空っぽの姫と溢れた艦娘   作:緋寺

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海風の希望に

 施設の者達は各々の作業があるため、春雨は戦艦棲姫とコマンダン・テストによる看護の下で午前中を終える。2人が無事な姿を見ることでコマンダン・テストは落ち着くことが出来て、春雨も2人が近くにいてくれれば発作を起こすことが無くなる。音が聞こえないにしても、常に何かしらの会話──ホワイトボードを使ってのたわいのない話──が繰り広げられていたことで、楽しい時間を過ごせたようだった。

 春雨は白露を倒すことが出来なかった悔しさに苛まれていたが、ここでの話題はそんなものを感じさせないものばかり。例えば、戦艦棲姫の旅先の話。例えば、コマンダン・テストの遠征の話。どちらも陸で起きた楽しい出来事の話なので、暗いところは一切無い。

 相変わらずコマンダン・テストの書く文字が読めなかったのはご愛敬。自分の国の言語は得意でも、春雨達の国の言語はうまく書けないらしい。そこは戦艦棲姫が教えるという、普通は立場が逆なのではという光景が繰り広げられたことで、とても穏やかな空気に満たされている。

 

「そろそろDéjeuner(お昼ご飯)ですね。Richelieuが作ってくれているでしょう。ちゃんと、ハルサメさんに合わせたモノを、作ってくれているはず、です」

 

 時間もいい具合になり、お昼時。部屋の扉は閉まっているが、何処からともなくいい匂いがしてくる。聴覚は失われていても、嗅覚は衰えていない。むしろ、第六感と同じように敏感になっているのではないかと思えるくらいにわかる。

 そして、グゥと腹の虫が鳴いた。朝はちゃんと食べて、ここから全く動いていないというのに、なんだかんだで空腹を感じられるのは、身体の調子が良い証拠。代謝も良い。

 

「あはは、お腹が鳴ってしまいました」

「春雨、貴女はここから動かなくていいわ。誰かしらが持ってきてくれるだろうし、何なら私が取りに行ってもいいから、療養中ってことをわすれないようにね」

 

 と話すものの、当然聞こえていないため、今の言葉をある程度掻い摘んでホワイトボードに書き出して見せる。それを見た春雨は、わかりましたと苦笑しながら頭を下げた。

 

 午前中は終始こんな感じだったため、時間の流れがとても遅かった。戦艦棲姫も、コマンダン・テストも、春雨を放置してお喋りするようなことは一切しない。ちゃんと3人での会話を楽しんだ。

 そのおかげで、寂しさなんてまず溢れることはない。怪我人らしく療養も出来て、音の聞こえない長い時間を楽しく過ごせた。やはり、この施設の仲間達はどういう状況でも団結力がある。

 

「あ、そうだ、戦艦様、コマさん、お願いを聞いてもらってもいいですか」

 

 と、お昼の前にどうしてもやっておきたいことがあると春雨が口にする。今までの穏やかな空気から少しだけ真剣な表情で。それに対して、ホワイトボードを使うことなく、どうしたと反応する。

 

「海風のところに……行きたいんです」

 

 午前中はこういうカタチで療養に励んだが、やはり妹のことは心配で仕方なかったようだ。

 まだ孵るには時間がかかるだろうが、安定して深海棲艦化が進んでいるのかは見ておきたかった。繭が知らない間に壊れている、なんてことはないだろうが、それでも。

 

 今は施設内であるということで、姉妹姫の監視下にあるようなものである。何かおかしなことが起きればすぐに伝えられるし、そもそもそんなことが起きないように管理はされている。

 今はとある一室のベッドの上だ。繭に外からの衝撃が加わらないように、しっかりと布団まで被せられている。これなら、孵るその時まで余程のことが無い限り傷一つつかない。その上で、余裕がある者がその部屋に滞在して、その様子を常にその目で見てくれているくらいだ。

 

「歩けるの?」

 

 今度はホワイトボードを使って端的に問う。対して春雨は、無言で首を縦に振る。

 怪我による療養中とはいえ、大部分は耳へのダメージだ。身体の部分の消耗は充分に回復している。歩くとその振動で耳の痛みに響くかもしれないが、ゆっくり歩けば問題ない。

 

