或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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本当は20時にスピンオフと同時公開する予定でしたが、チンタラ添削してたらギリギリになりました。ほぼ月曜みたいな時間帯ですが、お許しを。


※9/5追記:突然ですが、活動報告にて今後の方向性についてお伝えしたいことを書きましたので、よろしければご覧ください。

※9/30追記:今後の展開を考慮して誠に勝手ながら一部の内容を変更しました。


scene.53 阿佐ヶ谷レイン_逢

 午前11時過ぎ。アーケードの真ん中辺りにある店で夜凪景にまつわる有力な手掛かりを手に入れた憬はそのお礼として買った“アサガヤTシャツ”の入った袋を左手に持ちながら、右手の傘で小振りになった雨を凌ぎ阿佐ヶ谷中央公園へと先ずは歩みを進めていた。

 

 

 

 “『3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて、もう本当にお母さん似の健気で優しい美人さんになりました』”

 

 

 

 もしかしたらCMの(あの)時、夜凪は弟妹のために“笑って”いたのだろうか。きっとあんな感じで自分の子供に笑いかけれる母親だったとしたら、その死は残された子供にとっては計り知れないくらい悲しい出来事だろう。夜凪景(彼女)も、下の弟妹もきっと悲しみに泣き暮れたことだろう。

 

 そんな泣きじゃくる弟妹を笑顔にしたくて、母親がよく作ってくれたカレーを作ろうとした日のことを、彼女なりに思い出して演じていたのだろう。

 

 きっとあのメソッド演技のバックボーンには“家族の存在”がいる。そして夜凪にとっては家族こそが“芝居の原点”と言える。

 

 

 

 “・・・って、全てを決めつけるにはまだ早いか・・・

 

 

 

 そうやって色々と頭の中で考察を練っているうちに、最初の目的地として目指していた中央公園に着いた。高校時代に住んでいた寮が阿佐ヶ谷にあったこともあり、この辺りの地理はマップを見なくとも大まかには覚えている。

 

 “といっても、どこにあるんだ?”

 

 店主の言っていた“中央公園と馬橋公園の真ん中あたり”というかなり抽象的な説明だけでは、正直分からない。さすがにまだ残っている土地勘だけでは限界を感じたスマートフォンでマップを開いて地図を確認すると、一応周れないことはないくらいの範囲ではあるが、全部を周るとなれば低く見積もっても軽く1時間コースだろう。

 

 “・・・そういや黒山のスタジオ大黒天(事務所)って、確かこの辺りにあったよな・・・”

 

 ふとそんなことが頭の中によぎった俺は、雨に濡れる公園の中でスタジオ大黒天をマップ上で検索する。

 

 「めっちゃ近所じゃん・・・」

 

 まさかの中央公園から徒歩3分という表示に、思わず独り言が漏れた。そして次の瞬間、“雨の降りしきる白昼の公園の中でアラサーの男がこんなところで何をやっているんだ”という羞恥心に似た感覚が襲って来た。

 

 “・・・行こう”

 

 我に返った憬は、ひとまず中央公園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 “・・・とりあえず今のところはなしか・・・”

 

 先ずは中央公園から馬橋公園にかけての最短ルートを歩いてみたが、夜凪という表札の家は一軒もなく、雨という天候と昼前という時間帯が災いしてか誰ともすれ違わなかった。

 

 “・・・黒山にでも聞いてみるか・・・?”

 

 ひとまず馬橋公園に着いた俺は、恐らく夜凪の連絡先や住所を知っているであろう“彼女の雇い主でもある”黒山に連絡をかけようとした。

 

 “・・・聞くほどのことじゃないな・・・”

 

 だが寸でのところで、こんなことで電話やメールをするのも馬鹿馬鹿しいと感じ開いていたトークアプリを閉じてスマートフォンをスリープにする。そして俺は馬橋公園での“ロケハン”を後回しにして、夜凪家を探しに再び雨が降りしきる阿佐ヶ谷の住宅街を歩く。

 

 現時点での唯一の手掛かりは、店主の言っていた抽象的な場所だけだ。ここまで歩いてみた限り、常連ではあるが“ご近所さん”というわけでもないから、ざっくりしているのは当然のことなのかもしれない。

 

 “・・・おいおい・・・”

 

 住宅街の路地を再び歩き周り始めて5分。ここに来て阿佐ヶ谷に着いてからはパラつく程度だったはずの雨脚が、再び強くなり始めた。

 

