或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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田中脊髄剣とは初っ端から恐れ入りました。


scene.47 過信

 同日_午後1時_東京都新宿区_

 

 「Hey(やあ)

 

 新宿・歌舞伎町の一角にあるバッティングセンターの入り口付近で待つ、黒のニットキャップを被り “世間のイメージとはかけ離れた”グランジファッション(変装コーデ)に身を包む1人の少年に、一切の変装をせず有名ブランドのジャージ(普段着)を身に纏った同学年の少年が使い慣れた流暢な英語で死角から話しかける。

 

 「お前はショートケーキの上に乗っている苺をどのタイミングで食べる?

 「そんなもの決まっているさ・・・・・・一番最後だよ

 「・・・Me too(俺もだ)・・・

 

 6年間の海外生活で身に着けた流暢な英語で話しかけて来た狩生に、同じく海外生活を経験している十夜も流暢な英語で返すと、そのまま握手からのハグ(あいさつ)をする。

 

 「すっげぇ久しぶりじゃんトーヤ!

 「あぁ、オレが日本(ここ)に帰ってきて以来だねヒロ

 

 この2人がこうしてお互いに面と向かって会うのは、十夜が中学に上がるタイミングで日本に帰国して以来、およそ3年ぶりのことだ。

 

 「ていうかしばらく会わないうちにめっちゃデカくなったよなお前?

 「中学で20センチ伸びたからね。成長期ってやつ?

 「ま、俺の方がまだまだ上だけどな

 「別に身長で張り合うつもりはオレにはないよ。あとそういえばヒロって学校どこ通ってんの?

 「桜羽(おうわ)。トーヤは確か霧生だっけ?

 「そう。ていうか桜羽とか滅茶苦茶良いとこ通ってんじゃん。偏差値70以上あるよあそこ?

 「お前んとこもちゃんとしたガチの進学校じゃねぇかよ、てかぶっちゃけトーヤの場合じゃ別に関係なくね?

 「それはお互い様だろ

 「確かに

 「ていうかシンプルに最近どう?元気してる?

 「おう、見ての通り超絶元気だぜ。そういうトーヤこそ最近めっちゃテレビ出てるけどちゃんと飯食ってんのか?

 「当然さ。これでも一日三食、ちゃんと時間を作って食べてるよ

 「そりゃあ最高だな!

 「その代償に睡眠時間はきっちり3時間分削られてるけどね

 「だったら飯を食べながら夢を見ればいいさ

 「ったく無茶言うなよ・・・ていうか何でさっきからずっと英語で話してんのオレたち?」

 「ハハッ、マジでそれ」

 

 こうして3年ぶりに顔を合わせた小学校時代からの友人同士は、互いに海外生活で身に着けた英語を交えた他愛もない会話をしながらゲームコーナーの先にあるバッティングセンターの受付へ歩いて行った。

 

 

 

 「にしても最近ドラマ出たり色々忙しいっぽいけど大丈夫なん?こんなとこで俺と一緒にオフなんか満喫して?」

 「大丈夫どころかこうやって定期的に発散しとかないと逆に疲れが溜まっててんてこ舞いだよ」

 「ハッ、さすが “大物”になるとラクじゃないわな」

 「“大物”はやめてくれ」

 

 バッティングセンターのバッターボックスに立つ十夜に、ネットの後ろのベンチに座る狩生がネット越しに揶揄いと心配が半々の言葉をかける。

 

 「でもさ、トーヤって主演だろ?台詞の量とかヤバくね?」

 「大丈夫、オレはヒロと同じで生まれついての天才だから台本はト書きまで全部入ってるよ」

 「カッケ~!もし俺がそこら辺の女子だったら今ので完全に落ちてるね」

 「そりゃどーも」

 

 小学4年の時のクラスメイトからの揶揄いを軽くいなしながら、十夜は時速130キロの球に対してプロ野球選手顔負けのフォームでバッドをフルスイングするが、バッターボックスには乾いた金属音ではなく鈍い風切り音だけが響く。

 

 「ナイスゴロ!」

 

