或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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この間の“今後について”の続報を、活動報告にて上げました。

“新作”を楽しみにしていた方がいらっしゃいましたら、すみませんでした。

※2023/10/5追記:今後の展開を考慮し、ストーリーを一部変更しました。


scene.59 いつもの/絶不調

  2018年9月2日_午前11時47分_喫茶店・アグリス_

 

 「お待たせしました。カツサンドです」

 

 お冷が運ばれてから10分弱、俺たちの座る席に店主がドリップコーヒーと共に“いつものメニュー”を置いてきた。

 

 「“いつもの”と聞いて何が出てくるかと思ったら、意外と普通のメニューを頼むんですね?」

 

 開店時間の11時30分から14時までのランチ限定で出されているカツサンド。実際にどこかの番組で紹介されたこともある、当店における人気メニューのひとつだ。

 

 「君のことだからてっきり“かつ丼”のような変わり種を選ぶかと思っていたよ」

 「悪かったなご期待に添えなくて」

 

 そんな奇をてらわない“定番(いつも)のメニュー”を頼んだ俺に、全く同じメニューを頼んだ天知が“今日の丼もの”と書かれたシンプルなメニュー表に目線を向けながらほんの少しだけ残念がるようなニュアンスの言葉をかける。

 

 「そこのメニュー表に書かれてる“和食セット(変わり種)”は日替わりだからな」

 「だったらその曜日を狙って行けば良いじゃないか?わざわざ小説の中に登場する喫茶店のモデルにするぐらい愛着があるのなら」

 「そこまでの愛着はこの店にはないよ」

 

 天知の言っている通り、この店には日替わりランチとしてカツサンドに使われているものと同じ三元豚を使ったかつ丼をはじめ、手打ちうどんの和食セットなどのいわゆる“和食モノ”がある。

 

 これは余談だが、当然この辺りのところも『hole』の中では忠実に書かれている。

 

 「全く・・・食わず嫌いは良くないぞ夕野?」

 「もちろんほぼ一通りをちゃんと食べた上だ」

 「味はどうだった?」

 「普通に美味かったに決まってる」

 「その割には顔が浮かばないな」

 

 いかにも“喫茶店”という雰囲気のインテリアとはあまりに不釣り合いな和食セットだが、いずれも味はそれが好きでこの店に足繁く通っている常連客もいるというのも頷けるぐらいには美味いと思った。

 

 「美味かったけど・・・正直“それだけ”だった」

 「で、最終的に君が辿り着いたのがこの“カツサンドとブラックコーヒー”だったと」

 「勝手に詮索されるのは好きじゃないが、大方はそうだな」

 

 だが『hole』を執筆しがてらアイデアを得るためによく1人で通っていたこの店で最終的に落ち着いた “いつもの”メニューは、恐らく10人中5人くらいは選ぶであろう定番の組み合わせだった。

 

 とはいうものの、俺の中では“和食”という時点で“いつもの”に昇格する可能性はゼロに等しかったのが正直なところだ。

 

 「そもそもコーヒーと一緒に食べるなら“かつ丼”や“うどん”にするか、それともこういう“ランチ”にするかってところだろ?」

 「人によるが君の言いたいことは分かるよ」

 

 無論これは人によりけりだが、俺にとっては“和食×コーヒー”という組み合わせは邪道だ。実際にかつ丼と一緒にコーヒーを飲んでみたこともあったが、やはり定番との相性までには至らなかったのが、俺の見解だ。

 

 「さて、いい加減長話はこれぐらいにして腹に入れるか」

 

 ともあれ早く食べなければ店主がせっかく作ってくれたカツサンドの衣がへたり、拘りのドリップコーヒーも冷めてしまうため、話を一旦終わらせて半年ぶりのランチを口へと運ぶ。

 

 “・・・やっぱりこれなんだよなぁ・・・”

 

