或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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ブラボー!ブラボー!!ブラボー!!!

5/15追記:今後の展開を考えストーリーを一部変更しました。


#001. 6月30日

 『おはようございます。6月30日月曜日、めざましタイムです。週明けの朝からこのようなショッキングな話題をお送りしなければならないのは心苦しいのですが、大変心配なニュースが入ってきましたのでこちらからお伝えします。本日の午前1時ごろ、俳優の夕野憬さんが東京都・港区にある自宅マンションで倒れているのが発見され病院に搬送されましたが、意識不明の状態が続いているとのことです。救急隊の方と共に立ち会ったマンションの管理会社の関係者によりますと、無言の通報を受けて到着した救急隊が右手に携帯電話を持った状態で倒れている夕野憬さんを発見したことから、夕野憬さん自らが通報したものと見られるとのことです。ただいま夕野憬さんが搬送されている病院の前から中継が繋がっておりますのでお繋ぎしたいと思います、榎本さん_』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2018年_6月30日_東京都港区・青山_

 

 「夕野憬さまのお部屋は601となります」

 「ここにはもう何回か来てるから分かってるけど教えてくれてサンキュー」

 

 6月30日の昼下がり。高級ホテルと見紛うようなロビーの一角にある受付ホールで面会の手続きを済ませて面会者専用のカードを受け取り、憬が眠っている601の病室へと向かう。憬が2年前まで療養していた前の病院からここに来たときは、この場所が“千夜子”の生まれた病院でもあったことから色んな意味で複雑な感情に襲われていたが、こうやってスケジュールを空けて憬の面会に来るたびにその感覚は小さくなって、今ではすっかり慣れた。

 

 『6階です』

 

 6階に到着したことを告げるエレベーターの音声を合図に、俺はフッと軽く息を吐き出してドアが開き切ったのと同時に601の病室がある左の方角に足を進める。

 

 

 

 

 

 

 “夕野憬、くも膜下出血で倒れ意識不明

 

 

 

 10年前の今日、日本中を駆け巡った衝撃的なニュース。奇しくもその日は、憬の23歳の誕生日だった。

 

 俺があの日に憬が倒れたことを知ったのは、朝の7時から現場入りしてMHKのスタジオで撮っていたドラマの撮影が終わり、楽屋で私服に着替え敷地内の駐車場に止めてある愛車に向かおうとしたところで撮影スタッフの話を盗み聞きしてしまった夜の8時頃だった。いま思うと本番を控えている役者陣(俺たち)を気遣うために、スタッフの人たちは徹底してその情報が漏れないようにしてくれていたのかもしれない。

 

 もしも本番中や本番前にそれを知ってしまっても撮影はどうにかこなせていたとは思うが、少なくとも平常心ではいられなかっただろう。

 

 

 

 “『サトルがどうした!?』”

 

 

 

 スタッフの会話からその事実(こと)を聞かされた俺は、そのまま憬が搬送されたという病院へと車を走らせ、数人のマスコミが張り込んでいるのを横目に病院の地下駐車場に車を停め、無我夢中で緊急手術を終えたばかりの憬がいる集中治療室へと走った。

 

 

 

 “『手術は成功しました。現段階では自発呼吸とバイタルサインは安定しています。しかし・・・・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・十夜君じゃん。お疲れ」

 「これは珍しい先客だな」

 

 この前の正月ぶりに尋ねる601の扉を開けると、ベッドの上で生命維持装置に繋がれながら眠る憬の横で、病室に置かれている椅子に座りながら10年間も眠り続けている幼馴染に何かを語りかけていた蓮がいた。

 

 「どうしたよ?何か心変わりでもしたか?」

 「そんなんじゃないよ。今日はたまたま仕事がオフだったからここに来ただけ」

 「オフの日がよりによって今日なのは神様の悪戯か?」

 「毎年6月30日(この日)だけは絶対にスケジュールを空けてる誰かさんには言われたくないな~」

 「同じようにわざわざ今日を狙ってスケジュール空けてた奴がよく言うわ」

 

 ただ一応、蓮が今日スケジュールを空けていたっていう話は3日前にドラマの撮影現場で共演者から聞いていたから、特に驚きはない。

 

