或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.41.5《幕間》 昼休憩

 10月の終わり、映画『ロストチャイルド』の撮影は川崎市の近郊にある児童館で撮影初日を迎えた。施設で兄弟のように仲良く暮らしていたショウタとユウトが、施設を訪れた毅と恵里の2人と初めて対面し、里親として引き取られるシーンの撮影である。

 

 

 

 「尚太くん、有人くん、今日から僕と隣にいる恵里が、お父さんとお母さんだ」

 

 施設の正面玄関で、毅と恵里はショウタとユウトに優しく微笑み挨拶する。共に両親に捨てられこの施設に預けられた2人は、今日から宮入家の家族になる。

 

 「ショウタです。よろしくおねがいします」

 

 これから自分の両親になる2人に、ショウタは一字一句をしっかりと発音するようにお辞儀をしながら礼儀正しく挨拶する。

 

 「あははっ、尚太くんは礼儀正しいわね」

 

 礼儀正しくお辞儀まで完璧に使いこなすショウタに恵里は感心して、ショウタの頭を撫でる。

 

 「ユウトもほら、あいさつ」

 

 一方ショウタの隣にいるユウトは毅と恵里のことが恐いのか、ショウタの背中の後ろで身を隠すようにして動かない。

 

 「ほらユウト、おまえもおとうさんとおかあさんにあいさつしろよ」

 「・・・やだ」

 「ダイジョブだよこわくないから」

 

 そんな“宮入家”を恐がるユウトを、ショウタは“兄”らしく宥めて手を繋ぎながらユウトを前に出す。

 

 「・・・ユウト・・・よろしく、おねがいします・・・」

 

 怖がりながらもユウトはショウタと同じように、小さな声でたどたどしく毅と恵里にしっかりと挨拶をする。そんなユウトのことを恵里は優しく抱きしめて頭を撫でる。

 

 「・・・よくできました・・・」

 

 

 

 「カット!ちょいと押しちゃったけど今から昼休にします」

 

 13時30分。監督の國近からの合図でスケジュールから約1時間遅れで兄弟と宮入家の出会いのシーンを撮り終えた一同は、50分の昼休憩に入った。

 

 

 

 

 

 

 「大丈夫か?“前”とは打って変わって初っ端からスケジュール押し始めてるけど?」

 

 昼休憩。自らが撮影したシーンのチェックを終えて児童館の建物の裏側で一服していた撮影監督の黒山寿一(くろやまじゅいち)が、同じく一服をするために裏側に来た國近に話しかける。

 

 「4歳児がふとしたことでグズるのはよくある話だ。別にそれでいいものを最終的に撮れるならどれだけ押そうが俺は平気だよ。そういう寿一さんこそ、言うことを中々聞いてくれない“弟”に内心イラっと来てんじゃないの?」

 「馬鹿言うな、そんなもんを気にしてたら“カメラマン”は務まらんよ」

 

 隣で自分の煙草を取り出す自分より一回り年下の映画監督からの軽口を、寿一は煙草を片手にすかし顔ですんなりと受け止める。この2人のタッグは、前作の『ノーマルライフ』に続いて二度目であり、例え相手が自分より目上であろうと一切物怖じしない國近のハングリーな姿勢を寿一は気に入っている。

 

 

 

 黒山寿一(くろやまじゅいち)。フリーランスで活動する映像カメラマンであり、撮影監督としてこれまでに数多くの大作映画に携わり、アカデミー賞において最優秀撮影賞を受賞するなど確たる実績と実力を持つカメラマン歴25年のベテランである。彼の元には著名な映画監督たちから絶えずカメラマンとしてのオファーが舞い込むことから業界内では“日本一忙しい撮影監督”と呼ばれている。

 

 余談だが星アリサと早乙女雅臣が共演し話題を呼んだ織戸幸比古の大作映画『ふたつ』の撮影監督を務めたのも寿一であり、彼はこの映画で最優秀撮影賞を受賞している。

 

 

 

