或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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データ的には50話目ですが、キャラ紹介を含めた数となるので本当の意味での50話目は次回になります。


scene.45 記憶

 「さて、気を取り直し改めて聞こう。さっきお前が言っていた“父親だった人”っていうのはどういう意味だ?」

 

 スタッフに撤収の指示をかけ撮影を4日後に延期した直後、國近は憬を誰もいない教室に呼び出して面談のように椅子と机を並べて1対1の対面で座り、憬が思い出したという“父親”のことを話し合っていた。

 

 「・・・俺が2歳になって横浜へ引っ越した時に離れ離れになった、父親です」

 

 今まで、頭の中からごっそりと抜け落ちていたはずの父親との記憶。身に覚えのない記憶が頭の中を駆け巡った瞬間、何が起きたのかさっぱり分からなかった。だが冷静になって思い返すと、確かにあの時に首を絞められたという感覚が残っていた。

 

 相変わらず父親の顔は思い出せないが、それまでモザイクがかかっていた光景が鮮明に視えるようになった。

 

 「“あの瞬間”まで父親のことは何にも覚えていなかったのか?」

 「・・・・・・はい」

 

 はっきりと分かるのは、これは間違いなく“本物の記憶”だということ。

 

 「・・・フラッシュバックか・・・」

 

 狩生から首を絞められた瞬間に父親との記憶を思い出したことを憬から聞き出した國近は、“なるほどな”と言いたげに呟く。

 

 「・・・・・・」

 

 そして呟いた國近に目を向けたまま、憬は無言で一回頷く。

 

 「・・・ちなみにフラッシュバックが起きた“原因”は自分で理解できてるか?」

 

 

 

 “「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!」”

 

 本番、少しでもミスをすれば最初からやり直しというワンカットの撮影で、狩生は一気に芝居のギアを上げてケンジを演じていた。掌で机を思い切り叩き、本気で俺の胸ぐらを掴んできた。

 

 “「聞けっつってんだよ!」”

 

 不思議とそれに驚きは感じなかった。寧ろあそこまで振り切って()ってくれたおかげで感情にも乗りやすく、間違いなくこれまでで一番ユウトを演じ切れているという感触を演じながらも感じていた。

 

 “「てめぇマジで殺してやる・・・!」”

 “「あぁやってみろよ!」”

 

 そして机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、互いに弾き飛ばして俺が教室のロッカーに背中から寄りかかるような形でぶつかった。それを見た狩生が俺を目掛けて近づき、その勢いのまま俺の首を強く締めた。

 

 “「お前のせいで・・・」”

 

 狩生が俺の首を絞めた時の力は、手加減無しの本気のものだった。正確には窒息するほど本気で首を絞めたわけではなかったが、そう錯覚してしまうほどの強い感情が溢れ出ていた。そしてユウトはケンジに首を絞められたことで母親(リョウコ)の記憶がフラッシュバックするはずだった。

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 

 

 だがあの時、頭の中に浮かんできたのはユウトの記憶ではなく“俺自身”の記憶だった。奇しくもそれを思い出したのは、ユウトと全く同じ理由だった。

 

 狩生が悪いわけじゃない。もちろん誰も悪くない。ただ偶然にもあのタイミングでユウトと全く同じフラッシュバック(出来事)が自分の身に起こっただけのことだ。

 

 ずっと心の奥底に眠り続けていた12年前の記憶(トラウマ)がある日突然悪夢となって出てきて、そしてクラスメイトに首を絞められたことで記憶(それ)が完全に蘇った。

 

 

 

 「・・・そうか・・・・・・じゃあ父親の記憶もそれだけってことか?」

 「はい・・・・・・俺の中にある父親の記憶はこれだけなんですよね・・・」

 

 フラッシュバックが起きた経緯はほぼ予想通りだった。やはり狩生の予想外の熱演で今まで以上にユウトの感情に入り込んだ結果、夕野(コイツ)の深層心理の奥で眠っていた記憶を図らずとも呼び起こしてしまったということだ。こんなシナリオはフィクションでも早々起こり得ないことだろうが、そんな事態が今まさに夕野の身に起きているということだ。

 

 「・・・・・・こんなことって本当にあるんだなぁ・・・・・・」

 

 憬の置かれている状態を完全に把握した國近は誰に向けて言う訳でもない独り言をわざとらしく呟くと、そのまま明後日の方角に視線を向けながら考え込む。

 