 風切り音、風切り音、バッドに球が当たったと思ったら打ち損じ、また風切り音。結局15球を消費してまともに当たったのは3球ぐらいで、そのどれもピッチャーゴロかショートゴロが関の山。

 

 「・・・ったく、ホントお前ってサッカーとか他のスポーツ(やつ)はデキるくせに野球だけはからっきしダメだよな」

 「だって野球は球が無駄に硬くて無駄に速いから嫌なんだよ。そもそも球が飛んできた時は毎回目を瞑ってるし」

 「どおりで空振り連発するわけだわ」

 

 十夜と同じクラスだった小4の時、クラスマッチの野球で対戦相手のクラスのピッチャーが鼻先数センチのところに球を投げてきたことでブチ切れた十夜がバットを投げ捨てそのピッチャーと乱闘騒ぎを起こしたクラスマッチの日のことを思い出しながら、狩生はバッターボックスから戻り隣に座る十夜に声をかける。

 

 無論、この出来事がきっかけで十夜が野球のことを極度に毛嫌いするようになってしまったことは言うまでもない。

 

 「そんなに野球が嫌いなくせに何でこんなところで俺と会おうって言った?」

 「・・・うーん・・・なんていうか・・・久しぶりにヒロと一緒にこうやって遊べるならヒロの好きな野球ができる場所がいいかなって思ってさ

 

 そんな自分が最も毛嫌いしている野球をわざわざやろうと俺にメールをよこしてきた時は何を考えているのか分からなくて軽く困惑したが、バッティングを終えた十夜が俺に見せた顔は親友と久々に会えたことへの純粋無垢な“喜び”だった。

 

 「それに、ヒロが近くにいる今なら大嫌いな野球もまた好きになれそうな気がするし

 「・・・そっか」

 

 こんな感じで偶に何を考えているのか全く分からなくなるところも含めて、同じクラスだった小4の時から十夜は何も変わってない。

 

 

 

 “・・・やっぱりお前は“可愛い”な・・・

 

 

 

 「次、ヒロの番」

 「おう、じゃあ次は俺がスラッガーの手本ってやつをお前に見せてやるよ」

 「って言いながら草野球しかやったことないの知ってるよオレ」

 「そんなん関係ねーよ」

 

 十夜からの揶揄いに、狩生は余裕の笑みを浮かべながら受け流す。

 

 「まぁ見とけ・・・これが草野球と助っ人で鍛えた底力さ」

 

 そう言って狩生は自身が尊敬してやまないプロ野球選手のルーティンを“完全再現”すると、時速130キロで向かって来た球に向けてバッドをフルスイングした。

 

 

 

 

 

 

 “「My name is HIRO・・・俺は狩生尋(かりうひろ)だ。今日からよろしく」”

 

 日本とニューヨークを数年おきに行き来するような生活を送る帰国子女(十夜)と父親の仕事の関係で3歳から9歳までをロサンゼルスで過ごした帰国子女(狩生)がクラスメイトとして出会ったのは、小学4年生の時のことだ。

 

 “「ヘイ、名前何て言うの?」”

 

 転校初日の休み時間、出席番号順に並べられた中で空けられていた自分の席の隣に座る白銀の髪をした小柄なショートボブの“男の子”に狩生は声をかけた。

 

 “「・・・十夜(とおや)・・・一色十夜(いっしきとおや)

 “「トオヤ・・・・・・へぇ~、すっげぇカワイイ顔してんのに名前は随分と男っぽいんだな」”

 

 ただしそれは、隣の席に座っていた十夜のことを女の子だと勘違いした挙句パッと見で一目惚れした狩生が半分本気で口説きにかかって来るという、色んな意味で最悪な出会いだった。

 

 “「・・・・・・悪かったね、オレが女の子にしか見えなくて」”

 “「・・・・・・Unbelievable(マジかよ)(あと英語めっちゃうま・・・)」”

 

 しかし出会いこそ最悪であったが、互いに帰国子女であることや特殊な環境で生活を送っていたこともあって2人はクラスメイトとしてすぐに意気投合し、あっという間に分け隔てなく接する親友同士の関係になった。

 

