスプーンとフォークの入ったコップを食卓に置く。

 

 「・・・そっか。ありがと」

 

 

 

 小さい頃から本を読むのが大好きで、性格も明るく何でも器用にこなす姉の寧々に対して、妹の美々は何に対しても無頓着で習い事も長続きせず、手先が不器用で家族以外の人前では殆ど言葉が出なくなるような人見知りの激しい引っ込み思案の子供だった。

 

 そんな引っ込み思案な性格を克服することと自分に自信をつけるために、両親と寧々の勧めで美々は6歳の時に児童劇団に入団した。一家にとって入所金に加え月3万円のレッスン料は決して安くはなかったが、劇団での稽古などを通じて美々は少しずつ人見知りを克服していった。

 

 転機となったのは美々が8歳の時、ある映画のオーディションで主人公と生き別れた年の離れた妹の役を勝ち取った時のこと。出番自体は終盤だけで少なかったが、この映画の撮影で主人公を演じた役者の芝居を間近で観たことがきっかけで美々は自らの意思で女優になることを決意して、芸名を本名から“阿笠みみ”に変えて今に至る。

 

 ちなみに名前をひらがなにした理由は、“先ずは名前を覚えてほしい”からである。

 

 

 

 「何かごめんね、私が不器用で頼りないばっかりにお姉ちゃんに無理させちゃって・・・せっかくの休みなのに」

 

 名前を“阿笠みみ”に変えてから10年が経ち、美々は繊細かつ没入度の深い演技を武器に今年のブルーリボン賞で助演女優賞を受賞するなど、芸能界では“ブレイクが期待される若手演技派女優”として注目されるまでになったが、彼女も家に帰れば包丁をまともに扱えず卵を割るのも一苦労する不器用な妹だ。

 

 「全然無理なんかしてないよ。こういうのは好きでやってるから」

 「うん。それは知ってるけど」

 「それに美々だって自分の部屋の掃除とかゴミ出しはちゃんと出来るようになったし。この前なんか洗濯もやってくれてたじゃん。洗剤の量を間違えて大変なことになったけど」

 「あれはほんとにごめん」

 

 料理はできない、良かれと思ってオフの日に挑戦した洗濯でも洗剤の量を間違えて泡だらけにしたりと、芝居以外のこととなるととことん不器用で頼りない美々のことが、寧々にとっては妹として愛おしくて仕方がないのだ。

 

 

 

 と、ここで一旦補足として余談を挟むが、美々は“役に入った状態”であれば演じる役柄によるものの家事全般はそれなりにこなすことができる。

 

 

 

 「とにかく美々には“美々にしかできない”ことがあるからさ。家族といる時くらい何も気にせずありのままでいていいんだよ。私は楽しそうにお芝居をしている美々がいるだけで十分幸せだから」

 

 美々もまた、仕事が忙しい中でも辛い顔ひとつ見せずに不器用な自分に代わって家事をこなす寧々に負い目を感じていていながらも、いざ自分の住む部屋に帰って毎回“おかえり”と言ってくれる寧々を前にすると、“自分の居場所”に帰れた気がしてつい甘えてしまう。

 

 「じゃ、冷めないうちに食べようか」

 「そうだね・・・いただきます」

 

 そんな正反対で似た者同士な2人は食卓に並んだ夕飯を口に運び、久しぶりの2人揃っての夕食を食べ始める。

 

 

 

 

 

 

 「美々?ドラマの撮影はどう?」

 「えっ?・・・まぁ、撮影自体は順調かな」

 

 寧々の手料理を口へ運びながら、美々は少しばかり悩まし気に答える。

 

 美々は今、東京テレビジョンで来月から深夜0時のドラマ枠で放送される予定の深夜ドラマの撮影に臨んでおり、つい先ほど第1話の撮影が終わったところだ。

 

 「・・・でも自分の芝居には全然手ごたえがないんだよ」

 

