或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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どうして一番しんどいタイミングでアオのハコにハマってしまったのだろう。さらに真逆の意味で追い討ちをかけてきた“ドーハの歓喜”も相まって元来の感受性がぐちゃぐちゃになって疲労がジーマーでバイヤーです。


scene.63 親子④ / #000. ひとつの映画

 「・・・どうも」

 

 待ち合わせていた時間ぴったりに喫茶店に着くと、リョウコは既に店の中にある窓際の席でショウタとユウトを待っていた。

 

 「・・・初めまして・・・俺は宮入尚太(みやいりしょうた)で、こいつが」

 「ユウトです・・・一応」

 「一応って」

 「いやだって・・・前会ったの、1歳のときだし・・・」

 

 初めましてとなるショウタと1歳で生き別れてからの再会となったユウトは、リョウコを前に立ったまま何とも言えない緊張でチグハグな挨拶をする。

 

 「・・・・・・座りませんか?」

 

 そんな2人の様子を、テーブルを挟んだ反対側の席で無言のまま見ていたリョウコは2人に座るように促す。

 

 「・・・あぁ、そうっすね」

 「・・・・・・」

 

 そしてややぎこちない空気感のまま、ショウタとユウトはテーブルを挟んだ反対側の席に座る。

 

 

 

 “この人が・・・・・・俺の母ちゃん・・・?

 

 

 

 目の前に座る母ちゃんの顔を見ても、今一つピンとこない。確かに記憶の中にいる1歳の時に首を絞められたあの光景に映っている母ちゃんと、いま目の前にいる母ちゃんは面影こそはある。だけど、母ちゃんは本当にこんな顔をしていたのか?と、つい思ってしまう自分がいる。

 

 「・・・・・・涼子(リョウコ)です・・・あなたたちが毅さんと元気に暮らしていることは、既に本人から聞いているわ・・・」

 

 軽く愛想笑いをしながら、淡々とした口調でリョウコは2人に話しかける。

 

 「・・・あの・・・」

 

 俺の本当の母ちゃんにあたるリョウコさんの言う毅さんとは、紛れもなく父ちゃんのこと。やっぱり父ちゃんの言っていた通り、一家ごと絶縁したという父ちゃんや俺たちのことは “赤の他人”としてしか見ていない。

 

 特に口にするわけでもないけれど、空気でそれは伝わった。

 

 「・・・・・・」

 

 だから母ちゃんにかけようとする言葉が出てこない。もしかしたら母ちゃんは俺のことも他人としか見ていないのかもしれないと思うと、急に怖くなった。

 

 

 

 俺が1歳の時の話を母ちゃんに話した瞬間、全てが終わってしまうような気がした。

 

 

 

 

 

 

  1985年6月30日。俺は生まれた。

 

 「言っておくけどあなたの(さとる)っていう名前は・・・お父さんが付けたんだよ」

 

 俺の父親が付けたという憬という名前。その意味は憧れを意味する“憧憬(しょうけい)”という言葉から取ったという。

 

 「憧れ・・・・・・っつっても何で憧れ?」

 「・・・・・・忘れた」

 「忘れたって・・・んなことあんのかよ?」

 

 だが肝心の理由は、母ちゃん曰く忘れてしまったという。

 

 「ゴメン、忘れたっていうのは嘘・・・・・・本当は教えてくれなかったんだよね。あの人」

 「教えてくれなかったって・・・」

 「そんなの教えてくれなかったから私が知ってるわけないじゃん」

 「・・・そりゃあ、そうか・・・ていうか何で嘘ついたし?」

 「何かとごっちゃになってた」

 「・・・なんだよそれ」

 

 正確に言うと憬という名前の由来を、父親は母ちゃんにも一切教えてくれなかったらしい。当然教えてくれなかった理由も母ちゃんが知っているはずがない。

 

 「それで憬が生まれて3ヶ月になるかならないかぐらいかな・・・・・・あの人が急に小説を書くと言い出して引きこもり始めたのは_

 

