或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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2018年、東京___


scene.6 ギラギラ

 「ハッピーバースデー!夕野憬くん」

 「お・・・・おう・・・」

 

 玄関のドアを開けるとケース片手に黒山が開口一番に俺を祝福してきた。

 見るからに機嫌が良いのが分かるが、上機嫌な黒山を見るのがあまりに久々すぎて誕生日を祝福された喜びの感情は驚きと動揺でかき消された。

 

 「どうした夕野?人が折角誕生日を祝っているというのになんだその反応は?」

 「墨字。お前まさか・・・何か変なものでも吸ったか?」

 「お前は俺を何だと思っていやがる」

 「良かった、正常だ」

 「ぶっ飛ばすぞ」

 

 そして黒山から『ハッピーバースデー』と言われるまで、今日が自分の誕生日であることを忘れていた。

 

 

 

 黒山と憬が久々の再会をしてから約1年が経った。

 

 黒山が “命がけ”で撮影した怪作『シリアの遺言』はヒットこそ記録しなかったが、戦場で生きる様々な人々の日常を生々しく克明に捉えたことや、被写体の感情に合わせて動く“黒山墨字の真骨頂”と言える臨場感の溢れる繊細なカメラワークが大きく評価され、ベルリン国際映画祭の短編部門で金熊賞を受賞した。

 

 これにより映画監督・黒山墨字は、ついに世界3大映画祭全てで入賞するという快挙を達成したが、そんな彼の活躍はワイドショーで数分間だけ取り上げられる程度で終わった。

 どうせ直ぐに忘れ去られてしまうであろう1人の監督が成し遂げた偉業。だが、俺以上のメディア嫌いで富や名声に全く関心のない黒山にとっては、そんなニュースは眼中にすらないだろう。

 

 だから意外だった。メディアやビジネスを大いに嫌うあの黒山が、こんな典型的な商業映画まがいの話に易々と乗っかるはずがないのだから。

 しかもあろうことか自らの記念すべき1作となる映画の脚本(シナリオ)を、わざわざ“他人”に託したのだ。今まで脚本から演出、果ては編集までを全て一人でこなすというスタイルを貫いてきたにも関わらず。

 

 黒山(この男)が何を考えているのか、ますます分からなくなってくる。それでも俺は黒山から言われたある一言で、この“大作映画”に己を捧げることを心に決めた。

 

 ちなみに黒山は映画を撮るためだけに新しい芸能事務所を立ち上げたという。その事務所の名前は『スタジオ大黒天』。

 

 

 

 「あぁーうめぇわやっぱ」

 

 張本人の黒山は行きつけの店で“いつもの”を頼む感覚で憬にコーヒーをオーダーしてリビングで嗜んでいる。

 映画も含め全ての映像作品においても一切の妥協を許さないこの男は、たった1つの映画の為だけに事務所を作り、1年にも渡って原石を探し続けた。

 

 「ところで夕野?執筆の進行状況はどうだ?」

 「取りあえず掛け持ちの片方は無事に終わったよ。あんたが“原石”を探しているうちにね」

 「そうか。なんか悪いな、あんなタイミングで仕事を振っちまって」

 「謝るなよ。了承したのはあくまで俺の方なんだからさ」

 

 ちなみに憬は黒山の大作映画と共に、全く違う作品をつい数日前まで同時進行で執筆していた。無論、黒山とは“全くの別件”である。

 

 「それより早く見せてくれよ。こっちは1年も待ってんだ」

 「まぁそう焦んなよ」

 

 すると黒山は持っていたケースからおもむろにPCを取り出して電源をつけると、独り言のようにボソッと呟く。

 

 「小手調べにちょっとした仕事をさせてみたが、やはり俺の目に狂いはなかった」

 

 黒山の目つきが次第に獲物を見つけた獣のように冴えわたってゆく。1つだけ確かなのは、黒山(こいつ)が何か“とてつもない”ものを見つけてきたということ。こいつの“生気に満ちた(ギラついた)”目を見れば、それは明らかだ。

