或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.42 夢

 『・・・・・・憬・・・・・・    許してくれ・・・・・・

 

 

 

 「ッ!」

 

 形容しがたい苦しみと共に、奈落の底からロケットに押し出されるような勢いで悪い夢から覚めた。

 

 「・・・ハァ・・・ハァ・・・」

 

 起きたら何故か首元が締め付けられた後のように苦しく、何度が荒い呼吸を繰り返すうちにその感触が“幻”だと理解すると、その感触は一瞬で何処かに消えた。

 

 「・・・・・・何だよ夢かよ・・・・・・良かったけど」

 

 続けて薄暗い部屋の中、ベッドの上で身体のあちこちに手を当てながら“生存確認”をする。どうやらさっきの光景は夢で間違いないようだ。

 

 「・・・・・・朝っぱらから焦らせんなよマジで・・・・・・」

 

 自分の生存が間違いないものだと確信したら、思わず安堵の言葉が漏れる。それぐらい恐ろしい夢だった。

 

 

 

 気が付くと見たこともないような部屋に俺は寝転がっていて、目の前には顔すら知らない見知らぬ男がいた。どんな顔をしていたのかはよく見えなかったが、その男は俺の前に顔を近づけて『許してくれ』と静かに語りかけた。

 

 そして次の瞬間、首元をとてつもない力で押さえつけられるかのような感覚が襲い掛かると同時に、俺は夢から覚めた。

 

 

 

 ピピピッ__

 

 「!?」

 

 意識が完全に“現実の世界”に引き戻された瞬間、目覚ましのアラームが5時30分を告げる。

 

 「・・・さっきから心臓に悪いわ・・・」

 

 そして鮮明に記憶の中に刻まれていた夢の内容は、アラームによって曖昧に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 午前6時、一足早く朝飯を食べる憬とテーブルを挟んだ反対側の椅子に座り歯を磨きながら朝の情報番組に目を向ける母親と2人の食卓。

 

 「前からずっと思ってんだけどさ?アレ邪魔じゃね?」

 

 そして情報番組が流れるブラウン管の上には、早乙女のサインが書かれた色紙が鎮座している。

 

 「だってテレビの上以外で早乙女さんを置ける場所なんてないじゃない?」

 「せめて自分の部屋に飾れよ。それとこれは“早乙女さん”じゃなくて“早乙女さんのサイン”だからな・・・」

 

 

 

 ドラマの撮影で早乙女が俺の住む301号室に来た時、母親はちゃっかり早乙女からサイン色紙を貰い、それ以来早乙女の書いたサイン色紙がブラウン管の上にずっと置かれている。

 

 最初は気になるがわざわざ言うほどのことではなく、日が経つにつれて慣れて気にならなくなるだろうと思っていたが、

 

 “「すげぇ!早乙女雅臣のサインじゃん!」”

 

 と、『星間戦争エピソード5』のビデオを借りに来た有島に弄られたことで一旦目立たないところに色紙を移したが、

 

 “「・・・何で戻した?」”

 “「えっ?だって早乙女さんをあんなところに置いたら失礼でしょ?」”

 

 という理由で再び戻され今日に至るが、やはり存在感が強すぎてついつい目がいってしまう。

 

 サイン色紙1つでも、早乙女の存在感は強いということだろうか。

 

 

 

 「それに憬はHOMEの撮影で色々と早乙女さんの世話になったでしょ?初心忘れるべからずだよ」

 「それっぽい理由でねじ伏せようとすんな。こっちは目に入ってしょうがねぇんだよ」

 

 初心忘れるべからずという“それっぽい理由”で無理やり正当化しようとする母親に、俺は溜まらず冷たく言い返す。

 

 「・・・いつになく気が立ってるわね?」

 「あ?どこが?」

 

 いつもより“少し”気が立っている俺の様子を察した母親が、気を遣ってわざと揶揄うような態度を示す。

 

 「だって憬、今日からクランクインでしょ?そりゃあ無理ないか」

 

 

 

 『ロストチャイルド』の撮影は今日から約1ヶ月をかけて行われる。ロケは一部を除いてほぼ全編に渡って物語の舞台でもある横浜市内かその近辺で行われるため泊まり込みはないが、今日は6時30分には家を出なければならず、撮影日の朝は基本的にいつも以上に早い。

