或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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“らしさ全開”の、素晴らしい最終回だった


scene.55 策

 本番前_男子更衣室_

 

 「セキノ・・・さっきカントクと何話してた?」

 

 衣装の制服に着替えようと3月まで男子更衣室として使われていた“衣装部屋”に入ると、更衣室の中で衣装の制服に着替え終えた狩生が俺を待ち伏せていた。周りにはエキストラも含めて狩生以外は誰もいなかった。

 

 「・・・何って」

 「何か企んでるっぽいじゃん?ついでで良いから俺にもその“作戦”的なやつ教えてくれよ?」

 

 言葉を返す隙を与えず、畳みかけるように狩生は國近に言いかけようとした俺の“”のことを聞いてきた。

 

 「・・・もしかして聞こえてました?」

 「おう。こう見えて俺は“地獄耳”だからな」

 

 俺からの問いかけに、狩生は左手の人差し指で自分の左耳を2回タッチしながらドヤ顔で答えた。

 

 「こう見えての基準が分からないんだけど・・・」

 

 4日前とは打って変わった馴れ馴れしい態度に戸惑いつつも、聞かれてしまった以上は仕方ないと心を決めた俺はその“”を打ち明けたることにした。

 

 「_それで、ここの台詞を言いかけたところで俺が狩生さんを押し倒しますから、狩生さんは適当なタイミングでその後に俺を床へ目掛けて押し倒し返してください」

 「適当って言われてもわかんねぇからもうちょい具体的に教えてくんない?こう見えて俺って頭でちゃんとプランを考えてから動くタイプだからさ」

 「・・・そうですか(今のところどう見てもそうは見えないけど・・・)」

 

 それを教える中で狩生が意外と“冷静”に状況を考えて芝居をするタイプの役者だったことが判明したことは置いといて、こうして俺たちはユウトとケンジが喧嘩をする際の“段取り”を互いに共有した。

 

 

 

 “『聞こうかと思ったけどやっぱりやめたわ。お前には従順に俺の言うことを聞いてくれる“優等生”よりも、隠し持った刃で俺に立ち向かってくるような“クソガキ”でいて欲しいからな・・・・・・だからお前が必死こいてこの4日間で考えた“策”ってヤツで演じ切れるっていうなら、それで演じ切ってここにいる連中全員に“見せつけて”やれ・・・』”

 

 

 

 それとついでで、このことは“俺たち2人”だけの秘密にしてほしいということも伝えた。

 

 「・・・・・・共演者(エキストラ)には言わなくていいのか?」

 

 俺が考え抜いた“策”を聞いた狩生は、どこか余裕そうな顔を浮かべながら核心を突いた。

 

 「・・・誰にも言わないほうがより“リアル”なリアクションが取れそうな気がするので・・・といっても、半分ぐらい賭けみたいなもんですけど」

 

 正直言って核心となるその部分は半ばギャンブルに近い運任せのようなところがある。それでもこんなハイリスクな手段に挑んだ理由(わけ)は、下手に共演者全員にそれをバラしてしまったら、それこそ國近の撮りたい“リアル”な芝居が出来なくなってしまう気がしたからだ。

 

 周りの共演者が全員“全く同じレベル”ではないことは分かり切っているから、そんなことをしたらせっかく自分が上手く演じ切れても周りが良い芝居をしようとして逆に“へたる”可能性も考えられる。

 

 「じゃあ何で俺にはこと細かく教えてくれる?」

 

 ちなみに共演者の1人でもある狩生には撮影で俺が何をするかを全部教えた。その理由はたった1つだ。

 

 

 

 「・・・・・・今日ここにいる共演者(やくしゃ)の中で、唯一“信頼しきれる”からです

 

 

 

 

 

 

 「オイ宮入」

 

 授業終わりの放課後、スクールバッグを肩に背負って部活へと向かおうとするユウトを、ケンジが呼び止める。

 

 「・・・何?」

 