 

 「どうやら相当期待が持てそうだな。あんたの探し続けていた“原石”ってのは」

 「当たり前だろ。なにせいくらかの仕事を犠牲にしてまで探し続けたくらいだからな。夕野・・・こいつが俺からの誕生日(バースデー)プレゼントだ」

 

 

 

 ノートPCに映っているのは黒山がディレクションを担当したシチューのウェブCM、のメイキング映像である。

 

 「何でメイキングの映像を見せる?」

 「まぁ見てみろよ。何も考えずに」

 

 CMのキャッチフレーズは『父の日にシチューを』。初めて1人でキッチンに立つ少女が、仕事から帰って来る父親のために“慣れない手つき”で手料理を作り、喜ぶ父親の笑顔を思い浮かべながら味見をして終わり。という設定。

 

 『カァァァット!!達人かお前は!!「初めて1人でキッチンに立った少女の役」だぞ!?真剣にやれよ!!』

 『真剣よ!!味見してみる!?』

 『「真剣に作れ」じゃねえ!「真剣に演じろ」ボケ!』

 

 彼女のとった想定外の行動に黒山は声を荒げている。

 初めてキッチンに立った少女とは、一体何だったのか。カメラに映る少女は慣れた手つきで人参の皮をむき、ベテラン料理人並みの早さで玉ねぎをみじん切りにし、フランベまでやってのける。

 彼女が真剣に作った料理が美味いのは間違いないだろうが、問題はそこではない。

 

 「墨字、1つ確認したいのだが・・・本当に彼女があんたの言う“原石”なのか?」

 「あぁそうだ」

 

 憬からの疑心に満ちた問いかけに、黒山は何の迷いも見せずに即答する。

 

 黒山からの真剣という問いに、真剣に料理を作ることで答えた彼女。愚直で純粋であることは芝居をする上で重要なカギであるのだが、それ以前に芝居というものをまるで理解していない。

 だが彼女の本質はまた別のところにあるような気がする。

 

 「コイツ、俺が初めて父親に料理を作ったことを思い出せと言ったら、『父親に料理を作ったことがなかったから“戻るべき過去”がない』と言ってきた。だから俺は、この際相手は誰でもいいから初めて手料理を作った日を思い出せとアドバイスしてやった。誰かのために努力するお前の愛情を見たいとな」

 

 そう言うと黒山は、その直後に撮影されたOKテイクの映像を憬に見せる。

 

 黒山の言葉で、彼女は何かを思い出したのだろうか。先ほどのプロ顔負けの手捌きとは打って変わって、まるで本当に“生まれて初めてキッチンに立った少女”のように所作が不器用になった。

 人参の皮をむくにもおぼつかず、玉ねぎを切る手先は今にも指を切りそうで危なっかしい。そして案の定、カメラに映る彼女は包丁で指を切る。本当は痛くて仕方ないはずなのに、彼女は父親ではない誰かを思いながらそれを笑って誤魔化す。

 こうして出来上がったシチューを味見する彼女が魅せた横顔は、その場にいた関係者全員を納得させるには十分すぎるものだった。

 ちなみに肝心のシチューは本当に“彼女が初めて作ったカレーライス”のように焦げていたため、別撮りになったという。

 

 何もこんなところまで再現する必要はないのにと思ったが・・・なるほど、そういうことか。

 

 「・・・メソッド演技だな。恐らく彼女の芝居におけるバックボーンとなっているのは、今まで自分が生きてきた中で体験したありとあらゆる感情の記憶だ。それらの記憶を自身の過去から引っ張り出して具現化することで、彼女の芝居は初めて成立する。何より彼女は驚くほど自分に対して素直でメソッドの精度も恐ろしく高い。見ていて思わず現実と芝居の境界線が分からなくなる程にね。こんな芝居、並大抵の半生を送っているような人間には到底できないよ。彼女は間違いなく“ホンモノ”だ」

