或る小説家の物語   作:ナカイユウ

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scene.77 好きになってよ

 「ところであずさは・・・・・・サトルやホリミィのような役者をどう思う?

 

 自分たちの1つ前を行く赤いゴンドラに一瞬だけ目線を向けた十夜は、サングラス越しに永瀬の目を真っ直ぐに凝視して、静かに問う。

 

 「・・・あの、“どう思う”って言うのは?」

 「そこまで難しい話なんかじゃないよ。2人の“芝居”を知ってるあずさだったら、ほんの少し考えれば分かることだからさ・・・」

 

 フレンドリーながらもどこか意味深に笑いかける“スターズの王子様”からの視線と感情に、永瀬は心の中で感じている動揺を隠しながら問われた意味を自力で考える。

 

 「・・・どう表現するのが正解なのかは分かりませんけど・・・・・・憬さんと杏子の芝居は、私たちがアリサさんから教えられた芝居とは正反対のものだと、私は思っています・・・

 

 

 

 “『・・・これは極論だけど、恐らく彼は相手を好きになる役なら相手の事を本気で好きになるし、相手を殺す役を与えられたら本気で人を殺すつもりで芝居をするだろうね・・・』”

 

 

 

 「・・・これはあくまでオレの知り合いが言ってたことの受け売りになっちゃうけど、例えばああいうタイプの役者は相手を好きになる役を与えられたら、相手のことを本気で好きになるくらいその役に入り込んじゃうだろうね・・・

 

 数秒ほど考え込んで問いかけに真摯に答えたあずさに、俺はスターズのオーディションを受けていた頃に“幼馴染”から助言として言われた持論を打ち明ける。

 

 「所謂“メソッド演技”ですよね」

 「その通り。アリサさんが世の中で一番恐れていると言っても過言じゃない演技方法だよ」

 

 ちなみに“ホリミィ”こと堀宮杏子とは、この月末に公開される予定の映画の撮影で初めて共演して以来、通っている学校が同じということもあってか何かと連絡を取り合っているくらいには近しい関係だ。ただ、互いが忙しいおかげで直接的に会うことは少ない。

 

 「でも既に一度だけホリミィと共演しているオレから見れば、あの2人は同じくメソッド演技を駆使した没入度の高い芝居を武器にしてるけど・・・その“本質”は全然違うんだよ」

 

 そんな彼女と初めて会うことになった、俺が初めてのドラマ出演にして初主演を任されたドラマ・『学園探偵・ケイト』の劇場版の撮影現場。犯人の妹役としてカメラの前に立って演じていた杏子の芝居は、普段の良くも悪くも小生意気で今どきな女の子のような雰囲気はおろか人格すらもそっくりそのまま演じている登場人物に移り変わったかのごとく、別人になりきっていた。

 

 

 

 “『世の中には、技術だけじゃどうすることもできない“領域”を隠し持った役者がいるのよ』“

 

 

 

 それはまるでいつか見た、生まれながらにして技術や人知を超えた“領域”に達している2つ年下の役者(にんげん)の芝居を目の当たりにした衝撃を彷彿とさせるようなものだった。

 

 

 

 「・・・確かあずさってサトルともホリミィとも共演したことないんだっけ?」

 「はい。杏子は幼稚園のときからの付き合いなので普段だとよく話したりしてましたけど、現場が同じになったことはないですね・・・憬さんに至ってはお会いするのも今回が初めましてです」

 「そっか・・・生で芝居を視てないってなると、中々伝わらないよなぁあれは・・・」

 

 

 

 “『どう監督?あたしちゃんと泣けてた?』”

 

 

 

 カットがかかったその瞬間、カメラの前に立っていた犯人の妹の姿はどこかへと消え去り、瞬きを終えたときには普段の堀宮杏子に戻っていた。そんな彼女の役柄が自分の身体から抜ける一瞬をカメラの外から視た俺は、憬と杏子の芝居は同じモノを武器にしていながらもその性質は大きく異なっているということを知った。

 

 

 「もちろん憬さんの芝居がどういうものなのかは、『ロストチャイルド』などを観ているので私にも分かります・・・何というか、杏子と同じメソッド演技のはずなのに、言葉にできない“異質”さがあったというか」