 「夕野は自分なりに打開策は考えてんのか?」

 

 そして数秒の間を空けて國近は憬に問いかける。

 

 「・・・とにかく・・・俺の中にあるこの記憶を“過去(ユウト)”のものにして、芝居として利用する・・・それしかないと思います」

 

 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、國近の問いに憬は自分なりの見解で答える。

 

 はっきり言ってこの状態から抜け出す決定的な方法は、これしか思い浮かばなかった。とはいうものの、そこに至る方法は思い浮かばないままだ。

 

 「そうやって言葉にして俺に伝えてくれてるけどさ、今のお前にそれが出来んのか?」

 

 案の定、國近はそれを瞬時に察して間髪入れずに更なる追い打ちをかける。

 

 「・・・・・・分かりません」

 「だよな?もし出来てたらとっくに俺はOK出してるし」

 

 

 

 “こうやって言葉にすることは簡単だが、これらを実践することは生半可な決意じゃ絶対に不可能だ

 

 

 

 今になって、オーディションの時に國近が言っていたあの言葉が深く胸に突き刺さり、高い壁として目の前に立ち塞がる。確かに俺が言葉として出した方法を今すぐにでも実践できていれば、今日の撮影は延期になどならなかった。

 

 「・・・俺はお前に言ったはずだぜ?“台本”と睨めっこをする前に、先ずは周りの人間を“視ろ”ってな」

 

 俺はユウトの過去を“完全に理解”したところで母親(リョウコ)に子供として見てもらえず捨てられた悔しさに依存してしまい、自分でも知らないうちに掘り下げが偏ってしまっていた。

 

 「役作りっていうのは本番が始まるまでが大事だとお前は思い込んでいるだろうが、その本番でトチっちまったら何の意味もねぇだろが」

 

 腕を組みながら“役者としての視野の狭さ”を静かに咎め続ける國近に、俺が言葉を返す資格はない。

 

 「・・・好きに演じることとただ独りよがりになることを履き違えるな・・・夕野・・・

 

 それでも本番が始まってしまった以上、役者は何があろうとも最後まで演じ切らなければならない。時間も限られている以上、いつまでもウジウジと悩んでいる暇もない。

 

 

 

 “監督の“想い”に答えられない役者は、失格だ

 

 

 

 「・・・・・・はい

 

 國近からの叱りを込めたアドバイスを受けてようやく“父親の記憶”を頭の片隅へ追いやることの出来た憬は、國近の目を真っ直ぐ見つめて自分の意思を伝える。

 

 “よし・・・やっと落ち着いてきたか・・・”

 

 「・・・夕野、明日は空いているよな?」

 「えっ?あぁ、はい」

 

 憬がフラッシュバックを起こした状態からひとまず抜け出したことを確認した國近が、憬に一枚のA4用紙の資料を渡す。

 

 「明日の9時半にここへ来い」

 「・・・ここって」

 「決まってるだろ?このマンションで明日の10時から撮影すんだよ」

 

 そう言って國近から差し出されたA4の紙には、明日に撮影が行われるロケ地として貸し出されている世田谷区内にあるマンションの一室の外観や、所在地の書かれた地図などが記載された白黒の概要が書かれていた。

 

 「・・・入江さん・・・」

 

 このマンションを使ってどのシーンを撮影するのか、それは台本を読み込んでいた憬にはすぐ分かることだった。

 

 「そう、ユウトにとってトラウマの根源になっている“過去”だ」

 

 資料に書かれているマンションで明日、ユウトが思い出した過去のシーンが撮影される。なぜ國近が俺にこんなことを言って来たのかは、もう明白だ。

 

 「・・・夕野、お前にとってこれは大きなチャンスだ。今のお前の中にある“父親の記憶”を芝居に生かすのか、それともその記憶にお前自身が殺されるのかはここからの4日間にかかってる・・・役者を名乗る以上、お前は覚悟(それ)を常に“俺たち”へ証明し続けなければならない・・・・・・役者になるということはそういうことだ・・・分かったな?

