2018年9月3日_午後6時50分_西新宿_
マンションの1階に付随している24時間営業のスーパーで2,3日は持つぐらいの食材をエコバッグにぶら下げ、フロントで“大使館レベル”と言われるほど厳重なセキュリティシステムを備えるエレベーターのカードキーを受け取り、自分の住む部屋のある34階まで一気に上がる週2日おきで必ずやる仕事終わりの
“一色十夜、“王子様オーラ全開”の買い物姿”
もちろん俺も例外ではなく、明らかに見世物として“取って付けた感”しか感じられない見出しと一緒に、スーパーで夕食の食材を買っていたところを撮られたことがある。もちろん言うまでもなくただ普通に買い物をしていただけだから、俺としては全くのノーダメージだ。というか、こんなことをイチイチ気にしているようでは芸能界という異端な世界は生きていけない。注目されるということは“そういうこと”だからだ。
ポーン_
エレベーターが部屋のある34階に着いたことを知らせ扉が開き、俺はエコバックをぶら下げながら絨毯敷きの通路を歩く。
“・・・まるで“主夫”だな・・・”
仕事が終わり、時間的には一足早く部屋に戻っているはずの姪と一緒に食べる夕食の食材を片手に歩く光景は、傍から見たらただの“主夫”みたいだ。まぁ、傍から見なくとも千夜子の食事の面倒を普段から可能な限り見ている俺はきっと主夫みたいなものだろうか。
ちなみに俺のことをよく知らない人たちから見た“一色十夜”の私生活のイメージは、やはり“一色ファミリー”の例に漏れず都心の一等地に豪邸を立てて優雅に暮らしている・・・らしい。これでも家賃100万の部屋を住処にする今の生活は一般的な水準から考えれば十分すぎるぐらいには裕福だろうけど、さすがにあそこまでぶっ飛んだ
“愛車の“
故にただでさえ年間維持費が“1ヶ月の家賃+生活費”並みにかかる車を普段使いで乗り回しながらこんな“庶民的”な買い物をしているという日常が、人によってはどこかチグハグに見えてしまうのだろう。でもそれが“違和感”でしか捉えられないとしたら、それは“高級車やスーパーカーを乗り回している連中はスーパーで買い物なんかするな”と差別しているようなものだ・・・と、つい俺は思ってしまう。
“それを言うなら慧くんなんて18で免許取っていきなり“パナメーラ”だぜ?19のときに俺が初めて買った
なんて芸能人の愛車事情は置いておくとして、ある意味これらは“天使”であることを大衆から求められる千夜子と同じような呪いに近いものだ。もちろんそれは俺や千夜子に限った話ではなく、売れるべくして売れていく大抵の芸能人は大なり小なりあれど誰しもが抱えている、言わば“ブランドイメージ”。日本の芸能界という、ただ芝居が上手いだけじゃ成り立たない商業主義の世界で生き残るためには、自分自身とはかけ離れた“もう一人の自分”とどれだけ上手く向き合いながら“本来の自分”を保つことができるのかも重要になってくる。
“『あなたがこの役を演じるのはあまりに危険すぎる・・・・・・今回ばかりは諦めなさい』”
どんなに才能に愛されていたとしても、“それ”を飼い慣らせるだけの心がなければ待ち受けるのは“死”のみだ。そうして芝居に殺され
“『うっせぇバーカ』”
「ただいま」
玄関の扉を開けると、見慣れた女性ものの靴が綺麗に揃えられていて、奥のリビングのほうへ視線を向けると部屋を出るときに消したはずの明かりが付いていた。俺の予想通り、先に着いたのは千夜子だった。
「・・・何やってんの?」
「明日から撮影が始まる映画の台本をチェックしてるの」
「見りゃ分かるけど・・・“
1階のスーパーで買った食材を冷蔵庫に片付けリビングの右奥にある自作のトレーニングルームに向かうと、部屋着に着替えた千夜子がアティテュードのような体勢を保ちながら3日前に届いた台本の最終稿を読んでいた。
「うん。だって台詞覚えるのと体幹鍛えるのが一石二鳥で出来るから」
「確かにトレーニングにはなるけどな・・・」
ただこういう光景は今までに何回か見てきているから、特に驚くこともなくツッコむ気力も起きない。
「とりあえず、“役作り”は順調そうで何よりだ」
千夜子がいまアティテュードをしながら読んでいる台本は、来年の
「もちろん。だってわたしは“女優”だからね」
叔父のトレーニングルームの中でリラックスした様子で台本をチェックしている千夜子が、体勢と視線はそのままに俺に向けて微笑む。台本に目を通すその横顔からは、とても次の日には“人殺しの女子高生”になっているなんて現実はまるで浮かんでこない。
「・・・そうだ。今日はリビングで映画でも観ながらご飯食べない?」
