主人公は告白童貞
「僕、高校に入学してから一度も鳩山さんに告白したこと無いです」
「「「 はぁあああああっ!? 」」」
僕のカミングアウトに教室内どころか廊下で聞き耳を立てていた生徒も巻き込んで驚愕の声が上がる。
いや、その、いくら何でも驚きすぎでは……?
「日高っ!」
「へ?」
「おまえ、それマジで言ってんのかっ? 目立とうとしてウソついてるとかじゃなくて!?」
「う、嘘はついてないけど……」
「……ありえねぇ」
杉戸君が驚愕の表情で僕を揺さぶるけど、実際に鳩山さんには告白してないんだからそれ以外に答えようがないわけで。
「なぁ、美樹。本当に日高の奴から告白されてないのか?」
「え? うん……。そのはずだけどぉ」
僕の背後ではクラス一のイケメンである北本君が鳩山さんに確認している。それに対して鳩山さんはちょっと不安そうではあるものの、ハッキリと僕は告白をしてないと答えてくれた。まぁ、実際してないんだから鳩山さんの記憶は正しいってことだと思うけど。
……んん? いやちょっと待って。もしかして鳩山さんって入学してから今日までの間に告白してきた人間のこと全て記憶してるってこと……? そんなこと可能なの?
「マジかよ、日高……」
「今年の四月に入学した新入生だってもう全員告白済みなのに……?」
「確か去年卒業した三年生の先輩らも全員告白してたよな?」
「そのはずだよ。ついでに言うと、ウチの学年の男子も全員告白済み……と思ってたんだけど」
「たまげたなぁ」
えっ…と、ちょっと計算してみよう。ウチのクラスの人数が三六名。うち、男子が一八名。で、それが各学年六クラス分だから一〇八名。他のクラスと学年まで同じ人数かは知らないけど、同じだと仮定して三学年分……あ、いや去年卒業した先輩分を追加して、そこから僕を抜くと…………四三一名。
……四百人越え!? 鳩山さん、それ全部覚えてるの!? もしかして完全記憶能力とか持ってたりしますか!? とある魔術のシスターさんとご同類!?
そんな風に僕が心の中で鳩山さんのチート染みた所有スキルに戦慄していると、何故か動揺から回復したらしい男子一同から憐憫の眼差しで声をかけられた。解せぬ。
「……日高」
「おまえって…」
「さすがの某もこれには苦笑い」
「どんだけ……」
「どんだけ奥手なんだよ」
あ、そういう?
「まさか日高が休み時間告白童貞どころか、告白童貞だったとは」
「おまえがナンバーワンだ」
「さすがチェリー日高氏」
「チェリー日高……」
「そうか、チェリー日高だもんな」
待って、みんな何を納得したの?
あとチェリー日高はやめて。切実に。社会的に死んじゃう。
「ま、でも……こーいうのをケガの功名って言うんじゃねーの」
「杉戸君?」
「俺もまさか日高が告白童貞とまでは思わなかったけどさ、いい機会つーか、絶好のチャンス到来的な?」
「え?」
なんとなく生温かい眼差しで僕の肩を優しく叩く杉戸君が、訳知り顔というかしたり顔で僕の耳元で囁いた。
「奥手なお前にちょうどいいじゃん。いま、鳩山さんに告っちまおうぜ」
コクハク? ナニヲ イッテルノ?