 「たったこれだけの素材で夜凪(コイツ)の素質をここまで見抜くとは流石だな。少なくともスターズの連中(バカ)共に比べたらお前の方がよっぽど見る目があるよ」

 

 炸裂する“夕野節”に黒山は「はい来ました」と言わんばかりに憬に向けてほくそ笑むと、憬はバツの悪そうに顔をしかめる。

 

 「本当はもう少し早く見せてやりたかったが、生憎当社はうちの“看板女優”の売り込みで最近は忙しいからな。結果的にこのタイミングになっちまった」

 「・・・あんたがここまで時間をかけてまで探していた理由がようやく分かったよ。確かに、これ程までの原石は10年かけても見つけられるかどうか分からない」

 「10年に1人と言われてたお前がそれを言うのかよ」

 「いや、夜凪(彼女)はその程度のタマじゃないよ」

 

 “10年に1人の逸材”。憬も俳優として活躍していた時期にそう呼ばれていた。だが黒山が1つの映画の為に探し求めた1人の女優(役者)は、そんなフレーズすら安っぽく思えてしまう程の怪物。

 

 夜凪景(よなぎけい)、17歳。

 

 「10年に1人どころか、夜凪(コイツ)には必ず歴史に名を残す役者になれる素質(ポテンシャル)が眠っている。少なくともそんな才能をもった日本人の女優は、夜凪の他に1人しか俺は知らない」

 「・・・星アリサか?」

 「いきなり当てんじゃねぇよ、外す流れだろ今のは」

 「だって1人しかいないだろ。俺とあんたの原点(ルーツ)と言えば」

 

 星アリサ。10年に1人の逸材と称された演技派俳優と、野心に満ちた二十歳(はたち)そこそこの助監督がこうして巡り会ったのは、1人の天才女優のおかげだった。

 

 「だとしたら夜凪のルーツも俺たちと同じになるな」

 「どういうことだ?」

 「実はスターズの俳優発掘オーディションに審査員で参加してな。そこで拾ったんだよ。コイツ」

 

 スターズのオーディションに景が参加していたことは元より、俺は黒山がどうやって“商売敵”である大手芸能事務所のオーディションに“潜入”したかが気になった。

 

 「それより、どうやってスターズのオーディションに潜り込んだ?」

 「それは業界人じゃないお前には教えられないな。まぁ、こう見えて俺って割と芸能界じゃ顔が効くほうだから、そんなに難しいことじゃないぜ」

 「ほお、“ヤミ監督”の癖に?」

 

 憬の一言に、黒山は殺気だった目つきで挑発しながら掌を鳴らす。

 

 「・・・世界3大映画祭で賞獲った監督に向けて中々のことを言うじゃねぇか、 “アイドル小説家”さんよぉ」

 

 そして黒山の一言に、憬も“殺気”で応酬する。

 

 「今の発言は聞き捨てならないな。あの頃は顔に傷をつけるなと上から散々言われ続けてきたが、今なら一発ぐらいその顔面にぶちかましても問題ないだろう」

 「いいぜ、お前からの喧嘩は買ってやる。その代わり治療費は利子100倍でぶん取るけど文句はねぇよなぁ、“夕野先生”」

 「それはお互い様だよ、“黒山監督”」

 

 立ち上がって睨み合う2人。マンションの一部屋が、一瞬にして殺伐とした空気に包まれたその時、黒山のスマホが鳴った。

 

 「チッ、誰だよこんな時に」

 

 苛立った態度で黒山は着信相手の名前や番号もロクに確認せずに電話に出る。

 

 「はい黒山、んだよお前かよ・・・あぁ・・・おう・・・それで?・・・」

 

 黒山はリビングをほっつき歩きながら誰かと電話をしている。着信相手の“ある一言”で、黒山は野心と安堵に満ちた笑みを浮かべる。

 

