或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.46 自信

 翌日_午前9時30分_東京都世田谷区玉川_

 

 「おはようございます」

 

 翌日、憬は國近との約束通り撮影が行われる世田谷区の玉川にある7階建てマンションに来ていた。

 

 ちなみに余談であるがこのマンションは1人の“映画通のオーナー”が一棟をまるごと所有している関係で、撮影に関する手続きが比較的容易で、尚且つオーナーの計らいで各階のうちの1部屋はどれも全て撮影のために空けられていることもあり、その特殊な利便性から業界内では割と存在が知られている有名なロケ地の1つでもある。

 

 「よう、あれから何か進展はあったか?」

 

 ベランダに暗幕が張られ夜のように暗くなったマンションの部屋で各々の撮影準備を進めているスタッフ陣に挨拶をすると、場を仕切っていた國近が開口一番に今の状況を聞く。

 

 「いや・・・全く駄目でした」

 

 結局のところ昨日は母親から父親のことを聞き出すことが出来ず、今のところ何の収穫もなく現状としては全く進展していない状況だ。当然このことは一切包み隠さずオブラートにもせず國近に伝える。

 

 「・・・まぁそうだろうと思ったよ。そもそもソレはお前にとって一日かそこらで解決する問題じゃないだろうしな」

 

 ただそんなことは國近からしてみれば予想通りの話だったらしく、平然としたリアクションで反応を返された。当たり前だ、2歳の時に自分を殺そうとしたかつての父親だった人の話なんて、1日程度で解決できるなんて俺も全く思っていない。

 

 

 

 “父親は最初からいない

 

 

 

 それよりもどうやって母親からその話を聞き出せばいいのだろうか。今までのことを踏まえれば、仮に昨日の時点でタイミングを計って聞いたとしても聞き出せていたとは限らない。

 

 だとしても、聞き出さなければ何も分からないまま終わってしまう。

 

 「おぉほんまに来たのか憬君」

 

 そんな思いを頭の中で巡らせていると背後のほうから聞き覚えのある関西弁が聴こえ、思わず振り向くと紅林が陽気な笑みを浮かべて軽く俺のほうへ手を振りながら歩いていた。

 

 「おはようさん」

 「おはようございます紅林さ・・・って何で剣さんまでいるんですか?」

 

 そしてその隣には来る予定のなかったはずの渡戸の姿もあった。元々今日の撮影では出番のない恵里役の杜谷と同様にショウタの撮影もないはずなのに、一体なぜ?

 

 「俺が呼び出したんだよ」

 

 渡戸が現場に来たことに疑問を抱いた俺の気持ちを代弁するかのように、國近がいきさつを話し始める。

 

 「幾ら巌さんのトコで場数を踏んでいるとは言え、映像芝居の経験はまだまだ“浅瀬”だからな。取りあえず今のうちに色々と勉強しとけってことよ」

 「ありがとうございます。ドクさん」

 

 所々に“言葉の棘”を感じるような言い分だが、渡戸は監督からの言葉を文句の1つも言わずに受け入れる。きっと裏を返せば、それだけ期待しているということだろうか。

 

 だとしたら俺は尚更、その期待に応えなければならない。そのためには何としても“ここ”で、自分の過去とユウトの過去を繋ぎ止める“何か”を掴まなければならない。

 

 「一応ドクちゃんから一通り事情は聞いとるけど、何か“エライ”ことになっとるらしいなぁ憬君?」

 

 “エライ”という意味はすぐにはピンと来なかったが、紅林が昨日フラッシュバックを起こした俺に気にかけているということだけは一瞬で分かった。そして隣に立つ渡戸もそのことを察しているようで、どうやら紅林も含め事情は知らされているらしい。

 

 「そうですね・・・役に入ったことで忘れてた記憶を思い出すなんて経験は初めてなんで」

 「いや、そんなんワイもないで」

 「当たり前です。そもそもそういう経験があるほうが珍しいかと」

 