 それから結局のところ十夜が5年に上がるタイミングで再びアメリカへ行ってしまったため2人がクラスメイトだったのはこの1年間だけだったが、それからもこの2人は文通や電子メールを通じてやり取りを続けていた。

 

 そして中学に上がったタイミングで十夜が再度帰国したことで一度だけ再会してからは互いに都合が合わなくなりメールを送る頻度も減り始めて長らく疎遠になっていたが、

 

 “『ねぇ?ちょうど丸一日休みが取れたから久しぶりに会わない?』”

 

 という十夜からの気まぐれなメールが狩生の元に届き、今日に至る。

 

 

 

 ここで一旦補足として余談を挟むが、狩生の眼には‟とある理由”で十夜の姿が現実と比べて3割増しに補正された状態で映っている。

 

 

 

 

 

 

 

 『バッター打ちました!これは良い当たりだ!打球がグングンと伸びて!これは場外ホームランだ!』

 

 最後の15球目、狩生の打ち返した一球は放物線を描きながら真っ直ぐに吸い込まれていくように最も難易度の高い場外ホームランの的に当たり、バックに置かれたスピーカーから場外ホームランを告げるステレオタイプの実況が流れた。

 

 「素晴らしいバッティングだったよ、ヒロ

 「あ~あ、ホントは一発目からホームランぶちかましまくる予定だったのにな

 「でも良かったじゃん。これで場外ホームラン賞(1000円)貰えるぞ?

 「1000円か~、何だかんだで使い道に困るんだよなこーいう中途半端な額って

 「だったら貯金でもしろよ。バイクの為に

 「もうとっくに貯めてるわ

 

 バッターボックスから戻りベンチに座る狩生に、先ほど挨拶代わりに英語で絡んで来たお返しとばかりに十夜が流暢な英語でバッティングを褒めると、狩生はそれに英語で返す。

 

 「・・・そういえばそっちの仕事はどう?何か國近監督の作品に出ることが決まったみたいじゃん?」

 

 そんな2人にしかできないやり取りを済ませた十夜は、狩生に聞きたかった“本題”をぶつける。

 

 「あ?あぁこないだのメールでついでに伝えたやつか。“惜しくも”脇役になっちゃったけど、一応な」

 

 その問いかけに、狩生は自分が“惜しくもユウトの役を取り損ねた”ことをわざとらしく強調しながら右手でグッドサインを作りながら答える。

 

 「そっか、ドンマイ」

 「たまに超が付くほどドライになるところも変わらねぇな」

 

 元々勉強もスポーツもどんなことでも一切努力せずに何となくの感覚でこなしてきた狩生の“生粋の天才ぶり”を熟知している十夜は、特に労うこともなくバッターボックスに視線を向けたまま淡々と言葉を返す。

 

 「で?ヒロがやりたかった役を勝ち取ったのは誰?」

 「・・・何でそんなことをトーヤに言わなきゃいけねぇんだ?」

 

 そのまま淡々とした空気が2人の間に流れる中、十夜がふと隣に崩れた姿勢で座る狩生に琥珀色の視線を向ける。

 

 「だって何をやっても一番だったヒロを負かした奴がどんな奴なのか・・・・・・同じ役者としてつい気になっちゃってさ?

 

 琥珀色の視線を向けると共に十夜が狩生にそう言い放った瞬間、2人の座るベンチに纏う空気が“一色(いっしょく)の覇気”に包まれる。

 

 「・・・・・・まぁ今日はここ何ヶ月かで一番楽しい日だから、“スペシャルサンクス”として教えてやるよ」

 

 その覇気に一瞬だけ押されかけた狩生は、天知や山吹のように張り合わずすんなりと折れる。

 

 「マジで?」

 「ただし、野球(ここ)はお前の奢りな?」

 「・・・はぁ・・・仕方ない」

 

 ただし、ただ言いなりにはならずにちゃんと“交換条件”を出して何だかんだでイーブンに持ち込んでくるような一筋縄では喰えない人間性に、十夜も無暗に争わずにその条件を飲む。

 