 美々の演じる役柄は主人公の相手役である小演劇の劇団を主宰する青年の隣の部屋に住む女子大生で、劇団の常連客でその青年に密かに好意を抱いているという役。物語の本筋に直接的に絡むことはない助演の役だが、ドラマではほぼ全話に渡って何かしらの出番があるような所謂“準レギュラー”のような立ち位置の役である。

 

 「和泉(いずみ)監督や真太郎(しんたろう)さんは“良かった”って私の芝居を褒めてくれたけど、自分の中じゃまだ全然でさ」

 

 だが美々は自分の芝居には全くもって納得していなかった。

 

 「・・・こんなんだから民放ドラマの仕事はやりたくないんだよね」

 

 そもそも私は、テレビの仕事が好きじゃない。特に民放のドラマは1シーンに当てられる撮影時間が映画の半分ほどで稽古をする時間なんてほとんどなく、純粋に芝居の喜びを味わう余韻もない。

 

 それでもマネージャーや事務所からの勧めで“経験を積む”ためにこのような民放ドラマの仕事を、脇役や端役でこれまでに何回も引き受けて来た。きっと食わず嫌いなだけでそのうち好きになれるだろうと思っていたが、時間(スケジュール)の流れが早すぎて芝居に拘るには時間が足りず、結局私にとってテレビの仕事は全力を出し切れない“悶々”とした時間として胸に刻まれた。

 

 「・・・やっぱりいちいち急かされるような現場は嫌だよね・・・」

 

 ちなみに私が何度も稽古を重ねながらゆっくりと着実に役を落とし込むような役作りをすることを本来は好んでいることを、寧々は知っている。

 

 「うん。嫌だよ。時間に押されて満足に全力を出し切れないのにOKを出される自分が雑魚みたいに思えてくるから・・・・・・ホントに嫌になる」

 

 だから私は思っていることをオブラートにせずそのまま伝える。決して自分のことを過信しているわけじゃないが、限られた時間で合格点以上を出せるだけの自負はあるから、ドラマの撮影自体は映画の撮影と同様にどれも順調にこなすことは出来ている。

 

 「・・・それでもドラマの仕事はこれからも引き受けるべきかな・・・お姉ちゃんはどう思う?」

 

 

 

 “それで周囲から合格点を貰えたとしても、自分の中の芝居を全部出し切れなければ無意味だ

 

 でもそんなもの、口にしたところで実力を出し切れない自分への単なる言い訳だ。

 

 

 

 「・・・・・・何で私はこんなことをお姉ちゃんに聞いてるんだろ」

 

 無意識のうちにまたしても寧々を頼ってしまった情けない自分を、脳内で即座に呪う。

 

 「・・・私は美々の好きなようにやればいいと思うよ。無理にドラマの仕事をしなくても、映画とか舞台だってあるし。思い切って事務所に直談判してみたら?」

 「直談判って・・・上手くいけばいいけど実際はそんな簡単な話じゃないのはお姉ちゃんだって知ってるでしょ?」

 

 もちろん自分の意思をはっきりと事務所の人間に伝えることは簡単だ。でもそれを二つ返事で了承してくれるほど、芸能事務所は甘くない。スポンサーを含めありとあらゆる大人達がそこに絡んでいる以上、“はいわかりました”で意見がすぐに通ることは少ないからだ。

 

 “『先ずは女優としての“実績(キャリア)”を着実に築いてください。本当に()りたいことをやるべきなのは、それからです』”

 

 現に事務所の社長からは何度も、こういう感じに釘を刺されている。

 

 「やっぱりいきなり“ドラマに出たくない”って言うはハードルが高い?」

 「当たり前じゃん。“あの人”からしてみればまだまだ私は発展途上だろうしさ」

 

 社長が私の将来のことをしっかりと考えてくれていることは分かっている。ブルーリボン賞で助演女優賞を受賞した時は心の底から私のことを祝福してくれた恩人でもあるから、人として純粋に尊敬もしている。

 

 ブルーリボン賞やアカデミー賞で賞を獲ることがどれほどキャリアにおいて価値があることなのかも、痛いほど分かっている。

 