 「誰情報それ?」

 「“ホリミィ”。いまドラマで現場一緒だからさ」

 「うわマジか。何で喋っちゃうかなぁ杏子さん・・・まあ悪気はないだろうから許すけど」

 

 ちなみに蓮が憬の眠る病室に来ている姿を見るのは、今日が初めてのことだ。

 

 「てか来るんだったらオレに一言連絡すりゃいいじゃん」

 「やだよ。十夜君と一緒にいるところを“また”パパラッチとかに撮られたらどうすんの?」

 「別にレンはもう何度も撮られまくってるから関係ないだろ?」

 「私は問題ないよ。寧ろヤバイのはそっちでしょ?」

 「オレが現在進行形でやらかしてるみたいな言い方をすんのはやめろ(問題ないって言ってるお前のほうがヤバいと思うけど)」

 「現在進行形でお隣さんに“可愛い天使ちゃん”が住んでるくせに」

 「安心しろ“千夜子”は身内だからノー問題だ」

 「何それ?」

 「そのままの意味だよ」

 

 俺が18の時にドラマの顔合わせで初めて会った頃の“真面目でひたむきな頑張り屋”の面影がまるでなくなりすっかり“大物”になった蓮は、時間差で面会に来た俺のことを普段通りのサバサバした様子で揶揄う。

 

 

 

 “『私はずっとカメラの前で憬が戻って来るのを待つことにするよ・・・・・・』”

 

 

 

 「もう10年経つんだね・・・・・・あれから・・・

 「・・・そうだね

 

 そして寂しそうな眼で感傷に浸りながら、蓮はベッドで眠り続ける憬の寝顔を真っ直ぐに見たまま静かに笑いかける。その横顔からは前に進むことを決めた決意を感じたのと同時に、自分の声が届いていないという現実を空元気でひた隠す“葛藤”を垣間見た。

 

 杏子の言っていた通り、蓮はようやく“芝居をしていた”ときの憬の存在を吹っ切り“病室で眠っている”憬と向き合う覚悟ができた・・・と言っても良いだろう。

 

 

 

 だけど、現実と向き合ったからといってその全てを受け入れられるかどうかは、全く別の話だ。

 

 

 

 「さて、とりあえず私はこれで帰るから後よろしく」

 「よろしくって、もう帰るのかよせっかく友達が揃ったのに?」

 「十夜君に会うつもりは1ミリもなかったからね」

 「うわ酷っ」

 「じゃあそういうことで」

 

 蓮は椅子から立ち上がりがてら俺を再び揶揄うと、ベッドで眠る憬に別れ際の言葉も言わずに601の扉の方へ歩みを進める。

 

 「本当に良いのか?10年ぶりに会ったっていうのにこんなあっさり終わらせて・・・?

 

 斜め後ろの位置に立っていた俺とのすれ違いがてら、蓮に言葉をかける。

 

 「大丈夫だよ・・・憬に伝えたかったことは全部伝えたし・・・・・・あと、この私がしんみりした感じでさよならするのも違うしさ

 

 心配して精一杯に気遣った言葉を嘲笑うかのように、蓮は満足げな顔をして答えた。もちろん感情に半分ぐらいの“つよがり”が入っているのは、俺の“第六感”ですぐに気付いた。

 

 「・・・そっか

 

 そんな彼女を見た俺は何か気の利いた一言を言おうとしたが、出てきたのは“そっか”というどっちつかずな相槌だけだった。

 

 「そっかって・・・何で十夜君がしんみりしてんだよ」

 「痛っ、別にしんみりなんかしてねぇわ(これアザとかできてないよな?)」

 

 中途半端な相槌をした俺の右腕に、まあまあ強めの肩パンの衝撃が襲う。少なくとも刑事ドラマでアクションをこなすためにカリの師範資格を習得したことをきっかけに護身術に目覚めたのとは全く関係のない、悶絶するような痛みとかじゃないけれど、じわじわと芯に響くようなズシリとした“重い”痛み。

 

 「・・・でもありがとう。きっと憬がずっと夢を見続けられているのも、十夜君たちがこうやって会いに来てくれているおかげなんだろうし

 

 憬と向き合え切れずにいた10年分の想いが籠った痛み。寂しさを含んだ笑みでつよがって感謝の言葉をかけた蓮の表情がそれを物語っていた。

 

 「・・・ちゃんと祝ったか?バースデー?

