白露の歓迎会と称された少し豪勢な昼食を終えた後、施設の者達は思い思いに過ごすことになるのだが、中間棲姫と飛行場姫、そして伊47の3人で島の岸の方へと出てきていた。白露が吐き出した黒い泥について何か知っているかもしれないということで、自分をここまで育ててくれた『観測者』を探すためである。
施設側から接触を考えるのは、姉妹姫が彼と別れてから初めてのこと。長い年月その存在を確認もしておらず、そもそも何かを聞きたいことも無かったわけだが、今は緊急事態ということで追い求める。
「それじゃあヨナちゃん、お願いしていいかしらぁ」
「うん、わかった。でも、会える可能性の方が低いんだヨナ?」
「ええ、だから深追いとかもしなくてもいいわ。アタシ達も、運が良ければ来てほしいって程度だから」
彼が海底に住んでいることはわかっている。しかし、海底散歩を何度もしているような伊47も、これまでに一度も見たことがなく、痕跡すら無い。
故に、伊47の探索は念のために他ならない。まず見つからないと考えて動き出す。伊47もそれは理解した状態で探索に向かう。
「いつもはあまり行かないところまで散歩してくるね」
「ええ、行ってらっしゃい。何かあったらすぐに戻ってきてちょうだいねぇ」
「はぁい。じゃあ、行ってくるヨナ〜」
それだけ言って、トプンと海中に潜り、そのまま島から離れていった。
地上ではのんびりとした伊47も、海中では無類の強さとなる。敵が徹底して潜水艦対策をしてきても、ある程度は回避可能。さらには、簡単には索敵されないような海底をブラブラするというのもあり、危険性は皆無。しかし、それで慢心しては例外的な何かで痛い目を見る可能性があるため、海底散歩にもルールが定められていた。
危ないものには近付かない。興味を持っても控える。コースは自由だが明るいうちに戻ってくる──などなど、まるで親が子供にお使いに行かせるときのようなルールである。だだし、今回は『観測者』の探索がメインにあるため、多少なり近付いたりすることになるだろう。
「……見つかるかしらねぇ」
「まぁ十中八九無理でしょ」
ボソリと中間棲姫が呟く。対する飛行場姫は考えるまでもなく即答した。
「でも、動かなくちゃお話にならないから」
「そうよねぇ。ヨナちゃんには苦労をかけるわぁ」
伊47に頼んだものの、それは本当に一縷の望みに賭けたもの。確率が非常に低いそれに対して、飛行場姫は現実からそう答えた。
だからと言って行動しないわけにもいかない。買わないと宝クジが当たらないのと同じである。僅かにでも可能性があるのなら、分が悪くてもやってみなければわからない。
「でもこれで見つかったら、お姉は彼に何て言う?」
何気ない一言ではあったが、中間棲姫には割と難問だった。一種の育ての親とも言える『観測者』と離れて数年、いろいろと話したいことが積もり積もっているようである。
「とりあえずは……お久しぶり、かしらねぇ」
「それくらいしかないか。アタシ的には、立場とかそういうのは知らないけど、一度会ってんだからまた顔を見せるくらいしろって思うけどさ」
そんな飛行場姫の言葉に、否定的な意見は出なかった。『観測者』という立場上、頻繁に会いに来ることは出来ないにしても、たまには成長の具合を直に見に来るくらいしてもいいとは思う。だからと言って、頻繁に呼びつけることも出来やしない。
「まぁ……また会いたいとは思うわねぇ。出来れば、こんな理由ではなく、ただお茶をするくらいで」
「そうね。アタシもそう思うわ」
事件の解決のために頼るとかは無しに、ただただお茶をしながら和やかに話がしたい。姉妹姫の願いは、それだけだった。
島を離れた伊47は、あっという間に海の底まで移動した後は、ブラブラと近海を泳ぐ。もう光も届かない暗闇の中を、当たり前のように進んでいた。
伊47は深海棲艦化する前から夜目が利く。むしろ、それは潜水艦としての特性。海底は基本的に暗闇の世界であるため、そこを進む潜水艦達は、ほぼ必ずと言っていいほどに夜目が利くという特性を持っている。
だが、伊47の目はそれ以上にいい。暗闇の世界でも昼間のように見えるくらいだ。深海棲艦化による全スペックの強化が、そういうところにも出ている。
「この辺は何も変わらないヨナ〜」
近海は殆ど毎日見ているようなものなので、僅かにでも変化があればすぐにわかるほどになっていた。それだけ伊47は海底に来ることが多い。
施設の者達と仲良くすると相当な確率で発症する『幸せアレルギー』は、最初期から比べれば大分軽くはなったものの、不治の病のようなものなので、重さは違えど何かしらの被害を受ける。
それを避けるためにも、伊47は孤独を選んだ。幸いにも、施設には他に潜水艦がいないため、海底は独りになるのに最も適した場所となる。
そのおかげか、海底は誰よりも知っていた。だからこそ、今回の任務を買って出た。『観測者』がいた痕跡が見つけられるのは、物理的にも精神的にも伊47しかいない。
「そもそもどんなヒトなのかな。男のヒトって言ってたけど」
人間達が知らないのだから、当然艦娘達も知らない。深海棲艦ですら限られた者しか知らないような存在。パッと見てわかるかどうかもわからない。
例外中の例外である、
とはいえ、海のど真ん中に立っている、もしくは海の底にいるとなれば、艦娘か深海棲艦のどちらかしか無いのだから、すぐにわかるだろう。
「男のヒトどころか、ここら辺で他のヒト見たことないんだヨナぁ」
伊47も施設にはそれなりにいる。その間に殆ど毎日のように施設の近海を泳いで回っているが、その間に見つけたのは既に黒い繭になっている状態のみ。生身の艦娘や深海棲艦は、近海に来ることはない。