 「すごいじゃんあずさ、ただスクリーンで観ただけなのにあんな些細な演技の違いに気付けるなんてさ?」

 「いや・・・杏子のことは友達として子役のときからずっと応援し続けているから、どういう芝居をしているのかは何となくですが分かっているつもりなので・・・これはその延長線上に過ぎません」

 

 ただ2人の芝居のそれぞれの性質は実際に現場でオンオフを目撃しないと伝わらないところがあって勝手に心配していたけれど、さすがは星アリサに“忖度無し”で選ばれてグランプリを獲っただけあって、あずさの勘はそこら辺の俳優(ひと)よりも冴えていた。

 

 「てことはもうあずさは、あの2人が役者として“どう違う”のかは何となく分かってるってことだね?

 

 実際に同じ空気で2人の芝居の違いを体感していないから完全ではないが、明らかに違いの“正体”には薄々気付き始めていることを確信した俺はもう一度だけあずさに揺さぶりをかけてみる。

 

 「・・・・・・まだ同じカメラの前に立っていないので言い切れる自信はありませんが、“何となく”なら想像はできているつもりです

 

 そんな俺からの揺さぶりに、あずさは謙虚な姿勢はそのままに目の前に座っている俺の目を真っ直ぐ見つめながら自信を持って答えた。

 

 “よし・・・良い感じに燃えてきた・・・

 

 そして彼女の濃紺(ネイビーブルー)の瞳に内に秘める静かな闘志が見え隠れしたのを視た俺は、最後までとっておいた“メインディッシュ”の意思確認(しつもん)をあずさにぶつけることを決めた。

 

 「じゃあ聞くけど・・・・・・あずさ的にはサトルとホリミィ。“危ない”のはどっちだと思う?

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・もう、いいよ

 

 暗闇の先から聞こえてきた約束の“5秒”を告げる合図に、俺は恐る恐る閉じていた瞼を開いて視線と意識を現実に戻す。だが、今まで生きてきた中で経験したことのない動揺に襲われている俺は目の前に広がる現実を受け入れられずにいる。

 

 「ごめん・・・びっくりした?

 

 恐らく完全に心ここにあらずの状態になっているであろう俺に、いつの間にか被っていたキャップが取れて肩あたりまで伸びるサラッとした亜麻色の髪の全貌が露わになった堀宮は、目の前の背もたれから身を乗り出し右手を俺の左頬に伸ばし添えながら少しだけ心配そうな表情を浮かべ静かに語りかける。俺を真っ直ぐに見つめるその表情がまた“絶妙”なせいで、冷静になろうとする気持ちに反して心拍数は動揺で更に上がり始める。

 

 「・・・びっくりしたとかじゃないですよ・・・・・・だって・・・

 

 本当に一瞬だった。“目、閉じて”という言葉に渋々と従いゆっくりと目を閉じたその直後、ゴンドラがほんの僅かに揺れたのと同時に、柔らかな唇が心地よい体温と共に口元に優しく触れてすぐにまた離れた。

 

 「・・・やっぱり嫌だった?

 「嫌、っていうか・・・いま起きてることが現実なのか夢なのか・・・もう、自分でも訳が分からなくなってるっていうか・・・・・・すみません

 

 幾ら自分の気持ちを言葉にして返そうとしても、完全に頭の中がショートして“目を瞑っていた5秒間”をループし続けるせいで、自分でも何を言っているのか分からなくなるほど真っ白になっている。

 

 「・・・それもそうだよね・・・

 

 どうにかして言葉にならない自分の意思を伝えた俺を見つめる堀宮は、そう言って儚げに笑うと俺の左頬に添えていた手をそっと放して目の前の背もたれにもたれかかり、左手に持っていた黒いキャップを再び深く被ると少し恥ずかし気な表情を浮かべながら外の景色に目を向ける。

 

 

 

 “・・・・・・雅?

 

 

 

 「・・・・・・“雅”?