 豪快にがっつくように、分厚く食べ応えのある三元豚のカツと東京西部で獲れた新鮮なキャベツによる絶妙なバランスと食感を楽しみながら、口の中に飲み込んだ後に残る“余韻”があるうちにセットで必ず付いてくるほろ苦く深みがありながらもスッと身体に染み渡る絶妙な口当たりのよさが特徴である店主自慢のドリップコーヒーを胃袋に流し込む。“ありきたり”だと言われようが、俺の中ではこのコーヒーと最も相性のいい“サイドメニュー”はこのカツサンドだ。

 

 「確かにこの組み合わせは王道なだけあって外れないな」

 「そうだろ?」

 

 向かい合った先に座る天知も、クールな表情を変えずにコーヒーとの相性を絶賛しながら俺と同じようにカツサンドをがっつく。

 

 「・・・なんか意外だな。天知さんがそうやって食べるなんて」

 「こういうものはちまちまと口に運ぶよりもかぶりつくようにして味わうのが正解ですから」

 

 その見た目と振る舞いからして、こういうカツサンドですらナイフとフォークを使ってちまちまと上品に平らげるような雰囲気(イメージ)を俺は感じていたから、普通にどこにでもいる成人男性と同じようになるべく口元にソースが付かないように気を付けながらもカツサンドをがっつく天知の姿が、少しだけ意外に感じた。

 

 「逆に俺は是が非でも口元を汚さないようにナイフとフォークを使ってちまちまと食べると思っていたけどな」

 「人を見た目で判断するのは良くないことですよ夕野先生?」

 

 ただ今回ばかりはさすがに、“人を見た目で判断するな”という天知の意見が正しい。

 

 「人をお金で判断するのはもっと良くないぞ天知さん。あと気安く先生と呼ぶな」

 

 それを堂々と俺に言える筋合いが天知にあるかどうかは微妙だが。

 

 「それとこのコーヒー・・・・・・どことなくいつかの君が私に振る舞ってくれたブラックコーヒーを思い出すよ・・・

 

 そんな俺に“いつもの笑み”で正論をぶつけながらコーヒーを再び口に運んだ天知は、“あること”に気が付いた。

 

 「もしかして君の淹れているコーヒーもこの喫茶店が“モデル”なのかい・・・?」

 「・・・・・・流石だな

 「私はも分かるからね」

 「自慢は他所でやれ」

 

 ちなみに俺が偶に訪れる来客に振る舞っているブラックコーヒーは、この店のドリップコーヒーを参考に『hole』の執筆中に独学で作り上げたものだ。さすがに企業秘密の“本家大元”にはまだ及ばないが、実際に飲んだことのある来客からの評価は上々。だからと言って特に意味はないのだが。

 

 「・・・久しぶりに食ったけど美味いわやっぱり」

 

 そうこうしているうちに、俺たちは人気メニューのカツサンドを食べ終えた。本当にあっという間だったが、おかげで待ち時間まで心にへばりついていた“負の感情”もすっかり和らいでいた。“空腹は最高の調味料”という言葉をどこかで聞いたことがあるが、空腹であるかどうかはともかく、そういった“ネガティブな感情”と“美味しい食べ物”の組み合わせに人類は勝てないことは、子供の頃から知っている。

 

 「これを機にまた常連として通い始めてみるのはどうだ?」

 

 半年ぶりに口にした“いつもの”メニューに舌鼓を打ちメインにして締めのデザート代わりも兼ねている残りのコーヒーを嗜む俺に、同じくカツサンドを食べ終えて最後のコーヒーを嗜む天知が珍しく優しげな表情(かお)をして俺に言葉をかける。

 

 「・・・もう少し近ければな」

 「“”は使っても有り余るくらいあるじゃないか」

 「金は関係ないだろ」

 

 そして優しげな笑みを浮かべたまま、さり気なく痛いところを容赦なく突く。

 

 「だったらこの辺りにでも引っ越すか?」

 

 言うまでもないが、ひとつの店に片道一時間もかけて毎日のように通うほど、俺は食に対して貪欲ではない。ただ、仮にもしもこの店が自分の住処から歩いて10分ほどの場所にあったとしたら、話は変わっていたかもしれない。

 

 「わざわざ引っ越すほどじゃない」

 