それだけ姉妹姫が陣取っている場所というのが誰にも見つからない場所であり、そのおかげで平和が保たれているわけなのだが。
「っと、アレは」
そうこうしている内に、伊47は先日の戦場へと来ていた。調査隊が帰投中に襲撃され、虫の報せのおかげで春雨達が救援に向かうことが出来たあの戦い。
今は戦いの痕跡が無いはずだし、そもそも海上艦のみで行なわれた戦いだ。海底にいる伊47には尚更影響が無いはず。
しかし、そこには妙なモノが存在した。
「……?」
伊47の視線の先。そこには、海底まで沈んできたであろう
春雨に斬られたことによって白露が吐き出した黒い泥。傷口からも溢れ出し、その全ては海へと消えていったはずだった。その一部は乾いて白露に付着していたものの、大部分は海に零れ落ちている。
それが今、伊47の目の前に存在した。海中だというのに霧散することなく、個体としてそこにあるそれは、パッと見ではよくある海中を漂うゴミに見える。しかし、伊47は事前に白露から泥が吐き出されていることを聞いているので、それは
「触らぬ神に、祟り無し、だヨナ〜」
後からそういうものがあったと報告するとして、今はそれを求めていたわけでは無いため、見つけた時点ですぐに離れることを選択。
そもそもが謎の存在なのに、何も知らないで近付くとか何をされるかわからない。例えそれが泥であっても、謎であることには変わりない。
なのだが。
「……動いてる……?」
その泥は、泥だというのに
その行動は、こんな海中でも
「まずいかも……逃げよう」
元々触れずに去ろうとしていたが、その動きを見たことで余計に危険だと感じ取り、伊47は急いでその場から立ち去る。なるべく静かに、しかし出来る限り素早く。あれは泥かもしれないが、何かを探す動きをしているということは、明らかに
そして、それを決定付ける行動を取った。
「……えっ」
その伊47を発見したのか、明確な意思を持って泥が行動を始めた。狙いはどう考えても伊47の身体である。泥とは思えないほどに素早く、まるで海蛇の如く伊47目掛けて動き出した。
「こ、これは、まずいヨナ!」
あれに捕まったらまずい。ただでさえ白露の中に入り込み、本来の性格を歪ませていたような存在だ。それにやられたら最後、伊47も白露のようになってしまいかねない。
しかし、その泥を施設まで運ぶのも問題だ。海中だからあの動きを見せているだけで、海上に出たら動けなくなるかと言われれば、どうなのかはわからないというのが答え。
「ま、まずは、上に!」
瞬時に判断し、一旦浮上。幸いにも、泥の動きは素早いが伊47の速力以上の速さは出ていない。頑張れば引き剥がせる。だが、遅いわけでもない。気を抜くと追い付かれるくらいには速い。常に全力でいなければまずい。足を止めたら、海中から捕まる。
やはり、あの泥は海の上に出ようとはしていない。海の水分が必要なのか、それとも空気に触れることが出来ないのか。そういう意味では、伊47にとっては相性が悪すぎた。
「なに、なにあれ、なになに」
伊47は恐怖すら感じていた。得体の知れないモノに追われ、最悪の場合乗っ取られる。それだけは避けなければならないのに、どうすればいいのかわからない。
上に行くというのは間違っていなかったのだが、伊47自身、ホームグラウンドは海中だ。海上では速力も下がるし、十全の力は発揮出来ない。そうなると、ジリジリと這い寄られてしまう。
「戻っていいのかな、あんまり良くないかな、施設に迷惑かかっちゃうかも、でも多分陸だと何も出来ないヨナ。この辺無人島とか無いし、施設以外の陸って近くにないヨナぁ」
考えて考えて、あくまでも施設に被害が出ないように行動するにも、海のど真ん中であるというのがネック。
深海棲艦であるという時点で陸に持っていくことも出来ず、そもそも泥が艦娘に対しても何かしらの影響を与えかねない。だからといって自分が餌食になってしまったら本末転倒。
「ど、どうする、どうする。ヨナはどうするべき」
施設に戻りながらも、迷いがあるせいで最速の行動が出来ない。結果、向かってくる泥との距離は徐々に詰まってくる。そしてその動揺がさらに速度を落としてしまい、そして泥はさらに接近。むしろ、泥も調子が出てきたのか速度を上げているようにすら感じた。
「嫌だ、嫌だ、あんなのに捕まりたくない……!」
伊47は既に涙目だった。いくら幸せを感じてはいけない身体だとしても、周りに不幸を振りまく存在にはなりたくない。あれに捕まったら、良くても死、悪ければ侵略者とされる。それは最も望んでいない結末。
「嫌、嫌っ」
泥に手があれば、もう伊47に届くというところまで来てしまった。捕まれば海中に引き摺り込まれ、そのまま乗っ取られる。その恐怖に、伊47は完全に錯乱していた。
「それはよろしくない。摂理に反している」
知らない声が響いた瞬間、伊47を捕らえようとしていた泥は突然霧散した。
「え……え……?」
茫然とする伊47。そこにいたのは、
「出過ぎた真似かと思ったが、こればかりは度が過ぎていたのでね。手を差し伸べさせてもらった」
泥を霧散させたであろう2人の少女も海中から飛び出してきて、可愛らしくポーズを取った。まるで道化師のような2人は、伊47に笑顔を向けると、男の側へ。
「あなたは……」
心の奥ではそれが何者かはわかっていたが、彼が何者かを問う。
そして、それに対する反応は、予想通りだった。
「『観測者』といえば、わかってもらえるかな?」
ついにヒト前に現れた『観測者』。