 フラッシュバックの話にツッコむように言葉を返す紅林を、渡戸が二重でツッコむ。よくよく考えてみれば、こんな突飛な展開はドラマどころか漫画ですら容易く巡り会わないだろう。

 

 “当事者”でもある俺からしても、この状況を完全に把握しきれていないからだ。

 

 「ん~・・・どうも信じられへんな~、結局は憬君の気のせいだったとかとちゃうん?」

 

 やはり俺の身に起きた話に信憑性が感じられないせいもあってか、紅林は俺に顔を近づけるとわざとらしい態度で揺さぶりをかける。

 

 「信じられないかもしれないんですけど・・・ケンジから首を絞められたあの瞬間、本当に思い出したんですよ」

 「役作りで“思い出の場所”に行った時に父親の記憶がないって言ってたからな」

 

 そんな誰が聞いても信じてくれないような話をする俺を、唯一國近よりも先に知っていた渡戸が助け舟を渡すようフォローを入れてくれた。

 

 「・・・・・・確かに“事実は小説よりも奇なり”って言葉があるぐらいやからな・・・・・・ま、取りあえず今日はお2人とも“見学がてら”でええから気軽に諸先輩のお芝居っていうやつを見とくとええ。ほな、ワイは一旦外の空気吸ってくるわ」

 

 すると紅林は“事実は小説よりも奇なり”という言葉でフラッシュバックの話を済ませ俺と渡戸の肩をそれぞれ軽く叩いて気さくに振舞うと、そのまま撮影の行われる204号室を後にする。

 

 何となく“ホンマか?”といったニュアンスでしつこく“試される”ことを予測していたから、リハの直前とはいえあまりにあっさりとその場を後にした紅林に俺はほんの一瞬だけ少しの違和感を覚えた。

 

 

 

 「・・・・・・改めて見るとすごい光景だな、これ」

 

 そして渡戸と共に紅林を部屋の玄関前で見送った憬は、再び撮影準備が進められている204号室の部屋の中に視線を向ける。

 

 「・・・あぁ、言われてみると確かにな」

 

 部屋を見つめる憬がふと溢した独り言に、渡戸が反応する。

 

 「今までずっと演じることばかりであまり意識していませんでしたが・・・スタッフの人たちがこうして準備をしてくれているからこそ、俺たちは自由に演じられているんですね・・・」

 

 何の変哲もないマンションの一室に所狭しとカメラや照明機材が設置され、監督と撮影監督の指示のもと狭い空間の中でリハーサルと本番に向けた準備をスタッフ陣は総出で進めている。

 

 「こうやって1人1人を見てると地味だろ?スタッフのやってる一つ一つのことってさ?」

 

 再び隣に立つ渡戸が、再び俺に話しかける。

 

 「でも“この人たち”がいないと、役者(おれたち)は何もすることが出来ない。それは映像だけじゃなくて舞台もそうだ・・・・・・裏方が演者をこうやって影で支えてくれているおかげで、俺たちは好き勝手に()れるんだよ」

 

 もちろんスタッフの存在が必要不可欠なのは最初から知っていたが、こうやって役が完全に解けた状態で彼らを視たのは初めてだった。

 

 完全に俯瞰した状態でスタッフの作業風景を視ると、ここにいる人たちは本当に凄いことをやっているということが肌で分かる。傍から見るとまるで地味な光景だが、こうした作業を経て、スクリーンに映る華やかなワンシーンが出来上がる。

 

 彼らがいなければ作品は作れない。そして作品が作れなければ、役者(おれたち)は表現を発信することができない。

 

 

 

 “・・・本当に俺というやつは・・・視野が狭い・・・”

 

 

 

 「少なくとも今の憬は、そのことにもう気が付いてるだろ?」

 「・・・はい・・・たった今ですけど」

 

 そんな心の中を埋め尽くそうとしていたネガティブな感情を、渡戸の一言が吹き飛ばす。

 

 「それでいいんだよ。このことに気付けただけでも大きな成長だ」

 「・・・ありがとうございます」

 