 「つっても何て言えばいいんだアレは・・・・・・トーヤはメソッド演技ってやつは分かるか?」

 「そんなのスターズじゃ“小1の算数”レベルで真っ先に教わってるよ」

 「じゃあ話は早いな。ようは簡単に言ったら俺の“やるはずだった”役を勝ち取ったのは、そういう演技をするヤツだったってことよ」

 「(清々しいくらいの自己肯定だな・・・)・・・へぇ~、面白そうじゃん」

 

 自信満々に答える狩生の“ある言葉”を耳にして、十夜は役を勝ち取った役者が誰なのかを予測しながら再び狩生の言葉に耳を傾ける。

 

 「最初はすげぇ面白そうって思ったし、実際に読み合わせのとこから何というか“ヤベェ”って感じがぷんぷんしてた」

 「うん。それで?」

 

 狩生の抽象的かつ独特な表現の意味を瞬時に理解した十夜は、そのまま何食わぬ顔で話の続きを聞き出す。

 

 「でも俺がちょっと本気を出して勝負をかけたら、何だかよく知らねぇけど結局そのまま撮影を続けられないくらいメンタルがやられたぽくってさ。おかげで明々後日に撮影自体も延期になったわ」

 「まず芝居は勝負じゃないし何をどうしたらそうなるんだよ?」

 「別に俺だってただ真剣に()っただけだし芝居が勝負じゃねぇことぐらい分かってるさ。でもあの後に監督の國近って人と2人きりで話してたのを盗み聞きしてよ・・・なんつーか、案外フツーのヤツなんだなって・・・」

 「・・・普通か・・・」

 

 

 

 “『えーっと・・・なんか・・・他の誰かを演じるって・・・やっぱり最高ですね』”

 

 

 

 そう。“あのドラマ”の撮影現場で見た俺の知っている“奴”は、“あの芝居”からは全く想像もつかないほどごく普通の男の子だった。

 

 「・・・それは期待外れって意味ってことでOK?ヒロ?」

 

 だから、尋の口から“メソッド演技”という単語が出てきた時点で何となくそんな“予感”はしていた。

 

 「ん~、期待外れって訳じゃねぇけど・・・・・・何か思ってたのと違って拍子抜けした、的な?」

 「・・・ふ~ん。なるほど」

 

 そしてこういう時に頭の中に浮かんでくる予感というものは、大体当たっていることが多かったりする。

 

 “小夜子(姉さん)の結婚の時も然り・・・俺の予感はよく当たる・・・”

 

 「・・・それじゃあ、その人の名前は何て言うの?」

 「いや、多分言ったところで分かんねぇよ」

 「それでもいいから教えてよ」

 

 頭の中に浮かんできた予感を頼りに、俺は捻り(カーブ)を加えずに尋に向けて聞きたい言葉(こと)をストレートでぶつける。

 

 「確か・・・・・・“夕野”、だった気がするわ。下の名前は覚えてねぇけど」

 

 

 

 “・・・やっぱり・・・

 

 

 

 「へぇ~、誰?」

 「だから名前言ったところで分かんねぇだろ?」

 「うん。わからん」

 「んだよだったら何で聞いたし意味分かんねぇマジで」

 「それはごめん・・・じゃあ今度は、オレからもお返しで同じ“役者”として大切なことをヒロにも1コだけしてあげるよ」

 「急に話を進めてきたなオイ」

 

 有益な情報を得ることの出来た十夜は、再び視線を隣に向けて話を半ば遮るように狩生に同じ役者としてのアドバイスを送る。

 

 「・・・・・・今の自分を“過信”するな。多分相手はヒロが思っている以上に強いから・・・・・・

 「・・・いきなりすげぇガチなこと言うじゃん・・・」

 「だってアドバイスをするならガチでやったほうがヒロの為になると思うからさ」

 

 突如として始まった本気のアドバイスに狩生は思わず面を食らうが、そのアドバイスに“何らかの違和感”を覚え、すぐさま核心に迫る。

 

 「・・・・・・なぁトーヤ?まさかとは思うけど本当は夕野ってヤツのこと知ってんじゃねぇの?