 と、一瞬だけそう思ったが、やはりこういう店は“偶に”入っていつも食べていたメニューを楽しむのが“最高”という結論へすぐに辿り着いた。

 

 「・・・とにかくこういう店は、偶に気が向いた時にふらっと尋ねるくらいなのが、ちょうどメニューが一番美味しく感じる最高の“バランス”だろうからな」

 「・・・なるほどね・・・

 

 そんなどうしようもない超個人的な結論に辿り着いた俺に意味深そうな何とも言えない視線を向けると、天知は不敵に微笑みだした。

 

 「・・・なぜ笑う?」

 

 この表情(かお)が何を意味するのかは、もう分かり切っている。

 

 「いや、大した意味じゃない・・・・・・ただ・・・こうやって君が喫茶店のテーブルに座っている光景が妙に“懐かしい”と思っただけのことさ・・・

 「・・・・・・マジで何の話だ?」

 

 目の前から襲い掛かる悪魔の如く不気味な感情を、ドリップコーヒーを胃に流し込んで一旦遮断する。

 

 何が言いたいのか本当に分からないはずなのに、“嫌な予感”だけは強く感じた。

 

 「・・・18年前の映画だったか・・・・・・喫茶店の席で君がスクリーンの中で生き別れた“母親”とこんな感じで話していたのは・・・

 「・・・“ロストチャイルド”・・・・・・あんたも観てたのか?

 

 『ロストチャイルド』。今から18年前の秋に公開された映画の中で、俺は1歳のときに家族に捨てられ施設で育った中学2年生の少年の役を演じていた。今振り返ると、あの映画で得た経験は俺にとって人生における大きな“転機”になったと言ってもいいだろう。

 

 無論それは、“良くも悪くも”という意味だ。

 

 「えぇ・・・“牧と山吹”の3人で“仲良く”観させてもらいましたよ

 

 

 

 “『えっ・・・何で・・・』”

 

 

 

 「・・・そういや俺が『ロストチャイルド』を観にわざわざ渋谷まで行った時、“あんたら”と出くわしたことがあったな・・・」

 

 天知の言葉で、『ロストチャイルド』を観るために渋谷の映画館に入ったらちょうどそれを観終えたばかりの“同期3人組”と受付のロビーでバッタリ会ったことを俺は思い出した。

 

 そこでどんな話をしたのかはあまり覚えていないが、普段から仲の良い牧と山吹に当時ただの高校生になっていた天知がすんなりと“友人”として溶け込んでいた光景がどこか新鮮で、個人的に中々の衝撃を感じたことだけは覚えている。

 

 

 

 “・・・って、何で俺は昔を懐かしんでいるんだ・・・

 

 

 

 「自分で感傷には浸らないと言っていた癖に・・・

 

 そんな俺を見て、天知はいつもの笑みで容赦なく図星を突く。

 

 「・・・こういうところは1人で訪れるに限ると天知さんのおかげで改めて痛感したよ・・・・・・向かいに“良く知る顔”が座っていると、調子が狂う・・・

 

 当然こればっかりは、適当な言葉で誤魔化す以外方法はない。

 

 「君は黒山と違って素直だから話していて楽しいよ」

 「俺は1ミリも楽しくないけどな・・・」

 

 個人的な“ロケハン”のつもりで半年ぶりにこの店を訪れたはずが、気が付いたら腐れ縁の芸能プロデューサーと“昔のこと”を懐かしんでいる。

 

 どんなに忘れようと記憶を彼方に遠ざけようとも、“昔の夢”として時折無理やり叩き起こされることもあれば、こうした些細なきっかけでちょっとした“フラッシュバック”が起こりつい思い出してしまう、忘れたくとも忘れられない役者だった頃の記憶

 

 別に思い出すこと自体が辛い訳じゃない。忌まわしいと思ったこともなく、役者になったことそのものを後悔したことは一度もない。それはこの間まで襲い掛かっていた“謎の頭痛”も含めてだ。

 

 ただ、昔の記憶が頭の中で駆け巡ると特に理由もなく“調子”が狂い、“全てを終わらせてしまった”この俺が何食わぬ顔で“終わった過去”を懐かしんでいるという光景が、解せなくなる。