 

 その姿と横顔が“千代雅”とリンクしたように感じた俺は、無意識に“幼馴染”の下の名前を呼んでいた。

 

 「・・・えっ?“”なんてここにはいないけど?」

 「・・・・・・」

 

 そして久しぶりに千代のことを雅と下の名前で呼んだ俺に、雅が現実に引き戻す言葉をかけたことで徐々に心が我に戻っていき冷静になっていく。

 

 「・・・完全に我を忘れてましたね、俺」

 「うん。完全に我を忘れて入り込んでたよ。“純也(やく)”に」

 

 幾分か冷静さを取り戻してようやく置かれている状況が鮮明に見えてきた。どうやら俺は、突如として向けられた感情にまんまと乗せられて自分を見失い、雅と全く同じ表情(かお)をしていた堀宮を視て、ついつい我を忘れ純也の感情に入り込んでしまった。

 

 「じゃあ・・・ “キス”をしたのもそういうことですか?」

 「“そういうこと”になるね。だって原作で純也(ジュン)から不意打ちでキスされた雅みたいに突然キスされたら人ってどんな顔をするのかっていうのがあたし的にどうしても気になってさ・・・それでちょうどあたしの目の前にいる相手役(さとる)を使って試してみたくなった・・・・・・ってところかな

 

 こうして俺は堀宮から予期せぬ形で台本でも演出でも何でもない、人生初のキスをされた。もちろんこれらは全て、雅の役作りをしていた堀宮の“策略”に完全に踊らされていただけだ。

 

 「観覧車に行こうと言っていたのも、まさかこの為だけに?」

 「さすがにそれは“マグレ”だよ・・・でも、今日じゃなくても台本(ホン)が届くまでのどこかでさとると1対1でこんな感じで話せるシチュエーションは作っておきたいって、ずっと考えてた」

 

 早い話が、俺は堀宮から雅の感情を掴むための“道具”としてまんまと利用された。

 

 「だからって・・・いきなり“キス”なんかする必要はあったんですか?」

 「あるよ。だって不意に“キス”されたときの表情なんて漫画の絵とかドラマみたいに作られた感情を参考にしたって分かんないからね・・・だから“リアル”な表情を題材の1つってことで参考にして、そこから雅の性格だとか境遇を取り入れて役の感情を組み上げる・・・・・・こんな感じであたしはずっと自分の役柄を作ってきた・・・ま、役作り目的で人に“キス”なんてしたのはこれが初めてだけどね?」

 

 堀宮は真っ当なやり方かはともかく役者として間違ったことはしていないから、その方法が今のような際どいものだとしても、同じく自分の芝居で利用できるものは利用してきた俺にはこの人を悪く言える筋合いはない。たまたまやり方が違うだけで、やっていることの本質は変わらない。

 

 「ごめんねさとる・・・でもこれがあたしの“やり方”だから、悪く思わないでくれたら嬉しい」

 「・・・別に悪いとは思ってないですよ。自分の芝居に利用できるものはどんなものでもとことん利用するのが、どうせ役者って生き物だと俺は思ってるんで

 

 やや申し訳なさそうな表情を浮かべて相手が共演者(おれ)だということを良いことに自分がしたことを正当化する堀宮を、俺はその行為を庇うような言い分を交えつつ思っていることを正直に話す。

 

 「けどさ、ぶっちゃけ最悪な気分でしょ?人生初のキスがこんな感じの訳分からないドッキリみたいな茶番だなんて」

 「確かに騙されたって気分は否めないですね」

 「“人生初”なのは否定しないのね?」

 「まぁ・・・それはホントなんで」

 「はははっ、もうさとるは素直でかわいいな~」

 「だから頭を撫でたら機嫌がよくなるのは犬ぐらいですからね杏子さん?」

 

 こんな感じでジェットコースターのように心境が変わっていく堀宮とは、こうやって一緒にいると未だに振り回されっぱなしだ。

 

 「でもさとるって属性で言うと犬じゃね?」

 「“属性”って何すかもう・・・」

 

 そしてまた女優モードが切れて元に戻った堀宮は、ダル絡みをしてくる少しめんどくさい面倒見の良い先輩女優に戻って、犬を躾けるかのように俺の頭を撫でる。そんな普段の様子からは、女優・堀宮杏子が努力家だということは微塵も感じられない。

 

 

 

 

 

 

 “・・・堀宮も出てたんだな・・・このドラマ・・・

 

 

 