 

 

 

 “・・・さすが鋭いな・・・

 

 

 

 それは十夜にとっては案の定図星を突く質問だったが、当の本人はそんな感情を1ミリも表に出さずにけろっとしたまま純粋そうな笑みを浮かべて答えた。

 

 「・・・・・・って、“心ちゃん”や“マキリン”だったら言うと思うんだけどヒロはどう思う?」

 「なんだよややこしいな!(まぁお前のそういう何考えてるか分かんねぇとこ嫌いじゃないけどな俺)」

 「ごめんごめん・・・でも“過信”するなって言うのは本当だよ。芸能界はちょっとでも気を抜いてたらすぐに置いてかれるような“危ない世界”だからね」

 

 そしてやたらと勘だけは鋭いが無暗に深追いはしない基本は大雑把な性格の狩生は、十夜の思惑通りに本心から意図せず自ら遠ざかる。

 

 「さて、オレの身元がバレる前にさっさと次の場所にでもずらかりますか」

 「あぁ、それもそうだな。で?次はどうする?」

 「そうだなー・・・オレ的にはカラオケかボウリングにしよーって思ってるんだけど?」

 「・・・・・・じゃあ次はトーヤの“好きなほう”でいいぜ」

 「・・・・・・It's so cool(いいねぇ)

 

 こうして2人の新人俳優のお忍び(休日)は日が暮れるまで続いていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「どうやら・・・・・・あなたの自信は“過信”だったようですね・・・・・・

 

 リョウコの感情から抜け出した入江の視線が、現実に引き戻された俺の心に突き刺さる。

 

 「・・・自覚はとっくにあるようなのが救いですが、あなたは途中から撮影のことなどうわの空でリョウコ(わたし)ではない誰かの感情(こと)で頭がいっぱいでしたよね?」

 「・・・・・・はい」

 

 自分の身に起きた出来事を丁寧になぞるように当ててきた入江に、言い返せる権利は俺には全くない。もちろん彼女の言葉に対して心の中で何かを思う者は何人かいるが、その言葉に意を唱える者は渡戸や國近を含め誰一人として現れない。

 

 彼女の言っていることは、全てが紛れもない事実だからだ。

 

 「・・・もう一度夕野君に聞きます・・・・・・今のあなたに・・・・・・ユウトを演じ切ることは出来ますか?

 

 そして入江は間髪を入れずに俺の目の前へ静かに歩み寄りながら、シリアスな映画のワンシーンの雰囲気を醸し出すように撮影が始まる前に投げかけた言葉と同じ意味を持つ質問を再び投げかける。

 

 「それは・・・・・・」

 

 どうにか言葉を繋ごうと頭の中で単語を巡らせるが、巡れば巡るほど頭の中が真っ白になっていき、一向に言葉が出てこない。

 

 本番が始まる前の俺だったら、仮に覚悟(それ)が過信のハッタリであったとしても“出来ます”とすぐに答えられた。だが、それが本当に“過信のハッタリだった”ことを自覚してしまった今の俺には、そんな“ハッタリの覚悟”をかます余裕すらない。

 

 「・・・・・・どうして黙っているのですか?

 

 分かっている。入江(この人)は決して“悪意”を込めて意地悪まがいな言葉を俺に向けているわけじゃない。ただ俺自身が“どう思っているのかを知りたい”という純粋な疑問を投げかけているだけだ。

 

 故に言葉を間違えればもう挽回のしようがなく、次の言葉が全く出てこない。

 

 それでもこの壁を乗り越えなければ、俺はここから一歩も進むことが出来ない。

 

 

 

 “・・・何でもいい・・・出てこい・・・!