 

 

 

 “何やってんだろうな・・・・・・俺

 「何やってんだろうな・・・・・・俺

 

 気が付いたら心の中に留めておくべきはずの言葉が、声となってそのまま出ていた。

 

 「・・・ほんとにな

 

 案の定、天知に一瞬で察せられた。

 

 「君の昔からブレない行き当たりばったりな生き様は、見ていて面白いよ

 

 しかも、“プロデューサーの仮面”を取った“本来の感情”でだ。

 

 「・・・・・・そんな感情(かお)で俺を視るな

 

 果たしていまこの俺を見つめる天知の“曇りのない笑み”は本当の意味での素の感情なのか、はたまた見世物を揶揄うための計算なのかは確証が持てない。

 

 「それを言うなら“僕”だって、古くからの“友人”である夕野にそんな眼はして欲しくない・・・

 

 ひとつだけ確かなことは、いま目の前にいる天知は“芸能プロデューサー・天知心一”ではなく、“芸能界を離れただの高校生としての生活を謳歌しようとしていた頃の天知心一”と全く同じだということだ。

 

 「・・・天知さんと“友人”になった覚えなんて全くないぞ

 

 その“感情”で視られた瞬間、俺は今日の天知が仕事ではなく本当の意味で“休暇”を満喫しているということを理解した。

 

 「にしても珍しいな・・・天知さんが“仕事の絡みの話”を殆どしないなんて

 

 だからこそ、いまここにいる天知のことがいつも以上に視えない。

 

 「何度も君に言っているだろ・・・・・・“僕”はただ、休暇で来ているだけだ

 

 仕事以外の会話を殆どしたことが無かった俺は試しに“ただの天知心一”に核心を突く言葉を向けるが、返って来たのは予想通りの常套句だった。

 

 「それで次はどこへ行くつもりだい?どうせ“”のことを鬱陶しがっているであろう君は、早く“次の場所”へと行きたがっているだろうからな」

 

 そして間髪を入れずに、天知は俺の心情を端から正確に読み取るかのように“次の場所”へと向かうよう俺を仕向ける。

 

 

 

 “恐らく・・・これから俺がどこに向かうのかも全部気付いているのだろう・・・

 

 

 

 「・・・・・・ここはあんたの“奢り”な」

 「・・・仕方ないな・・・仮に相手が黒山だったら1円だろうと受け入れないけれどね」

 「どんだけ嫌いなんだよ墨字(あいつ)のこと・・・」

 

 もう何を言っても無駄だということを悟った憬は、“全額を奢る”という条件を天知に突き付けて残っていたドリップコーヒーを飲み干し、席を立った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 12時10分。半年ぶりに尋ねたアグリスでランチを堪能した俺たちは会計を済ませ、店の外に出た。今日は一日中雨が降るという天気予報に反して、空は雲にこそ覆われているが1時間ほど前まで上空を漂っていた雨雲は何処かへと過ぎ去り、一昨日から続いた雨によって濡らされたアスファルトの湿気が生暖かい空気となって身体に纏わりつく。

 

 ここ数日はずっと天気が悪かったこともあり暑さは落ち着いてはきているが、それでも都心の気温は30度に迫ろうとする勢いだ。

 

 「・・・車ぐらい用意したほうが良かったんじゃないのか?」

 

 季節が移り変わる9月とはいえまだまだ残暑が色濃く残っているにも関わらず、隣を歩く天知は黒スーツを着たまま涼しい顔で歩みを進めている。冬はともかく、この男は例え猛暑であろうと外に出る時は必ずこのスーツ姿で出歩いている。

 

 というより、半袖や肌が露出するような服を着ている天知を俺は一度たりとも見たことがない。

 

 「君なら分かっていると思うが、僕は“大事な社員”をわざわざ“私用”のためだけに使うような外道ではないよ」

 「ごめん、それはたった今初めて知ったわ」

 

 無論俺は、どうして天知が真夏であろうとこのような“格好”をしているのかを知っている。

 

 「言っておくけどここから10分以上は歩くからな?」

 