 とにかく今は気持ちを切り替え、余計な不安(こと)は考えずにHOMEの時のように役者として盗めるものを盗むことに集中しよう。フラッシュバックや成長出来ていない自分に対する自己嫌悪を排除して、“役者としてユウトを演じ切る”ために今日の現場を見届けよう。

 

 

 

 そう心に誓った矢先だった。

 

 

 

 「随分と勉強熱心なご様子ですね

 

 急に背後から優しく包み込むような温かさと底知れぬ闇を抱えた怪しさが同居したような独特な透明感のある声が聴こえ、思わず振り向く。

 

 「・・・・・・入江ミチル・・・・・・」

 

 ただ目の前に黒いコートを羽織った深緑色の髪に中背の女の人が立っているだけなのに、目が合った瞬間に全身が飲み込まれていきそうな恐怖にも似た感覚が襲い掛かる。

 

 「どうされました?肩の力がかなり入られているようですが?」

 

 それはいま視線の先にいるのが、あの“星アリサ”と共に一時代を築いたという大物女優だからなのだろう。

 

 “・・・凄まじいオーラだ・・・”

 

 もちろんそういった風格(オーラ)を併せ持つ役者(ひと)には一応“免疫”はあるのだが、入江ミチル(この人)の“風格”は、そういうベクトルの話ではない。読み合わせで視線こそ合わせてもらえなかったが何度かこの目で彼女の姿を見てきたはずなのに、いざ話しかけられたら何も出来なくなってしまう。

 

 「これはこれは、来るなら一言こっちに伝えてくれないと困るよ入江さん」

 

 やがて彼女の存在に気が付いた國近を始めとしたスタッフ陣は一斉に1つの方角に顔を向けて挨拶をする。

 

 「すいません。一度だけこの方の“素の反応”を見ておきたくて」

 

 挨拶がてら監督として注意をした國近に、ミチルは蘇芳色(すおういろ)の瞳を憬に視線を向けながら答える。自身に向けられた限りなく無感情な蘇芳色の瞳に、憬は再び身体を強張らせる。

 

 「そう言えば、あなたのお名前は何でしたっけ?」

 

 淡々としていながらもどこか優し気な口調とそれと相反する一切の感情が抜けた氷のような表情で名前を聞かれ、憬はその場で一度深呼吸をする。

 

 それにしても入江(この人)は、ただでさえ表情が全く視えない上に、背後から纏う雰囲気が独特でどこか不気味で、怖い。

 

 「夕野憬です・・・ユウトを演じ切るために、ここへ来ました

 

 真っ白になりかけていた頭を瞬時にフル回転させてパッと出てきた言葉を、そのまま口から出した。即興で考えた割には、悪くないだろう。

 

 

 

 “ユウトを演じ切るためにここに来た。今の俺にはそれ以上も以下もない

 

 

 

 「・・・演じ切る・・・ですか・・・」

 

 すると憬の表情を見つめる蘇芳色の瞳が、一瞬だけ不気味に光る。

 

 「今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「やあ、ミチルちゃん」

 

 10時からの撮影を前に外の空気を吸って気分転換、もとい一服をしようとマンションのエントランスを正面玄関の方向へ歩みを進めていた紅林は、撮影用の化粧を済ませ衣装の上に黒いコートを羽織った姿でスタッフに案内されるように204号室へと向かっていたミチルと鉢合わせがてら軽く挨拶をする。

 

 「・・・・・・」

 

 いつもの調子で声をかけてきた紅林に、ミチルは無表情のまますれ違いざまに軽い会釈を返してそのまま歩みを止めずにエレベーターホールに向かおうとするが、直行しようとするミチルに紅林はふと声をかける。

 

 「・・・憬君の(こと)はドクちゃんから聞いとるか?