 “一旦あの喫茶店に行って雨が弱くなるのを待つか・・・その間に黒山から返信が来れば後はそこに向かうだけだしな・・・”

 

 別に急ぎというわけではない。そもそも最初は別の用事のために阿佐ヶ谷(ここ)へ来たようなものだ。本来であれば一軒ごとの表札を目で追いながら住宅街を彷徨っているこの状況は、全くの予定外のことだ。

 

 “ていうか俺、傍から見たら絶対怪しいよな”

 

 少なくとも、現時点でいま俺がやっていることはほぼ“不審者”そのものだ。という考えが頭の中をよぎる。

 

 “これは一旦・・・本気で頭を冷やさないと駄目かもしれないな”

 

 目の前に“ヒント”が転がっていると、つい我を忘れて入り込み過ぎてしまう幼少期からの悪い癖。この悪い癖に俺は生かされ、そして殺され、また生かされ、その繰り返し。

 

 

 

 “・・・その苦しみから解放されたくて芸能界(あの世界)から離れたというのに、結局現実は大して変わっていない・・・

 

 

 

 振り返ってみると俺の人生はずっと“それ”に翻弄され続けていた。そしてこれからもその根底は変わらず、俺を苦しめ続けることだろう。

 

 “・・・って何で俺はいきなり “役者だった(あの頃)”頃と今を比べているんだ・・・”

 

 雨が強くなるのと比例して、自分でも制御しきれないような予期せぬ感情に気が付くと俺は何の前触れもなくいきなり浸っていた。

 

 あぁ駄目だ。やっぱり今日はこんなところに来るべきではなかった。雨が降っているから物語の中にいる華と尋也が見た景色を確かめようとここに来てみたが、こんな過去(思い)に苛まれるくらいなら来るべきではなかった。

 

 

 

 “『景ちゃん、きっと喜ぶと思うわ。お兄さんが来たら』”

 

 

 

 そう言って励ましてくれた店主には申し訳ないが、俺はもう二度とこの街に足を踏み入れることは・・・

 

 

 

 

 

 

 「何か探しているのか?

 

 ふと後ろから少し低めな男の声が聞こえ、俺はその声のする方へと振り向く。

 

 「・・・えっ?」

 

 正直、今の状況を把握することが出来ず反応が少しばかり遅れた。ていうか、何で俺はこんな雨降る住宅街の路地を傘と何かの商品が入った袋を持って歩いているんだ?

 

 「道にでも迷ったのかい?お前さん?」

 

 振り向いた先にいた長袖のランニングウェアを着た俺とほぼ同じくらいの背丈の初老の男の言葉で、俺はようやく状況を把握した。

 

 「・・・実は、夜凪さんのお宅に少しだけ御用がありまして、この辺りに住んでいるとは聞いているのですがどこなのか分からなくて」

 

 そうだ、俺はアーケードの衣料品店の店主から夜凪がこの辺りに住んでいるということを聞かされ、彼女の家を探していたところだった。

 

 「そうか。いやぁ何か随分と道に迷っているように見えたからつい声をかけてしまったよ」

 「・・・そうですか。何かすいません」

 

 しかも俺はどうやら傍から見れば完全に“道に迷っている”人のように映ってしまったらしい。もちろんそんな自覚はないが、どういう訳か馬橋公園からここで爺さんから話しかけられるまでの記憶が曖昧だ。

 

 

 

 “もしや俺としたことが、“完全に我を忘れていた”ということか・・・?

 

 

 

 「いやいいんだ。ただお前さんの返答次第じゃこのまま警察に相談しようかと思ってたけどな」

 「それは勘弁してください(マジで危なかったな俺)」

 「冗談だよ、ホラ笑え」

 「いや、今のは冗談でも笑えないです」

 

 とりあえず目の前の男が中々に癖が強そうなのは置いておいて、最悪な事態は避けることができたようだ。

 

 「でもこんな雨の中出歩いて大丈夫ですか?」

 「それはお前さんもだろ?」

 「・・・確かにそうですね」

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら言葉を返すと、自分でも“どの口が言っているんだ”と言いたくなるような言葉が漏れて、初老の男は少しばかり心配気味に“当たり前のこと”を俺に返してきた。そりゃあそうだ、こんな雨の中たった一人で見ず知らずの住宅街を彷徨いながら歩く奴が、何を言っているんだ。

 