 「・・・子役2人に思い切って演技経験ゼロの子供(ガキ)を使うのはリスクが高いと思っていたが、こうしてみると逆にハマるもんだな」

 

 國近は今回の撮影において、幼少期のショウタとユウトの役に雰囲気だけは似ている芝居経験のない完全な素人を起用した。しかも2人は、奇しくも本当の兄弟だった。

 

 「だろ?これこそ“型にハマった”子役には到底できない芸当ってやつさ」

 「確かに。あの“芝居の概念がない”リアルさは劇団の子役じゃ演じるのは無理だろうな」

 

 当然、兄弟は芝居が何たるかはおろかここにいる人たちが何なのかすら理解していない。そのため國近は初めて宮入家と会うシチュエーションをやりやすくするために他のキャスト陣とは別のスケジュールで読み合わせを行い、また役柄についても実際の兄弟として敢えて自然体のままで“芝居をせずに芝居をする”指導を読み合わせと共に行った。

 

 “芝居をする上で必要な型”を身につけてしまった役者には出来ない、素人だからこそ繰り出せる独特の空気。結果としてそれは良い意味で演技感のないリアリティーに繋がり、物語の説得力を引き上げている。

 

 「ただおかげで午後の撮影はほぼノーミスで撮り切らないと今日中に終わらなくなりそうだけどな」

 

 とはいえいざ撮影となったところで弟のほうが見ず知らずの大人たちに囲まれるという“未知の状況”に驚いてしまったのか何度もグズってしまい、午前中の撮影は1時間ほど押してしまった。これもまた、完全な素人を起用したが故の出来事(アクシデント)だ。

 

 「それは寿一さんの顔が怖すぎるからだよ」

 

 隣で煙草に火をつけ一服を始めた國近が、皮肉を皮肉で返す。

 

 「何でもかんでもぶっつけ本番でやろうとするからこうなるんだろうが」

 

 

 

 “「このひげのひとこわいよぉリュウにぃちゃん!」”

 

 

 

 「それに言われたところでどうにもならねぇよ。カメラを構えてる時の俺はいつもこうだからな」

 「何だ寿一さん自覚あんのか」

 

 無精ひげと肩まで無造作に伸びたロン毛の180近い背丈の男にカメラ越しに“眼光”を向けられたら、特に“そういう”風貌に耐性のない子供(ガキ)はビビっても無理はないかもしれない。だがせがれが5歳くらいまでまるで俺に懐かなかった経験のある身からしてみれば、特に何とも思わない。

 

 「自覚はあるけど“これ”ばっかりはどうにもできねぇ」

 

 仕事をしている時の顔や雰囲気が怖いと言われたことは今日に限った話じゃない。時には演者から影で“撮っているときの圧が凄い”と言われたこともある。

 

 そういう連中に対して言いたいことは、そんなどうでもいいことを気にする暇があるなら自分に課された芝居(仕事)に集中しろといったところだ。真剣に自分の映す画と向き合っていれば、当然顔や纏う空気は幾分かピりつくだろう。そんなもの、誰だってそうだ。何ら怖がるような話じゃない。

 

 「“俺たち”はただカメラを回すために現場(ここ)にいるわけじゃねぇしな」

 「うん、知ってる」

 

 

 

 ただカメラを回して対象になる人物を撮ることは “休日のお父さん”やそこら辺の中学生でも容易いことだ。だが“カメラマン”は画を撮ることは当たり前のこと、その中でポジション・アングル・構図・カット割りと言ったカメラワークに加え、照明や画の色彩に至る美術的な部分の細部に至るまでを把握し、各スタッフと臨機応変に協力しながら監督が求めている“最良の画”を撮らなければならない。機材やフィルム、レンズ1つでも“画”というものが大きく変わる。

 

 無論、そういった “カメラマン”としての仕事を任されるようになるまでの“過酷な道”の先にある“奥深さ”に辿り着ける人間(やつ)は本当に少ない。何の根拠もない“夢や希望”を大袈裟に語っては道の途中で挫折した仲間や後輩を、これまで数えきれないほど見てきた。