すると千夜子はふとアティテュードをやめて俺のほうに顔を向け、いつもはダイニングで食べている夕食をリビングで映画を鑑賞しながら食べたいと言ってきた。確かにせっかく2人きりの時間が取れているわけだからパーティーまでとは行かなくとも、リビングのソファーに座って映画でも観ながら少しばかり行儀悪くディナーを楽しむというのも偶には悪くない。
「いいけど、何で?」
「どうしても観たい映画があるんだよ。十夜さんと一緒に」
それに千夜子が実家を出て隣の部屋で1人暮らしを始めてからはお互いがあまりに忙しく、何だかんだで“食卓同盟”としてダイニングで一緒に朝夕のご飯を食べるぐらいしか時間が作れていないわけだから、こういう時間も余裕があれば必要なことだ。
「でも大丈夫か?明日は朝早いんじゃないの?」
「それは十夜さんも同じでしょ?」
それと明日はそれぞれ映画とドラマの撮影がある関係でどちらも遅くとも朝の5時半にはマンションを出なければならないから、普通に考えて睡眠時間は少しでも多く取るに越したことはない。もちろんこれだけ朝が早い場合は“2人”での朝食はなしだ。
「わたしたちは日付を回らないと寝付けない“夜行性”だから」
「眞壁くんの車でいつも仮眠取ってるくせによく言うよ」
とは言っても何だかんだで俺と千夜子は2人揃って普段の平均睡眠時間が“少ない”ことに身体が慣れ切ってしまっているから、早く寝ろと言ったところであまり関係がない。これが仮に“有名人”になってしまったことによる代償だとしたら、俺たちにしてみたら掠り傷にすらならない。
「じゃあ8時過ぎぐらいまでに作るから、もしそこの器具使うなら怪我しないように気を付けろよ?そんなんでどっか痛められて撮影に影響が出たら俺も怒られるだろうし」
「“り”」
「だから“り”って何?」
「それぐらい無駄に察しのいい十夜さんならわかるでしょ?」
「どうせ“了解”の略とかだろ最近若者のあいだで流行ってる的な?」
「正解」
「言っとくけど何でも略したらいいってもんじゃないからなこういうのは」
「そうやって“若者文化”を理解しようとしないで敬遠してたら置いてかれるよ?“王子様”?」
「あのな千夜子、“王子”だっていつかは若者文化について行けない“オジサン”になる日が来るんだよ」
「じゃあこれからの十夜さんは
「・・・相手が
と言った傍から俺の心に掠り傷を負わせてきた千夜子の言葉をいなして、ひとまず俺はトレーニングルームで自由時間を過ごす千夜子をそっちのけにして夕食を作るためキッチンへと戻った。
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1時間半後_
「今日は和風だね」
普段とは違うリビングにあるガラス製のテーブルに置かれた今日の夕食を見た千夜子が、絶妙にどっちつかずなテンションで答える。
「もう少し派手なほうがよかったか?」
「ううん、逆にこれぐらいのほうが撮影前日には丁度いいから助かる」
「そっか、お気に召してくれたようでよかった」
本日の夕食の献立は青椒肉絲風野菜炒め、昨日から作り置きしていた中華春雨サラダ、ねぎと油揚げの味噌汁、土鍋で炊いた白飯、板わさという大人しめの和テイスト。これらの献立を1人分ずつ分けて作り、隣同士になる配置で献立の乗った皿を置く。
「・・・そういえばこうやって隣り合ってご飯を食べたことって今まであったっけ?」
「まだ千夜子が小さかった頃はあったけどもう10年以上はないな。少なくとも隣に引っ越して来てからは初めてだし」
いつもならリモコン以外は何も置かれていなくてガランとしているガラス製のテーブルに置かれた夕食を見下ろしながら、千夜子が呟くように聞く。言われてみれば千夜子がスターズに入ってからは今のように隣人になるまで家族の集まりで年に1度会うかどうかぐらいだったから、こういう距離感で同じ夕食を食べるというのは本当に久しぶりのことだ。
“・・・そう考えると感慨深いな・・・”
「感慨深いよな・・・なんか」
なんて感傷に浸っていたら、心の中の声がそのまま出ていた。
「ははっ、急にどうしたのしんみりしちゃって?」
そんな俺に、まだ子供と大人の狭間な年頃の千夜子は揶揄うように笑う。きっと千夜子にはおおよそ倍の歳を重ねている俺が感じているこの感情はきっと分からないし、まだ分かる必要もないけれど、大人になればなるほどこういう何気ないちょっとしたことにすら感情が動くようになるものだ。
「大人になれば千夜子も分かるよ・・・この感覚」
全く、認めたくないものだな。自分がこんなにも大人になってしまったということは・・・
“・・・憬・・・・・・未だに夢でも見てるお前も、今ごろは俺と同じように夢の中で昔でも懐かしんでるのか・・・?”