 「・・・え~っと・・・すまん何だっけ?」

 「あぁ、実は夜凪さんのお宅に少しだけ御用があるのですが場所が分からなくて・・・」

 「いやすまん。生憎俺は阿佐ヶ谷(ここ)の人間じゃねぇからこの辺りのことはよく分からん」

 「そうですか・・・すいませんありがとうございます」

 「わるいな。力になれずに」

 「いえ、とんでもないです」

 

 そして有益な情報も、得られることはなかった。

 

 「気ぃ付けろよお前さん」

 

 ランニングウェアを着こなした初老の男は俺に一言そう言うと、そのままきちっとした足取りで目の前に広がる狭い十字路を真っ直ぐに歩いて行った。

 

 “・・・にしてもいまの人どこかで・・・”

 

 そんな男に俺はどういう訳か既視感を覚えたが、すぐに勘違いだと判断して俺は目の前の十字路を左へと曲がった。

 

 しかし、この近辺に住んでいない人が、こんなところを果たして歩くのだろうか。

 

 傘以外は何も持っていなかったあたり、少しだけ長めのジョギングでもしていた途中だったのだろうか。

 

 “・・・って、俺もか”

 

 考えてみれば、さっきの人からしてみれば俺も似たようなものだ。こんな下らない議論にすらならない日常の一コマなど、考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 “・・・ん?

 

 

 

 と、頭の中で特にオチのないどうしようもないことを考えていたら、不意に自分から見て斜め左側にあった一軒家が目に入った。

 

 “随分とボロい家だな・・・人住んでんのか?”

 

 新しくはないが比較的に綺麗な白い壁の家に挟まれるように鎮座する、推定築50年以上は経っているであろう2階建ての木造建築の一軒家。家の周りの整理はお世辞にも手入れが行き届いているとはいえず、1階の玄関口から下屋根にかけて無造作に雑草が生い茂っていて周辺のきちんと整理された家も相まって異彩を放っている。

 

 正直、首都直下の大きな地震が来たら耐えられる保証がなさそうなのは外見を見ただけで明らかだ。

 

 “・・・空き家、じゃなさそうだな・・・”

 

 売り物件の看板もなく、玄関先のポストにはチラシのようなものも入っていることから、恐らくここでは人がまだ生活している。

 

 “まさかな”

 

 俺はそのまま流れ作業の如く、引き戸の玄関先に掲げられている表札に目を通す。

 

 “・・・嘘だろ・・・”

 

 俺は自分の目を疑い、もう一度その表札に目を通した。

 

 

 

 “・・・夜凪・・・

 

 

 

 どうやらここが、夜凪景(彼女)とその弟妹が三人で暮らしている家のようだ。まさかここまであっけない感じで目当ての場所に辿り着けるとは思ってもみなかった。

 

 全く、今日は運がいいのか悪いのかが分からない。

 

 “さてと、着いたはいいけどここからどうする?”

 

 そして夜凪家に辿り着いたはいいが、よくよく考えてみればそれが何になると言うのだろうか。彼女の家が分かった。それで彼女の感情にかかった靄が晴れるなら、とっくに続きは思いついているはずだ。

 

 だがどうだ、家に着いたところで何が分かった?その答えは何も分からないままだ。

 

 

 

 “・・・やはり靄を払うには・・・直接会えってことか・・・

 

 

 

 直接会うにしても、どうやって会えばいいのだろうか。そもそも墨字は何らかのコネを使いスターズのオーディションに“忍び込んで”夜凪を自分も元に呼び込んでいる。だが今の俺にはそんな力はない。

 

 “いっそここで“待ち伏せ”るか?”

 

 いやそれは一番駄目だ。仮にここで待ち伏せて話を聞くとしたら、それこそ変質者として捕らえられて今度こそ社会的に抹殺されるだろう。相手が学生であることを考えれば尚更だ。

 

 “・・・仕方ない・・・黒山(あいつ)に直接“会わせてくれないか”と言うか・・・”

 

 本当は明日に控える酒の席で直接言おうと思っていたが、いずれ言うならいま言っても一緒だろう。

 

 雨の降る中、俺は他人(ひと)の家の玄関前でスマートフォンを開き、黒山の連絡先に電話をかけようとした。

 

 “・・・ていうか、何で俺は中に誰も人が居ないと決めつけているんだ・・・?”

