調査と戦いを終えていた調査隊は、春雨の虫の報せを受けてこの場に現れた施設の者達と共に施設へと戻る。その表情は暗く、また非常に疲れが溜まっていた。
古鷹と白露の襲撃は、はっきり言って敗北だ。白露はなんとか春雨が相討ちに持っていったものの、古鷹には金剛と比叡がコンビで戦っても余裕を失わせることが出来ず、まだまだ計り知れない実力を秘めているのは誰にだってわかる。
そもそも白露だって、春雨が来たことでどうにか追い返すことが出来たわけで、島風1人では手に負えなかった。叢雲と組み始めてすぐに春雨が乱入したことで、戦いを全て任せることになってしまったが、それでも敵うかわからなかった。
それ故に、島風は春雨の戦いを観察し続けていた。次は絶対に後れを取らないようにと、持ち前の才能で分析をしていた。この帰路の中で、やたらと静かに次に勝つための手段を計算し続けている。
「……春雨、軽いわね……」
気を失った春雨を運んでいるのは叢雲。白露との激戦の後、気を失った時にその脚も艤装も消えているため、思った以上に軽い。
脚が無いために少し運びづらさはあるのだが、なるべく揺らさないように運んでいるのは、血の流し方がまずいからだ。
よりによって耳。しかも、両耳ともに鼓膜が壊れてしまっており、聴覚が失われてしまっている。ここで変に動かした場合、鼓膜が再生不能になる可能性もあった。
叢雲が春雨の状況を把握しているわけではないのだが、耳はまずいと慎重になるのは良いことである。古鷹と白露の姿を見たことで怒りがまだ燃え滾っているのだが、ここで万が一春雨が死ぬようなことがあったら後悔が残る。
「叢雲、手伝う?」
「疲れたら頼むわ。アンタは私より長いこと戦っていたでしょ。私の方が体力は残ってるわ」
あの少しだけの間ではあるが、島風と組んで戦おうとした経験は叢雲の中には刻まれている。声をかけられても悪態はつかず、信用出来る相手としての認識になっていた。
「こっちも慎重にね。基本的には大丈夫だと思うけど、雑に扱うわけにはいかないから」
そして薄雲の先導により運ばれるのは、海風が入る黒い繭である。艦娘1人分を包んでいるそれは、当然ながら海風よりも重たい物。最悪な場合、海底まで沈んでいってしまう。
それだけは避けるため、江風と涼風、そしてジェーナスが薄雲と共に持ち上げていた。艤装を装備した4人がかりならば、ヒト1人分なら軽々と持ち運べるだろう。流石に姉の入っている繭だから、江風と涼風もいつになく静かである。
その後ろをついていく山風。最初は自分も運ぶと言ったのだが、江風達がそれを拒否した。今の山風は手が震えており、うまく運べるようには到底見えなかったからである。
海風のためにも前向きに生きるのだと決意したが、やはり簡単にはいかない。黒い繭を見ていると、どうしてもショックを受けてしまう。
「……気休めにもならないかもしれませんが」
その隣に宗谷が立ち、意味があるかはわからないがその手を握ってあげる。本来なら海風にしてもらうことではあるのだが、今はもういない。でも、やってもらえるだけで少しだけ心が落ち着くように感じた。
それ以降、宗谷は何を言うでもなく、山風の隣に居続けた。たまに肩を震わせるようなことはあったが、その都度手を少しだけ強く握り、温もりを与えた。
施設に到着した途端、それはもうてんやわんやだった。春雨が虫の報せを受けたということで、コマンダン・テストが向かった方向をずっと見ていたおかげで、すぐさま春雨を運び入れる。
そのコマンダン・テストは、春雨の惨状によりまた発作を起こしかけたため、リシュリューの手によってその場から退場。ギリギリまでは耐えたものの、やはりダメだったようである。ここで無理しても意味がないため、素直に休息を言い渡された。
