夕食を終え、後はお風呂と眠るだけとなったところで、飛行場姫からお呼び出しがかかる春雨。まだこの施設に身を寄せてから1つの夜しか越えていないということで、まだまだ心配事は多い。それをケアするためにも、飛行場姫が今日やったことなどを聞いているようだ。
施設の管理者として、物理的に施設を管理している中間棲姫に対して、精神的に施設を管理するのが飛行場姫である。勿論、春雨以外にも全員が同じ道を通っている。
「今日は深海棲艦としての在り方を知ってもらったわけだけど、どうだったかしら」
「はい、うまく海上も航行出来ましたし、武装の扱い方も薄雲ちゃんやジェーナスちゃんに教えてもらって、ちゃんと知ることが出来ました」
さながら個人面談である。春雨もまだ来てすぐとはいえ充実した1日を過ごせているため、飛行場姫としても安心していた。
海上航行の際に義脚を消さなくてはいけないことを聞いたときには、やっぱりなという顔をしていた。繭から孵った時に脚が無かったのだから、深海棲艦として活動する際にはその時の姿に準じた方がいいと、その時に想像した通りの答えが来た。
「海に出る時は脚は無しで行こうかと思います。でも陸では生活出来ないので、これは使っていきますね」
「そうね、その時その時で臨機応変に使った方がいいわね。ある状態にも無い状態にも慣れておくといいわ」
タイツに包まれた義脚を撫でる春雨。日常生活ではこれのおかげで全く支障なく、それこそ艦娘の時と同じように活動出来ている。歩くだけでなく、走ることまで可能なのだから、義脚という枠組みを大きく超えているようにも思えた。
片腕が義腕である飛行場姫もその辺りは理解が深い。
「基本的には無いとは思うけれど、義脚にガタが来るようなら言いなさいね。それはアンタの体調に関わってくる話だから」
「そうなんですか?」
「ええ。深海棲艦だって体調を崩すことくらいあるわよ。そうじゃ無かったら、爆弾なんて抱えないわ」
言われて納得する。心が壊れ、多種多様な問題が発生しているのだ。体調不良だって当然ついて回る。伊47の幸せアレルギーもその典型的な例。一定の基準の幸福感を得た途端に体調不良である。
それに、あの中間棲姫ですら農作業では熱中症対策に麦藁帽子を愛用するくらいなのだ。そういうところは艦娘だからか人類に近い。外的要因による体調不良も普通にあり得るわけだ。
「アンタはまだ目覚めたばかりだから、少し過剰に心配するくらいがいいのよ。だからアタシがこうやって話を聞いてるんだもの」
「心配してくださって、ありがとうございます」
「それが管理者ってモンだからね。みんなに言ってるけど、何かあったらアタシかお姉に頼りなさいよ。お姉は忙しいことが多いから、基本的にはアタシに来なさい」
中間棲姫が思わず甘えたくなる母性の塊だとするならば、飛行場姫は頼れる姐御肌。相談事などはまず飛行場姫からと考えるのが当たり前になっていく。この施設で起こり得る相談事なんて高が知れているのだが。
「昨日は初日だったからアタシとお姉が添い寝に行ったけど、今日からは大丈夫かしら」
「……た、多分、大丈夫です。薄雲ちゃんとジェーナスちゃんもいてくれますから。何も無い……と思います」
「まぁ何かあったらアタシかお姉が気付くだろうから、安心して寝なさいよ」
実際、この施設は中間棲姫と飛行場姫の陣地のモノ、つまり
そういう意味では、ここに住んでいる時点で軽度の監視下に置かれているようなものだ。危機的状況に陥った場合にのみ反応するのみ。しかし、一切の嫌みはなく、若干過保護気味と言えるくらいに心配をしているからである。
その事実を突きつけられても、嫌がる者は今のところ誰一人としていない。そもそも春雨は自分への興味が何もないため、寝ている姿を見られていようが何も感じない。見られて困るものもない。
「どうしても必要なら、また添い寝くらいならしてあげるわ」
「ありがとうございます。もしかしたらお願いするかもしれません」
「はいはい。その時になったらね」
飛行場姫としては、その時が来ないことを祈っていた。
