白露が泣き止むまでに少し時間はかかったが、通信を切ることもなく、みんながそれを待った。提督や姉妹姫、春雨と海風という妹が声をかけることで、どうにか落ち着いていく。
グシグシと涙を拭い、真っ赤に腫れた目で画面を見たが、白露の表情はとても晴々としていた。提督に再会出来たこともあるが、白露以外の3人の存在もここにいると認めてもらえたことがとても嬉しかった。
「よし、ウジウジするのはおしまい! 今日からはこの施設の一員として、改めてよろしくお願いしまっす!」
「はぁい、私達は歓迎よぉ。ここは楽しくのんびり平和に生きる場所なんだもの。少し働いてもらうけれど、一緒に生きましょうねぇ」
「働くの? 何するのかな。あたし、結構何でもやれるよ。何せ、今は
この辺りを開き直れているのはかなり大きい。妹の存在を自分のモノにしてしまったことに対する複雑な感情があるだろうが、それを感じさせないくらいに明るい。
元々お調子者な部分もあったが、今は空元気というわけでもなく、本来の性格がちゃんと表に出せているといえる状態。今後も落ち込むことはあるだろうが、白露のことだからすぐに開き直れるだろう。
「あたしにわかることは少ないかもしれないけど、またわからないことがあったら言ってよね。頑張って思い出してみるから!」
この事件の真相を探るのは施設ではなく鎮守府。それをしっかりと理解した上で、その手助けになれるように最も近い位置にいたであろう白露に聞けることを全て聞いていこうという話に。
『そちらは何か白露に聞きたいことはあるかい』
「そうねぇ……今気になっていることといえば、白露ちゃんが吐き出した泥のことなのよねぇ」
傷口に付着していた乾燥した泥。そこから負の感情を読み取ったのだが、まず間違いなく白露自身から溢れ出した泥ではない。白露も、感情が溢れて泥となると聞いて初耳だと言っているほどだ。
『その泥というのが僕にはまだよくわかっていないのだが、艦娘が深海棲艦に変化するにあたって、それは必ず起きるものなのかい?』
「私も又聞きみたいなものなんだけれど、基本的にはそうみたいねぇ。少なくとも私達は、こうやって処置の方法は知っているけれど、現実に目の前で繭になっていくところを見たことが無いのよぉ」
泥に関しては、全て『観測者』の受け売りなのだという中間棲姫。流れ着いたり、伊47が拾ってきたりした繭に対して適切な処置は出来るのだが、実際にその瞬間は一度も見たことがないらしい。
そういう意味では、山風達調査隊が海風の泥が溢れる瞬間を見たのは、この世界でも相当レアなことになるのかもしれない。褒められたものでもないが。
「泥、泥かぁ……姉姫さんにはもう話してるんだけど、全っ然ピンと来ないんだよね。あたしの中にそんなものが入ってたっていうのも。自分から溢れ出したってのもわからないし」
何がきっかけで発作が起きるかとか、そういうところはもう気にしないことにしているものの、やはり本来とは違うカタチで深海棲艦化しているというのは、鎮守府側にも知っておいてもらいたい内容だ。
「アタシ達の見解としては、白露の泥は
つまり、艦娘を深海棲艦に変える泥を持つ深海棲艦がいるということになる。中間棲姫や飛行場姫はそんな存在を見たことはおろか聞いたことも無い。世界中を旅している戦艦棲姫も知らないことである。
『白露、君が……その、
嫌なことを思い出させるような質問に提督も少し抵抗があったようだが、白露は何も問題が無さそうに過去のことを思い出そうと頭を捻る。
「うーん……あたし、基本的には古鷹さんとしか行動してないんだよね。あたしをこんな身体にしたヤツがいるかもしれないけど、それが誰かってのは全然思い出せないなぁ……。あたし以外にも利用されてるヒトがいるかどうかも全然思い出せない……」
そういうところばかり記憶が抜け落ちるのは、敵がこうなることも見越して白露に最初から仕込んでいたからなのか、たまたま白露の記憶がすっぽ抜けているだけなのかは定かではない。
意図的に白露からその記憶が抜けるように仕込んでいるとしたら、敵の力はあまりにも強大である。艦娘の頭の中を弄るなんて、人間ですら出来やしないのだ。ブラック鎮守府のような洗脳教育とは訳が違う。
「なんで一番重要なところが抜けちゃったかなぁホント! 」
『無理はしないでくれ。白露も昨日の今日だろう。まだ本調子ではないだけかもしれないんだ』
「うん、何か思い出したら必ず伝えるから。あたしだってこのまま黙っていられるかっての。あの古鷹さんだけは絶対に痛い目を見せちゃる」
自分を操り、妹達を酷い目に遭わせた相手は気に入らないと憤慨する白露。今のところは真っ先に思い出し、自分を利用するだけした古鷹に対しての敵意が強いようだ。
白露が敵では無くなった時点で、当面の目標は古鷹一本になる。鎮守府も、謎の古鷹を第一目標として捜索と撃破に乗り出すだろう。
「こちらでも、あの謎の泥のことについて調べられたら調べておくわぁ。
『そうだな、頼めるのなら頼みたい。しかし、君達の平和が脅かされる可能性も』
「これに関しては、黙っておくわけにはいかなそうなのよねぇ。なんだか嫌な予感もするのよぉ」
本来なら、中間棲姫側から首を突っ込むなんて言語道断。戦いに身を置きたくないから施設を運営しているというのに、泥の調査はその平和を自分から崩しに行くようなもの。