 でもそれ以上に、私はただひたすらに自分の芝居を思う存分追求したい。ただそれだけの理由で、私は女優という仕事を腐らずに続けている。

 

 

 

 “私が目標にしている、“あの2人”に近づけるように ”

 

 

 

 「・・・じゃあ大河ドラマとかは?」

 

 どうやって自分の示したい方向性を直談判しようか考えていた私に、寧々が1つの提案をする。

 

 「大河ドラマ・・・・・・“キネマのうた”・・・」

 

 寧々の口から“大河ドラマ”という単語が出てきた瞬間、心の底からなるほどと思った。大河は民放のドラマとは違い稽古も入念で作品自体がどれも面白く、大作映画やゴールデンタイム枠のドラマで主演を張るような俳優が何十人も一堂に会する規格外のドラマ。

 

 単純に役者として芝居の見地を大きく広げられるばかりか、大河に出演するということは俳優にとって何より大きな“実績(キャリア)”になる。まさに一石二鳥だ。

 

 「・・・取りあえず今度マネージャーに相談してみる」

 

 しかも大河と言えば、つい先月に再来年に放送される『キネマのうた』で環蓮さんの主演が決まったばかり。女優が大河ドラマの主演を飾るのは8年ぶりになる。更に戦後までをも描く大河ドラマとなると、30年以上前まで遡ることになる。

 

 こんなに挑戦的かつ魅力的な作品に出られるチャンスは、そう巡ってこない。

 

 「・・・でも・・・何か悔しい・・・」

 「悔しいって?」

 「・・・何で前から知ってたのに、お姉ちゃんから言われるまで頭の中から出てこなかったんだろうって・・・」

 

 前々から知っていたのに、どうして頭の中から出てこなかったのか。そんな自分に少しだけ悔しさが滲む。そして食卓に流れる、何とも言えない少しの沈黙。

 

 「・・・あぁごめん。せっかく私にアドバイスしてくれたのに、悔しいって言うのはおかしいよね?」

 

 数秒後、何とも言えない沈黙に耐え切れず、また寧々に余計な気を遣わせてしまった自分を再度呪う。

 

 「・・・フフッ」

 「・・・何?」

 「美々って本当に正直だよね。思いっきり“お姉ちゃんに先に言われて悔しい”っていうのが顔に出てた」

 

 そんな私に寧々は気を遣うことなく“素のまま”で微笑みかけると、逃げ場のない図星をダイレクトに突いてきた。

 

 「なっ・・・それを言うならお姉ちゃんだって似たようなもんでしょ」

 

 図星を突かれた私は、思わず少し感情的になる。本当に、私は小さい時からずっと“お姉ちゃん”には敵わない。

 

 「ていうか、お姉ちゃんにだけは“正直”って言われたくないね。そこだけはホントにムカつく」

 

 どんなに私が悪態をついても、寧々はそれを肯定も否定もせずに優しい笑みで全部受け止めてくれる。そこに何1つの“嘘がない”のが、尚更タチが悪い。故に私は、その優しさに甘えてしまう。このままじゃ駄目だと思っていても、何度もそれを繰り返してしまう。

 

 「・・・確かに大河ドラマのことが先に思い浮かんだのは私かもしれないけど、大河ドラマのオーディションを受けたいって事務所の人に言うかどうかは、最終的には美々が決めることだからね。もしそれで『キネマのうた』で役を貰えたとしたら、それは100パーセント美々の実力と手柄だよ。私は何もしていないし、ね?」

 

 私の愚痴を一通り聞いた寧々は、愚痴が終わると半ば茶化すように私に笑いかける。

 

 「・・・はぁ・・・先に思いついたら完璧だったのにな」

 

 それにつられるように、悪態をつき終えると同時に私も思わず笑ってしまった。私にとって寧々といる時間は、本当にありのままの自分でいられるかけがえのない瞬間(もの)だ。

 

 「ねぇ・・・」

 

 

 

 “そう言えば夕野さんとはあれから会ってたりする?