その日の深夜のこと。春雨は両サイドを薄雲とジェーナスに挟まれ、2人の温もりの中眠っていた。昨晩のように姫2人がいなくとも、充分過ぎるくらいに心が温まり、気持ちよく眠ることが出来ていた。
しかし、その時に見た夢がよろしくなかった。
黒い繭の中で見せられた、姉達と鎮守府で過ごす夢。二度と戻ってこない、幸せだった過去。心を壊していたとしても、深海棲艦として新たな人生を歩み出しても、こればかりは忘れられない、忘れたくない現実。
この夢を見てしまった原因は、心を許した仲間の温もりだった。初日はいろいろとありすぎて夢を見る余裕すら無かったが、今は2日目である程度心に余裕が出来ている。そのせいで、トラウマを穿り返された。
明晰夢ではなく、ただ自らの記憶を反芻させられているだけ。故に、より鮮明にあの時の絶望を思い出すことになり、その刃は心の傷を抉った。
キッチリと姉達の死の寸前まで再生されたことで、忘れるわけがないのに、多少はボヤけていたところが再び鮮明に映るようになった。
「っ……あ……独りは……嫌だ……」
眠っているのにその時の言葉を呟き始めた。瞑っている眼には涙が溢れ、苦しそうに悶える。呼吸も詰まり始め、熱に魘されるかのように汗ばむ。時折その夢での出来事を拒絶するかのように首を横に振った。
隣でこんなことになっていれば流石に薄雲もジェーナスも気付く。目を覚まし、苦しむ春雨を目の当たりにしてすぐに行動を開始した。2人とも自分が同じ経験をしているため、処置の方法は頭の中に入っている。
「ここってtowelとかあったわよね」
「うん、前に私が
「Okay. 私はハルサメを起こすわ」
パタパタと動き回り、適切な処置を施していく。薄雲は室内に用意されているタオルを取り出し、その間にジェーナスが春雨を目覚めさせるために呼びかける。夢の世界からこちらに戻ってこいと、少し強引に肩を揺すった。
悪夢のせいで眠りが浅かったおかげか、声をかけるまでもなく目を覚ました。涙目でボヤける視界の先には、心配そうに見つめるジェーナスの顔。足りない酸素を掻き集めるように呼吸は荒く、時折ビクンと身体を恐怖で震わせる。
「ハルサメ、大丈夫よ。独りじゃないわ。嫌な夢を見たのよね。私達も経験があるから、貴女の気持ちはすっごくよくわかるの」
「ヒッ……いっ……私……私は……」
「落ち着きましょ。大丈夫、私達はいなくならないわ」
見た目ではジェーナスの方が歳下なのだが、精神的には同等、むしろ深海棲艦となってからの経験から言えばそれ以上である。その経験を活かし、春雨をどうにか落ち着かせようと、撫でたり声をかけたりを繰り返した。
実際、ジェーナスはこの施設の中では古参だった。薄雲が黒い繭として施設に運び込まれた時には深海棲艦としてそれなりに経験を積んでいたため、すぐに対処出来ている。
そのジェーナスも、中間棲姫や飛行場姫にしてもらったことをそのまましているだけなのだが。
「私……独り……独りは嫌……嫌ぁ……」
「独りじゃないわ。ここにはみんないるわ」
「はい、タオル。汗びっしょりだから、一度拭いちゃおう」
薄雲も加わって、春雨の事後処理を続けた。冷や汗で湿ったパジャマは一度消してもらい、全身に溢れ出した汗を丁寧に拭き上げていく。興奮しているものの、春雨は素直に従っていた。
その間も春雨は譫言を呟き続けた。独りは嫌だという言葉以外には、追いすがるように姉さん姉さんと。
その春雨の譫言が耳に入ったことで、薄雲にも異変が起き始める。ジェーナスがまずいと思った瞬間、持っていたタオルを持てないほどに震え、膝から崩れ落ちて自分を抱きしめる。
「ね、姉さん……私、姉さんを……あ、ああ……っ」
薄雲の
溢れた感情が同じである薄雲は、そのきっかけとなる出来事も春雨と殆ど同じである。
大きな海戦で最愛の姉を失い、自分も死にかけた。撤退も間に合わず死を待つのみとなり、しかし簡単には死ねず、孤独感、寂しさが溢れ出して黒い繭となった。状況は違えど、境遇はまるで同じである。