 

 そして過酷な道の中にある“奥深さ”に辿り着いた者に待ち受けるのは、無数の屍を越えた先にある“孤独”だ。大切なのは“夢を見る”ことよりも、行く末に待つ“孤独ごと”己が捉える“景色”を愛せる覚悟があるかどうかだ。

 

 

 

 「・・・なぁ寿一さん?」

 「何だ?」

 

 隣で同じような姿勢で煙草を吸う國近が、煙草を半分ほど吸い終えた寿一に視線を昼下がりの空に向けたまま話しかける。

 

 「寿一さんは20年後になっても映像作家(おれたち)は“映像作家(おれたち)”のままでいられると思うか?」

 「・・・急にどうした?」

 

 いつになく真剣な表情で語り始めた國近に、思わず煙草を持つ手が止まる。

 

 「例えば日本じゃまだだけど、アメリカじゃカメラをロクに使ったことすらないような一般人が撮影したビデオをウェブを通して販売代行してくれるビジネスがあるらしい」

 「・・・ほぉ~、そいつはまた“ある意味”面白そうなビジネスだな」

 

 國近の言う日本にはまだない映像ビジネスに、寿一は肯定とも否定とも取れる意味合いを込めた皮肉で返す。

 

 「あぁ。ただ自分の撮った映像を自分のパソコンで再生するメディアプレーヤー自体は既にあるから、そいつが日本に上陸したところで俺にとっては別に驚きはないさ」

 

 もちろんそういった映像技術が発展して全世界に普及していくことは、コンテンツの多様化や役者ありきな話題性重視の作品が増えたことで停滞しつつある“邦画界”において重要な“カンフル剤”になるのかもしれない・・・

 

 「・・・ただ問題なのは、それらの技術が“万人に普及”した後だ」

 

 

 

 90年代に入り、インターネットは急速に一般のユーザーにも普及していった。電子メールでのやりとりはとっくの常識で、今では大物ミュージシャンによるインターネットを介した生配信ライブが世界のどこかで度々行われるようになり、その気になれば素人が家電量販店で売られているようなビデオカメラで撮影した映像を自らのパソコンで編集して自分だけのオリジナルムービーを比較的容易に作れるような時代になった。

 

 恐らくこのペースだと遅くて10年以内には必ず万人がインターネットを通じて“自ら撮影した映像”をいつでも容易く全世界へ発信できる時代に突入し、“一般常識”になるだろう。やがてそれらが流行り出せばその媒体をビジネスとして活用する人間も現れ始め、映像作品を撮ることで生計を立てている映像作家(おれたち)に代わって“映像を発信して生計を立てる”手段が確立されると、それに続けと“先駆者の二番煎じ”が次々とその船に乗り込み、流行(ブーム)が巻き起こる。

 

 そしてインターネットを介した映像の発信が“当たり前”になった時、万人は気付くのだ。わざわざ巨額の製作費や人員を使わずとも、治外法権同然の過酷な環境にその身を委ねなくとも、カメラ1つさえあれば技術や知識がなくとも“映像作家(クリエイター)”になれてしまうということに・・・

 

 

 

 「・・・つっても、あくまでコイツは俺の後輩が酒の席で立てていた仮説だけどね」

 「それまでに果たして俺は生きていられるか」

 「寿一さんいくつだっけ?」

 「四十五(しじゅうご)

 「全然余裕じゃねぇかよ、日本人の平均寿命の長さなめんな」

 「俺たちが本当に80歳まで生きられると思うか?」

 

 そんな國近の後輩が立てたという仮説に、寿一は笑い話とも本気ともとれる自虐を返す。

 

 「・・・そんなん知るか」

 

 こういう類の仕事をしているとどうしても生活は不規則になるものだ。1年を通じてみても徹夜をしない夜の方が圧倒的に少なく、丼ものとカフェインで三日三晩を寝ずに乗り切るなんてこともザラだ。こんな生活を続けていては、平均寿命が来る前にくたばるのはほぼ確実だろう。