 少なくともその理由が“人の心が分かると言いながら脳幹を指す”のと同じような意味を持つ“キャラ設定”ではないことを知っている俺は、念のため隣を歩く天知に確認する。たった1人徒歩で俺のところに来た時点で“対策”はして来ているのは容易に想像できるが、どんなにいけ好かない相手だろうと本人次第じゃどうにもならない弱点(ハンデ)に関しては放っておけないのが俺の性分だ。

 

 「心配せずとも大丈夫。日焼け止めは毎日の日課ですから」

 

 やはり俺の予想していた通りに“対策”をちゃんとしてきたことが分かり心配は杞憂に終わった。プロデューサーとして時に他人(ひと)の感情を逆撫でするようなことを平然とやるような奴だから一度くらいは“痛い目”に合って欲しいという“下衆な”思いが奥底にあったが、それは安堵となって消えていった。

 

 「せめて天知さんのそれが“キャラ設定”だったら良かったのにな」

 「お?もしかしてこの僕のことを気遣ってくれているのか?」

 

 安堵の気持ちを誤魔化したジョークに、“休日モード”の天知はまたしても“曇りのない感情”で俺に問う。

 

 「まぁ・・・“ある意味”、な

 

 そんな普段は滅多に見ることのないであろう“ただの天知”の感情に、俺の調子はずっと狂いっぱなしだ。

 

 

 

 “『いつか、ここにいる4人が同じスクリーンに映る日が来たら・・・・・・』”

 

 

 

 きっとそれは、“芸能プロデューサー”ではない天知と久しぶりに会ったせいで、ずっと俺の頭の奥で“昔の記憶”がループし続けているせいなのだろう。

 

 「天知さん。少しだけペースを早めるぞ」

 「走るのだけは勘弁してくれ」

 「安心しろ、“早歩き”だ」

 

 とにかく1秒でも“本来の目的”のことを考えたい俺は天知を道連れに歩くペースを少しだけ早める。本当は走りたかったが、食後の身体で無理をするのも馬鹿馬鹿しく思えたのでそれはやめた。

 

 「・・・しかし、このあたりを歩くのは本当に久しぶりだよ」

 

 ペースを上げ始めて10数秒、斜め後ろを歩く天知が俺に声をかける。

 

 「あぁ・・・確か天知さんも霧生だったな・・・」

 「生まれた年の関係で直接は会っていないけどね」

 

 すると目の前には、霧生学園の芸能コースの寮へと続く道中のちょうど真ん中あたりに位置する五差路が広がっていた。

 

 この五差路を斜め右の方に曲がるとその先には馬橋公園というそこそこ立派な公園があり、阿佐ヶ谷駅の方角から見て公園の裏側に位置する場所に、俺が高校時代を過ごした芸能コースの寮がある。

 

 「でも結局、この道も数えられるぐらいしか通らなかったな」

 

 ただこの道を通学路として使ったことは一度もなく、強いて言えばオフの日に同じ寮に住んでいた気の合う俳優仲間に連れられる形で駅の周りや南口のアーケードを特に目的も決めず駄弁りながら歩き回ったり、変装して阿佐ヶ谷駅から中央線で繁華街に遊びに行った時に通ったぐらいだ。

 

 「そもそも君の場合は霧生に入ってすぐに“大きな”仕事が舞い込んで一気に忙しくなっていったわけだから、無理はないよ」

 「そうだな。特にメディアに引っ張りだこな“有名人(スター)”となると、尚更な」

 

 斜め後ろを歩く天知が言うように、霧生に入学して早々にある“ドラマ”でメインの役をやるというオファーが来たことでスターダムを一気に駆け上がっていくことになる俺にとって、通学路には特にこれといった懐かしさは感じない。

 

 「それから君が霧生に通っていた時期に普通に寮から路線バスと歩きで通学していたことを知った時は、我ながらに少し驚いたよ」

 「・・・別に普通じゃないかそれ?」

 「考えても見ろ?あの“夕野憬”が普通に公共交通機関を使って登校している光景を?」

 「光景って・・・そんなの知るかよ」

 