 「そうか。ちゃんと評価してくれたことに感謝するぜ。・・・おう・・・当たり前だ。こっから先はそっちに任せるよ。言っとくがこの映画で夜凪とお前のとこの主演を生かすも殺すも全てお前の技量にかかっているからな・・・あぁ・・・何度も言ってんだろ、甘く見てると痛い目見るぞ・・・・・フッ、何だよ分かってんじゃねぇか。だったらもう言うまでもねぇわな・・・おう・・・あぁ・・・取りあえず半分正解ってことにしてやるよ、“後輩のよしみ”として・・・あぁ・・・てことで仮面(アレ)のことは頼んだぞ。じゃあな」

 

 電話を切った黒山の表情は、どこか穏やかだった。

 

 「誰だ?電話の相手は」

 「先輩」

 

 黒山のその一言で、憬は何か大きな企画が動き出していることを察した。

 

 「・・・どうやらこんなところで喧嘩をしている場合じゃなさそうだな」

 「全くだ・・・何てったってうちの広告塔にとって初めての大仕事になるからな。絶対にトチれねぇ」

 

 『デスアイランド』。ある無人島を舞台に漂流した24名の修学旅行生が織りなす壮絶な殺し合い(サバイバル)

 キャストはこの映画の主催となるスターズからの12名に加え、一般公募の12名の計24名の若手俳優陣で構成される。その一般公募の枠の1人に、夜凪景が抜擢されたという。

 

 「でも彼女はスターズの俳優発掘オーディションで一度落とされたから墨字のところにいるんだろ?スターズはよくOKを出したな」

 「当然だ。真正に評価するように“お願い”したからな」

 「手塚のやつ・・・すっかり“染まっちまった”かと思っていたが、意外と酔狂なところもあるんだな」

 「あぁ、だから俺は少しだけ安心しているよ。手塚(アイツ)の心だけはまだ腐っちゃいねぇことが分かったからな」

 

 とは言え、相手は知名度も実力も段違いなスター集団。いくら景の素質が高いとは言え、芸歴1ヶ月程度のド新人が彼らと渡り合うには一筋縄ではいかないことは誰がどう見ても明らかな話だ。

 

 しかも主演は“星アリサの最高傑作”と謳われる“天使”である。

 

 「問題は百城千世子(ももしろちよこ)にあんたの原石が潰されないかだな。百城は素質の高さだけでどうこうできる相手じゃない」

 

 百城千世子(ももしろちよこ)。日本における若手トップ女優の代表格で真っ先に名の上がるスターズ屈指の広告塔にして、“星アリサ”が自他共に認める最高傑作。自身が持つ最大の武器である“天使”のような非現実的な美しさは、従来の女優とは一線を画す唯一無二の魅力となっている。

 

 別名、“スターズの天使”。

 

 「何だよ、随分と心配してくれるじゃねぇか」

 「そりゃあこんな才能は滅多にお目にかかれないからな。間違っても壊すようなことはあってはならない」

 「その心配はいらねぇよ夕野。夜凪はあのCMの時からは比べ物にならないくらい成長している。しかもその過程で手前の中に知らない自分がいるということに気付いちまったからな。メソッド以外の武器を手に入れんとする今のアイツは、誰が立ちはだかろうともう止まらねぇよ。俺からすれば心配どころか、寧ろこうやって女優として成長できる絶好の機会を与えてくれて感謝しているくらいだよ」

 

 憬の景の行く末を心配する声を、黒山は畳みかけるようにかき消す。

 黒山は映像作家としてもそうだが、演出家として芽の出ない役者が心の内に秘めている“未知の領域”を導き出すことにも長けていることを俺は知っている。

 

 “ほんと、あんたの一番怖いところはそういうところだよ”

 