 

 「まぁ、少なくとも俺はそこまで長生きするつもりは全くないけどね」

 「同感だ」

 

 自分たちの寿命の話に区切りをつけた2人は、ほぼ同時のタイミングでそれぞれが手に持った煙草を吸う。

 

 「で?寿一さんは20年後についてどう思う?」

 「あ?・・・あぁ終わってなかったんかその話」

 

 そしていつの間にか一服を吸い終えた寿一がポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消して灰皿の中に煙草をしまいながら答える。

 

 「・・・別に20年経とうが俺たちがくたばろうが、今と変わらず“映画を撮りたい”と腹を括った“馬鹿”が勝手に撮り続けてくれるだろうさ。 お前さんの“後輩”が『新時代の鬼才』とどっかの専門誌でもてはやされていたように、“映像作家(作り手)の遺伝子”だけは着実に引き継がれていくからな・・・」

 「・・・あのバカはそんな大層なヤツじゃないよ・・・」

 「(・・・って言いながら滅茶苦茶意識してんのが丸わかりなんだよ・・・)」

 

 寿一の言葉で4つ年下の生意気な同業者(後輩)のことを頭の中で思い浮かべながら、國近はタールを深く吸い込み副流煙を空に向かって一気に吐き出すと、それを横目に寿一は心の中でほくそ笑む。

 

 「・・・とにかく映画が時代遅れの産物と言われる時代が来ようが、どうせ“俺たち”は杖なしじゃまともに歩くこともできない老いぼれたジジイになっても相変わらずカメラ片手にバカやってるだろうよ」

 「・・・あぁ・・・ちげぇねぇ」

 

 空へと消えて行く自らの吐き出した副流煙を目で追いながら、自らの覚悟を語る。

 

 映像作家(おれたち)のやっていることは“非効率で時代遅れだ”と蔑まれる時代が来ようとも、俺は俺のやり方でこれからも変わらず愚直に撮りたい映画を撮り続ける。

 

 

 

 “それこそが映画監督が映画監督で在り続けるための流儀だ

 

 

 

 「・・・そういや遺伝子といえば“ジュニア”は最近どうだ?元気してるか?」

 

 再び煙草を咥えがてらに國近は、先ほどの “仕返し”の言葉をかける。

 

 「さぁな」

 

 國近からの“仕返し”に、寿一は視線を合わさず素っ気なく返す。

 

 「さぁなって・・・小坊の頃は撮影現場に見学に来るぐらいカメラとか機材に興味津々だったって前の現場ん時に言ってなかったっけ?」

 「昔はな。でも小6に入ったあたりで反抗期になって、それからはさっぱりだ」

 「・・・反抗期か・・・」

 

 素っ気なく淡白な寿一の口ぶりに、國近は再びわざとらしく煙を吐いて半ば挑発するような口調で呟く。

 

 「・・・勿体ないねぇ~・・・せっかくの“遺伝子”なのに」

 

 そんな國近の言葉に、寿一はカメラを構えた時のような鋭い視線を一瞬送る。視線を送られた國近は、当然そんなことでは動じない。

 

 「せがれがこの先どうしようと俺は構わん。犯罪に手を染めるようなことさえしなければ、手前の生きたいように生きてくれればそれでいい」

 「・・・もしもジュニアが急に“映画監督”になりたいなんて言ったらどうするつもりだ?」

 

 なおも食い下がる國近に、一瞬だけ寿一は考え込む。

 

 

 

 “「俺は親父の敷いたレールなんかぜってぇ乗らねぇからな」”

 

 

 

 「・・・・・・そん時はそん時さ。無論、手助けは一切しねぇけどな」

 

 食い下がる國近へぶっきらぼうに捨て台詞を吐き終えると、寿一は“「そろそろ戻るぞ」”と言いたげに玄関の方向へ歩みを進める。

 

 「(・・・本当は親バカの癖に頑固親父を気取りやがって・・・)」

 

 午後の撮影に向けたセッティングに戻る寿一の背中を國近は微笑ましそうに目で追いながら最後の一服を味わい、少し遅れてその場を離れた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 “ん?これは一体どういうことだ?”