 

 これは余談だが、憬は学校側からの“週3日以上は学校に登校して授業を受ける”という条件付きで芸能活動を許されているため、『ロストチャイルド』の撮影における憬のスケジュールはそれに準じたものになっている。

 

 

 

 「・・・別にいつも通りだろ」

 

 確かに今日から撮影が始まり俺はユウトを演じる上で“一抹の不安”がまだ残っているが、朝から気が立っている理由はこれに加えて今朝魘された悪い夢の“ダブルコンボ”が原因だろう。目が覚めてから30分が経過し、目覚ましが鳴るまでは鮮明に覚えていたはずの夢の内容は、“謎の男に首を絞められた”こと以外何も思い出せない。

 

 ただ、今まで見た夢の中で一番恐ろしい夢だった。認めたくはないけれど母親の言う通り、撮影が今日から始まるということで無意識に気が立っているのかもしれない。

 

 「・・・そう、ならいいんだけどね~」

 

 歯を磨きながら情報番組を観ていた母親は他人事のような台詞を吐き、席を立って洗面台へ向かう。

 

 「・・・何なんだよさっきから・・・」

 

 洗面台へ向かった母親にギリ聞こえないくらいの声量で陰口を呟くと、目を向けた先のブラウン管では最近話題になっている探偵ものの学園ドラマの番宣CMが流れていた。

 

 『この事件の謎は、僕が必ず暴きます

 

 アップショットで被写体を映すカメラを前に、主人公がシリアスな顔で決め台詞を言い終えるのと同時に、ドラマのタイトルがでかでかとブラウン管にカットインして次のCMに移ると、ドラマの主人公と“同一人物”が出演しているチョコレートのCMが流れた。

 

 “すげぇ人気だな・・・一色十夜(この人)

 

 このドラマで主人公の高校生探偵を演じているのは、あの一色十夜だ。もちろん次のCMのイメージキャラクターも、言うまでもない。あのデビュー会見以降CMで度々見かけ、ドラマの番宣ではバラエティ番組や情報番組に次々と出演し、来年の春には初主演の映画の公開も控えているなど、一色十夜は着実に芸能界のスターダムを上がり始めている。

 

 “・・・ゆくゆく俺はこの人と“戦う”ことになるのか・・・・・・ってほんとかよ?”

 

 幸か不幸か俺はこの一色十夜(イケメン)と同年代&同世代の俳優として芸能界に足を踏み入れてしまった・・・と言っても、このイケメンと同じカメラに収まるようになれるのはいつになるのかは全く分からないし、今一つ現実味も湧いてこない。

 

 「いずれは憬も“こう”なるといいね」

 

 そんな心境を知ってか知らずか、チョコレートのCMが終わったタイミングで母親がわざとらしく俺を持ち上げた言葉を送ってきた。

 

 「いや、飛躍しすぎだろ」

 「でも分かんないじゃん?今回の映画でもしかしたらブルーリボン賞とかアカデミー賞を獲ったりしたらさ」

 「あのな母ちゃん、ああいうのは獲りたくても獲れるようなやつじゃなくてな」

 「そんなの私でも知ってるよ。でも本気で芝居を頑張れば分かんないじゃん?」

 「・・・・・・そりゃあそうかもだけどよ」

 

 母親の言うように、良い芝居が出来たらその分だけ賞を貰える可能性は高くはなるだろう。これらの賞を獲るということがいかに俳優にとって名誉なことなのかは、俺はおろか素人でも分かるようなことだ。

 

 「ていうか、別に俺は賞を獲るために“芝居”をやってるわけじゃねぇからな?」

 

 もちろんそんな名誉ある賞を貰えたら素直に嬉しいだろう。でも、俺はそんな理由で役者になったわけじゃない。

 

 「・・・じゃあ、何のため?」

 

 母親が俺に疑問をぶつける。何のために俺は芝居をやっているのか。

 

 

 

 “せっかく “自由”を手に入れたんなら、もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ

 

 

 

 「・・・芝居をしている“瞬間()”を楽しむため・・・的な?」

 

