海風が繭から孵ったことは、すぐに鎮守府に伝えられることになった。あちらでも海風のことが気になっているだろうし、無事であるなら早く知りたいだろう。それについては朝イチ、朝食後に全員が集まった状態で行なわれることになる。元気な海風の姿を見せてあげたい。
それに、山風のことも心配だ。海風のことを最も心配していた山風は、海風がこうなってしまったことで精神的に参ってしまっている可能性が高い。それこそ、第二の海風になってしまう危険性すらあった。それだけはよろしくない。
「それじゃあ海風ちゃん、鎮守府に連絡をするけれど、大丈夫よねぇ?」
「はい、問題ありません」
この報告の場に参加するのは、姉妹姫の他には春雨と海風。部屋の外では、その話の内容を聞こうと施設の者達がそれなりに集まっていたりするのだが、気にしないことにした。
海風が深海棲艦化したことに加え、今後のことも考える必要がある。そこで、鎮守府と施設の橋渡しが出来る2人がいれば、話もしやすくなるだろう。
それに、海風は春雨がいなくてはまともに行動出来るかもわからない。絶望を打ち消すくらいの依存に変化しているようなものなので、2人が同時にこの場にいる必要がある。
「提督にも私の現状を知ってもらいます。そういうのは、自分の口で説明した方が早いと思いますし」
「そうねぇ。発作を起こさないのなら、自分で話した方がいいわねぇ。自分のことを一番わかるのは、やっぱり自分だもの」
「はい。なので、繭の中でのことも、今の私の心持ちも、全て話そうと思います」
深夜に中間棲姫から言われた細かい話は、ここで纏めてやってしまおうということにもなっている。海風の今、そして今後のことを、ここで全て決めてしまう感じ。
とはいえ、海風の今の状況からして、施設の一員としてここで暮らしていくことになるのは間違い無い。深海棲艦化してしまったのだから鎮守府に戻ることは出来ないのだから、春雨と同じ道を歩くことになるだろう。それをあちらにも理解してもらうのが、今回の報告のメインになる。
中間棲姫がタブレットを操作し、鎮守府へと連絡を取ったところ、数コールも待つことなく提督が出た。待ち構えていたかのようなタイミングだったため、かけた中間棲姫が驚く羽目になる。
それだけ鎮守府側は海風のことを心配していた。繭から孵るのを今か今かと待っており、この通信はその結果であると確信を持っていた。
『海風のことかい?』
表情はいつもと変わらないが、開始早々この言葉である。対する中間棲姫は、ええと一言だけ話した後、タブレットを動かして海風の姿を映した。それを見た提督は、流石に驚いて息を呑んだ。
つい先日まで自分の部下として一緒に戦ってきた艦娘が、姿はおおよそ同じでも深海棲艦となっているのだ。春雨の時にも驚いたものだが、流石に慣れるようなことはない。
「提督……このようなカタチで戦線離脱してしまって申し訳ありません」
まず海風は謝罪から入った。艦娘をやめ、深海棲艦となったことで、これ以上一緒に戦えなくなってしまったことは、やはり残念だと思えるようである。
これが絶望に苛まれているようなら、海風はこんな言葉すら言えなかっただろう。まだ受け答えが出来る分、やはり今の方がマシであると言える。
『いや、謝らなくてはならないのはこちらだ。君が精神的に疲弊していたのは目に見えていることだったのだから、そうなってしまうことも予期出来たはずだ。それなのに、結果的に君に辛い思いをさせてしまった……』
提督側も海風に対しては申し訳なさが強かった。最善の行動を取っていたと思っていても、今回の結果は悪い部分がどうしても目立つ。
それは指揮を執っている提督の責任だと考えていた。敵のことを見誤ったのは自分のせいであると。もう少し考えていれば、海風がこんなことにはならなかったはずだと、後悔が尽きない。
『海風、君の溢れた感情は絶望と聞いている。トラウマを刺激するようですまないが……この場に立っても大丈夫なのかい?』
調査から戻ってきた金剛から、海風は絶望が溢れた結果、黒い泥が溢れ出して繭となったと聞いている。それ故に、海風とこうやって話すのに緊張感があった。
