或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.44 フラッシュバック

 「オイ宮入」

 

 授業終わりの放課後、スクールバッグを肩に背負って部活へと向かおうとするユウトを、ケンジが呼び止める。

 

 「・・・何?」

 

 だがどういうわけかケンジはユウトに対して怒っているようだった。それを直ぐに感じ取りながらも身に覚えが全くないユウトは喧嘩腰に絡んできたケンジに、やや苛ついた態度で振り返る。

 

 「お前だろ俺に万引きをしたって擦り付けたの?」

 「は?何で俺が早瀬を?」

 

 数日前、ケンジはコンビニで“万引き”したことを誰かにチクられ生徒指導を食らっていたが当の本人は万引きなどしておらず、結局はただの人違いだった。

 

 だが今度は、ケンジが万引きしたという噂を流したのがユウトだという噂が学校で広まっていた。

 

 「だってお前がその万引きの話を福田にチクったんだろ?」

 「あぁ万引きのことを話したのは俺だよ、でも誰がやったとかまでは俺は言ってねぇしそもそも知らねぇよ」

 

 ちょうど部活を終えた帰り道、ユウトは部活仲間と共に下校路についていた時に、偶然にも万引きが起きた時間に下校路の途中にあるコンビニに差し掛かり、ユウトは仲間と共にコンビニから駆け足で逃げる男の姿を見ていた。だが暗くなっていた上に距離もあったため顔までは分からなかった。

 

 「とぼけてんじゃねぇよクズ」

 

 だがケンジはユウトの話に全く耳を傾けず、罪を擦り付けられクラスメイトから白い目で見られたことへの怒りをぶつけ続ける。

 

 

 

 「(よし・・・この調子だ・・・)」

 

 1カメを持つ寿一は、目線をカメラ越しに演者に向けつつ冷静沈着にカメラを回していた。ユウトとケンジの喧嘩が始まり、取っ組み合いになった末にケンジが首を絞めたことでユウトがフラッシュバックを起こすまでの一連の流れはワンカットで撮影されるため、演者もスタッフも撮影中の緊張感は半端なものではない。

 

 「は?そんなに俺の言ってることがそんなに信用できねぇの?」

 

 お互いの一歩も引かない態度に段々と苛立っていきヒートアップするユウトを演じる憬とケンジを演じる狩生の感情を読み取り、寿一は次の“動き”を予測しながら眼光を尖らせて引き続きカメラを回す。

 

 「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!

 

 そしてついに堪忍袋の緒が切れたケンジが、ユウトの胸ぐらを力任せに掴む。その衝撃にユウトは一瞬だけバランスを崩しかけるがすぐさま持ちこたえる。

 

 「(オイオイ、随分と気合が入ってんじゃねぇか)」

 

 その光景は、まるで芝居というよりは本気でクラスメイトの2人が喧嘩をしているようだ。

 

 「(・・・ったくこれだから血の気の多いガキは油断ならねぇ・・・)」

 

 2人の喧嘩をカメラで捉えている寿一は、本番に入り今までで一番演技に力の入っている2人を冷静に分析しながら動きを追い続ける。

 

 「(・・・“引き立て役”の癖にこのまま終わりたくねぇってか・・・)」

 

 一方國近は、カメラの先で取っ組み合いの喧嘩を始める2人を台本を片手に眺めながらほくそ笑んでいた。

 

 

 

 「スターズを蹴った?」

 「ハイ。今の事務所からスカウトを貰ったのと同じ日にスターズからもスカウトされたんですけど、フツーに断っちゃいました」

 

 ユウト役のオーディションの時、夕野とはまた違った意味で印象に残った奴がもう一人いた。

 

 「断ったってお前・・・別に華野(かの)さんとこも悪くはないだろうけど何でわざわざ二択の中で“そっち”を選んだんだ?」

 「いやだって、事務所の人に“16になったらバイクを買っていいか”って聞いたらスターズは“NO”、オフィス華野は“YES”。もう即決でしたよ」

 「・・・そんな理由で事務所を選んだのか、お前?」

 「そうです。別に事務所に入る理由なんて何だっていいじゃないですか?」

 