 

 ゆっくりと、そして確実に心へ言葉を突き刺すように國近は憬に覚悟を求める。

 

 「・・・分かってます・・・俺は役者だから

 

 そして國近から課された“一人前の役者”になるための新たな課題に、憬は覚悟を示して答えた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・帰らないのか?お前さん?」

 

 カメラや照明の機材を外して撤収作業をひと段落済ませ自らのカメラを外で待機する機材車へ運ぼうと教室を出た寿一は、衣装の制服から私服に着替え2つ隣の教室の壁に聞き耳を立てるようにして寄りかかっていた狩生に話しかける。

 

 「いや、もう帰りますよ。お疲れした」

 

 すると狩生はそのまま音を立てずにスッと姿勢を正して寿一の方に歩みを進めながら素っ気なく返事をし、そのまま教室の前から立ち去るように寿一の横を通り過ぎる。

 

 「・・・良いのか?夕野に何も言わなくて?」

 

 如何にも憬に対して何か言いたいことを言うために憬と國近が入った教室に聞き耳を立てていたであろう狩生に寿一は意図を確認すると、狩生はクールな表情のまま素っ気なく答える。

 

 「別に言いたいことがあるから盗み聞きしてたわけじゃないですよ・・・でも、中にいる2人の会話を聞いて“なるほどな”って思いました」

 「“なるほどな”ってのはどういう意味だ?」

 

 そんな太々しさを全く隠そうともしない振る舞いに心の中で“あいつに似た生意気な野郎だ”と毒を吐きながら、寿一は狩生に問う。

 

 「・・・・・・夕野(カレ)の芝居を目の当たりにした時は“マジかー”って勝手に思ってましたけど、中身は “案外フツー”の奴だってのが分かったんで。そんだけのことです」

 「・・・・・・は?」

 

 狩生の口から出たあまりに抽象的かつ独特な例えに、寿一は思わず反応が鈍る。

 

 「じゃあ今度こそ、お疲れした」

 

 そう言うと狩生は軽く会釈をして、そのまま振り返ることなく両手をポケットの中に突っ込み昇降口へと歩みを進める。

 

 

 

 態度がやけにデカい上に礼儀はなっておらず、その割には読み合わせやリハの時の芝居は平凡だったが、いざ本番になった瞬間に一気に化けの皮を剥いできやがった。

 

 そんな力を秘めているなら最初から出せよというのが俺個人の見解だ。そして夕野が本当のフラッシュバックを引き起こしてしまった大きな要因の一つだというのに、当の本人に悪びれている様子など全くない。

 

 こういう類の人間は、良くも悪くも現場の空気を変えてしまうリスクがある。今日の本番を迎えるまで、なぜこんな奴を國近が起用したのか俺には全く理解できなかった。

 

 

 

 “だがそんな前評判を見事に帳消しにしてしまうほど、本番で魅せた狩生の芝居は“完璧”だった

 

 

 

 「・・・恐れ知らずの天才なのか単なる馬鹿なのか分かんねぇよ・・・」

 

 階段の踊り場に消えた太々しい15歳の背中に聞こえないくらいの声で悪態をつくと、後ろの方で教室の扉が開く音が寿一の耳に入った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「母ちゃん、明日急遽撮影に行くことになったわ」

 「あぁそう、がんばって」

 

 撮影を終えて家に帰ったあとの夕飯の並んだ食卓で、憬は明日に世田谷で行われる撮影に同行することを母親に伝える。

 

 「・・・そっけな」

 

 だが返って来た反応が思った以上に薄く、憬は軽く不満を溢す。

 

 「なぁ?せめて何かしら驚くとかそういうリアクションはしねぇのかよ?」

 「えっ?いやだってあからさまに“そ~なの~?”みたいにリアクションしたらそれはそれで図々しいでしょ?」

 「あぁ、それはそれでうぜぇ」

 「もしかしてそう言って欲しかった?」

 「んなわけねぇよ」

 

 

 

 “『・・・・・・何やってるの!?』”

 

 

 

 過去を思い出したからと言って、心が抉られるような精神的な辛さはない。だがどうにか平然を装っても、頭の中であの日の記憶がちらついて離れない感覚が残る。そして肝心の記憶は、父親から首を絞められていた時に右隣から母親の叫ぶ声が聞こえたところでプツンと途切れている。

 

 「それで今日の撮影はどうだった?」

 「・・・まあまあだな」

 

 果たして目の前の母親は、父親が俺の首を絞めた“あの日”のことをどう思っているのだろうか。父親はどうして、あんなことをしたのだろうか。そもそも何で母親はあんなやつと家族を築こうとしたのだろうか。

 

 「まあまあって、それじゃあ良いのか悪いのか分かんないでしょ」

 「別に悪くはねぇよめんどくせぇなぁ」

 