 

 玄関に戻ると、幼少期のショウタとユウトを演じる隆之介と真太郎からなる眞壁兄弟が恵里を演じる杜谷久美子(もりやくみこ)にすぐ後ろで見守られながら寿一を出迎える。

 

 「これはどうした?2人とも?」

 

 いかにも何かを言いたげに俺を見上げる兄弟に、その場にしゃがみ込んで俺は視線を合わせる。

 

 「ほら、シン。ジュイチおじさんに言いたいことがあるんだろ?」

 

 隣に立つ兄の隆之介が、弟の真太郎の背中を一回ドンと叩いて気合を入れる。もちろん2人は本物の兄弟で國近が“演じさせず”普段の関係のまま“芝居をつけた”ことも相まって、その姿は“ショウタとユウト”そのものだ。

 

 もちろん國近が行った素人を素人のまま役者として昇華させる“演出付け”がどれほど難しいことかは、25年もカメラを持ち続けていれば“専門外”の俺でも手に取るように分かる。

 

 

 

 “いかにして演出1つで演者を自分の色に染めることが出来るか。そして自分の演出をいかにして唯一無二の映像として落とし込むか

 

 

 

 俺は思う。映画監督という生き物は、映画屋である以前に演出家でなければならない。演出家がいなければ、その他の“裏方”はどんなに頑張っても正解には辿りつけないからだ。無論そのことに演者、そして映画に携わる全ての人間が理解を示さなければ良い作品は作れない。

 

 そんな根本的なところを理解している若手の連中は、悲しいことに年々数を減らしてきている。

 

 それと同時に、スポンサー(周りの目)を過剰に気にするような作品が増えつつある現状を憂いでいる連中も、少なからずいる。

 

 

 

 さて國近(やつ)は、ここにいる本物の兄弟をどうやって“血の繋がっていない兄弟”に昇華させていくのか・・・

 

 

 

 「・・・・・・」

 

 一方の弟は、兄に気合を入れられてもムスッとした表情で俺を凝視したまま黙りこくっているままだ。俺を睨むこの感情は何なのか?ひげのおっさんが怖すぎるとでも言いたいのか・・・

 

 “相変わらず・・・この年代の子供(ガキ)の考えていることは理解できん・・・”

 

 「・・・怖がらずに言ってみな?絶対に怒らないから」

 

 頭の中で思い浮かんだ最大限に優しい言葉を真太郎にかけるも、当の本人は口をもごもごと動かすだけで中々言葉を発さない。

 

 “どうしたらいいんだよ・・・これ”

 

 「も~う顔が怖いままやで寿一サン」

 

 するとやや後ろの方でいつの間にか家庭用のビデオカメラを回していた紅林が野次を飛ばす。周囲に機材や動き回るスタッフがいなければ、これは最早ただのホームビデオだ。

 

 

 

 “・・・ホームビデオ・・・”

 

 

 

 10年のアシスタント生活を経て撮影監督として独り立ちをして今以上に現場を右往左往していた頃、かつての同僚だった妻との間に生まれたせがれは5歳になっていたが、仕事が不規則で忙しいせいであまり会えていなかったこともあってか、俺には一度も懐かないままだった。

 

 そんな仕事明けの休日、徹夜明けの身体を無理やり起こして月収のほぼ全てを注ぎ込み購入した当時最新鋭のカムコーダーで、近所の公園で通っている幼稚園で仲良くなった“悪友たち”と一緒に鬼ごっこをするせがれの様子を俺は撮影していた。

 

 「父ちゃんなにもってんだよ?」

 

 すると不意にせがれがレンズ越しに興味津々な視線を向けてきた。普段は滅多に懐かなかったせがれが自分から声をかけて来たのは、記憶が正しければあの日が初めてだった。

 