 芸能界(この世界)に入ったきっかけは“学校がつまらないから”という芸能界を志すにはあまりにも安直な動機で、バイクを所持していいかで事務所を決めてしまうような身勝手さに、目上だろうがお構いなしに食って掛かる太々しさを隠そうともしない。

 

 「・・・それより早くエチュードでもやりましょうよ。せっかく芝居しに来たんだから

 「オイいきなり英語で話進めんじゃねぇよナメてんのか帰国子女コラァ?

 「これはスイマセン、9歳までLAで生活してたもんでそのクセがつい」

 

 おまけに履歴書に書いてあった6年間の海外生活を経て手に入れたであろうアメリカ仕込みの流暢な英語で嘲笑うようにさっさとオーディションを始めようと俺を急かしてくる始末。少なくともこの“ネイティブ顔負け”のスムーズな発音からして、経歴はガチだ。

 

 「・・・チッ、わざとなのが見え見えなんだよ」

 

 そんなクソほど生意気な態度の奥底にある我の強さに、自分という確たる“芯”を見た。

 

 “・・・まだ主演で使うには至らないが・・・・・・野放しにするのももったいない・・・”

 

 「・・・ひとつ言っておくが、お前はこれからビッグになるかクソガキで終わるかのどっちかだな

 

 狩生尋(かりうひろ)、15歳。コイツもまた、夕野と同様に“大器になる”素質を持っている。

 

 元々ケンジの出番は今撮影している喧嘩のシーンだけの予定だったが、端役では収まらない狩生の素質を見て、急遽ケンジの出番を増やした。無論それを含めて色々な要因があったおかげで台本の完成が顔合わせ当日まで遅れたのは言うまでもない。

 

 

 

 “・・・これだから未完成の役者(ガキ)は演出し甲斐がある・・・”

 

 本番に入って一気に芝居のギアを上げるように、本当の喧嘩さながらの演技をする憬と狩生を國近は食い入るように見つめる。

 

 “しかし、狩生(コイツ)がここまで()るやつだったとは・・・”

 

 だがこの時、國近の脳内にはたった1つの誤算が生まれていた。本番に入りユウトへの感情移入を急激に上げてきた憬はともかく、本番になって狩生の芝居が國近の想定を上回って来たのだ。

 

 “どおりでこんな性格でも華野さんがコイツを薦めてきたわけだ”

 

 事務所のオーディションに通ったこともあり基礎的な技術は身に付けていた狩生だったが、今までは憬の新人離れした芝居に反して読み合わせやリハの時点での芝居自体は特筆するほどのものではなく、國近自身も出番を増やしたことは早とちりだったかもしれないと内心では思っていた。

 

 “・・・お前も案外良い芝居(モノ)をもってんじゃねぇか・・・”

 

 だが本番に入った瞬間、狩生はリミッターを外し隠し持っていた力を一気に発散するような熱量で芝居を始めた。とはいえそれは憬のように役に入り込むというよりは、自身の感情を介して“ゾーン”に入っている状態と言えるものだが、それがケンジの感情とうまい具合にリンクし、フィクションとは思えないほどのリアリティーあるシーンが展開されている。

 

 これは國近にとっては想定外であると同時に、“嬉しい誤算”でもあった。

 

 “・・・ただあまり力を入れ過ぎて飲み込まれないでくれよ・・・”

 

 狩生は今、引き立て役(ケンジ)として主人公(ユウト)に正面からぶつかり、対等に渡り合っている。そして引き立て役の芝居が際立てば際立つほど、主人公の存在は大きくなる。

 

 だからといって不安材料がなくなったわけではない。今カメラの前で喧嘩を繰り広げている2人は所詮、互いにそれぞれ芸歴1年目の青二才。役者としての実力や素質はともかく経験値はどちらも限りなく浅く、力加減も完全には制御しきれていない。

 

 

 

 “・・・嫌な予感がする・・・

 

 

 

 「てめぇマジで殺してやる・・・!」

 「あぁやってみろよ!」

 

 そして2人は机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、ついにユウトは教室のロッカーに背中から寄りかかるような形になる。いよいよここからケンジがユウトの首を強く締めて、ユウトは母親のリョウコから無理心中で首を絞められた過去を思い出す。

 

 「お前のせいで・・・!