 

 

 

 「私、絶対『キネマのうた』に出るから

 

 そんな寧々に、私は初めてをついてしまった。どうして咄嗟に嘘をついてしまったのか、自分でも分からない。

 

 「・・・うん。私も美々のために微力だけど全力で応援する」

 

 でも嘘をついたこと以上に、怖いくらいに初めての嘘がスムーズに口から出てきた自分自身に驚いた。そして肝心な時に限って鈍感な寧々は、私のついた“初めての嘘”に全く気付かない。

 

 「・・・ありがとう」

 

 結局この日の夜は罪悪感とも似つかない初めての感情に魘され、撮影で疲れていたはずなのにあまり眠れなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 0時を少し回った頃、シャワーを済ませた憬は書斎でシナリオを添削していた。

 

 

 

 仮タイトル:『二人芝居(ふたりしばい)

 

 可愛さと美しさが合わさった美貌と圧倒的な演技力で18歳ながら国民的な人気を得て、子役時代から常に第一線で活躍する人気女優、桜庭美耶(さくらばみや)。3歳から両親に勧められる形で芸能界に入った美耶は、自分のことを応援してくれる家族や周囲からの期待に応えたい一心で、必死にレッスンを学び着実に演技力を付けていった。そしてその才能は8歳の時に出演した朝ドラで一気に開花し、美耶は一躍人気子役として大ブレイクした。仕事も一気に増えてテレビやスクリーンでしか見たことのなかったスターに会える機会も増え、全てが順調に進んでいるはずだった。しかしその裏で仕事により発生する莫大な印税、そして自営業として生計を立てていた父親の会社が軌道に乗り始めると、家族の歯車が徐々に狂い始めていく。

 

 子役としてデビューした当初は純粋に美耶のことを応援していた両親だが、子役としてブレイクし仕事や出演作品などで莫大な印税が入ってくると、両親は次第に自分のことを「金儲けの道具」のように扱い始めたため、両親との心の距離は徐々に離れていった。また女優としての仕事の関係で学校を欠席することも多く、美耶の人気が高まるにつれ普通の友達として接していたクラスメイト達との関係にも、いつしか芸能人とその他のような壁が出来てしまい、気が付くと美耶は1人になっていた。

 

 そのような経緯があり、高校ぐらいは普通に過ごしたいと感じるようになった美耶は、中学3年に上がった時に「一旦女優をやめて学業に専念したい」と思い切って両親に相談したが猛反対され、言い争いの末に堪忍袋の緒が切れた美耶は「どうせ私は金儲けの道具なんでしょ?」と激昂する。

 

 そしてそれを聞いた母親は「女優じゃなくなったあなたに、何の価値があるの?」と冷徹に自分の行いを正当化し、父親も「勘違いしないで欲しい。僕たちは女優を頑張っている美耶のことを素直に応援しているだけなんだ」とありきたりな言葉で終始誤魔化され全く取り合って貰えなかった。この出来事がきっかけで美耶は両親に対して完全に心を閉ざしてしまい、心の中に両親への“殺意”が芽生えるようになる。

 

 それから1年後、美耶は芸能コースのある高校に進学して“殺意”の根源だった両親の元を離れ1人暮らしを始めると、“殺意()の感情”から逃れるように女優としての活動により一層没頭していく。だがそれでも自分の部屋に戻れば両親の姿がちらつき、感情に押しつぶされて涙が止まらなくなってしまう。

 

 今こうして涙を流しているこの瞬間にも、努力の結晶の一部は金となりあの2人の懐へ入っていく。だからといって金で全てが解決したところで、この傷が癒えることは全くないだろう。

 

 “両親のことを殺してやりたいほど恨んでいる自分と、子役として売れていく前の優しく温かかった頃の普通の家族に戻ることを願っている自分がいて、どうしていいかわからない

 

 自分を“金儲けの道具”のように扱い続ける両親への明確な殺意がありながら、そんな両親のことを恨んでも恨み切れずにいる自分自身に対する、どうすることもできない苛立ち。それは女優として寝る暇すらないほど忙しくなっても消えないばかりか、日を追うごとに美耶の心を蝕んでいった。