しかし、事前に知っておくことで対策も取れる。平和のためには、少しだけでも足を踏み入れなくてはいけないこともある。
無論、戦う気は全く無い。力を持っていても、気持ちがそこに行かないのだから仕方ない。平和に、何事もなく、穏やかに、楽しく、この施設でみんなで生きていく。それが最初から最後までを占めている。
だが、何かあった時に無抵抗で降伏するつもりも一切無い。それは永劫に平和が失われることに繋がる。ならば、一時の苦痛で次の平和を掴みたい。今までにこんな状況になったことが無いため、姉妹姫にとっては初めての決断とも言える。
『だが、どうやって調べるんだい。島から出ることも出来ないだろうし、所属する者が動き回るのも難しいだろう。確かに
「当てはあるようで無いのよねぇ……でも、一応いろいろと手を尽くしてみるわぁ」
自信は無いけれど、と続ける中間棲姫。何せ頼る先が今までに顔を見せたことがない『観測者』なのだ。そのことを話すと、提督も困った顔をする。
呼んでくるような相手でもなく、探して見つかるような相手でもない。そして、その名の通り世界を観測する者。
『そうか……いや、僕達が君達のやり方に対して何か言うべきではない。1つだけ言えるのは、くれぐれも気をつけてとしか』
「ふふ、ありがとう提督くん。勿論気を付けるわぁ。だって、私達は本当に戦いたくないんだもの」
戦うために調べるのではなく、平和を掴み取るために調べるのだと、中間棲姫は自分に言い聞かせているかのようだった。
「……『観測者』?」
ここで白露が妙な反応を見せた。少なくともこの名前は聞いたことが無い者の方が多いはずだ。むしろ、この施設にいる者、そして関係を持った鎮守府の一部の者以外に知る者はいない。
なのに、白露はその名前を聞いたことで
「姉さん、どうしました?」
「なんか聞き覚えがあるような……耳に引っかかるような……」
白露がこういう反応をするということは、敵の黒幕が『観測者』のことを知っていると考えるのが妥当。それが古鷹に対してなのか、他にいる何者かに対してなのかはわからない。
『姉姫、その『観測者』は、君達以外と関係を持っているような仕草はしていたかい?』
それを疑問に思うのは勿論提督だ。噂にしか聞いていない存在なのだから、あらゆることに疑問を持ってもおかしくない。
その提督の問いに対して、中間棲姫は深く考える仕草。『観測者』に育ててもらったのは、今からもう何年も前のことだ。そこで別れてから今の今まで姿形も見ておらず、何処にいるのか噂すら聞いたことがない。
「私が覚えている限り、そんなことは話してなかったわねぇ……。私のところにいる時は、ずっとここにいてくれたもの」
「アタシが加わってからよ。ふらりといなくなって二度と戻って来なくなったんだけれど」
『ならば、君達と別れてから何処かの深海棲艦……君達の
この事件の根幹には、『観測者』の存在がかなり重いところにあると言える。春雨達は、それに巻き込まれたに過ぎない。そういう意味ではいい迷惑かもしれないが、彼がいなければ中間棲姫はこうなっていなかったと考えると、不要な存在では無いと感じる。
とはいえ、姿を現さない者が事件を巻き起こしている可能性も出てきているのは厄介だ。調査しようにも調査が出来ず、基本的には受動的に耐え忍ばなければならない。それはあまりにも気長。
『我々も探せるものなら探してみよう。人間や艦娘の手が届く場所にいるとは到底思えないが』
「そうねぇ……こちらでもヨナちゃんに頼んでみようかしらぁ。近場にいるとは思えないけれど」
ここからは、真相を知る可能性のある『観測者』探しも任務に加わる。何処にいるかわからない。姉妹姫以外はその姿すら知らない。そんな
などと鎮守府と施設が話している頃、誰からも干渉出来ないような海の底では、一人の男が海上を眺めながら少し困った顔をしていた。
「やれやれ、まさか私を追い求めるとは」
男の言葉に対し、従者であろう2人の少女は、クルクル踊りながら誰のせいだと言わんばかりに意地の悪い笑みを浮かべている。
「何も言い返せないね。本を正せば、観測者たる私が干渉したことが原因だろう。彼女
ふぅ、と小さく溜息をついた後、中間棲姫から視線を離し、
「やはり、見過ごしてはおけないか。これでは犠牲者が増える一方だ。それも世の摂理であると観測を続けていたが、彼女のやり方は目に余る。摂理を覆そうとしている」
従者達も同意を示すように頷き、やはりシャドーボクシングのような仕草。片方は悪役のプロレスラーのように指で首を掻き切るような仕草まで見せる。なかなかに過激な表現に、男は苦笑した。
「観測者という枠組みを越えるのは、褒められたものでは無い。しかし、先に域を越えようとしているのは彼女だ。平和を脅かすのはまだ真理の内だが、
従者達は、早速動くのかと聞くかのように顔を覗き込む。対する男は、少しだけ考える仕草。行くなら早くしろと手を引っ張るが、待ちたまえと従者達を諫める。
「急ぎすぎてもいけない。急いては事を仕損じるという言葉もある。我々は焦ってはいけない」
しかし、行かないとは言っていないことで、従者達は喜ぶように周囲を踊っていた。
ついに『観測者』が動き出します。