 

 すると声をかけられたミチルは、その場で立ち止まる。

 

 「・・・えぇ、既に聞いています」

 「・・・やったら話は早いな・・・」

 

 表情を変えずに自分のほうへ一切振り向くことなく静かに呟くように答えたミチルを見て、紅林も同じように正面玄関に視線を向けたまま話を続ける。

 

 「ミチルちゃんはどう思うとる・・・?憬君の今の“状態”について?」

 

 心の中でほくそ笑みながら問いかける紅林に、ミチルは音を立てずに一呼吸して答えた。

 

 「・・・そんなもの・・・・・・実際に確かめてみないと何も分からないですよ・・・

 

 

 

 “・・・思うてた以上に興味津々やな・・・・・・ええ傾向や・・・

 

 

 

 「・・・せやなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

 「今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?

 

 俺の目を真っ直ぐに見つめる蘇芳色の瞳が、氷の如く変化のない表情はそのままに一瞬だけ不気味に光った・・・ような気がした。

 

 「・・・どういうことですか?」

 「それはあなたが一番よく分かっているはずです」

 

 それにしてもこの人は、あたかも“全て知っている”かのような口ぶりで話しかけてくる。さては紅林と同様に國近から事情は聞いているのだろうか。

 

 「憬がフラッシュバックを起こしたことですか?」

 「渡戸君には聞いていません」

 「はい、すいません(俺の名前は一応覚えてくれているのか・・・)」

 

 撮影中にフラッシュバックを起こしたことで追及されている憬に代わって渡戸が質問に答えるが、ミチルはそれを食い気味に突き放す。

 

 それを見た憬は、ミチルが既に例の事情を知っているということを確信した。

 

 「・・・確かに俺は、昨日の撮影でフラッシュバックを起こして撮影を中断させて」

 「過去のトラウマを思い出したという過程はどうでもいいです。わたしはただ、今のあなたが最後まで演じ切れるかどうかを聞いています

 

 主張を力技で無理やりねじ伏せるように、入江は俺の言葉を遮る。決して強い口調で言ったわけではないはずなのに、彼女の声は俺の主張をたった一声でかき消した。過去の記憶が蘇ったおかげで早くも役者として“窮地”に立たされている俺の主張(こと)を“どうでもいい”の一言で片づけられてしまったにも関わらず、彼女を前にすると次の言葉が出てこない。

 

 それはまさに、舞台で星アリサの姿と第一声を初めて生で聴いた時の感覚に通ずるものだ。ただ目の前にいるだけなのに、次の瞬間にはその世界観に吸い込まれて“なすがまま”になってしまう。

 

 「・・・・・・はい

 

 だがそれは、役者を志す前の中途半端だった頃の自分の話だ。

 

 「最後まで演じ切れる自信があるから・・・・・・俺はここにいます

 

 誰が何と言おうと、今の俺は役者としてここに立っている。何が何でもこの“過去”を乗り越えると心に決めたからここにいる。相手が大物女優だからどうした?たかが大物女優の風格(オーラ)にビビってばかりでは何も始まらない。

 

 

 

 “カメラが回れば俺はユウトで、あなたは母親(リョウコ)

 

 

 

 「・・・その自信が・・・・・・“過信”でなければいいんですけどね・・・・・・

 

 真っ直ぐに視線を向けて決意をぶつける憬に、ミチルは限りなく無に近い表情を浮かべたまま挑発じみた言葉を送る。

 

 無論、彼女の言動には何1つの“悪意”もない。

 

 「(いくら何でもそんな言い方はないだろ・・・憬がどんな思いをしてここに来ていると思っているんだ入江さん(この人)は)」

 「(待て、今は口を挟むな。せっかく夕野(コイツ)が自ら心を決めてんだ・・・)」

 「(・・・わかりました)」

 

 そんな入江ミチルの人間性をまだよく知らない渡戸はいたたまれなくなり思わず言い返そうとするが、彼女の人間性をある程度理解している國近がアイコンタクトで熱くなりかけた渡戸の気持ちを鎮める。

 

  「・・・・・・覚悟はできてます・・・・・・

 

 

 

 ミチルの悪意のない言葉に、憬は真っ向から挑むように自分なりの覚悟をぶつけた。

 

 