 「・・・うん

 

 

 

 “・・・本当は誰よりもぶん殴ってやりたい相手が、すぐ近くで眠っているのに・・・

 

 

 

 「じゃあ今度こそごゆっくり~」

 

 憬に食らわせたかった本当の想いをある程度手加減して俺にぶつけた蓮は、そのまま右手を軽く挙げながら手を振る仕草をして601を後にした。

 

 「何が“ごゆっくり~”だよ生意気な奴め・・・」

 

 “つよがり”の背中が扉の向こうへ消えたのを目視で確かめ、視線を憬の方へと移してたった今まで蓮が座っていたベッドの横の椅子に座ると、床頭台の上に置かれた籠に入った3個の赤リンゴが視界に入った。

 

 「・・・リンゴ・・・確かウェールズのことわざで“1日1個のリンゴは医者を遠ざける”だったか・・・」

 

 蓮が持ってきたであろうリンゴを意味なく手に取って意味なく独り言を呟き、すぐに元の位置に戻す。

 

 「・・・だったら“何で俺はこんなところに閉じ込められているんだ”って話だよな?サトル?」

 

 生命維持装置に繋がれたまま10年の眠りに就く憬にいつものように話しかける。当然、返って来るのは心臓の鼓動(リズム)を告げる最低限のバイタルサインだけ。

 

 「・・・サトルがこんなところで居眠りしてる間にホリミィは雅臣さんと結婚しちまうし、レンは“視聴率女王”って言われるほど出世したし、あずさの子供(とこ)の“あいりちゃん”なんて子役デビューして今じゃオレとホリミィの娘だからな・・・もちろんドラマの中の話だけど・・・・・・あぁ、ヒロとかあっくんは相変わらず、って知ってるかそんなことは・・・」

 

 どんなに俺が話しかけても、目の前のベッドで気持ちよさそうに眠り続ける身体はピクリと動く気配もない。それは(こいつ)が倒れた10年前の今日から何も変わっていない。

 

 「お前が前会ったときはまだ6歳だった“千夜子”なんて今じゃ高3だぜ・・・・・・と言っても芸能活動が忙しすぎて全然学校には行けてないし、今日から丸々1ヶ月“南の島”で撮影だけどな」

 

 俺がお前のもとに駆け付けたときには“明日死んでもおかしくない”ほど予断を許さない状況だったのに、気が付いたら10年もベッドの上でお前はぐっすり眠り続けている。頬をつねったら今すぐにでも起き上がりそうなほど、心地よさそうな寝顔を浮かべながら。

 

 「にしてもサトルも今日で33か・・・・・・認めたくないけど年取ったよなたち・・・」

 

 お前とこの部屋で2018年(新年)を祝った日、医者は言った。“こんな状態で10年も生き続けられていること自体が奇跡”だと。瞼が開かなくとも、手足が動かなくとも、動かない身体を必死に支えるように脳と心臓だけは10年もの間ずっと動き続けている。それが奇跡以外の何物でもないことは言われなくても分かっている。

 

 「・・・なぁ・・・・・・もうそろそろ起きてもいいんじゃないか?・・・・・・こんだけ休んだことだしさ・・・

 

 “意味のない目覚まし”と化した俺は、届いている確証のない言葉をかけながら憬の頬に手を当て、掌に伝わる体温を感じ取る。身体を繋いでいる生命維持装置がなかったら、本当にただベッドの上で昼寝をしているだけのようだ。

 

 「・・・ったく、いかにも“良い夢見てる”って(ツラ)しやがって・・・

 

 さすがに10年も経てば、お前が置かれている現状は嫌でも受け入れられるようになった。

 

 だけど・・・

 

 「・・・何か言えよ・・・・・・“憬”・・・

 

 

 

 “・・・どんな形だろうと、こうしてお前が生きていることに越したことはないけれど・・・生きているくせにこっちがどんなに声をかけても、何の言葉もアクションも返ってこないのは・・・・・・お前の抱え込んでいる苦しみに比べたら“ちっぽけ”なものかもしれないけどさ・・・・・・これはこれで結構辛いんだぜ・・・