 

 

 

 「その辺にしとき、ミチルちゃん

 

 その時、ミチルの斜め後ろに立ち憬のことを無言で見守っていた紅林が優しく宥めるような口調で現場に流れていた沈黙を破る。

 

 「・・・・・・それもそうですね」

 

 紅林からの言葉に、ミチルは呼吸を一度整えて思わず熱くなり始めていた意識を冷ます。

 

 「・・・わたしとしたことが少々行き過ぎた事を聞いてしまいました。すいません」

 「あぁ、いえ・・・その、悪いのは俺なので」

 

 淡々としながらも優し気な口調と感情の視えない “氷の表情”はそのままに頭を下げて無礼を謝るミチルに、憬は動揺を隠せずしどろもどろになりながらもどうにかフォローする。

 

 “本当にこの人は、今ここで何を考え何を思って言葉を発しているのか、全く読めない・・・”

 

 得体の知れない彼女の感情が、恐怖に似た独特で不気味な空気として襲い掛かる。

 

 「・・・・・・わたしも初めて映画で主演に抜擢された15歳の時は、今のあなたのように右も左も分からず、与えられた役を最後まで演じ切れる“自信”や“覚悟”なんて全くありませんでした」

 

 そんな入江が顔を上げて15歳の頃の自分と今の俺を重ね合わせた瞬間、蘇芳色の瞳の奥で微かに彼女を覆う“氷の中にある”感情が視えた。ような気がした。

 

 

 

 確かなことは、背後を纏っていた得体の知れない空気が少しだけ穏やかになったということだ。

 

 

 

 「だから今日ここであなたが“過信”に苛まれて過去を乗り越えられなかったことは・・・わたしにとっては何ら不思議なことではありません・・・・・・他人を最後まで演じ切るという“自信と覚悟”は、何年、何十年と時間をかけてゆっくりと“自我”の中に構築されていくものですから・・・それをたった数日やひと月で克服することなど無茶な話です・・・」

 

 ゆっくりと言葉を紡いで一つ一つの一言を丁寧に呟くような口ぶりで、ミチルは憬へ向けて言葉を発する。部分的に言葉に棘があるところもあるが、それが憬に向けられた何の紛れもない役者としての助言だというのは誰が見ても明らかだ。

 

 「・・・・・・入江さんは“自信と覚悟”を手に入れるまで、どれくらいかかりましたか・・・・・・?」

 

 そのことを現場(ここ)にいる誰よりも理解している憬は、少しばかり緊張で躊躇いながらもミチルに向けて思い切ったことを聞く。

 

 「・・・・・・それはあなたが俳優として最後まで演じ切る“自信と覚悟”を手に入れた時に初めて分かります」

 

 だがミチルとてそう簡単に教えてくれるはずもなく、ミチルは解け始めていた感情に自ら再び蓋をすると、そのまま憬の横をすれ違い2歩ほど進んだところで立ち止まる。

 

 「・・・どうしてもそれを知りたいというのであれば・・・先ずはあなたの中にある“誰かとの記憶”を、次に“リョウコ(わたし)”と会う時までに “過去”のものにしてください」

 

 そしてミチルは自分のほうへ振り返った憬には全く目もくれず、玄関先に目線と身体を向けたまま憬へ忠告する。

 

 「もしそれが出来なければ・・・・・・今すぐ俳優をやめなさい・・・・・・過去と現実の区別がつかないような役者(にんげん)に・・・未来なんてありません・・・・・・

 

 背後にいる憬へ静かにそう語りかけると、ミチルはそのまま204号室を後にした。

 

 

 

 午後6時26分_『ロストチャイルド』回想シーン_撮影終了_

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「とりあえず迎えがまだ来てないみたいだから何か飲むか?」

 「・・・はい。ありがとうございます」

 

 ミチルと紅林が撮影現場のマンションを後にした頃、丸一日続いた撮影の見学を終えた憬と渡戸は撮影が予定より30分ほど早く終わったことで憬の迎えの車がまだこないこともあり、読み合わせ初日の時と同じようにマンションの外に設置されている自動販売機でそれぞれの飲み物を選んでいた。

 

 「前のときもそうだったけどほんとにブラックコーヒー(これ)でいいのか?」

 「はい。何となく今はこれを飲みたい気分なんで」

 

 そしてあの日と全く同じ缶コーヒーを奢ってもらい、それを口へと運ぶ。

 

 「・・・・・・苦っ」

 「だろうな」

 