 午前10時_『ロストチャイルド』回想シーン_撮影開始_

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ねぇ?今日は早く帰れるんじゃなかったの?」

 「取引先との会議が長引いたんだよいちいち文句を言うな」

 「・・・・・・文句を言いたいのは私のほうだわ

 「なんか言ったか?」

 「・・・別に」

 

 毅は恵里と出会う前、涼子という女性と結婚生活を送っていた。28歳にして大手商社で係長として働く傍ら、家に帰ると大学時代から付き合っていたパートナーがいるという、傍から見れば羨むほどに恵まれた私生活。

 

 「あと明後日の休みだけど、上司のゴルフに同行することになった」

 「・・・何それ?聞いてないんだけど?」

 「あぁ、こっちも急に決まったことだからな」

 

 だが結婚してから3年が経ち、毅と涼子の関係はすっかり冷え切っていた。

 

 「何であなたはいつもそうやって勝手にどんどん決めてくの?」

 「仕方ないだろ?これもれっきとした仕事なんだから、このご時世ゴミみたいに新人がどんどん入って来るから少しでも油断すればすぐに窓際に追いやられる」

 「・・・そんなに仕事が大事なの?」

 「当たり前だ。これも家族を養っていくためだ・・・」

 

 学生時代や結婚した当初は仲陸まじく2人は暮らしていたが、毅の仕事が多忙になりやがて仕事に追われるようになった毅自身が一切家庭を顧みなくなっていったことで、次第にすれ違いが生じていた。

 

 「・・・少しは私と有人のことを考えたりできないの?あなたって人は」

 「考えてるだろ。こうやって朝早くから夜遅くまで働いて稼いだお金で」

 「どこがよ!!?

 

 毅のあまりに身勝手な言い分に我慢の限界を迎えたリョウコはたまらず声を荒げるも、すぐに部屋の片隅に置かれたベビーベッドに目をやる。そこにはぐっすりと眠りに就いていたはずのユウトが目を見開くように言い争いをする2人を見つめ、そのまま泣き出した。

 

 「あ~ごめんね~有人~もう大丈夫だからね~」

 

 リョウコはベビーベッドに向かい泣き出した有人を抱っこしながら笑いかけてあやすも、ユウトの顔を見つめる笑顔は虚ろだ。

 

 「そんな顔であやすなよ。有人が怖がるだろうが」

 

 それを見た毅が笑顔を浮かべてリョウコの腕に抱かれたユウトに近づこうとすると、リョウコは毅の目をキッと睨み後ずさる。

 

 「・・・・・・触らないで

 

 

 

 

 

 

 「カット。じゃあチェックが終わり次第、次のシーンのテスト行きます」

 

 國近からのカットが掛かり、救いのない夫婦喧嘩で殺伐とした撮影現場の空気が一旦リセットされる。

 

 「いやぁ~やっぱりさすがやなミチルちゃんは!ほんまに女を怒らせたときの恐怖が凝縮されとって五臓六腑に染み渡るわ!」

 

 カットが掛かった直後に役から抜けた紅林がいつもの調子でミチルの芝居をやや大げさな関西弁で彼なりに褒めちぎり、ミチルはそれを無表情で受け流す。

 

 “・・・何度見ても紅林さん(この人)の芝居は凄いな・・・”

 

 普段は気さくで明るい関西弁のおじさんなのに、カメラが回ってカチンコが打たれた瞬間に人格が一気に“昔の毅”に変わって纏う空気が一瞬でシリアスになる。

 

 “『当たり前だ。これも家族を養っていくためだ・・・』”

 

 もちろん役を演じている時の紅林は言葉のイントネーションや声色、立ち振る舞いの1つをとってもまるで別人になり“関西弁のおじさん”は跡形もなくパッと何処かへいなくなる。

 

 「でも何か染み渡り過ぎて胃がおかしなってきたわ~どないしたらええかなぁミチルちゃん?」

 「知りません」

 「も~そんな怒らんといてやミチルちゃん」

 