 だがどういうわけかケンジはユウトに対して怒っているようだった。それを直ぐに感じ取りながらも身に覚えが全くないユウトは喧嘩腰に絡んできたケンジに、やや苛ついた態度で振り返る。

 

 「お前だろ俺に万引きを擦り付けたの?」

 「は?何で俺が早瀬を?」

 

 数日前、ケンジはコンビニで“万引き”したことを誰かにチクられ生徒指導を食らっていたが当の本人は万引きなどしておらず、結局はただの人違いだった。

 

 だが今度は、ケンジが万引きしたという噂を流したのがユウトだという噂が学校で広まっていた。

 

 「だってお前がその万引きの話を福田にチクったんだろ?」

 「あぁ万引きのことを話したのは俺だよ、でも誰がやったとかまでは俺は言ってねぇしそもそも知らねぇよ」

 

 ちょうど部活を終えた帰り道、ユウトは部活仲間と共に下校路についていた時に、偶然にも万引きが起きた時間に下校路の途中にあるコンビニに差し掛かり、ユウトは仲間と共にコンビニから駆け足で逃げる男の姿を見ていた。だが暗くなっていた上に距離もあったため顔までは分からなかった。

 

 「とぼけてんじゃねぇよクズ

 

 だがケンジはユウトの話に全く耳を傾けず、罪を擦り付けられクラスメイトから白い目で見られたことへの怒りをぶつけ続ける。

 

 

 

 1つのミスも許されないワンカットの撮影に加えて、午後の撮影スケジュールを考えれば1回で成功させなければいけないという状況を恐れることなく、狩生は4日前の撮影と同様、本番に入った瞬間リミッターを一気に外してケンジとしてユウトとなった俺に怒りをぶつける。

 

 「は?そんなに俺の言ってることが信用できねぇの?

 

 そんな狩生に、俺も本気の芝居で怒りに応える。自ら蒔いた形になった種で生み出されたチャンスで“過去を超える”ことができたことを証明するには、是が非でもこの1回で成功させなければここにいる全員、そして國近も納得してはくれない。

 

 「お前が万引きのことを話さなけりゃこんなことにならなかったんだよ・・・それぐらい分かんだろ?

 「そんなこと知らねぇよ

 「・・・てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ!

 

 ついに堪忍袋の緒が切れたケンジが、俺の胸ぐらを力任せに掴む。その衝撃で俺は一瞬だけバランスを崩しかけるがすぐさま持ちこたえる。一瞬でも気を抜いてしまったら、本当に“怒りをぶつけてしまいそう”な感覚が俺に襲い掛かるが、俺はそれを“俯瞰”を駆使しながら心の奥底に払い除ける。

 

 “・・・耐えろ・・・怒りに身を任せながら・・・常にカメラがどこにあるかを意識しろ・・・

 

 「何なんだよ早瀬っ!

 

 ケンジの胸ぐらを掴み返し、俺はカメラを意識しながら“ユウト(自分)を俯瞰”する。

 

 

 

 “『もっと“シンプル”になろうぜ、憬』”

 “『“過去”なんかに囚われないでただひたすらがむしゃらになって前に前に突き進む・・・・・・それが憬の芝居じゃん?』”

 “『・・・・・・最初に言っておくけど、この過去(こと)は私たち2人だけじゃどうにもならないようなことだから・・・全部は話せないけど、それでもいい?』”

 

 

 

 これまでの撮影での経験値と、“過去”を乗り越えられなかった昨日までの自分に向けられた助言と母親から打ち明けられた過去(しんじつ)を経て、最終的に辿り着いた一発勝負の危険な代物。

 

 

 

 でもこれは、俺がユウトを演じ切るためにどうしても必要となる“策”だ。

 

 

 

 「てめぇマジで殺しっ・・・!