 生まれたばかりの頃は母ちゃんと同じように父親は俺の面倒をよく見ていたというが、俺が生まれて2,3ヶ月ほどたった頃、父親は急に小説を書くと言い出したらしい。母ちゃん曰く、“次の脚本を書く上ではどうしても必要な作業”だったという。

 

 「演研の頃から脚本を書くときは我を忘れるようにシナリオ作りに没頭して、演出も演者に有無を言わせないような人だったから、最初はいつものことだと思ったんだよね_」

 

 ちなみに父親は仲間からの裏切りに遭って劇団を乗っ取られてからそれまでの振る舞いを改めたと言うが、いざ自らの手掛ける舞台が絡むと相変わらず鬼のように厳しく演者や音響・照明に接するところは変わらなかった。

 

 もちろん父親は自分に対しては他人以上に厳しい人だったが、彼の本質を理解していた人間は母ちゃんを含めて特に近しい関係だった数人ぐらいしかいなかったらしい。

 

 「・・・でも普段から書いていた脚本と全く書いたことのなかった小説とでは勝手が違ってたのよね・・・

 

 

 

 一旦ここで諸説として補足を挟むが、脚本を書くと言うことと、小説を書くということはどちらも文章を書いて1つシナリオを築き上げる点では共通していると言えるが、その実態は大きく異なっている。

 

 例を挙げると、ト書きと人物の台詞で構成されていてある程度は書き方が定まっている脚本に対し、小説はさまざまな表現方法があり、同じような世界観、同じようなシナリオであっても作者個人が持つ独自性によって物語の方向性が大きく変わっていく正解のない芸術作品で、物語を創る上での制約なんて“有って無い”ようなものだ。

 

 ましてや今まで小説なんて一度たりとも書いたことのなかった人間が、誰に届けるでもなく自分の脚本を完成させるためだけに1つの小説を書く。それが如何に難しいことのなのかは、全く計り知れない。

 

 

 

 「本当はもっとちゃんとあの人のことを支えてあげれたら未来は変わってたかもしれないけれど・・・・・・あの頃はお互いにギリギリだったわ・・・

 

 ともあれその日から父親は取りつかれたようにノートや用紙にシナリオや文章を書き殴っては捨てるような日々を送るようになり、一向に終わることのない創作という名の苦痛に苛まれるようになり、精神的にも不安定になっていったという。

 

 「・・・止められなかったのか?

 

 そういう危険な状態に陥った父親のことを“止められなかったのか”と聞くのは酷い話だと内心では思いつつ、俺はその答えを聞いた。

 

 「・・・・・・そうね・・・どうにもならなかった・・・

 

 少しだけ考え込んだ末、母ちゃんは頷き、ゆっくりと俺に父親の人物像を言葉で紡いだ。

 

 「・・・出会った時からそうだったけど・・・あの人は1つのことに集中しちゃうともう誰にも止められなかった・・・・・・あの人が独裁者のように当たり散らしたことがあったのも悪気があるとか調子に乗っていたというわけじゃなくて・・・誰よりも劇団で創り上げる1つ1つの舞台を“良くしよう”っていう思いが強すぎただけ・・・・・・本当にあの人は純粋に演劇が好きなだけだったのよ・・・でも自分の熱量と同じぐらいかそれ以上の熱量を周りにも求めてたから、敵も多く作って・・・周りからはカリスマだとか独裁者だとか良くも悪くも大それたこと言われてたけど・・・私にとっては自分の思いを伝えるのが不器用なだけでとにかく一途で純粋な人だった・・・・・・だから止めたくても止められなかった・・・・・・あの人の“創作”を止めるということは・・・私にとってあの人の“人生そのもの”を否定するようなことと同じだったから・・・・・・

 

 父親を止めることが出来なかった理由を言い終えると、母ちゃんは一粒の涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 「ご注文をどうぞ」

 「ナポリタンと、オムライス2つで」

 「はい、かしこまりました」

 