 今の俺が何のために芝居をやっているのか、その答え自体はすぐに出てきたが、いざ言葉にしてみると言い終えた瞬間に血の気が引くほどの恥ずかしさが襲い掛かる。こんなことになるなら、まだ「そんなの知らない」と適当にはぐらかしたほうがまだマシだった。

 

 撮影初日から、幸先が悪い。

 

 「今を楽しむ、か」

 「・・・ったくこんなこと言うんじゃなかったわ」

 

 自分の放った言葉の恥ずかしさにヤケになった憬は、朝飯の残りを一気に口にかきこんだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 11月初旬、ショウタとユウトを演じる渡戸剣と夕野憬が現場入りし、映画『ロストチャイルド』の撮影が本格的に始動した。

 

 

 

 「おはようユウト」

 

 朝の7時。寝室から降りて来た眠気眼のユウトに朝食を作る恵里が声をかける。

 

 「・・・はよう」

 

 眠気眼のユウトは、あくびをしながら曖昧に返事をする。

 

 「・・・随分と眠たそうじゃないかユウト?何かあったか?」

 「・・・いや・・・何でもないよ」

 

 食卓のテーブルの向かい側で新聞を読むスーツ姿の毅が、いつになく眠そうなユウトに少しだけ心配そうに声をかけると、ユウトは再びあくびをしながら途切れ途切れに答える。

 

 「眠れない夜ぐらい誰だってたまにはあるでしょ?お父さんは心配性ね」

 

 相変わらずどこか心配そうにユウトの顔を見る毅に、キッチンで朝食を作る恵里は冗談半分に笑いかける。

 

 「まあ~そっか。ハハッ、俺の考えすぎか」

 

 恵里から心配性なところを指摘された毅は自嘲気味におどけて見せると、そのまま手に持っていた新聞に再び目を通す。

 

 「・・・実はさ、なんかすごく恐い夢を見たんだよね・・・」

 

 すると少しずつ目が覚めてきたユウトが、得体の知れない悪夢を見たことを打ち明ける。

 

 「・・・夢?」

 「・・・うん。どんな夢だったかは全然思い出せないけど」

 

 とてつもなく恐ろしい夢を見て、思わず飛び起きてしまった。その瞬間にどういう夢を見ていたのかは忘れてしまった。ただ唯一、首のあたりが締め付けられるような気持ち悪い感触が残り、その気味の悪さであまり眠れなかった。

 

 「別に全然、大したことじゃないから大丈夫だよ。眠気も覚めてきたし」

 

 自らが見た悪夢の話を打ち明けると、ユウトはテレビの方へと目を向ける。

 

 

 

 ちなみにユウトが毅に眠れなかった理由を聞くシーンでユウトが眠れなかった理由を答える場面のユウトの台詞は、國近がリハーサルの際に急遽アドリブに変更している。

 

 

 

 “『今日、物凄く恐い夢を見たんですよ。どんな夢だったかはここに来る間にほとんど忘れたんですけど』”

 

 

 

 リハーサル前に憬が渡戸に溢していた言葉を偶然盗み聞きしたことをきっかけにアドリブに変更した張本人である國近は、モニター越しに憬のアドリブを“監督の目線”で視ていた。

 

 「(・・・流石だな・・・2度目読み合わせの段階から“周囲との距離感”を掴んでいた感触はあったが、リハーサルからの本番。ここに来て更に化けて来たか)」

 

 2度目の読み合わせを境に、憬の芝居は一変した。渡戸と2人だけで行ったという役作りを通じて疑似的な“トラウマ”を自分の中で作り、それを“ユウトのトラウマ”として落とし込んだことでユウトを演じる上で必要な感情を手に入れるのと同時に、“自分がちゃんとしなければ”という余計な焦りも消え失せ、1度目の時とは見違えるほど自然な距離感を出せるようになった。

 

 「なかなかやるやないか・・・憬君」

 

 そんな新人俳優の変わりように、紅林を始め“約1名”を除いてキャスト陣はみな感心の声を上げるほどだった。

 

 “でも、コイツはまだ化けれる

 

 監督として、読み合わせを終えた時点でまだ憬が自分の芝居の出来栄えに心から納得していないことを見抜いていた國近は、予め企んでいた計画を実行に移した。

 