 

 

 

 ここから2人は机を押し倒しながらも互いが互いの胸ぐらを掴み合い、ユウトは教室のロッカーに背中から寄りかかるような形になる・・・と誰もが思った矢先、あろうことかユウトを演じる憬は一瞬の隙を突いて狩生を机の上に押し倒し、その体勢のまま狩生の首を絞め始める体勢に入る。

 

 「(あぶねぇ真似しやがって・・・“想定線(イマジナリーライン)”を超えたらどう“けじめ”つけるつもりだよ・・・)」

 「(・・・夕野(コイツ)・・・よりによってこんな土壇場にアドリブをぶち込んで来やがったか・・・・・・)」

 

 幸いにも押し倒した位置がちょうどイマジナリーラインに沿った形となったため撮影はそのまま続く。無論それが完全なアドリブであることは、國近と寿一も含め周りはすぐに理解した。

 

 「(・・・いや待て・・・夕野(こいつ)、全部“想定”している・・・?)」

 「(ハハッ、何もここまで“()”とは一言も言ってねぇよ・・・)」

 

 そして憬の姿を狩生の次に近くで視ている2人は、憬のアドリブが“考え抜かれた”ものだということも理解した。

 

 「(・・・・・・Crazy guy(イカレ野郎が)・・・・・・)」

 

 当然ケンジとして対峙している狩生は監督と撮影監督(カメラマン)以上に、それを肌で感じていた。

 

 

 

 “「てめぇマジで殺してやる・・・!」”

 “「あぁやってみろよ!」”

 

 という台詞に突入して胸ぐらを掴み合いロッカーの方に身体が向かうという本来の流れを夕野はぶった切るように一瞬の隙を突いて俺の足を引っかけて、俺はすぐ後ろにあった机の上に押し倒される形になった。

 

 そして間髪を入れずに俺はいま、“ユウト”から首を絞められている状態だ。

 

 

 

 “『・・・・・・今の自分を“過信”するな。多分相手はヒロが思っている以上に強いから・・・・・・』”

 

 

 

 十夜の言っていたアドバイスの通り、相手(夕野)はかなりの強敵だった。4日前の“フラッシュバック”のトラウマを感じさせないこの気迫。そして一見無謀に思えるこのアドリブも、実際にはカメラの位置や周囲の状況、そしてこの後の展開までを全て“想定”し細部にまで考え込まれた、コイツなりの予定調和()

 

 “『・・・誰にも言わないほうがより“リアル”なリアクションが取れそうな気がするので・・・』”

 

 そして夕野の言っていた思惑の通り、周りの取り巻きも“何が起きているか分からない”感情と“それでも芝居を続けなければならない”感情で板挟みされた状況になり、偶然とはいえ結果的に現場の空気は“リアルそのもの”になった。

 

 

 

 “礼を言うぜ・・・・・・トーヤ・・・

 

 

 

 俺は夕野(コイツ)のことを完全にナメていた。もうここに、4日前の“クソ雑魚メンタル”は存在しない。十夜からの助言(アドバイス)が無かったら、今日の俺は間違いなく完全に“負かされていた”。

 

 

 

 “『ここの台詞を言いかけたところで俺が狩生さんを押し倒しますから、狩生さんは適当なタイミングでその後に俺を床へ目掛けて押し倒し返してください・・・』”

 

 

 

 恐らく夕野の考えだと、この後ここから俺が何らかの形でユウトを床に押し倒して馬乗りにでもなって、“リョウコから首を絞められた時と全く同じ状況”を作り上げるつもりだろう。俺も役者だ。作品のために自分の芝居(ベスト)を尽くすことに変わりはない。

 

 後は、仕掛けるタイミング。

 

 

 

 “・・・そういや・・・・・・“あの言葉の答え”をまだ聞いてなかったな・・・

 

 

 

 「お前・・・・・・

 

 俺の首を絞めつける夕野の両手が、一瞬だけ震えた。俺はそのタイミングを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 頬に落ちた水滴のようなもので、俺は目を覚ました。目を覚ますと俺の身体の上で母ちゃんが俺の首に優しく手を掛けながら泣いていた。暗くて顔は全く見えなかったけど、頬に落ちた水滴を肌に感じて、母ちゃんが泣いていることに俺はすぐに気が付いた。でも、どうして母ちゃんが泣いているのか。何で俺の首に手を掛けていたのか。まだ1歳にもなっていない俺がその理由に気付けるはずもなかった。

 

 “「・・・・・・おやすみ・・・・・・」”

 

 俺の首に両手をかけていた母ちゃんは、泣きながら俺に優し気な声でそう言った。その“おやすみ”のたった一言が、とても恐ろしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 「お前・・・・・・

 

 ケンジの首を絞めた瞬間、“今まで見たこともない光景”が頭の中を駆け巡り、目の前がほんの一瞬だけ“真っ暗”になった。

 

 「・・・ざっけんな!!