 気まずい沈黙の末に、ひとまず3人はそれぞれリョウコがナポリタン、そしてショウタとユウトがオムライスを注文してメニューを決めた。

 

 「・・・どうかしました?」

 

 聞こうと決めていた言葉をかけようとするが、言葉は一向に出ない。言おうとすればするほど、俺の言葉が何1つ伝わらなかったらという恐怖が襲い掛かる。

 

 “・・・大丈夫・・・

 

 踏み込めずにいるユウトの背中を、ショウタは優しく叩いた。ショウタからの無言のメッセージに、ユウトは再びリョウコの目を見て言いたかったことを伝える。

 

 「・・・・・・あのさ・・・“母ちゃん”に、聞きたいことがあるんだけど・・・

 

 ユウトが勇気を振り絞って“母ちゃん”と呼ぶと、リョウコはユウトの顔に視線を向けたまま無言で静かに頷いた。

 

 それを見たユウトは、今度こそ恐怖を振り切った。

 

 「俺がまだ1歳の時・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 『・・・憬・・・』

 

 

 

 2歳の時に母親と共に横浜へ引っ越す前、俺は都内にある1DKの古びたアパートの一室で過ごしていた。

 

 

 

 『・・・君は相変わらずかわいいな・・・』

 

 

 

 窓の向こう側から微かに雨の音が聴こえる夜明け、不意に話しかけられたことで目覚め始めた俺の頭を父親が撫でる。夢うつつで意識は曖昧だったが、俺の頭を撫でながら優しく語りかけているのが父親だということはすぐに分かった。

 

 

 

 『・・・でも・・・・・・僕はもう駄目なんだ・・・』

 

 

 

 次の瞬間、一瞬の閃光と共に落雷の轟音がまだ薄暗い部屋全体に響き渡り、心臓に鉛玉をぶち込まれたかのような衝撃が走り俺の意識は一気に覚醒した。

 

 

 

 “・・・えっ?・・・

 

 

 

 気が付くと、父親は“死んだ魚”の目で見つめながら馬乗りになり両手を俺の首元に優しくかけていた。当然俺は、今ここで何が起こっているかなど全く把握していない。

 

 

 

 『・・・・・・憬・・・・・・父さんを許してくれ・・・・・・』

 

 

 

 そして何も把握できずにいる俺に父親は感情の抜け切った表情で一言だけそう言った直後、首にかかる圧力が一気に強まり、俺は息を吸うことも吐くことも出来なくなった。

 

 

 

 あまりに突然の出来事に、声を発することも暴れることもどうすることも出来ずに訳が分からないまま俺の意識が再び遠のき始めた。

 

 

 

 “・・・父ちゃん・・・・・・泣いてる・・・?

 

 

 

 その時、左の頬に一粒の温かい何かが落ちた。薄れゆく意識の中で視線を父親の方へ動かすと、父親は一筋の涙を溢しながら俺の目を凝視していた。

 

 

 

 『・・・・・・何やってるの!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・夕野

 「・・・!?

 

 横から聞こえてきた天知の声で、俺はふと我に返る。

 

 「・・・大丈夫か?

 

 普段のような冷酷かつニヒルな振る舞いとは対照的な優し気な声が聞こえ、俺は横にいる天知へと視線を向ける。

 

 「・・・そっか・・・俺・・・・・・ロケハンに来たのか

 

 どれぐらい茫然としていたのだろうかは分からない。気が付くと目の前にあったはずの馬橋公園の入り口は、馬橋公園の中にあるアスレチックに変わっていた。

 

 「それにしても驚きましたよ・・・この公園に入った途端に我を忘れるように一点を見つめながら君は歩き続けていたから」

 「・・・そうか」

 「おや?いつもの君ならすぐに御託を並べて僕の言葉を否定するはずなのに・・・どういう風の吹き回しだ?」

 「別に全部を否定してるわけじゃないだろ・・・それに、恐らく今回ばかりは完全に我を忘れていただろうしな」

 