「十夜さん?」
「・・・ん?何か言った?」
「いつまでボーっと立ってんの早く座れば?」
「・・・おう」
俺の名前を呼ぶ聞き慣れた天使の声で我に返ると、いつの間にか千夜子はリモコンを片手にソファーに座って5.1chのオーディオと連動する72型のテレビを操作して“ネットフェリックス”を立ち上げていた。俺としたことが、不覚にも我を忘れて10年も眠り続けているあいつのことを未練たらしく思い浮かべていた。少なくともこいつは、歳を取ったとかの話じゃない。
「で?何を観るつもりだ?」
「うんとね~、隣にいる“誰かさん”がまたしんみりしちゃいそうなやつ」
「何だよそれ・・・」
左隣に座りながら、千夜子は俺をあざとく揶揄いつつ目当ての映画を検索する。しかしながら俺が“しんみり”するような映画とは、何なのだろうか・・・いや“まさか”な・・・
「・・・あぁ・・・こいつか・・・」
その“まさか”が的中したかは分からないが、千夜子がチョイスした映画は俺にとっては随分と懐かしくもあり、思惑通りまともに直視していたら“しんみり”してしまいそうな
「『ロストチャイルド』・・・どう?懐かしいでしょ?」
「懐かしいっていうか・・・“ネトフェリ”にもあったんだなこれ」
前作にあたる『ノーマルライフ』でカンヌ国際映画祭の審査員賞を始めとした数々の賞を受賞し脚光を浴びた映画監督・國近独が2000年に公開した映画、『ロストチャイルド』。児童養護施設で育てられた2人の血の繋っていない兄弟をメインに“本当の家族とは何か”をテーマにした長編映画で、監督の“ドクさん”はこの映画で日本アカデミー賞優秀作品賞・優秀監督賞を受賞し業界内のみならず一般層にも彼の名が広く知られるようになった。
またこの映画で初めて映画で主演を務めた剣さん、もとい俳優の渡戸剣は日本アカデミー賞・新人賞を始めその年の邦画界における新人賞を総なめにして、それまで演劇界でしか名が知られていなかった彼が映画界でも活躍するきっかけになり、現在まで続く実力派俳優としての根強い人気に繋がった。
そして何を隠そう、この映画で主演の渡戸剣と共に大きく注目されることになる助演を務めた新人俳優こそ、かつて“10年に1人の逸材”と称された演技力で映画界を中心に世の中を席巻し、自らが書き上げた1冊の小説を置き土産に23歳の誕生日にくも膜下出血で倒れ、それから今日に至るまでの10年以上の月日をずっと
「にしても千夜子にしちゃ意外なチョイスだな。ドクさんの映画なんて今まで一度も観ようともしてなかったくせに」
「今まではね・・・でも、気が変わったの」
『ロストチャイルド』の選択画面に視線を向けたまま、千夜子は答える。もちろん千夜子が滅多に普段は選ばないようなジャンルの映画を観るときは、大抵“何かしら”の理由があるときだ。
「・・・さては今日の“打ち合わせ”でドクさんと会ったな?」
「ピンポン」
頭に浮かんだ予感を右に言うと、間髪入れずに感情の抜けた棒読み気味な“ピンポン”の声が右から聞こえた。やはり、俺の予感は昔からよく当たる。
「内容はまだ言えないけど、ひとまず今日の打ち合わせで“有難い”ことに来年の夏のスケジュールは埋まったから」
「・・・千夜子がドクさんの映画か・・・」
「なに?もしかして想像できない?」
ドクさん、もとい映画監督・國近独が演者に求めている演技は“型にはまらない”自然体の芝居。一方で千夜子がこれまでずっと“百城千世子”として作り上げてきた演技は、本性を隠す“仮面”があるからこそ成立する“型にはまった”芝居。もちろん“型にはまっている”ことが
「・・・少なくとも“今まで”のお前だとな」
そういう“型にはまった芝居”を極限まで極めたのが、16歳で日本を飛び出しハリウッドに活躍の場を移した王賀美陸のような役者だ。中には彼の芝居を“何を演じても王賀美陸”と言って不当に評価する連中もいるが、“何を演じても同じになる芝居”をちゃんと“芝居として成立させる”彼の芸当は、到底真似しようと思っても出来る芸当ではない。“型にはまらない”芝居で生きる道を突き進んでいたあの頃の憬ですら、王賀美陸という存在を“自分なり”に演じ切ることは出来たかもしれないが、本物を超えることは不可能だっただろう。
「そうだね」
そして百城千世子は、そんな王賀美陸に代わる偶像として星アリサが手塩に掛けて育て上げてきた“
「今日ね・・・学校に行ったら新名さんも登校しててさ、久しぶりに屋上で話した」
「なっちゃんか・・・あっちもあっちで卒業公演が控えて忙しいはずなのによく会えたな?」