 

 ほんの一瞬だけ“真っ暗”な光景が流れてハッとそれが覚めると、ケンジを押し倒して首を絞めていたはずの俺が、逆に押し倒し返されていてケンジから馬乗りの体勢で首を絞められていた。

 

 「・・・・・・っ!!

 

 両手で圧迫されているせいで声も息もできないが、俺はまた精一杯の力でケンジの両手を無理やり突き放そうとした。

 

 

 

 

 

 

 “「・・・・・・おやすみ・・・・・・」”

 

 その一言が耳に入った瞬間、優しく首に掛かっていた両手が一気に強く俺の首元に圧し掛かった。何が起こったのか、全くわからなかった。何が起こったのか理解できないうちに、“感じたことのない”苦しみと恐怖が俺を襲った。その感情の正体は何なのか。あの瞬間は分からなかった。

 

 

 

 

 “・・・死にたくない・・・

 

 

 

 

 そうだ。あの時俺は、間違いなくこう思っていた。

 

 

 

 

 

 「・・・やめろ・・・やめろ・・・!

 

 尋常じゃないほどの苦しみに、目の前に広がる景色が霞み出す。俺の首を絞めていたケンジはもう同じクラスの誰かに押さえられている。薄っすらとだけどそれが見えた。もう俺は首を絞められていない。でも、呼吸は苦しくなるばかり。

 

 

 

 

 

 

 初めて襲い掛かって来た“得体の知れない”苦しみと恐怖で俺は隣で眠っているはずの父ちゃんに助けを求めようとしたが、身体が押さえつけられていて全く身動きが取れず、意識も遠のき始めていた。

 

 どうして母ちゃんは俺の首を絞めて殺そうとしているのか。何で母ちゃんは俺を殺そうとしているのに涙を流しているのか。そんなことなど分かりっこない。首元にかかる握力と全身に圧し掛かる圧力が強くなれば強くなるほど、頬に落ちる涙も大きくなる。

 

 その時、真っ暗闇の向こうから眩いほどの光が部屋を一瞬だけ照らした。

 

 “・・・なんで・・・

 

 一瞬だけ光る稲光で、俺を殺そうとしている母ちゃんの泣き顔が鮮明に映る。何をどうしたら、こんなにも“疲れ切った”顔になってしまうのか。何で母ちゃんはここまで苦しんでいるのか。誰が母ちゃんをここまで追い詰めたのか。

 

 

 

 “いや、理由なんてどうだっていい。母ちゃんには、そんな顔はして欲しくない

 

 

 

 俺は疲れ切った顔で泣きながら俺の首を絞めつける母ちゃんへと手を伸ばす。俺が母ちゃんの涙を拭いてあげれば、“苦しみ”から解放される。そんな気がした。

 

 

 

 「・・・・・・母ちゃん・・・・・・

 

 得体の知れない“記憶”に怯えながら額から汗を流して明後日の方角に視線を定めたユウトは力なくそう呟くと、そのまま意識を失った。

 

 「・・・オイ宮入・・・・・・宮入!?

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・カット!