 

 ロッカーに寄りかかった体勢になったユウトの首を、ケンジは思い切り力を込めて締める。

 

 「やめろケンジ!」

 

 すると野次馬のように見ているだけだった周囲の取り巻きもさすがに危険を感じてユウトとケンジの喧嘩の仲裁に入る。

 

 「・・・!?」

 

 仲裁に入った生徒がユウトとケンジを引き離した直後、ユウトの顔が突如として青ざめ次第に呼吸も荒くなり、“何かに”怯えるような目線を周囲に向ける。

 

 「・・・やめろ・・・やめろ・・・!」

 

 一見するとこれは台本に書かれていたシナリオ通りで、取り巻きの生徒を演じている役者陣もここまで順調に撮影が進んでいることを疑いもしない。

 

 「(・・・いま一瞬・・・夕野(こいつ)の芝居が解けた・・・?)」

 

 だがカメラを回す寿一とモニターと演者を交互に確認しながら指揮を執っている國近の2人だけは、憬に起きたある“異変”に気が付いていた。

 

 「(何とか持ち直したか・・・でもまずいな・・・)」

 

 それは素人の目線からしてみれば全く気付ける隙もないほどに細かな違いだったが、狩生から首を絞められたその瞬間、本当に0コンマほどの一瞬だったが夕野の芝居が解けた。モニターと演者を交互に見ていた俺がそれに気付けたということは、間違いなく寿一さんもそれに気が付いている。

 

 まさかとは思うが、今までで一番の熱演をする狩生に触発される形で必要以上に役に入り込んでしまったのだろうか。

 

「・・・なんで・・・どうして・・・?!」

 

 夕野はユウトの感情に乗り切りフラッシュバックに怯え続ける。だが首を絞められたのを境目にしてその感情にはどういうわけか、“リョウコ”以外の誰かがいるような背景が浮かび始めた。

 

 「・・・お、おい?どうした宮入?」

 

 一方で、夕野の身に起きていることなど全く気付く様子のない狩生はケンジとして芝居をそのまま続ける。無論、“この程度”の感情は素人はおろか映画鑑賞を生業にしているマニアですら気付けることは容易ではないだろう。

 

 だが俺にとっては、そんな1ミリにも満たないような“感情の綻び(ズレ)”が気に障って仕方がない。

 

 

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・」

 

 得体の知れない何かに怯えながら額から汗を流して明後日の方角に視線を定めたユウトは力なくそう呟くと、そのまま意識を失う・・・

 

 「カットだ」

 

 憬がユウトの台詞を呟いた直後、國近は突如として撮影を止めた。後はフラッシュバックのショックでその場に倒れたユウトに、ケンジが肩を揺さぶりながらユウトの名前を何度も呼ぶシーンを残すのみでワンカットの撮影が終わるというタイミングだった。

 

 「・・・何で止めたんですか?」

 

 今のどこがNGだったのかを理解出来ずにいる狩生が憬を除くその他の役者陣の気持ちを代弁するが、憬はその場に座り込んで“自分でも何が起きたのか分からない”といった表情をしたまま、カットをかけて駆け寄ってきた國近の方に視線を向けている。

 

 「・・・夕野?」

 

 そして憬の只事ではないような表情が視界に入った狩生も、少しずつではあるが“何かが起こった”ことを察し始める。

 

 「夕野・・・正直に答えろ・・・・・・今お前が頭の中に思い浮かべたのは、本当に“母親(リョウコ)”か・・・?」

 

 何が起こったのか全く把握出来ておらず混乱する撮影現場の空気をよそに半分放心状態となった憬の前に駆け寄った國近は、憬の肩に手を置きながら“何かに怯え続ける”視線を凝視しながら問いかけた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『・・・憬・・・』

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 『・・・君は相変わらずかわいいな・・・』

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 “・・・えっ?・・・”

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 あまりに突然の出来事に、声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま俺の意識が再び遠のき始めた。

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?”