 隣に立つ天知の言う通り、確かに俺は馬橋公園の入り口を通り抜けたところからどういう訳か“我を失っていた”。

 

 「・・・なんかよく分からないけれど・・・・・・歩いたまま変な夢のようなものを見ていた・・・

 

 原因は恐らく、走馬灯のような無秩序でごちゃ混ぜになった夢のようなとてつもない何かが頭の中でグルグルと回っていたことだ。

 

 「・・・なるほど・・・・・・それはいったいどういうだったかい?」

 

 本当にとてつもなかった。まるで自分も含めた何人もの人生が記憶となって一気に全部襲い掛かってきたような、凄まじい濃度の光景。

 

 「・・・忘れた

 

 ただ思い出そうとしたその瞬間、ついさっきまで意識の中を駆け巡っていた“記憶”はほとんど頭から抜け落ちていた。

 

 「・・・さっきのように昔のことでも思い出していたんじゃないのか?」

 

 ついたった今まで思い出していたであろう光景を天知は予想する。

 

 「・・・・・・そうかもしれないな

 

 昔と言われてみれば、昔の記憶のような気がするがそれ以上は思い出せない。今日は年に1回あるかないかぐらいの頻度で起こる“絶不調な日”だからなのだろうか。

 

 「・・・昔か?

 

 ただ、昔の記憶のような光景に俺は妙な違和感を覚えた。

 

 「本当に今日は調子が悪いみたいだな」

 

 隣で俺を茶化す天知の言葉をよそに、もう一度さっきの光景を思い浮かべようとする。

 

 「・・・ほんとにな

 

 だがその光景は思い浮かべても鮮明に出てこない。何となくで頭の中に残っているのは、カメラを向けられ役を演じている自分と別の誰かと同じ部屋で何かの話をしている自分がごちゃごちゃになって・・・・・・

 

 「けど・・・・・・最後は2歳のときの記憶を見ていた気がする・・・

 

 最後に映っていたのは、俺が2歳のときに父親から首を絞められた記憶。それを見ていたところで隣にいる天知から声をかけられて、俺は我に返った。

 

 「2歳か・・・」

 

 俺の独り言を耳にした天知が、意味あり気に“2歳”という単語を復唱する。

 

 「2歳のとき・・・・・・何かあったのかい?

 「・・・何で今更そんなこと

 

 何かと思ったら、今になって2歳のときの記憶を教えるように言ってきた。

 

 「・・・それを話すことによって、何かを思い出せるかもしれないだろ?

 

 2歳の記憶を天知に言ったところで、何がどうなるのかというのは分からない。

 

 「いやだから・・・・・・

 

 何故だと言いかけたが、天知の眼を見た瞬間に俺は“何か”を感じた。

 

 「どうした?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・すか・・・・・・聞こえますか!?

 

 誰かが俺の名前を呼んでいる。今にも消え入りそうな意識の中、ぼやけ切って殆ど何も見えない視界の先で誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 

 「聞こえますか!?

 

 それが誰なのかはほとんど見えない視界と曖昧な意識で判別できないが、少なくともいま話しかけている人は俺の知らない人だということと、少なくとも一人だけではないということは確かだ。

 

 “・・・そうだ・・・はやく続きを・・・

 

 4日後から始まる公演(ロングラン)の場当たりが明日に控えていることを思い出し、テーブルの上に置いてあるはずの台本を取ろうと身体を動かそうとしたら、身体が鉛のように微動だにしないばかりか睡魔とも立ち眩みとも似つかない浮遊感が襲い掛かり、ただでさえぼやけている意識を奪い始めた。

 

 “・・・そういや俺・・・倒れたんだっけ・・・?