 

 遠くのほうから國近の威勢のいい掛け声が聞こえた。その“カット”の掛け声を合図にして、俺は仰向けに倒れたまま呼吸を整えながら今自分が置かれている状況を俯瞰しながら整理する。

 

 俺が狩生を押し倒した方向、その時のカメラの位置、更にその後に狩生が俺を押し倒した際に俺が倒れた方向、そして押し倒された俺と首を絞める狩生を映し出すカメラの位置・・・・・・・

 

 

 

 “大丈夫だ。全部しっかりと頭の中に残ってる

 

 

 

 「・・・・・・どうでした?監督?」

 

 呼吸を整えゆっくりと起き上がった憬は、4日前とは打って変わった何食わぬ顔で國近に出来栄えを聞く。

 

 「・・・どうも何も無茶苦茶だろ。こんな一回の些細なミスすら許されないワンカットの撮影であんな危なっかしいアドリブなんかぶっ込んで来やがって・・・」

 

 何食わぬ平然とした表情で聞いてきた憬に國近は嫌味たらしく“後がないことを分かっていながら”アドリブを入れてきた憬を“無茶苦茶”だと言って非難するが、そんなエキセントリックな準主演を見つめる眼は、ほくそ笑んでいた。

 

 「ただ・・・・・・おかげで“良い画”が撮れた

 

 

 

 午前11時50分。ユウトがフラッシュバックを起こす場面の撮影は憬による想定外のアドリブこそあったものの、無事に一発で成功した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ナイスファイト、寿一さん」

 

 午前のワンカット撮影が終わり、昼休憩を返上して午後からの撮影に向けた準備を指揮する寿一に、一服から戻って来た國近が差し入れの缶コーヒーを片手に労いの言葉をかける。

 

 「カフェインか・・・寝不足の人間には“最高の調味料”だな」

 「あぁ、ちげぇねぇ」

 

 カメラのモニターに視線を向けたまま、寿一は國近が持ってきた缶コーヒーを片手で受け取り、そのままフタを開けて半分ほど飲み干す。

 

 「・・・ホント・・・これだから“未完成の役者(ガキ)”は撮りがいがある・・・」

 

 缶コーヒーを空いた机の上に置いてカメラの調整をする寿一の後ろで、缶コーヒーを一口だけ口へと運んだ國近がボソッと独り言を呟くように誰に向けるでもなく言葉を発する。

 

 「・・・どういう意味だ?」

 

 

 

 “リョウコ”との記憶を思い出すために、わざわざ1歳のときの記憶と“全く同じ体勢”になるように仕向け、ユウトがフラッシュバックを“起こしやすい”状況を意図的に作り上げた。ストーリーの辻褄を合わせるのはもちろん、教室に配置された机の位置や寿一さんのカメラの角度も全て想定した上でだ。“ユウトの過去”を曖昧にするのと引き換えにそうやって夕野は“ユウト”の感情に“完全移入”できる状況を客観的な視点で自ら演出し、“自分の過去”を遥か彼方へと追いやった。

 

 元々ここに至るまでの撮影を通じて“カメラに映る自分自身を俯瞰する技術(テクニック)は感覚的に研ぎ澄まされ始めていたが、この4日間でようやくその技術が手前の感情に追いつき、になった。

 

 それと恐らく俺たちの知らないところで夕野と口裏合わせでもしたのかは知らないが、一発撮りの成功は夕野のアドリブに難なく順応できた狩生の力も無論大きい。

 

 「・・・思ってた以上の“収穫”が得られたって意味(こと)よ。寿一さん

 

 俺に一切相談もせずに夕野が精巧に作り上げたアドリブは、本来であれば演者の芝居や動きを手中に収めて演出として昇華させる演出家(おれたち)に対して“俺の考えた展開の方が正しい”と喧嘩を売っているも同然の行為だ。この世界じゃそんなことをする“大人の事情を知らない生意気な奴ら”を嫌う連中のほうが実際のところは多い。

 

 だが時としてその“生意気な純粋”さが、演出家の理想を上回る究極の“展開(シナリオ)”を生み出すこともある。そういう一線を画す“才覚”は誰しもが生まれたときから持ち合わせているはずなのに、それに気付けるような奴は全人類の数パーセントにも満たない。そして自分の“才覚”に気が付いても、それを“武器”として使うことのできる奴らはさらに少なくなる。

 

 「・・・つっても、狩生がアドリブに対応できなかったら“終わってた”のは言うまでもないだろうけどな?」

 「だろうな・・・でも相手が狩生だったからこそ、夕野は最後まで“ケンジ”を信頼しきって()れたってところだな」

 

 

 

 “そういう奴ら”を演者で使う演出家がやってはいけないのは、自分の価値観に囚われ過ぎて“それ”を演者(奴ら)に押し付けて芽生え始めようとしている“才覚”を根こそぎ取ってしまうことだ。

 

 

 

 「・・・本当に良かったのか?