 

 

 「えっ?アドリブですか?」

 「そうだ。何であまり眠れなかったのか、自分がユウトになったつもりで考えてやってみろ」

 

 本来の台本には何の関連性もない全く別の内容()を書いているが、これは最初から“ボツ”にする前提のダミーであり、脚本の安食もそのことを把握した上で協力している。

 

 「いきなりアドリブをやらせるのはちょっとキツくないですか?」

 

 案の定、恵里を演じる杜谷からは半笑いで苦言を言われたが、

 

 「大丈夫です。やらせてください」

 

 当の本人は自信満々にそう答えた。直感というものを当てにしすぎることはあまり良いことではないが夕野の“純粋な眼”を視た瞬間に、“これは行ける”という確信が頭をよぎった。

 

 

 

 「・・・飛び起きた瞬間に忘れたんだけど・・・何かこう、首を絞められた、みたいな?」

 

 そして迎えたリハーサル。確かな自信を持っていた夕野が考えていたアドリブは、まさに“予想通り”かつ最も確実なものだった。

 

 「なぜ“首を絞められた夢”を見たっていう設定(こと)にした?」

 

 果たしてそれがマグレなのか確信なのかを確かめるために、アドリブの真意を俺は問いかけた。

 

 「・・・母親のリョウコに首を絞められたという記憶がトラウマとして潜在意識に残り続けていたから、ユウトはクラスメイトに首を絞められた時にそれを思い出した。でもその本当のトリガーは夢だと思うんです」

 「夢か?」

 「はい。前にも話しましたが、剣さんとの役作りで実際に同じようにシーンの再現をやってみても俺は昔の記憶を思い出せなかったように、ユウトもクラスメイトから首を絞められるまでリョウコの記憶を“完全に忘れていた”から、いきなり首を絞められたぐらいではフラッシュバックは起きないと思います」

 「・・・それは単にお前の“私情”じゃないのか?」

 

 本番を前にユウトという役への理解度を確かめるために俺はなおも揺さぶりをかけるが、夕野はそれに全く臆することなく答える。

 

 「いや、ユウトだったら絶対そうなると思うので

 

 

 

 「あれ?兄ちゃんは?」

 

 自分の部屋から出てこないショウタのことを、ユウトは食卓に朝食を並べる恵里に聞く。

 

 「・・・そう言えば起きてこないわね?確か今日は1限目から授業があるのに」

 

 そう言うと恵里は毅とちょうど真向いの椅子に座る。ちょうどその頃、今日の授業で提出する予定のレポートを徹夜で仕上げたショウタは、レポートを作成した自分の机に突っ伏すように眠っていた。

 

 「ちょっと起こしてくるわ」

 「いや、俺が起こしてくる」

 

 目覚ましをかけ忘れて寝ているショウタを起こそうと2階の部屋へ向かおうとした恵里をユウトは気遣う。

 

 「おぉ気が利くね~」

 「・・・おう」

 

 自分から進んでショウタを起こしに行こうとする気遣いを褒める恵里に照れ隠しでぶっきらぼうに相槌を返しショウタの部屋へと向かうユウトを、毅と恵里は微笑ましそうに見つめる。

 

 一方の寝室ではレポートを書き終えたショウタが机に突っ伏したまま眠りに就いている。

 

 「兄ちゃん起きろよ。7時だぜ」

 

 ショウタの部屋に入ったユウトが机に突っ伏し爆睡するショウタの肩を揺さぶり起こそうとする。

 

 「・・・ん~・・・」

 「起きろって、今日は1限から授業あるんだろ?」

 

 中々目を覚まさないショウタを、ユウトは声をかけながら更に揺さぶる。

 

 「・・・るさいないま何時だよ・・・?」

 「7時だっつってんじゃん」

 「・・・・・・7時・・・・・・マジで?」

 

 夢うつつのまま時間を聞いて帰って来た答えに10秒ほどフリーズして、ショウタはユウトに聞き返す。

 

 「うん、マジ」

 

 ユウトの言葉で、眠気が一気に吹き飛んだショウタは飛び起きる。

 

 

 

 「カット」

 