 

 そんな美耶にとって、苦しみを忘れされてくれる“芝居”が自分の身体と心を繋ぎとめてくれる唯一の“命綱”だった。

 

 こうして美耶は誰もが羨む栄光の裏で、人知れず終わりの見えない“苦痛”に苛まれながら人気女優として表舞台に立ち、疲弊しきった心を芝居で騙し続ける日々を送り続けていた。

 

 「桜庭美耶です。よろしくお願いします」

 

 ある日、美耶は若手ながら“鬼才”として国内外から高く評価されている劇作家の星名陸生(ほしなりくお)が演出を手掛ける2人芝居の舞台『()す』で、星名自らの指名(オファー)で初舞台にして主演の1人に抜擢される。

 

 「八岐灯夏(やぎとうか)・・・よろしく」

 

 そしてもう一人の主演で美耶の相手役となるのは、メソッド演技を武器にした役の人格がそのまま乗り移ったかのような没入度の深い芝居と、“孤高の天才”と称される独自のカリスマ性で数多くの賞を総なめにしてきた同い年の舞台女優、八岐灯夏(やぎとうか)。彼女もまた、美耶と同様に人知れず心に深い傷を抱えながら芝居に明け暮れる日々を送っていた。

 

 

 

 傷だらけの心で芝居をする2人の女優は、二人芝居の役作りや稽古を通じて互いの傷に触れ、惹かれ合っていく・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・駄目だ・・・続きが書けない・・・」

 

 百城と会った日の夜にハイになって書いたシナリオはとても人様には見せられない“怪物”だったが、添削を重ねてどうにかある程度はまともなシナリオになった。

 

 だが依然として、この物語の行く末が一向に思いつかない。八岐灯夏との愛にも似た共依存を通じて描く、“桜庭美耶(1人の女)物語(生き様)”。

 

 「・・・はぁー・・・」

 

 少しでも油断をすると、溜息という名の苛立ちが溢れ出す。手応え自体はある。だがこの物語の着地点が一向に見える気配がないという、もどかしさ。

 

 もしかするとこれは、作家人生で最大級のピンチなのかもしれない。あるいは考えたくはないが、単純に才能と実力が枯渇し始めているのだろうか。

 

 汚い話、別に書かなくても節約をすれば十二分に死ぬまで衣食住には困らないぐらいには余裕はある。だが、そうやって惰性だけで己の生涯を閉じるということほど惨めで哀れなものはない。

 

 “・・・こんなに苦労してたか?・・・俺?”

 

 元々俺は物語をこうして具現化するまでは時間がかかる方だが、ひとたび“手応え”が掴めればそこからは比較的順調なペースで結末まで書くことが出来た。それは『hole』までの作品でも同じことだった。だが今回ばかりは、そう上手くは行かないみたいだ。

 

 “・・・それもこれも、夜凪(彼女)のことが何も視えないせいなのだろうか・・・”

 

 俺は執筆を中断して、スマートフォンを立ち上げアルバムに保存した夜凪のある写真に目を向ける。恩返しとして物語の“材料(ネタ)”を送ったつもりであろう百城の作成したアルバムの一枚目にあった、自分の布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔。ちゃっかり夜凪の家に百城が泊まっていたという事実は一旦置いておくとして、この写真だけは何故か他とは違う“異質”さを感じていた。

 

 一見すると、それは他の写真と同じように夜凪の日常(プライベート)を撮った1枚に過ぎない。だがこの寝顔を見ていると、説明のつかないもどかしい感覚に苛まれそうになる。

 

 “・・・もしや・・・”

 

 ふと寧々のことが頭によぎった俺は、スタバで撮った彼女の“無防備な感情”を捉えた写真を見る。

 

 “・・・誰の感情(こと)も意識していない、無防備な感情(かお)・・・

 