 「取りあえず、映画を撮るための作戦がようやく本格的に動き出したってとこか」

 「そうだな。先ず夜凪には、百城千世子の前にライバルとして立ち塞がってもらう」

 「百城千世子と夜凪景がライバルか。面白そうかも」

 「だろ?でもその代わりとして百城にはまず、夜凪を通じて“天使の仮面”を壊してもらおうと思ってる」

 「天使の仮面か。少なくとも今の百城からは天使以外のイメージは想像つかないが」

 

 “綺麗すぎる”

 

 俺が百城千世子に抱いた最初のイメージ。彼女の持つ魅力に加え、難しい台詞回しや立ち回りなどをいとも簡単にこなす器用さは、同業者からすれば尊敬に値する領域である。だが彼女の芝居は全てが綺麗すぎて、ふと味気なく感じてしまう瞬間がある。

 人間の寿命は平和と医療の発達と共に右肩上がりに伸び続けているが、“天使”の寿命はそう長くはないだろう。綺麗すぎる代物は、飽きられるのも早いからだ。

 

「それは今まで百城(アイツ)が夜凪のような芝居をしてこなかったからだ。自分のことを商品として割り切り、徹底的に自己を排除した客観的な美しさを極めたおかげで世の中じゃ天使だとか天才女優なんて言われてチヤホヤされてるが、決してアイツは“天才”ではない。もちろんあそこまでして努力する才能とプロ根性は認めるけどな」

 

 百城千世子は“天才”ではない。それは彼女がまだ子役だった頃から近くで芝居を観てきた連中なら、いかにここまで上り詰めるのに本人が努力をして来たかが分かることだろう。世間一般のイメージである天才女優とはかけ離れた、スクリーンに映る努力の産物。

 

 「恐らく天使としての寿命はあと3年ってとこだろう。だが百城がそんなことで終わるのは誰も望んじゃいねぇ。アイツがあのまま“ただの天使”として消費されることは間違ってんだよ」

 

 やがて訪れることであろう“天使”としての寿命がすぐ近くまで迫った時、彼女はどうやってそれを乗り越えて行くのか。

 

 「何故あんたは夜凪のみならず百城にもそこまで拘る?」

 「決まってんだろ。百城(助演)の芝居が強ければ強いほど、夜凪(主演)の芝居は際立つからだ。そのためには天使にも化けてもらわなければならないんだよ」

 

 黒山という男は手前の看板女優のみならず、同世代における最大の(ライバル)に当たる百城千世子の女優としての将来のことも徹底的に考えている。

 だからこそ俺は、黒山の核心をつく質問をぶつけた。

 

 「・・・全ては映画のためか?」

 「あぁそうだ」

 

 まるで先ほどのデジャブのように、憬からの問いかけに黒山は何の迷いも見せずに即答する。

 恐らく黒山は今回の映画で百城を助演として使うことを見越している。主演である夜凪景をより際立たせるために。

 

 そして黒山の企んでいることがほんの少しだけ分かってきた今、俺の中である思いが頭の中を駆け巡った

 

 「なぁ墨字」

 「なぁ夕野」

 

 互いに伝えたいことを伝えようと口に出したら見事にハモる。憬の部屋からすべての音が一瞬消え去り、何とも言えない空気に包まれる。

 

 「あぁ、悪い。言いたいことがあるなら先いいぞ、夕野」

 「いや、先に墨字の方から言ってくれ。俺はあんたの考えを知りたい」

 「俺は後でいい。そもそもこの物語はお前の脚本(シナリオ)がなければ始まらないからな。俺は“監督”として、夕野の考えを聞きたい」

 

 このまま譲り合いを延々と続けていても埒が明かないと感じた憬は、結局折れて今度こそ黒山に真意を伝える。

 

 「なぁ墨字・・・もし俺が物語のプロットを全て白紙に戻すと言ったら・・・どうする?」

 

 憬の言葉で、部屋全体が再び沈黙に包まれる。

 

 「・・・どうやら素っ頓狂なことを言っているようではないみたいだな」

 

 憬の顔を吟味するように目で追いながら、独り言のように黒山がつぶやく。

 