 だがひとたびカメラが止まれば、一瞬で大阪の下町が似合いそうなオヤジに戻る。その落差があまりにも激しすぎて、どっちが“本物”なのかが偶に分からなくなってしまう。

 

 

 

 “『今のあなたに・・・・・・それが出来ますか?』”

 

 

 

 そして入江ミチルの芝居は、直接この目で見たら想像以上のものだった。

 

 “『どこがよ!!?』”

 

 カチンコの合図と共に感情に蓋をするように表情を覆っていた氷が溶けていき、殆ど微動だにしなかった表情に感情()が宿る。

 

  “『・・・・・・触らないで』”

 

 家庭を全く顧みなかったこの頃の毅に行き場のない怒りをぶつける彼女の芝居は、星アリサのように五感を刺激して感情に訴えかけてくるような派手さはないが、役を演じる時の“感情の起伏”があまりにも自然すぎて芝居をしているというより、この人は本当に毅に怒りをぶつけているのではないか?という錯覚と臨場感に何度も襲われ、現場に流れる緊迫も一気に最高潮に達する。

 

 このあまりに自然な感情の起伏が、画面越しに感じた“普遍的で素朴ながらも引き込まれていく”彼女ならではの芝居に繋がっていたことをこの目で確かめ初めて気付かされた。

 

 恐らくこれが、國近の求めている“リアル”の真髄にあたる芝居なのだろうか。

 

 “「あ~ごめんね~有人~もう大丈夫だからね~」”

 

 さらに見ていて驚いたのは、リョウコを演じる入江がまだ赤ん坊だった頃のユウトを感情の抜けた笑顔であやしている場面だ。

 

 

 

 「すいません國近さん、もう少しカメラの位置を下げて頂くことは可能でしょうか?その方が違和感のない動きが出来そうなので」

 「出来なくはないけどアングル的には今の位置がベストだ」

 「そうですか、ならわたしの方でどうにか合わせるしかないということですね?」

 「あぁ、可能な限りそうしてくれると助かる」

 「分かりました。ではこのままでやってみます」

 「了解」

 「おぉ~やる気満々やねぇミチルちゃん」

 「わたしはただ意見を言っているだけです。誤解しないでください」

 

 入江が紅林にだけ輪をかけて対応がドライなのはともかく、この場面で赤ん坊のユウトの“身代わり”となっていたのは、何と撮影監督の黒山が構える一台のカメラだった。このカメラは毅とリョウコの2人を中心に映したかと思ったら、ある場面ではベビーベッドの柵越しに2人を映し、そしてリョウコから抱かれる場面ではアングルが“母親に抱かれている赤ん坊”の視点となってリョウコの顔を捉える。

 

 これが最終的に國近の手によってどのように仕上がるかは分からないが、確かなのはカメラのアングルを駆使して“ユウト”の視点を再現しているということだ。

 

 

 

 でもそれ以上に、カメラに視線を向けて感情の抜けた笑顔であやす入江の芝居に俺はただひたすらに引き込まれていた。視線の先にあるのはユウトではなく黒山のカメラのはずなのに、気が付くとそれが本物の1歳の赤ん坊のように見えてしまう不思議な感覚。

 

 “『・・・煩いな・・・』”

 

 小休憩を挟んで撮影は続き、やがて育児への疲れに加えて毅との関係が火種となって行き場のない思いを溜め込みすぎたリョウコは精神的に追い詰められていき、ついにあやしても泣き止まないユウトの顔面を思い切り引っ叩く。

 

 

 

 “・・・ッ!?

 

 

 

 その瞬間、まるで本当に頬を叩かれたような錯覚が俺の身に襲い掛かった。

 

 

 

 “・・・前の家を出るほんの少し前くらいに、父親から一回だけ左の頬を思いっきりぶたれたことがあった・・・・・・それからだろうか・・・・・・俺は家族を含めて人の前では泣かなくなり、感情を表に出すことも極端に減って、ひたすらに自分の世界に没頭していくようになった・・・

 

 

 

 ってあれ?何で俺はこんなことを今になって思い出したんだろう?