 

 色んな意味が含まれた寿一さんの一言が、俺の耳に入る。“せっかく安食と共に考えていたシナリオを新人役者が考えた土壇場のアドリブで潰された格好になってしまって、悔しくないのか・・・?”、と。

 

 「・・・良いか悪いかは監督()が決めることだ

 

 

 

 無論、その答えなど考えるまでもなく決まっている。

 

 

 

 「たとえ誤算だとしても、そいつで思い浮かべた理想を超える画が撮れるのなら・・・これほど監督冥利に尽きることはない・・・・・・監督の理想を超えなければ、誰も見たことのない映像(もの)なんて撮れはしないからな・・・

 「・・・・・・午後の撮影でも同じようなことされたら、俺はさすがに勘弁だぞ?

 

 午前の撮影を終えて“山場を越えた”かのように嘯く國近に、寿一は“気を抜くな”という意味を込めた皮肉を返す。

 

 「・・・その保証だけはできねぇな寿一さん。けど、“責任はちゃんと果たす”さ・・・

 

 その皮肉の意味を一瞬で理解した國近は、余裕の表情で言葉を返した。

 

 

 

 

 

 

 「セキノ?ちょっといいか?」

 「えっ?あ、はい大丈夫です」

 

 一方その頃、午前の撮影を終えて休憩時間に入っていた憬は、狩生に連れられる形で雨上がりの中庭で午後の撮影までの時間を潰していた。

 

 「で?何で中庭なんですか?」

 

 当然憬は、どうして中庭に連れてこられたのかを理解していなかった。

 

 「え?悪いか?」

 「いや、そういう訳じゃ」

 「なんか知らんけど急にセキノと腹割って話したくなっちまったからさぁ、だって控え室は他の共演者とかいんじゃん?」

 「はぁ・・・・・・なるほど」

 「あれ?意外と理解が早いなお前」

 「理解したとは一言も言ってないですよ」

 

 とりあえず無事に午前中のワンカットの撮影を一発で成功させた後、昼食のロケ弁を食べ終えた俺は狩生からいきなり呼び出されてこうして中庭にいる。狩生が何で中庭をチョイスしたのか、全くは分からない。

 

 「にしても、この前の春までフツーに俺たちのような格好した連中がここに来て勉強とか部活してたって考えたら、なんかノスタルジックじゃね?」

 「ノスタルジック・・・」

 

 中庭のど真ん中に鎮座する水の出なくなった噴水の前に立つ俺に、隣に並んで立つ狩生は“抽象的”で独特な言葉を俺に投げる。心なしか読み合わせ、4日前の撮影、今日の撮影開始前、そして昼休憩と順序を立てているかのように俺との距離を縮めてきているような感じがする。

 

 狩生(この人)はこんな感じで人との距離を縮めてくるタイプ、なのだろか?

 

 「・・・って言ってもわかんねぇか」

 「・・・ちょっと何言ってるかわかんなかったですね・・・正直」

 

 この有島や牧とも異なる気さくに見えて何とも考えが読めず掴みどころのない感じのタイプの人は初めてだから、中々戸惑いが消えない。

 

 「とりあえず・・・腹を割って話しましょう」

 

 そんなことを思いながらこっちから話す話題を考えていたら、あまりに直球ストレートな言葉が口からこぼれ、少しの恥ずかしさが込み上げる。

 

 「・・・だな」

 