 「・・・コイツは“ビデオカメラ”って言ってな・・・・・・簡単に言うと俺たちが今こうして見ている景色を、そのままこの小さな“塊”に記憶すんだよ」

 「・・・・・・なにそれ?いみわかんね」

 「例えば」

 「ハイおまえオニ!」

 「おいまてよアツシ!いまのはズルだろ!」

 

 生まれて初めてのビデオカメラはそっちのけでせがれは夕暮れまで悪友と共に公園で暴れまくったが、帰った後にカムコーダーに録画した映像を見せた瞬間に掌を返すようにカメラというものに興味を示した。

 

 

 

 “「父ちゃん、これ、おれもつかいたい」”

 

 

 

 そして生まれて初めてカメラに触れたあの日、せがれは初めて俺に笑顔を向けた。

 

 

 

 「・・・ごめん、なさい・・・

 「・・・・・・ん?」

 

 ふと我に返ると、目の前にいる弟の真太郎が勇気を振り絞って何かを言っていた。俺としたことが、不意に懐かしい記憶を思い起こしていたせいで曖昧な反応になる。

 

 「・・・こわいとかいっちゃって、ごめんなさい・・・

 

 少しばかり強張ってこそいるが、真太郎は俺の目をしっかりと見据えて自分の意思をきちんと伝える。

 

 「・・・勇気を持ってよく言えたな・・・偉いぞ・・・」

 

 4歳児の真っ直ぐな意思に、気が付くと俺は真太郎の頭を撫でて労っていた。そしてふと視線を隣に向けると、兄の隆之介が“おれのおかげだぞ”と言いたげに腕を組みながらどや顔で俺を見る。

 

 「隆之介くんもありがとな。お兄ちゃんとして引っ張ってくれて」

 

 基本的には自分の子であろうが子供(ガキ)の相手をするのは苦手なはずが、屈託のない純粋な瞳で見られると面白いように無粋な感情(モノ)が吹き飛んでいく。どんなに手が掛かろうと、純粋無垢な感情を前にしたら全部がどうでも良くなる。

 

 

 

 “って、俺はこんなところで仕事をほったらかして何をやっているんだ”

 

 

 

 「・・・見かけによらず寿一さんは子煩悩だよなあ」

 

 兄弟に向けていた視線を正して撮影準備に取り掛かろうと立ち上がったところで、後ろから生意気な映画監督の声が耳に入った。

 

 「・・・いつから見ていた?」

 「真太郎くんの頭を撫でた辺りから」

 「・・・・・・はぁ」

 

 水を差すように遅れて戻って来た國近に寿一は溜息をひとつ溢すと、

 

 「俺はただ午後の撮影に向けて演者を宥めていただけだ。これ以上グズられたら今日の撮影は終わりそうにないからな」

 

 再びいつもの仏頂面でぶっきらぼうに答え、「じゃ、午後も頼むぞ」とそのまま奥に向かい撮影準備を始めた。

 

 「ねぇかんとくのおじちゃん?」

 「ん?どうしたのかな真太郎?(俺もついにオジサンか・・・)」

 「ぼく、ちゃんといえたよ。“こわいっていっちゃってごめんなさい”って」

 「うぉ~凄いな真太郎~」

 

 寿一に自分の意思を伝えたことを報告してきた真太郎の両頬を、國近は両手で挟んで手荒く褒め称える。まだ世の中が何なのかを何も知らなそうな“純粋無垢さ”は、幼少期のユウトのイメージと本当にリンクしている。

 

 「コイツ、褒めるとすぐ調子にのるからほどほどにいたほうがいいですよドクおじさん」

 「おぉそうか?そんなことないよな~真太郎?」

 「そうだよ。ひどいよリュウにいちゃん」

 

 褒めちぎられる真太郎(ユウト)の隣に立つ隆之介(ショウタ)が、分かりやすく嫉妬の感情を表に出す。

 