 

 不意に頭の中に浮かんだ、父親との新たな記憶。俺はもしかしたらこんな風に、父親から虐待を受けていたのだろうか。

 

 “最後まで演じ切れる自信があるから・・・・・・俺はここにいます

 

 駄目だ駄目だ駄目だ。何を俺はこんなところであんな過去を思い起こしているんだ。俺は今、この2人の芝居を通じてユウトの感情を理解しつつも俺自身の過去をも武器にして、この困難を乗り越えなければならない。

 

 “過去は過去だ・・・・・・今は目の前のことに集中しろ・・・

 

 そう心に言い聞かせながら、尚も続いていくユウトの過去に憬は入り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ある日の夜遅く、リョウコは暗闇の中でふと隣で眠るユウトの寝顔を優しく撫でる。

 

 「・・・・・・有人・・・・・・」

 

 ユウトの名前を言いながら、リョウコは感情の抜け切った顔を浮かべ寝顔を撫でていた両手を首元にやる。

 

 「・・・この子さえいなければ・・・・・・私は・・・」

 

 目の前で眠るユウトに力なく呟くリョウコの目から一粒の涙がゆっくりと頬を伝い、ユウトの額に落ちる。涙の水滴が頬に触れた瞬間、ユウトが夢から覚め、リョウコと目が合う。

 

 「・・・・・・おやすみ・・・・・・

 

 殺そうとしている自分を純粋無垢な瞳で見つめるユウトにリョウコは感情の抜けた目から涙を流して呟くと、ユウトの首元に当てていた両手に思い切り力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 『・・・憬・・・』

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 『・・・君は本当にかわいいな・・・』

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 “・・・えっ?・・・”

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 あまりに突然の出来事に、俺は声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま意識が再び遠のき始めた。

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?”

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 どれくらいの時間が経ったあたりか、右隣から母親が叫ぶ声が聞こえた。そしてその声に妙な安心感を覚えた俺の意識はここで途絶えた・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・憬・・・オイ憬?

 「・・・・・・!?

 

 隣で一緒に撮影を見学していた渡戸に不意に話しかけられ、憬は思わず驚いたような表情を見せる。

 

 「・・・大丈夫か?」

 「・・・・・・はい」

 

 渡戸から声をかけられてふと目の前に視線を送ると、ユウトと毅の回想シーンの撮影は既に終わっていた。2人の芝居を通じてユウトの感情を理解しようと、俺はいつものように毅とリョウコの2人を俺は眺めていたはずだった。

 

 

 

 “『・・・有人・・・』”

 “『・・・憬・・・』”

 

 

 

 だがリョウコがユウトの首に手をやりながら力なく呟き一粒の涙を流した辺りから、目の前に広がる光景が突如として現実から“過去の光景”に移り変わっていた。リョウコの涙を流せばあの日の父親の顔と言葉が思い浮かび、リョウコが首を絞めたらあの日の首の感触がそっくりそのまま襲い掛いかかり、息が一瞬だけ出来なくなる。

 

 

 

 “『・・・・・・何やってるの!?』”

 

 

 

 本来であればここで毅が「やめろリョウコ!」と叫び寸でのところでリョウコとユウトを引き離す場面が展開されているはずだが、何故か視界の先には俺を殺そうとした父親に気がつき同じように引き離す母親の姿が視えた。

 

 「大丈夫・・・・・・じゃなさそうだな」

 

 隣に立つ渡戸に話しかけられてようやく“現実に引き戻された”俺は、自分が完全に“過去の記憶に囚われていた”ということを理解した。

 

 

 

 シーンを撮り終えた後に待ち受けていたのは、想像以上に厳しい現実という壁だった。

 

 

 

 「・・・夕野君・・・」

 

 リョウコの感情から抜け出したミチルの視線が、現実に引き戻された憬の心を突き刺す。

 

 「どうやら・・・・・・あなたの自信は“過信”だったようですね・・・・・・

 






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