 

 

 

 「・・・なんてな」

 

 しんみりし始めた感情をどこかへ飛ばすかのように、十夜は憬に向けて寂しそうにフッと笑った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「ゲッ・・・誰かと思ったら墨字君じゃん」

 「“ゲッ”じゃねぇよ俺を見つけるなり露骨に嫌がりやがってクソ女」

 「世界三大映画祭で三冠獲ったらかつての恩人を“クソ女”呼ばわりですか?随分エラくなったね~墨字君」

 「映画祭を野球みたいに例えてんじゃねぇ」

 

 地下駐車場にハイエースを止めて1階のロビーに繋がる連絡通路へ向かうと、ちょうど入り口のところで俺を視認してあからさまに嫌がる仕草をする環と鉢合わせした。まぁ、空きを探しているところで見覚えのある白の高級SUV(イヴォーク)が止まっているのが見えていたから嫌な予感はしていた。

 

 「それより一色とは一緒じゃねぇのか?」

 「入れ違いで来てるよ。っていうか何で知ってんの?」

 「ちょうど見覚えのあるスポーツカーが目に入ってな・・・てかお前ら揃いも揃ってイイ車乗り回しやがって愛車自慢かコノ野郎」

 

 ついでにちょうど空いていたところに止めると、隣にはこれまた見覚えのあるダークグレーの英国製のクーペ(アストンマーチン)が止まっていた。ただ一色(アイツ)が少なくとも夕野の誕生日には必ずスケジュールを空けていることを知っている俺からしてみれば、予感もクソもない。

 

 「私は普通でしょ?十夜君(アレ)がちょっとおかしいだけで」

 「商用車(ハイエース)乗りの俺からしてみりゃ“どっちもどっち”だわ」

 「そんなに欲しいんなら墨字君も買えばいいじゃん一応社長なんだし?“箔”が付くかもよ?」

 「俺の事務所に外車なんて買う余裕あるわけねぇだろ芸能人(ブルジョア)共が」

 

 それと俺は金だとか名誉には興味はない。ましてや車なんて“今の”で十二分にことが足りているから知り合いの連中が悉く外車を乗り回すようになっても羨ましいとも何とも思わない。

 

 「つーか車の話なんてどうでもいいんだよ」

 

 ていうか、そんな話なんて今はどうでもいい。

 

 「君から話を振ってきたからこうなってんじゃないの?」

 「あぁ?振った覚えなんかねぇぞ俺?」

 「墨字君が“お前ら揃いも揃ってイイ車乗り回しやがって”、って羨ましそうに言うからさあ」

 「お前らのことを羨ましいと思ったなんて1ミリもねぇよ」

 「まぁいいや、ちょうど私帰るところだし。それとこんな空気の悪い場所で“暇人の映画監督”と長話する暇もないから。それじゃ」

 「誰が暇人だブッ飛ばすぞ

 

 普段通りの生意気さで余計な一言を振舞い、環は会話を半ば無理やり終わらせいつもより早い歩幅で自分の車へと足を進める。常に余裕そうに振舞っているこいつの、悩んでいる時に無意識に出てくる早歩きの癖。

 

 「夕野とはちゃんと話せたか?

 

 早歩きで横をすれ違い通り過ぎた環に、俺は正反対の方角を向いたまま声を掛ける。正直俺は、まさか(こいつ)が来ていたとは思わなかった。

 

 

 

 夕野の容態が幾らか安定し始めて集中治療室から個室の病室に移ってすぐの時、病室が目と鼻の先まで来たところで足がすくみ、そのまま逃げるように引き返して病院を後にしていたことを共通の知り合いでもある堀宮から聞いているから、そんな環と鉢合わせした瞬間は内心でそれなり以上に俺は驚いていた。

 

 

 