しかし、画面越しの海風にそんな感じは見えない。姿が少し違うだけで、艦娘の時と殆ど同じ。
「それについて、お話させていただきます。私は春雨姉さんに救われたんです」
ここからは海風の独壇場。朝にも話していた内容を提督に対しても語り出す。
春雨は絶望の淵に立たされた自分に差し込んだ一筋の希望なのだと。暗闇を照らし出す光なのだと。そのおかげで溢れ出した絶望は大分緩和されており、春雨が近くにいる限り、希望を感じることが出来るのだと。
その勢いたるや、提督どころか他の誰もが口を挟むことが出来ない程だった。これをこの場で初めて聞く飛行場姫も、流石に呆気にとられていた。
海風はこのことを話すことでまた春雨に心酔し、依存していく。絶望という闇から助け出してくれた、最愛の姉。その命を捧げるに値する相手であると。
明らかに行きすぎた思想なのだが、海風は
「ですので、私から溢れた絶望は払拭され、別のカタチへと変質したんです。春雨姉さんが機転を利かせてくれたおかげですね」
『そ、そうか……わかった。よくわかった』
この時の提督の表情は、少し引き攣っているようにも見えた。艦娘であった頃の海風から考えると、ここまで積極的に自分の意見をイキイキと話す姿は少し異様。冷静で真面目な分、激しく感情を露わにすること自体が稀である海風とは思えないくらいの変わり様である。
提督の隣の五月雨も、海風のこの様子には言葉も無かった。妹の変わり果てた姿と考えると、複雑な感触を得る。この変わり方を悲しむか、何事も無かったことを喜ぶか。
発作のトリガーが無い代わりに、常に壊れ続けている。春雨とは近しいようで遠い壊れ方。それを嫌という程に理解させられた。
「ともかく、海風は無事目を覚ましたわ。このこと、山風には伝えておかなくちゃいけないと思うのだけれど」
海風が止まったところを見計らって、飛行場姫が次の話題を切り出す。海風のことを一番心配していた山風に、海風が無事であることを見せてあげなくてはならない。
飛行場姫は、山風から直に相談を受けているためか気にかけていた。海風が溢れてしまうことを山風が危惧していたように、山風も不安定になってしまっているのでは無いかと心配している。
『ああ、少し待っていてくれ。五月雨、山風達を呼んできてくれないかい』
『わ、わかりました。すぐに連れてきます……って、うわぁ!?』
五月雨が退出……しようとした瞬間、執務室の扉が音を立てて開かれた。何かを感じ取ったのか、執務室の前には山風が待機していたらしい。江風や涼風の声まで聞こえる。
『海風姉! 海風姉無事なの!?』
焦り、声を荒げる山風。まるで、姉妹を失った直後の海風を見ているようだった。クマがクッキリ浮かぶような憔悴の仕方はしていないものの、眠れていないのは間違いない。
その後ろにいる江風と涼風も、疲れていないと言われれば嘘になるような状態だった。朝イチだというのに疲れが取れていないような、朝イチから振り回されているような、そんな表情をしている。
「山風……心配かけてごめんね」
『海風姉……よかった……。ただ深海棲艦になっただけなんだ……』
見た目が変わっただけだと安心したようで、わかるくらいに大きな安堵の息を吐く。絶望が溢れたと聞いて、海風が豹変してしまっているのではとずっと気にしていた。
「うん、春雨姉さんのおかげで、私は絶望に呑まれることが無かったの。姉さんが私を救ってくれたの」
この辺りで、山風は海風の精神的な異変に気付く。絶望によって入った心のヒビを春雨が埋めたのだとも、精神的な機微に敏感な山風にはすぐにわかった。
艦娘の頃の優しい海風は当然残っている。山風を含めた妹達のことを、その時と同じように見ているのも。姉妹愛はそのまま残っているため、山風に向ける視線は何も変わらない。心配をかけて申し訳ないという気持ちはある。
しかし、心の向きは常に春雨の方を向いていた。妹を見ていないわけでは無い。優先順位が今まで以上に顕著だった。春雨の話をする時の声の抑揚は、今までには無いほどに昂揚している。それこそ、秘めていた想いを隠さなくなったように。
『そっか……うん、そうなんだね。良かった』