 13時25分。國近からの合図で、午前中の撮影はほぼ予定通りに終了した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「それにしてもよくあの土壇場でアドリブが思いついたわね?」

 「いやぁ、たまたまですよ」

 

 午前中の撮影が終わった昼休憩、憬たちキャスト陣は撮影現場のハウススタジオの片隅で紅林の用意した差し入れを片手に談笑していた。現場には撮影時の緊張感とは打って変わってアットホームな雰囲気が流れている。

 

 「でも偶々だとしてもいきなりドクさんからアドリブで行けって言われた一発目からあれだけ辻褄の合うアドリブを突発的に出せたのは凄いことだわ」

 

 一服をするために一旦その場を離れた紅林に代わるように、恵里を演じる杜谷がアドリブ込みの撮影を終えた憬に気さくに話しかけている。

 

 

 

 杜谷久美子(もりやくみこ)。19歳の時に劇団に入団したことをきっかけに芝居を始め、以降は劇団の看板女優として舞台を中心に活躍する傍ら、アニメ作品や洋画の吹き替えで主役級のキャラクターや主演女優の声を担当するなど声優業もこなしていた。そして5年ほど前に看板女優として所属していた劇団が解散して以降は映画やドラマにも進出し、バイプレーヤーとして数々のヒット作に出演するなどジャンルを問わずマルチに活躍する芸歴20年の実力派女優である。

 

 

 

 「あぁ・・・そうすか」

 「褒められているんだからもっと堂々としろよ」

 

 相変わらず杜谷に謙遜気味な憬に隣に立つ渡戸は“もっと自信を持て”と言わんばかりに背中を叩く。

 

 「そもそもまだ片手で数えるぐらいしか場数を踏んでいない新人じゃ普通はテンパって終わるところだよ。若い時の私だったら絶対無理だったと思うわ」

 

 ちなみに杜谷は憬が幼稚園の時に観た“ご都合主義のアニメ映画”で主人公のヒーローの声をあてていたのだが、当の本人はヒーローの“中の人”が目の前にいることに全く気づいていない。

 

 「・・・でも本当にたまたまなんですよ。ちょうど今日の朝、すごく恐い夢を見ていて“もしかしたら”って思っていただけなんで・・・」

 

 

 

 “果たしてユウトはあのきっかけ1つで全てを思い出せたのだろうか・・・”

 

 渡戸から“トラウマ”を植え付けられてからも、フラッシュバックの感覚が今一つ感情としてリンクしないチグハグな感触が残り続けていた。2度目の読み合わせや撮影に向けた自主練を経て、宮入家との距離感やユウト自身の感情には確実に近づいているという手ごたえはあったが、自分の中では納得できていなかった。

 

 物語の展開上、ユウトがクラスメイトから首を絞められたことだけがリョウコの記憶のトリガーだったとは思えなかったからだ。

 

 “・・・まだ俺はユウトにはなれていない・・・”

 

 そんな“一抹の不安”を抱えながら迎えた本番当日の夜明け。夢の内容自体はほとんど思い出せなくなってしまったが、今まで見た中で最も恐ろしい夢だったことだけは頭に残り続けていた。

 

 

 

 「多分、夢を見ていなかったら俺はドクさんのアドリブに応えられませんでした」

 

 

 

 現場(ここ)に向かう道中で、俺はふと思った。この“悪夢”をどうにかしてユウトの感情として落とし込むことは出来ないのか。悪夢を見たというトリガーがあれば、この後に起こるフラッシュバックにも違和感なく繋がる。

 

 問題はそれを監督の國近にどう伝えるかだった。そもそも台本を含め『ロストチャイルド』のストーリーに、ユウトがリョウコに首を絞められる夢を見たという事実は存在しない。つまりこれは、新人がいきなりあらすじに盾突くことを意味していた。

 

 いくら役者は自由であることがなんぼとはいえ、さすがにそれは恐れ多いにもほどがあった。

 

 「えっ?アドリブですか?」

 「そうだ。何であまり眠れなかったのか、自分がユウトになったつもりで考えてやってみろ」

 

 そんな俺の願いが通じたのか、國近が自らあらすじを潰してアドリブを要求してきた。本当にリハーサルの直前だったために戸惑い迷う暇もなく俺は一か八かの賭けを実行したら、偶然(まぐれ)とはいえそれが良い具合に噛み合った。