 「話なんてできるわけないじゃん。相手はいつまで経っても寝てるんだから」

 「・・・流石に誕生日に彼女(ヒロイン)が手を握ってキスでもして奇跡的に目覚めるみたいな展開にはならなかったか」

 「えっ何?墨字君って少女漫画が原作の甘酸っぱい“胸キュン映画”を撮りたがってるの?」

 「なわけねぇだろ俺はああいうご都合主義が嫌いだからよ」

 「ハイこれで墨字君の敵がまた増えました~パチパチパチ~」

 「別に俺は好かれるために映画なんざ撮ってねぇ」

 「そうやっていつまでも子供っぽく偏見なんてかざしているから墨字君は敵を作るんだよ」

 「勝手にほざいてろ」

 

 互いに目を合わさないまま、正反対の方角に視線を向けて俺たちは普段とさほど変わらない会話を続ける。だが後ろから聞こえてくる声のトーンのごくわずかな違いが、葛藤となって鼓膜に響く。

 

 「・・・言っとくけど私の心配ならいらないよ・・・・・・憬に聞こえているかは分かんないけどちゃんと今の気持ちは全部伝えきって、ひとまず気分はスッキリしてるし・・・

 

 

 

 本当にお前ってやつは初めて会ったときから何も変わってない。この先の6階で眠っている夕野(誰か)と同じように・・・・・・

 

 

 

 「・・・そいつは何よりだ

 「偉そうに

 「うるせぇ

 

 互いの憎まれ口を最後の挨拶代わりにして、振り返ることなく正反対の方角へと歩き出す。

 

 「ねぇ

 

 連絡路に繋がる自動ドアが開いた瞬間、背後から俺を呼ぶ声が聞こえ振り返ると環もまた振り返っていた。

 

 「どうしても私じゃダメだったの・・・?墨字君?

 

 相変わらずの余裕そうな表情で浮かべる笑みとは裏腹に全く笑っていない眼を見て、俺は言葉の真意を理解した。

 

 「・・・駄目だ・・・・・・“あの映画”の主演は“優しすぎる”お前には務まるはずもねぇからな

 

 真意を全て理解した上で、俺は敢えて環を突き放して自動ドアの向こう側へと足早に歩みを進めた。

 

 今の(あいつ)が“日本のトップ女優”としてどれだけ見えない努力を重ねてきたのかは、痛いくらいによく知っている。努力の末に手に入れた今のあいつの演技力は、もうとっくに“替えの利かない領域”にまで達していることも知っている。

 

 

 

 ただ単純に環には、“あの役”を演じ切ることはできない。それだけの話だ。

 

 

 

 「・・・・・・そういう“優しさ”が一番ムカつくんだよ

 

 張り付けていた笑みを解いた環は、ドアの向こうへと去って行った墨字へ色んな感情を込めた思いを静かに吐き出した。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・“眠り姫”は目覚めたか?

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえ振り返ると、腐れ縁の映画監督がケースを片手に立っていた。

 

 「誰かと思ったらクロか・・・っていうかこれのどこが“眠り姫”だよ?」

 「じゃあリンゴがあるから“白雪姫”か?」

 「その理論だと俺は“王子様”ってことになるぞ?」

 「良いんじゃないか?今は“多様性”が求められる時代だしよ」

 「じゃあ次の映画は“それ”で行くか?」

 「生憎俺には“そういう”趣味はないからパス」

 「“多様性”って言った傍から掌を返すのが何ともクロらしいよ」

 

 短編映画において世界三大映画祭の全てで受賞した経歴を持つ映画監督にして、『スタジオ大黒天』という芸能事務所の経営者でもある黒山墨字。墨字(クロ)の映画には“ギャラ”の折り合いが悪く一度も出たことはないが、憬や蓮を通じて知り合ったこいつとはもう10年以上の腐れ縁(つきあい)になる。

 

 「さっき地下駐ですれ違った環とは一緒じゃないのか?」

 「別々だよ。オレはいつも通りスケジュールの合間に時間を空けて来てみたら、レンが偶然いたってだけだから」

 「正直俺は驚いたぜ。まさか環が自分から夕野(こいつ)に会いに来るなんてな」

 「それはオレも同じだよ」

 

 俺と言葉を交わしながら墨字は窓際のテーブルにある机を持ち出し、俺の左隣に置いて座る。

 