 

 ここでようやく思い出した。俺はいつものようにテーブルと椅子以外は何も置いていない“役作り専用”の自室の中で主演舞台に向けた役作りをしていて、いきなりこめかみをナイフでぶっ刺されたかのような強烈な頭痛に襲われて、携帯を置いているリビングまで這いながらどうにか辿り着いて、テーブルの上に置いた携帯を手に取って119を押した瞬間・・・走馬灯と夢を同時に見ているかのような光景を見て・・・・・・知らない誰かから声を掛けられている。

 

 “・・・久しぶりだな・・・この感覚・・・

 

 多分、部屋にいるのは俺が意識を失う寸前で通報したことで駆け付けた救急隊の人たちだと思うが、最早それを確かめる気力も体力も残っていない・・・そういえばこれと似たような感覚は一度だけ体験したことがある。

 

 半年前に撮り終えた来年の2月公開予定の映画で“神経衰弱で自ら命を絶つ小説家”の役を演じる為に子どもの頃に一度だけ“臨死体験”をしたことがあるという共演者から話を聞いて、それを元に人が死ぬときの感覚を自分の中で疑似的に作り上げたときに、ちょうどまさに今のような睡魔と立ち眩みが混ざり合ったような感覚に襲われた。

 

 “でも・・・こんなに冷静じゃなかったよな、俺

 

 ただ決定的な違いは、あの直後に襲い掛かって来た強烈な吐き気と気が狂うほどの恐怖が全く襲ってこないということ。寧ろ今は吐き気を催す恐怖どころか、寝落ちする直前のような心地よさすら感じる。

 

 

 

 “・・・もしかしたらこれが本当の“死”ってやつなのか・・・

 

 

 

 無論、“本当の死”という感覚がどういうものかは知らないが、俺の中にいる本能は冷静沈着に“これが死”だと直感している。もしもそれが本当に“”を意味しているというなら、というものは随分と呆気のないものだ。

 

 

 

 “・・・それにしても随分長い夢だったな・・・・・・いや、あれは夢というより走馬灯か・・・?

 

 

 

 しかし、さっきまで見えていた光景は何だったのだろうか・・・14歳の頃までの記憶が走馬灯のように流れたかと思ったら、どういう訳か幾分か年を取って役者をやめて小説家になった自分が“1本の映画”のために墨字や天知に振り回されながらもシナリオのようなものを書いていた・・・そんなことを何度も何度も繰り返しながら、まるで不寛容(イントレランス)を題材に4つの時代を並列的に描いた“あの映画”とも似たような光景は何の前触れもなく唐突に終わった。

 

 

 

 “あるいは予知夢のようなものなのか・・・?

 

 

 

 あの光景の中で小説家になっていた俺は、何回か会ったことのある十夜の姪っ子にそっくりな白銀の髪をした女優(少女)と会った。長いはずの髪はショートヘアになり、背丈も伸びて若干のあどけなさを残しつつも雰囲気は随分と大人っぽくなっていたが、十夜と瓜二つの可憐でミステリアスな琥珀色の(おもかげ)はそのままで、彼女が誰なのかは目が合った瞬間に分かった。

 

 

 

 “いや・・・・・・ただの夢か・・・?

 

 

 

 ただ小説家になった俺は、目の前にいる彼女が十夜の姪っ子だということを一切覚えていなかった。もちろん彼女も、幼い時にと会っていたことを全く覚えていなかった。そもそも彼女が俺に名乗った名前も、俺の知っているはずの名前ではなかった。

 

 だけど、過去の光景だけは紛れもなく本物だった。

 

 

 

 だったら今まで俺が見ていた光景は何だったんだ?

 

 

 

 “『人だろうが街だろうが炎を前にしたらただ飲み込まれていくだけだよ。“綺麗”さっぱり。だからこそ“炎”というものは美しいと思わないか?』”

 

 

 

 あの中にいた“知り合いの小説家”と見知らぬリビングに飾られていた“炎”の意味は?

 

 

 

 “『10年に1人どころか、夜凪(コイツ)には必ず歴史に名を残す役者になれるが眠っている・・・少なくともそんな才能をもった日本人の女優は、夜凪の他に1人しか俺は知らない』”

 

 

 

 あの光景の中で墨字が俺に見せた“映像”に映っていた黒髪の少女は・・・本当にあの“景”なのか・・・?それとも全部ただの夢だったのか・・・?