「これなら多分2日……いや、多めに見積もって3日もあれば治るわ。でも、明日いっぱいにかけて、この子は音が聞こえないでしょうね。少し不自由だけれど、みんなでサポートしてあげてちょうだい」
春雨の怪我は、飛行場姫がすぐに手当てをしていった。意識を失っていることをいいことに、少しだけ強引に血を拭き取りつつ、止血をしっかりと施していく。
それには薄雲とジェーナスも、春雨の看護に専念すると話す。音が聞こえない生活なんて、たった数日でも辛い。ならば、友達である2人がずっと側にいようと考えた。その流れで叢雲も近くにいることになるだろう。
「春雨はまだ大丈夫。問題は……あちらね」
応急処置をしながら、同室で処置をする中間棲姫の方を確認する。そこには勿論、運び込まれた黒い繭が鎮座していた。
施設に到着した後、陸で繭を運んだのは、ベッドから降りられるくらいにまで回復した戦艦棲姫。その艤装により丁寧に施設内に運ばれ、今は春雨の時と同じようにベッドの上である。
まだ身体が痛む場所が多いようだが、短期間でここまで回復したのは流石は姫というところ。艤装の方も、戦艦棲姫の傷が治るのに並行して損傷部分が修復されており、まだ本調子では無いにしてもまともに動くところまでは来ている。
「……溢れた感情は『絶望』……かしらねぇ」
中間棲姫が繭からその感情を読み取った。詳細まではわからずとも、それが示唆されることで、
憧れていた姉達が死んだだけでも心が壊れかねない程に精神的ダメージを受けていたのに、深海棲艦化して、さらには完全に敵対する程に心が壊れている様をまざまざと見せつけられたのだ。今まで理想の姉として心に残り、散った後も憧れはそのままだった相手に、完膚なきまでに裏切られたようなもの。
海風の心は、そのショックに耐えられなかった。この現状に絶望し、現実を見たくないという感情に支配され、艦娘を辞めることになる黒い泥も簡単に受け入れてしまった。むしろ、無抵抗且つ
「この子は長く心を蝕まれていたのよねぇ」
「ハイ……
この調査の場には、消耗はしているものの比較的受け答えがしやすい金剛と比叡が同席している。本来なら最も身近な妹達がいるべきなのかもしれないが、山風が今そんな受け答えが出来る心境では無い。
金剛だって思い当たる節はいくつもある。海風が長い時間悩み、心に傷を負いながらも、どうにか前を向いていこうとしていたのは誰だって知っているし、相談だって受けた。
「私が視る限り……この子の壊れ方は特に深いわぁ。でも、艦娘としての心は失わないはず。記憶だってそのまま残ってるんだもの。この子がそれを
今までのことを忘れてしまいたいと考えることだってあるだろう。その存在が姉だと認識してしまうのだから、苦痛を味わうのだ。ならば、最初から姉ではなく敵と認識出来ていれば、そんな苦しみは無くなる。
つまり、思考回路は艦娘のままでも、記憶を全て失うという可能性も0ではない。そうなってしまったら、この海風は鎮守府の知る海風では無くなるようなもの。誰も知らない、生まれたばかりの海風となってしまうだろう。
「海風はそんなに弱い子じゃない……と言いたいところデスが、こうなってしまうと何が起きてもおかしくはないデス。私達は、そうならないことを祈るしかありまセン」
「ええ。ごめんなさいねぇ、私は真実を伝えることしか出来ないのよぉ。外からそうならないように弄ることは出来ないのよねぇ」
「そこまで高望みは出来まセーン。貴女達がいてくれなければ、海風をどうしていいかもわからなかったんデスから、気にしないでくだサーイ」
言いながらも、金剛は不安で仕方なかった。それを表に出さないだけで。
今まで仲良く一緒に過ごしてきた海風が、突如別人になってしまう可能性を示唆されてしまったわけで、それが怖くないといえば嘘になる。