 まだ横浜の実家から事務所や撮影現場に通っていた中3のとき、偶然にも実家にあったコレクションの中に子役時代の堀宮が出演しているドラマがあって、受験勉強の合間に興味本位で鑑賞したことがあった。しかもそのドラマは俺が牧のことを知るきっかけになった小学校を舞台にした学園ドラマだった。

 

 

 

 “下手じゃないんだけど・・・・・・なんか中途半端な芝居だな・・・

 

 

 

 そのドラマで堀宮が演じていたのは、牧が演じるいじめグループのリーダー格の取り巻きBといったところの役柄で、言わば典型的な脇役だった。そして肝心の演技力はというと、一言で言えば演じている役の感情が視えてこない薄味な芝居(モノ)だった。決して“大根”というわけではなければ、最初の頃の蓮みたいな経験不足ゆえの拙さもない、ひとまず演技として普通に観れるレベルなのだけれどイマイチ役を掴み切れてない感じが随所に現れた深みがない中途半端な芝居だった。例えるなら子役が無理して大人ぶって悪人を演じているような感じで、結果的にリーダー格を演じていた牧の子役離れした怪演の良い引き立て役になっていて、観終わってみれば堀宮の役は何の印象にも残らなかった。だから俺はリアルタイムで観ていたときに、堀宮がいたことに気付けなかった。

 

 

 

 “そうか・・・だから堀宮は牧のことをあんなに・・・

 

 

 

 あれから5年以上が経ったいまの堀宮は取り巻きBを演じていたときとは比べ物にならないくらい演技力が跳ね上がり、はつらつとしていて可愛らしい見た目に反した没入度の高い芝居を武器にすっかり人気女優の仲間入りを果たしている。もちろん本人からは直接聞いていないから憶測になるが、きっと堀宮にとっては同世代の天才子役・牧静流との共演が大きな転機になって、今の活躍に繋がっているのかもしれない。

 

 そして子役時代からの演技の進化と無邪気な笑みに隠された女優としての覚悟を目の当たりにして、堀宮は天才ではなく根っからの努力家だということを知った。言うまでもなく、当の本人はそれを他人から察せられるのを嫌っているから、その努力を天真爛漫な無邪気(ベール)で覆い隠す。

 

 

 

 それが堀宮の女優(ひと)としての在り方ならそれで構わないし、ただの後輩の俺がとやかく他人の流儀に文句をつける資格はない。だとしても、このまま俺だけが弱い部分を暴かれたまま負けっぱなしで終わるつもりもない・・・

 

 

 

 

 

 

 「それと、“キス”についてはちっとも最悪だなんて思ってませんよ。ただあまりに突然すぎたからある意味ショックは受けましたけど、こっちもこっちで“収穫”はありましたから

 

 このまま利用されたままでは終われないという役者としての性が出て、俺は堀宮に喧嘩を売るに等しい本音をぶつける。

 

 「“収穫”って?」

 「それは・・・」

 

 

 “『ごめん・・・びっくりした?』”

 

 

 「・・・どうして杏子さんが蓮と俺が親友だってことを知っているのか、これで聞けるからです

 

 つもりが、5秒が経ち目を開いたときに堀宮が魅せた表情が頭に浮かんだ俺は、思惑とは違う言葉を口にしていた。

 

 「ホントに?」

 「えぇ、多分」

 「多分って?」

 「多分は、多分ですよ」

 

 案の定、それが本音かどうかを突っ込まれた俺は思わずどっちつかずな返答をしてしまった。これじゃあ反撃どころか、却って返り討ちもいいところだ。

 

 「・・・まいっか。最初からそういう約束でさとるは律義に目を瞑ってくれてたし、あたしの役作りに協力してくれたお礼ってことで教えてあげるよ。蓮ちゃんのこと」

 「・・・はぁ」

 

 と、色々と根掘り葉掘りを聞かれて墓穴を掘ってどんどん役作りの肥やしにされていくことを覚悟したが、堀宮はあっさりと話題を逸らしていった。本当にこういう変なタイミングで無頓着になるところも含めて、この人は何を考えているのか時々分からなくなる。

 

 「でもその前に・・・・・・“追加”でもう一個だけどうしても約束して欲しいことがあるんだけどいいかな?