 

 

 

 “アドリブを終えた瞬間、俺の見た夢とユウトの見た夢が“重なる”感覚を覚えた

 

 

 

 「・・・憬くんは夢を見たおかげでユウトに近づけたって思ってるかもしれないけど、そもそも“ユウト”のことをもっと知りたい、もっと“ユウト”に近づきたいっていう思いがずっと心の中にあったから、憬くんは“ユウト”と同じように夢を見たんだよ」

 

 全ては偶然の産物(たまたま)だと自嘲気味に言う憬に、杜谷はこれまでの努力を労う言葉をかける。

 

 「だから今日のアドリブは全部憬くんの実力のうち。剣くんもそう思うでしょ?」

 「そうですね。舞台だろうと映画だろうと、稽古やリハは関係なく最終的には“本番が全て”の世界なんで極論だとやったもん勝ちですからね」

 「やったもん勝ち・・・」

 「そもそもアドリブ1つでドクちゃんにあそこまで言わせた時点で今日は憬君の大金星や」

 

 そしていつの間にか一服を終えて戻って盗み聞きを立てていた紅林が、“宮入家”の会話に加わる。

 

 「現に憬君、自分で考えたアドリブに確かな手応えを感じとるやろ?」

 

 

 

 “「与えられた役を演じる中で自らの経験を“役者の人生”に落とし込める役者は非常に少ないもんさ・・・・・・自らの意思でユウトの感情を正当化した以上、最後までソイツを飼い慣らせ」”

 

 

 

 リハーサルと最後の演技指導を終えた國近は本番前に俺にこう言った。それが紛れもない“お褒めの言葉”であることはすぐに分かった。

 

 「・・・はい。確かにあの夢を“ユウト”の感情に落とし込んでみたら、距離感は更に近くなった手応えはあります」

 

 紅林の言う通り、フラッシュバックのトリガーに“潜在意識(ゆめ)”が加わったことで俺はまた一つユウトに近づけたのかもしれない。だがそれと同時に、1つだけ引っかかっていることがまだあった。

 

 「でも、母親のリョウコと“対面”するには・・・もっと俺がユウトに近づかなければ駄目だと思うんです」

 

 2度目の読み合わせの時、宮入家の人間からは “「見違るほど良くなった」”と認められたが、リョウコを演じこの映画における“トメ”でもある入江ミチル(母親)は一度も首を縦に振らず目線すら合わしてもらえなかった。

 

 「・・・入江さんにとっては俺の演じているユウトはまだ、“リョウコの子供”じゃないと思うから」

 

 自分の中にいる“ユウト”が “実の母親”に認められていない現状が、俺の置かれている現実だ。

 

 「・・・ワイはそこまで気にすることはないと思うけどね。別にミチルちゃんがどう思うが、今“ここ”で芝居の権限を持っとるのはドクちゃんやし。憬君のことを観てくれる人間も1人やないし」

 

 確かに掴んだ手応えとまだ自分のことを眼中に視ていないミチルとの間で葛藤する憬に、紅林は優しくアドバイスをする。

 

 「・・・もっとシンプルになって自分の中でベストを出せばいいってことは、自分では分かってはいるんです」

 

 

 

  “もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ

 

 

 

 渡戸の言っていたアドバイスの通りに“今”を精一杯演じようにも、どうしても“リョウコ”のことが気掛かりになる。現に俺の中には、“まだまだ近づける”という強い思いがある。

 

 「ただ・・・俺はどうしても“ユウト”としてリョウコから“認められたい”んです」

 

 強い思いが言葉となって無意識に溢れ出ていた。入江ミチルに認めてもらいたい。そんな理由で俺はユウトという役を演じているつもりは全くなかったはずなのに、それが言葉となって溢れ出た。

 

 その言葉に、渡戸たちは一瞬だけ沈黙する。

 

 「・・・いや、今のはその、認められたいっていうか、そう、“シンプル”にもっとユウトを上手く演じたいな〜みたいな、それぐらいの意気込み的なやつです」

 

 自分で自分の放った言葉に驚き、しどろもどろになりながらも修正する。

 