 

 俺は再び寸でのところで黒山へ連絡するのを止め、スマートフォンをスリープにする。無論、弟妹は時間帯を考えると学校に行っていて、夜凪も学校かあるいは稽古にでも行っていることだろう。

 

 

 

 “『実は私も景ちゃんのお父さんの話は全然聞かないから、そこだけはよく分からないのよ・・・この店に来るのも景ちゃんとお母さんだけで、お父さんは一度も顔をみせたこともないし』”

 

 “『3,4年くらい前にお母さんが亡くなられてからはお母さんに変わって女手一つで下の弟さんと妹さんの面倒を見ているらしくて』”

 

 

 

 問題は父親だ。店主はそう言っていたが、何も全く帰って来ていないとは限らない。

 

 弟妹の世話を長女に任せているような父親が、ある日突然なんの前触れもなくいきなり子供たちの前に現れるなんて話は、小説やドラマ(フィクション)の中だけじゃなく現実でも起こり得る話だ。

 

 

 

 “二度あることは三度ある・・・か・・・

 

 

 

 そんな感じでやや楽観的に、俺は玄関の引き戸に“手をかけた”。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・えして・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「!!?

 

 次の瞬間、脳内にナイフを直接ぶっ刺されたような今まで感じたことのない強烈な痛みが頭に襲い掛かる。俺は咄嗟に傘と袋を手放して家の引き戸に寄りかかり呼吸を整えようとするがあまりの痛さに呼吸をすることもままならず、寄りかかろうと意識を身体を動かし始めた時には既に、俺の身体は地球の引力に吸い寄せられるかのように地面へと叩きつけられていた。

 

 “・・・身体が動かねぇ・・・

 

 激しい痛みの中で倒れたことを理解した俺は全身の力を使って立ち上がろうとするが、地面に倒れたこの身体は鉛と化して微動だにせず、力という力が全く入らないばかりか意識すら曖昧になり始めた。

 

 

 

 “それにしてもさっきの“光景”は・・・一体なんだ・・・?

 

 

 

 

 

 

 気が付くと俺は、目の前の引き戸を開けて中に入っていた。さっきまでの頭痛は嘘のように引いていた。

 

 

 

 俺は迷うことなく2階にある寝室へと歩みを進めた。一度も入ったことすらないはずなのに、なぜかこの家の間取りを怖いくらいに覚えていた。

 

 

 

 いや、違う・・・俺は・・・・・・俺は・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・返して・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「ッ!!ァァァァッ!!

 

 再び激しい頭痛が襲い掛かり、現実に引き戻される。たった今まで見ていた景色を思い起こそうにも、あまりの痛みでそれどころではない。もういっそのことこのまま“ラク”になりたい。そう思ってしまうほどの激しい痛みで身動きは一切取れず、おまけに呼吸をするのもしんどくなってきた。

 

 

 

 “・・・知らない・・・こんな“記憶”・・・・・・俺は知らない・・・

 

 

 

 

 

 

 2階の寝室に入ると、そこには(あい)の遺骨を前に茫然としたまま力なく座り込んでいる景がいた。

 

 

 

 違う・・・・・・これは違う・・・これは違うこれは違うこれは違うこれは違うこれは違う

 

 

 

 「お母さんを返してッ!!!

 

 

 

 

 

 

 やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・憬さん?

 

 「・・・・・・!?

 

 耐え難い頭痛の中で聞き覚えのある声が耳に入り、は現実に引き戻された。

 

 「・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・」

 

 乱れていた呼吸を整えながら、俺は手足に少しずつ力をいれながら慎重に起き上がる。さっきまでの頭痛は、嘘のように引いていた。

 

 「憬さん・・・・・・大丈夫ですか・・・?

 

 ゆっくりと立ち上がり声のするほうへ意識を向けると、そこには4年前に死んだはずの(あい)がいた。

 

 「・・・逢・・・・・・生きていたのか・・・

 

 雨に濡れたの身体を、は優しく包み込むように抱きしめる。

 

 「・・・会いたかった・・・・・・憬さん・・・

 「・・・・・・あぁ・・・僕もだ

 

 久しぶりに感じるのぬくもりに安心したのか、猛烈な眠気が突如としてを襲う。

 

 

 

 

 

 

 「・・・ごめん・・・僕もう疲れたから、ちょっとこのまま横にさせてもらうよ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッピッピッピッ_

 

 「・・・・・・ん~・・・・・」

 

 午前5時30分(起床時間)を告げるスマートフォンのアラームが深層心理に入り込み、ゆっくりと身体を起こしながらスマートフォンのアラームを止める。久しぶりに旧友と酒を飲んでリフレッシュできたからだろうか、今日はいつもに増して疲れが取れたような感覚がある。