 口に入れた瞬間に全身へと染み渡る、一切の“甘さ”のない苦味。美味しさなど感じる余裕は全くないほど苦いはずなのに、今は不思議と俺の身体はその苦みを拒絶しなくなっていた。

 

 「でも・・・前に飲んだ時よりおいしくなってる気がする」

 

 それどころか、この“苦み”が身体の中に染み渡ったことでほんの少しだけ心がラクになったかのような感覚すらある。

 

 「・・・・・・コーヒーの香りにはα波っていうのがたくさん含まれてて、それが成分で入ってるコーヒーには脳と体を休めてリラックスさせて、ストレスを落ち着かせたり脳を活性化させる効果があるらしい」

 「・・・随分詳しいんですね」

 「巌先生が以前稽古終わりに教えてくれたことだけど、そもそも俺はコーヒーとか苦いものが全般的に受け付けなくてさ・・・結局ほぼ無意味だったよ」

 「剣さんって苦いもの全然ダメだったんすね?ちょっと意外

 「うん。実際に周りからも言われたりもするよ。“この顔でコーヒー飲めへんのかい!?”とか」

 「言ってる人が滅茶苦茶ピンポイントな気がするのは気のせいでしょうか?」

 

 渡戸がコーヒーを全く飲めないという意外な事実が判明したのはともかく、どうやら妙にコーヒーの苦味が心地よく感じたのは俺の身体がコーヒーに慣れたというわけではなかったようだ。

 

 

 

 “『今のあなたに・・・・・・ユウトを演じ切ることは出来ますか?』”

 

 

 

 「・・・結局、俺は入江さんに何も言い返せませんでした」

 

 コーヒーの不思議が判明したと同時に、“ユウトを演じ切れる”と確かな自信を持って言うことができない自分に対する悔しさと焦りが再度込み上げ、それを鎮める意味合いを込めて俺はコーヒーをまた口へと運ぶ。

 

 「ていうか、そもそも“過去”ってどうやったら乗り越えられるんすか?仮に母ちゃんから“あの日に何があったか”を聞き出せたとして、それで乗り越えられるようなものなんですか?・・・もう考えれば考えるほどわけが分からなくなりますよマジで・・・」

 

 するとそれが苛立ちとなって一気に口から愚痴が滝のように溢れ出す。母親から“父親”のことを聞き出さなければ全ては始まらないだろうが、考えてもみれば真実を知ったところで俺がこの“過去”を超えられるという保証はない。かと言って、これ以外の方法は全くもって思いつかない。

 

 そして次に会う時までに“リョウコ”を“母親”として認識することが出来なかったら俺は・・・・・・

 

 「・・・あぁすいません。別に誰が悪いとかそういうことじゃなくて」

 「気にすんな。感情を吐き出したいときは思いっきり吐き出せ。それも役者を続けていくための処世術(コツ)だ」

 

 ふと我に返ってどうにか弁解しようとする俺を宥め、隣に立つ渡戸はホットココアの缶を開けて、口へと運ぶ。

 

 そんなクールで“不機嫌顔”の男がホットココアを飲む光景の何とも言えないギャップからくるシュールさに、不意にも少しだけ気は紛れ再び心がラクになった。

 

 「・・・それに、過去の乗り越え方なんて俺だって未だに知らない。多分この先どれだけ役者を続けたとして、正しい答えだとかやり方は永遠に分からないと思う」

 

 ホットココアを一口飲んだ渡戸は、目の前に広がる2車線の通りに目を向けたまま自分なりの答えを出す。

 

 「でも、それじゃあ剣さんはどうやって?」

 「気が付いたら乗り越えられた。いや、完全にはまだ乗り越えられていないから“過去を過去”として見れるようになったってのが正しいか・・・・・・もちろんそこに至るまでには色んな人との出会いとかそれなりにきっかけはあったけど、自分の力でそうなれたって思ったことは一回もないな・・・本当に気が付いたら“ここまで”来てた」

 「・・・はぁ」

 

 そして俺の口から出てきた疑問にその答えを被せるが、正直これは求めていた答えからは少しだけずれたものだ。“過去”と“現実”の区別がちゃんと出来ている渡戸でさえ方法を知らないとなると、いよいよやり方が分からなってくる。

