「今日から毎日、死なない程度にあたしをボコボコにしてよ。毎日、気が済むまで」
白露は、苛立つ叢雲に向かって、真っ直ぐそう言い放った。
「……は?」
対する叢雲は、その言葉を耳にして唖然とした。謝るわけでも無く、開き直るわけでもなく、ただ自分に非があることを認めて、叢雲の怒りを全て痛みとして受け止めようとした。
怒りが溢れ出した叢雲は、白露が何をしてもその苛立ちが湧き上がる要因となる。
謝られても気に入らない。許せるわけがないだろうと怒り狂う。開き直られても気に入らない。自分をここまでしてふざけるなと怒り狂う。何もしないでも気に入らない。自分に何か言うことがあるのだろうと怒り狂う。とにかく、白露が何をしても何もしなくても叢雲は怒りを露わにする
しかし、白露はどの選択も取らなかった。謝罪の言葉を言うわけでも無く、だからといってあれは泥のせいだと開き直ることもなく、何も言わずにまごまごしているわけでもなく、単にその怒りを発散するために好きに使ってくれとだけ言った。それ以上でもそれ以下でもない。
「あたしが何を言っても何をしても、叢雲はあたしを許さないと思う。あたしだって同じ立場だったらそう考えると思う。だから、あたしは叢雲に何をされても何も言えない。言っちゃいけないんだ。それだけのことを、あたしはやらかしたんだから」
淡々と、感情を殆ど乗せずに叢雲に説明した。その中にも、謝罪はあえてしていない。そして、叢雲の感情を一切否定しない。綱渡りのように偏ることなくど真ん中を行く。
「だから、叢雲の好きにしてくれて構わない。全部、叢雲に任せる」
叢雲の前に立った白露は、完全な無防備。どれだけでも嬲ってくれと言わんばかりに、ただただ棒立ちとなる。抵抗する気がないことが、誰の目にもわかるほどである。
この場にいる叢雲以外の者もハラハラしていた。叢雲が今から何を起こすのかを、見守るしかなかった。いざという時は動き出すかもしれないが、今は何をしても悪いことにしか繋がらなそうだった。
部屋の外にいる戦艦棲姫も、その様子を眺めていた。艤装を一時的に消し、いつでも叢雲を取り押さえられるようにスタンバイしている。
「そう、アンタは……そういう選択をするのね」
ギリギリと拳を握りしめ、顔を怒りで歪ませる。白露はそれに対しては何も言わない。はいもいいえも間違っていそうな場合、正解は沈黙となる。
「なら、私の選択はこれよ」
その握り拳を大きく振りかぶって、白露を殴り飛ばそうとした。瞬間、海風がそれを止めようと動こうとしたのだが、春雨がすぐに手でそれを食い止めた。これも直感。今叢雲を止めるのは違うと、
ジェーナスや薄雲も止めようとしたものの、春雨が海風を止めたことに驚き手が出せなかった。戦艦棲姫も同様である。
そして、叢雲の拳は白露の顔面スレスレで止まった。鼻先にギリギリ触れていないくらい。
しかし、白露は瞬きすらせずにその拳を見続けていた。恐怖に顔を歪ませるわけでもなく、避けようとすらしない。そうされるのがさも当然と言わんばかりに、完全に受け入れていた。
「……止めるって、わかってたの?」
「ううん、振り抜かれてもいいと思ってた。鼻血は出ちゃうだろうけど、明日には多分元通りだし」
痛みも、感情も、何もかもを受け入れるつもりだった白露は、目を瞑ることすらなくその拳を見つめていた。
今のまま振り抜けていたら、まず間違いなく鼻の骨は折れ、最悪目にも影響が出ていた。吹っ飛ばされて壁に激突なんてこともあったかもしれない。それでも致命傷ではないのだから、充分な休息を取れば元通りである。超回復というとんでもない特性は、こんな時にでも強く発揮される。
「私の怒りは何をしても拭えないわ。アンタを殴ろうが、斬ろうが。それが私の特性なんだもの」
叢雲は自分の特性を理解している。何をされても苛立ち、何をやってもそれは払拭出来ない。
怒りの根幹をなしているであろう白露という存在が泥が吐き出されずあのままで、その怒りをもって粛清して命を奪っていたとしても、叢雲は何も変わることはない。その時は失われるかも知れないが、本質がそのままならば、