 だがその張本人はそんな過去があったと言う素振りを一切表に出さないおかげで、自分で考えただけではさっぱり分からない。かつて夢見ていた女優を諦めたことに負い目を感じているんじゃないかということを除けば、これといって詮索できそうなものはない。

 

 

 

 “今の俺にとってはもう全て“過去”のことだ

 

 

 

 もしかしたら渡戸と同じように、母親にとって父親と過ごしていた日々はとっくに過去のものなのかもしれない。その証拠に母親が仕事の関係で留守にしていた休みの日に好奇心からこの部屋に眠る昔のアルバムを拝借したことがあったが、ここに引っ越す以前に残された思い出というものは何処にも見当たらなかった。

 

 

 

 “父親は最初からいない

 

 

 

 いつもの飄々とした顔のまま母親が言っていた言葉通り、父親がいたという物的な証拠は何一つ残されていない。

 

 「そう。でも良くはなかったと・・・」

 「・・・ていうか母ちゃんは関係ねぇだろ」

 

 それにしても、この母親にどのタイミングでどのような切り口を使って“父親”のことを聞き出すか。いつも通りにただ聞いたぐらいじゃ、いつも通りの“パターン”で終わることは確実だ。

 

 「あとさ、さっきからずっと考え事してるでしょ?」

 「・・・は?」

 

 何の突拍子もなく不意打ちで発せられた母親からの言葉に、俺は完全に面を食らう格好になる。

 

 「何でだよ?」

 「だってさっきから何となくうわの空な感じがするし」

 

 顔や態度にはなるべく出さないように意識はしていたつもりだったが、まさかそんな風に見えていたとは。それにしてもこの母親(ひと)は、時々とんでもない洞察力を発揮してくるから油断ならない。

 

 「・・・気のせいだろ」

 「・・・本当は撮影で“何か”あったんじゃないの?」

 

 浮かない顔をする子供に何があったかを問いただすような態度ではなく、いつものどこか掴みどころのないような軽いノリに近い感覚で母親は追い打ちをかけ続ける。

 

 いや、もしかしたらこれは父親(あの男)のことを聞き出す“絶好のチャンス”なのかもしれない・・・

 

 「いや、それはマジで母ちゃんの気のせいだから」

 

 この瞬間、“俺は何をやっているんだ”・・・と心の中で本気で自分を呪った。

 

 「そう。憬がそこまで言うなら、きっとそうね」

 

 せっかく父親のことを聞き出せるチャンスだったはずが、それを自らの手でフイにしてしまった。何を土壇場になって俺は臆病で中途半端な見栄を張ってしまったのだろう。どうせ聞いたところで“あの言葉”が帰ってくるだろうと思い込んでしまったのか、あるいは真実を知るのが怖いのか?

 

 “過去(これ)”を乗り越えるためには、父親がどういう人でどうして離れ離れにならなければいけなかったのかを母親(この人)から聞き出さなければならないというのに・・・

 

 “・・・こうなったら無理やり聞くしかないか・・・”

 

 「・・・なぁ」

 「うわパジェロ当てたよこの人」

 

 聞き出そうと覚悟を決めた矢先、母親がその覚悟を遮るようにテレビに映った光景をそのまま呟く。

 

 「もしかしてダーツでパジェロ当てた人って初めてじゃない?」

 「・・・知らねぇ」

 

 何気なくバラエティー番組を映し出していたテレビに目を向けると、去年あたりからバラエティー番組を中心に度々見かけるようになったマルチタレントがこの番組の目玉企画でもある“ダーツ”で見事にパジェロを射止めていた。

 

 「でもあれって本当にタダでプレゼントされるのかな?」

 「それでタレントから金取ったら詐欺でとっくに訴えられてんだろ」

 「まぁそうよねー」

 

 パジェロを射止めたタレントはブラウン管の中でクリスマスプレゼントに死ぬほど欲しがっていたゲームを貰った子供の如く喜びを爆発させていて、それを少し冷めたようなテンションで夕飯を口へ運びながら眺める。

 

 ちなみに俺も母親も好んで観ている番組は専らドラマかロードショーと次点にニュースで、バラエティーには殆ど関心はない。自分で言うのは恥ずかしいことだが、こういうところだけはちゃんと“親子”だなと俺は思っている。

 

 「・・・で、何だっけ?」

 「・・・いや、別に」

 