 

 なんてほんの一瞬の油断が見透かされたのかは分からないが、堀宮は直前になって“条件”を追加してきた。

 

 「・・・もし嫌と言ったら?」

 「教えない」

 「幾らなんでも言ってることが滅茶苦茶だよアンタ

 

 気の知れた先輩からのお願いとはいえ理不尽の度が過ぎる要求に、思わず口調が少し荒くなった。けれど、これぐらいの無礼は水に流してほしいくらいには心の底から“は?”と人格を疑いたくなる気分だ。

 

 「別に約束して欲しいってだけでそれを守れなんて一言も言ってないけどなぁあたし?」

 「・・・それはどういう?」

 「だから、あたしが今から言うことに“はい”と答えてくれたら、それを守るか守らないかは関係なく今度こそちゃんと教えてあげる」

 「さっきから杏子さんのやってることって“カツアゲ”と何ら変わらないですからね?」

 「大丈夫だよお金は取らないし次はちゃんと“マジのマジのマジ”でさとるに言うから」

 「うわ出た杏子さんお得意の“マジのマジ”。いい加減もう騙されないっすよ俺?」

 「まあまあ話を最後までお聞きなさい“さとるお坊ちゃま”

 「誰が“お坊ちゃま”だコラ?」

 

 先輩からの理不尽な要求と如何にも弄んでいるオーラ全開のニヤケ顔のコンビでさすがに尊敬よりもイライラが勝り始めた俺に、堀宮はどこ吹く風と言わんばかりに一切気にも留めずに自分のペースで話を進めていく。

 

 「言っとくけど・・・これはあたしにとってはもちろんだけど、何よりさとるにとってもジュンを演じるうえで“メリット”しかない大切な約束だから安心して聞いてほしいんだよ

 

 そしてイライラのせいでまた冷静さを失い始めていた俺に、堀宮は再びどこか不敵な笑みを浮かべながら立ち上がると半ば強引に俺の右隣に座り込む。

 

 “さっきからマジで何を企んでんだ・・・堀宮(この人)は?

 

 それにしても、今日はいつもと比べても一段と感情の移り変わりが激しくて何だかシンプルに様子がおかしい・・・ということを足を組んで座る右隣に思い切り言ってやりたいところだけど、女優モードに入ったときの色々な感情が混ざり合った本気の視線から直視されると、底知れない緊張感で気が引き締め付けられて平静を装うので精一杯になる。

 

 「で・・・“マジのマジ”で何ですか?その“約束”って言うのは?

 

 もちろん、この状態になってしまった堀宮を止める術を持ち合わせるほど、俺はまだ強い役者(にんげん)にはなれていない。

 

 「お、やっと乗り気になった」

 「“かまってちゃん”な先輩に妥協してやっただけです。勘違いしないでください」

 「へぇ~、さとるにしては大胆なこと言うじゃん?」

 「俺だって役者です・・・ただ利用されっぱなしで終わるつもりはないんで

 

 ただ、こんなふうに止めるまでは行かなくとも同じベクトルで張り合えるぐらいには、役者(にんげん)として強くなれた。と思う。

 

 「・・・よし分かった・・・・・・その“喧嘩”・・・10年に1人の天才女優の堀宮杏子が引き受けよう・・・

 

 そして流れでやっと言えた宣戦布告の言葉に、堀宮は無邪気さと不気味さが同居した笑みで俺の顔を覗き込むように凝視ししながら“喧嘩”を買って出た。しかしながら、自分のことを堂々と“10年に1人の天才”だと何の疑いもなしに堂々と言える自信と、その自信を裏付ける実力と努力だけは悔しいけれど今の俺では到底かなわない。

 

 

 

 “『あたしは堀宮杏子。2年後ぐらいには牧静流を名実共に追い抜いてる予定だけど、基本的にみんなとは仲良くするのがモットーだから気楽な感じでよろしく』”

 

 

 

 そんな堀宮の女優(やくしゃ)として誰にも負けない確たる覚悟だけは、初めて会った日からずっと俺は尊敬している。

 

 「てことで早速だけど・・・・・・あたしのこと“好き”になってくれない?

 

 もちろん、そのことを直接口にして伝えたことは一度もない。

 

 「・・・・・・それはあくまで“役”としてってことですよね?