「ひーだーかーくん?」
「は、鳩山さん……?」
瞬間、背後から投げかけられた声に僕の背筋はゾワリと凍り付いた。
いつも教室に響く蜂蜜のように甘ったるい声音と同じはずなのに、どうしてその声はこんなにも粘つくように僕の鼓膜に絡みつくのだろう。
「もー、そんなに緊張しなくてもいーのにぃー」
「いや、僕は…その……」
まるで錆びた機械のようにぎこちなく、ゆっくりと振り向いた先には花が咲いたような笑顔を浮かべる少女が居た。
その姿は庇護欲をそそられるように儚くて、自分のすべてを委ねてしまいたくなるほど包容力に満ちていて、白磁のように艶やかで滑らかな肌は色白で、蠱惑的に、奥ゆかしく、艶めかしいほどに純情な薄紅色の唇がゆっくりと開いては閉じてを繰り返す。
「いいよぉ。日高くんもー、なぁんにも遠慮しないでぇ──」
小柄な彼女は少し屈むようにして僕の顔を覗き込み、ちろりと舌なめずりしながら上目遣いでその言葉を囁いた。
「────美樹のこと、愛して?」
噂には聞いていた。
鳩山美樹という少女の愛らしさを、可憐さを、その妖艶さを──。
けれど、実際にこうして至近距離でまじまじと見てしまえば、その声を聴いてしまえば、その語彙が如何に貧相で貧弱で相応しくないかを否応にでも理解させられてしまう。
どんな言葉を紡いだとしても、眼球から直接脳を焼き尽くすような彼女の美貌は称えることはできないだろう。耳からするりと入り込んで脳を直接溶かし尽くすような彼女の声音を例えることはできはしない。
なるほど。こんな彼女と恋仲になれるチャンスがあるというのなら、学校中の男子生徒が夢中になるというのも頷ける。納得だ。
「は、と……やま、さんっ」
ああ、ダメだ。どうしても声が震えてしまう。自分がいま息を吸っているのか、吐いているのか、それすらもう判然としなくて、もはや呼吸すらままならない自分の惰弱さに笑えてくる。
吃りながら何とか手繰り寄せた言の葉を一音一音繋ぎ合わせて、僕はどうにかこうにか彼女の名前を呼んだ。
「なぁにぃー?」
そんな情けない僕を頑張れと励ますように、幼子を応援する母親のように、彼女の慈愛に満ちた瞳が怪しく煌めいた。
その潤んだような茶褐色の瞳の輝きに、目が離せない。息が詰まって、意識が呼吸を忘れて、本能が生きるために無理矢理呼吸を再開させる。一回息を吸う度に、自分の中のナニかが剝がれ落ちるような錯覚を覚えた。一回息を吐く度に、自分の中のナニかが削ぎ落されるような幻痛を覚える。気づけば彼女以外の姿は見えなくて、この世界のすべては彼女と僕以外には存在しなくて、僕と彼女の吐息以外の音は聴こえない。
僕は、本当にこの気持ちを彼女に伝えていいのだろうか。不敬ではないか。畏れ多い。けれど、伝えずにはいられない。この想いを言葉にしないなんて、そんな不義理なことは
「ぼ…く、は……」
「ぼくはぁ……?」
ずっと胸に秘めてきた。心の奥底に蓋をしてひた隠しにして、誰にも伝えずに今日まで生きてきた。
ずっと羨ましかった。妬ましかった。誰憚ることもなく、自分の最愛の人の名前を気軽に呼ぶことの出来るクラスメイト達が、誰に遠慮することもなく思いの丈をぶつけられる彼らが。
「っ……」
そうだ。僕は彼らを気遣ってなんていない。ただただ一人身勝手に嫉妬して、諦めて、傍観者を気取っていただけだ。
僕みたいな容姿も才能も何もかもダメな人間が何を言っても受け入れてもらえないと最初から挫折して、チャレンジすることもせずに投げ出していたんだ。
「僕は……!」
誰にも伝えず、隠し通すつもりだった。きっと誰にも受け入れてもらえないと理解していたから、だからバレないように擬態していたのに……。
けれど、いま目の前にいる少女はそんな弱い僕のすべてを甘受してくれるのだと、そう確信してしまったから。彼女はきっとこれまで僕の抱いていた恋慕の情すべてを吞み込んでくれるのだと、そう本能が理解してしまったから。だから、僕はこの想いを彼女に伝えよう。彼女がその勇気をくれたから、彼らがそのキッカケをくれたから、もう自分の殻に閉じこもるのはやめよう。