 

 映画鑑賞でも何でも一人で楽しめればそれでいいと言う意識は覆らないが、偶にはこういうのも悪くはないのだろう。

 

 “それにしても、何だか今日は随分とな夢を見た気がする”

 

 「・・・・・・何だったんだ?・・・今の・・・」

 

 夢から覚めて数十秒、意識が現実へと完全に引き戻された瞬間、俺はたった今まで見ていた夢が何だったのかを思い出そうとしたが、全く思い出せない。

 

 それが過去の夢だったのか、あるいは違う何かだったのかすらも全く思い出せないが、どういう訳か既視感だけはあった・・・・・・ような気がしなくもない。

 

 “・・・・・・痛くはない・・・・・・”

 

 1つだけ確かなのは一昨日に見た父親(あいつ)の夢と同じく頭痛は襲ってこなかったということ。

 

 “・・・もしかして今までの痛みも単なる偶然だったのだろうか・・・”

 

 そう思い込んだ俺は、一昨日に過去の夢を見た朝と同じようにリビングに飾られた絵画の前で小説家の男のことを思い浮かべようとするが、やはり出てこない。

 

 “・・・いっそ思い出せないならこのままにしておくか・・・”

 

 そもそもの話、夢にも一度しか出てきておらず、“あの言葉”以外に思い出せる気配のない小説家の男を必死に思い出そうとしていること自体が時間の無駄なのかもしれない。

 

 “・・・雨か・・・”

 

 そして取りあえずいつものルーティンを済ませようとバルコニーの外を眺めるが、生憎なことに今日もまた本格的な雨ときた。どんよりとしたダークグレーに染まる空を見る限り、天気予報を見なくとも今日は一日中太陽が姿をちらつかせることはないのが見て取れる。

 

 “これで3日連続だ”

 

 これはもしかすると、こんなくだらないことで悩んでいないでさっさと映画に向けたシナリオを書けという神様からのお告げのようなものかもしれない。それにもしもこれで原因不明の頭痛から解放されたと考えれば、悲観することなんて何一つない。

 

 とりあえず俺は気分を一旦リセットさせるためにバスルームの扉の向かいにある洗面所で顔を洗い、再び昨日のことを思い起こす。

 

 

 

 “それまでずっと料理を作ってくれてた人が突然いなくなって、弟妹が毎日泣いてて、私は2人に笑って欲しくてお母さんがよく作ってくれたカレーを作ろうと思って・・・包丁なんて初めて持ったから、2人とも心配そうに私を見ていて・・・・・・とても痛かったけど2人が泣くといけないから、笑ってごまかしたの・・・・・・

 

 

 

 黒山から夜凪の抱えている事情を聞いた瞬間、あの日の撮影で彼女が抱えていた感情の正体がようやくハッキリと視えた。夜凪家の弟妹にとって彼女は、“たった一人の姉でありもう一人の母親”でもあるのだ。

 

 そして残った父親は家を捨てて何処かで行方をくらましていながらも、実の子供に対する最低限の愛情を送り続けている。無論たったそれだけの罪滅ぼしぐらいじゃ、親子の間にできた溝など埋められるはずはない。

 

 “・・・家族か・・・”

 

 それでも、どんな形であれど“家族”が存在するということだけでも十分幸せなのかもしれない。

 

 

 

 “でも・・・そんな夜凪(彼女)でも弟妹のことを疎ましく思ったことが、一度くらいはあるのではないか?

 

 

 

 冷静になって考えてみれば、彼女はまだ17歳の女子高生に過ぎない。10代の青春真っ只中で部活や恋もしたいであろう年頃のはずなのに、残された弟妹(きょうだい)のせいで大人になることを強いられているようにも見えてしまう。

 

 

 

 “『どうして私だけ?』と思いながら眠りに就いた夜だって、何度かあってもおかしくはないはずだ・・・

 

 

 

 それでも夜凪は弟妹のことを邪険にはしなかった。そうしなければカレーを焦がした時に魅せた“あの微笑み”はできない。彼女を救ったのは芝居であると共に、かけがえのない弟妹(かぞく)の存在も大きいことだろう・・・

 

 

 

 “・・・この関係性をもっと深くまで掘り下げていけば・・・

 

 

 