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 どれくらいの時間が経ったあたりか、右隣から母親の叫ぶ声が聞こえた。そしてその声に妙な安心感を覚えた俺の意識はここで途絶えた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・ッアァッ!!・・・ハァ、ハァ・・・ハァ・・・」

 

 午前5時30分。憬は幼いときの悪夢に魘されながら飛び起きた。

 

 ピッピッピッピッ_

 

 「・・・・・・ッ!」

 

 飛び起きたと同時に午前5時30分を知らせるスマートフォンのアラームが鳴り響き、憬は反射的にそのスマートフォンを右手で乱雑に拾い上げ壁に投げつけようとする。

 

 “・・・・・・何やってんだ・・・・・・俺・・・・・・”

 

 アラームが鳴りっぱなしのスマートフォンを壁に投げつけようとする寸でのところで正気に戻った憬は、アラームを止めて乱れた呼吸を整える。

 

 

 

 それは、考えうる限り最悪な“悪夢”だった。

 

 

 

 

 “・・・・・・まさか父親(あいつ)の記憶が夢の中に出てくるとは・・・・・・”

 

 俺が役者を辞め、小説家として生きていくことを決めた“あの日”に“心の奥底”へ葬り去ったはずだった、父親の記憶。俺の頭の中に残っている記憶の中で最も古い記憶であり、俺の頭の中に唯一残り続けている父親との記憶。

 

 何故あの時父親は泣いていたのか、それは未だに分からない。結局あの日から30年以上の時が流れたが父親とはあの日以来会ってすらおらず、どこで何をしているのかすらも分かっていない。

 

 「・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

 それにしても、何故今更になってこんな“大昔の過去(トラウマ)”が夢になって出て来たのだろうか。はっきり言ってあの日の記憶は、思い出そうと考えることすら苦痛だ。

 

 “・・・気分が悪い・・・”

 

 最悪な悪夢に魘され頗る気分の居心地が悪くなり、ひとまず一服をしようと嗜好品を置いているリビングへと歩みを進めようとしたその時だった。

 

 “・・・・・・痛くない・・・・・・”

 

 どういう訳か、それまでこういった“悪夢”を見た後に必ず襲ってくるはずの頭痛が全く襲ってこないことに気が付いた。小説家の男が俺の前から姿を消したあの日を境に、それ以前の過去を見ると必ず頭痛が襲って来たが、今回はその頭痛が全く襲ってこない。

 

 

 

 “『人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?』”

 

 

 

 ふと何らかの“因果関係”があるのではないかと疑った俺はリビングの絵画の前に向かい、小説家の男が言っていた言葉を思い出す。

 

 “・・・やっぱり駄目だ・・・”

 

 だが相変わらず、あの言葉以外の記憶は蘇る気配すらない。悪夢と頭痛の関連性は何なのだろうか。そんなもの病院へ行ったところでただの偏頭痛で済まされ、現に頭痛薬(タブレット)さえ飲んでしまえばすっかり落ち着いてしまう程度のものだ。だとしたらやはり今までの悪夢は全て “頭痛”が起こるタイミングを教えてくれるための身体のサインのようなものだったのか。でも仮にそうであるとしたら、先ほど見た“悪夢”で頭痛が起こらないのはおかしいのではないか・・・だとしたら今のはいったい・・・・・・

 

 “・・・・・・って、さっきから俺は何をやっているんだ・・・・・・”

 