 何か言われるかと一瞬だけ覚悟したが、狩生は俺の言葉をすんなりと受け入れた。

 

 「・・・それで話は何ですか?」

 

 どうして中庭をチョイスしたかはよく分からないままだが、狩生が何のことを話したいのかは割とすぐに察することが出来た。

 

 「聞こうとして聞きそびれてたけど、セキノが本番前に俺に言った“今日ここにいる役者の中で唯一信頼しきれる”って言葉の意味を教えてほしい」

 

 

 

 “今日ここにいる共演者(やくしゃ)の中で、唯一“信頼しきれる”からです

 

 

 

 「・・・あれは“そのまんま”の意味です」

 「“そのまんま”って何?もっと具体的に言ってくんない?」

 「具体的ですか・・・(どの口が言ってんだ・・・)」

 

 “メンタルクラッシュ”といい“ノスタルジック”といい、自分は抽象的な表現ばかり使う癖にどの口がと心の中で思いつつ、俺は撮影が上手くいったという感謝も含めてその意味を伝える。

 

 「本当にそのままの意味ですよ・・・・・・共演者(あいて)が狩生さんのように“芝居が上手い”人だったから、俺は相手を信じきって自分の芝居を好き勝手に()れることができました・・・」

 

 狩生の“芝居が上手い”ということは、4日前の時から俺は感じていた。本番になった瞬間にリミッターが一気に外れたかのように強い“感情”をぶつけてきた狩生の芝居(それ)は、“悪ふざけ”ではなくちゃんとケンジの感情を理解していたものだったからこそ、対峙していた時に“違和感”を全く感じなかった。

 

 だから俺は思わず“フラッシュバックを引き起こしてしまう”くらい、ユウトの感情に移入してしまった。

 

 「・・・“芝居が上手い”か・・・・・・てことはあのフラッシュバックは俺のせいか

 

 4日前のフラッシュバックを思い返したように狩生が、雨が上がったばかりの曇り空を見上げたまま聞いてきた。それと同時に狩生の芝居の上手さが、俺の一言で“フラッシュバック”のことを連想した“勘の鋭さ”にあることを俺は理解した。

 

 「・・・結果的には、そうなってしまいますね・・・」

 

 結果論だけで言うと、俺は狩生の演じるケンジの感情に呑まれる恰好になって“フラッシュバック”を起こしてしまった訳だから、その原因(トリガー)はある意味では狩生ということになる。

 

 「・・・あぁあの、もちろん狩生さんは何も悪くないですよ?」

 

 もちろん狩生は何一つ悪くないし、寧ろあそこまでケンジを本気で()ってくれたことは本気で感謝している。

 

 「気にすんな。そもそも俺は悪いことしたなんて1ミリも思ってねぇし」

 「マジですか」

 

 “気にすんな”と何食わぬ顔で嘯く狩生の横顔を見て俺の心配が杞憂に終わったことはともかく、感謝の気持ちは心の底から本物だ。

 

 「でも俺は、逆に今回の撮影で“フラッシュバック”が起きて良かったなって思ってます・・・そうじゃなかったらきっと、4日前に國近さんからOKが出ていて今日の撮影も予定通りにできていたとしても、今日のような“ベストな芝居”はできなかったです」

 

 だから俺は狩生を見て思い浮かんだことをそのまま言葉にする。フラッシュバックがもしも起きなければ、“あんな辛い”思いはせずに済んだのかもしれない。でもその“辛さ”は、これからも役者として生きていく上では絶対に必要になってくる。

 

 そしてその辛さに気付けたからこそ、俺は“過去”と向き合い“過去(それ)”を芝居の糧として利用する自分なりの正しい戦い方が視え始め、改めて周りの人たちの存在の大切さに気付かされた。

 

 「だから狩生さんがケンジで本当に良かったと俺は思っています・・・・・・ありがとうございました

 

 何を考えているか分からないところはお互い様だけど、改めてそれに気付けたのはこの現場で“同じ芸歴の役者”に出会えたからだ。

 