 この瞬間、八岐灯夏の背景(バックボーン)と心に抱える闇の原形が出来上がった。さて、ここからこいつをどうやってシナリオに落とし込んでいくか・・・・・・

 

 “・・・チケット・・・”

 

 ふと俺は、黒山から銀河鉄道の夜(舞台)の初日分のチケットを貰い受けていたことを思い出した。

 

 

 

 “『夜凪はあのCMの時からは比べ物にならないくらい成長している。しかもその過程で手前の中に知らない自分がいるということに気付いちまったからな。メソッド以外の武器を手に入れんとする今のアイツは、誰が立ちはだかろうともう止まらねぇよ』”

 

 

 

 夜凪の芝居は今この瞬間にも確実に進化し続けている。恐らく・・・いや、間違いなく今の彼女とシチューを焦がした彼女は全くの別人に思えてしまう程に変貌を遂げていることだろう。そしてそれは舞台の本番を迎える頃には、更なる進化を遂げているはずだ。

 

 “やはりシナリオを本格的に煮詰めていくのは、夜凪のカムパネルラを観てからの方がよさそうだ・・・”

 

 何故なら俺は、まだ母親を亡くして毎日のように泣いていた弟妹のためにカレーを作る夜凪の感情しか知らない。デスアイランドや巌裕次郎の舞台を体験した彼女の感情を、まだ知らないからだ。

 

 それに、『hole』の脚本も残っている。原型が既に出来上がっているとはいえ、来週行われる製作会議に加え今後行うことになるであろうロケハンやオーディション次第でその都度細かなシナリオを変えていく必要もあるだろう。

 

 どちらかのために片方を蔑ろにすることなど、全くの論外だ。

 

 

 

 「さて・・・・・・どうするか・・・」

 

 1分ほど考え込んだ末、3日目の雨空を窓越しに眺めた憬は実際に『hole』の舞台にもなっている“ある場所”に向かうことを決めた。

 

 「・・・・・・阿佐ヶ谷にでも行くか」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 東京。阿佐ヶ谷。

 

 新宿駅から各駅停車で10分少々の場所にあるこの街に広がっているのは、下町風情が残る商店街に、裏道に入れば所狭しと軒を連ねるアパートと一軒家という、山手線の外側に行けばどこにでもあるような東京の風景。

 

 

 

 こんな感じの雨降るありふれた街の片隅で、華と尋也が出会うことでhole(物語)は動き始める。

 

 

 

 2018年9月2日_午前11時05分_阿佐ヶ谷_

 

「・・・半年ぶりぐらいか・・・ここに来るのは・・・」

 

 朝方からの雨が降る阿佐ヶ谷駅南口の光景を、憬は傘を差し駅前のロータリーから眺めていた。

 

 ちなみに阿佐ヶ谷(この街)は高校時代に俺の住んでいた芸能コースの寮の最寄り駅がちょうど阿佐ヶ谷(ここ)にあったことから、仕事のない日は同じ寮に住んでいた気の合う俳優仲間と一緒に駅の周りや南口のアーケードを特に目的も決めず駄弁りながら歩き回りオフを満喫していた記憶が今でも薄っすらと残っていて、アーケードのある南口に関しては数年は用が無かったので行けてなかったが、個人的に阿佐ヶ谷は何気に思い入れがあり土地勘は十分に残っている。

 

 “・・・確か寮があるのは馬橋公園の辺りだったか・・・今もあるんかな・・・”

 

 とはいえ最寄り駅の阿佐ヶ谷までは歩きだと10分以上は場所にその寮はある。立地的にはあまり恵まれた場所とは言えなかったが、芸能コース専用なだけあってセキュリティーは当時としてはかなりしっかりしていた記憶もある。

 

 “おっと危ない、今日はそれが目的じゃない”

 

 かつて住んでいた街を懐かしむ感情を、俺は降りしきる雨と共に地面に落とした。今日ここへ来た目的は、昔を懐かしむためではないからだ。

 

 

 

 「・・・とりあえず昼まで“ロケハン”がてらこの辺で時間を潰すか」

 

 憬は、南口から青梅街道までの約700メートルを南北に貫くアーケード商店街(パールセンター)に歩みを進めた。




前回サマーブレイクって言っときながら隔週休載は予告なしに何度かこれまでもやってたわ・・・・・・はい。

まぁ、スピンオフを更新していたので休載したって感覚は全くないんですけどね・・・・・・むしろ忙しかった。

ちなみに来週も休載します。実質サマーブレイク後半戦です。すみません。




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