「殴りたいほど苛立つことをしたら、容赦なく振り抜いてたわ。でも、アンタは避けるつもりも無かった。無防備で、無抵抗で、ただ受け入れるためにここにいる。そうよね」
白露は首を縦に振った。抵抗なんてしたら、それは償いにならない。だからこそ、叢雲の拳を受け入れる。
「最初はアンタに怒りしか無かったわ。今すぐこの場で痛めつけて、許しを請うても踏みつけて、無様に嬲り殺しにしてやるつもりだった。でもそれは、アンタがあのときのままだったらよ。今のアンタからは、あの時の
拳を下ろさないが、そのまま振り抜けるつもりはないらしい。白露を殴りたいという気持ち自体が大分薄れているようである。
目の前にいる白露は、姿形こそ叢雲を殺した張本人であるが、中身があまりにも違いすぎた。それが滲み出ているかの如く、表情も違う。
艦娘や深海棲艦には同じ顔の別個体がいるのは周知の事実。今回は別個体でも何でもないのだが、そう思えてしまうほどである。
それがあるからこそ、この白露に対して別個体であるという認識が出来そうなのだ。深海棲艦化した白露なんて、後にも先にもこの白露しかいないのだが、艦娘や深海棲艦の常識のおかげで、考え方を改めることは出来そうである。
「そんな奴をボコボコにしても、それは私がただの悪い奴にしか見えないじゃない。アンタが抵抗するなら別だけど。私はいじめっ子じゃないんだから」
理不尽な怒りに呑み込まれそうでも、理性だけは残っているのが今の叢雲。ただのサンドバッグを怒りに任せて殴って楽しむようなゲスではないと、叢雲の高いプライドでは許せないようである。
こういう時はプライドもいい方向に動く。これで叢雲にプライドが無かったら、容赦なく白露を殴り続けていたかもしれない。
「だからといって許すわけじゃない。現に私はアンタに殺されてる。馴れ合うつもりはないし、気を許すわけでもない。ただ、今までより怒りは滾らなくなってるのよ」
突きつけた拳で、力一杯デコピン。深海棲艦の力によるデコピンはそれだけでもかなりのものであり、近接戦闘に特化された叢雲のそれはさらに上。白露は上体が仰け反るくらいの衝撃を受けた。
しかし、痛いという声も上げず、表情すら変えず、倒れることも無かった。何発でも受けるという覚悟の下、白露は叢雲の前に立ち続ける。
「今回はこれで終わりにする。一応アンタも被害者って聞いているもの。私の怒りはアンタ次第で猛り狂うわよ」
「うん、それで構わない。あたしは叢雲に何されても文句言わないから。我慢出来なくなったらいつでも何してくれても構わない。あたしから関わり合いを持たない方がいいかな」
「……ここは狭いから嫌でも顔を合わせるわ。関わらないってのは無理。あと、こそこそされるのは腹が立つ」
結局のところ、白露が何をしようが叢雲の癇に障るのは間違いない。
「だからといって、出ていかれても私の目が届かないところに行った途端本性を表すかもしれない。それはもっと許せない」
否定をしない。この白露がもう自分の悦楽のために艦娘を襲うようなことはないのだが、叢雲の中ではそこまで信用出来ていないというのが大きい。
故に、叢雲は1つの選択をする。
「アンタが誠実であることを、私に証明しなさい。言動に嘘はつくな。隠し事をするな。本心のままに行動しろ。それで少しでも疑問を持ったら、私がアンタを痛めつける」
「いいよ、それで。むしろそれがいい。あたしはあたしの思うままに生きろってことだね」
「ええ。アンタみたいな輩は、中身がまだクズならそのうちボロが出るわ。でも、本当にアンタにそんな要素が無くなってるっていうなら、どれだけ生き続けてもボロなんて出ない」
これだけやっておいて、白露の中にはまだ5人目がいるのだとなった場合、こうやって生活している間にでも何かしらのおかしな部分が出てくることになるだろう。それが出た時点で、叢雲が成敗する。
「春雨、海風。お願いがあるんだけど」
「なに?」
「白露を監視してちょうだい。アンタ達は妹なんだから、何か違和感があったら私に言って」