 4日前までは自分のことで手一杯だったけれど、だからこそ出来ることならもっと早く、狩生と積極的に色んなことを話しておけば良かった。かもしれない。

 

 「・・・・・・なんか映画のクライマックスみたいな台詞(こと)言ってるけど、撮影はまだ午後(これから)も続くぜ?」

 「・・・そうでしたね」

 

 知らないうちに自分に酔いかけていた俺を横目で見ながら、狩生が正論で正す。それもそうだ。今日の撮影も、『ロストチャイルド』の撮影もまだ終わらない。母親(リョウコ)と“対面”する日も、着々と迫っている。寧ろ本当の勝負はこれからだ。

 

 「だけどせっかくだから俺もそれっぽいヤツを、一言だけ言っとくわ」

 

 俺をあと一歩のところで“正気”に戻した狩生は、徐に一呼吸を置くと視線を目の前にある噴水に向けて感謝の言葉を送ってきた。

 

 「・・・俺のほうこそセキノみたいなヤツとこうやって芝居ができて、マジで楽しい。サンキューな

 

 そして感謝を言い終えると、狩生は俺の肩に“午後も頑張れよ”という意味を持つ軽めのパンチを俺に入れた。

 

 「・・・ありがとうございます」

 「それと俺とセキノは芸歴が一緒らしいから、全然タメ口で話してくれてもいいぜ?」

 「えっ・・・あぁ、うん。分かった」

 「警戒すんなよ」

 

 ついでにこれからはタメ口で話しかけてもいいという“許可”も貰った。

 

 そんな狩生と俺は年齢的にいうと2学年分離れているが、芸歴はどちらも今年が1年目。つまりそういう意味では狩生(この人)は俺にとって直接的な“ライバル”になる。まだブラウン管越しでしか顔を見たことがない一色十夜も含めて、俺のライバルとなる人は沢山いるのだろう。

 

 ライバルが多いということは、それだけオーディションや芝居を通じて色んな“”が待っているのかもしれない。

 

 

 

 “それでもやっぱり、周りに競い合うライバルがいるほうが“燃える”な・・・

 

 

 

 「つーことで改めてよろしくな。“ライバル2号”」

 

 “あれ?いま俺、何を考えていた?”

 

 「・・・・・・あぁ、よろしく」

 「どうした?“2号”じゃ不満か?」

 「いや、全然不満じゃ・・・」

 

 不意に心の中に湧いてきた“心が燃える”感覚に動揺しかけて、思わず反応が鈍る。

 

 “ていうか今・・・”

 

 「ていうかいま、“2号”って」

 「・・・雨じゃね?」

 

 狩生の言った“ライバル2号”の意味を聞こうとした矢先、掌に一滴の水滴が落ちた。

 

 「ホントだ」

 

 一旦止んでいたはずの雨がポツリと降り始めようとしていた。

 

 「戻るぜセキノ、これで濡れたらカントクにぶっ殺される」

 「言われなくても」

 

 

 

 “ライバル2号”のことを聞きたいところだが、先ずはこの後の撮影に備えて衣装の制服を濡らさないことが最優先の俺たちは、ダッシュで中庭から撮影が行われている旧北校舎の建物の中に避難した。

 




連続夜勤の疲労とリコリコの最終回が気になり過ぎたせいで、この1週間はあまり筆が進みませんでした。まぁ、遅筆がデフォの作者にとってはそんなに関係のないことですが・・・・・・はい。

シリアスな世界観のアニメやドラマを観ると続きが気になって仕方が無くなってしまうのでいつもだったらリアタイで観るのを避けていましたが、いせおじが延期になったことで魔がさしてしまったのが運の尽きでした。後悔はしていません。

ちなみに作者のイメージしているチヨコエルのCVが奇しくも若山さんだったこともあり、個人的に12話は色んな意味でかなり感情が揺さぶられました。

もし12話の狂いに狂った感じで羅刹女なんてやられたらもう・・・・・・ヤバいっす。

さてと、最終回も見届けたことですのでここから回復運転で遅れを取り戻しますか。

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