 

 

 

 

 

 

 “『・・・・・・憬・・・・・・』”

 

 

 

 

 

 

 “・・・はやく・・・・・・行かないと・・・

 

 

 

 次の瞬間、憬の意識は再び暗闇の底へと落ちた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 2017年_6月_都内某所・編集スタジオ_

 

 「実はね・・・君の考えている”大作映画”の手助けをしたいと思っている。良い話だろ黒山?

 

 都内にある編集スタジオの喫煙室で墨字と天知は次回作に関する話をしていた。

 

 「手助けか。まさかこの俺のスポンサーにでもなるつもりか?」

 「だったらどうする?」

 「悪い冗談だろ。顔にそう書いてある」

 「酷いな君は。人を見た目だけで判断するなんて」

 「悪いが俺は人の人生を物差しで測る守銭奴の芸能プロデューサーの言うことは信用しないと決めているからな」

 「それより禁煙したんじゃなかったのかい?」

 「ポスプロ終わりで溜まった疲れを吐き出しているだけだ。隣の誰かさんのせいでかえってストレスが溜まっちまいそうだけどな」

 「・・・全く、人がせっかく“良い話”を持ちかけて来たというのに」

 「んなもん誰も求めてねぇよ馬鹿が」

 

 だが自身の映画の編集が終わった直後という最も肉体的にも精神的にも疲れているタイミングで忽然と現れた天知に対してあからさまな不快感を露にする墨字に、天知はプロデューサーとしての仮面を外して真剣な表情で語りかける。

 

 「・・・今や映画というものはスマホ1つさえあれば誰でも出来る・・・君の作った映画のようにね

 「・・・何が言いたい?」

 「昔に比べると誰もが“映像作家(クリエイター)”になれる時代になった。黒山もそう思うだろ?」

 「・・・あぁ、それは言えるな。スマホやそこら辺のデジカメ1つで誰かが流行らせた二番煎じのネタを撮って俺の100倍稼いでるユーチューバーのガキを見ると、クソ真面目に映画を撮っていることが馬鹿らしく思えてくることもあるよ・・・・・・そしてこうした技術の発展は、万人をクリエイターにさせちまった。それが“何を”意味するのかお前ならわかるだろ?」

 「言うまでもないよ」

 

 

 

 ここ20数年でインターネットとビデオカメラの技術は格段に向上し、それに比例するように技術はあっという間に全世界へと普及していき、更にそれらが進化していくにつれてクリエイターの数も増えていった。

 

 技術の進化は芸術の退化であるとは一概には言えないが、“自ら映画監督を名乗る覚悟”がある奴は相対的に減ってしまった。それに加えてコンプライアンスという“見えない強敵”が出現して、やたら人の目を気にするようなつまらない上っ面な作品が世に多く出回るようになり、気が付けばそれが世の中のニーズになろうとしている。

 

 

 

 “・・・『大映像作家時代』が聞いて呆れる・・・

 

 

 

 「・・・だが黒山・・・もしもたった1つの映画で日本の映画界が根底から覆ったらどうする?」

 「馬鹿か?・・・たった1つの映画で世界の全てを変えられたら映像作家(おれたち)はこんなに苦労しないだろうよ」

 「おや?随分とひ弱な作品が増えた映画(この)業界のことを常に嘆いているはずの君がそんなことを言うなんて・・・まさか戦場(シリア)での撮影で君もすっかり感覚が“マトモ”になってしまったのかい?

 「・・・別に感覚が多少“マトモ”になろうが、俺が“可能性”を諦めたとは一言も言ってねぇだろ?