「ぼぐっは……っ」
あぁ、クソッ! どうして、こんなときに涙が止まらないんだ。どうして、涙を堪えようとすると嗚咽が止まらないんだ。
下唇を嚙んで、拳を握り締めて、それでも溢れて止まってくれない感情の濁流に僕は屈してしまう。膝から頽れて、両手を床に着いて、結局何も出来ない自分自身の心の弱さに絶望して、そうして──。
「あきらめんなよ、日高っっっ」
そんな僕の耳に、杉戸君の怒ったような泣いているような、そんな叱咤の声が飛び込んでくる。
驚いて顔を上げた僕の眼前には、杉戸君の怒りに震えて涙に揺れる顔が迫っていて、彼の渾身のヘッドバッドが僕の額に突き刺さった。
「つぅっ……!?」
衝撃と同時に額に広がる鈍痛。驚きと痛みに呻く僕にかまわず、彼は僕の両肩に手を置くと強く、強く強く強く握りしめて、こう言った。
「ずっと待ち焦がれてたんだろ、こんな展開を! 誰かが告白を成功させるまでの場つなぎじゃねえ! 主人公が登場するまでの時間稼ぎじゃねえ! 他の何者でもなく! 他の何物でもなく! テメエのその手で、たった一人の女の子に告るって誓ったんじゃねえのかよ! ずっとずっと主人公になりたかったんだろ! 絵本みてえに映画みてえに、命を賭けてたった一人の女の子に告白する、そんな青春がしたかったんだろ! だったらそれは全然終わってねえ!! 始まってすらいねえ!! ちっとぐらい長いプロローグで絶望してんじゃねえよ!! ──手を伸ばせば届くんだ。いい加減に始めようぜ、青春!」
なんか何処かで聞いたことがあるようなセリフだけど気のせいかな……?
動揺でくるくるユラユラしてピヨピヨ状態の僕の脳みそは未だ正常とは言い難い。そんな僕の状態にこれ幸いと畳み掛けるように方々から声が上がった。
「そうだ、まだ終わりじゃねぇ!」
「がんばれよ、日高っ」
「日高なら出来るって! 立てっ、立てよ! 立つんじゃ日高ぁあああ!!」
「まだ終わってない。そこで諦めたら試合終了だぞ!!」
「諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ! 諦めたら! 周りのこと思えよ、応援してる人たちのこと思ってみろって! あともうちょっとのところなんだから! 俺だってこのマイナス一〇度のところ、しじみがトゥルルって頑張ってんだよ! ずっとやってみろ! 必ず目標を達成できる! だからこそNever Give Up!!」
ちょっと待って。なんか色々混ざっててツッコミが追い付かないんだけど、最後の修三語録を叫んだのってクラス一のイケメンと名高い北本君じゃなかった? え、違う? 僕の勘違い?
混乱して困惑して惑乱状態の僕。そんな僕を落ち着かせるように、そっと優しい温もりが僕の両手を包み込む。
「……日高くん」
鳩山美樹は、僕を安心させるように柔らかく微笑んで、けれども少しだけはにかみながら、慈しむようにその濡れそぼった唇を動かす。
「大丈夫」
「鳩山さん……?」
「美樹がねぇ。ぜーんぶ受け止めてあげるから、何もかも受け入れてあげるからぁ」
彼女は僕の耳元で、優しく惑わすように小さく囁いた。
無防備な僕の心の隙間に、彼女の言葉がスルスルと潜り込む。
「だから、怖がらないで? 自分に正直になって? 日高くんの気持ち、美樹に聴かせて?」
ああ、ダメだ。そう思った。
羞恥心とか葛藤とか、そんなちっぽけな感情がドロリと溶けるように消え失せる。
これは、
「あのね、鳩山さん」
あれだけつっかえていた言葉が、自分でも驚くほどすんなりこぼれ落ちた。
まるで、自分の喉じゃないみたいな錯覚を覚える。
「僕は──」
彼女のキラキラと煌めく何処まで吸い込まれてしまいそうなブラックホールのような瞳を見据えて、僕はこう言った。
「────僕は二次元の女性以外に興味がないので、鳩山さんのことは別に好きじゃないです」
どうしてだか教室中の空気が凍りついた気がした。
盛大な茶番……!