 「籠の中のリンゴはお前のか?」

 「いや、レンが見舞いで持ってきたものだよ。聞きそびれたから憶測だけど」

 「ったく、こんな植物状態の人間がいま目覚めたところで食えるようになる頃にはどうせ腐り切って食えなくなってるっつうのに」

 「夢も希望もないこと言うなよ」

 「そういう一色も見舞いの1つすら持ってきてねぇくせによく言うわ」

 「こう見えてオレは現実主義者(リアリスト)だからね。リンゴ1つで医者を遠ざけられるなんておとぎ話は基本信用していない」

 「お前のほうこそ夢も希望もねぇじゃねぇかよ」

 

 蓮が置いていったであろうリンゴの話をしながら、俺たちは自然な流れでベッドの上で眠る憬の寝顔に視線を向ける。

 

 「・・・ホント、こうやって現実主義者(やろうども)が揃ったらロクな話題にならねぇよな・・・夕野・・・

 

 そして蓮と同じように優しさと寂しさが入れ交じった笑みを浮かべながら、墨字もまた33歳の誕生日(バースデー)を迎えた憬に語りかける。

 

 “10年に1人の逸材”と謳われる俳優界のホープだった演技派俳優(ライバル)と野心に満ち溢れる映画監督志望の助監督の青年。その関係は業界人同士というより、ただの気の合う同士及び飲み仲間だった。

 

 「33歳おめでとう・・・・・・つっても、聞こえてるわけねぇか

 

 もちろんその関係は、“”も変わっていない。

 

 「いや、サトルには多分聞こえてるよ・・・そうじゃなかったら“こんな状態”で10年も生きられないだろうし」

 「“現実主義者(リアリスト)の設定”にしちゃあ言ってることが“夢想主義者(ロマンチスト)”過ぎないか?」

 「って、そんなことを去り際にレンが言ってた」

 「ほぉ、次にどっかで会ったときにそのネタで弄り倒してやるか」

 「ぶっ殺されてもオレは知らないからな?」

 「当然お前も巻き添えな」

 「それは勘弁だ」

 

 ともあれかつての飲み仲間に言いたかった言葉を言えたことを確認した俺は、墨字に会ったときに聞こうと思っていた“あの話”を持ちかけた。

 

 「・・・ところで芸能事務所のほうは順調か?“風の噂”じゃあんまり良い話を聞かないんだけど?」

 「“風の噂”ってどんなだよ?」

 

 ちょうど1年前、映画監督であるはずの墨字が突如として阿佐ヶ谷に立ち上げた芸能事務所・スタジオ大黒天。その事務所は長らくの間“所属タレント不在”の状態が続いて少数規模の映像制作会社と化していた。

 

 「“女子高生を連れ回して何か企んでいる”っていう噂だよ」

 「営業妨害にも程があんだろオイ」

 「嘘だよ」

 「いい加減にしろよ」

 

 だがある日突然、スターズで毎年行われている新人発掘オーディションの最終選考で落とされた1人の女子高生を引き入れて、知り合いの伝手を使ってその少女を撮影現場に連れ回しているという、風の噂

 

 もちろん、10年前の約束をまだ忘れていない“俺たち”にとってそんなものは馬鹿げた風の噂に過ぎない。

 

 「・・・ようやく見つかったんだな・・・・・・“主演の役者”

 

 

 

 “『・・・墨字・・・・・・もし日本(こっち)に戻ってきて大作映画を撮るときが来たらさ・・・』”

 

 

 

 「・・・あぁ・・・専門校で教鞭を執ったり戦場に行って死にかけたり色々と遠回りしてきたけど、これでようやく俺の“撮りたい映画”の主演に相応しい“女優(やくしゃ)の原石”に出会えた・・・

 

 1つの約束から10年が経ち、墨字はようやく撮りたいと“思い続けていた映画”の主人公に相応しい女優(やくしゃ)を見つけた。

 

 「今日はそのことをサトルに言いに来たのか?」

 「あぁ、こいつが夕野に送る俺からの“誕生日(バースデー)プレゼント”だ」

 

 そう言うと墨字は持ってきたケースからファイルを取り出して、その中に入っていた宣材写真付きの資料を憬に見せつけるように取り出した。

 

 「・・・この女の子がクロの探していた“原石”か」

 「あぁそうだ」

 

 俺は墨字が取り出した資料のうちの一枚を貰い、中身を読む。

 