 

 映像技術の進化とコンプライアンスによる映像作家の“陳腐化”を嘆きながらも、まだ確かに残り続けている可能性を捨てずに“鬼才”としてこの業界に居座り続け世界3大映画祭のうちカンヌ・ヴェネツィアで入賞した映画監督である墨字に、天知はある一つの小説を渡す。

 

 「こいつは・・・

 「見ての通り、黒山墨字の“大作映画”に繋がるであろう“良い話”だよ・・・

 

 その小説は巨匠として名の知れた映画監督の手掛ける大作映画からニッチな題材のマイナー映画、更には演劇まで作品を選ばず幅広い役柄と唯一無二の存在感で活躍し、かつて“10年に1人の逸材”と称された演技力で日本の映画界を中心に一世を風靡した演技派俳優・夕野憬が9年前に執筆した処女作にして唯一の作品となっている1冊の小説だった。

 

 「・・・要するに“こいつを映画化してみるのはどうだ”ってことか?

 「その通りだ

 

 天知が持ってきた“良い話”に墨字は煙草をふかしながら疑ってかかるが、その疑問の声を天知は瞬時に真実でかき消す。

 

 「・・・俺のことを地球上で一番嫌っている割には、随分と良心的なことをしてくれんじゃねぇか?

 「全く素直じゃないな黒山は・・・・・・本当は“あの日”からずっとこの小説(はなし)を撮りたいが為に今日まで映画監督を続けて来た癖に・・・

 

 渡された本を見て態度にこそ出さないが心の中で本能をギラつかせた墨字を見つめて、天知は静かにほくそ笑んだ。

 

 「・・・その1作がこの世の全てを覆すかもしれない・・・そしてたった1つの映画で才能が正しく評価される在りし日の映画界を取り戻せるかもしれない・・・・・・最もそれが現実になるのか未遂に終わるのかは、黒山次第だけどね?

 「・・・言っておくが俺の探し求めている女優(やくしゃ)ってのは、“10年に1人”なんてレベルの話じゃないぜ・・・・・・どれだけ時間がかかろうと、“原石(それ)”が見つかるまでは撮るつもりはないからな

 「なるべく早くお願いしますよ。自分で言うのも難ですが、私は気が短いのでね

 「手前(てめえ)のさじ加減なんか知るかよクソノッポが

 

 

 

 こうして墨字が“撮りたい映画”の主演を張れる女優(やくしゃ)を探し求めて“演出家”として参加したスターズのオーディションで景と出会うのは、憬の小説を天知から受け取った日から約10か月後のことだった。




自分では分かっているんですよ。人間関係だとか恋愛的なやつに重きを置いたストーリーにめっぽう弱いということは・・・・・・これでも普段は僕、こういう類の漫画はなるべく読まないように過ごしているんですよ。今回みたいについついキャラクターに感情移入しすぎてしまうことを分かっているから。一度でも入り込んでしまったらもう止まらないから。

だけど年に何度か襲い掛かる悪魔の囁きに負けた結果、これです。って言っても伝わらんがな。

多分ですけど、というか言うまでもなく犯人は僕自身の生まれ持った気質です。例えば感情移入したキャラクターが失恋だとか大切な存在を失ったら、必ずといっていいほど胸が苦しくなって心ここに在らずな状態になります。恐らくNANAあたりをまともに読んだ暁には冗談抜きでメンタルを病む自信しかない。言ってしまえばたかが紙の中で繰り広げられるフィクションに過ぎないというのに、馬鹿みたいな話ですよね・・・・・・あぁ、感受性が普通の人間になりたい。

もちろんそれらの作品に罪はないどころか、人にとっては心を抉るような展開であることを踏まえても、それらは全て読者の心を芯から動かすことのできる素晴らしい作品だということに変わりないと思っています。そして物語を読んでここまで心が一喜一憂できることは、物凄く幸せなことなんだろうと思います。

とりあえず、作者は今日も元気です。ガンバレ、日本代表。届け、ベスト16の先へ。






あ、ちなみに次週でchapter 3は終わりです。多分今日の展開を見た大半の人は???って感じの心境だと思いますが、結論を出すのは来週まで待って頂けると幸いです。
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