金剛ですらそれなのだ。最も親身に付き合ってきた山風が知った場合、どういう反応をするのだろうか。むしろ、これが連鎖に繋がってしまわないだろうか。それが一番怖い。
「このこと、提督くんには?」
「今頃、ちとちよが通信で報告してくれていると思いマース。提督にも辛い報告になるとは思いマスが……」
「そうよねぇ。でも、起きてしまったことはちゃんと伝えないと……ねぇ」
勿論、この事実は鎮守府で待つ提督にも伝えられる。敵が白露であったこと、海風が黒い繭になってしまったこと、そして、次は鎮守府を狙ってくること。
ただでさえ金剛と比叡が敵わなかった相手だ。鎮守府の全勢力を古鷹に注ぎ込んだら勝てるかもしれないが、被害も尋常では無いだろう。事前に準備しておかなければ、何も出来ずに被害者が出るまである。
ここで比叡が思い立ったかのように中間棲姫へと話した。
「無理を承知でお願いしたいんですが、あの敵を倒すために、力を貸してもらえませんか!」
金剛だってそれは考えていた。艦娘だけの力ではどうにもならないところまで来ている。それに、この施設も遠目で見ているだけではいかなくなってきているのだ。
春雨がここまで痛めつけられて、白露から敵対視をされている時点で、もう一度交戦することは不可避に近い。むしろ、春雨だってそれを望んでいるだろう。暴虐の使徒となってしまった姉の不始末をどうにかしたいと。
それに、今はこうなっているが海風だって白露のことをどう思うかわからない。記憶を失ったとしても、敵としての認識は根っこに残るものだし、恐怖の対象となっている可能性もある。
中間棲姫も、比叡に言われる前からそれについてはずっと考えていた。施設が平和に暮らすために、基本的には自ら出向くことを極力避けてきた。生活のためにリシュリューとコマンダン・テストが陸に遠征に向かうくらいにしている。
しかし、あの2人──古鷹と白露がいる限り、施設の平和を脅かす可能性がまだあるのだ。ならば、自分から打って出るというのも必要かもしれない。
だが、戦いたくないのは確かである。こういう状況だとしても、自分から向かえばその分危険になる要素は嫌でも増えるのだ。
「少し……考えさせてもらえるかしらぁ。この施設の平和が脅かされるというのなら、私達も動かなくちゃいけないとは思っているわぁ。でも、私達は戦いたくないからここにいるんだもの。中には戦えない子だっているんだから」
言うまでもなくコマンダン・テストのことである。死を示唆する出来事が少しでも掠めるだけで錯乱するのだから、戦場になんて絶対にいけない。むしろ、敵味方問わず暴れ回ってしまう可能性すらあるので、危険度はさらに増している。
「ハイ、大丈夫デス。無理強いはしまセン。提督もそう言うと思いマスし」
「ありがとう。こちらのことを理解してもらえているのは嬉しいわぁ」
そもそも中間棲姫の一存でどうこう言える問題ではない。確かに主人である中間棲姫がやると言えば、全員それに従うだろう。だが、それは本心からでは無い。
だからこその保留。それを施設の在り方という観点から理解してもらえているのは、中間棲姫としてもとてもありがたいことである。
「海風ちゃんのことは心配しないで。万が一何かがあったとしても必ず悪いようにはしないわぁ。この施設の一員として、貴女達とも交流をしてもらうから」
「Okay. 海風のこと、よろしくお願いしマース」
今はそうとしか言えない。それ以上は考える時間が必要である。
大敗の末に施設に戻っては来れたものの、誰もが精神的にも疲弊していた。この施設で、ここまで酷いことになっているのは、長い時間ここにいて今回が初めてである。
ここで初めての施設への協力要請。鎮守府側だけの問題でもなくなり、施設側も何かしらの対処が必要になってくるでしょう。