 俺は初めて、本当の意味で夜凪の感情を視た。それと同時に、真剣に作るという意味を馬鹿正直に解釈し、慣れた手つき具材を調理する彼女を思い浮かべた時に降りかかった靄の正体も少しではあるが分かり始めた。

 

 “・・・彼女は“誰か”のために自分の感情を使って生きてきた・・・となると靄はその正体なのか・・・”

 

 だが無防備な感情で眠りに就いている夜凪を視ても、そこから先にはやはり靄がかかって辿り着けない。そして靄の先が視えてこなければ、本当に描くべき物語は生まれない。

 

 この時点で推測できるのは、“誰か”というのが夜凪の生い立ちに関連しているということだろう。

 

 “・・・墨字なら何か知っているだろうか?”

 

 頭の中で黒山の姿が浮かんだ矢先、まさに狙って図ったタイミングでその黒山からトークが来た。先ほどの百城といい、こうやって絶妙なタイミングで立て続けにメッセージを送り付けられると、こいつらは俺のことを監視でもしているんじゃないのかという要らぬ疑念が頭の中を一瞬だけよぎる。

 

 “『近いうちにどこかで飲めるか?』”

 

 「・・・どいつもこいつも」

 

 少しばかり警戒しながら確認した黒山からのトークの内容は、飲みの誘いだった。

 

 「・・・ちょうどいいか」

 

 これを見た憬は飲みの誘いに乗るついでに、序盤の展開と登場人物の生い立ちがどうにか形になった状態の第一稿(プロット)を黒山に送った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 深夜2時。『造花は笑う』の台本や自ら作成した“資料”が乱雑にばら撒かれた寝室のベッドの上で薄暗い照明に照らされながら、千世子はスマートフォンに保存した夜凪の写真を眺めていた。

 

 

 

 “「私が千世子ちゃんに・・・ううん・・・カムパネルラになれるとは思えない・・・・・・」”

 

 

 

 「ちょっと“アドバイス”が過ぎたかな・・・・・・」

 

 自分自身がとっくに“カムパネルラである”ことに気付くことが出来ずに1人で勝手に壁を作って落ち込んでいた夜凪のことを思い浮かべながら、千世子は自虐的に言葉を吐き出す。

 

 

 

 “「・・・うん」”

 

 

 

 悩みの種を私が身をもって振り払ってあげた後に見せた、夜凪さんの表情。ほんの数秒前までは本気で降板すら考えるほどひどく落ち込み切羽詰まっていたスカーレット色の瞳に、一筋の光が射した。

 

 目の前に立ちはだかる到底越えることのできない壁を乗り越える瞬間。私はまた、夜凪さんを成長させてしまったかもしれない。遅かれ早かれ、その“ツケを払う”瞬間もいつかは来てしまうかもしれない。

 

 “もっと早く、夜凪さん(あなた)のような存在(ひと)に会っていたら私は・・・”

 

 “嫉妬してるの?

 

 頭の中にいる“もう一人の自分”が、ベッドの上で膝を抱えた体勢で夜凪さんの写真を視ている私の肩に手をかけ、話しかける。

 

 “まだわからない”

 

 そんな自分に、私は一言だけ答える。私にとって夜凪さんは、一体何なのだろう。

 

 「でも“こんなところ”で燻ったままじゃ・・・私は夜凪さん(あなた)を許せない・・・」

 

 プリクラで撮った写真に写る、不器用な微笑み。私にとってはとっくの昔に捨ててしまった、純粋な感情。

 

 

 

 “「行って」”

 

 

 

 芝居は仮面(ウソ)の積み重ねだとずっと信じ続けながら生きてきた私に、“嘘を吐かなくとも芝居は出来る”ということを教えてくれた。これほど“たにん”を喰いたいと思ったことは、今まで一度もなかった。

 

 

 

 “そうか・・・・・・私は夜凪さんのことが・・・・・・

 

 

 

 「・・・だったらもっと夜凪さん(あなた)のことを好きにさせてくれよ・・・・・・カムパネルラ・・・

 