 「・・・夜凪景(よなぎけい)・・・

 

 その女の子の名前は、夜凪景(よなぎけい)。宣材写真の中で来ている制服は通っている学校のものなのだろうか、一見すると制服姿が良く似合う普通の17歳の女の子だ。だが写真越しでも分かる端正な容姿と168cmという高めの身長と頭身は、垢抜けたら相当なものになるはずだ。

 

 「とりあえずここじゃ電子機器は使えねぇから紙の資料だけになっちまうが、一色はこれを見てどう思う?」

 

 そして俺が直感でグっときたところは、彼女の名前纏う雰囲気だ。

 

 「・・・まず“夜凪景”っていう名前が良いな・・・・・・響きが美しいっていうのもあるけれど・・・なんかこう、名前とそれらを裏切らない容姿からして“女優になるために生まれてきた”って感じがする」

 「生まれながらの有名人の一色十夜(お前)がそれを言っても嫌味にしか聞こえねぇぞ」

 「悪かったな嫌味にしか聞こえなくて

 

 芸能界で生きる上では生まれ持った“名前”というものも重要な武器になる。例えばどんなに優れた素質を持っていたとしても名前があまりにもありきたりだった場合、先ずは顔や名前を覚えてもらうことがこれからの活躍に繋がると言われている芸能界においては足枷になってしまうリスクがある。

 

 だから事務所のタレントの売り出し方や本人のプライバシーの観点から“芸名”を使って活躍する芸能人も少なくない。

 

 「それと文句ならオレを産んだ両親に言えよ、クロ」

 「流石に“一色ファミリー”に喧嘩を売る気はねぇよ」

 

 ちなみに俺の場合は生まれた時から家族揃って名が知られていたから芸名もクソもなかった・・・ということは置いておいて、彼女からは顔と名前を見ただけで第六感が“何かとてつもないものを感じる”と俺に訴えかけてきた。

 

 「・・・クロが夜凪景(彼女)を主演にすることにした決め手は何?

 

 まあ、星アリサのような女優を追い求め続けている墨字が自らスカウトしたという時点で、本当に“とんでもない才能”の持ち主なのは間違いないだろう。

 

 「・・・決まってんだろ・・・・・・お前が夕野(こいつ)の芝居を目の当たりにした時に感じた“第六感(直感)”と同じだよ・・・

 

 

 

 “『世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ』

 

 

 

 「・・・って、昔アリサさんはサトルのことをそう言ってたけど・・・彼女はどうだい?

 「そうだな・・・今はまだ発展途上にも程がある危なっかしい小娘ってとこだけど、夜凪は間違いなく“ホンモノ”だよ・・・・・・化ければ女優時代の星アリサすらも凌駕する可能性も秘めてる・・・

 

 ベッドで眠る憬にギラつかせた眼を向けながら、墨字はアリサさんの言葉を引用した俺の問いかけに答えた。

 

 「・・・・・・そいつは楽しみだ

 

 その言葉を聞いた俺の中で、久しぶりにほんの一瞬だけ“黒い感情”が走った。もちろん悪い意味なんかじゃない。目の前にいる憬と同じ役者として同じ場所で対峙していたときに感じていたあの“感覚”に近いものだ。

 

 「後でお前のとこにも送ってやるか?俺の撮ったCMのメイキング?」

 

 不思議なものだ。夜凪景(彼女)のことなんてたったいま知ったばかりだというのに、久しぶりに“こんな感覚”を味わうなんて・・・

 

 「オレはいいよ・・・・・・どうせなら彼女の芝居(はじめて)は同じ空気の中で視てみたいからね

 「おっ、久々にお前の中の血が騒いでやがるな?