「ならいいわ。安静にしろとは思うけれど、多少は動かないと気が滅入るもの」

「Oui. 動けるのなら、Flâner(散歩)はいいですね。気分転換にもなりますし、運動にもなりますから」

 

 春雨が動けるのなら、抑え付けておく必要は無いと判断し、2人が手伝うように春雨をベッドから起こしてやり、部屋を出ることにした。

 

 いざとなったら戦艦棲姫の艤装があるため心配は無いのだが、施設内は流石に狭いため、それを使うのは緊急事態のときのみ。使えるとしても、春雨がそれを却下するだろう。妹のいる場所には、自分の足で行きたいと訴えることだろう。

 

「痛た……でも、大丈夫です」

 

 半日動いていないので少しふらついたものの、問題は無さそうである。念のため、コマンダン・テストが手を繋いで身体を支えてあげることで、なんとか真っ直ぐ歩くことが出来た。

 

 

 

 

 海風の繭が安置されているのは、春雨の眠っていた部屋から少し離れた場所。調査隊が1泊するということで掃除しておいた空き部屋の内の1つである。

 その部屋の前に来たことで、春雨は何処となく心が落ち着く感覚を得た。この中に妹がいると知っているからだろうか。

 

「いらっしゃい。海風ちゃん、何もなってないヨナ」

 

 今日の繭監視役は伊47。ベッドは繭が占拠しているため、隣に椅子を置いて、ただじっと見ていただけ。繭に触れることもなく、ただ側にいるのみである。

 

 アレルギーのせいで誰かの役に立つことが出来ないとなると、それはそれで心苦しい。だが、仲間と一緒にそれをやろうとすると、幸福感を得てしまうためにアレルギーを発症と、なかなかに面倒くさいことになっている。

 それ故に、こういう個人で何かのためになる仕事は、伊47が率先して行なうことになっていた。伊47もそれが自分の在り方であることを自覚しており、仲間達もそれを理解している。

 

「海風……」

 

 春雨の視線は、ベッドの上へ。

 まるで誰かが眠っているかのようにされている黒い繭。自分がここに運び込まれた時も、こうされていたのだろうかと感慨深い気持ちになる。

 

「触っても……いいんですか?」

 

 伊47に聞くと、少し考えた後、首を縦に振った。この状態になってしまっているのなら、軽く触れるくらいで中身がどうこうなることはない。そもそもこの繭は艤装並みに硬く簡単には壊れないため、優しく保護はしているものの、実際はここまでしなくても心配はいらない。繭に砲撃などをしたら流石に壊れてしまうかもしれないが。

 許可が出たことで、まだ少しふらつきながらも繭に近づいて、そしてその表面に手を付ける。ヒンヤリとした、硬い感触。しかし、中には海風がいるのだと実感させるような脈動を感じた。こんなカタチでも、海風は生きている。無事に生まれ変わっている。

 

「……海風、私がついてるから、何も心配しなくていいからね。目を覚ましたら、ずっと一緒にいようね」

 

 戦場でも似たようなことを言ったが、この落ち着いた空気の中でもその思いを伝える。

 

 ここに保護されているのなら、海風は海風のままで深海棲艦へと成れるはずだ。心が壊れて、何処か歪んでしまうかもしれないが、それが海風であることは変わらない。春雨にとっては愛すべき妹であり、ずっと気にかけていたい相手なのだ。

 それは海風が春雨に向ける感情とは別物ではあるのだが、海風自身もそれでいいと思っていたものだ。変わり果てても向けられる感情が変わっていないのなら、海風は幸せを感じることだろう。

 

「だから……無事に生まれ変わってね。待ってるから」

 

 頭のありそうな場所に額をつけて、その気持ちを呟いた。きっと声が届くと信じて。

 

 瞬間、繭が一瞬()()()ように思えた。春雨の声に反応したかのように、僅かに。周りから見ている者には気付くことが出来ない程度だが、その繭に触れていた春雨ならば小さな小さな動きにも気付ける。

 

「海風……頑張って。私にはこんなことしか出来ないけど、もう辛い思いなんてしなくていいから」

 