 再び俺は冷静になる。たかが悪夢の1つで、何をここまで考え込んでいるのか。この1年の間で久しぶりに精神的にも忙しくなり、思考回路が偏り始めているのかもしれない。

 

 “そもそも今はこんなことをしている場合ではない”

 

 「・・・吸うか・・・」

 

 変な方向へ暴走し始めた思考回路を一旦リセットするために、憬は嗜好品(セッター)とライターを手に取り黎明の空に照らされた都心が眼前に広がる22階のバルコニーへと出た。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「夕野・・・正直に答えろ・・・・・・今お前が頭の中に思い浮かべたのは、本当に“母親(リョウコ)”か・・・?」

 

 俺の右肩に優しく掌を置き、真っ直ぐ俺の目を凝視しながら言葉をかける國近の姿を認識して、ようやく俺は我に返った。

 

 「・・・いや・・・・・・違います・・・」

 

 『HOME』の撮影で役に入り込み過ぎて我を忘れ共演者を本当に殴ってしまった時の感覚とも違う、説明のつかない未体験の感情。今この段階で把握出来ているのは、ケンジを演じる狩生の芝居がリハーサルとはまるで段違いの熱量で、自分の想定していた以上に俺も狩生(ケンジ)に対して本気で怒りを感じながらユウトを演じていたということ。

 

 そしてケンジ(狩生)から首を絞められた瞬間、撮影初日の朝に見た悪夢と全く同じ光景がユウトと同じように“フラッシュバック”したということ。

 

 「・・・じゃあ・・・一体誰を思い浮かべた・・・?」

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・』”

 

 

 

 「・・・多分・・・・・・“父親”・・・だった人だと思います」

 

 身に覚えのないはずの記憶が物凄いスピードで頭の中を駆け巡り、気が付くとユウトに入り込んでいたはずの感情が滅茶苦茶にかき乱されていた。

 

 「・・・父親だった・・・どういうことだそれは?」

 「・・・・・・俺もよく分からないです」

 

 どんなに“これはただの悪い夢だ”と自分に言い聞かせようとしても、一度“思い出してしまった記憶”は一向に頭から離れない。名前はおろか顔も知らなかったはずの“父親”に声をかけられ目が覚めて、何が何なのか分からぬまま首を絞められた2歳の記憶。

 

 「よく分からない・・・ひょっとして親父のことを覚えてないのか?」

 「オイそれ今じゃないと駄目か?」

 

 撮影そっちのけで憬の父親のことを聞き出す國近にしびれを切らした寿一が顔を下に向けながらわざとらしく不満を漏らす。

 

 「あぁ駄目だ。今の状態じゃ撮影自体も無理だからな

 

 寿一が漏らした不満を、國近は憬に視線を向けたまま即答で返す。

 

 「つってもこのシーンをまともに撮れる余裕があるのは今日ぐらいだぜ監督?」

 「最悪次ん時についでで撮れるでしょ?」

 「・・・その気になれば撮れなくはないがスケジュールがかなりキツくなるぞ」

 

 もちろん國近と同様、憬の“今の状態”がとても役を演じられるような状況ではないことを肌で感じ取っていた寿一は無暗に反論せず、國近と共にその場で打開策を考え始める。

 

 

 

 “このままじゃ駄目だ・・・俺は役者だ・・・役者だったらこの感情をも芝居に利用しろ・・・そのために俺は・・・・・・”

 

 

 

 「・・・すいません・・・!」

 

 無理やり覚悟を決めた憬は、その場で立ち上がり國近に向けて一礼をする。

 

 「次は最後までちゃんとユウトになりますので・・・どうかもう一度チャンスを下さい・・・」

 

 だがどんなに覚悟を決めようとも、どんなに感情を切り替えようとも、2歳の記憶が頭の中から一向に離れない。

 

 

 

 “頼む・・・・・・離れてくれ・・・・・・離れろ・・・!