 千世子は昨日の深夜に撮った布団でぐっすりと眠る夜凪の寝顔に言葉をかけ、スマホの画面を閉じてぼんやりと目を開けたまま仰向けになる。

 

 

 

 “『・・・1つの物語を作り上げていくピースは、ふとした日常に転がっている。ヒントになるものはどんな些細なものでも利用する。それが例え他人の人生であっても・・・』”

 

 

 

 そして夜凪さんを利用しようとしている人は、何も私だけじゃない。スタバの前ですれ違った時、夕野さんはずっと夜凪さんのことを視ていた。たまにいるいい年をした大人のどうしようもない下心ではなく、“内面(そのもの)”を視ようとする芸術家(アーティスト)ならではの千里眼。

 

 

 

 “「“眼”を見れば分かる・・・どんなに表情筋で感情を作り上げても、眼だけは嘘をつけないからな・・・」”

 

 

 

 あの時もそうだ。夕野さんは常に私の“内面”に目を向け続けていた。私の感情(仮面)に綻びが生じるその瞬間を後手に回り虎視眈々と狙い続けながら、入り込む隙間を伺っていた。そして突如姿を現した心の内側から抉り取るような底知れぬ“狂気”に、思わず私は心を許してしまった。

 

 “・・・怖いな・・・”

 

 そうやって夕野憬という小説家は、“たにん”の心を利用し続けてきた。こうして人の心を掴んできた夕野憬の小説は、元来の知名度で得られる売り上げ以上に評価もすこぶる高いのだろう。

 

 “でも・・・いつから?”

 

 ただ引っかかるのは、『ロストチャイルド』の夕野さんには“狂気”が感じられなかったこと。きっとその違いが、今の夕野さんが別人のように感じてしまった原因。というより、あれは本当に“全くの別人”のようだった。ならばいつから、夕野さんは“あの狂気”を手に入れたのか・・・

 

 “・・・その答えは10年前か・・・あるいは・・・”

 

 夕野さんが芝居をやめたのは今から10年前のこと。あの人の身に何があったのか、まだ幼かった私はもちろん知らない。“心を壊してしまった”という人伝の噂があるアリサさんとも違い、何の噂も聞いたことすらない。一応ネットには何の確証もない考察が入り乱れているけれど、そんなものは何の参考にもならない。

 

 “1つだけ分かっていることは・・・”

 

 “いやいや、いま夕野さんのことを利用するのは違うでしょ?

 

 頭の中にいる“もう一人の私”が、脱線し始めた思考回路にカウンターパンチを入れる。

 

 “・・・それもそうね”

 

 とりあえず華を演じる上で必要なものは夕野さんと直接会ったことで半分は喰えた。でもいま利用するべき感情は、これじゃない。ここから先の“もう半分”を詮索するのは、“利用する(喰う)”べき時まで“温存”しておこう。

 

 

 

 今の私は、“人を殺したことを隠して友達と遊ぶ女子高生”なんだから・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 “「とてもすごい役者さんがいて・・・本当にすごくて・・・あんなの真似できなくて・・・・・・」”

 

 

 

 「・・・それより誰だろう・・・・・・夜凪さんの言ってたすごい役者さん・・・・・・」

 

 薄暗く照らされた天井は次第にぼやけていき、千世子の意識は深層心理の世界へと落ちた。

 




メンタルリセット。どうにかマイナス思考から脱出できました。(※本日更新した話は3週間ほど前の段階で原型は完成しているのでどっちにしろ予定通りです)

不安は相も変わらず多いけど、とりあえず生きるしかないよな。

それにしても、まだ話の途中だというのに次の話を書きたくなってしまうこの感覚はどうにかならないだろうか・・・・・・と言いつつも、いざ次の章を書き始めたらどうせまた今みたいに衝動と戦いながら書いているんだろうな・・・・・・はい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・阿笠寧々(あがさねね)
職業:編集者
生年月日:1993年5月1日生まれ
血液型:A型
身長:160cm

・阿笠みみ(本名:美々)
職業:女優
生年月日:1999年8月7日生まれ
血液型:A型
身長:163cm
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