 その頃の俺のことを天知はやや大袈裟に振り返るが、当事者であった俺にとってはハッキリ言って気にするまでのことではなかった。

 

 「少なくとも進学コースの生徒たちからして見たら異様な光景として映っていただろうな・・・」

 「・・・全然覚えてないわ」

 

 事務所にも寄り切りなところもあるが、俺以外で俳優として仕事をしていた俳優仲間の連中も普通に歩きだったり公共の交通機関を使っていたわけだから、実際のところは天知が言うほどの騒ぎにはなっていなかった。はずだ。

 

 「・・・言っておくけどあの頃から引退するまでの君は、今の君が思っている以上に“有名人(スター)”だったからな・・・

 

 

 

 “『変装しなければまともに街すら歩けない。こんなことになるくらいだったら有名人(スター)になんてなるんじゃなかったよ』”

 

 

 

 「・・・・・・そうだろうな

 

 天知からかけられた言葉で、俺は初めて渋谷で会った時に天知が言っていた言葉を思い出した。何なら言われなくても俺は覚えていた。

 

 俺自身が自ら、そういう“偶像崇拝”にも似た“俄かな視線”でしか“有名人(おれたち)”を視ていない連中を心のどこかでシャットアウトしていたということ。

 

 「俺は・・・只々普通に“1人の役者”として芝居をし続けたかった・・・・・・のかもしれないな・・・

 

 有名人になり寝る暇すらないほどに忙しいときでも、芝居で他の人格に入り込んでいる瞬間だけは、プライベートの疲れも何もかもを忘れることが出来ていた。それこそが“自分が自分で在り続ける”ための原動力だった。

 

 

 

 故に俺は自分を称賛してくれる周囲の雑踏が増えれば増えるほど、知らず知らずのうちに“大切なもの”を失い続けて・・・・・・役者(ひと)として終わってしまった。

 

 

 

 「随分と歩幅が落ち着いてきましたね?

 「

 

 斜め後ろを歩く天知から声をかけられ、俺は我に返った。我に返ると早歩きだったはずの歩幅はすっかり元に戻っていた。

 

 “・・・もしかしたら今日はここ1年で一番調子が悪いかもしれないな・・・

 「・・・もしかしたら今日はここ1年で一番調子が悪いかもしれないな・・・

 

 溜息だけ溢すつもりが、心の声が思い切り声となって溜息と共に溢れ出た。本当に今日は、年に1回あるかないかぐらいの頻度で起こる“絶不調な日”のようだ。

 

 「それはご愁傷様です」

 「・・・やかましいわ」

 

 せっかく“”が降っているからと気分転換も兼ねた個人的なロケハンとして舞台となる阿佐ヶ谷まで来たというのに肝心の雨は止んでしまった挙句、こんな時に“最も遭遇したくなかった奴”を引き連れる羽目になるとは。

 

 「でも安心しろよ夕野。“目的地”はもう目と鼻の先だ」

 「言われなくても分かってる」

 

 左側に教会の建物があることを確認しながら、俺は天知へ雑に言葉を返す。そして視線を前に向けると住宅街の先にある森林が見え始める。

 

 「馬橋公園・・・夕野はここに来るのはいつぶりだ?」

 「さっきの店と同じだ」

 「そうかい。ちなみに僕は高校を卒業して以来だよ」

 「誰もあんたのことは聞いてない」

 

 

 

 ともあれ俺は、“招かねざる珍客”を引き連れつつも今回のロケハンにおける“本命”の目的地である馬橋公園にようやく着いた。




みんなから好かれるような作品を書くということは、本当に本当に難しい・・・・・・

ということで次回から3章はいよいよ、というかようやく終盤に入ります。そして恐らくあと5,6話ぐらいでこの物語における“最初の区切り”でもある3章は終わる・・・・・・終わる詐欺にならないように決着をつけるつもりでここから頑張ります。

ただでさえ“やるやる詐欺”(※活動報告参照)をやらかしてしまった以上、今回ばかりは絶対です。

それでも万が一詐欺ってしまったら・・・・・・シンプルにごめんなさい。
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