 

 

 

 そう強く思えば思うほど、その記憶もより一層力を増して頭の中を駆け巡り邪魔をしてくる悪循環に苛まれる。

 

 「・・・夕野・・・今日はもう撮影終了(おわり)だ・・・」

 

 そんな俺の迷いが見抜かれてしまったのか、國近は授業中に体調を崩した生徒に早退を促す担任の如く身を案じるような視線を送りながら冷静な口調でそう告げる。

 

 「でもそれだと撮影が」

 「それなら4日後ここでまた撮る時にぶっつけでやればどうにかなるでしょ?ねぇ寿一さん?」

 「監督がそんな他人(ひと)任せなこと俺に聞くんじゃねぇ」

 

 だがあくまでもほんの脅しのつもりで言っているのだろうと感じた俺は“それだと撮影が出来ない”と返そうとしたが、それを遮り國近は撮影監督の黒山と撮影スケジュールの相談を始める。

 

 そんな國近を見て、俺は“『今日はもうおわりだ』”という言葉が本気であることを察した。

 

 「・・・どうしても駄目ですか?」

 

 頭の中を駆け巡り、心を搔き乱し続ける“記憶”を押し退けつつ、國近に“まだやれます”という意思を伝える。

 

 「駄目なものは駄目だ

 

 それも虚しく、國近は目を凝視しながら即答でピシャリと言い放つ。

 

 「ぶっちゃけ言うといま起きた“芝居の綻び”に素人が気付くことは殆どないだろうよ・・・でもその綻びっていうのを暴いちまう人間ってのは、世の中には案外うじゃうじゃいやがるもんさ・・・・・・嫌な話だろ?要するに分かる奴には分かっちまうってことよ。そしてその綻びは例え1ミリに満たなくとも、たったそれだけの感情の綻び(ズレ)物語(シナリオ)は容易く破綻しちまう・・・だから観客にとっては1ミリにも満たないようなお前の“芝居の綻び”が、俺は許せねぇんだよ。個人としてじゃなく、映画監督としてな」

 

 捲し立てるわけではないが、心の奥に叩きつけるように言い聞かせる國近の持つ映画監督としての美学と正論を前に、俺は何一つ返す言葉が出てこない。

 

 「現に今もこうして、お前の頭ん中には母親(リョウコ)ではなく父親の記憶がぐるぐると駆け巡っているはずだろ?悪いがこういう仕事(こと)を四六時中してると100パーまではいかないが演者が今考えていることがおおよそ予想出来ちまうんだよ・・・」

 「いや・・・ちゃんとカメラが回ったら切り替えますので」

 「だから今の状態のお前じゃユウトはおろか誰も演じられねぇんだよ何度も言わせんな!

 

 それでもどうにか撮影を続けたい意思を伝えようとするが“こんな状態”じゃ満足にユウトを演じられないことを自分以上に理解していた國近の前では全く通用せず、“わからず屋”は案の定監督から叱咤を食らう。

 

 「冷静になってよく考えろ・・・・・・飼い慣らせていない“不完全な感情”のまま役を演じて誰よりも後悔するのは夕野、お前自身だ

 

 そんなことは俺でも分かっている。自分自身の過去を“過去”に出来ていない時点で、今の俺はユウトを演じることは出来ない。でも今の俺には、どうやってそれを“ただの過去”として芝居に利用すればいいのか分からない。

 

 本当に心の底から、目の前と頭の中で起こっている出来事が全て夢であってほしいと思った。

 

 「てことで今日の撮影はこれにて終いだ。このシーンは4日後に改めて撮影する。ハイみんな撤収」

 

 

 

 こうして学校のシーンの撮影は、憬の身に起こった予期せぬフラッシュバックにより國近の判断で4日後にまとめて撮影することとなった。

 




※補足です。本編にてユウトを主人公に見立てている部分がありますが、あくまでこれはユウトとケンジの喧嘩のシーンでの立ち位置の関係でそうなっているだけですので、以後お見知りおきを。












暑すぎて逆に冬眠したい。
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