 「“もちのろん”だよ。だって共演者同士がリアルでそうなってスキャンダルでも起こされたらあたしたちのキャリアに傷がつくし」

 「言ってることが真っ当なのはともかくさっきのキスのせいで何一つ説得力がないんですけど・・・

 

 こうして右隣に座る堀宮の口から新たに告げられた約束は、自分のことを“好き”になって欲しいというもの。当然ながらガチではなく、あくまで“”としての話なのはもう分かり切っているから、さっきみたいに取り乱しはしない。

 

 「つまり、ドラマの撮影を通じて俺に雅のことを“純也”として本気で好きになってほしいと?」

 「端的に言えばそうなんだけど、ぶっちゃけそれだけじゃまだ足りないんだよね?」

 「足りない?」

 「さとるならもう分かってると思うけど、メインキャストのあたしたちは“その他(助演)”の共演者(ひと)たちからしてみれば“面白くない”存在なわけよ・・・・・・そんな円滑にスケジュールが進んでなんぼのドラマの撮影で“御法度”も同然な状況を上地さんたちが作り上げたのは」

 「俺たちメインキャストは大人から俳優としての価値があるかどうかを“試されている”

 

 そしてオファーの裏側を上地と黛から教えられている俺は、堀宮の言葉を遮って持論を展開する。ちなみに堀宮が説明していたのを遮ったのは、土壇場で条件を増やされたことへのほんの些細な仕返しのつもりだ。

 

 「ま、100パー正しいって保証はないけどそんなとこね」

 

 ただ相手はそんなことで熱くなるような単純な人間じゃないから、気にも留めずにスルーされた。俺も俺でこうなるだろうと何となくは分かっていた部分もあるから、特にこれといって思うこともない。

 

 「ということだから、あたしたちはただ仲良くクラスメイトを演じ切るだけじゃなくて、“共犯者”になってあたしたちのことを視ている全員(みんな)を演技で黙らせないといけないってわけ・・・もちろん“仕掛け人”のプロデューサーも含めてね?

 

 とにかく俺たちメインキャスト4人は互いがライバルであるのと同時に、今回のドラマにおいては絶対に1人として欠けてはならない協力者であり、“共犯者”だ。改めて、チャンスとはいえとんでもない箱舟に乗ってしまったという思いが、日を追うごとに高まっている。

 

 

 

 “『ユースフル・デイズ』の撮影が終わったら、そろそろ自分でも仕事を選ばせてほしいって思い切って“おやっさん”に直談判してみるか・・・・・・ちょっと怖いけど

 

 

 

 「だから・・・・・・あたしが演じる雅のこと、本気で“好き”になってよ

 

 来月に迫る撮影のことが頭をよぎり意識が一瞬だけうわの空に向いたところで、背もたれに置いていた左手の甲に堀宮の手が優しく被さる感覚を覚えた。

 

 「さっきのさとるみたいに・・・・・・“好き”って感情を向けられたあたしが本当に我を忘れて役に入り込んじゃうくらいね?

 

 そして徐に俺の左手からその手を離すと、堀宮はウインクをしてスッと立ち上がり目の前の定位置(背もたれ)に戻る。

 

 

 

 “『でもさとるのそういうちょっと“冷めてる”ところ、あたしは“らしく”て割と好きだよ』”

 

 

 

 「・・・分かりましたよ・・・・・・杏子さんからの喧嘩は・・・同じく“10年に1人の天才俳優”、夕野憬が引き受けます・・・

 

 左手に優しく触れた心地よく暖かい体温と碧眼の瞳から放たれる視線に“あの日の笑顔”がフラッシュバックした俺は、おおよそ普段の自分は言わないであろう大それた強がり(本音)で先輩女優からの“喧嘩”を買って出た。

 

 「・・・ねぇさとる?それってひょっとしてあたしのマネ?」

 「違います。とりあえず今のは一旦忘れて早く蓮のことを教えてください

 

 無論、口から溢れ出た強がりは次の一言目には立派な“黒歴史”になっていた。




喧嘩の基本は、タイマンだ_



エミリア・ロマーニャGP、イタリア北部における歴史的な水害により開催中止・・・・・・時速300kmオーバーを軽く出せるマシンを作れるテクノロジーを持ってしても、悲しいことに自然の摂理には手も足も出ないのが人類の現実。
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