 「でも真太郎が寿一おじさんに自分の気持ちを伝えられたのは、紛れもなく隆之介のおかげだよ。今のところNGもゼロだし。お前は役者として最高(ベリーグッド)だ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 あんだけ“俺も褒めろ”と嫉妬をむき出しにしておいて、いざ自分が褒めちぎられたら照れて謙遜してしまうませた一面もあるところも含めて、隆之介とショウタは人間的にもそっくりだ。

 

 「・・・そうだ、真太郎にこれから午後の撮影を始める前に1つだけお願いして欲しいことがあるんだ」

 

 そんな自らがオーディションで発掘した眞壁兄弟をみた國近は、弟の真太郎にゆびきりを求める。

 

 「・・・ゆびきりげんまん?」

 「そう。これからは監督の“おにいさん”が泣けって言うまで絶対に泣かないこと。約束できるか?」

 「うん!やくそくするよかんとくのおじちゃん!」

 「・・・言ったな?嘘ついたら“はりせんぼん”だかんな?(やっぱり駄目だったか・・・)」

 

 念を入れる意味合いも込めてわざと威圧的にギリ子供が怖がらない程度の脅しをかけると、真太郎は透き通る眼で真っ直ぐに俺の視線を見つめてながら俺の差し出した右手の小指に小さな小指をかける。

 

 「うん!ぜったいやくそくする!

 

 確かにこれだけ純粋な感情でまじまじと見られたら、あの寿一さんもついつい気を許してしまうわけだ。

 

 「ゆびきりげんまん」「ゆびきりげんまん」

 「うそついたらはりせんぼんの~ます」「うそついたらはりせんぼんの~ます!」

 

 そして時が経つにつれて、こうした純粋無垢な感情は世の中に存在するありとあらゆる“縮図”に染まっていく。そうしなければ社会という世界では生きていくことができないという現実に、この兄弟もいつかはぶち当たるだろう。

 

 

 

 純粋に生き続けるには、この世界はあまりにも過酷すぎる。

 

 

 

 「ゆびきった」「ゆびきった!

 

 

 

 “それでも、例えどんな理不尽がその小さな身体に襲い掛かろうとも・・・最後まで自分を信じて突き進んで行けよ・・・

 

 

 

 それぞれの胸中を秘めながら、2人は男同士の約束を交わした。

 

 ~~~~~~~~おまけ~~~~~~~~

 

 「・・・さっきの黒山さんの顔。本当に子煩悩な“パパ”そのものでしたよ」

 

 真太郎とのゆびきりを終えた國近に、兄弟のことを本当の母親のようにすぐ後ろで見守っていた杜谷が微笑ましく話しかける。現場には今、とても撮影とは思えないくらいアットホームな空気が流れている。

 

 「えっマジで?うわー見たかったそれ~、ていうか誰か撮ってない?」

 「撮れてる紅林さん?」

 「おう、わいがバッチリ撮っておいた」

 「ナイス誠剛さん、今日の撮影終わったら俺にも見せてよ」

 「ええよドクちゃん」

 

 そして撮影監督の滅多に見せない“裏の顔”の話題で大の大人2人は盛り上がる。このように状況に応じて緊張と緩和を使い分けて緊迫し過ぎないように現場の士気のバランスを整えていくのも、映画監督の仕事の1つだ。

 

 “うわー黒山さん、すごいこっちに聞き耳立ててる・・・”

 

 ちなみにこの時、そんな2人に奥の方からホワイトバランスの調整をしがてらの冷たい視線が向けられていたことは杜谷しか知らない。

 




久しぶりのこぼれ噺、じゃなかったこぼれ話。

今日の幕間を要約すると、映画監督と撮影監督の“昼休憩”の一コマをただ描いたってだけの話です。

ということで3章は次回から後半戦に突入です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・黒山寿一(くろやまじゅいち)
職業:撮影監督
生年月日:1954年1月8日生まれ
血液型:B型
身長:178cm



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