妹にそれを頼むというのはどうかと思うが、それはそれで叢雲が2人のことを信頼しているという証拠だったりする。
実の姉を監視しろと姉の前で頼むとか、不正を容認しているようにすら思える。中立の立場でそれを監視出来るとは到底思えない。
「うん、わかった。姉さんに不審な点があったら、ちゃんと教えるよ」
「ええ、お願い」
だからか、春雨は快く了承。白露が正しく生きていけるようにするためにも、春雨がそれを保証し続ける。
それに、春雨だって姉がおかしいとなったら問い詰めることにするだろう。姉の、
「姉さん、それで良かったですか?」
「うん、それでいい。春雨も海風も、あたしがお姉ちゃんだからって情けをかける必要はないよ」
「勿論です。白露姉さんがおかしかったら、結果的に春雨姉さんが嫌な思いをしますから。そうなったら、叢雲さんの前に私が白露姉さんを制裁しますので」
なんの躊躇もなく言ってしまう辺り、海風も相当歪んでいる。
「……叢雲、あたしからも1ついいかな」
「気に入らないこと聞いたらぶん殴る」
「本当にいいの?」
たった一言、叢雲の意思を問う言葉。その一言だけで、いろいろな意味が含まれていた。
自分をこのままにしておいていいのか。その湧き上がる怒りを我慢出来るのか。ここにいていいのか。共存出来るのか。生きていていいのか。
「いいわよ」
一言に対して、叢雲も一言。握りしめた拳はギリギリと音を立てるように力が込められ、言葉以上に感情が表れているようだった。怒りの制御が出来ている。
最初の叢雲だったら、誰かが止まるまで白露を殴り付けていただろう。それこそ、白露が死ぬまで。しかし、今はここでの生活によって心に若干の余裕が出来ていた。そのおかげで、理性とプライドが強く出ていた。
それだけ言って、叢雲は部屋から出て行った。これ以上話すことは無いというのもあるが、今はまだ我慢しているというだけであるため、これ以上面と向かっていると、これだけ言っておいて殴りかかってしまいそうだった。
薄雲はそれについて行った。叢雲の側には、妹がいた方がまだ落ち着けるだろう。
「……ここにいるのはいいヤツばかりなのかな」
白露がボソリと呟く。春雨は無言で頷いた。
そんな様子を、遠隔ではあるが姉妹姫も確認していた。その場に戦艦棲姫がいるから自分達まで出ることでは無いとは考えていたようだが、本当に止まらないようなら妹姫が出ることを考えていた。
「叢雲ちゃん、強くなったわねぇ。ここでの生活で心に余裕が出来てきたのかしらぁ」
心底安心するように中間棲姫は笑顔を見せた。
正直、叢雲が一番のネックではあった。そういう本能であり根幹、抗いようの無い叢雲としての性質なのだ。しかし、施設内での争い事はやめてもらいたい。平和のための施設なのに、不和を齎す存在にいいことは無いのだから。
白露もそうだ。本人にはいろいろとあるようだが、存在そのものが元々敵。平和を破壊する者。それ故に、治療はしたものの状況次第では何か考えなくてはいけなかった。
そういう意味でも安心している。白露は泥が外に排出されたことによって誠実なお姉ちゃんへと戻り、叢雲は喧嘩っ早い性質を制御出来ている。いい方向にへと向かっているのは確信出来る。
「ひとまずは、白露にも生活してもらうわ。妹達と一緒にいてもらう方がいいわよね」
「ええ、そうしましょう。あの子も平和なここにいてもらう方がいいわぁ。それに、いろいろと聞いておかなくちゃいけないしねぇ」
これだけ話が出来るのなら、当時の記憶が朧げでも話は聞いておく必要はあるだろう。そうで無ければ、ここで生きていくにあたって
「話が出来るのなら、まずは白露と話をしましょ。その情報、鎮守府の方にも必要でしょ」
「そうねぇ。提督くんにもちゃんと伝えないとねぇ。話は提督くんも交えてやった方がいいかもしれないわぁ」
白露の素性については、今回の事件に関わる全ての者が知っておく必要があるだろう。白露が何か隠しているとは思えないが、施設の者が全員納得出来る者でなくてはいけないだろう。
果たして、白露は本当に受け入れられるのか。
叢雲の選択、白露の選択、それは全部正しいのかどうか。