 そして案の定、俺は無意識のうちにまたしてもチャンスを逃す。

 

 結局この日、母親から“存在しない父親”のことを聞き出すことは出来なかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 憬が母親と食卓で夕飯を食べていた頃、カイ・プロダクションの社長室では海堂と菅生が1対1で話をしていた。

 

 「・・・・・・それは本当か?」

 「はい。國近監督及び夕野本人からも確認はとっておりますので間違いないでしょう」

 

 菅生からの伝手で告げられた『ロストチャイルド』の撮影現場で憬の身に起こった一部始終を、海堂は自分のデスクに座りながらサングラス越しに冷徹ながらも様々な感情を込めた視線を菅生へ向けて受け止める。

 

 「・・・メソッド演技というのは時として予期せぬ“精神的反動”を伴うものだからな・・・・・・1つだけ確かなことは、夕野には今まさにそれが起こっているということだ・・・アリサ然り・・・由高然り・・・あとは何人いたか・・・・・・“壁”にぶち当たる日は誰にだって起こり得る」 

 

 遅かろうが早かろうが、メソッドを用いて自身の演じる役の感情を掘り下げる役者にとっては誰もが必ず通るであろう、心の奥底で眠っていた感情の暴走。当然このような感情に時に苛まれながらも闘い続けた役者を海堂という男はこれまでに何人もこの目で見届け、俳優として着実に育て上げてきたことは菅生も十分に理解していた。

 

 だが、憬の身に今回起こったフラッシュバックの件ばかりは、どうしても気掛かりだった。

 

 「しかし問題なのは」

 「夕野が14歳という若さでメソッドを身に着けてしまい、そして “”にぶち当たってしまった・・・・・・そういうことだろう?

 「・・・そうです」

 

 菅生の反論をすぐさま予測し、被せるように海堂は冷徹な表情のまま低めの声で淡々としつつも重苦しい口調で答える。

 

 「・・・お前が夕野のことを心配する気持ちは痛いほど分かる。それは俺も同じだ

 

 

 

 “『私は私のやり方で、これから生まれてくる役者(子ども)たちを幸せにするわ。これ以上・・・私のような“不幸な役者”を生ませないために・・・』”

 

 

 

 「だがどんなに優れた精神力を持っていようと、どんな強運を持っていようと、所詮“運命の悪戯”に俺たちが逆らえる術はない・・・そういう意味では夕野はまだ“恵まれている”・・・なぜか分かるか?」

 

 

 

 態度にこそ示さないが、恐らく夕野を事務所(うち)で預けることになった時、海堂さん(この人)は並々ならぬ覚悟を持って彼を迎え入れたのだろう。芝居によって心を壊してしまった役者(ひと)の気持ちを事務所(ここ)にいる誰よりも理解していながら、僅か14歳にして独学でメソッド演技を身に着けたという“爆弾”を抱えた彼を芸能界(この世界)に引き入れた。

 

 正直言ってこの選択が果たして正解か不正解かは全く想像がつかない。それでもこの人の背負った覚悟とその決断は、自らも心して見習うべきだ。そうしてこの人は数多の修羅場を乗り越え、“この場所”にいるのだから。

 

 「・・・“若い”からですか?」

 「あぁそうだ」

 

 菅生からの解答に海堂は一度だけ軽く頷くと、菅生もそれに会釈で返す。

 

 「・・・夕野はまだ14だ。俳優である以前に人間としてまだ幾らでも伸びしろが残されている。そして“最悪の想定”が起こったとしても、あれだけ若ければまだ人生をやり直すことは出来る・・・」

 「・・・では、社長は今回の件で夕野が壊れることは厭わないと?

 

 かつて未来を託していた“”が壊れていった過去を抱えているとは思えない海堂の言葉に、菅生は控え目ながらも静かに問いかける。

 

 もちろんこれは、この人が誰よりも“”を芝居から守れなかったことを悔いていることを理解した上でだ。

 

 「結論を早まるな、菅生

 

 だがこの人は、そんな素振りを周囲の人間に見せることは一度たりともない。そもそも冷静に考えれば私情ばかりに翻弄されて右往左往するような人間に、芸能事務所の社長など務まるわけがないからだ。

 

 「・・・無論、俺は夕野が壊れることなんざ望んじゃいねぇさ・・・・・・ただ・・・それで“親”から手前(てめぇ)の幸せまで勝手に決められちまったら・・・・・・“俳優()”は何のために芝居をするというんだ?