 「・・・憬くんってさ、意外とハングリー精神高いよね?」

 「・・・えっ?」

 「もちろん良い意味で」

 

 そんなしどろもどろになった俺に、杜谷は微笑ましく笑いかける。

 

 「ハングリー精神を持つことは役者にとって重要なことや。剣君だって一見大人しそうにしか見えへんけどやる時はホンマにやるからな」

 「あんまり誤解を招く言い方するのはやめてくれますか誠剛さん?」

 「嘘つけ役作りとは言うて憬君の首絞めるとかもろ巌先生の影響丸出しやんけ」

 「あれは憬が役作りで悩んでいたからその手助けでやっただけですし、本気も出してません」

 「(いや、どう考えてもあれは本気だった気が・・・)」

 

 そして紅林の主語を省いたような例えに渡戸は困り顔でツッコみ、真面目な様子の渡戸を紅林は弄りつつも可愛がる。

 

 素の紅林は気さくな関西弁のおじさんそのものだが、カメラが回ると一気に全身を纏う空気が“毅”になる。とにかくこの人は普段と誰かを演じている時のギャップの差が本当に激しい。

 

 「まぁとにかく、そうやって上へ上へと高みを目指す姿勢を持つことはええことや。演出家然り、役者も“お利口さん”より“我が強く生意気”なくらいがちょうどええ」

 

 すると紅林は不意に俺の目を見ながら一回だけ肩を叩くと、

 

 「周りの連中から“なんやコイツ?”と思われてからが本番やからなこの世界は・・・」

 

 すれ違いざまにそう言って國近たちのいるスタッフ陣の方へと歩いて行った。

 

 「そろそろ昼休も終わりですね」

 

 渡戸の言葉でスタッフ陣の方へ振り向くと、國近と撮影監督の黒山が中心となって午後の撮影に向けた準備が進められていた。

 

 

 

 “芸能界はね・・・嫌われてなんぼの世界なんだよ。女優だろうと男優だろうとね

 

 

 

 牧から言われた言葉が、ふと頭の中を駆け巡る。

 

 嫌われることが役者にとっていいことなのかはまだ分からない。でも“期待を超える”ということは、認められると同時に“何だこいつは”と敵視されることにもなる。

 

 それでも俺は、そいつらの期待を“超えたい”という根底の思いがある。だからリョウコからユウトとして見られていないこの現状が、俺にはもどかしく感じる。

 

 “『・・・・・・おやすみ・・・・・・』”

 

 感情の抜け切った目で涙を流すリョウコから首を絞められ、殺されかけた。その記憶を思い出してもなお、ユウトはリョウコの元へと1人で向かった。一体何のために・・・

 

 

 

 “『やめろリョウコ・・・!!』”

 

 

 

 “そうか・・・・・・ユウトは悔しかったのか・・・

 

 

 

 「とにかく、自分なりにユウトを一生懸命に演じ切ればきっと伝わるさ」

 

 その場に立ったまま食卓で一足早く準備に取り掛かるスタッフ陣を見つめる憬の肩に、渡戸は手を当てエールを送る。

 

 「・・・はい」

 

 紅林からのアドバイスをきっかけに何かを “掴んだ”憬は、確かな“自信”を胸に秘めて静かに頷いた。




夏が始まってしまった・・・気が付くと来月で投稿開始から丸1年・・・・・・1年ってこんなに短かったっけ?

それはそうと、夕野親子の関係を未だに上手く書けない。仲は良いけどルイレイや夜凪ママのように睦まじいわけではなく、かといって星親子のように一定の距離感があるほど離れているわけでもない。何とも言えない独特の距離感。

一応脳内でIWGPの真島親子を思い浮かべながら書いているんですけど、文字にしてみたらこれがまぁ難しい。

きっとそれぐらい家族の関係って言うのは複雑で難しいものなんしょうかね・・・・・・知らんけど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・紅林誠剛(くればやしせいごう)
職業:俳優
生年月日:1959年7月27日生まれ
血液型:B型
身長:182cm

・杜谷久美子(もりやくみこ)
職業:女優・声優
生年月日:1960年10月31日生まれ
血液型:O型
身長:161cm
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