不安定な状態できっかけとなる姉の存在を示唆されてしまったことで、その時の孤独を一気に思い出してしまったのだ。目の前に友達がいようが関係ない。
「独り、独りになる、なっちゃう、嫌だ、嫌だ、姉さん助けて……私……」
1人を対処するのもかなり厳しいのに、2人目も同じように発狂しかけている状況に、ジェーナスは頭を抱えてしまった。2人で1人をどうにかするならまだ大丈夫だったが、1人で2人はどうにもならない。
さらにこれは追い討ちになる。今のジェーナスにはこの状況は非常によろしくない。話せる相手がいなくなってしまったことにより、一気に自己嫌悪が加速する。
「……私がもっと強かったら……2人を立ち直らせることが出来たのに……私、私はこんなだから……」
ふっと瞳から光が消え、春雨への処置の手が止まってしまった。ジェーナスがきっかけでなくとも、自分の手が尽くせなくなったと思ったら瞬間にトリガーが引かれてしまった。
ジェーナスのきっかけは、他者が救えなかったことによる自己嫌悪だ。自分がもっと強ければ最悪な目に遭わなくて済んだのにという思いが、弱い自分を嫌うことによって心を壊した。
故に、今のようなどうにもならないような状況に陥った場合、孤独でなくても自己嫌悪に押し潰される。何もかもを自分のせいだと思い込んでしまうのだ。
「……は、ハハ、私のせいでこんなになっちゃった……」
「はいはい、そんなことあるわけないじゃないの」
そこへ扉を強く開けて入ってきたのは飛行場姫である。
危機的状況になったら反応する監視がしっかりと働き、本当に最悪な状況になる前に対処に来ることが出来た。
「お姉は春雨と薄雲お願い。アタシはジェーナスをどうにかするわ」
「ええ、任せてちょうだい」
飛行場姫の後から中間棲姫も部屋に入り、すぐさま春雨と薄雲を2人纏めて抱きしめていた。友達の温もりだけでは足りなかったところを、バケモノじみた母性の塊で対処する。その実、2人は中間棲姫の温もりを感じた途端に少しずつ落ち着いていった。
同じように飛行場姫もジェーナスを抱きしめ、頭を撫でる。自己嫌悪を処理する方法は簡単ではないが、落ち着かせて思考能力を戻すことは可能。
「ジェーナス、これはアンタのせいじゃないでしょ。アンタも含めてだけど、ここにいる子達は何かしら抱えてるってことくらい、アンタ自身が割り切ってるはずよね」
「……私……私……」
「アンタは頭がいいんだから、少し考えればわかるはずよ。大丈夫、誰もアンタを責めやしない。アンタはよくやれてるの。アンタのせいなはずがないじゃない」
より落ち着かせるため、顔を胸に押し当てて温もりを与える。ボディスーツの触り心地と柔らかさでジェーナスも徐々に落ち着いていき、数回ビクンビクンと震えた後、そのまま動きが止まった。
「……妹姫、sorry……。私また……」
「いいのよ。いつも気を張ってることはわかってんだから。むしろアンタはもっとアタシ達に甘えなさい」
中間棲姫の方も2人同時に抱きしめ、子供をあやすように撫でると、2人とも幼児退行したかのように大人しくなり、その温もりに身を委ねて眠りについていた。
「春雨ちゃんは特に重症のようねぇ。こうなってから時間が浅いというのもあるけど、まだ私達無しで眠るのは難しいかしらぁ」
「かもしれないわね。ある程度落ち着くまでは一緒に寝てあげた方がいいかもしれないわ。トラウマが連鎖するの見るの久しぶりだもの」
「なら、今日も今からここで寝ちゃいましょうかぁ。せめてグッスリ眠らせてあげたいものねぇ」
結局、その日の夜も途中からではあるが姫2人の添い寝により朝まで眠ることが出来た。それでもまだ春雨は危ういということで、しばらくは添い寝が必要と判断された。
トラウマは簡単には払拭出来ない。深海棲艦となったきっかけでもあるのだから、これは永遠に付き纏う問題となるだろう。壊れた心が元に戻らないように、この心の傷は、治ることは無い。
陸上施設型姉妹がいなかった場合、あの夜で全滅しているという悲惨な状態でした。抱え込んだモノが同じだと、1人トリガーが引かれた瞬間に連鎖するという最悪な例。