 

 そんな“古き良き厳格な父親像”がそのまま反映されたような男が発した“手前”の対象が、自分とは正反対の“家族”を築こうとしているかつての“”のことを指していることは明らかだった。

 

 「・・・お言葉ですが・・・アリサ氏もアリサ氏なりに“俳優()”のことは十分に考えておられると私は思っております」

 

 芸能事務所の代表に圧し掛かっている一言では言い表せないあらゆる事情を承知の上で、私はアリサ氏を擁護する。

 

 「・・・あぁ。菅生の言う通り、アリサはしっかりと“俳優()”のことを考えているさ・・・だから夕野の将来を案じてオーディションから落とした。夕野(アイツ)の人生を守るためにな・・・」

 

 当然この人はアリサ氏に経営者ないしプロデューサーとしての才覚もあったことを見抜いていたこともあり、女優時代の彼女が水面下で独立に向けて動いていた際にも複数年の資本提携に加え事務所の立ち上げに伴う資金を折半すると持ち掛けるほど(最終的に両者合意の上で複数年の資本提携のみに落ち着いた)協力的だったという話は、事務所(ここ)の人間や近しい関係者の間ではかなり有名な話だ。

 

 結局それはアリサ氏の“心境の変化”によって望んだものではなくなってしまったが、この人は彼女の“経営方針”自体には一定の理解を示している。そもそも芸能事務所にはそれぞれの(ルール)があり、方針もそれぞれで異なる。だからこそここでは通用する“常識”が向こうではまるで通用しないのはよくある話だ。

 

 「アリサは間違ったことなんて何一つしちゃいねぇ・・・あれが人として当たり前で普通なんだ。寧ろそういうリスクを抱えた人間の一部始終を知っていながら芸能界(こんな世界)に招き入れるような奴らの方が、人として “おかしい”んだ・・・・・・それでも俺は・・・“芝居の喜びを垣間見た人間”の幸せを尊重することをこれからもやめるつもりはない

 

 人の求める幸せというのは人それぞれであるように、それを決める権利は当人しか持ち合わせていない。だからこそ、権力をもった“親たち”は“子供たち”のために今日もそれぞれの戦い方で事務所(家族)を守っている。

 

 「少なくとも夕野は “芝居の喜び”を覚えちまった・・・・・・そのことは菅生も気づいているだろう?

 「・・・はい

 

 

 

 “スターズの方針が“俳優は大衆の為に在れ”であるとするならば、カイ・プロダクションの方針が“確たる信念を持つ1人の俳優で在れ”であるように・・・

 

 

 

 「そうなった以上、何が何でも夕野憬という少年をただの(にんげん)から一人の俳優(にんげん)に導かなければならねぇんだ。それが俺たちの“方針(やり方)”だからな・・・

 「・・・心得ております。社長

 

 これまで早乙女や水沢といった広告塔の活躍を影ながら支え続けて来た菅生は海堂からマネージャー(部下)として絶大な信頼を得られており、菅生自身もまた、海堂の示す“俳優の育て方”に感銘を受けて彼の背中を追っていくことを心に決めている。

 

 そしていずれは自らも“家族を率いる親”として事務所(いえ)を持つという野望も、密かに抱いている。

 

 「では・・・その夕野が“芝居の喜び”を覚えたということを踏まえた上で社長にお聞きしたいことがございます」

 

 そんな事務所の(ルール)に忠実に従いつつも、海堂の元に集う俳優たちと同じように確たる信念を持つ菅生は、腹を括る思いで目の前のデスクに座る海堂に問いただす。

 

 「・・・つかぬ事をお聞きしますが、社長は夕野が2歳の時に父親と生き別れたことに関して、予めご存じでしたか?

 「・・・尋問か?」

 「いえ、これはあくまでも事実確認です。マネジメントを任せて頂いている以上、少しでも多くの情報を共有すべきであると思っておりますので

 

 わざと反応を試すような鋭い視線にも全く臆することなくいつもの調子で主張を続ける菅生に、海堂は静かに溜息を深く吐き終えると再度鋭い視線を向けて真実を伝えた。

 

 

 

 「・・・そんなもの・・・・・・少しばかり調べればすぐに分かることだ・・・

 




色んな意見はあるかもですが、これが自分なりのアクタージュです。

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