「わたしもちょっとだけ驚いたよ。まさか同じ日にいるとは思わなかったから」
「・・・それで何か話したか?」
“
「うん・・・・・・初めて十夜さん以外の人にわたしの“本当の気持ち”を打ち明けた・・・」
“『わたしって十夜さんみたいな“天才”なんかじゃなくて周りより少しだけ器用なだけの“普通の女の子”だから、これぐらいのことをしないとわたしはこの世界で“主役”になんてなれないんだよ・・・』“
「・・・珍しいな・・・・・・幾ら仲が良いからとはいえお前が“赤の他人”に心を開くなんて、と言いたいところだけど・・・どうせ“役作り”目的でなっちゃんを利用したんだろ?」
「・・・十夜さんは勘が鋭すぎて嫌になるよ」
「生憎、原作の小説は俺も読んだことがあるからな。屋上で話したって千夜子が言った時点で予想はついていたよ」
『造花は笑う』のストーリーの中で、親を殺した主人公は最終的に校舎の屋上に親友を呼び出してずっと隠していた“真実”を告げて、親友と心中をしようとする。恐らく千夜子は仲の良い親友にずっと隠していた心の内を明かすときの感情が一体どういうものなのか、それを確かめるために数少ない友達の1人でもあるなっちゃんを“踏み台”にしたんだろう。
「・・・これじゃあやってることがまるで悪魔ね、わたし」
「気にするな。自分以外の身の回りモノは全て“喰い物”の役者にとっては当然のことさ」
もちろん、千夜子がクラスメイトの友達をそうやって“喰った”ことについては一切怒っていないし、そもそも怒りの感情なんてない。何なら役のために俺を喰いにきたとしても、俺は千夜子のことを“同じ役者”として何の迷いもなく受け入れる。
ただし・・・“喰う喰われる”が逆になったとしても、その時が来たら“同じ役者”として一切の容赦はしないが。
「あとさぁ・・・さっきからシンプルにうざいんだけど」
「ごめん。幾らなんでも“利用した”って言い方は良くなかったな」
「そんなだから30半ばになっても独身なんだよ」
「かもしれないな」
「もっと“環さん”を見習えダメ人間」
「“レン”は関係なくないか?」
「“パパラッチ”」
「だからあれは違うって言ってんだろ」
という感じで見事に思惑を当てた俺に、千夜子はそっぽを向いて分かりやすく拗ね始めた。言い方をもう少しオブラートにしておけばよかったかもしれないということはともかく、ここまでダメージを食らうとは思わなかった。
「・・・・・・なんちって」
なんて思っていたら、千夜子はいきなり隣に座った俺に顔を向けて“してやったり”と言いたげな表情で笑いかける。
「・・・演技力をこんな下らないことで使うなよ」
「ごめんごめん。でも“うざい”って思ったのは半分本当だから」
「俺が悪いんだけど一番傷つくなそれ」
「自業自得のくせに」
こんな感じで千夜子は時々、自分が10年間努力して身に付けた“プロ意識”を俺に見せつけてくる。
「でも・・・“こういう芝居”も出来るようになったんだな・・・千夜子」
ただ意外だったことは、千夜子が俺に仕掛けた芝居に“百城千世子”がいなかったということ。本当の感情が分からない仮面をつけた芝居ではなく、素の感情が乗った限りなく“自然体”に近い芝居だということ。
「うん・・・だってこれからも“女優”をやっていくなら、いつまでも“天使”のままじゃいられないしね」
今までとはひと味違う芝居に騙された俺に仮面のない“ありのままの素顔”がクールに微笑む。少なくともこういう演技指導は、スターズではまず行うことはない。きっと千夜子は明日から撮影する映画での役作りの過程、あるいはその前の段階で何かしらを“喰った”。恐らくそれは、今まで千夜子が経験したことのなかった何かだ・・・
「・・・そうだよな・・・・・・いつの時代にも“ライバル”はいるから、立ち止まるわけには行かないわな・・・」
それが何かまでは“第六感”を持ってしても簡単には出てこない。けれど・・・千夜子が感じたであろう“
「・・・それより食べないの?早くしないとせっかく土鍋で炊いたご飯が冷めちゃうよ?」
「それもそうだな」
不覚にも目当ての映画が始まる前に再び“しんみり”してしまった俺に、もっともな一言が刺さる。千夜子の言うとおり炊き立てのご飯がある前でこんな時化た話題なんかをしていると、せっかくの夕食も不味くなってしまう。
「美味し糧」
「美味し糧」
この話の続きは、夕食を食べながら
お待たせしました。次回から主人公のターン、もといchapter4がスタートして物語は次なる舞台である2001年に向かいます。