 

 「ようは過去なんて“その程度”のものなんだよ」

 

 だがそんなマイナス思考(こと)は考えるだけ無駄だということを、クールに笑いかける渡戸の言葉で思い知らされた。

 

 「過去を乗り越えるやり方なんて誰も知らないし、無理してやり方を知る必要もない。でも越えられない“過去”なんて存在しない。だから俺たちは今“ここ”にいるんじゃないのか?」

 

 

 

 “『難しく考えんなよ。出来もしないことを無理に間に合わせようとすんなよ。そんなもの、撮影を通じてドクさんたちと一緒に作っていけばいい話だ。せっかく “自由”を手に入れたんなら、もっとシンプルになって“今”を楽しもうぜ』”

 

 

 

 「いい加減もっと“シンプル”になろうぜ、憬

 「・・・・・・ありがとうございます」

 

 背中を優しく叩きながら言った渡戸の言葉で、ようやく“シンプル”になるということの本当の意味が分かり始めた。

 

 「・・・って言っても、そう簡単な話じゃなさそうだな・・・」

 「そうですね・・・・・・次に“リョウコ”と“会う”ときまでに克服しないと、即引退ですからね」

 「引退って何も入江さんはそこまで・・・まぁ、さすがにあれは脅しで言ってたと俺は信じたいけどな」

 「でも・・・“あのシーン”は今の状態じゃ演じ切ることは無理なのは俺も分かってます」

 

 過去というものは乗り越えようと思って乗り越えられるものじゃない。でもそれでアクションを起こさず1人で抱え込んだままでいても、何も始まらない。

 

 当たって砕けることを、恐れるな・・・

 

 「とりあえず思い切って過去と向き合えるために今やれることは全部やります・・・・・・何が何でも、俺はこれから先もずっと役者を続けていきたいんで

 

 

 

 “『・・・役者になってくれて・・・・・・ありがとう』”

 

 

 

 「どうしようもなくなったら、いつでも“俺たち”を頼れよ」

 

 “ハッタリ”ではない本当の“覚悟”を持って決意を伝えた憬の背中を、渡戸がもう一度優しく叩く。

 

 「やっぱり見ず知らずの監督よりも“ワケあり”の過去を持つ同士の言葉のほうが心に響くか?」

 

 そんな2人の“兄弟”に、撤収作業を済ませ死角から様子を見ていた國近が話しかける。

 

 「いえ、別にそういうわけじゃ」

 「それだけ“ショウタとユウト”の距離が縮まってきたってことだ。自信を持てよ、夕野」

 「・・・はい」

 

 國近からの激励に、憬は真っ直ぐな視線を向けながら返事をすると雲に覆われ星一つ見えない夜空を見上げる。その視線に込められた覚悟の度合いは、ミチルに向けていたつよがりの比ではないほどに“覚悟”が備わっている。

 

 「どうする夕野?時間は刻一刻と迫ってるぞ?」

 

 國近は缶コーヒーを片手に暗くなった空を見上げる憬に言葉をかける。

 

 「・・・・・・先ずは今日、帰ったら母親に“あの日のこと”を聞き出します」

 「もし今日がダメだったら?」

 「口を開いてくれるまで聞き続けます。“唯一の家族”として・・・」

 「・・・・・・そうか」

 

 

 

 夜空を見上げたまま確たる決意を声に出して自分自身に言い聞かせる憬に渡戸と國近はほとんど同じタイミングで静かに頷くと、図ったようなタイミングで憬を最寄り駅まで乗せる菅生の車が現場のマンションに到着した。




気がついたら初投稿から1年が経ちました。もう1年ですよ。早ぇっすわマジで。

てことでこれからもマイペース&マイスタイルで突っ走っていきたいと思います。




最後についでですが1周年&50話突破を祝して、一応アンケートです。(もしかしたらアンケートの結果次第でここから先の展開に影響があったり特に何もなかったりするかもしれません。)

ここまで読んだあなたへ、ぶっちゃけどっち派?

  • 憬派
  • 十夜派
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