 「知ったような口を叩くな。役者をやっていればよくあることさ

 「けど一色ならそう言うと思っていたよ・・・・・・お前が“一番の楽しみは最後までとっておく”奴だっていうのは、ずっと変わってねぇからな・・・

 「・・・そうだな

 

 

 

 それはきっと、写真の中の彼女から“憬の面影”を感じたからに違いない。別に顔が似ているとかじゃないけれど、纏っている雰囲気がどことなく憬とそっくりだった。

 

 

 

 「・・・にしても、今オレたちが見ている“景色”をサトルだけが見れないのは・・・寂しいな・・・

 「・・・あぁ

 

 だからこそ、いま感じた“この感覚”を同じように共有できない憬に俺は歯痒さを覚える。

 

 「・・・サトルにも見せてやりたいな・・・・・・クロの作る“長編映画”・・・

 「・・・それまで夕野(こいつ)の命が持てばいいんだけどな・・・

 

 理由や程度は違えどそれは隣に座る墨字も、10年越しに憬と向き合うことができた蓮も同じことだ。

 

 「・・・夕野・・・聞こえてるかどうかは知らねぇが、お前が言ってた“あの約束”・・・・・・ようやく果たせる目途が立ったぜ・・・

 

 それでも“俺たち”は憬にこうして声を掛け続ける。声なんて届いていなくとも、お前がこうして“覚めない夢”を見ながら生き続けている限り声を掛け続ける。

 

 「・・・だから楽しみにして待ってろ・・・・・・こんなところで居眠りこいてたのを心底後悔させる、すげぇ“映画(やつ)”撮ってくるからよ・・・

 

 

 

 全ては(お前)が始めた10年前の約束を、お前が生きている世界で果たすために・・・・・・

 

 

 

 「撮ってもいないのにそんなにハードル上げちゃって大丈夫か?」

 「良いんだよ。これぐらい言っとかないとどうせ起きねぇだろコイツ?」

 

 2018年6月30日。ずっと平行線を辿っていた“1つの大作映画”へ向けた物語(シナリオ)は10年の遠回りを経て、ようやく動き始めた。

 

 「・・・それは言えてる」

 

 

 

 これは、夜凪景や百城千世子が女優として活躍するよりも、孤高のハリウッドスター・王賀美陸が鮮烈なデビューを果たすよりも前に活躍した1人の天才俳優のお話と、黒山墨字が構想する“大作映画”のシナリオを書くために奔走する1人の小説家の日常と・・・・・・その周りの人間模様を描いたお話。

 

 

 

 

 

 

或る小説家の物語・プロローグ《終》

 




はい。ということで連載開始から1年5ヶ月を経て、ようやくプロローグが終わりました・・・・・・えっ?あっはい、じゃあもう一度だけ言います。

連載開始から1年5ヶ月を経て、ようやくプロローグが終わりました・・・・・・何も間違ったことは言っていません。だって章の一番上に、“プロローグ”って書いてありますから・・・・・・はい。



ということで改めて、chapter3及びプロローグもとい第一部はこれにて完結です。一応補足しておきますがこの物語はまだ終わりません。むしろここからが本当の意味での幕開けです。

ただすぐに第二部&chapter4へ移る前に、chapter3の続き&chapter 4への繋ぎにあたる話をchapter3.5として何話かお届けします。流石にここまで来て入江ミチルとの決着の行方をスルーしてしまうと今までの話は何だったんだということになってしまいますので、最低限のお約束は守ります。

しかし自分で言うのも難ですけどここまでマジで長かった。どのタイミングで目を覚まさせようかとウダウダしていたら、あっという間に1年と5ヶ月もかかってしまいました。いや~マジで超が付くほどしんどかったです正直。けれどもそういうしんどさがあったからこそ、今でもどうにか執筆を続けられているのだと僕は勝手に思ってます。とりあえず物語がひと段落した今日ばかりは嫌なことは全部忘れて幸せスパイラルを浴びるようにキメたいと思います(※お酒の話です)・・・・・・と思ってましたが、森保ジャパンが決勝トーナメントに進出したので幸せスパイラルは悲願のベスト8進出のためにとっておきます。

いやぁ・・・今回も壁を越えることは出来ませんでしたが、それ以上に価値のあるものを日本は掴んだと思います。ということでドイツとスペインに勝つという大きすぎる爪痕を残した日本代表を、今宵は幸せスパイラルで祝したいと思います。

てなわけで或る小説家の物語はchapter3.5を経て、第二部へと進みます。色々なご意見が出てくることもあるかもしれないし特に何もないかもしれませんが、これからもゴン攻めの姿勢は崩さずにマイペース&マイスタイルを貫きながら書いていきますので何卒よろしくお願い申し上げます。

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