 「理由を教えろ」

 

 黒山の言葉を合図に、憬は言葉を続ける。

 

 「墨字がこの映画で何を考えているか俺には分からないことが多いが、少なくとも今の物語(シナリオ)じゃ“黒山墨字の映画”に華を添えるにはあまりに“役者不足”だということだけは分かった」

 「・・・だからといってゼロからもう一度作り直す必要はあんのか?」

 「凡庸なままこの映画を終わらせたくないという思いは俺も同じだ。伊達にこれまで物語(生き様)を書いてきたわけじゃないからな・・・こっちにも覚悟ってものがある」

 

 あの時は随分とすんなり引き受けてもらったが、やはり夕野(コイツ)には夕野(コイツ)なりの流儀ってもんがある。生半可な覚悟でこの映画の話を引き受けるなんてまずあり得ない話だ。コイツの“生気に満ちた(ギラついた)” 目を見れば、それは明らかだ。

 

 “だが、おかげで助かった”

 

 「・・・俺も今のシナリオじゃ夜凪(アイツ)を主演にするには物足りないと思っている。それをどうやってお前に伝えればいいか少しばかり悩んでいたが、これで気が大分楽になった」

 「やっぱり・・・墨字もそう思っていたか」

 

 2人はそのまま互いにテーブルを挟んでリビングのソファーに座る。

 

 芝居に対して目の肥えた2人を唸らせた景の芝居は、今のシナリオじゃ物足りないと思わせざるを得ないほどのものだった。

 彼女の持つ役者としてのポテンシャルの高さは、本当に計り知れない。

 

 「それで、いつまでに仕上げればいい?」

 「映画以前に夜凪には老若男女の誰もが知る人気女優になってもらわないと話にならない。もちろんそのための力は俺も含めてまだ足りていない。計画では夜凪の実力と知名度を考慮した上で映画の公開は3年後と考えている」

 

 傲慢な利己主義に満ちているように見えて、黒山という男は意外にも冷静に物事を判断して理論に基づき映画を作っている。ただし、経営者としては褒めたものではないが。

 

 「3年後か。果たしてそれは長いのか短いのか」

 「それは俺でもまだ分からねぇが、ひとまず来年のうちに“原作”を含め脚本を完成させてくれたら助かる」

 「実質1年と少しってところか・・・ありがとう。少しばかりハードだが了承した」

 「悪いな。またしても“掛け持ち(ダブルブッキング)”させちまって」

 

 何の悪びれもなさそうな顔で平謝りする黒山に憬はクールに微笑みかける。

 

 「あの日のあんたからの電話から、俺はこの映画に全てを捧げると決めている・・・“やるべきこと”は全部やるつもりだよ、“監督”」

 「・・・そうだったな。ご協力に感謝するぜ、“先生”」

 

 すると黒山は立ち上がり、憬に向けて拳を突き出す。それに答えるように憬も立ち上がって拳を突き出し、2人は互いの拳を合わせ合う。

 

 「てことで頼んだぞ。夕野」

 「あぁ。待ってろ」

 

 

 

 夜凪景と百城千世子。映画監督と小説家。白と黒が1つに結びついた時、新たな物語が産声を上げた。

 




映画界の異端児と文学界の異端児によるグータッチ。絵面的には30過ぎのおっさん2人ですが、この場面が漫画になれば最高にクールな1シーンになることでしょう。多分。

ちなみに黒山は一部のファンからヤミ監督という蔑称、もとい愛称が付けられているのですが当の本人はそう呼ばれることを嫌っているみたいです。

そして本誌の主人公、夜凪景がついに初登場です。一瞬だし黒山PCの画面内だけだけど。

さて或る小説家の物語の1章はこの回をもってラストとなります。ということで次回から2章がスタートするわけですが、その前に本篇では収まりきらなかったこぼれ話を1つ、挟んでいきたいと思います。






PS.今年の智辯対決はまたしても弟が制しましたね。
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