何か吹っ切れたような表情の山風。
『また……会えるかな』
「私が決めていいことかはわからないけど……勿論、施設に来てくれれば、また会えるわ。私からそちらに行けなくなっちゃったのは残念だけど」
これだって海風の本心だ。鎮守府のことを切り捨てているわけがなく、この身体になったことで本来の居場所に戻れなくなったことを本当に残念に思っている。
「遊びに来てちょうだい。私達は、貴女達の来島を快く受け入れるわぁ。もう充分に仲間と言える間柄になっていると思うもの」
中間棲姫も再会を斡旋してくれる。今日にでも来てくれて構わないとまで。
この施設は山風のメンタルケアにもなるだろう。仄かな想いを秘めていた海風と一生離れ離れとなってしまったら、それこそ連鎖的に山風も崩れる。海風がこうなってしまった今、それだけは絶対に防がなくてはいけないことだ。
中間棲姫も、この鎮守府の艦娘に対しては大きな信用を持っている。これまで行なわれた数度の対話と、2回の宿泊によって、施設に害の無いものである認識は絶対的なものとなっているのだ。
ならば、山風にもこの門は開き続けることになるだろう。来たい時に来てくれればいい、いつでも待っていると話し、山風をより安心させた。
『……提督、いい?』
『勿論だとも。山風、君には海風から引き継いで、調査隊の隊長を任命したいんだが、良かったかな。調査内容は、深海棲艦化した艦娘の実態。春雨や海風と交流して、何事もないことを確認し続けてほしい』
これ以上調査することがあるかと言われれば難しいところではある。ミシェルのいたであろう海域からは痕跡らしき髪飾りを持ち帰ったが、目下の問題は古鷹と白露からの鎮守府襲撃がちらつかされたことだ。
だが、『海風の役割を山風に与える』ということ自体が、山風の心には響く行為だと考えた。調査隊はその名前の通り、施設に向かって
当然、施設を信用していないわけでは無い。体裁としてこの調査は必要になるのは当然であり、そもそもが互いに信頼しきっている関係。調査という行為そのものがその信頼を裏切るカタチになってしまいそうだったが、姉妹姫はどちらも提督の考えを理解している。
『っ……うん、やる。あたしが、海風姉の後を継ぐ。施設との交流、あたしが頑張る』
力強く頷き、新たな隊長として意気込む山風。その様子に、山風のメンタルを心配していた江風と涼風も一安心。
「来るときに事前に言ってくれれば、こちらも受け入れる準備が出来るから、今まで通りお願いねぇ」
『了解した。早速だが、こちらも1つそちらに向かいたい用があってね』
「あら、そうだったの?」
言いながら提督が机の引き出しから取り出したのは、前回の調査で発見された、三日月型の髪飾り。
『これを、そちらに定住している駆逐イ級……ミシェルだったかな。その子に見せてあげてほしい。その時はバタバタしていたため、確認は出来なかったが、本来の調査内容はこちらだ』
海風が繭となり、春雨が重傷を負ったことによって、調査隊そのものがバタバタしたまま帰投することになってしまったが、この髪飾りがミシェルと関係あるものなのかは重要なところ。
『この髪飾り、本来の持ち主が判明した。同じ艦娘の別個体で確認が取れたため、確定している』
「なるほどねぇ。もしそれに反応したら、ミシェルちゃんはその艦娘だったということになるわけねぇ」
駆逐イ級という姿を取っているが、あれも黒い泥が溢れ出した結果の
知らない間に古鷹達に襲われ、ああなってしまったというのなら、この事件の被害者になる。
そして、提督は言葉を続けた。ミシェルが本当は何者だったのか、その可能性の1つを示唆した。
『この髪飾りの本来の持ち主は、睦月型駆逐艦、4番艦の卯月だ』
支援絵をいただきました。ここに紹介させていただきます。
【挿絵表示】
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/93915017
深海棲艦化した海風は本当にこんな感じになってしまったので、ネタと言えなくなってきてますが、山風は良い子だったのでこうはなりませんでした。でもこれ、NGシーンとして成立するのでは。山風ステイ。