 自分の声が聞こえているとわかっただけでも大きかった。今頃きっと、艦娘の時の夢を見ているのだろう。実体験からそう考えた春雨は、ありったけの思いを囁き続ける。

 実体験から、今頃海風は走馬灯のような夢を見ているのはわかっている。そうだとすると、最初は幸せだが徐々に嫌な記憶に辿り着き、苦しむことになるだろう。思い出したくない過去、発作を起こすきっかけとなる記憶を穿り返され、そこで目を覚ますことが出来なければ無限に苛まれる。

 

 そんな苦しみ、海風に感じてもらいたくなかった。だからこそ、出来る限り声をかけ続けた。

 

「……うん、今はこれだけで。またお昼に来るよ。海風……またね」

 

 やりたいだけやった後、そこまで長居してもアレだと、そこから離れる。これで今日が終わりというわけではない。この施設にいる限り、いつでも会いに来れるのだから。

 

 

 

 

 また部屋に戻ってベッドの上。繭とはいえ海風と交流出来たことで、春雨の心は大分晴れやかになっていた。

 

「海風は……きっと何事もなく同胞(はらから)になりますよね」

「ええ、大丈夫よ。貴女があの子の希望になれるだろうからね」

 

 戦艦棲姫は、海風の溢れた感情が何かを知っている。むしろ、春雨以外は中間棲姫から聞いている。

 その感情は『絶望』。憧れていた姉に裏切られたのがトドメになり、ヒビだらけだった心がついに砕けてしまった。全ての望みが絶たれて、その感情が溢れ出してしまったのだと。

 

 だが、戦艦棲姫はそれを踏まえて、春雨に優しく伝える。言葉では聞き取れないので、ちゃんと文字にして。

 

「私が……希望に?」

「海風の最後の希望は春雨よ。勿論妹達もいるでしょうけど、今から一番身近になるのは春雨だもの。ここにいる間は向こうに行くことも無いでしょうし」

 

 絶望が溢れ出した同胞(はらから)は、今のところいない。中間棲姫が知っている中では、瀕死の重傷を負うことなく繭に包まれた者自体も初めてのこと。

 命の危機すらなく、ただ単に心が壊れるというのは、この施設では前例が無かった。それ故に、誰よりも深い壊れ方をしている可能性がある。

 しかも、それが絶望だというのだから余計に難しい。伊47の幸せアレルギーのように、()()()()()()()になってしまう可能性だってある。不幸でなくては生きていけないなんて可哀想すぎる。

 

 だが、戦艦棲姫はそれでも、春雨が海風にとっての最後の希望だと断言した。それは、海風の元々の感情もある。

 海風の春雨に対する感情は、松竹姉妹でなくてもわかりやすいところがあった。それが()()()()ものとは感じないにしても、確実に春雨だけ特別視しているのは目に見えている。どのようなカタチであれ、それは愛だ。

 

「……そっか、そうですよね」

 

 それに、悪い方向にはいかないと春雨の直感が告げていた。繭から孵った海風は、元気に自分達とここで暮らしてくれるのだと。

 

「お互いどんなカタチでも、私と海風は姉妹ですから。海風が私のことを希望だと感じてくれるなら、そう思ってもらえるように頑張りたいです」

「そうね。じゃあその前に、貴女自身が元気にならないとね」

 

 本調子になるまでは数日かかるが、耳は今日いっぱい。まずはそれを治すために、今日1日は安静にしておけと戦艦棲姫が釘を刺した。たまに海風の様子を見に行くのは構わないから、まずは休むんだと。

 春雨も自分の身体のことなのだから、自分が一番よくわかっている。海風のためにも、まずは全快しなくてはいけない。

 

 

 

 

 海風の目覚めは近日中。その時までに身体を治して、最高の状態で海風を出迎えたい。

 




海風に春雨の声が届いているとしたら、絶望の中に差す希望の光となり得るはずです。


支援絵をいただきました。ここに紹介させていただきます。

【挿絵表示】

https://www.pixiv.net/artworks/93840031
MMDアイキャッチ風春雨。103話『一歩先へ』で、脚を生やしての体当たりのシーン再現。この渾身の一撃によって白露と相討ちにまで持っていけました。
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